時は西暦1998年 4月17日 事は起きた。
イギリスを構成する国家の一つであり、イギリス中の人口の内80パーセント以上が生活を営んでいる地、イングランドの中でもロンドンに続く大都会として君臨しているバーミンガムでのことだ。
その頃バーミンガムの市民たちは、一ヵ月後に開催される世界的な規模を誇る大イベント、第二十四回主要国首脳会議、通称サミットの準備に明け暮れていた。
ロシア参加による初のG8公式サミットである。だから別にどうとういうわけではないものの、ある程度大きな変化が起きることに浮かれていたり、更なる発展の糸口として狙いをつける者たちによって、わりと大規模なスケールで進んでいる。
それに伴って、G8で扱われる課題に対する大きな批判が集まっていた。俗に反グローバリゼーションと言われるものだ。
反グローバリズムを主張する人々が開催地にここぞとばかりに集結し、町中で、メディアで、耳に響くデモ活動を繰り広げている。
それはサミット運営側からして見れば、非常に迷惑極まりないものであったものの、準備事態はある程度支障なく進んでいたため、歴史に残るほどの激しい騒ぎは起こらず、着々とサミット開催日は近づいていた。
とまあ、このような背景があったにはあったのだが、そんなこと、その頃表向きの世界、裏の世界両面で密かに注目を浴びていた人物、ドクター・カオス”二世”にはまったく関係なかった。
ウェスト・ミッドランド州 バーミンガム内のカオス二世の住居
部屋の中は明るい。いちいちスタンドの電源をつけなくとも、目の前の机の表面に広げられた設計図を見て取るのは簡単だ。理解できればの話だが。
「精霊石を予備動力として利用するのは……却下じゃな。自分以外の霊力を代用として使えるシステムは、好ましくない」
緊急時の対応法としては価値がありそうだが、システムの大々的な見直しが必要になる他、経済的にも痛手が出る事になる。
十分な時間と資金の見積もりが出来るまでは、しばらく保留にしておくことにした。
「…………」
ふと自分の顔を少し歪めて反射させる机に視線が寄る。そこに写る自分の顔の表情は、引き締まっているものの未だ幼い。
今日の朝も暗い気持ちで身長を測ってみたが、結果は昨日と変わらず。それどころか自分の身長は、二年前のあの日から何も変わっていない。
その事実は、自分に対して、”十五歳の身体の状態で不老が持続している”という涙が出そうな問題を叩きつける。
考える度に鬱になるのであまり考えないように心がけているのだが、繊細な人間の脳はいちいちそこに辿り着いてしまい、”今日も”カオスは、憂さ晴らしにスルメを噛んでいた。
「これで最後の一本か……美味かったな」
何かを噛んでいる感覚は集中力を養うのに効果的である。その点ではスルメよりもガムの方が優れているように思えるが、カオスは、個人的な好みで大抵スルメを選択する。
彼いわく、どんどん味がなくなるものより、噛めば噛むほどの方がより心地いいとのこと。科学者らしいこだわりっぷりである。
「ドクター・カオス」
「ん? どうした、マリア」
カオスが研究に対する考案、構想の組み立て時に愛用している書斎のドアを開けて、マリアが入ってきた。
「鉱山業を営んでいる、ノルトン氏から、依頼届けが、まいりました」
「ほぅ……続けてくれ」
「はい。鉱山の、発掘中に、怪しい建造物を、発見したとのことで、調査を頼みたいとのこと、です」
鉱山の中に建造物。それは確かに怪しい。怪しすぎる。
誰が、一体どのような目的で、どうやって建てたのか……。カオスの、永遠不滅の好奇心に火が付いた。
「なるほど、面白い……。丁度今、買い物に出かけようと考えていたところだ。ついでに詳しい話を聞いてこよう。マリア、お前も来るか?」
「はい。お供いたします。ドクター・カオス」
決まってしまえばカオスの行動は早い。彼は玄関前に立てかけて配置してある外出用の小さな黒いマントを羽織り、加えて、顔のほとんどが隠れてしまうような、底の深い、シルクの青い帽子を被った。
これが彼が外出するときの服装である。まことに怪しいがとても都合のいい、プチ変装セットだ。同じ形質の帽子の色違いを13種類持っているため、大抵毎日帽子の色が変わる。
いちいち変装する理由は、彼がわりと有名人であるのに起因している。若返ってしまった以上もとの名前が使えないため自らカオス二世と名乗った彼のことは、霊能分野に属する者なら、ほとんどの者が知っているのだ。
少々目立つものの、自分を知るものにはわかりやすく、知らないものには誰だか判別しづらい格好なので重宝している。
がしかし、どうしようもない弱点があるせいであまり意味を成さない。低い身長が、正解に近いヒントを生んでしまうのだ。
長いレンガの坂を上って少しわき道に入ったところに、カオス宅は位置している。建物に囲まれるような位置なのだが、昼は太陽の光が差し込み、とても明るい。
極端に冷えることも、暑くなることもないイングランドの気候のおかげか、ぽかぽかして、過ごしやすい日だ。
「あ、こんにちは。博士。それにマリアさん」
「こんにちは、ケトル。今日もいい天気じゃな」
「こんにちは。ケトルさん」
近所でケーキ屋を営んでいるランストー夫妻の一人息子、ケトル少年の良く響く声を、カオスは気に入っている。
でも最近身長で追い抜かされたため、カオスとしてはショックを拭えない。
「父がまた変なものを作ったみたいで、今朝から母に折檻されてました」
「なかなか、あの男も懲りんのう」
「まったくですよ」
職人のボレン・ランストーは度々妙な材料でお菓子を作ろうとする変人で、カオスはそれを何度か試食した事がある。
どうしてか美味しかったりするのだが、時より、あまり考えずにドッキングされた食材による地獄のハーモニーを楽しまされることもあり、毎度毎度、食べる前は緊張の連続だ。
お菓子にはお菓子に合う食材があるのであって、何でもかんでも入れるようなことはしてはいけないのである。
「今日はどこにお出掛けになられるんですか?」
「仕事の依頼でな。それと買い物だ」
「スルメの、補充、です」
見た目少年のカオスはスルメがなければ落ち着かない。それを知っているマリアは、カラの容器を見て目的を察していたらしい。
「まとめ買いとかは成されないんですか? 博士、お金持ってるのに」
「それをしてしまうと私は、大抵は家に篭りきってしまうのでな。外出の機会を増やすために抑えておる」
数がある程度限られてるからこそ、じっくりと味を楽しめるというこだわりもある。
「それでは、もう私は行くとするよ」
「はい、いってらっしゃい」
カオスが住居を置いているこの通りは、都会として、もっとも機能しているところからは大分離れている。彼自身が、あまりうるさい場所を好まないからだ。
とはいっても流石はバーミンガムというべきか、レンガの坂道を行きかう人はそれなりに多く、独特なイメージを持った町並みと合わさって、ヨーロッパでしか見られないような幻想的な雰囲気が、日常的に発生している。
ほかの数多の国に訪れたことのある分、違いを感じ取りやすいカオスにとっては、それこそ物語の世界を連想させるような不思議な魅力だ。
「ウェールズからここに移り住んで、もう一年半になるな」
「はい。丁度、あと数日後には、一年と半を、迎えます」
この時カオスは、内心、自分が言った言葉の意味に笑いをこらえるので、一杯一杯だった。
あれほど一日を一日として捉えず、一年やら十年やらといった単位で時を数えていた頃の自分が馬鹿らしくて、滑稽に見えたのである。
「この身体になってからというもの、若いからか、呆れるほどに一日の体感時間が長くなった。おかげで今では、毎朝カレンダーをめくるような日々が続いている」
「マリアの、一日も、変化を続けております。ドクター・カオス」
精神的な面では以前の自分が大きく残っているカオスだが、少年時代にまで脳が若返った分、その体感時間、時間の進む速さに対する感覚は、若返る前の半分以下にもなっている。
一日を十分に満喫できるだけのゆとり。考えるだけでなく、行動する事によって示す濃度の濃い生き方。
人生の主役になったなどと感じるほどではないが、それでもカオスは、今の生活に満足している。
「うぬ、真に良い。それは素晴らしいのじゃが……はて、私は、命を狙われるようなことをしたかのう?」
途端、カオスとマリアの二人を包む雰囲気が一変する。
「――右後方、距離三十メートルの位置、高さ二十三メートルの建造物上に、一体の、魔族の反応を、感知」
カオスは明らかな殺気を感じていた。自分に対するものに違いない。
しかもマリアが言うには、その発信源は魔族だというではないか。一流のGSでも可能ならば相手にしたくない、一撃でこちらを葬れるような圧倒的なパワーを持った種族だ。
「二十三メートルか……ずいぶんと高いのう。私の知る限りでは、ここから三十メートル以内にはそれだけの高さを持つ建物、一つしかなかったと思うが」
遠くから見ても気付けないだろうが、二人の刻む歩幅は、かすかに短くなっていた。もしものとき、出来る限り敏速な対応をとるためである。
何せ距離が距離だけに、敵がここまで接近してくるようには思えない。おそらくは、精度の高い遠距離攻撃をお見舞いされるはずだ。その場合、反応は早ければ早いほどいい。
「この変装も、いよいよ意味があるのか微妙になってきたな……。マリア、相手の形状は把握できるか?」
「イエス、ドクター・カオス。女性的な肉体に、二枚の翼。データベース上に、記録されている魔族、”ハーピィ”と、97パーセント以上の、一致を、確認いたしました」
「……おかしいのう。魔界の暗殺者が、一体私に何の用がある?」
「それに、該当する、答えを、マリアは、持たない……。すみません、ドクター・カオス」
いくら魔族であるとはいえ、彼らにとて、理由もなしに現実世界を脅かして良いなどというルールは存在しない。むしろ、それを食い止めるような法律が、魔界にもあるのだ。
つまり現在カオスを狙っている相手にも、何らかのわけがあるがあるのだろう。初めから狙っていたような位置や、殺意を向けてきていることからしても、間違いないといえる。
問題なのは、相手が、こちらが気付いていることに気付いているのかどうか、それだ。気付いていないのならいくらでも対処の方法があるのだが、そうでないとすると、とても困る。
「この身体を持ってから、銃で標的を狙うような事態に直面することが多くなったが……なるほど、”狙われる感覚”とはこれほどに不快感をもたらすのじゃな」
自分には相手の動向を窺えるだけの目を持ったパートナー、マリアがいるから安心できるが、そうでなければ、怖くて仕方がなかったかもしれない。そう、カオスは考えた。
「しかし、こうまで簡単に感づかれるような相手じゃ。わざとの可能性も否めないが、そうたいした奴でもなかろう」
「そう、思います。ドクター・カオス。……敵が、攻撃の姿勢を、取りました」
世の中には後ろにまで目がついているような動きをする化け物が極まれに存在するが、マリアの場合は本当についている。その信頼性の高さは折り紙つきだ。
「来ます!」
それを聞くと同時に、姿勢を肩が地面につくほどにかがめ、左回りに後ろを振り向くカオス。
瞬速の”羽”がマントをかすめ、二メートルほど離れた位置に着弾し、小さな爆発を起こした。
その時には、いつの間にか、誰も気付かぬうちに一つの銃を掴んでいたカオスが、叫ぶような大声を上げる!
「貫けっ!」
声と同時に引かれたトリガー。一発の光る弾丸が、視認を許さないスピードで空気の間を突き抜けた。
狙うは相手の急所。霊力によって打ち出される弾丸はそれ自体が指向性を持ち、標的を外さんと迫る。
文字通り額に風穴を開けられた暗殺者の体が、建物の屋上からくずれ落ちて音を立てた。”貫かれた”のだ。
それがカオスの持つ銃に込められた力。”言霊”、つまり意思を乗せた言葉によって威力を増幅させる、お手製の霊銃である。
「お見事、です。ドクター・カオス」
「この場は切り抜けたが、さて……厄介なことが起こりそうじゃのう」
身の危険を案じ、二人は、少し足早に目的地へと歩を進めていった。
警察沙汰の問題で、いらぬ苦労に身を委ねたくなかったからだ。
あとがきの間
今朝書き終えました。缶コーヒーのボスの手下です。
格好いいカオスってどんなだろう? と考えながら書いてました。背は低いけど、スルメ好きで、渋い男。そんな感じです。
あと、何気にイギリスでのお話なので、そのへんの知識が乏しい自分にはかなりの重荷でした。詳しい地名とか全然わからなかったので、現在少しずつ勉強中です。
前回年代に関する質問がありましたので、冒頭に。はい、原作の隣り合わせです。日本では既に、GS美神本編のストーリーが進行中でございます。
つまりは再構成という形をとらせていただくお話ですので、前回このことを記し忘れていたこと、すいませんでした。
とおりすがりさん
マリアの口調は小説で書くと難しくて、租が出てしまうやもしれません。漫画と違って読点をいれなければならないので。
トトロさん
カオスを若返らせる案に関しては、去年の年末頃からあったものです。その分ネタが有り余ってますので、いろいろ面白いことが起こりそうな感じです。
あきさん
どうやら導入部としては及第点だったみたいで、安心しました。面白そう! ていうのが大事です。
きーやんさん
はい。努力いたします。
内海一弘さん
マウチュ、更新ストップしてしまい本当に申し訳ありませんでした。残念ながら今作にマウスは出てきませんが、どうか、読んでやってください。
シガーさん
タイトルに関するご指摘、ありがとうございました。
思いついたこのネタでこのまま突っ走っていきます。
ぐびぐびさん
マリアはヒロインというより、最初から最後まで味方として戦ってくれる、パートナーです。いちようラブいシーンもあるにはありますが。
DOMさん
美少年カオス……そんな感じですねぇ。誰か絵に描いてくれるよう願っておきます。
がーちゃんさん
マウチュの再連載があるかどうかは未定ですが、こちらは完結まで頑張る所存ですので、応援してください。
混沌さん
はい。期待に応えられますよう努力するつもりです。
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