強い塩味のするそれを、口の中で転がしていると、俊敏に反応する味覚によって、奥深い、刺激的な幸福感にさらわれる。
一時舌の上に置いて味が伝わってきたら、それに違和感を感じる前に口の中の、右側奥あたりに移動させて回してみたりしながら軽く味わい、今度は左の方に移してみたりして、やはりまた味わってみる。
同じ場所に置いておかないことが、食べ物を気持ちよく味わうために必須の動作と言えるだろう。
「飴も、なかなかいい物だな」
この世で最もお手軽に食べられるお菓子の一つ、飴。
ガムほどの感覚的なフィット感や、スナック菓子などがもつ食欲を刺激する良さ、チョコレートほどの甘美さは持ち合わせていないものの、古い時代より親しまれる歴史を持ったデザートだ。
元は素朴な味が好評なお菓子であったものの、近年では、砂糖の甘味より涼しげなフルーツが持つ、酸味のあるお洒落な味を持った物が数を増しており、低年齢層よりも、十代の若者に対する人気が上がっている。
口の寂しさを打ち消してくれるような要素に乏しいという汚点はあるが、基本的に、あまり嫌う人のいない万人向けデザートとしての評価はかなり高い。
同じく万人向けとして不動の地位を持つガムと比べて、飲み込める、最後まで味がなくならないというメリットがあるのも良い。見た目の美しさも長所の一つだ。
まぁ、飴とガムでどちらが好みかと聞かれれば、おそらくガムが勝利するのだろうが――。
「しかし、北欧では最も一般的なこの飴が、アジアでは嫌われもの、それどころが笑いのネタにされているというのも、興味深い話だ」
「塩化アンモニウムによる、味付けは、国によって、好き嫌いの差が、非常に大きいようです」
今カオスが舐めている飴は、その名を『サルミアッキ』という。
いくらか時が流れれば、日本という小さな島国で、”世界一不味いお菓子”なんていう不名誉な呼び名が広まってしまうだろう、丸みを帯びた平行四辺形が特徴の飴だ。
けれど、そんなトラウマキャンディーも、北欧では、小さな子供から老人までに好まれるほどの、五ヶ国を代表するお菓子なのである。
特にこのサルミアッキを使用して作られたウォッカは、サルミアッキの原産地であるフィンランドにおいて最もメジャーな酒の一つ。黒い色と、非常に強い甘味は中毒性が強く、根強いリピーターが存在している。
「確かに、塩味のするような飴と言うのは異端の存在なのじゃろう。私も、あのドロッペというやつは、正直美味しいとは思えんからのう」
ドロッペとは、サルミアッキ同様、『リコリス菓子』という名で分類される、ある特殊な原材料を用いたお菓子の一つである。
飴としてはかなり柔らかく、少々固めのグミともいえる不思議な感のある歴史あるお菓子で、様々な形のものがあり、やはり北欧では愛されている。しかしカオスは、これを好まない。
「と……着いたか。早速、話を聞きにいくとしよう」
目前の建造物が目的地であることを確認するため、深い帽子の影から、一度だけチラッとその瞳をのぞかせるカオス。
間違いなく今回の依頼主、ノルトン氏のお宅だ。鉱山の発掘中に発見されたらしい、謎の建造物に関する依頼だが、さて、一体どのようなものなのか。”若い好奇心”が、その無垢な輝きを閃かせた。
「あら、二世君。それにマリア。来てくれたのね。嬉しいわ」
ノルトン亭のドアを開いて、中から、三十ほどの女性が客人を歓迎せんと姿を現した。ノルトン・マコライン氏の妻、ミリア・マコラインだ。
三月ほど前にもこの豪邸に赴いた記憶のあるカオスは、彼女を見て、僅かに衰えたような印象を受けたが、実際の彼女の年齢はもう40を過ぎている。当然の理、なのだろう。
カオスは被っている”効果の実感できない帽子”を片手で取り、”少し大人びた少年のような”、元気があり、かつ落ちついたような振る舞いで頭を下げた。
「こちらこそ」
「お久しぶり、です。ミセス・ミリア」
マリアも頭を下げる。
「主人が待っていますわ。どうぞ、こちらへ」
「はい」
十五歳の身体まで若返ってしまったカオスは、かなり厳重な社会のルールに縛られているといっていい。
バウンティハンターのような仕事を受け持ったりはするものの、見た目は完全に大人未満。実年齢こそそこらの魔族に負けないほど年を食っているのだが、今の彼は、あくまでカオス”二世”なのだ。
千年の時を生きたドクター・カオスとは違う、まったく別の人物として世に認められているのである。
故に彼は、自ら進んで”大人の社会”と呼ばれるゲームの世界に、異なる自分の姿を投じている。”若者としてのドクター・カオス”を、だ。
それは主に、彼が一度は生み出すのに成功した、神話級の秘薬に関する情報を隠蔽するためである。
例え誰かに作れといわれても、それを作っている間には、その誰かはもうこの世からいなくなっているとしか思えないからだ。
つまり、存在しているだけ無駄。むしろもう二度とその姿を現さぬほうがいいような代物。
”寿命”という概念から考えても、人間の中であの薬の効果をその身で実証できたのは、彼だけだったのかもしれない。
「……話はわかりました」
ノルトン氏より、詳しい依頼内容を聞き終えたカオスは、考えていた。
依頼の全容はこうだ。
前々日、鉱山にて数人の男が、硬い岩盤にぶち当たったためにダイナマイトによる突破を試みたところ、崩れた岩盤――実際は精巧に作られた平たい石の壁であった――の奥に、謎の建造物を発見した。
その後、好奇心に駆られた男たち数名が建造物内の調査を始めるも、直ぐに”異形の怪物”と出くわし、逃走。途中怪物の追撃によって一人負傷者が出るも、それ以外のものは全員無傷にて脱出に成功。現在は別ルートの発掘に携わっている。
しかし、わけのわからない建物をそのままにもしておけないため、カオスに、建造物内で遭遇した怪物の討伐と、謎の建造物内部の調査を依頼したいとのことだ。
また、脱出した男たちの証言によると、建物の中はよくある古代の遺跡などとは似ても似つかない、まるで今の今まで機能していたかのような状態だったようで、ここが、頭脳明晰なカオスの思考を悩ませている。
古いものでないとするならば、一体誰が、何時、どうやって、何が目的で建てたのか。これに関してより考えを深めなければならないだろう。
そしてもう一つ、奇怪な謎が。
潜入した者達の内、怪我をした男が、暗闇の中に少女の姿を見たという。すすり泣く声が、聞こえたという。
「遺跡でなくて残念ですが……私でよければ、やってみましょう」
それを聞くとノルトン氏は、感極まったという顔で口を開いた。
「そうかっ! うん、君ならそう言ってくれると信じていたよ。私としても、栄えあるカオス二世にやってもらえるなら本望だ。なんでも最近では、デーモンスリンガーなんて呼び名までついているようじゃないか!」
「その呼び名は別に、妖怪を退治してつけられたようなものではないのですが……」
恥ずかしげに頬をなぞるカオス。演技力には、半意識的な集中が大切である。
ちなみにデーモンスリンガーというのは、カオスが”地元のヒーロー”として活躍している間に、何時の間にやら生まれていた称号である。
それは鬼退治をしたからとかそういうものではなく、ある一軒屋に発生した火災をほんの数十秒で消し去ってしまったり、雷鳴の轟く日、不思議な道具で付近から雷を遠ざけてしまったり、恐ろしく頑固なので有名なオヤジに天誅を下したたりといった功績から育まれたもの。
つまりは、地震、雷、火事、オヤジ(!?) といった自然の驚異”鬼”を退治したためについた、”市民の味方”としての証なのである。
「なに、謙遜する事はない。私は知っているのだよ。君はこの町に移り住んできてからというもの、もう両手両足では数え切れないほどの悪魔を打ち倒したのだろう? 現に私だって君に、一度悪魔の討伐を依頼してもいるし、それを君は難なく成功させている。私が知る限りでは、君は、バーミンガム最高の魔術士なのだ。これほど信頼の置ける相手が、どこにいるだろう?」
「そこまで言うほどのものでもないと思いますが……どうも。素直に、受け取っておきます。……では」
「もう行ってしまうのかね? そう急がずとも、小一時間の雑談を楽しむゆとりはあるのだが」
「今回の仕事は、少し、準備に時間がかかりますので」
「そうか……よし。それでは、君がこの仕事を終えた時、また話を機会を設けてくれるだろうか?」
「はい。喜んで」
若き日の自分とも異なる、世に認められるような好青年を演じるのを、カオスは内心、楽しんでいる。
そんなある種間違った方向に輝いている主人を見守り、その姿をただ、マリアはその目で追いかけていた。
帰り道、まだまだ空が青い昼の時間。
カオスは、意味があるのかは微妙だが、帽子を普段より深く被って、考え事をしていた。
「…………」
「どうか、しましたか? ドクター・カオス」
良い具合に焼き色の入ったスルメを、顎の力と引く力で噛みちぎる。後はひたすら、自分のペースで噛み続ける。どんどん香ばしい臭いと味がしみてきて、これが最高に美味い。
「お行儀が、悪いですよ?」
マリアが微妙に保護者のような雰囲気を纏って、歩き食いはダメッ! という守るべきマナーに関して指摘する。歩き食いをしてはいけません。これ約束。
「問題はない。私の存在も、私のスルメ好きも、当に知れ渡っておる。スルメが何かを知らん者は、多いじゃろうがな」
「言い訳に、なって、いません」
まったくもってそのとおりである。
「許せ。(モグモグッ)今は、考えなければ(モグモグッ)ならない時のはずだ」
「敵と、戦うための?」
「(ゴクリ)……違う」
カオスは、口に含んでいたスルメをゴクリと飲み込んで言った。
「怪物と呼称されるようなものの相手など、慣れているを通り越してもはや日常生活だ。油断は禁物じゃが、今更考えを深めねまならんほど、危惧はしておらんて。それより……」
「……それより?」
「それより、いちいち怪物なんぞが住みついとる理由が気になる」
もし、発見されたのが古代の遺跡であったのならば、何かが出てきたとしても、ある意味お決まりの障害だと判断出来るのだ。しかし残念ながら、ターゲットは遺跡と呼べるような場所じゃない。
「よからぬ事を考えた馬鹿が、秘密を隠すために配置したのか。それとも、閉鎖された空間の中で勝手に生まれてきたのか。……どこか別の場所に隠された入り口がある可能性も考えられなくはないが、これはたぶんないじゃろう。まず、誰かにばれるじゃろうからな」
街から離れているとはいえ、バーミンガムは正真正銘の大都会だ。霊的な方面においても、監視の鋭さは半端じゃない。
「とはいえ、どの例にしても、建物が怪しいのは変わらん。もし怪物が宝を守る守護者なら、財宝どころか、予想外のブラックボックスが出てきてもおかしくはない」
が……しかし、と続けるカオス。まだ、何か不安要素があるらしい。
「三ヶ月前、丁度ノルトンから依頼を受けた頃から、少しずつ地球上の霊的な密度が濃くなってきとる。人の感覚で察知出来るほどの大きな差ではないが、機械がそう示しておるのだ。間違いない」
「一月ごとに、約0.4%の、変化を、確認しております」
「うむ。そうじゃったな」
見た目の数値はそう大きなものにも思えないが、世界全体規模の話である以上、実際はとんでもないものである。
「これに関して様々な考察が述べられておるが、その内最も多いのが、世紀末と地球の間に存在している強い”縁”によるという説じゃ」
「イエス・キリストの死後、各世紀末毎に、同じような異変が、発生していることが、記録として残っています」
「そうだ。私たちがこれまで、何度か対面した問題の一つじゃな。思えばこの現象なくして、秘薬の完成は不可能だったほどじゃ」
秘薬の製作に必要な材料の中には、百年に一度しか実らない果物など、激しく月日を限定するものが多い。故にカオスは、恐ろしく長い時間を費やす羽目になったのだ。
「なんじゃが、20世紀などというキリのいい数字が並んどるせいか、今世紀のものは異様に変化の割合が激しい。加えて言うならば、今は1998年。実際に変化が始まるのは、後二年先のはずなのだ」
”下二桁がゼロになる年”を指すのが世紀末なのである。だというのに、その二年も前から問題が起こるのは非常におかしいことだ。
これに関して、何か別の要因があるのだと推測するのが当然のはずなのだが、かの有名な”ノストラダムスの予言”のことも含めて、20世紀固有の現象であると見る者が多い。
少数の別問題視派は研究を続けているのだが、これといって、意味のある結果は出ておらず、徐々にその考えも失われていっている。
「もし予言の通り、この変化が大きな災厄の前触れであるならば、今回の件も、それに関係しとるのやもしれんな」
「……そうかも、しれませんね。ドクター・カオス」
「ほぅ?」
思いがけないマリアの発言に、少し驚いたような素振りを見せるカオス。
「珍しいな。まさか、お前からそんな言葉を聞くとは思わなんだ。……根拠は、あるのか?」
「根拠になりえるほどの、情報を、持ってはおりません。強いていえば、勘、です」
「勘……? それは本当か?」
「はい。ドクター・カオス」
それを聞くとカオスは、しばらく考え事をするように頭を伏せたが、途端、急に大声で笑い始めた。
周囲から飛ばされる非難の目も、まったく気にしていない。
「そうか、そうかっ! そうかもしれん! いやまったくもってその通りだ!」
「何が、ですか?」
自分の主の反応が理解できず、困惑するマリアの問う声でも、今のカオスの興奮を抑えることは出来ない。
「計算するように作ったつもりのお前が、今、勘などという概念で物事を考えた! これは偉大な一歩だぞ!」
「それは、失礼、です。ドクター・カオス」
「何が失礼であるものか。お前は、YESとNOの判定に”勘”を用いたのだぞ?」
人の手によって造られた”機械”に、第六感による判断の行えるものなど存在しない。与えられた計算式の設定のみでしか、考えられないはずだからである。
しかし、マリアは違うのだ。彼女は学び、精神的に成長することを可能とした世界初の”機械生命体”である。
その心の発達速度は人間に比べ圧倒的に遅いが、それでも彼女は”喜び”や”悲しみ”といった感情をその身に覚えてきた。そんな変化を見るたびに、カオスは歓喜の涙を流したものだ。
そして少しずつ、少しずつ人間へと近づいてきたマリアが、今、遂にロボットの常識を覆す人間的思考パターン”シックスセンス”を発動させたのである。
カオスにとって、研究者としても、科学者としても、錬金術師としても、嬉しくないはずがない。
「私の中で未来は確定したぞ! 私は今日、私自身に課せられた運命に出会うのだ!」
「……恥ずかしい、です。ドクター・カオス」
何のために変装しているのか、意味がないにもほどがある光景であった。
だが、間違ってはいない。きっと運命は、始まっていくのだろう。
世界のどこかで、一人の青年と一人の女性が出会ったように。
シーン鵝Sacrifice of science 〜生贄〜 へ続く
あとがきの間
出だしから随分と遅れてしまった更新に汗。何度も何度も書き直していたら何時の間にやら時が過ぎていくようです。
場所が外国だったり、怒涛の展開に向けていろいろと調整しなければならなかったりで、実は序盤が一番話を進め難い。一気に話を転がそうとすると、まずその準備が大変で、激しく気を使います。
何故か次回だけサブタイあります。気まぐれでつけました。これからもどこかで付くやも知れません。”キーイベント”の予告みたいなものです。
それと雑学を一つ。サルミアッキはフィンランド産の北欧では非常に人気のある飴。ですが、日本人の味覚には絶望的なまでに合わないので、ネタ目的以外で口にしてはいけません。探偵○イトスコープでは『世界一不味いお菓子』として紹介されたほどです。
かの有名なジ○ギスカンキャラメルよりも遥かにキツイので、罰ゲーム用にお勧め。きっと全てが変わります。
シンペイさん
カオスには、若返ってしまうと笑いを取れなくなるデメリットがあります。他のSSでもたまに若返ったカオスを見かけますけど、一度もシリアスじゃない彼を見たことがありません。
ashさん
スルメは焼いて干したものを霊能力によって保管し、特別輸入されてきたものです……たぶん。気にすると負けです。(汗
DOMさん
なんというか、若返ったカオスには魔探偵スタイルが一番似合うと思ったので……つい……。
内海一弘さん
過去やら思い出とはあまり出会いませんが、それ以上にストーリー上魅力的なものに出会います。『マウチュ』を読まれたことがある方なら、もしかしたら勘で当てれるやも知れません。
おまけで、ちょっとした次回予告を。
色を失った、命のロウソクが消えゆく中で、ただただ死への恐怖に耐えていたようなその頬に触れると、指先に、微かな雫を感じた。
冷たい雫だ。もっと早く自分がここに辿り着いていれば、まだ温かかったのかも知れないが、その涙の持ち主は、既に死んでいる。
本当はもっと鮮やかな色を持っていたのだろう髪の色は抜け、儚い白さだけが残っている。周りに散らばっている死体も、それは皆同じだ。
ゴミ溜めのように放られている死者達のなんと哀れなことか。”実験台”などという考えを、どこまで引っ張るつもりなのか。
自分は今まで、何匹のネズミを殺してきただろうか。
「捨てられない概念が、多すぎるのかもしれんな。特に私たちには」
「……はい。そう、思います。ドクター・カオス」
かみんぐすーん……