――美神が霊能力を失った翌日の午前八時、とある公園にて――
「ん……むむむ……」
ベンチに座り、何事かうめき声を出しているのは、制服姿の横島だった。
彼は右手に、霊力を集中させている。……とはいっても、栄光の手を出すためではない。使っている霊力も普段のとは違い、先日『煩悩全開アルティメット』によって生み出されて貯蓄された、莫大な霊力であった。……もっとも、一晩経ってだいぶ霧散していたが。
彼が今やろうとしていること――それは、文珠の生成である。
使い方次第では不可能が無くなってしまうという、反則級のオカルトアイテム。逆行前はよく生成し、使っていたそれを、再び生み出すことができれば……あるいは、美神と魔理の霊能力を復活させられるかもしれない。そう思ってのことである。
やがて、彼の手の中に、ビー玉のような小さな球体が現れた。それを見た瞬間、横島の表情がぱぁっと輝いた。
「やった! 成功――」
――喜んだのも一瞬のこと。
次の瞬間、その球体は「プシューッ!」と音を立て、凄まじい勢いで霊気のカスを放出し始めた。
「や、やば――!」
逃げるいとまもあればこそ。
ドゴォォォォォォォンッ!
その球体は、横島がその手から放り出すよりも早く、突如として大爆発を起こした。
と――
「な、なんだぁっ!?」
驚いた女性の声が、爆発に紛れて横島の耳に入ってきた。聞き覚えのある声だ。
爆発の煙が晴れていき、横島はゴホゴホと口から黒い煙を吐き出しながら、その声のした方を向く。
「あ……一文字さん?」
そこにいたのは、驚愕に目を丸くした魔理だった。通学途中なのか、制服姿でスクーターを押している。
「よ、横島? 何やってんだお前?」
「ん、何でもない。ちょっと霊気の制御に失敗しちゃって」
文珠のことを言えば説明が面倒そうなので、適当に濁しておく。失敗した原因は、おそらく霊力不足か霊力の収束不足のどちらか、あるいは両方だろうから、まるっきりの嘘でもないだろう。
「一文字さんこそこんなところで何を? ここらへん、六道女学院の通学路とは全然違うはずだけど……」
というか、どこをどう寄り道したところで、通学中の魔理がこんなところにいるはずがなかった。それぐらい、六道女学院からも魔理の自宅からも離れている場所である。
だが魔理は、横島の質問に「ん……ちょっと……」と言葉を濁すだけだった。
表情に陰りを見せてのその言葉に、横島はなんとなく察してしまった。
「……あー、なんとなくわかったけど……」
「慰めはいいよ」
言いながら言葉を探す横島に、魔理はそう言って遮ってきた。
「GSの仕事は危険と隣り合わせ……こんなことも……ある。こんな結果になっちまったのは残念だけどさ……まあ、命を落とすようなことじゃなかっただけ……マシって思えば……」
そう言いつつも、感情では納得しきれていないのだろう。言葉の端々から、悔しさが滲み出ていた。
(……そりゃ、そう簡単に吹っ切れるもんじゃないわな……)
もともと一般人として一般の学校に通っている横島には、いまいち実感の湧かないことであるが――
霊能力があって初めて通うことが許される、六道女学院霊能科。そこに通う魔理にとって、霊能力を失うことは、イコール学園生活の終焉を意味する。
これからも続くと思っていたものが、突然終焉を迎える。それが一体、どれほどの悔恨か。ルシオラを失ったことのある横島からすれば、わからない話ではなかった。
してみれば、昨晩あっさりと立ち直った――それが本心からのものか表面上だけのことかはさておき――美神は、相当に強い精神力を有していると言えるだろう。
(…………ん?)
と――横島は、不意に視界の端に何か動くものを見つけたような気がして、そちらに目を向けた。
「ん? どうしたんだ?」
「いや、誰かいたような気が――あ」
答えている途中でそれを見つけ、横島は声を上げた。魔理もつられて、そちらの方に目を向ける。
――そこには――
「……あいつ」
横島と同じものを見た魔理が、嫌悪の眼差しでそれを睨んだ。
そこにいたのは、横島と同じ制服に身を包んだ大男――タイガー寅吉が、おどおどとした様子でこちらを見ていた。
『二人三脚でやり直そう』
〜第四十二話 ビューティー・アンド・ビースト!〜
「……何の用だよ」
「うっ……」
剣呑な雰囲気で、魔理が遠目にこちらを伺っているタイガーに尋ねた。
しかしタイガーは、その威圧感に怯んだものの、逃げ出すことなく恐る恐るといった様子でこちらに近付いてきた。
「あ、あの……」
「何だよ」
言いかけたタイガーを、更に視線に力を込め、睨む魔理。まさに、取り付く島もないといった様子だ。
「わざわざ出てきて何の用だっつってんだよ。負けて霊能力をなくしたアタシを笑いに来たのか?」
「そ、そんなつもりじゃないですケン……!」
「ちょっと、一文字さん……」
突っかかる魔理に、頭をぶんぶんと振って否定の意を表すタイガー。横島は、完全に喧嘩腰な魔理に、内心でビビりながらも制止しようと声をかける。
が――
パァンッ!
次の瞬間、魔理の平手がタイガーの頬にヒットしていた。
「あんたのせいで……あんたのせいで! アタシは学校を辞めなきゃならないかもしれねえんだ! わかんのか、この気持ち! わかんのかよ!」
「うっ……す、すいませんですジャ……」
「…………っ!」
張られた頬を押さえ、タイガーが心から申し訳なさそうな小さな声で謝り、頭を下げる。心なしか、その巨躯が一回り小さく見えた。
だが――謝られた方の魔理といえば、その顔に怒りを滲ませていた。
なんでこんなヤツに……その怒りの表情は、如実にそう語っていた。目の端には、涙さえ見える。
「……失せろ! 二度とアタシの前に姿を見せるな!」
「で、でも……」
「どっか消えろぉっ!」
「…………」
まるで悲鳴のような拒絶の声。その態度に、今は何を言っても無駄と判断したのか、タイガーは無言で引き下がった。
そして、とぼとぼとした足取りで公園の出口に向かう。途中、ちらりちらりとこちらを伺っていたが、やがて公園から出て行くと、その巨体はもはや見えなくなった。
その間、横島も魔理も無言だった。
「…………一文字さん」
タイガーの姿が見えなくなってやっと、横島が口を開いた。
「……んだよ」
「あいつのことさ……あんま悪く思わないでやってくれないかな?」
「なんでだよ……あいつは、アタシと美神さんの霊能力を……!」
横島の言葉に、魔理はまだ怒り冷めやらぬといった鋭い視線を、今度は横島に向けた。
その剣呑な視線を向けられた横島はビクッと一瞬震えたが、それでも怯える心を押し込めて、今必要だと思うことを口にする。
「ま、仕事だったし……俺にはあれが必要な戦法だったかどうかはわからないけど、あいつはあいつで、雇い主の……エミさんの仕事の役に立とうって一生懸命にやってただけなんだと思う。確かに、一文字さんにとっては霊能力を失わせた張本人だから、許してなんてやれないんだろうけど……」
そこで、横島は一回言葉を切った。続く言葉を探そうと、少し考え込み――
「まあ……それに一文字さん、あいつの暴走状態見ただろ? 普段のあいつ、その反動で女性恐怖症なんだよ。本当は女の子に近付くことさえ怖いはずなのに、さっきは一文字さんの目の前まで来た。ただ、謝るためだけにね」
と、彼の性癖を説明し、今の行為が彼にとってどれほど勇気がいることだったかを伝えた。
そんな横島に、魔理は胡乱げな眼差しを向ける。
「……やけに詳しいな?」
「昨日、俺のクラスに転校してきたし」
「クラスメイトかよ……」
あっけらかんと答える横島に、魔理は呆れた声で返した。
「ともかく、さ。また謝りに来たら、少しぐらいは話を聞いてやってくれてもいーんじゃないか? 根は悪い奴じゃないし」
「……つってもなぁ……」
どう答えたものかと冴えない顔で言葉を濁す魔理に、横島は苦笑する。やはり、そう簡単にはいかないか。
「あんま思い詰めない方がいいと思うよ。俺なんかいつもポジ――ぎゃんっ!?」
馬鹿なことでもやって元気付けてみようと思ったのか、どこからともなくマラカスを取り出した横島だが――台詞が言い終わる前に、悲鳴と共に強制的に中断させられた。
「うぇっ!?」
突然のことに、魔理も仰天する。見れば、頭部にでっかいタンコブを生やした横島の足元に、なぜかおたまが転がっていた。見ればそのおたま、矢文のごとく紙が結んである。
「いてて……なんだ?」
横島は頭をさすりながら、そのおたまを拾い上げ、紙を解いて開いてみた。
そこにはたった一言、『油売ってないでさっさと登校する!』と書かれていた。
「「……………………」」
一緒になって紙を覗き込んだ魔理も、その文面にどうコメントすれば良いものか困惑している様子である。ちなみにこの公園、少なくとも目に見える範囲には横島のアパートは存在しない。
「……なあ、これって……」
「……聞かないでくれ……とりあえず、命が惜しいから学校に行くわ……」
「あ、ああ……」
どこか諦めの境地に入った表情の横島に、魔理は困惑したまま、とりあえず頷いた。
彼はおたまを拾い上げ、カバンにしまうと、どこか怯えた様子で周囲を探りながら、公園を出て行った。それを見送りながら、魔理はスクーターに乗り込んでエンジンをかける。
「……ま、現実を受け入れるしかない……か」
その後姿が見えなくなった頃、魔理は寂しそうにぽつりとつぶやいた。
――それから一時間後――
「なるほどね〜。そんなことがあったの〜」
独特の間延びした口調でのほほんと言うのは、六道夫人である。その肩には子(ね)の式神、クビラが乗っかっていた。
ここは六道女学院の理事長室。部屋の奥、窓際に鎮座するマホガニーの机に肘をかけて柔和に微笑む彼女の正面には、直立不動で向かい合う魔理の姿。そして、夫人の横に同じく直立不動で佇むのは、魔理の担任の鬼道政樹。
結局遅刻してきた魔理は、しかし教室に向かうことなく直接理事長室に向かい、現在のような状況になっていた。マホガニーの机の上に置いてある『退学届』と書かれた封筒が、彼女がここに何の用があったのかを如実に語っていた。
そして今、事の経過を説明し終えたところである。
「……はい。そういうわけで、アタシはもうこの学校で学ぶことができません」
そう告げる彼女の顔には、悲しげな覚悟が見え隠れしていた。
しかし――
「ねえ〜、魔理ちゃん〜。ちょっといいかしら〜?」
「え?」
「クビラちゃん〜」
魔理の言葉なんてまったく聞いてなかったとばかりに、突然そんなことを言い出し、クビラを使った霊視を始める六道夫人。
「え? ちょっ……」
「少し我慢してね〜」
困惑する魔理。夫人は取り合わず、そのまま霊視を続ける。
やがて――
「うん〜。やっぱりね〜。話を聞いて、そうじゃないかと思ってたのよ〜」
霊視で何が見えたのか、納得顔でしきりに頷く六道夫人。
「あの……何の話を……?」
「結論から言っちゃうとね〜。魔理ちゃんの霊能力は〜、ただ単に目覚める前に戻ってるだけなの〜。だから〜、頑張ればすぐに霊能力を取り戻せるわ〜」
「…………は?」
「順を追って説明するわね〜。マーくん、お願い〜」
「……学校でマーくんって呼ぶのはやめて欲しい言うたでっしゃろ……」
夫人に愛称で呼ばれたのに文句を言いながら、横の鬼道が一歩前に出る。
「一文字。話を聞いた限りやと、お前は霊能力を失っても『拳があれば戦える』っちゅうて戦い続けたようやな?」
「そうですけど……」
「本来、オカルトに霊能力なしで対抗しようなんっちゅうのは、無謀なことなんや。霊的防御なしで霊的攻撃を受ければダメージは大きいし、相手の霊的防御を普通の打撃で打ち破るのは簡単なことやない。……これは業界では常識で、やからこそプロのGSは戦闘の全てを霊能力に依存しとる。
が――お前はオカルトの世界に足を踏み入れて日も浅く、せやからその常識すら知らんかった」
「今回は〜、その無知が幸いした形になったのよ〜」
政樹の説明に、夫人がにっこりと補足した。
「どういうことですか?」
「お前の雇い主やった美神令子は、霊能力を失ったて暗示かけられて、早々に戦意喪失してもうたんやろ? それはそういうことなんや。
……せやけどお前は違う。霊能力を武器の延長にしか考えとらんかったから、最後まで諦めんかった。その違いが、暗示のかかり具合に影響したんや」
「それって……」
その意味することを、魔理はなんとなく理解し始めた。その様子を見た六道夫人と鬼道は、「お前の考えている通り」とばかりに、揃って首肯した。
「令子ちゃんがかかった暗示と違って〜、あなたがかかった暗示は軽かったってことなのよ〜」
「つまり、お前は霊能力を取り戻せる見込みがあるってことや」
「ほ、本当ですか!?」
二人から告げられた、思わぬ光明。魔理は信じられないと言わんばかりの表情で、事の真偽を問いただす。
「嘘は言わないわよ〜。そうじゃなかったら、こんな説明なんてしないでこの退学届を受理するだけだもの〜。けど今はそういうわけだから、これは受け取れないわ〜」
言って、やんわりと退学届を魔理の方に差し出す。
「せやけど、安心するのはまだ早いで」
退学届を返された魔理を見ながら、鬼道は釘を刺す。
「わかっとると思うが……お前の除霊実習の成績、お世辞にもええもんとは言えん。今学期中に霊能力を取り戻せな、単位が足りなくなるかもしれん。そないなことなったら、たとえ霊能力を取り戻せるんにしても、良くて留年、悪くて退学や」
「…………はい」
自分の成績の悪さに関しては、今更言われるまでもなく自覚している。鬼道の言葉に、魔理は神妙な顔で頷いた。
「そういうわけだから〜、あなたは今まで通り、普通に学校生活を送ってくれればいいわ〜。勿論、霊能力が戻るまでは除霊実習は見学になっちゃうけど〜、それもあなたのこれからの頑張り次第よ〜。
頑張ってね〜。おばさん、応援してるから〜。決して、諦めちゃだめよ〜」
「お前には、他の生徒とは一線を画した男勝りの根性がある。今度もその根性で切り抜けてみい。ボクは、お前ならそれが出来ると信じとるからな」
六道夫人と鬼道の、暖かな励ましの言葉。正面からその言葉を投げかけられた魔理は――
「あ……ありがとうございます……!」
素直に感謝の言葉を口にし、深々と頭を下げた。
――パタン。
理事長室の扉が、音を立てて閉まる。
魔理が退室したことで、理事長室には六道夫人と鬼道だけが残る空間となった。
「……大丈夫でっしゃろか?」
「それは〜、担任としてあの子を見ていたマーくんの方が〜、よくわかってると思うんだけど〜?」
「まあ……確かにその通りですわ。ところで――」
夫人の言葉に頷きつつ、鬼道は彼女の肩に居座っているクビラに視線を向ける。
「…………準備が良すぎと違いますか?」
鬼道がこの部屋に呼び出されたのは、ホームルームが終わってすぐ――魔理が来る前である。しかも夫人は、魔理がいつ、何の用でここを訪れるか知っているかのように、娘からクビラを借り受けていた。
これで疑問に思うなという方が無理がある。
だが――
「マーくん、私の若い頃にね〜、ビジネス業界でちょっとした噂があったのよ〜」
鬼道の質問を聞いていたのかいないのか、彼女はまるで世間話を始めるかのように、関係のなさそうなことを話し始めた。
「一人の凄腕OLの噂なんだけど〜、なんでも彼女がいれば、どんな会社も業績がうなぎ上りだっていうの〜。嘘か本当かわからないけど、会社に近付くだけで株価が上がるって話もあるわ〜」
「……それとこれと、何の関係が?」
「私も〜、六道系列の商社に彼女を入社させたくて〜、引き抜き工作とかやったことあるのよ〜」
鬼道の言葉は完全に無視しているように、彼女は構わず話を続ける。
「でも結局〜、彼女は部下の一人のところに永久就職しちゃって〜、その後18年間噂は途絶えていたわ〜。村枝の紅百合って呼ばれてたんだけど〜、マーくん知ってる〜?」
「いえ、知りまへ――あ、そういえばボクが子供の頃、親父が会社倒産した時にぼやいていたような……? 『紅百合みたいな人材さえいれば』とかなんとか……」
六道夫人の問いかけに首を振ろうとした鬼道だったが、父親のことを思い出しつつそう答えた。
「実はね、マーくん〜。その紅百合って、横島君のお母さんだったのよ〜。おばさん、驚いちゃった〜」
「横島……? 横島って、一文字のバイト先の、美神令子除霊事務所の……?」
「そうよ〜。その横島君〜」
頷き、「世間って意外と狭いわよね〜」と含みのある笑顔を向ける夫人に、鬼道はやっと理解した。
要するに、横島の母親が美神事務所の仕事の顛末を知り、ここに連絡を入れてきたということである。彼女の用意の周到さは、その連絡を受けていたからか。
「……でもね〜……」
夫人がつぶやくと同時、突然その表情に影が差した。
「……理事長?」
鬼道はその表情の変わりように、眉根を寄せた。いきなり表情が変わったのもそうだが、基本的にのほほんと能天気な態度を崩さない彼女がこんな表情をするのは、鬼道は見たことがなかった。
「ねえ、マーくん〜。たとえばあなた〜、自分の娘がGSなんて命の危険がある職業を目指すとしたら、素直に応援できるかしら〜?」
「…………は?」
「私ね〜、思うの〜。魔理ちゃんは〜、霊能力を取り戻さないで、普通の女の子として人生を送った方が〜、本人にとっても両親にとっても幸せなんじゃないかしらって〜」
「……………………」
その言葉を聞き、鬼道は彼女が何を考えているかを悟った。
だが同時に、こんな悩みを持つような人だったのかと疑問に思う。おそらく、紅百合――横島の母親から、何か言われたのだろうとは思うが……
彼女もGSの娘を持つ母親だから、その命題には思うところがあったのかもしれない。
しかしオカルトの名門である六道の家系に生まれた以上、それは宿命のようなものである。そのような悩みは、あったとしても娘が生まれた時点で思い悩んでいたであろうし、その娘が既にGSとして活躍している以上、今更といえばあまりに今更な悩みだ。
ましてや魔理は、親元から生徒という形でこの学校に預けられているとはいえ、他人の子である。その問題は家庭で解決するべきであって、学校があれこれと口うるさく干渉するようなことではない。
――ゆえに。
「……一文字のことはあいつ自身、あるいは家庭で話し合って決めることやと思います。ボクらが口出ししてええ問題やあらへんかと」
鬼道には、そうやって無難な回答を返すことしかできない。
「ボクら教師に出来るのは、危険な業界の中で命の危険を減らすために、必要な知識と技能を与えることだけです。……そうとちゃいますやろか?」
「そうなんだけどね〜。でも実際、うちのOGの中には〜、オカルト関係の仕事の中で命を落とした子も〜、少なくないのよ〜」
「…………それだけ危険な業界ですから」
答える鬼道は、しかし微妙に視線を逸らしていた。夫人のこぼした言葉に、内心でハンマーで殴られたような衝撃を受けていたからだ。
まだ教師になって日が浅い彼は、卒業した教え子が命を落とすような場面には、いまだ遭遇していない。
しかしそれは、今の彼にとって想像もしたくないような内容であった。ゆえに彼の経験不足な感情は、それについて深く考えることを無意識に拒絶してしまい、だからこそこうやって素っ気無く答えるしかできなかった。
そんな鬼道の様子を見て、彼女は苦笑をこぼす。
「ごめんなさいね〜。六道女学院の理事長が言っていい言葉じゃなかったわ〜。今のは聞き流しておいて〜」
「いえ……」
「ところで〜……」
言いながら、鬼道の目を覗き込むように、彼を真っ直ぐ見る。
「マーくんは〜、教師のお仕事、好き〜?」
「……何ですか、やぶからぼうに……? まあ、未来ある若手を育てるのは、案外と張り合いがある仕事やと思うてはりますが。最近は、真っ当な手段で教員免許を取れていたらと後悔してはりますけど」
小さい頃から父親の手により修行漬けだった鬼道は、当然のことながら資格と呼べるものは一切取得していない。現在彼は、昼は学校で教師を、夜は通信教育で教師になるための勉強に励むという、かなり矛盾した毎日を送っている。
それというのも六道夫人が、何やら手を回して教員免許を先に発行しておき、免許に必要な知識を後から詰め込んでもらうという、『免許』という単語の意味に真正面から喧嘩を売るような真似をしたからだ。鬼道ならずとも、まともな倫理観を持つ者なら誰もが首を傾げることである。
……閑話休題。
ともあれ鬼道は、資格など持っていない。そう――除霊実習を担当するのに必要なGS資格さえも。
「なら〜、マーくん、これ受ける気ない〜?」
そう言って六道夫人が差し出してきた書類には、『ゴーストスイーパー資格取得試験のご案内』とタイトルが打ってあった。
「…………霊能力に目覚める前に戻ってる、か……」
――放課後、帰路の途中。
スクーターで公道を走る魔理は、誰ともなしにぽつりとつぶやいた。
流れる景色、正面から感じる風――しかし今は、それらに何の感情も持ち得ない。
光明は見えた。可能性は少なくないことを示された。だが――経験も知識も乏しい彼女の頭では、再び霊能力に目覚める為に何をすれば良いのか、皆目見当もつかなかった。今日一日真面目に授業を聞いてみたものの、ヒントなどは得られない。
……まあ、その真面目な態度を見たかおりが「天変地異の前触れ」と言い出したのには、さすがに腹が立ったが。
ちなみに、かおりには事情は話していない。あの高飛車だけど面倒見のいい友人は、情けないだの何だのと小馬鹿にしつつも、決して見捨てたりはしないだろう。それだけに、頼るのはせめて、自分に出来る全てをやった後にしたかった。
とはいえ、その意思を聞いた愛子が「悩みを親友に打ち明けないで一人で抱え込む……これも青春ね!」などと言い出したのには、さすがに呆れた。……もっとも、それと同時に責めるような視線で何か言いたそうにしてたのは気になったが。
ふと、頭上の案内標識に目を向ける。ちょうど区と区の境を通る場所だったらしく、そこには『豊島区』という文字が区のマークと共に表記されていた。
「……寄ってみるか」
自分と同じく霊能力を失った美神はどうしているだろうか。そう思い、今日の予定は入っていなかったものの、彼女は事務所に足を運ぶことにした。
それから二十分ほど――魔理は事務所の近くにまで来ていた。
あと一つ、角を曲がれば。運転する彼女の視界は、しかし一つの違和感を捉えた。
(……あいつ)
曲がるべき角にある電柱。その影に隠れ、しかしその巨体ゆえに隠れきれず、角の向こう側を盗み見る大男を見かけた。
言わずもがな、タイガー寅吉である。そして彼の視線の向こう側は、おそらく美神令子除霊事務所。
(何しにきやがった……)
湧き上がる黒い感情。彼女はスクーターを停め、エンジンを切って手で押し、その背後から無造作に近付いて行く。
知らず、グリップを握る拳に力が篭る。あと十歩、八歩、六歩、四歩、三歩……
――あいつのことさ……あんま悪く思わないでやってくれないかな?――
「…………」
思い出すのは、今朝の横島の言葉。
「……ちっ」
苛立たしげに舌打ちし、こちらに気付く素振りさえ見せないタイガーの背中を睨みつける。
「おい、何やってんだよおま――「のわああああああっ!?」……え……?」
声をかけた途端、大袈裟過ぎる程に驚き、一瞬で30メートルを走る大男。彼はそのまま、走った先にあった電柱に正面衝突し、こわごわといった様子で額の赤くなった顔をこちらに向ける。
「あ……えっと、確か……一文字サン?」
「……驚きすぎだ」
見た目に反したあまりの肝っ玉の小ささに、呆れ顔になるのを止められない。
「で、何してんだよお前。うちの事務所の様子を伺ってたみたいだけど、まさか……偵察か?」
「そ、そんなんじゃないですケン!」
視線を鋭くし――いわゆる『ガンをたれる』彼女に、タイガーは慌ててその疑惑を否定した。
「違うってんならなんだよ?」
「う……その……し、仕事の上でのこととはいえ、霊能力を消してしまうような暗示をかけてしまって……どうしても謝りたくて来たんですジャ。けどワッシ、あの建物の中に入れてもらえなくて、こうして途方に暮れてた次第ですケンノー……」
「……ふざけんな」
必要以上に縮こまって答えるタイガーに、魔理の苛立ちは募るばかりだ。
「あんたが謝ってどうなるってんだよ。そんなことされても、何にもならねえんだよ。本当に謝りたいんなら、今すぐアタシらの霊能力を復活させてくれよ。それが出来ないってんなら……帰れ」
言いながら、魔理はスクーターを引いて角を曲がり、話すことはないとばかりに事務所に向かう。
「そ、そんな……」
「……それにな」
魔理は足を止め、タイガーの方に振り向いた。
「アタシは、あんたみたいなウジウジした男は大っ嫌いなんだよ。謝るにしろ何にしろ、まずはその性格から何とかしやがれ」
それだけ言い残し、魔理は再び歩き始める。
背後でタイガーが呼び止めようとしていたようだが……無視。
――本当は女の子に近付くことさえ怖いはずなのに――
脳内でリフレインするのは、横島の言葉。
だが、教えられずとも、今日の彼の態度を見ればわかる。彼は――決して、悪い男じゃない。
(けど……認めねえ……)
しかし感情は、その認識を拒絶する。今、彼女が退学の危機に瀕しているのは、間違いなくあの男のせいなのだから。たとえそれが、仕事の上でやらなければならなかったことだとしても。
「見てろ……絶対、霊能力を取り戻してやる。そんで、霊気の篭った拳で、あいつの鼻っ柱を思いっきりぶん殴ってやる……!」
(そうでもないと……絶対許してなんかやるもんか)
――まずは美神と相談してみよう。
怒りと共に決意を改め、魔理は事務所の敷地内へと入って行った。
……背後から聞こえてくる「うおおおおん!」という情けない虎の咆哮は、聞いていると著しくやる気を削がれるので、全力で無視することに決めた。
――あとがき――
えーと、まず最初にすみません。四十二話をお贈りする前に、魔理のフォローが必要と思い、四十三話挿入予定だった話の一部を加筆し、後日談として繰上げ投稿することにしました。
それと、前回の感想の中に、美神さんと魔理が霊能力を失った責任を百合子に問う声がいくつかありましたが、それについて作者としての回答を述べたいと思います。
まず先に結論から言ってしまいますと、百合子に負うべき責任は一切ありません。事情を知る者として、手を貸す権利があるだけです。
というのも、今回の中で百合子が実際に関わったのは、人材不足に悩むエミにタイガーという人材を提供したということだけだからです。
エミが警察から仕事を請け、その手段として『幻覚による暗示で相手の霊能力を失わせる』というやり方を選んだのは、間違いなくエミ自身の意思です。
美神さんが霊能力を失ったのはあくまでもその結果であり、指示したエミ、実行したタイガー、加えて言うならば幻覚を見破ることができなかった美神さん自身に、その責任があります。そこに、百合子の責任が介在する余地はありません。
そもそも美神さんは、百合子がエミにタイガーを紹介したということを知りません。
仮に知ってそれを責めるとするならば、喩えるなら『オモチャのエアガンでいじめられた子供が、エアガンを売ったオモチャ屋に対し、何であんなヤツにエアガンを売ったの?と文句を言いに行く』と同じことですので、筋違いも甚だしい事です。
原作からしてしばしば道理の通用しない美神さんではありますが、だからといって、基本的に頭の良い彼女が文句を言うべき相手を間違えるということは考えにくいです。なので、美神さんが百合子を責めるということは、まず有り得ないでしょう。
それともう一つ。横島くんに対し、二件ほど「力があれば防げた」といった意見がありましたが、これに関しては首を捻ってしまいます。
というのも、横島くんが今回の事件で失態を犯したところは、タイガーから不意打ちをくらって捕らえられたところだけだからです。
仮にそこで何かが出来るとしても、気を緩めている無防備な状態への不意打ちでは、対応できるとするならば余程の技能、それこそ達人級の技能が必要になってくるからです。正直な話、そんなものは斉天大聖老師の加速空間で何年も修行するでもなければ、本作品連載当初からの短時間で体得できるものではないでしょう。でなければ、持ち前のギャグ体質で耐え切るかといったところでしょうか。
また、仮にその場面ではなく拘束されていた時のことを指しているのでしたら、これはもう失礼ながら論外と言わざるを得ません。一体どれほどの実力があれば、『全身拘束&霊力封じ』の戒めから簡単に脱出できるというのでしょうか。本編で脱出できたのは、『煩悩全開アルティメット』という裏技で霊力をバーストさせたからこそです。
とはいえ、Ysさんの「防げたはず」と断定しているのはともかく、キサカさんの「可能性はあったはず」といった意見には、確かに何らかの可能性は出てきていたかな、と消極的ながらも同意する部分はありました。今後の参考とさせていただきます。
また、いずれにせよ、このような形で言い訳してしまったことは、私の未熟さの表れであると痛感しています。本来ならば、本文中にそれとなく盛り込んで、言い訳するまでもなく読者様に理解していただくべきものだと思っておりますので。
今回のことは胸に刻んで反省し、これから続ける中でも精進し続ける心積もりなので、読者の皆様には変わらぬお付き合いのほど、よろしくお願いします。
長くなりましたが、あとがきはこれにて。それではレス返し。
○1. 平松タクヤさん
美神さんの霊能力消失は、今後のパワーアップに繋がる伏線ですので、ご期待くださいw
○2. 山の影さん
美神さんのパワーアップは考えてますけど、魔理は……どうしましょう?(汗
タイガーと魔理のフラグは、最悪の第一印象から始まるという、ある意味王道なところから始まりましたw
○3. いりあすさん
……実は、前回執筆する上で一番気を付けていたのがそこだったり。書いててついついポロッと出ちゃうんですよ。「ルシオラ」の一語が(汗
○4. 内海一弘さん
グレートマザーはやり過ぎないよう加減するのが難しい……今回それを痛感しました。
タイガーと魔理のフラグは、最低の第一印象から始まるという、ある意味で王道の形から入りました。今後をご期待といったところでしょうかw
○5. Februaryさん
ダ女神……さて、彼女はどうしましょうかw 愛子の机は、そろそろ「四次元ポケット」扱いになってしまいそうです。……ところで、灰になった吸血鬼の蘇生方法なんて、そんなもんじゃないでしょうかね?w
○6. スケープゴートさん
傲慢ですか……確かに、そうかもしれません(汗
スケープゴートさんの言う通り、本来無敵系の一発キャラである彼女を頻繁に使おうとするならば、かなり気を遣わなければならないことなのでしょう。それもわきまえず、安易に登場させてしまった私は、浅はかだったと思います。
ですが、出してしまった以上は収めないといけませんので、これからも彼女の扱いには気を付けて執筆していきます。ご指摘、ありがとうございました。
○7. 月夜さん
知らない以上、親という立場からだと、どうしても上から見下した言動になってしまうのは、仕方ないんじゃないかと思います。……私も自分で書いてて、月夜さんと同じ感想を持ったのは内緒です(ぉ
百合子さんのフォロー、こんな形で出ました。どうでしょうかね?
○8. 秋桜さん
タイガーは……どうにか死なずに済んだようです。何より何よりw
○9. キサカさん
確かに、力を得ることで選択肢が増えることはあると思います。しかし、本編ではまだ語ってないのですが、横島くんが力を求めない理由は、実はもう一つあります。別に隠すような話でもないし、結構切実な理由なので、四十三話で触れようかと思ってますけど。
それと、「修行が嫌」というのも理由の一つではあります。原作でもそうでしたが、基本、彼はへたれで臆病者なので……まあ、やる時はやる男ってのは変わりないですけど。
とはいえ、他と比べてそう見えてしまうと言われてしまえば、それは私の表現不足としか言いようがありません。反省してます。
○10. アミーゴさん
まあ、ジャングルで痴漢した程度だと思ってやってください。その方が彼にとっても幸せですw
○11. Ysさん
横島くんは、本文中に「そうも言ってられない場面が必ず出てくることも、彼は知っていた」とある通り、完全に丸投げする気はありません。それに雪之丞が可哀想と言うなら、原作で素人同然の横島くんと引き分けてしまった彼の方が、余程可哀想だと思います。
あと、おキヌちゃんが横島くんに愛想を尽かすことは有り得ないでしょう。原作でも、美神さんや仲間を売ったり見捨てようとしたり、「命が助かるならウンコだって食える」と胸張って言ってたりしてたのに、それを見てもおキヌちゃんは決して愛想尽かしたりしてません。……正直な話、原作と比べれば、私の横島くんはまだ情けなさが足りないとさえ思ってるぐらいです。
9割情けなく、1割だけカッコイイ。それが私の目指す横島像ですので、悪しからずご了承ください。
○12. とろもろさん
とりあえず、美神さんはすぐに霊能力復活するわけではありません。このままGS試験編に突入……するのですが、転んでもただでは起きない美神さん、さてどう出るやら(ニヤリ
GS試験は、ここまで用意してきた仕掛けがてんこ盛りの内容になると思いますので、ご期待くださいw
○13. 須々木さん
美神さんはしばらくこのままです。これがGS試験にどう影響するか……期待して待っててくださいw
○14. 有屡さん
自分で言っておいてさっそくエミに迷惑かけてます、と言っておりますが、何が迷惑なのかがわかりません。
暴走したタイガーを張り倒したのはむしろ助けだったでしょうし、組長に自首を確約させたのだって自分の手柄にしようとしてたわけでもなし。美神さんの霊能力を失わせるのは依頼に含まれていたわけではないので、それの達成の確認を邪魔することがイコール仕事の邪魔というわけではないでしょう。確かにでしゃばり過ぎといった感はありましたが、それで誰かが被害を受けたわけではありません。
それに、たとえば美神さんが死んだとして、霊能力を失った恨みで百合子が殺されるといったことは、あとがきで述べてある通りの理由から、まず有り得ないことです。
以上の理由により、有屡さんの「アンタが恥を知れ」という意見には、まったく賛同できかねます。悪しからずご了承ください。
ではレス返し終了。次回こそ四十二話やりますので、もうしばらくお待ちください。
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