「――まだ寝るんじゃないよ」
えらくドスの利いた声で言って、百合子は倒れ伏すタイガーの胸倉を掴み上げた。
そして、その鳩尾に拳を一突き。
ドスッ。
「がふっ!?」
あまりにも乱暴な気付けに、タイガーはたまらず悲鳴を上げて目を覚ました。
「おごぁ……ぐっ……げふ……」
「起きた?」
悶絶するタイガーに、百合子はにっこりと微笑みかけた。
――にっこりと。そりゃもー、極上の笑顔で。その顔を見た実の息子が、部屋の隅でガタガタ震えて命乞いする心の準備をするほどに。
「え……あ……ひっ!? ゆ、百合子サン!?」
その声に顔を上げたタイガーは、目の前の人物を見るや否や、悲鳴のような声を上げた。
思わず逃げようと腰を浮かすが、百合子はその両肩をがっしりと掴んでそれを防ぐ。
「ど〜こ行こうとしてるのかな〜?」
「あ……う……その……」
殺気にも似た圧力を至近距離から受けて、タイガーの顔から冷や汗が滝のように流れ出る。
「あんた……日本に来る前に言ったわよね? セクハラの虎の汚名を返上するって。それが……何? このザマは?」
「す、すすすすいませんですジャーッ! ワ、ワッシは……ワッシは……! 仕方なかったんですジャアアアーッ!」
「仕方なかったで済むかァッ!」
平謝りに頭を下げるタイガーに、百合子はその頭上から怒鳴りつけた。
「あんた、自分が何したかわかっとるんかい!? 女子高生の下着一つで簡単に暴走しくさってからに! その上あの子押し倒して、あと一歩でまた性犯罪者になるとこやったんやぞ! わかっとんのかこんボケェッ!」
「ひいいいっ! か、かかか堪忍してツカサイーッ!」
「ゴメンで済んだら警察いるかーっ!」
そして始まる折檻の嵐。その激しさは、美神並――いやそれ以上であった。
横島のみならず、魔理、愛子、エミ、組長といった、それを見る全員が、その姿に身を寄せ合って怯えていた。
「よ、よよよ横島っ! おたくの母親、なんであんなに怖いワケ!?」
「む、昔っからあーなんスよ! お袋だけには絶対に逆らったらあかんっス!」
「鬼だ……鬼がおる……ワシらヤクザなんかが可愛く見えるぐらいの鬼がおる……」
ガタガタ震えて折檻を見守ること数分――やがて、モザイク必須な赤黒いナニかに変貌を遂げたタイガーを、百合子はドサリとその場に打ち捨てた。
「……さて」
「「「「「ひぃっ!?」」」」」
ゆらりと振り向いた百合子に、その視線の先にいた五人は揃って身をすくませる。
しかし百合子は構わず、ツカツカと近付いて、組長の胸倉を強引に掴み上げた。
「ひっ……!?」
「ちょっとあんた……」
剣呑な眼差しで射抜かれた組長は、さながら蛇に睨まれた蛙のごとし。
「聞くけど……歳はいくつ?」
「よ、よよよ四十六ですっ!」
「四十六……いい年した中年やないの。それが何? ヤクザの親玉? 物事の分別つけて、若い世代の規範になるべき大人が、人様に迷惑かける仕事を平気でやっとって……恥ずかしくないんか? ん?」
「け、けどヤクザの仕事っちゅーたら……」
「言い訳にもならんわドアホッ!」
怒鳴り、百合子は組長の脳天に肘を落とした。組長は、頭を押さえてその場に崩れ落ちる。
「悪いことしたら反省して謝る! 人様に迷惑をかけない! 暴力使って楽して儲けようなんて言語道断! 人間として当たり前のことやろが! 違うかァッ!」
「そ、そそそそそその通りであります、サーッ!」
あまりの剣幕に、組長はなぜか軍隊式の敬礼で応えた。
「……したら、あんたがこれから取るべき行動は?」
「何がなくとも真っ先に自首することでありますっ!」
その回答に――百合子は、ころっと表情を変えた。満面の笑みを浮かべ、ポンと組長の肩に手を置く。
「わかっとるやないの。じゃ、よろしく頼むわよ♪ でも、もし約束を守らへんかったら……わかるわね?」
「もももももももももも勿論であります、サー!」
「と、ゆーわけだから……エミさん?」
「はっ!? ははははいっ!?」
突然話題を振られ、エミは今度は自分が怒鳴られる番かと、怯えながら身構えた。
――が。
「これにて依頼完了ってことかしら?」
言いながら親指で、隣の組長を指す。
「あ……そ、そうね。私に来た依頼は、組長を脅して自首を迫ることだから……」
「なら、もうここには用はないわよね?」
「え? でも……私としては、令子がどーなってるか確認を……」
「もう用はないわよね?」
「う……」
念を押してくる百合子。エミは、何か剣呑なものを感じ、返す言葉を詰まらせた。
「用はないわよね?」
「…………はい」
さらにもう一度、笑顔で念を押してくる百合子に、エミは頷くしか道は残されていなかった。
数分後、かつてタイガーだったモノを引きずり、エミは地獄組組長の邸宅を後にした。
「考えてみたら……結局これじゃあ、私が依頼達成したことにならないんじゃないの……?」
釈然としないその問いに答える人間は、この場にはいなかった。
『二人三脚でやり直そう』
〜第四十一話 母よ、母よ!……え? 虎? 誰?【その5】〜
――さて、どうしようか。
エミを追い返した百合子は、怯える息子、ついでに同じように怯える事務所の同僚二人を見ながら、内心でひとりごちた。
ナルニアでタイガーを捕らえ、エミを呼んでその精神感応能力を制御してもらい、タイガーの旅支度を整えて先に日本に帰った彼女と合流。その後はタイガーをエミに引き渡した。
そのエミが、次の仕事で美神令子除霊事務所と対決するといった話は、百合子にとっては渡りに船だった。現在の息子の実力、そしてその職場の実力を見極めるための観察をするのに、うってつけだったのだ。
そういうわけで、結婚前の部下、そして現在は亭主の部下であるクロサキを使い、色々とセッティングしたのだが――モニターでタイガーの暴走を見た途端、思わず飛び出してしまったのだ。
つまりは、一撃入れねば気が済まなかったのである。女として。
が――どうあれそれは結局、自分で用意した舞台を自分で壊してしまったということだった。
(ま、いっか……ほとんど決着はついてたみたいなものだったしね)
タイガーが暴走したおかげで、戦いどころではなくなっていた。あれでは、エミ自身もタイガーの鎮圧に協力せざるを得ない。それが終わった後に戦闘再開するとしても、前衛を失ったエミと前衛向きの能力を持っている横島とでは、どちらが有利かは自明の理であった。
「さて……とりあえずは落ち着いたわね」
まずはそう言って、話を切り出す。
「お、お袋、なんで……」
「別にいいじゃないの、そんなこと。それよりも、美神さん起こさないでいいの?」
「はっ! そ、そうだった!」
言われて初めて気付いたとばかりに、横島は美神の元へと駆け寄った。
「美神さん! 起きてくださいよ、美神さん!」
ぺちぺちと頬を叩き、起こそうとする横島。
その横では気を取り直した愛子が、机の中から箒とちりとり、そしてブラドーの棺を取り出して、床の上で山となっている灰を、棺の中に移していた。こうしておけば、とりあえずブラドーはそのうち復活する。
一方美神といえば、いくら頬を叩いても起きる気配はない。
「……かなりやられてるな。これじゃ当分起きそうにないか……」
その様子を見て、横島は真剣な表情でつぶやいた。
そして――
「ということは……今なら何でもやりたい放題っスねっ!」
「「ンなわけあるかっ!」」
「ぎゃんっ!」
息巻いて唇を突き出した直後、目の前の美神から肘が、そして背後の百合子から延髄切りが飛んできた。
「はっ……! よ、横島クン!? と――横島クンお母さん?」
と―― 一撃入れてから初めて気付いたのか、二人を視界に収めた美神が「なんでいるの?」といった視線を向けた。横島は、強打された顔面と首の後ろをさすりながら、のろのろと起き上がる。
「ひ、ひどいっスよ、美神さん……せっかくエミさんに捕まってたのを脱走して駆けつけたってのに」
「気を失っているのをいいことに襲われそうになったのよ? 一撃で済んだだけでも優しいと思いなさい。というか、それ以前にエミなんかに捕まるんじゃないわよ。情けないわね」
「お袋と同じこと言わんでください……」
「それだけ捕まるのが間抜けだってことよ」
涙目になった横島の抗議を、美神は切って捨てた。そして、視線を百合子の方に向ける。
「それで……お母さんはなぜここに? それにエミは?」
「そのことなんですが……美神さん」
問われ、百合子は表情を引き締め、美神の目を正面から見据えた。
「忠夫には今日いっぱいで、あなたのところを辞めさせようと思います」
「「「「…………え゛?」」」」
予想だにしなかったその発言内容に、横島、美神、魔理、愛子の四人は、揃って声を上げた。
「ちょ……お袋! 何言ってんだよ!」
フリーズすること数秒。いち早く復活したのは、当事者たる横島だった。本人の意思なく勝手に辞めさせられては、たまったものではない。
しかし百合子は、その問いに答える代わりに、無言で天井を指差した。横島がその指の先を見てみると――
「……監視カメラ?」
「全部見てたわよ」
「っ!?」
百合子の一言に、横島は驚く。同時、突如としてこの場に彼女が現れた理由としては、納得がいった。
「それで、一通り観戦していた結果ですが……美神さん」
「……なんでしょうか?」
勝手にピーピングされていたことを知って腹を立てているのか、美神の声は少々刺々しい。
「はっきり言いまして、不甲斐ないと言わざるを得ません。途中、あれが幻覚だと気付き始めたのはわかりましたが、それでも相手の術中から逃れられずにむざむざとやられてしまった姿は、情けないの一言に尽きます」
「なっ……!」
いきなり遠慮呵責なしに直球の感想を叩き付けられ、美神の顔が怒りで一気に赤くなった。
「それは聞き捨てならないわ……! 横島クンさえ間に合ってくれたら、あんなのすぐに見破れたわよ!」
「それはつまり、忠夫が間に合わなかったから見破れなかったってことね? 事実を肯定しているに等しいわよ」
「くっ……!」
初っ端から百合子に論破され、言葉を詰まらせ悔しそうに歯噛みする美神。
「お袋! 言い過ぎだぞ!」
「忠夫は黙ってなさい。……GSってのは、悪霊や妖怪と命のやり取りをする仕事なんでしょう? 失敗しても次があるとは限らない。親としては、頼りないGSに我が子を預けたくはないのよ。だから、あんたを美神さんの事務所からは辞めさせる。わかるでしょう?」
「わからねーよ! だいたい、相手も一流のGSだったんだぞ! 一度負けたからってそんなこと言うのは早計ってやつだろ! それに、いつもいつも完璧に勝利を収められるよーな完璧超人、いるわけねーだろが! 足りない部分をフォローすんのが助手の仕事だろ!?」
「忠夫……」
「横島クン……」
その啖呵に、百合子も美神も、感心したように横島を見る。
「第一、こんな一度の敗北ぐらいで美神さんの真価は見極められねーって! 受けた借りは百倍にして返す性根の悪さこそが、美神さんの真骨ちょ――「性根悪いとか言うなああーッ!」べぶらっ!?」
言わなければいーのに、勢いに乗って失言を犯すところが横島の横島たる所以か。彼の不用意な発言に、美神はたまらず神通ヌンチャクを振るい、彼を床に沈めた。
が――
「…………っ!?」
その瞬間、美神の表情が変わった。
「ちょっと美神さん! うちの息子に、いきなり何を……!」
百合子が抗議の声を上げる。しかし美神は、聞こえていないとばかりに、もう一度横島に向かって神通ヌンチャクを振り下ろした。
「あだっ!? み、美神さん、容赦ない――ぎゃふっ!?」
横島の方からも抗議の声が上がるが、それも無視し、みたび神通ヌンチャクを振り下ろした。
「ちょっと! やめてくだ――」
百合子の抗議の声は、そこで途絶えた。神通ヌンチャクを持つ美神の手が、わなわなと震えている。横島もそれに気付き、何事かと眉根を寄せた。
「……美神さん?」
「愛子……神通棍、出してくれる?」
「え? あ……はい」
言われ、自分の本体から予備に用意していた神通棍を取り出し、美神に渡す愛子。美神は受け取った神通棍を構え、霊力を送った。
が――
「の……伸びない?」
「ちょっと横島! あいつがいなくなって、幻覚はもうなくなったんじゃないのかよ!」
伸びない神通棍を見て、魔理が横島に食って掛かる。
しかしそれに答えたのは、横島ではなく――絶望さえ滲んだ、美神のつぶやきだった。
「本当に……霊能力が、なくなっちゃった……!?」
「「「え……? ええええええっ!?」」」
冗談であって欲しい、という願望さえ込められた驚愕の絶叫を上げる事務所メンバー。その横で、百合子は「なら好都合」とばかりに黒く笑っていた。
それから一時間後――帰還した彼女たちを迎え入れた人工幽霊壱号は、不安になっていた。
オーナーである美神が帰って来るなり、霊能力を失ったということを知らされた。見れば確かに、彼女から感じられていた霊力の波動は、まったく感じられなくなっている。
このままでは、事務所の維持に差し障りがある――というのも確かにそうなのだが、彼にはそれ以上に気に掛かっていることがある。
『オーナー……』
「もうそう呼ぶ必要はないわ。私はもう、あなたのオーナーたりえないんだから」
そう答える美神の声に、いつもの覇気は無い。
彼が美神と共に過ごした時間は、それほど多くは無い。しかし、彼女は決して、このような弱音を吐く人間ではなかったはずだ。
そしてそれは、同じ部屋にいる魔理も同様であった。
「美神さん……アタシ、どうなっちまうのかな……」
「わかんないわよ……」
魔理も美神同様、霊力が発露できなくなっていた。
彼女が不安に思うのは、学校のこと。霊能力がなくなってしまえば、必然的に霊能科という特殊な学科には通えなくなる。
――すなわち高校中退、良くて転校だ。
そんな二人の陰気に、愛子はどう声を掛けたら良いかとおろおろするばかりだ。横島は母親に引きずられていってここにはいないので、頼れる人間などいない。
「あ、あの……なんて言ったらいいのかわかんないけど……とにかく、元気を出して? ね?」
「……そういや、愛子は無事だよな。なんでだ?」
「え?」
どうにか声を掛けてみたものの、返ってきたのは魔理の疑問の声だった。思いもかけなかったその問いに、愛子は返答に詰まる。
タイガーの暗示は、確かに強力だった。
ブラドーは本物ではない幻覚の太陽で灰になり、美神と魔理は霊能力を失った。
愛子は愛子で、自分の本体がただの机になったという幻覚を見せられたはずだ。なのに――彼女だけは無事である。
「そりゃ当然でしょ。愛子の本体は、そっちの机の方なんだから」
しかしその問いに、さも当然とばかりに答えたのは、美神であった。
「どーゆーこった?」
「いくら腕が切り落とされたり、尻尾が生えたりするよーな幻覚を見せられたとしても、現実に戻れば腕はあるし、尻尾も生えないでしょ。愛子の机が妖怪――付喪神だっていうのは、幻覚でも覆せない根本的な事実だから、暗示でどーにかなるもんじゃなかったのよ」
「そっか……」
美神の説明に、どこか安堵した表情になる魔理。愛子だけでも無事で良かった、とでも思っているのだろうか。
「魔理ちゃん……」
そんな友人の様子に、掛ける言葉を見つけられない愛子。そのまま再び、事務所に暗い沈黙が落ちる。
が――その時。
『オーナー』
人工幽霊が、美神に話しかけた。
「……どうしたの?」
『横島さんが来ました』
「横島クンが……? でも、もう横島クンはここに来る必要はないわ。帰ってもらいなさい」
『申し訳ありません。既にお通しした後です』
「なんですって……?」
その返答に、美神が眉根を寄せた。その時、「バンッ!」という乱暴な音と共に、事務所の扉が開かれた。
「美神さんっ!」
入ってきた横島を、しかし美神は胡乱げな眼差しで出迎えた。
「横島クン……なんで来たの?」
「なんでって……当たり前じゃないですか。俺は美神さんの助手ですよ?」
「あんたはクビよ、クビ。私はもう廃業するしかないわ。あんたの力なら、うちよりももっと給料の高いところで働けるから、どことなりとも行きなさいよ」
しっしっと追い払うような仕草で言う美神。しかし横島は怯むことなく、それどころか美神の机に「バンッ!」と音を立てて両手を立て、彼女に詰め寄った。
「らしくないっスよ、美神さん!」
「らしくない……? あんたに私の何がわかるってのよ」
「わかりますよ……全部!」
不機嫌そうに眉根を寄せる美神。横島はその視線を正面から受け止め、きっぱりと言い切った。
「だからわかるんスよ! そんな廃業だなんて言ってる美神さんは、美神さんらしくないって! 霊能力失ったんなら、取り戻せばいいじゃないっスか! そんで、エミさんに百倍返しすりゃいーじゃないっスか! なのに最初から全部諦めて落ち込んでるのは、俺の知ってる美神さんじゃないっス!」
「言いたい放題言ってるんじゃないわよ、ドシロートが! 霊能力を失ったってことがどーゆーことか、わかってないから言えるのよ!」
横島の剣幕に、美神の方も意地になって怒鳴り返した。
「どーゆーコトっすか」
「あんた、歩く時に足を動かすことを意識できる? 足を交互に前に出すぐらいは意識できるでしょうけど、その為にどこの筋肉をどう伸縮させるかなんて、考えたことある? 脳から神経を通じて『歩く』という信号を送るってことを、意識できるの?」
「そ、それは……」
「私の今の状態はね……そういった『無意識の領域』にある回路が閉じちゃってるのよ。『霊能力を失った』っていう暗示をかけられたせいで、霊的回路――チャクラって言われてるやつだけど、こいつが『もう開く必要がない』って思い込まされて、その回路を閉じてしまった。これをもう一度開くのは容易じゃないわ」
「それってつまり……」
「そうよ……もう私は、GS生命を絶たれたってこと。だから……」
「だからもう廃業? そんなこと――」
「つまりは、うちの息子はどうあっても失業するしかないってことよね?」
落ち込む美神になおも言い募ろうとした横島の台詞を遮り、割って入ったのは――
「お袋!?」
誰あろう、百合子であった。
「……人工幽霊壱号?」
『申し訳ありません、オーナー。押し通られてしまいました』
「押し通られてって……まあいいわ。それでお母さんは、横島クンを連れ戻しに来たわけですね?」
「そういうことになるわね。ま、それには説得が必要みたいだけど」
美神の問いに答え、彼女は自分の息子を睨んだ。
「な、なんだよ……お袋が何と言おうと、俺はここを辞めたりせんからな」
「あのねえ、忠夫……労働ってのは、雇う側と雇われる側の意思が一致して、初めて雇用が成立するのよ。美神さんがクビだって言ってるのに、あんた一人が我侭言って通るわけないじゃないのよ」
「……そんなこと!」
「それにね」
激昂する横島とは対照的に、百合子は冷や水を浴びせかけるような声音で告げる。
「私は、あんたにはもうGSの道は歩ませないつもりよ」
「え……?」
その唐突な台詞に、横島の脳が一瞬フリーズした。
――今、何と言った?――
「忘れたの? 拘束されたあんたに、私は言ったはずよ? 『間に合わないと大変なことになるってんなら、どうにかして脱出しなさいな。それができなければ、GSなんてやめちゃいなさい』……って。
その結果はどうだった? 経緯はどうあれ、あんたは結局間に合わなかった。そのせいで、美神さんは霊能力を失った。
これでわかったんじゃない? この業界は、あんたごときがいくら踏ん張っても、どうにもならないことがあるって。あんたの力じゃ通じないものは、いくらでもあるのよ。今ならまだ引き返せるわ。これ以上この業界にこだわっても、自分が傷付くだけよ」
「ンなこたぁとっくにわかってるよ!」
母親の言葉に、横島は珍しく、額に井桁まで浮かべて反論した。
その脳裏に浮かぶのは、文字通りに命を分け与え、自分の命を救ってくれた蛍の化身。母が言うまでもなく、彼はとっくに傷付いていた。そして――それゆえに、引き返すという選択肢は既に失せている。
「確かに、この業界は悪霊や妖怪だけじゃねえ! 人間のスペックなんぞ遥かに超越した神族やら魔族やらとだって、やり合わんきゃならん時もあるさ! そんなの相手にしたら、どう頑張っても俺ごときの力が及ばないなんてのは、百も承知だ!」
そう――最終的に魔神アシュタロスと戦うことになる以上、それは覆し得ない決定事項だ。そして、力が足りないとわかりきっている相手に力で対抗するつもりも、まったくない。「パワーにパワーで対抗しようなんて、俺達全員間違ってた」などと言っていたのは、他ならない横島本人なのだから。
正直言うと、横島としては、魔族なんかと戦うなんて御免だった。逃げ出したいほどに怖かった。美神に任せられるならばそうしたいと、常々思っているほどである。
しかし、そうも言ってられない場面が必ず出てくることも、彼は知っていた。
内心で覚悟を決め、そう啖呵を切る息子に、しかし百合子はフンと鼻で笑った。
「百も承知……ね。子供のくせに、わかった風なこと言ってんじゃないわよ? そういうのは、本当に致命的な失敗をしたことのある人間だけが言っていい台詞よ」
自らの息子を侮った台詞。彼女がそう思うのも無理からぬことであった。さすがの彼女も、よもや息子がその「致命的な失敗」を既に経験したことがあるとは、夢にも思っていないだろう。
そしてそれは、美神も同じ――
「……そうね。お母さんの言う通りよ、横島クン」
「美神さん!」
百合子に賛同するような言葉を投げかける美神に、横島は悲鳴じみた声を上げた。
「横島クン……私ね、中学の時にママを亡くしたのよ。だからわかるの。母親ってのが、子供にとってどれだけ有難い存在かをね。GSの道は諦めなさい……これ以上、お母さんを心配させちゃダメよ」
「何を物分りのいいこと言ってるんスか! それ、絶対美神さんのキャラじゃないっスよ!? 美神さんのキャラっつーたら、イケイケでゴーマンで唯我独尊で……」
「……私がどんなキャラだろーと、私の勝手でしょうに……」
何気なく失礼極まりないことを言う横島に、美神はこめかみをひくつかせてうめいた。そんな彼女に、横島はさらに詰め寄る。
「ってゆーか、今このタイミングでGSやめろって言いますか普通!? おキヌちゃんのことはどーすんですか!」
「おキヌちゃんのことは、先生にでも引き継いでもらうわ。あの人に任せておけば、間違いはないわよ」
「ちょっ……そんな無責任な……!」
「――ちょっと待ちなさい」
なおも問答を続けようとする横島の後ろから、突如として百合子が割り込んできた。
「……お袋?」
「おキヌちゃんが……どうしたって?」
百合子は何かを感じ取っているのか、それは聞いててやたらと底冷えのする声だった。
「あー……えーっと……」
その迫力に気圧され、返答に詰まる横島。
「そういえば、まだおキヌちゃんがいない理由を聞いてなかったわねぇ……今、どこで何してるの? 包み隠さず話しなさい?」
「……………………」
眼前の母親から感じる圧力に、横島は直感した。正直に言えばコロサレル、と。
「あー……んー……えっと……その……」
ダラダラと滝のような汗をかきながら、どう言い訳したものかと思考を巡らす横島。しかし経験則から、こうやって問い詰められて喋らずに済んだ試しもない。
そしてその通り、母を騙せるような都合の良い言い訳が見つかるはずもなく――彼は結局、メドーサからの一件を、洗いざらい喋ることになってしまった。
――結果として、血まみれの肉塊が一つ出来上がったとだけ言っておこう――
「まったく……!」
ぜぇはぁと息を切らせ、拳から赤いナニかを滴らせて百合子は毒付いた。
その様子を見ていた美神は思いっきり引いており、魔理と愛子も抱き合ってガタガタと震えている。
……まあそれも当然だろう。眼前で、バイオレンスでスプラッタな猟奇殺人が繰り広げられたのだから。
「馬鹿だ馬鹿だと思ってたけど、ここまでとはね! か弱い女の子を、一人で死地に向かわせるなんて……!」
彼女はそう吐き捨てて息を整えると、両手を腰に当て、憤懣やるかたないといった様子で足元の肉塊――もとい息子を見下ろした。そして彼女は、次いでキッと美神も睨みつける。
「あんたもあんただよ! 二十歳も過ぎればいい大人なのに、いくら本人の希望だからって未成年にそんなことをやらせるなんて……恥を知りなさい!」
「うっ……」
そのことに関しては、美神も少なからず負い目を持っていたので、言い返す言葉もなかった。
百合子は優雅さの欠片もなく頭をボリボリと掻き毟り、苛ついた様子を全身で表現する。
「ったく……これじゃ、GS試験は受けるな、なんて言えなくなっちゃったじゃないの……忠夫!」
彼女は声を荒げ、足元に転がる息子に視線を向けた。
「あんた、こーなった以上は、おキヌちゃんが無事に帰って来れるよう責任持ってGS試験受けて来なさい! わかったわね!?」
それだけ言い捨て、返答も待たずにどしどしと乱暴な足音を立て、事務所を後にする。
「「「…………………」」」
暴風が過ぎ去った後も、彼女の消えたドアをじっと見つめる三人。その表情には、共通して「もう戻って来ないよね?」といった、嘆願にも似た感情が伺えた。
――やがて――
「……行っちゃったみたいっスね?」
「「「うおわっ!?」」」
床に転がっていた肉塊が突然起き上がり、ちょっとしたホラーな光景に三人揃って驚いた声を上げた。
「よ、横島クン……生きてたの!?」
「肉親の折檻で死ぬようだったら、死んでも死に切れないっスよ……さすがに今のは死ぬかと思いましたが」
「今ので死なないって……お前、本当に人間かよ……?」
「人を妖怪みたいに言わないでくれよ……ちゃんとした人間だって」
説得力が無い。しかも、話をしているうちに、どんどんと出血も治まっている。不可解極まりなかった。
「ま、ともあれこれで――美神さん、俺はまだこの業界にいられるようになったようっス」
「そうみたいね……でも、うちじゃもう雇えないわよ?」
「何言ってるんスか。俺の職場は、ここだけっスよ」
さも当然とばかりに、横島は屈託なく笑った。まったく気にした様子のない彼に、美神は眉根を寄せる。
「……あんた、話を聞いてなかったの? 私は、今はもうGSじゃないのよ?」
「『今はもう』じゃなくて、『とりあえず今は』でしょう?」
「あんたこそ何言ってるのよ? これからも、よ。
言ったでしょ? 霊能力を取り戻すのは容易なことじゃないって」
「それってつまり、難しいけど不可能じゃないってことっスよね?」
「……え……?」
何気ない様子で、横島が突っついた言葉の穴。その意味に気付き、美神は驚愕に目を見開いた。
「俺も言いましたよ。美神さんのことは全部わかるって。美神さんは、出来ること全部やってからじゃないと諦めない人っしょ?」
しかしそれは、逆を言えば、出来ることが一つも見えない時こそ脆くなるということである。横島の逆行前の記憶で言うならば、アシュタロスの事件の序盤で敵兵鬼『キャメラン』と戦った時などが、その典型であった。
今の美神はまさにそれだった。出来ることがまだ残っているのに、それが見えなかったからこそ絶望した。
だがそれも、横島が突き付けた一言で瓦解する。
「まだ出来ることが残ってるなら、諦め時なんかじゃないっスよ」
「……私にはまだ……やれることがある……?」
「俺には専門的なことはわかりませんけどね。でも、『容易じゃない』って言ったのは美神さん自身でしょ? なら、可能性が低くてもやれることってのは、見当ついてんじゃないっスか?」
「……そうね」
ずっと格下と見ていた横島に気付かされたのが気に入らないのか、はたまた別の理由か。美神はやや憮然とした表情で、横島の言葉に頷いた。
「まったく……丁稚ごときにハッパかけられるなんて、私もヤキが回ったもんね。こうまで言われちゃ、雇い主として何もしないわけにはいかないじゃない……」
言って、静かに目を閉じる。
そして、再びそのまぶたを開いた時、そこにあったのは以前と同じ、きりっとした不敵な表情であった。
「いいわ、横島クン。見てなさい。あんたの希望通り、霊能力を取り戻してやるから」
颯爽とした態度で言う美神。そこには、先ほどまでの陰鬱とした気配は微塵もない。
「そして……そうね。霊能力を取り戻した暁には……まず手始めに、こんな屈辱を味わわせてくれたエミの奴に……うふ、うふふふふふふふ……!」
「……怖いよ、美神さん……」
さらに続けて黒い笑顔になって不気味に笑い出す彼女に、魔理が呆れ顔で控え目にツッコミを入れた。……耳に入っているかどうかは、はなはだ疑わしかったが。
が――その様子に喜色を浮かべる人間がここに一人。
「よっしゃ! それでこそいつもの美神さんっス!」
横島である。
「その悪魔も裸足で逃げ出す悪党の笑い! 傲岸不遜で傍若無人、受けた借りは千倍返し! 周りから見ればはた迷惑以外の何物でもないその性格でこそ、GS美神令子っス! さっきまでの、物分りが良くてしおらしい美神さんなんて、やっぱ偽者としか思えないっスね!」
「あんたはそんな目で私を見てたのかァァーッ!」
ドゲシッ!
「げぶろっ!?」
失言どころか、もはや狙ってるとしか思えないその発言に、美神は井桁を4、5個は額に浮かべて神通ヌンチャクでシバキ倒した。
ドクドクと血を流して床に沈む横島に、美神は「フンッ」とそっぽを向いて不機嫌さをアピールする。
魔理と愛子は、「あちゃーっ。不用意なこと言うから……」などと言いつつ、気絶した横島を呆れ顔で見下ろしていた。
「でも……ありがと、ね」
美神がぽつりと呟いたその一言は、人工幽霊だけが聞いていた。
ともあれ、事務所はどうにか以前の活気を取り戻すことが出来たようである。他ならない、横島のお陰で。
(私からもお礼を言います……横島さん)
これでこそ、美神に無断で彼を入れた甲斐があった――人工幽霊は、そう思わずにはいられなかった。
――あとがき――
難産でした……会話の内容がどうにも上手くまとまらなくて、何度も書き直してました……そのせいで、更新が当初の予定より何日も遅れてしまいました。
どうも。いしゅたるです。第四十一話、ここにお贈りします。
さて、美神さん霊能力消失。このままでいーのかGS試験? おキヌちゃんin白龍会、テレサ生存と同様、GS試験への仕掛けの一つです。
それと、タイガー×魔理フラグ消失と予想している読者の皆様。……勿論、このままで終わりじゃありませんよ? だって、せっかく出番が期待できる流れなのに、簡単にくっつけたり完全消滅させたりしたら、つまらないじゃないですか。クックックッ……(黒笑
さて次回は白龍会編三話目。銀ちゃんの見学という名の潜入任務です。またもや陰念の空回りが光ります。
ではレス返しー。
○1. 秋桜さん
アルティメットの内容は……ご想像にお任せw 使えば必ず鼻血耳血噴出確定ですので、使いどころが難しいですねw
○2. アイクさん
ツッコミの魂は超加速標準装備です(大嘘
失言は横島くんのアイデンティティーですよー(マテ
○3. アミーゴさん
初めましてーw 感想ありがとうございます♪
タイガー……たまに作者でさえ忘れるほど影薄いです(ぉ
○4. 零式さん
グレートマザーに試験受けさせても、霊力ないから一次試験で落ちますよー。……あ、でも、『霊力』じゃなくて『母力』が偉大だから、通っちゃうかも?(マテ
○5. Februaryさん
どんな見せ場も一撃粉砕。グレートマザーは理不尽なぐらい最強ですw
○6. 平松タクヤさん
アルティメットの内容は、読者の心の中にーw ご想像にお任せしますw
○7. 文月さん
横島くんは人間の規格を大いに逸脱してますw グレートマザーの存在感は偉大ですw 横島一家に常識という言葉は存在しません(ぉ
○8. SSさん
たぶん、百五十話は確実に越えちゃいそうなペースですね(^^; 頑張りますです、はいorz
○9. 内海一弘さん
アルティメットの内容は、全て読者の心の中に(ぇ
セクハラの虎は、グレートマザーの前で暴走したというよりも、暴走しているところをグレートマザーに叩き潰されたってところでしょうかw その後、エミを日本から呼んだってことで。まあ、本文中に説明してありますが。
○10. 山の影さん
はい。魔理のタイガーに対する第一印象は、最悪になっちゃいました。……これで終わりじゃありませんけどね?
○11. 山葵さん
タイガー×魔理が成立するのは、だいぶ後になるでしょうねー。その過程を書くのが、密かに楽しみでしょうがないですw
○12. 睦月屋さん
読者どころか作者からすら忘れられる存在、それがタイガークォリティ(ぉ
○13. いりあすさん
アルティメットの内容で触れられているのは、内容が濃いことと女優が複数いたことだけ。その詳細は全て読者の心の中ですw
ただ、いしゅたる的には、横島くんは原作中でもおキヌちゃんを異性として意識していた節がちらほらあるんですよね。
○14. とろもろさん
アルティメットの内容におキヌちゃんやルシオラが出演してたかどうかは、全て読者の心の中ですw 好きなように妄想して悶えちゃってくださいw
○15. akiさん
グレートマザーも色々考えてます。けど結局、おキヌちゃんのことがあるので、完全に予定通りとまではいかなかったようで。彼女は息子の嫁(予定)の子には甘いのですよw
○16. wataさん
美神さんの霊能力はなくなってしまいました……もちろん復活させますので、その時までお待ちくださいw
○17. ワックさん
楽したいと思うのが本音なら、守りたいと願うのも本音。横島くんは、本当に必要な時は絶対に逃げ出さない男なんだと私は思います。
○18. 木藤さん
折れたとゆーか、そもそも立ってすらいなかったわけでw まあ、第一印象は最悪とゆーことで、タイガーがこれからどうやってフラグを立てるかを見守ってやってくださいw
レス返し終了ー。では次回、銀ちゃんvs陰念の『勝利者のいない戦い』をお楽しみに(ぇー
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