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「スランプ・オーバーズ!22(GS+オリジナル)」

竜の庵 (2007-03-15 19:24)
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 微かな電子音を響かせながら、その老人は山道を登っていた。
 道行く人々は、それに気付くと手を貸そうとしたり声を掛けてきたりと中々に甲斐甲斐しい反応を見せる。

 けれど、老人はにこにこと微笑みながら、その全てを断って独力で登り続けた。

 「ありがとう、ありがとう。でもね、あたしはこの車椅子で世界中の名山を征服してきたんです。妙神山より過酷な峰なんて山ほどありましたよ」

 素材の分かり難い、光沢のある黒い生地のトレーナー上下に黒い山高帽。白い顎髭が胸元まで垂れている独特の風貌だ。車椅子での登山者というだけでも珍しいのに、ますます目を惹いた。

 マイペースに進む電動車椅子は、人気が疎らになってくる中腹まで一度も止まらなかった。
 太陽が中天高くにまで昇った頃、老人は車椅子を登山道の脇に寄せると、椅子の背中に背負っていたリュックから弁当箱を取り出して昼食を摂り始める。

 「…さて、そろそろあの娘が到着したでしょうかね。相手は名うての武神・小竜姫…そうそう隙を見せないとは思いますが、まあ…根競べ、ですな」

 たくあんを齧りながら、老人はのんびりと呟いた。独り言のようにも、誰かに伝えているようにも見える。

 「逆に隙が多いのは、貴方達ですな。雑だ、雑過ぎる…諸外国に比べオカルト犯罪に対する認識が甘すぎますよ。設立間もない日本のオカGでは仕方の無いことですがね」

 老人のその台詞は、明確に誰かに対して語られたもの。その発音は風貌から読み取れる年齢に対して、やけに明瞭で若々しい。

 妙神山登山道は整備が行き届いた初心者にも易しい霊山だが、中腹まで来れば人が隠れて余りある程度の岩塊はごろごろしている。

 「…魔填楼主人、伝馬業天だな。入管法及びオカルト犯罪防止法違反の容疑で、逮捕状が出ている。大人しく同行しろ」

 老人の見える範囲…およそ人が隠れられそうなサイズ全ての岩陰から、スーツ姿の、登山客にはまるで見えない人影がわらわらと現れ、そんな通告をしてきた。逮捕状、と言っているからには警察の人間なのだろう。

 「じじい一人に随分と物々しいですな。あたしはそんなに重要人物でしたかねえ」

 空にした弁当箱を元通りに丁寧に包んで、リュックの中へ戻す。そのままで惚けたように緊張感に乏しい声を上げる老人に対し、周囲の人影は一斉に拳銃を構えた。

 「…おうおう、立派な結界に立派な拳銃。一般の皆さんには迷惑が掛からないよう、人払いまでしてある。恐れ入りました」

 「余計な真似はするな!」

 刑事の一人が叫んだ。撃鉄の起きる音が相乗的に巻き起こる。

 「せっかく皆さんのご期待に応えて、気持ちよく泳がせて頂いたのに…いやはや、残念です。ええと、ひのふの…おや、案外少なめですな。十一人とは」

 「動くな 「怯えるな、犬ども」 ―――っ!?」

 好々爺のようだった老人の声と雰囲気が、がらりと反転する。刑事達の間に走った緊張の強さが、空間をぴりぴりと帯電させたような錯覚すら覚えた。

 「あたしは犬が嫌いだ。吠える犬はもっと嫌いだ。嫌いだからこそ、徹底的に従属させる。逆らう気力の一片まで磨り潰す。権力の扱い方も弁えん犬ども…何もかも一からやり直すがええ」

 言葉から来る圧迫感が、恐怖を伴って刑事達を包み込む。引き金にかけてある指が、凍りついたように動かない。

 ゆっくりと、老人…伝馬の腕がリュックから引き抜かれる。その手には、試験管ほどの太さの竹筒が握られていた。

 「…飲み干せ、『騰蛇』


 「――――――――――――――――!!??」


 銃弾を発射する連続音と、人間の悲鳴とが結界内に木霊した。


 「…でもあたしはね、狼は好きですよ。特に、主人に絶対の忠誠を誓ってくれる賢い狼がね。はは…もう誰も聞いちゃいませんか」


 数刻の後、車椅子の老人以外喋るものも動くものも絶えた妙神山中腹の山道で…伝馬は一人、にこにこと微笑み続けていた。


 にこにこと。


 毒針のように細い目線を山頂へ向けて…楽しげに。


               スランプ・オーバーズ! 22

                    「暴走」


 彼女を責めてはいけない。


 いつもの修行舞台で、冥子とおキヌは距離を置いて向かい合っていた。

 「では式神綱引き、始めてください」

 「は〜い」

 「ショウ様、チリちゃん! やるよ!」

 「気合入りまくりだのう…」

 「落ち込んでいるよりはずっといいです」


 おキヌの地蔵押しも終了し、霊的な修行に関しては出力面以外に鍛えようのない彼女のため、小竜姫は新たな修行カリキュラムを発表した。
 式神綱引き。
 小竜姫が命名したこの修行法…あ、やっぱりころめのセンスは生みの親に似たんだなと誰もが思った…は、シンプルだがおキヌと、それに冥子の式神戦闘術にも効果が見込まれる修行だった。
 内容は簡単。
 十二神将の制御を奪い合う、ただそれだけ。
 おキヌのネクロマンサー能力と神域は、組み合わせて用いることで無類の強さを発揮する、ある種反則気味の能力だ。制約の多い使いどころの難しい力なだけに、一旦発動した神域内は正におキヌのフィールド。
 冥子と十二神将の絆は言うまでもない強さだが、神域内ではその優位性も五分と五分。というか、その程度で済む冥子の方が異常だとも。
 神域発動の条件は『音を楽しむ心』と『霊と通じ合う心』の同期、相乗。それにショウチリとの合奏。この条件をどれだけ緩和出来るかが、おキヌが今以上の霊能者になるために必要な要素だった。

 「じゃあ〜…ええと、どの子にする〜? おキヌちゃん〜」

 「むむっ。何だか私に遠慮してるみたいで、嫌だなあ…冥子さんの好きな子でいいですよ!」

 「え〜…一人だけ選ぶのって〜、それこそえこ贔屓っぽくない〜?」

 「冥子ちゃんは十二匹みんな大好きだもんねえー」

 「じゃあ十二面体のさいころで決めるとか…」

 「…そんなのTRPGでもやる人じゃないと持ってないわよ、おキヌちゃん」

 「…では私が決めます。冥子さん、ショウトラをお願いします」

 気合の入り方とは裏腹に、どうしても緊張感に欠ける二人。小竜姫の目指す修行場の空気はもっと、清冽で引き締まったものの筈なのだが…
 埒の明かない会話に嘆息した小竜姫は、冥子に指示を出すと我知らず天を見上げた。

 「ショウトラちゃ〜ん」

 戌の式神ショウトラは、ヒーリングを得意とする大人しい性格の式神だ。先日の十二神将再契約の時も、ショウトラは呼び出した途端に冥子に向かって仰向けに寝そべり、お腹を見せて降参をアピールすると、あっさり影へ入っていった。
 …十二神将で最も冥子に似た式神、なのかも知れない。

 「ショウさんチリさんは、舞台の外からおキヌさんの援護を。私の見立てによると、神域の出力はお二人の演奏の出来如何によっても変動があるようです。安定した結果を常に得るためにも、驕らず精進すること。付喪神という『かたち』を過信せずに」

 「は、はい!」

 「言われんでもやるわ! あの猿爺にやられたストレス…ここで発散せねば!」

 ゲーム内の話なのは、言うまでもない。チリの視線が、痛々しいものを見るようなものに変わった。

 舞台中央でぺたんと座り込んだショウトラを挟んで、冥子はラインの強化を、おキヌは神域展開のための精神集中を黙々と行う。
 ショウチリは各々の楽器を構えて、久々の演奏の機会に緊張した面持ちを見せる。

 「まずはショウトラ一体ですが、今後段階的に式神の数を増やしていきます。冥子さんには同時展開の訓練を、おキヌさんには複数制御の訓練をまとめて行えるお得な内容ですから、頑張ってくださいね」

 徐々に難易度を上げていく、修行の典型だ。二人にも異存は無いし望む所である。

 「最初はショウトラを自分の許まで呼び寄せた方を勝ちとします。私が発露している霊力の密度や感度、制御精度を見極めますから、合格点に達するまで続けてもらいますよ」

 具体的な終了の目安が示されず不安になる冥子だったが、小竜姫はお構い無しに開始の合図を出すのだった。


 雅やかな調べが、舞台を包み込む。

 「ほ〜らあんよは上手〜」

 「うわあ…神域ってやっぱり凄いわねえ。霊体にビリビリ来るわ…冥子ちゃん、そんな気の抜けた声じゃあっけなく奪われるわよ! 気合入れて! ファイトーっ!」

 「い、いっぱあ〜つっ! ほ〜らショウトラちゃ〜ん、こっちこっち〜」

 「………気い抜けるわあ…」


 武芸と音楽には相通じる部分が多い。
 優れた武芸者が、優れた音楽家である例は世界中に見られる。
 小竜姫もご多分に洩れず一通りの楽器演奏をこなせるし、歌声も豊かな声量を活かして美しい。滅多に披露する機会は回ってこないが。
 因みに、彼女の親友である某ミーハー神族は…無残だ。彼女がカラオケセットを持参して遊びに来たとき、妙神山には黒雲が翳り雷鳴が悲鳴のように轟いたという。
 当時の様子を誰も語りたがらないために、今となっては詳細を知る術は無いのだが、惨劇の舞台となった居間の柱には誰かが掻き毟るようにして記したあるメッセージが、現在でも残っている。

 『きこえる ボ エ たすけ』

 と。
 歌い手本人がノリノリだったのも、性質が悪い。

 …ボエーっと閑話休題。

 おキヌの演奏は、一流の奏者からすればまだまだ未熟で、技術的な改善点は多々ある。神域の効果向上を狙うなら、技術面からのアプローチが手っ取り早いのかも知れない。
 小竜姫は異界空間に流れる雅楽の調べに耳を傾けながら、おキヌの修行方針について考えていた。
 これまで何千人という修行者を相手にしてきた彼女にしても、死霊使いに神域の巫女、同時に二つの特別な霊能力を持つおキヌのようなタイプは珍しい。初見でその性質を見切り、的確なアドバイスを出せるほどに小竜姫も自惚れてはいない。
 自分もおキヌや冥子から知らない事、己に足らぬ事を学びつつ、彼女達に還元していけば双方にとってプラスとなる。
 小竜姫は集中して式神綱引きを見守った。

 「ほらおキヌさん! 結界が揺らいでいますよ!」

 神域は結界札などで構築する結界とは違い、明確な境界が存在しない。かといって音色が届く全ての範囲を神域化して制御することも難しい。もちろん今後の修行如何によっては可能となるかも知れないが、当分先だろう。
 同期・相乗の効果によって、おキヌ本来の霊力を遥かに越える出力が生まれているので、制御するといっても容易くはない。一音のブレが神域全体の揺らぎとなって影響してくる。
 ショウトラは神域の齎す癒しの効果に甘えた鳴き声を上げ、ともすればおキヌの方へ鼻先を向けるけれど、未熟な演奏技術が生む僅かなブレと冥子の呼び声とに精神感応の域までは掌握されず…結局その場に留まり続けている。

 一進一退の攻防、と言えば格好良いが、実際は…

 「ほらほら〜、こっちに来たらおやつあげるわよ〜?」

 「くおら冥子っ! 菓子で釣ろうとするでない! 犬に食わすくらいなら後でオレが食ってくれるわあ!」

 「兄様意地汚いです」

 「チリちゃんって、最近お兄ちゃんを見る目が冷たいっていうか…寧ろ見なくなってきてる?」

 必死になって龍笛を奏でるおキヌ以外の面子に、小竜姫の求める緊張感は皆無のままだった。

 「貴方達…真面目にやらないと仏罰、落としますよ? 油断は禁も…っ!?」

 お灸を据えなくちゃ駄目ですかね、と小竜姫の霊圧が神域内で高まろうとした瞬間。
 小竜姫は予備動作も無しに神剣を抜刀し、背後へ向けた。剣呑な空気が冥子達のお喋りを止め、何事かと視線を小竜姫に集める。

 「……小竜姫様? どうかされたんですか?」

 びっくりして演奏を中断したおキヌが、恐る恐る厳しい顔の小竜姫に尋ねた。

 「…何者かの気配を感じたんですけど……今は消えました。敵意はありませんでしたから…パピリオでも戻ってきて悪戯したのでしょう」

 妙神山の結界は強大だ。力ずくでは中級クラスの神魔であっても破ることは不可能である。よしんば破れたとして、その破壊に内部の者が気付かないはずもない。
 結界破る位なら、鬼門を張り倒すほうがよっぽど楽だし。鋼鉄の金庫に障子戸がついているようなもん…は言い過ぎか。
 過去、妙神山の結界を破られた事例は二件。一件は天界最強の結界破りによる内からの突破。天龍童子誘拐未遂事件の発端でもあった。そしてもう一件は、結界どころか修行場そのものが消し飛んだ魔界兵鬼襲来事件、後のアシュタロス事変。
 どちらも桁外れのパワーによる力押しだった。不可抗力である。

 「一応、鬼門に不審者がいなかったか聞いてきます。お二人は修行を続けて下さい。真剣に真面目に一生懸命に、ですよ? でないと…」

 鍔鳴りの音が、不浄を滅するかのように一同の耳朶を打った。神速で鞘に収められた剣の柄を押さえ、小竜姫は迫力に満ちた笑顔を見せる。納刀が神速なら、抜刀もまた神速。
 逆らう者がいるはずも、ない。というか逆らえない。

 「よろしい。では」

 無言でこくこくと首肯する一同を一瞥し、小竜姫は異界空間を出ていった。

 「………令子ちゃんより怖かった〜」

 「ああいうところ見ると、本性は暴れ竜なんだなーって分かるわね…」

 「小竜姫が暴竜姫に変身するのか。ちょっと見たいぞオレは」

 「私、前に見ましたけど…普段の小竜姫様とはまるで別物でしたよ。冥子さんの暴走に近いかなあ」

 「あの方の霊力で暴走なんて…おキヌちゃん、よく生きてたわね」

 「はい、死んでましたからっ」

 あっけらかーんと言われて、ころめは返す言葉を失くした。口が有ったらぽかんと開いていた所だろう。

 「さ、小竜姫様の仏罰が怖いですし、再開しましょう冥子さん! 今度こそショウトラちゃんにお手させてみせます!」

 「は〜い。ころめちゃん頑張ろうね〜」

 「気合入れてね、冥子ちゃん。もいっかいファイトーっ!」

 「いっぱあ〜つっ」

 冥子の掛け声はやっぱり締まらなかったが、やる気は出た。欠伸をしてその場で寝転んでしまったショウトラを起こし、式神綱引きはモチベーションも高く再開するのだった。


 彼女を責めてはいけない。


 「鬼門も修理しなくてはいけませんねえ…いっそのこと新しい門番ごと…」

 「ぬあああああああああああ!? 小竜姫様そんな直球な!?」

 「お役目は果たしておるではないですか!? 今日も誰一人不審者など通してはおりませんし!!」

 冥子…正確にはころめが登頂初日に吹っ飛ばした妙神山正門は、今も修理されないまま放置されていた。応急処置的に鬼門が簡単な修理を行ったが、歴史ある妙神山修行場の玄関としては非常にみすぼらしい外観に堕ちている。

 「立ち番だけなら案山子にだって出来ますよ。貴方達も鬼の端くれなら、もっと己に厳しくありなさいな。…代わりが幾らでもいる立場ではないのですから」

 「「え…」」

 左右並んで小竜姫の前で正座している鬼門達が、不意に柔らかくなった小竜姫の言葉に耳を疑った。

 「…妙神山修行場の守護を任されているのです。門を守るという事の意味と誇りをきちんと自覚しなさい」

 「「小竜姫様…」」

 両手を腰に当て、小さな主は下僕の鬼に微笑みかけてみせた。全幅の信頼を置いているのだから、とその笑顔が語っている。雄弁に。鬼門の思い過しかもだが、それでも本人たちにはそう見えた。

 「新しい云々は冗談です。…これからもお願いしますよ」

 「「…しょ……小竜…姫様…なんと恐れ多い…っ! 我ら…我らは…!」」


 彼女を責めてはいけない。


 滂沱の涙を流す鬼門から逃げるように場内へ戻った小竜姫は、周囲の風景がいつもと変わらず穏やかなのを確認してため息をついた。
 冥子達の修行を始めて、すっかり彼女らのペースに巻き込まれている自分。特に冥子の雰囲気に呑まれがちである。
 心なしか、御山全体がのんびりムードに包まれているような気すらする。それだけ冥子の霊能者としての在り方が、性格とシンクロしているのか。
 ころめという心格を求め、一時は人格交代まで願った彼女。
 普段の冥子が芯の曖昧な優柔不断で気の弱いお嬢さまだったとは、小竜姫は思わない。式神使いとは、己を堅固に保てる人種にしか生まれない素質だ。そうでないと、式神に迷いが生まれる。
 冥子は弱いのではない。
 冥子は『脆い』のだ。
 鋼の骨格で組まれたやぐらであろうと、個々を連結する接合部が緩ければ容易に瓦解する。冥子のやぐらは空高く聳えている分、瓦解の衝撃、威力も大きい。
 強大な霊力を支える精神力さえ培えば、冥子は稀代の式神使いになれる。そして現在進行形でそれは為されようとしている。

 「…横島さん、美神さん、おキヌさん…そして冥子さん。ああ! 私ってもしかしてすごい時代に管理人やってる!? どの方も死後、神格を得る可能性すらある人間ばかりじゃないですか…」

 異界空間へ通じる脱衣場で、小竜姫は身を捩じらせて興奮した。
 生前に強い霊能力を持ち、更には人格者であれば、寿命の尽きた後、神族への転生が叶う場合がある。
 その審査は厳しく、別名閻魔裁きとまで言われる難関だが。アシュタロス事変を生き抜き、神族上層部の覚えも良い彼らなら十分に有資格者だ。
 神族としての本音を言えば、横島の文珠を筆頭に彼らの霊能は特別強く、その魂を神族側で管理しておけば有事の際の備えとして役に立つ。小竜姫個人の考えではないが。

 「もしも、横島さんが神族に転生すれば…」

 それは、障害が無くなるということ。何の? と聞かれると小竜姫自身、首を傾げる始末なのだが。
 とくん、と心臓の音が高く鳴る。

 「…って、私は一体何を考えて…あーもう、やっぱり今度ヒャクメに診てもらいましょう…」

 ほんのりと頬を紅に染めた小竜姫は、火照った額に手を当てつつ、異界空間への扉に手をかけた。
 自分と背中合わせになって強敵と立ち向かう彼の姿とか、天界の庭園を手を繋いで散策する自分の姿とか…
 湧き出した妄想を頭を強く振って追い出しつつ、深呼吸をして。集中集中、と自分に言い聞かせながら小竜姫は扉を潜った。


 とん、という軽い衝撃を背中に感じたのは…その時だった。


 「…え?」


 体はもう、扉を潜っている。現実世界と異界との狭間で小竜姫は首だけを背後へ振り返り。


 扉から伸びている白い腕が、誰のものなのか…顔を確認すると同時に。


 「―――――――――――――――っああああああああああああああ!?」


 背中に貼られた札が、灼熱の痛みをもってその存在を彼女の脳へと伝達。


 「な、ぜ……あな、た……が…!? シ…」


 言葉に出来たのはそれだけ。


 背中の札は、彼女の弱点をも侵食し…逆撫でて。


 小竜姫の意識を狂乱の坩堝へ塗り潰していった。


 …彼女を、責めてはいけない。


 「………」

 悲しげな表情で異界空間へ消えた小竜姫を、その少女は前髪で隠した横顔を曇らせたままで見送る。

 「………で……ざる」

 唇もほとんど動かさずに、小さく小さく一言だけ呟いて、少女は空間に溶け込むように姿を消した。


 …程なくして、異界空間に暴竜の猛々しい嘶きが轟き渡った。


 「―――――――!!」

 「―――――――!!」


 異変に最も早く気づいたのは、二人の付喪神だった。

 「これは…小竜姫の霊圧か!? なんじゃこりゃあああ!?」

 「キヌ姉様!」

 やや遅れて、ころめも膨大な霊気と竜気の爆発に心眼を一杯に開いて叫ぶ。

 「冥子ちゃん!! ヤバい!!」


 グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!


 神域ごと吹き飛ばす勢いの凄まじい咆哮が異界を蹂躙したのは、その時だった。
 その声に、おキヌは聞き覚えがある。顔から血の気が引いた。

 「な…なんで!? 小竜姫様がどうして竜に!?」

 「こ、ころめちゃん…これって〜…」

 二人が修行している舞台から入口までは遠い。小竜姫がこれも修行だ、と言って舞台までのランニングも行わせたためなのだが、それが今回は幸いした。

 「…何かあったのね。さっき小竜姫様が感じたっていう気配…パピリオの悪戯なんかじゃなかったんだわ」

 「と、とにかく! どこかに隠れないと!」

 「のわああああああああああ!? こりゃ、しきはみなんぞとは比べ物にならんぞ!!」

 ショウは咆哮と共に押し寄せてきた霊波の荒々しさに、かつて弟が命を懸けて封印していた蛇妖の姿を重ね合わせる。あのしきはみですら、弓家とリュウの二重封印が必要だったのに…今の小竜姫を大人しくさせる術などあるのか。
 妹の手を握り、おキヌの後に続いて走るショウは絶望的な思いでいっぱいだった。

 そうこうしている間にも、暴竜の嘶きは接近してくる。

 「あそこに!」

 おキヌは異界空間のそこかしこに立っている岩のオブジェの一つを示し、その陰へ避難するよう皆を誘導した。冥子とショウチリ、おキヌの四名が隠れてもまだ十分に余裕のある大きな岩だ。

 「落ち着いて下さい、皆さん! ああなった小竜姫様を元に戻す方法はありますから!」

 おキヌはこの中で唯一、同様の事態に遭遇した事のある経験者だ。当時の様子を必死になって思い出し、打開策を皆に告げる。

 「竜になっちゃった小竜姫様の眉間に、霊体で創った矢を打ち込むんです! そうすれば暴走は収まります!」

 「霊体の矢とな!? キヌ、それはどこにあるんじゃ?!」

 「えーっと…あの時は確か、横島さんのシャドウを矢にして…美神さんのシャドウが弓で私が弦で…」

 「シャドウとは何じゃ!?」

 「えう!? あの、修行の一種で…自分の霊力を抜き出して擬人化したというか」

 「どうやって抜くんじゃ!? んでどうやって弓矢に!?」

 「ふ、ふえ?! えあ、あの、確か特別な法円を踏んだらシャドウは出て、後は鬼門様が霊体をそれぞれ…」


 グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!


 「…アレを避けながら今の手順を踏むっていうのは…無理っぽいわね」

 「あう……」

 矢継ぎ早に繰り出されたショウの質問に答えながら、おキヌ自身も無謀を悟る。あの時とは状況が違いすぎた。アレは修羅場に慣れている美神と、逆境に滅法強い横島がいたからこそ、成功したようなものだ。
 おキヌは当時幽霊だったこともあって、今ほどの危機感は抱いていなかった。

 「来たわ! 隠れて隠れて!」

 ころめに促され、四人は岩陰に伏せて気配を消す。咆哮の圧力と、撒き散らされる火焔の熱…それに狂ったように悶える姿に呼応して、乱雑に上下する霊圧のプレッシャー。

 「キ…キヌ姉様ぁ……」

 「大丈夫…」

 胸元にしがみ付いて震えるチリに、おキヌは微笑む。チリは強く目を瞑ると、しがみ付く指先に力を込めた。

 凄まじい勢いの炎を吐く暴竜が頭上を飛び去っていったのは、それからすぐのことだった。去った、といっても視界から消えるほどには遠ざかっていない。小竜姫の理性なのか、竜神の本能なのか…妙神山へと繋がる扉から一定距離以上には離れようとしなかった。
 広大な異界で目測を失えば、最悪の事態も考えられる。どことも知れぬ異界の地を終の棲家にしたいとは、誰も思わない。

 「…行ったわね。このまま気配を消してゆっくりと出口へ向かいましょう。対処法が無い以上、下手な手出しは出来ないし。幸い、ここに閉じ込めちゃえば被害も少なくて済むしね」

 「…そうですね。神域で抑えられればいいんですけど…流石に無理です。冥子さん、ショウ様をお願いしますね。…冥子さん?」

 小竜姫の飛び去った方を呆然と見ている冥子は、暴竜の嘶きが聞こえた頃から終始無言でいた。

 「どうした冥子? ほれ、さっさとこっちへ…」

 「ねえおキヌちゃん、ころめちゃん」

 「え、はい?」

 「冥子ちゃん…?」

 冥子の声は上の空にしては切実で、避難しようとしたおキヌの足を止める真剣さがあった。

 「私…私も、あんな風になってたの? 十二神将の皆を暴走させちゃってた時って…」

 冥子の目には、暴れる竜が周囲を火の海に変えている様が赤々と映っている。
 巨大な岩が鉤爪の一撃で砕け散り、粉砕された岩塊を更に火炎が真っ赤な溶岩へと焼き尽くしていく。
 膨大な熱気で生まれた陽炎の中で、狂える竜はひたすらに吠え続けた。

 「…私、気がついたら瓦礫の中で立ってた、ってこと…沢山あったわ〜…大きなマンションを壊しちゃったり、お屋敷を廃墟にしちゃったり」

 「冥子さん…」

 「その度にお母様や令子ちゃんに叱られて〜…凄く怖かった〜…」

 自分を心配そうに見上げるショウの頭を撫でて、冥子は瞳を潤ませる。

 「でも、本当に怖かったのは…私の周りにいる人達だったのね…だって、暴走ってあんなに…めちゃくちゃになるんだもの…」

 それに、と冥子は付け加える。

 「私、知らなかった…ううん、知ろうともしなかった…私が十二神将を暴走させる度に誰かが傷ついて、もしかしたら、取り返しのつかない事になるんだって」

 今なら分かる。美神が自分との共闘を極端に嫌がり、でもやらなきゃならない時には過剰とも取れる準備をして臨む理由が。
 自分が、暴竜に等しい存在だからだ。
 一つ間違えれば大切な親友の命を奪いかねない存在、だからだ。

 「…今頃気付いたって、遅いわよね…」

 「何を言うておるか! 冥子、お主はそんな自分を変えるためにここで頑張っておるんじゃろうが! 自分で気付いたからこそ怪しげな薬にも手を出し、最悪自分は消えようと思ったのではないか!」

 「わ、ショウ様!! そんな大声出したら気付かれます! 静かにしないとっ!?」

 おキヌがショウを抱き上げ、急いで口を塞ぐ。もがもがと暴れるショウを、冥子は守りたいと思う。勿論、おキヌもチリも。皆大切な『お友達』だから。

 「おキヌちゃん、二人を連れて逃げて〜? 私が小竜姫様を止めるから、その隙に〜」

 「そんな!? いくら冥子さんでもあの小竜姫様は…!」

 「大丈夫〜、考えがあるから〜! ころめちゃんもいるし〜!」

 「冥子ちゃん…OK、付き合うわ。なんたって私は貴女の心眼だしね」

 腹を括ったころめの力強い言葉に、冥子も満面の笑みで頷く。式神綱引きで少なからず消耗した霊力は、根性でカバーすればいい。

 「なら私も戦…!」

 「キヌ! ここは冥子に任せて逃げるぞ! オレ達は残念じゃが足手まといになる!」

 「ショウ様!? そんな…」

 自分も一緒に戦う、と言いかけたおキヌをショウは制した。冥子の迷いの無い瞳を見上げ、ころめの心眼に浮かぶ決意の強さを知った今、彼女達の意志を挫くことは誰にも出来ない。
 ショウとて、出来れば力になりたい。けれど…どこまでいっても三位一体でしか力を発揮出来ない自分達では、暴れる竜神に対して不利が過ぎる。

 「キヌよ、勘違いするでない。これは撤退に非ず! 転進であるっ!」

 「兄様…拳を振り上げて言う台詞じゃありませんよ」

 「ううー……分かりました。でも、絶対無理はしないでくださいね! 私、老師様を連れてきますから!!」

 「は〜い。じゃあ、皆は一気に出口へ走ってね〜。小竜姫様は任せて〜」

 そう言って岩陰から歩み出る冥子の背中に…一瞬、己が上司の面影を感じて。

 「あ…」

 おキヌは声を上げそうになったが…唇を噛んで堪えた。言われた通りにショウチリの手を握り一目散に出口へ向けて駆け出す。背後で竜が蠢く気配を感じたが、無視。

 (冥子さん…どうか無事で!)

 駆ける足に力を込め、全力でおキヌは異界の地を走っていった。


 「…行ったわね。そして来たわね、怖い竜神様が」

 「うん〜」

 「冥子ちゃん、考えってなあに? 察しはついてるけど」

 正面に吠え猛る竜を。
 後方に遠く走り去る複数の足音を確認して。
 冥子ところめは自分の霊力テンションを臨界まで上げていく。

 「えへへ〜…令子ちゃんがよく言ってた奴〜」

 死地にありながら、冥子はなお微笑む。

 「……せーの、で言ってみる?」

 「ふえ? …うん。じゃあ、せ〜の〜!」


 「「目には目を、歯には歯を!!」」


 異界の空に、竜神と十二神将の咆哮が炸裂した。


 つづく


 後書き

 竜の庵です。
 冥子編は残り三話の予定でして、続いてオールスター登場予定の『魔填楼編』へと流れていく予定です。予定予定予定、と三回も続けると信憑性皆無に…ッ!
 文中の『彼女』は誰を指すんでしょうか。意味深にしてしまいました。
 最近、こちらのGS板及びよろず板の活気が凄くて、少々流れに乗り遅れがちになってます。どの作品もクオリティ高いし…負けずに勉強させてもらいますね。


 ではレス返しを。


 木藤様
 敢えて、どんな形のフラグが立ったのかは聞きません。そしてどんな形で冥子編が終わるかも語りません…って当たり前か。どうか見守って頂けると幸いです。GS、シリアス部分はほんと容赦無いしなあ…


 内海一弘様
 シロタマが本格介入するのは次シリーズから。(誰が何と言おうと)正体不明の子供達も、がんがん出していきます。うわーい風呂敷の端が見えないっ。
 修行も別の意味で命懸けの様相を呈してきましたが。収拾つくのか不安になりつつ、妙神山の今後を一緒に祈りましょう。
 六道冥子と秘密の部屋は今春公開! 嘘です。そんなに大したものじゃありませんので、お気になさらず。登場キャラが多いと、まるっと出番が無くなったりするんですよねぇ…困りものです。
 美神親子はなあ…視点がどうしても客観的になるのです。大人の事情とか、社会の仕組みとか、横島らガキんちょにとってはどうにも我慢できないのでしょう。


 柳野雫様
 ころめの今後については、次回以降で。
 犬神コンビは早くまともに動かしたいんですよねえ。こう、横島にじゃれ付くシロとかキツネうどん頬張るタマモとか、そういうお約束なのをたくさん。横島&パピには頑張ってもらいたいものです。
 作者の中では、大分美神の子供っぽい頑固さや不器用さは解れてきたと思うんですけども。和解前提で喧嘩させるのもアレなので、お二人には少しこんがらがってもらう予定です。(鬼
 おキヌには微妙な役割を振ってるなあ…カミングアウトの後遺症でしょうか。


 カシム様
 どんなにオカルトが認知されようとも、悪者、もしくは化け物、というレッテルを一度貼られた存在は問答無用で処分される世界。横島はやっぱり稀有な心の持ち主ではないかと思われます。
 シロは細かく言えば、『妖怪の中でも人間に近い意志と価値観を持った人狼という存在』。一般人にそこまでの認識を持て、と言うほうが酷でしょう。そして恐らく、「一般」という括りの中に体制側というか、権力者側も入ってしまうのでは。今回の美神の視点はそっち。横島はもっと狭い視野ですね。善悪は無関係に。
 心眼ころめの扱いは難しいところですが、一応どうするかは決定済み。個人的には…歩行器で終わらせるには勿体無いと思ってますよ? 今後の展開をお待ち下さい!
 か、感動と笑い…精進します。血涙出るくらい。


 以上、レス返しでした。皆様有難うございました。


 次回、冥子ところめが暴竜と対峙します。そして…

 短編を挟んだために遅れてしまいましたが、どうにか冥子編決着までは早めの投稿を心がけたいかと。中身が薄っぺらくならないよう、気をつけつつ。

 ではこの辺で。最後までお読みいただき、本当に有難うございました!

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