あの日、俺があの場所を通りかかったのは単なる偶然だった。
◇◆◇◆◇◆
俺は、はっきり言って焦っていた。どうしても金を稼ぐ必要があったからだ。
誤解がないように言っておくが、小遣いに困っていたというわけじゃない。今月を生き抜くための生活費がなかったのである。
俺の金欠は、かなり深刻だった。
ちなみに、俺はこの春から高校に通い始める15歳。まだまだ親のすねかじって生活しているのが普通な年齢だ。少なくともこの日本では。
なのにどうして生活費の心配なぞしなければならんのか。
めんどくさいが、一応説明しておこう。
俺の親父は、村枝商事というそれなりに大きな商社に勤めるサラリーマンだ。で、その親父が今度異勤することになったんだが……。
ナルニア共和国って知ってるか? とりあえず俺は知らなかった。大半の日本人は知らないんじゃねえかな。
つまり、そこが親父の異勤先だ。
『ナルニア共和国支部長』。それが親父の新たな肩書きである。
南米の片隅の小国で、レアメタルの産出国だとかなんとか言ってたが、要するにど田舎だ。きっと左遷されたのだろう。何せあの親父は……。
話が逸れすぎるので、親父のことはこの辺にしておこう。
ヤツが左遷されるだけならなんも問題はないのだが、ここでお袋がナルニア行きに意欲を示したのには驚いた。親父の単身赴任だと思っていたのに。
その後、二人して俺に着いてくるように説得してきた。
冗談じゃない。ナルニアのような未開の地(偏見だが、そう間違っちゃいないだろう)に行ってたまるか。俺は文明を離れると生きていけない体質なんだ!
ってなことを力説して抵抗すると、両親はやっと俺の説得を諦め、一人暮らしを認めてくれた。
……と、俺は愚かにも思ってしまったんだ。
あの悪辣な両親の元で15年も過ごしておきながら、俺はヤツらのたくらみを見抜けなかった。
両親がナルニアに向けて出発する数日前、俺は二人が確保したというアパートに向かった。ちょっと遊びに行って帰ってきたら俺の持ち物が全て消えていたので仰天したぜ。
ニヤニヤと笑う親父がちょっと気になったが、とりあえず向かってみて……驚いた。それも、悪い意味でな。
俺の目の前に現れたのは、信じがたいほどのボロアパートだったのだ。築50年と言われても、きっと納得してしまうだろう。
部屋に入ってみたが、壁の漆喰ははげていないところの方が少ない。ベランダの亀裂が怖すぎるんだけど……。
四畳半しかない部屋には、狭いキッチンが申し訳ない程度についている。コンロは電気式だ。トイレは狭く、風呂はない。
お袋がやったのだろう、整理整頓だけは万全だった。小さなテレビ、電話、布団、食器……俺の持ち物以外も、生活に必要なものだけは最低限そろっている。本当に最低限だが。
俺は、あまりのことに呆然としてしまった。
アパートまで行くのの半分くらいの時間で家まで駆け戻ると、どういうことだと抗議した。憤慨する俺に、ヤツらはまたしても爆弾を落としてくれやがったのである。
アパートであるからには発生するのが家賃である。管理費コミで月3万。東京じゃ破格の物件だぞ、ってあれだけボロなら当たり前だろうがこのボケ親父が!
そしてお袋は宣言したのだ。仕送りは家賃のみ、あとは自分でどうにかしなさい、と。
「それでも人の親か!」と怒鳴ったら、「嫌ならナルニアに来るのね」とすげなく返された。
それで、俺の心に火がついた。意地でも日本に残ってやる。絶対にナルニアなんかに行ってたまるか。
そういう事情で、俺はどうしてもバイトをせざるを得なかったのである。
どんなバイトがいいか? 決まってる。時給がよくて、仕事がラクで、色っぽいねーちゃんがいるところだ!
そんなわけで、俺はあの時、求人情報誌を片手に歩いていた。そうして、あの雑居ビルの前で、求人ポスターの前に立っていた彼女を見つけたのだ。
ポスターには、こう書かれていた。
「アシスタント募集。素人でも大丈夫。危険は全くありません!
美人GSが優しく指導。
あなたも、除霊やってみませんか?
給与、勤務時間等応相談」
きゅ、求人してる!?
ゴージャスな身体と美貌にすっかり参っちまった俺の理性は、一瞬で吹っ飛んだ。
初対面の人間にいきなり抱きついて「一生ついていきますおねえさまーーっ!」なんて叫んだのは、後にも先にもこの時だけだ。
……ほんとだぞ?
直後に女とは……というか、人類とは思えないような物凄い力でシバかれたが、俺は後悔していない。
あー、ええ感触やった!
連絡先さえ聞かれる事なく追い払われそうになったり、俺を雇わない理由をいくつも出されたりしたが、勢いで押し切った。
時給250円? は、それがどうした。こんな美人の側で働けるなら御の字だぜ!
そこでようやく知ることができた。
美神令子。
それが、俺の雇い主の名前。
◇◆◇◆◇◆
その直後。
俺は美神さんの後について事務所へと入り、
ショッキングな事実を知ることになった。
「あれ? 美神さん、その人は?」
不思議そうに問いかけてきたのは、彼女ではなく男。
それも、多分俺と同年代。
「雇ってくれってうるさくってさ。
まあ、
『時給なんてどうだっていい』、
『どんな辛い仕事だってやります!!』なんて言ってくれてるんだから、無碍にするのもどうかなと思って、とりあえず連れてきたのよ」
「……ええと」
肩をすくめる彼女に、俺は恐る恐る問いかけた。
「誰ですか、コイツ」
「コイツって……まあいいか。
俺は大神一郎。美神さんのアシスタントだ」
「何ですとーーーっ!?」
ソイツは椅子から立ち上がって自己紹介なんぞしてくる。俺は驚愕した。
ちょっと待ってくれ、話が違うじゃないか。美人と二人っきり、スリルとサスペンスに満ちた波乱の日々が俺を待っているはずじゃなかったのか!?
大神一郎とやらを、改めて観察する。
身長は180センチ前後ってところだろうか。俺だって170はギリギリあるんだが、こいつは明らかにその上を行くので大体そのくらいだと判断した。目線を合わせようとすると微妙に上向きになっちまうのがなんとなくムカツク。
体格もいい。なんかスポーツでもやってたんだろうか。やってたんだろう。この無駄に清々しい雰囲気はそのたまものに違いない。ちくしょう。爽やかスポーツマンなんて嫌いだ。
顔立ちは……ええいくそ、美男だ。何が腹が立つってこれが一番腹が立つ!!
「他に男の従業員がいるなんて聞いてませんよ俺!」
「あんたが聞いてなかっただけでしょーが。私は間違いなく言ったわよ。
そもそも、助手も見つかったしもういらないなーと思ってポスター剥がそうとしてたんだから」
「……マジ?」
思い返してみれば、俺はなんとしてでも雇ってもらうために必死だった。彼女が何か言っていたかもしれないが、ほとんど耳に入っていなかった……と、そういうことなんだろうか?
「もう一度言っておくけど、私には既にアシスタントがいる。私が自らGSの才能を見出したこの大神くんがね。そこをあえて雇ってほしいって言うんだから、待遇についての文句なんか聞かないわよ」
……お、俺の人生設計がいきなり崩れよった。
美人で金持ちのねーちゃんと結婚して退廃的な生活を送るとゆー俺の夢がっ!!
それどころか、『GSの才能』なんて言ってるって事はだ。俺はこの野郎が美神さんから手取り足取り指導を受けつつ仕事してるのを、指を加えて眺めておらんとイカンということではないか!
「やめちゃる!そんな惨めな思いをするくらいなら───っ!?」
「あら? せっかく縁が出来たのにもったいない」
一声叫んで駆け出そうとしていた俺。そこへ、
───ぴとっ。
柔らかい何かが俺の腕に押し付けられていた。
ええと、これは、あれか。
この感触が意味するものは、アレなのか!?
ギギギ、と首をめぐらせ視線を向けた先では、美神さんが俺の腕を抱え込んでいる。
つまり、これは。
(む、胸っスかあぁぁぁぁっ!!)
「バカねえ。何を心配してるんだか知らないけど、私は二人とも平等に扱うつもりよ?」
全身全霊を、己が左腕の感覚に集中する。
おおぅっ! 何たる至福。
し、しかも……『扱う』!
それは、それはあーんなことやこーんなことを期待していいということでしょうかぁっ!!
「いえ、それだけじゃないわ。大神くんには頼みづらいことも……あなたになら、任せてもいいかなって思ってるんだけどな」
「う、うはあ……」
耳に感じる彼女の息遣い。あまりの色気にクラクラする。
お、俺って今、世界でもっとも恵まれた少年かもしれん。
『あなたになら、任せてもいいかな』ときたよ。俺って実は物凄い信用されてる!?
おお、ついに俺の時代が来たんだな。神様、ありがとう!
「それでも……やめちゃうの?」
「つつしんで勤めさせていただきますおねえさま───っ!!」
ほとんど吐息に近い、掠れるような囁き声。俺は全力で返答し、彼女に飛びつこうとして、
「はい決まりね。じゃあこれからよろしく」
「うわっ! 君、大丈夫か!?」
「……ぐふっ」
彼女が顔色一つ変えずに放ったカウンターパンチに吹き飛ばされ、地を這っていた。
な、何なんだこの女……。さっきも思ったが、尋常じゃない破壊力だ。世界を狙えるんじゃねえか? わりと本気で。
大神と名乗った二枚目が助け起こしてくれた。いきなり借りを作っちまったなあ。返す気ねーけど。
「あ、ところでさ。あんた、名前はなんていうの?」
「よ、横島忠夫っス……」
「ふーん、『横島』……。名は体を現すっていうけど、ここまで極端なヤツも珍しいわね」
彼女はかるーい調子でそう言って、事務所の奥へと歩いていってしまう。
ええと……あれ? さっきまでの妖しくも艶やかなる空気はどこへ?
───って。
「あー、とにかくこれから同僚ってことになるみたいだな。
あらためてよろしく、横島くん。
……しかし、本当にここで働くのか?」
なんか大神がこっちの目を覗き込んでる。
「──────」
言葉がない。
なんでこの男が俺の目の前にいるのか。
なんで俺のことを心配するような目つきでこっちを見ているのか。
それも、かなり本気入った目で。
額に皺を寄せて、やめとけお前、一度入ったら二度と辞めさせてもらえないぞ、という菩薩の如き親切。
というか誤魔化されたんじゃないか俺、空気の変化が尋常じゃないぞ。
もしかしてヤバイのか。あの女神と天女を足して二を掛けた挙句ワタシ美人ゴーストスイーパー今日カラヨロシクネみたいな女がヤバイというのか。
だとしたらまずい、大神もまずいが何よりこの俺がまずい。
アレ、絶対やばげな程にこきつかおうと考えてる。そうでなくちゃ説明できない。
「ええと、どうしたんだ? 呆然とされてると俺も困るんだが」
困り顔で大神は言う。
「……………………」
用心しながら……いや、もう何に用心しても無駄なんじゃないかという気もするが……ともかく用心しながら様子を伺う。
「──────」
じっと美神さんの様子を観察する。
……凄い、まったく振り返らずに奥へと消えてしまった。
あの女、ホントに俺を色仕掛けで騙したのか……と汗を流した時、不意に大神の方に意識が向いた。
「──────」
「──────」
視線が合う。
大神はやはり心配そうな顔でこちらを見て、
「辞めるか───?」
「辞めるか───!」
全力で返答する。
大神はわずかに目を丸くして、あっさりと笑顔になった。
……って。
もしかして大神のヤツ、俺の返答に喜んでいるんだろうか?
「そうか。正直やめておいた方がいいとは思うんだが、歓迎するよ。
実を言うと、あの人と二人きりだなんていろんな意味で心臓に悪いからどうしたものかと思っていたんだ。
男がもう一人いてくれるとなると、少しは落ち着く」
「……ああ、そうかい」
変なヤツだな。あんな美人と二人っきりなら、喜ぶのが普通だろう?
……ってああ、そうか。なるほどね。
こういう純情そうな男がああいう色っぽすぎるねーちゃんと一緒にいれば、そりゃ大変だよな。緊張もするだろうし。
だが俺は横島忠夫だ。多少こき使われそうなくらいであんな美人の側を離れるはずがない。あのでっかいチチの感触を知ってしまったからにはなおさらだ。たとえ時給250円なんて理不尽すぎる条件だったとしても、俺は辞めたりしない。それが男ってもんだろう!?
その後互いに自己紹介して、大神と俺は同い年だということがわかった。それどころか同じ高校らしい。これには驚いた。
自分で言うのもなんだが、俺の学力は平凡だ。行くことになった高校だって、偏差値的には中の上といったところ。意外と大したことないのか?
と思ったら。
「志望校の入試の日に、たまたま火事の現場に出くわしてしまってね」
そんでもって、周囲の交通状況の悪さから救援が来るのがだいぶ遅れるだろうと判断したコイツは、周りにいた野次馬達に頼み込んで消火・救助活動を行っていたそうだ。……何モンだよお前は。
そうして消防車やら救急車やらがようやっと到着し、すべて終わったのが二時間後。それまでずっと現場にいて見守っていたらしい。入試のことをすっかり忘れてたよ、とは本人の弁。
どんなに頭が良かろうが、試験ってのは受けなきゃ合格できない。不合格の通知を受け取った大神は他にどうしようもなく、万一のためにと受けておいた高校に行くことになったのだ。きっと何かの縁なんだろうと大神は笑った。
それで一つ確信した。
高校生活三年間、俺はきっとこの男の引き立て役になり続ける。
小学校の時の嫌な思い出が蘇ってきた。どんなイタズラをしても親友はその罪を問われず、俺ばかりが吊るし上げられた。ミニ四駆で勝てば、「あんたなんかが銀ちゃんに勝つなんて許せない!」と女子から攻撃された。
あれがまた繰り返されるというのか。
(く、くそおっ!
しかし俺ももうガキではない。唯々諾々と己の運命を受け入れはせん!
このデキそうな男を徹底的に利用して、逆に甘い汁を吸いまくってくれる!!」
「……とりあえず、考えてることをそのまま口に出すのはよせ」
「はうっ!?」
大神は嫌そうな顔をしたが、すぐに元の表情へ戻り、色々と説明してくれた。
曰く、美神令子は今年高校を卒業したばかりの新人ゴーストスイーパーだが、資格試験を一位で通過するなどその実力は折り紙つきである。
曰く、大神はつい一昨日雇われたばかりである。
曰く、霊能力があるなどと言われはしたが、自分ではよくわかっていない。
大神の説明に適当に相槌を打ちつつ、別のことを思う。
───やばい。この偽善者がぁ! とか思っていたんだが、間違いだったようだ。
どうやらコイツ、真性の善人らしい。
俺みたいなのがこれからコイツとうまくやっていけるんだろうかと、本気で心配になってしまったのだった。
で。
本日最大の衝撃。
「2500円!?マジかよ!!」
大神一郎の時給は、俺の10倍でしたとさ。
俺、早まったかもしれない。
【作者より】
こんばんは。三つ目のプロローグ、横島サイドをお届けします。これにてホームページ掲載分は終了し、以降新規にお届けすることになります。
前二つとはガラリと変わって横島の一人称ですが、これは単に『衝撃の守銭奴』をやりたかっただけです(爆)
あと、これは今のうちに言及しておいた方がいいかもしれないと思ったので言います。
サクラ大戦シリーズに登場したキャラクターを出す予定は、あまりありません。
特にさくらやエリカといったヒロイン達はまず出ないと思っていただいて結構です。
……なんか凄い勢いでガッカリされてしまう気がしますが(^^;
キャラが増えすぎると扱いにも描写にも困るという理由が一つ。
実はもう一つあるのですが、そちらに関しては今は伏せさせてください。
大神一郎というキャラが存在することによる話の変化を楽しんでいただければと思います。
それでは失礼します。
第一話の前半を明日投稿予定の真田芳幸でした。
【レス返し】
>Februaryさま
はじめまして。これからよろしくお願いします。
限定版買ったのにやってないんですか!? もったいない(笑)
最高に満足できるかどうかというと微妙ですが、少なくともやって損はないですよ、絶対。
『奴等』などと意味深に書いてしまいましたが、正直失敗だったかもしれません(汗)。この回想シーンではあまり具体的な表現で書きたくない、という私の勝手な嗜好でして、別に降魔でもなんでもないんですよね。
誤解を招きやすい表現をしてしまい反省しています。美神のいう『奴等』とは、GSで普通に登場する悪霊・妖怪達のことです。
それから、ええと、上にも書きましたが……そんなわけで、紅蘭もロベリアもダイアナも出しません。正確には、「出せない」んですが……。
ご期待に沿えず申し訳ありません。見捨てずに読んでいただけると嬉しいです。
>文月さま
はじめまして。これからよろしくお願いします。
サクラ大戦を一定以上プレイしたことがないと楽しめない、というようなSSにするつもりはありませんのでご安心下さい。
……まあ、実際読んで楽しんでいただけるかどうかってことになると、それは私の力量次第なわけですが(^^;
上にも書いたようにサクラ大戦のヒロイン達は登場しませんので、横島のセクハラが彼女達に及ぶことはありません(笑)
美神といいお涼といい、「横暴な女性に振り回される男」という構図が私はどうも大好きみたいで。
最近は涼宮ハルヒシリーズにゾッコン(爆)
ではでは。