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「二人三脚でやり直そう 〜第三十六話〜(GS)」

いしゅたる (2007-02-03 23:59)
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 ――氷室キヌは、つまずいていた――

 六道女学院で基礎を習っていたという経験もある。元禄生まれで山育ちという境遇、そして日本トップレベルGSの除霊作業を手伝うという経験によって得た体力もある。さらに、ここに来る前に竜神王から霊力の出力を上げてもらったのも大きいだろう。
 ここに来てからまだ二週間ほどであるが、彼女は第一段階をあっさりとクリアし、第二段階の技の訓練においても既に霊波砲を修得するに至っていた。

 そんな彼女の上達スピードは、自然と周囲の注目を浴びた。

 そして、注目を浴びている彼女は――現在進行形で、つまずいていた。
 彼女は、第三段階に上がることができず、いまだに第二段階でくすぶっている。


 そう――比喩表現でも何でもなく。


「きゃっ!?」

 どったーんっ!


 本当につまずいてすっ転んでいた。


「…………あいたたた……」

 尻餅をついて痛めた尻をさすりながら、おキヌはよろよろと立ち上がる。

 蹴りの練習をすればよろけてしまい、突きの練習をすれば上体が泳ぎ、体捌きの練習をすれば何もないところですってんころりん。
 霊力の制御力は確かに目を見張るものがあり、体力だって「よくそこまで続くな」と呆れるほどにある。
 しかし彼女には、致命的に運動神経が欠けていた。これでは、実戦形式の組み手がメインとなる第三段階に上がれないのは、至極当然のことである。

 そして、尻餅をついた彼女の前に――

「大丈夫?」

 そう言って、手を差し出す男が一人。周囲からは、「あっ! ズルいぞテメー!」的な視線が集中している。
 おキヌはそんな周囲に気付いた様子もなく、その手を取って立ち上がる。

「ありがとうございます♪」

 ニコッ、とひまわりのような笑顔で、礼を言うおキヌ。その笑顔に、正面からそれを向けられた男はもちろんのこと、周囲でそいつに剣呑な視線を向けていた連中も、揃って「ほわ〜ん」と緩んだ表情を浮かべた。


 白龍会道場――女日照りの著しい、男の園であった。


   『二人三脚でやり直そう』
      〜第三十六話 白龍の華麗なる日々【ふつかめ】〜


「あいたたた……」

「まったく……おキヌさんは生傷が多すぎですよ」

 夜――白龍会宿舎の一室。
 そこでは、パジャマ姿のおキヌが、同じくパジャマ姿の華に絆創膏を貼ってもらっていた。
 おキヌのパジャマは、妙に可愛くデフォルメされた幽霊がびっしりと並んでいる柄で、華は赤い水玉模様だ。

「第二段階は技の練習がメインですから、大したことはしてないはずなのですが……」

「すいません……私ったらトロくて……」

「年頃の女性なんですから、怪我には気を付けてくださいよ。跡に残るような傷が体に……特に顔なんかに出来てしまえば、その可愛らしい顔が台無しですから」

「か、可愛らしいなんて……私、そんなに大した顔じゃありません」

 顔を真っ赤に染め、うつむいて華の言葉を否定するおキヌ。その様子を見て、華はやれやれと肩をすくめた。

「あなたは、あなた自身が思っている以上に魅力的な子ですよ。……っと、これで終わりです」

「あ、ありがとうございます」

「どういたしまして。明日も早いですから、今日も早めに寝て、疲れを残さないようにしてくださいね」

「はーい」

 華の言葉に素直に返事をして、おキヌは立ち上がってドアの方に向かった。
 彼女は扉に手をかける前に、振り返って華の方を見る。

「……あの……本当にいいんですか?」

「たまにはこういうのもいいでしょう? 気分転換というやつですよ。あまりお気にならさらず」

「はぁ……」

 いまいち釈然としない表情で、とりあえずおキヌは頷いた。
 彼女はドアを開けて部屋を出て、扉を閉める前に廊下から部屋に顔を覗かせる。

「おやすみなさい、華さん」

「おやすみなさい、おキヌさん」

 互いに言って、おキヌは扉を閉めた。

「…………」

 閉まった扉をしばし見つめ――華は、おもむろに立ち上がってベッドを凝視する。

「……さて、と……」

 つぶやく華の表情は、とてもこれから寝ようとする人間のものに見えなかった。


 ――午前零時、日付が変わる深夜――


 ……キィ……


 板張りの廊下が、小さな軋みを響かせた。

 基本的にこの白龍会、夜更かしするような人間はいない。起床時間が五時と朝が早いため、そんなことをしていれば翌日の稽古に支障が出るのは明白だからだ。
 だというのに――廊下にその音を響かせた主は、紛れもない白龍会の門下生であった。

「……くふ……くふふ……」

 何やら怪しげな含み笑いをその顔に浮かべ、忍び足で廊下を歩くのは、昼間におキヌに声をかけた男だった。
 彼の名を、仮に『端役A』と呼称する。

「…………ん? なんか今、かなり適当な扱いされたような気がしたけど……気のせいか?」

 気のせいである。ちなみに適当とは、『適度に当たる』という意味だ。

「ま、いいか……よし、ここだな」

 端役Aは怪しい笑いを崩すことなく、目的の部屋の前に辿り着いた。
 その部屋とは――おキヌに宛がわれた一人部屋。

「くっくっくっ……おキヌちゃんがここに来て二週間。じっくりと観察してみたが……完璧だ。完璧すぎるぜ、あの子は……ッ!」

 声量は抑えてあるが、声に込められた興奮の色は隠しきれていない。

「清楚可憐にして家事上手、加えて慈愛に満ちた穏やかな性格。天然ボケなところも魅力の一つ。こんないい子、現実には存在してねぇってぐらいにパーフェクトだ。どこを取っても混じり気なし、そんじょそこらのバッタもんとは一味も二味も違った、正真正銘天然100%の大和撫子であることは間違いないぜ。
 そして今日、俺に向けられたあの笑顔……ふっふっふっ、俺は脈ありと見たね。これで夜這いでもかければ……落ちる!」

 勘違いもいいところである。しかも、やろうとしていることは犯罪だ。

「田舎の親父にお袋! 今夜俺は、男になるっ!」

 言って、ドアノブに手をかける。回して押すと、扉はあっさりと開いた。
 無用心にも、鍵はかかっていなかった。用意しておいたピッキングの道具が無駄にはなったが――

(これはもしかして、俺を待っててくれた!?)

 勘違いパート2。しかしそれを指摘する人間は、この場にはいない。
 端役Aは、そのまま部屋に侵入する。目指すは彼女が寝ているベッド、ただ一点。
 一足飛びにベッドの脇まで移動し、夜目を利かせて掛け布団の膨らみを見ると、その下にいるであろうおキヌの寝姿を幻視し、端役Aの心臓は興奮に大きく脈打った。

「……さ〜て……」

 端役Aは、自分の服をはだけ、胸板をあらわにした。……はっきり言って、道場通いの割には貧弱である。
 ともあれ彼は、おキヌの布団に手を掛け――


「おっキヌちゃ〜んっ! 君の王子様が迎えに――どえええええっ!?」


 満面の笑顔で、聞くのも恥ずかしい台詞を口にし――同時に剥ぎ取った布団の下を見て、その台詞は最後まで続くことなく悲鳴へと変わった。

 その布団の中身は――


 ―― 一言で言えば、『ふしゅるるる〜』と息をしていた。


「さっ! さささささ早乙女えええええっ!?」

 そう――そこにいたのはおキヌではなく、泣く子も更に泣く顔面岩石・早乙女華であった。
 彼女はふしゅるるるる〜と息を吐きながら、のそりと起き上がった。

「そろそろ来る頃だとは思いましたが……やはりでしたか。おキヌさんは今、私の部屋で寝てるところです。……まったく、男はケダモノとはよく言ったものですね」

「あ、あうあうあ!?」

 いきなり目の前に現れた予想外の威容に、端役Aは脳の処理が追いつかず、激しく混乱している。

「おキヌさんのような清純な女性を穢そうなど、男の風上にも置けません……あなたのような男には、少々キツめのお仕置きが必要です。
さあ……覚悟はよろしいですね?」

「ひいいいいいいっ!?」

 ――哀れ、端役Aの悲鳴がおキヌの部屋に木霊した。
 直後、物騒な打撃音が何度も響き――十数分後、ゴミでも捨てるかのように、血まみれの端役Aがポイッと廊下に放り出された。
 放り出された端役Aは、ゴキブリのように四つんばいでじたばたと這いずり、やがて逃げるようにおキヌの部屋と逆方向に進み始めた。

「ひ、ひぃ、ひぃ、ひぃ……ひ?」

 が――その進行方向に誰かが立ちふさがり、彼の逃走を阻害する。
 端役Aが顔を上げると、そこには――

 ランニングシャツとトレパンという服装の、体中の傷跡ばかりが目立つ強面のチンピラ……もとい、陰念が仁王立ちしていた。

「い、陰念……?」

「お前……今何をしていた?」

「……ひっ!?」

 底冷えのする声で問われ、端役Aは硬直した。


「ぎゃあああああああぁぁぁぁぁ…………」

 部屋の外から物々しい悲鳴が聞こえる――が、華のベッドで眠り続けるおキヌの耳には届いていない。

「……ん……横島さん……」

 彼女は一言、寝言をつぶやいて寝返りを打った。
 どんな夢を見ているのやら、その寝顔はやけに幸せそうだった。


 ちなみに……翌朝の朝食は、一人分余ったという。

「あれ? 余ってる……」

「作り過ぎたのではありませんか?」

「そうかもしれませんね……もったいないですけど、処分しちゃいましょうか」

 しれっと答える華の言葉を信じ、おキヌは余った朝食を処分した。


 ――さて、その日も何事もなく終わり、再び夜がやってくる――

「抜き足、差し足……っと」

 消灯時間もとうに過ぎ去った時刻。
 小声でつぶやきながら、宿舎の廊下を歩くのは――やはり、白龍会の門下生である。
 彼は、仮名を『端役B』という。

「それ仮名じゃねえ……って、俺は誰にツッコミ入れようとしたんだ?」

 気にしてはいけない。

「……まあいいか。
 どうやら昨日、既に誰かが抜け駆けしようとしてたらしいが……誰だか知らんが馬鹿な奴だぜ。こんな女っ気のない道場に通ってる以上、警戒されてて当然だろーが。失敗して当然だ」

 正確には、警戒していたのは華であって、おキヌ自身ではない。もっとも、そんなことは端役Bの知ったことではなかったが。
 ともあれ、彼はそう言いつつも、内心では密かに焦っていた。
 氷室キヌは容姿端麗にして清楚可憐。入門当初から彼女に目を付けていた男は、彼や昨晩の端役Aだけではない。端役Aが行動を起こしたおかげで、これからは先を争うように、あの手この手で彼女をモノにしようと考える奴は後を絶たなくなるだろう。
 現に、今日はいつにも増して、彼女とコミュニケーションを取ろうとする男が多かった。中には、あからさまなアプローチをする男もいたぐらいだ。……彼女の天然ボケの前にあえなく撃沈していたのは、ご愛嬌というやつだったが。

 こうなった以上――彼女をモノにしたければ、とにかく迅速かつ確実な行動に出る必要がある。

「へっ……女なんて、一度やっちまえばこっちのもんよ」

 犯罪者丸出しの台詞を口にし、下卑た笑いを漏らす端役B。
 彼はまず、直接おキヌの部屋には向かわず、隣の華の部屋の前で足を止めた。そっと扉に耳をくっつけ、中の音に聞き耳を立てる。


 ふしゅるるる〜……ふしゅるるる〜……


 ……これも一応、寝息というやつなのだろうか? ともあれ、部屋の中に華がいることは間違いなさそうである。
 端役Bは、これがわかれば一安心とばかりに、隣のおキヌの部屋へと移動した。
 部屋の中は無人で、おキヌは華と一緒――という可能性もなきにしもあらずだったが、それも部屋の中を確認してからだ。
 ドアノブに手をかけると、案の定鍵がかけてあった。こんなこともあろうかと用意しておいた針金を鍵穴に差し込み、空き巣ばりの手口で開錠する。
 そして、鍵の開いた扉を、ゆっくりと開放する――


 ――ひゅおう――


 扉を開けた途端、風が頬を撫でた。見てみれば、部屋の奥の窓が開けっ放しになっており、その窓縁に腰掛ける人影が確認できた。

「……氷室……か?」

 そのシルエットは、女性のそれであった。しかし彼の言葉が疑問形なのは、髪型が違ってたからだ。普段のストレートではなく、ポニーテールである。
 彼女はその問いに答えることなく、無言で窓縁から腰を上げ、端役Bに向かって歩いてきた。

「お、お前は……!?」

 その時になって初めて、端役Bは彼女がおキヌでないことに気付いた。
 ――同時――


「そこまでだあああああっ!」

「!」


 叫びを上げ、窓に現れる人物がいた。その声に反応し、振り向く女性。金髪のポニーテールが、ふわりと舞う。
 新たに現れた人物は――顔中どころか体中に古傷のある小柄な悪役面、陰念であった。

「てめぇ! こんな時間におキヌちゃんの部屋に来て何やるつもりだった!」

 びしっ!と女性を指差す陰念。しかしその剣幕を前に、女性は動じた様子もなく「ふん」と嘲笑を漏らした。

「そんなこと決まってるじゃないの……夜這いよ」

「女が言う台詞か! 露骨過ぎるぞ! いーかげん、おキヌちゃんをそっちの道に引きずり込もうとすんのはよしやがれ、このレズロボット!」

「百合と言いなさい、より格調高く! そして私は、ロボットじゃなくてアンドロイド……呼ぶんだったら、『百合アンドロイド』と呼びなさい! さあ、りぴーとあふたみー♪」

「何が『りぴーとあふたみー♪』だあああああっ!」

 全身全霊でツッコミを入れつつ、殴りかかる陰念。端役Bはその会話で、女性が最近おキヌ目当てに訪ねてくるロボット――テレサだとわかった。
 ベッドを盗み見ると、そこには誰もいなかった。何はともあれ、この部屋には彼女はいないらしい。
 となれば長居は無用――そう思い、格闘を始めた二人を尻目に、端役Bはくるりと回れ右し、部屋の出口へと向かう。

 ――が。


「――ちょっと待ちなさい」

「こいつはともかく、お前の方はなんでここにいたんだ……?」


 その足は、背後から掛けられた絶対零度の声に止められた。――物理的に。
 いつの間にか、端役Bの両肩には、手が掛けられていた。右も左もとんでもない握力でその肩を掴み上げており、彼は一歩も動くことができなくなっていた。

「え、えーと……これはですね……」

 だらだらだらだらだらだらだらだら。

 滝のよーに冷や汗を垂らしながら、何かいい言い訳はないかと考えを巡らす。両肩を掴む握力を前に、端役Bは本能的に命の危険を感じ取っていた。
 が――そうそういい言い訳なぞ見つかるはずもなく。

「とりあえず、死刑確定でファイナルアンサー?」

「珍しく意見が合ったな。嬉しかねーけど」

 言葉と裏腹に、不自然なまでに物凄く嬉しそうな二人の声が、端役Bの耳に届いた。


 その直後、端役Bの断末魔の悲鳴が宿舎に響いた。彼の意識が途切れた後は、決着をつけるとばかりに陰念とテレサの時間無制限一本勝負が始まった。
 しかしその勝負は、テレサを連れ戻しに来たマリアが「あぽーっ!」という掛け声と共に放った往年のバ○チョップにより、ダブルKOという結果に終わった。
 ちなみにおキヌはといえば、やはり華の部屋で彼女と一緒に寝ていた。

 なお、翌日からしばらく、端役Bはミイラ男として過ごすことになるが……部屋から出ることはなかったので、おキヌがその姿を見て心配するということさえなかったという。


 ――そして時は過ぎ、さらに翌晩――


 ……キィ……


 この日も性懲りもなく、おキヌの部屋に向かう人影がいた。仮名が端役Cなのは、もはや言うまでもないだろう。

「……もう一刻の猶予もない……皆、どこか殺気立っている」

 おキヌ目当ての男は、思いのほか多かった。誰かがおキヌに近付くたび、周囲から殺意さえ篭った視線を容赦なく浴びせかけられる。
 一昨日、そして昨晩の抜け駆けが男たちの耳に入ったのが、その最たる原因だろう。こうなった以上、夜這い合戦が始まるのは時間の問題だった。

「もはや早い者勝ちだ。華の妨害も考えられるが、それをクリアして辿り着くことさえできれば……」

 男に組み伏せられてしまえば、基本的におキヌの力では敵うことができない。霊波砲だけはかなりのレベルに仕上がっているが、それさえ気を付ければ目的を達成することは容易いだろう。

 と――

「ん……?」

 端役Cは、視線の先で動く人影を見つけた。……仮に、端役Dとしておく。
 そして、その向かう先も、端役Cと同じ方向だった。

 ――皆、考えることは同じということか――

 端役Cは胸中でため息をつくと、あえて端役Dを放って置いて、慎重にその後を尾ける。……とは言っても、結局目的地が同じなので、尾行と言うには微妙なところなのだが。
 端役Dが階段を上がり、おキヌの部屋がある二階へと向かう。端役Cはそれを追い、階段の踊り場に差し掛かったところで――身を隠した。

 端役Dが、誰かと鉢合わせしたようだった。その相手も、どうせ考えていることは同じだろう。やはり端役Eと呼称しておく。

 何事か罵り合い、おもむろに戦闘を始める端役D&E。戦場は次第に移動して行き、端役Cも気付かれないよう距離を保ちながら、それに合わせて前に進む。
 やがて、階段を上りきったところで、階下からドスドスという無遠慮な足音が聞こえてきた。彼は階段の影に身を隠し、その足音の主が通り過ぎるのを待つ。

 足音の主は――白龍寺の和尚だった。


「喝ァァァァァァッ!」


 怒号一喝。隠れている端役Cには気付いていない様子で、和尚は争う端役D&Eを睨み付けた。
 そのツルッパゲの頭に井桁が三つも四つも浮かんでいるような様子で、二人に説教を始める和尚。やがて、「こいつが悪い」「お前こそ悪い」と責任を擦り付け始めた二人にキレたのか、和尚は二人の脳天を鷲掴みにして、ずるずると引きずって行った。
 それが完全に階下に消えて行ったのを見送り――端役Cは、見つからなかったことに安堵の息を漏らした。

「……変に止めようとしないで良かった」

 端役Dの背中を見た時に声を掛けなかった自分の判断を、彼は心底感謝した。
 そして、彼はおキヌの部屋へと辿り着く。ドアノブに手を掛けて回してみると、不思議と鍵はかかってなかった。

「……あれ? 鍵が……」

「いらっしゃい♪」

 ゾクゥッ!?

 部屋の中から聞こえてきた野太い声に、端役Cは背筋――というか尻――に、確信を伴った強烈な悪寒を感じ、即座に回れ右した。

 これは罠だ! 完全に罠だ! 逃げろ! 超逃げろーっ!

 本能が最大限の警告をかき鳴らす。
 ――が、時既に遅し。端役Cの肩は、逃げ出すより先に背後からがっちりとホールドされていた。

「ひいいいいっ!?」

「あらん……逃げ出すなんてつれないヒ・ト♪ 部屋の外の物音、聞こえてたわよー。あんなに激しいバトルに勝ち抜いてまでアタシのところに来ようとしてくれるなんて、嬉しいわぁ♪」

「なんか勘違いしてるーっ!?」

 聞くだけでも激しい嘔吐感を催させる、気持ち悪いオカマ声。
 勘違いしている。色々と激しく勘違いしまくっている。あの物音の主は自分ではないし、ゆえに勝ち抜いて来たわけでもないし、そもそも彼――勘九郎に会うためにやっていたわけではない。断じて。
 端役Cは貞操の危機をこれでもかってぐらいに感じまくり、何とかして脱出しようともがく。しかしどうあっても、背後のオカマの腕の力は緩む様子がない。

「や、やめろ! 離せ! 離してください頼むから! オカマは嫌ああああああっ!」

「いやん、暴れないでよ。嫌よ嫌よも好きのうちってね……だいじょーぶ、すーぐ気持ち良くなるからねー♪」

「イヤァァァァァッ! 気持ち良くなんてなりたくなああああああいっ!」

 端役Cの身も世もない悲鳴が、白龍会宿舎に響き渡った。
 ――この時彼は、端役Dの背中を見た時に声を掛けなかった自分の判断を、心底恨んだという。


 ちなみに、この時おキヌはといえば。

「ううっ……お線香が五十五本、お線香が五十六本……」

 近畿剛一や某ハードなゲイ人のポスターが壁に掛けられ、棚の上には様々なぬいぐるみ各種が飾ってある、妙に少女趣味な勘九郎の部屋のベッドで寝ようとしていた。

 彼女は寝る直前、それらの中に紛れていた、とある器具類――いわゆる、ウワサに聞く大人のオモチャというやつ――を見つけてしまっていた。
 その利用用途は、勘九郎の所持品であることから、想像することさえ脳が拒否してしまっていた。本能的に悟ってしまったのかもしれない。
 ともあれおキヌは、見たものを脳裏から抹消してさっさと寝てしまおうと、現在進行形で一生懸命現実逃避している真っ最中であった。そのせいで、時折聞こえてくる喧騒や悲鳴などは、彼女の耳には入っていなかった。

「……お線香が百二十二本、お線香が百二十三本……」

 ――どーでもいーが、なぜに羊ではなく線香?


 翌朝、街の薬局に座薬を買いに行く端役Cの姿が見かけられたと言うが――彼の身に何が起こったのかは、彼の名誉のために伏せさせていただく。


 その後も夜這い合戦は続いたが――華や陰念、時々テレサor勘九郎の妨害により、そのことごとくが例外なく無念の失敗に終わっていた。
 やがて、おキヌに夜這いを仕掛けようと考える不貞の輩は、急激にその数を減じることとなる。


 そして―― 一週間後。


「……ふっふっふっふっ……」

 不気味な笑みを浮かべ、夜の廊下をソロソロと慎重に歩く人影一つ。
 ここ数日、夜這いを仕掛けようとする者もいなくなり、平和な夜が続いていたところに現れた新たな不届き者。
 その名は端役F――などではない。陰念である。

「くっくっくっ……この時を待っていた。ほとんどの奴が諦めるこの時をな……!」

 その声は、自分の策略が成功したことを確信した喜びに満ちていた。

「夜這いを仕掛ける連中に制裁を下すことで、自分のポジションをなし崩し的に防衛側と認識させる……そして、連中の夜這い計画をことごとく潰し、全員が諦めたこの時がチャンス……! まさか、今まで守る側だった俺が夜這いしよーとは、早乙女も勘九郎も思わないだろーよ。くっくっくっ……」

 夜這いがなくなったとしても、警戒は続いている。だが、その警戒のパターンは、既に見切っていた。

 まず、華の部屋の前で、中の気配を探る。「ふしゅるるる〜」という音が聞こえるが、気配は一つ。ここにおキヌはいないようである。
 次におキヌの部屋。彼女自身は、自分を狙う夜這い合戦があったことなど知らないので、普通に自分の部屋で寝ることだって多い。そして部屋の中には気配が一つ――だが、これが本当におキヌのものであるという保証はない。テレサや勘九郎がいることだって有り得るのだ。
 とりあえずそこは保留し、次に勘九郎の部屋の前に立つ。中に一人分の気配がすることを確認しただけで、そこを離れた。この部屋の近くには、なるべく長居したくない――尻に危険を感じるから。
 そもそも、おキヌはここに一度泊まってから、何故か二度と入ろうとはしなかった。ここに彼女がいる可能性は低いだろう。

 あとは、雪之丞の部屋と空き部屋だけだ。

 雪之丞は夜這い合戦には参加していないものの、勘九郎のような『女性にとって安全な変態』などではなく、いたってマトモ……とも言いがたいが、とにかく常識範囲内の性的嗜好を持つ男だ。おキヌが雪之丞の部屋に泊まるということは、まずないだろう。
 というわけで、陰念は空き部屋の中の気配を、順番に探っていった。
 一つ目、気配なし。
 二つ目、気配なし。
 三つ目、気配なし。
 四つ目――


「…………お」


 気配――あり。

 普通、わざわざ空き部屋を利用する奴などいない。だというのに、空き部屋の中には気配が一つ。
 これは――ビンゴか。
 誰も使わない部屋だからこそ、おキヌがここで寝るという可能性を考える奴もいるまい。ならばその裏をかくという意味では、ここに彼女を泊まらせるという選択肢は有りだろう。

 陰念はなかば確信に近い推測を立て、部屋の扉を開いた。

 鍵は掛かっていなかった――ここまでして警戒するわりには、ずさんなことである。ともあれ好機であるのは間違いないので、遠慮なく部屋の中に侵入した。
 明かりのない部屋の中を見回すと、ベッドの上で布団をかぶる人影があった。すぅすぅと静かな寝息を立てるその人影は、布団のせいで体格はわからなかったし、顔も向こう側を向いているので後頭部しか見えなかった。
 しかし、その髪は見るからに長かった。この道場で、そんな髪を持った者はおキヌぐらいしかいない。テレサはそもそも寝るという行為自体必要ないし。

 ――やっぱビンゴ――

 陰念はニヤリと笑い、その布団に手を掛けた。

「よし……やっとここまで来た。この道場の連中にも、そしてアイツにもおキヌちゃんは渡さねえ……!」

 脳裏に横島の顔を思い浮かべながらそうつぶやき、思いっきり布団を引っ張る――と。


 ぴしり。


 思いっきり石化した。

「…………何の用?」

 布団を剥ぎ取られて目を覚ましたのか、はたまた彼が部屋に侵入した時点で気付いていたのか――布団の中にいた人物は、不機嫌さを隠そうともしない声音で、陰念に訊ねた。

 その人物は、確かに女だった。その人物は、確かに華やテレサなどではなかった。

 だが――おキヌでさえなかった。

 彼女は、紫色の髪をしていた。彼女は、妙齢の美女然とした容姿をしていた。彼女は、非常にグラマラスで魅力的な肢体をしていた。
 その彼女の名を、陰念は知っている。

「……まったく……もしかして夜這いかい? だったら、随分といい度胸してるじゃないのさ……このアタシが何者かわかっておきながら夜這いしよーと思うなんてね……なあ、陰念?」

 そう言って、彼女は獰猛な笑みを陰念に向けた。その笑顔を向けられた陰念は、蛇に睨まれた蛙よろしく、硬直してだらだらと滝のように脂汗をかいていた。
 もしこれが横島ならば、否定するどころか逆に全肯定して、恐れも知らずにその豊満な胸にダイブすることだろう。しかし悲しいかな、陰念にそこまでのギャグ体質はない。

 ――ゆえに――

「え、えーと……こ、これはその……何かの手違いでして、め、メドーサ様……」

 ――ぴくり。

 などと、下手な言い訳をしようとしたのが運の尽き。

「ほう……つまりアンタは、ただの手違いでアタシの睡眠を妨げたわけだ……」

 彼女――メドーサは、ゆらりとした動作で起き上がり、陰念の目の前に仁王立ちした。

「アタシはねぇ……今後の仕事のために、わざわざ香港まで飛んで下調べして帰ってきたところなんだよ……いけ好かないハエ野郎が色々口出ししてきて、うざったらしいったらありゃしなかったんだ……それで疲れて戻ってきて、ゆっくり休んでいるところを邪魔して……その理由が、ただの『手違い』だって?」

「ひっ……!?」

 何か色々ストレスが溜まっていたのだろうか? 語るメドーサの眼差しは、剣呑の一言に尽きた。
 同時、彼女の全身から瘴気が立ち上る――

「さあ……わかってるね? 部屋の隅でガタガタ震えて命乞いする心の準備はOK?」

「いやああああああああああああっ!」

 白龍会宿舎で最近恒例になりつつある夜の断末魔――この日は陰念の声が響いたそうな。


 その頃――華の部屋。

『……何か聞こえました?』

 そんなことを訊ねながら、壁抜けで入ってきたのは幽体状態のおキヌであった。部屋には、抜け殻となったおキヌの体が横たえられている。
 最初に陰念が気配察知で華以外の気配を察知できなかったのも、無理からぬことであった。華と共にいたおキヌは、魂が抜けていたので気配も何もなかったのだ。

「おや。おキヌさん、お帰りなさい。今日はどうでした?」

『あ、はい! すごいんですよー。こないだ死んじゃったジェームズ伝次郎さんがですねー……』

 幽体離脱による夜の外出から帰ってきたおキヌは、自分の体に戻ることさえ忘れて興奮気味に話し始めた。


 ――その後――

 今回の一連の事態で、和尚が急遽おキヌと華を相部屋にすることを強行。それを皮切りに、陰念を筆頭として、「抜け駆けをしない」を大原則とした『おキヌちゃんファンクラブ』なるものが白龍会内で設立されたというが――

 そんなことになってるなど露知らず、おキヌは今日も練習に励んでいる。


 白龍会は、今日もおおむね平和でした。


 ――あとがき――


 本当のタイトルは『漢達の挽歌』です(ヲイ

 こんにちは、いしゅたるです。これにて二人三脚シリーズ再開です。でももーちょっとギャグ磨いてからの方が良かったかなと思ったり思わなかったり。
 ともあれ次回、タイガー登場です。魔理とも絡ませます。原作トレースにだけはしたくないですが、さてさてどーなるか。
 ちなみに前回の番外編のネタの裏の意味を言ってしまうと、『横島くんは誰でも平等に愛することができます』ってことでしたw ……ここまで読めた人はいなかっただろーなーと思いつつ(^^;

 ではレス返しー。


○1. いりあすさん
 うわー、そうやって考えると、横島くんってウサギですねしっかりとw でも私は最初、タヌキ的なイメージ持ってましたが(^^;

○2. 良介さん
 伏線……になりますかな? 今回は最初に注釈していた通り、本編とは無関係な話でしたので(^^;
 やっぱ横島くんはあーゆー結果が似合ってると思いますw

○3. Februaryさん
 前回の番外編の本来の狙いは、上記のあとがきで書いた通りですが……可愛いメドさんも、やっぱり書きたかったわけでしてw メドレンのその悪役は……どうでしょう? ちょっと微妙かも?(^^;

○4. レンジさん
 メドフラグは予定にはないですが、共闘フラグ(仲間にあらず)は立てようかと思ってますー。

○5. 山の影さん
 それぞれの答えは、このキャラならこうかなーって思いながら書いてました。ですからあれが「らしい」と言われれば、最上級の褒め言葉です♪

○6. とろもろさん
 横島くんは、その場その場で不満を言ったりはしますけど、基本的に不満は後に引きずらないので、ないも同じ=満足とも言える? ということであーゆー結果になりましたw

○7. 内海一弘さん
 前回のメドさんは、皆さんが可愛いと言ってくださってるので、狙い通りですねw 横島くんはローソクと動物に対する態度が笑いのポイントでしたw

○8. 秋桜さん
 本編でも、時たま隙を見てはこんな感じのメドさんを書いてみたいと思いますw
 横島くんは、現状に満足しているというより、不満はいつもその場限りで後に引きずってないってところですかねー。

○9. SSさん
 大人メドさんに萌えさせられたのでしたら、前回のアレも成功ということですねw また隙を見て可愛いメドさん書いてみたいなぁ。

○10. ばーばろさん
 なるほどっ。弓さんはメドさんと同じタイプだったのですねっ。
 ユッキー……運命ですな(^^;

○11. doodleさん
 お約束……それは関西人に生まれた以上は避けて通れないもの(マテ
 とゆーわけで、横島くんはお約束に忠実なのでしたw

○12. ショウさん
 メドーサはどんなチャンネル見てるのでしょうか?(汗
 ゴッドアンドデビルの二人に関しては、最初に注釈入れてた通り、とりあえず番外編とゆーことでスルーしといてください(^^; ……まあ、本当に関係あったとしても問題ないんですが、その辺の設定を詳しく言ってしまうとネタバレになってしまうのでご勘弁を。

○13. 長岐栄さん
 意図せず集中砲火食らうような失言も、横島くんの芸風ですなw またどっかで遊びたいなぁと思う今日この頃。


 レス返し終了〜。では次回三十七話、タイガー編でお会いしましょう♪

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