俺が横になっている布団は冷たく、そして硬い。普段から自堕落な生活を送り、万年床の煎餅布団だから無理もない。
そもそも、この日当たりの悪い部屋で布団を干すなど無意味だと思うし、またどうせ敷く布団を片づけるのも面倒だと思う。そのままにしておいた方が効率的というものだ。少々布団が冷たく硬かったからといってなんだというのだろう。
実際問題、これまで不満を覚えたことはなかったのだ。だからそれでいいと思っていた。
しかし時にその冷たさと硬さが身にしみる時があるということを、俺はまざまざと知ることになる。
例えばそう、風邪をひいた時とか……。
「ぶえっくしょい!」
鬼の霍乱、という奴だろうか。ここ十年以上記憶のない風邪に、俺はかかっていた。
しかも結構、重かったりする。喉は痛いし頭も痛いし身体はだるいしで、横になって天井を見ていることしかできない。
正直、しんどい。
「げほげほっ」
喉を痛めるような咳をして、俺は大きな溜息をついた。
風邪の症状が重いのは仕方がない。だが、せめて看病してくれる人が欲しかった。仮にその看病してくれる人がナイスバディな美人のねーちゃんだったなら、一発で治す自信もあるのだ。
そううまい話は無いわけだが。
一応職場の上司や同僚、そしてお隣の後輩ならば、今の状況を知れば様子ぐらい見に来てくれるかもしれない。しかし現在、全員が全員ともこの近くにはいないのだ。
美神さんは父親に会う為に海外に行っているし、おキヌちゃんとシロは里帰り。タマモはシロについて行き、小鳩ちゃんは福引きが当たったとかで旅行に行っているのだ。
ちなみに小鳩ちゃんは温泉旅行にいっているそうだ。商店街で当たったとか……。一応貧はそれなりに頑張っているらしい。
ともあれそういうわけで、俺は一人寂しく寝ているわけだ。
「ぶげほぶげほ」
俺が薄汚れた天井に盛大に咳をしていると、すぐ耳元で畳がすれるような音が聞こえた。そしてこちらに近づいてくる僅かな気配。ここ数ヶ月、お馴染みの気配だった。
視線を向けると、どうやら熱が高くなってきたらしく視界が揺れた。しかしそれでも、その真っ白な蛇の姿は判別できた。
「あまり近づくと、うつるかもしれないぞ?」
俺の言葉を理解しているはずの白蛇は、俺から離れるどころか逆に近づいてくる。そして顔を俺に近づけると、ちろりと俺の頬を舐めた。
思わず微笑むと、俺は手を伸ばして白蛇の身体に触れた。そして指先で軽く撫でてやる。
この白蛇は俺が以前保護した魔族だ。死にかけていたから手当てをしたのだが、元気になっても出て行こうとせず、今となっては完全に俺の部屋に住み着いてしまっている。
どうして俺の部屋に住み着いたのか、その理由はわからない。行くところがないのかもしれないし、ただここにいたいだけなのかもしれない。いずれにしろ、今では立派な同居人だ。……蛇だけど。
それにしても、白蛇の存在はこういう時には少し有り難かった。看病なんてしてくれそうにないが、いてくれるだけで結構心強い。
「蛇、蛇、白蛇」
そいつの身体をなで続け、俺は呟く。
「名前がないとちょいと不便だよな。いい加減名前教えてくれよ。言葉わかるんだから、伝えようと思えば出来るはずだろ?」
白蛇は俺の言葉に反応を示さなかった。
さすがは爬虫類。何を考えているのか全くわからない。
「ぶえっくしょいっ!」
盛大にくしゃみをして、俺は街頭で配られていたポケットティッシュで洟をかんだ。そして白蛇を巻き込まないように気をつけながら、布団を引き上げて肩までかぶる。
俺が引き上げたのは、掛け布団が一枚だけだ。数ヶ月前から、俺は毛布無しで寝ている。最近冷え込みが激しかったから、それが良くなかったのかもしれない。
俺が持っている毛布は、現在白蛇の段ボールに敷かれている。魔族とはいえ、一応は変温動物。何も無しで万が一凍えでもしたら大変だし、特に俺が保護した時には死にかけていたから当然の配慮だったと思う。
それ以来毛布無しで寝起きをしていた俺は、目出度く風邪を引いたわけだが。
俺らしいといえば俺らしい。俺の上司あたりならきっと即決で馬鹿と断定しそうだが、性分だから仕方がない。
「ぶえっくしょいっ! ひえっくしょいっ! ひやっくしょいっ!」
くしゃみ三連発。頭がますますぼうっとしてきた。どうやらますます熱が高くなってきたらしい。
俺はゆるゆると視線を冷蔵庫へ向けた。食事をした方が良いと思うのだが、何もする気になれない。
「つーか、そもそも何か食いものあったっけ……」
よく考えると冷蔵庫の中は空っぽだったような気がする。もっとも何かあったとしても、料理をする気力なぞ無いのだが。
ならば何か薬でも飲むかと考えるも、薬なんて常備はしていない。これから買いに行くなんて冗談じゃない。
「あー、ぐらぐらする」
視界が回り始めた。同時に段々と視界の周囲が暗くなってくる。
意識を失う前兆だ。少しまずいかもしれない。
「……! おいおい」
白蛇が俺の頬に身体をすり寄せるのを感じた。ひんやりとした感触が気持ちいいが、白蛇にとってはあまり良くない。
「風邪、うつるってば。お前は段ボールん中で丸まってろよ……」
ぼやけた視界の中、目の前に白蛇の顔が大きく映る。
爬虫類特有の、感情など読みとれないはずの目。その目に俺は、俺を気遣い心配する色を何故か見て取ることができた。
「馬鹿。こんぐらい、大丈夫だよ」
白蛇を安心させるように微笑むと、俺はそのまま意識を失った。
熱に浮かされていると、半覚醒半睡眠の状態になることがある。
そんな時、ずっと昔を思い出す。
まだ幼い子供だった頃、俺はよく風邪をひいたもんだった。なんだかんだで抵抗力の弱い子供の時だったから、もちろんそれは仕方がないことだ。
しかし風邪をひくと苦しいし、ずっと寝ているだけでつまらない。遊び盛りの子供にとっては苦痛だった。風邪なんかひきたくないと、風邪をひくたびに思っていたものだ。
しかし風邪をひいたら悪いことばかり、というわけでもない。少しだけ、良いことだってある。
まず第一に、鬼のように恐い母親がとても優しくなる。いつも自分をひっぱたいている手で優しく看病してくれるし、いつも怒鳴っている声で優しく囁きかけてくれたりもする。
あれはなんだか、嬉しい。
それに銀ちゃんや夏子達が見舞いに来てくれるのも嬉しい。自分を心配そうに見てくれる目が嬉しい。
風邪は自分を大切に思っている誰かに、心配される為にひくもの。そのことによって、大切なものを再確認する為のもの。そう、誰かが言っていた。
しかし逆を言うなら、風邪をひいている自分を心配してくれる人がいなかったら、風邪をひく意味など全くない。ただ苦痛を味わうだけになってしまう。
いや、むしろ苦痛が助長されるだろう。心細さよって……。
人の温かさがなく、耳が痛いほどの静寂が支配する部屋。そこにたった一人風邪をひいて寝ていると、身体が弱っていることもあって心に堪える。その心細さは子供の時と何ら変わりはしない。
人恋しくなる。寂しくなる。
誰か……と手を伸ばしてしまう。しかしそれは、誰にも握られるはずのない手だ。寂しく空を掴む手だ。そのはずだった。
しかし俺が伸ばした手は、そっと温かな手で握られた。とても小さな感触だが、とても柔らかく優しい手だ。
同時に、額に何か冷たいものが置かれた。その心地よい冷たさに、俺は薄く目を開いた。
部屋は薄闇が支配していた。外から差し込む街灯の明かりが、わずかに部屋の中を照らしている。
どうやら昼間に意識を失ってから、大分時間が経過しているようだ。しかし頭は相変わらずぐらぐらしており、視界も歪んでいる。現実感はなく、まるで夢の中にいるかのようにふわふわとしている。額に感じた冷たさが、僅かに覚醒へと天秤を傾けたに過ぎないのだろう。
「横島……」
だから、それは夢だったのかもしれない。
俺の枕元に、一人の小さな少女が座っていた。部屋が暗い為よく見えなかったが、澄んだ綺麗な瞳が、心配の色を浮かべてこちらを見ているのはわかった。
俺が見ていることに気づかず、少女は俺の額から濡れタオルを手に取った。
「もう熱くなってる」
少女は洗面器に張った水でタオルをすすぐと、再び俺の額に置いた。
気持ちが良かった。
「早く、良くなってね。心配、させないで……」
その少女は小さく呟くと、俺の手をぎゅっと握った。温かかった。
言いようもない心地よさを感じながら、俺はゆっくりと目を閉じた。
意識が沈んでいく感覚。しかしそれは昼間とは全く異なるものだ。
あの時にはなかった安心感が、俺を包んでいたから。
翌朝目覚めると、俺の熱は引いていた。
横になったまま、俺は部屋を見回した。いつも通りの汚い部屋だ。当然そこに、昨夜垣間見た少女の姿はなかった。
夢だったのだろうか。そう考えて、俺は苦笑した。
夢でないわけがない。あれを現実だと思う方が、よっぽど変だ。まあいい夢を見たということにしておこう。
俺は布団から身体を起こそうとして、掛け布団の上に乗った毛布と、その上で丸くなる白蛇に気づいた。毛布はいつも白蛇が寝ている段ボールに敷いてあったはずだが、白蛇が持ってきたのだろうか。
「ありがとうな……」
俺は布団から手を出すと、白蛇の身体をそっと撫でた。
白蛇は身体を撫でられても起きることはなく、静かに寝息をたてている。まるで看病疲れで寝ているかのように思えて、俺は苦笑した。
白蛇を起こさないよう、俺はそっと布団から抜け出た。その時に触れた畳の感触に、俺は首をかしげる。
畳が湿っているような気がする。そこは昨夜、少女がタオルをすすぐ為の洗面器をおいていた場所。
俺は畳に触れた手をまじまじと見つめた。それは昨夜、少女に握られた手でもある。
もし、万が一……昨夜見たものが夢でなかったとしたら、あの少女は一体誰だったのだろう。そんなことを考えた俺の目が、爆睡する白蛇を捉えた。
この部屋で、俺の意外の存在といえばこの白蛇しかいない。
それならば――。
「……って、何を考えているかな、俺は」
自分の考えた馬鹿な妄想に、俺は苦笑して首を横に振った。
毛布の上で眠る白蛇は、どう見ても蛇だ。当然ながら、昨夜見た少女とは似てもにつかない。
だがそれでも、何故か俺の心は温かくなった。それは、昨夜感じたものと同じものだ。
「もしかして、あれはお前だったのかな……」
ぽつりと呟いた俺は、すぐに笑った。
どちらでもいいではないか。白蛇があの少女でも、そうでなくても。白蛇を見て感じる温かさは昨夜のものと同じだ。そして何故そんな気持ちを覚えるかといえば、昨夜の少女と同様、白蛇が本気で自分を心配していたのがわかるからだ。
白蛇は自分を心配してくれていた。今は、それだけで十分だろう。
「がらじゃないよな」
呟きながら、俺は白蛇に顔を寄せた。
そのまま唇を白蛇の身体に僅かに触れさせると、俺は照れたように笑いながら、白蛇に小さく囁いた。
「起きたら、何か美味いもんでも食いに行こうな」
快気祝いと、お礼を含めて。
な、お姫様……。
あとがき
お待たせしております。
一月は空かなかったと安堵しているテイルです。
分量は今までで一番少ないですが、ご勘弁を。
手こずりました故に。
今回の話は挿話となっております。
今までと同じように一人称ですが、姉様ではありません。
例のごとく本人は名前を言いませんが、誰だかバレバレです。
まあ、今回は少女が名前を口にしていますが。
お楽しみ頂ければ幸いでした。
ではまた。
>読石様
姉様、既に別人です。
同名の別人なのです。たぶん。
美神のお姉様も、今後挿話で書きたいなぁと思っていたりします。
いつになるかわかりませんが。
>レティシア様
お待たせしました。
続編書くにももう少し早く仕上げたいと切に思うテイルです。
次も書くので、見捨てない程度にお待ち下さい。
>SS様
ネタ集めも何もなかったのですが、純粋に上手く書けずに時間がかかりました。
面目ないことでございます。
次回こそはすぐに上げるぞ……と。
>がーちゃん様
目標は姉様を名実共に姉様といわれるまでに成長させることですが、これがなかなか。
最終的に18禁に突入させるべきか否か……。
まあ、今までそれほど濃いのは書いたことないテイルですので、たかがしれていると思いますが。
>紅蓮様
修羅場。
次は修羅場をメインにしたい。
美神にばらすか、それとも……。
>武者丸様
姉様の悲壮とも言える覚悟ですが、そんな決意に至ったこと自体が姉様の変化でもあります。
その変化の理由とはいかに、といったところですね。