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▽レス始

「蛇姉様の憂鬱4(GS)」

テイル (2006-12-30 10:54)
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 わたしが美神所霊事務所を訪れたのは、ルシオラのことを探る為だった。
 横島の周囲にルシオラの存在がないことは異常だ。これまでその存在を忘れていてなんだが、それはあたしにだってわかる。だからあたしは、本当にそうなのかを知らなくてはならない。
 馬鹿なこと……とは思う。何もかも忘れてしまうのが、あたしにとっては一番良いのだろう……とも思う。全て忘れて横島に甘えていれば、あたしは傷つかないのだから。
 しかしそういうわけにはいかない。そんなことをしてしまったら、横島はどうなってしまう? あたしの都合ばかりを押しつけ、横島の苦しみから目をそらすような真似をしてどうする?
 あたしは横島に助けられ、幸せがどんなものなのかを知ることが出来た。以前は憎悪と殺意の対象でしかなかったが、今のあたしにとって、横島は最も大切な存在だと断言できる。
 もちろん、それは男と女の感情ではない。……決してない。
 何故なら横島には恋人がいるのだ。……ルシオラという恋人が。あたしに出る幕などないし、あたしだって他人のものを取る趣味はない。そしてなによりも、ルシオラこそが横島を幸せに出来るのだろうという思いが、あたしにはあるのだ。
 ルシオラの顔。ルシオラの声。そしてルシオラの霊波……。目を閉じると、あたしはそれらを鮮やかに思い出すことができる。
 以前からアシュ様直属の三姉妹のことを聞いていたが、顔を合わせたのはアシュ様が事を起こしたあの時、ほんの短い時間だけだった。
 しかしそれでも、彼女の存在は印象深くあたしの中に焼き付いている。横島の恋人になっているという驚きの事実に加え、横島をフォローしてあたしをあっさりと滅ぼしたのも見事な手腕だった。忘れたくても忘れられない。
 しかし何よりも今思い出すのは、あの時に見た二人の様子だ。お互いを大切に想い、必要とし合っているのが伝わった。心が通じているのが端から見てわかった。本当にあけすけな笑顔を向けていた横島を、あたしは良く覚えているのだ。
 ……あたしが保護されてから、横島は一度もあんな笑顔を見せたことはない。
 横島の幸せを考えるなら、ルシオラの存在が必要なのだ。彼が心から気を許し、必要としている女性。横島の本当の笑顔を引き出せる女性……。それが、ルシオラなのだ。
 もし本当に彼女が横島のそばにいないなら、その理由を知りたい。そしてあたしがなんとかできることがあるなら、してやりたい。
 あたしの力が本当に微々たるものであることは重々承知している。しかしそれでも、横島から受け取った恩は返したい。それがあたしの偽らざる本心なのだ。
 ルシオラは横島のアパートにも、美神の事務所にもいなかった。霊波の残留も皆無だったから、どちらにも長いこと訪れた形跡がないことを意味している。そしてこれまでの美神や横島の会話の中でも、その名前は全く出ない。
 彼女がいない理由。その存在が感じられない理由。
 それは一体、なんなのだろう。


「着いたわよ」
 事務所を出てから二時間ほど。太陽が高い位置に上り時刻が昼に近くなった頃、森を走っていた車が速度を落とした。落ち葉の積もる地面の上をゆっくりと走らせ、やがて美神は古びた門の前に車を止める。その門の向こうでは、古びた屋敷がその威容を誇っていた。窓が上部にも見えるから、どうやら二階建てのようだ。
 屋敷を見た横島が、助手席で溜息をつく。
「凄いっすねー」
「感心は良いから、早く車から降りなさい。行くわよ」
 横島の頭を軽くこづいた美神が、着の身着のまま、手ぶらで車を降りた。荷物を背負った横島と、後部座席に座っていたおキヌ達もそれに続く。
 手ぶらで門へと歩く美神は一見無防備に見えたが、あたしの見たところそうではないようだった。どうやら服の下に道具を忍ばせているようだ。美神は道具使いといった面が強いGSだから、道具の有無こそが彼女の戦闘力を左右させる。それを己自身、よく知っているのだろう。
 裏を返せば、横島が担いでいる荷物は通常使用する可能性が低いものばかり、ということも推測できる。そう考えると、横島が担ぐ荷物は多すぎるといえる。まあ、横島は軽々と持っているが。
 門の前に立った一同は、その向こうに見える屋敷を眺めた。この屋敷が今回の仕事場なのだ。
 事務所を出る時の美神の説明を思い出す。
『旧華族の屋敷を依頼人が買ったらしいのよ。少々古いけど手を入れる必要はないくらい状態は良かったらしいわ。電気も水道も通ってたらしいし。まあそう言うわけで古くさいのも味の一つってことで、気にせず住んでみたらしいんだけど……その夜から屋敷を徘徊する霊に悩まされることになったらしいのよね』
 その内容に思わず横島が突っ込む。
『べたっすねえ。で、屋敷を売った奴は……』
『当然のごとく行方不明……不動産屋ごとね』
『結局不良物件掴まされただけか。酷い世の中や……』
『確かに。でもまあ……あたしのことじゃないから別に良いのよねー。仕事にもなるし』
 しれっとした顔で言う美神と、げんなりとした横島の顔が印象的だった。
「じゃ、行くわよ」
 美神は一度振り返って横島達の顔を一瞥すると、門を開けて中に入った。その後ろを横島達がついていく。
 敷地を横切りつつ、あたしは首を巡らした。
 門から屋敷の玄関までは敷石がされていたが、所々こけが生えていた。芝生も荒れ放題だし、木々も手入れがされている様子はない。
 金持ちの庭としては、少々妙な様相だ。
「庭、結構荒れてるっすね」
 あたしと同じものを見たのだろう。横島が美神に話しかける。
「前の持ち主があまり頓着しない性格だったそうよ。今回の依頼人は近い内に植木屋を入れるって言っていたわね」
 横島は少し考えるようにしてから言った。
「頓着しなかったってだけですか? 実はお金がなかったとか?」
「この屋敷を手放したのはそう言う理由じゃないって話だけど、確証は無かったから実際にはわからないわ。だから手入れをする費用がなかった可能性は残ってる。一応ね」
「じゃあ、お金があるけど手入れをしなかった……という可能性もあるんすね?」
「ええ」
 横島が何を考えているのかわかっているのだろう。美神が少しだけ目を細めて横島を見る。わからなかったのは、シロとおキヌだ。
「えっと。なんのことです?」
「せんせー。拙者にも教えて欲しいでござる」
 首をかしげる二人に、タマモが説明する。
「金持ちってさ、結構見栄を張るもんよ。それなのに最も他人から見られる庭がこの有様……。前の持ち主、普通じゃなかったんじゃない?」
 確認するように視線を向けられて、美神は首を振った。
「詳しくは知らないわ。でもここで霊障が起こっているのは、その前の持ち主が原因でしょ」
「何をしたんでござろうな」
「それを調べるのも今回の仕事の一つでしょ、馬鹿犬」
「ぬあっ! 馬鹿犬呼ばわりするな女狐! 拙者は狼でござる!」
 あたしはその言葉に目を丸くすると、まじまじとシロを見た。
 ……人狼だったのか。見かけによらないものだ。
「馬鹿やってんじゃないわよ、二人とも」
 肩越しにシロとタマモと睨むと、美神が屋敷の扉を開ける。その途端に流れ出る屋内の冷えた空気に、獣娘達は言い争いをやめて鼻をひくひくと動かした。
「いるわね」
「いるでござるな。でも攻撃的な霊気はないでござるよ」
「ええ。これは単なる残り香ね」
 二人は空気に混じる霊気を嗅ぎ当てたようだった。獣人の嗅覚にあたしは感心するが、実はあたしも漂う霊気に気づいている。蛇は結構感覚が鋭い。
 屋敷の中は、古びてはいるが汚くはなかった。年季の入った調度品や建物の造りなどには、それなりに趣がある。この屋敷を買った依頼人が、手を加えずにそのまま住み始めたのも無理はないと思われた。
 玄関を入ってすぐの所には二階へと続く階段が見えた。その階段を一瞥して、美神が口を開く。
「正体は不明だけど、依頼人の話からしてそれほど強力な霊じゃないわ。徘徊するだけって話だし……。手分けして探すわよ。あたしは一階。横島くんは二階をよろしく」
「オッケーっす。じゃあタマモはこっちな」
「ん、わかった」
 微笑んで頷いたタマモを睨み、シロが手を挙げる。
「……じゃあ拙者も!」
 しかしその後ろ襟を美神が掴んだ。
「あんたはおキヌちゃんと一緒にあたしと行くの」
「そんなご無体な!」
「探索能力のあるあんたらを一緒にしてどうする」
 抗議の言葉を口にするシロの後ろ襟をひっ掴んだまま、美神はずんずんと歩き出す。
 その様子を苦笑しながら見つつ、おキヌは横島に言った。
「もし見つけたら、刺激しないように私を呼んでくださいね。なるべく安らかに眠って貰いたいから……。じゃあ、気をつけてくださいね、横島さん。タマモちゃん」
 そしておキヌは、にこりした笑みを残して美神達の後を追う。
 その後ろ姿を眺めていたあたしは、いつの間にかおキヌの手に握られている笛に気づいた。独特な形をした笛だ。そんな笛をあたしは一つしか知らない。
 ネクロマンサーの笛と呼ばれる、霊と交流する為の特殊な霊具だ。霊を癒す力を持つものにしか操ることができず、使い手は希少。しかし代わりにその力は絶大であり、数万という悪霊や怨霊を一発で浄霊した例もあるという。
 あたしは事務所でおキヌにヒーリングされたことを思い出した。あれもその才能の片鱗だったのだろう。密かにおキヌが一番役に立たなさそうだと思っていたのだが、結局はあたしがこの場で一番の役立たずというわけだ。
 少し、悔しい……。


 美神達の姿が見えなくなってから、階段を上って横島とタマモは二階へと向かった。赤い絨毯が敷かれた階段は足音を全くさせなかったが、二階の廊下には何も敷かれておらず、木製の床が二人分の体重に軋んだ音を立てた。
 廊下に面していくつか扉が見える。反対側の窓からは、差し込む太陽の光が廊下を照らしていた。
「じゃ、調べるか」
 横島は呟き近くの扉に歩み寄ると、ゆっくりとその扉を開いた。その隣ではタマモがフォローできるように控えている。あたしも何かあった時には威嚇ぐらいしてやろうと、首をもたげた。
 部屋の中にはベッドや本棚、机などが置かれていた。依頼人は既にこの屋敷に住み始めていたというから、おそらくは誰かの私室なのだろう。妙な気配はなかった。
 部屋の中を一通り眺めた横島が、重々しく呟いた。
「色気がない。……男の部屋か。せっかくタンスがあるのに」
 あたしは思わず横島の首をきゅっと締めた。
「ぐえ」
 呻く横島に、タマモの追撃。
「女の部屋だったら、タンスになにかあるわけ?」
「……い、いや、なんでも。と、とにかく、全部見て回ろう」
 じとりとしたタマモの視線に慌てて首を振り、横島は誤魔化すように言った。……当然、誤魔化せてなどいない。
「馬鹿なことしないでよね。あたしも美神に怒られるじゃない」
「わかってるって」
 横島は扉を閉めると、次の部屋に向って歩き始めた。振り返ってみると、後ろではタマモが溜息を吐いていた。
 無理もない、とあたしも溜息をついた時、ふとあたしはあることに気がついた。タマモの向こう、あたし達が二階に上がってきた階段に複数の気配があったのだ。それは覚えのある気配だった。
 先ほどまで一緒にいた美神達の気配だ。別れたと見せかけて後をつけて来た? だとすると、その目的はおそらくあたしだろう。いささか気に入らないが、仕方がない。
 とりあえず気づかないふりをして放っておこう。そう考えてあたしは前方に視線を戻した。
「あれ?」
 あたしが視線を戻すのと、タマモが小さく声を上げて振り返るのはほぼ同時だった。彼女も美神達の気配に気づいたのだろう。
「どうした?」
 タマモの声に反応して、ちょうど次の扉に手を掛けた横島も振り向いた。……その時だった。
 廊下の奥、壁にはめ込まれた姿見の前に濃密な霊気が発生した。それは唐突であり、なんの前触れもなかった。
 霊は音もなく、しかし凄まじい速度で横島に向かって突っ込んでくる。
 ちょうど振り向いていた横島は、横手から突っ込んでくる霊に気づいていない。タマモはあたしに遅れること数瞬後に気づいて振り向いたが、既に遅い。横島に危険を告げることも、向かってくる霊気の塊に攻撃を仕掛けることも出来ない。
 動けたのは、あたしだけだった。
『シャァァァッ!』
 霊気を練り、牙をむきだし、あたしは突っ込んでくるそいつに向かって必死に威嚇をした。
 あたしの行動に怯んだのか、一瞬だけそいつの動きが遅くなる。しかしそれはまさに刹那の瞬間であり、それで何かが変わることは普通ない。
 普通は。
「なんとおっ!」
 普通じゃない横島は、その一瞬で回避をすることに成功した。肉体的な回避行動に加え、霊気を吹き出して突っ込んできたそいつの軌道をそらしたのだ。
 ぎりぎりで横島はそいつの一撃をかわした。しかしその際に発生した衝撃波は凄まじく、横島とタマモがまとめて吹っ飛ぶ。窓ガラスも軒並み吹っ飛んだ。物理的な力を持っている証拠だ。
 その威力にあたしは顔を蒼くする。もし回避できていなかったら横島とてどうなっていたか……。
 攻撃に失敗したそいつは、ゆらりとあたし達を振り向いた。
 そいつはどうやら女の霊のようだった。霊体の身体は半ば腐っており、顔からは白いものが覗いている。見たところ生前はかなりの器量だったことが窺えるが、なまじ元が整っているだけあって、今の姿は不気味そのものといえた。
「なんじゃあいつはあああ!?」
「この屋敷を徘徊してたっていう霊でしょ、たぶん。で、怪我はないのね」
「危うく死ぬところだったわ! 何が大して強くないだ美神さんの嘘つきーーっ!」
「大声出さないで。衝撃波で耳が痛いんだから」
 叫ぶ横島にぼやくタマモ。しかし二人とも隙はない。口を開きつつもその注意は常に悪霊に向けられている。
『オ、ト、コ……ニクイ。ニクイ。ヨクモアタシヲモテアソンダ。ヨクモアタシヲコロシタ。ヨクモヨクモヨクモヨクモ』
 悪霊の目が血走っていく。口からはどす黒い血が溢れていく。
「く、来るぞ」
 横島はタマモをかばうように立つと、手に文珠を生み出した。文珠に込められた文字は、『浄』だ。当たれば文字通りあの悪霊を浄化するだろうが、問題は当たるかどうかだ。横島といえども当てられるかどうかわからないほど、あの悪霊は速い。
 しかしあたしは心配していなかった。隙が出来るだろう事を知っていたからだ。
 そして、あたしの予想通りに事態は動いた。
『ガッッッ!』
 今にも横島に向かって動こうとしていた悪霊が、鳴り響いた笛の音に体を震わせた。そして硬直した悪霊に向かって神通鞭の一撃。
『ガウッ!』
 地面にたたき落とされた悪霊に疾風となってシロが突っ込み、霊波刀で無数の斬撃を放つ。しかしそれでも消滅しなかった悪霊はシロに振り向くと、吹き上がる霊圧で彼女を吹き飛ばした。一介の悪霊とは思えない霊圧だった。
 しかしその行為そのものが隙に他ならない。
 横島が文珠を投げつけた。投げつけた文珠はタマモが幻術をかけたのだろう。その姿も霊波も隠蔽されている。投げた瞬間を見ていない限り、かわすのは不可能だ。
 文珠はなんの邪魔も受けず、振り向いた悪霊に命中した。
 そして溢れる光。
『ガ?』
 いきなり自分を中心に溢れた光に、悪霊は何がなんだかわからなかっただろう。それでもようやく自分に訪れた安息と、抱きしめられているかのような温かさを感じたのではないだろうか。
 光の中、悪霊は一瞬穏やかな表情を浮かべ……そしてそのまま消え去った。
「二人とも、大丈夫!?」
 階段の向こうから走ってくる美神を見て、あたしはほっと溜息をついた。


「前時代的と言えるかもしれないけど、あの屋敷の前の持ち主はメイドを使っていたようなの。見つかった遺体はその内の一人のようね。行方不明者として届け出が出されていたそうよ」
 事務所にて、美神が事件について話している。
 あの後、事後処理は少々面倒だった。悪霊が現れた姿見を外すと、その奥に一体の死体が埋め込まれていたからだ。依頼人への報告と警察への通報、その他諸々で大分難儀した。……主に美神が。
 それでも日が落ちるまでには大半の処理を終え、全員が事務所に戻ることが出来た。
「殺されたんですか……」
 ソファに座ったおキヌが訊ね、美神が頷く。
「そうよ。そしてあの壁に埋められた。それから数日後、屋敷の主人が変死。次に主人の弟が変死。その次は甥がって具合に次々と死者が出たらしいわ。それであの屋敷を売りに出したようね。当然、変死の件は伏せてね」
「あの屋敷を売ったのは……?」
「その主人の息子」
 殺された霊の恨みの強さを垣間見る話だ。何をされ、どう殺されたのか……何となくわかるが、あまり楽しい想像ではないのであたしはそれを頭から振り払った。
「でも依頼人は無事だったんすよね。徘徊する霊だとしか言ってなかったんでしょ?」
「それは依頼人が女性だったからだと思うわ。前の屋敷で変死したのも全員男だったし、今日だって横島くんをまっすぐに狙っていたし。男に対して、強い憎悪と怒りを持っていたんでしょうね……」
「あの部屋、女の部屋だったのか。読み間違えた。なんてこった……ぐえ」
 不届きな発言をする横島を締めたあたしを一瞥し、美神は続ける。
「ま、なんにせよ浄化したことだし、ゆっくりと眠れるでしょ。さ、今日の仕事は終わり、解散」
 美神の言葉におキヌ達は立ち上がった。それぞれ思い思いに移動する。おキヌは宿題があるからと自室へ。タマモはきつねうどんを食べてくると外へと。そしてシロは横島に散歩をねだりに。
「せんせ、せんせ! お散歩行くでござるよ!」
「いや、ちょっと待て。今日はさ、こいつがいるから……」
 時刻はもうすぐ夕方だ。散歩に行く時間ぐらいはあるが、横島はあたしを指し示して断ろうとする。
 そこに美神が声を掛けてきた。
「構わないから行ってきなさいよ。その蛇はここに置いてけばいいでしょ」
 椅子に座って書類整理をしながらの言葉に、横島は戸惑った。
「え!? でも……」
「その代わり一時間ぐらいで戻ってきなさい」
「え!? 一時間でござるか……」
 今度はシロが不満そうな顔を浮かべる。一時間って、結構長い気がするが。
「嫌なの? というか、あたしの言うことが聞けないわけ?」
 美神に睨まれ、二人は慌ててこくこくと頷いた。
「じゃ、じゃあ行ってくるか。なあ、シロ」
「わ、わあい。一時間もせんせーと散歩でござるぅ」
 わざとらしく笑いながら、二人は顔を見合わせる。そして扉へと踵を返して、美神に止められた。
「だから。その蛇置いてけってば」
「は、はい。そうでした」
 横島はあたしを首から外すと、美神の机の上にそっと置く。
「ちょっと待っててくれよな」
 指先で頬を撫でられ、あたしはその指をちろりと舐めることで返事とした。
 横島は何度か振り返りながらも、シロと共に扉の向こうに姿を消す。
 程なくして、外から横島の悲鳴が聞こえた。
「速い、止まれ、引きずるなーーーーっ!!」
 ……馬鹿犬、か。
 思わず瞑目していると、美神が手にしていた書類を置いた気配がした。
 目を開き窺うと、美神がじっとあたしを見ている。その目には敵意でも殺意でもなく、ただ深い光が宿っていた。
「やっと二人きりね」
 美神は椅子から立ち上がると、机の上に腰を下ろした。ちょうどあたしの隣だ。窓から差し込む日の光が美神の顔を照らしていた。
「もうすぐ夕方ね。日が赤みを帯びる時間。あたしが一番嫌いな時間」
 日が沈む時間を逢魔ヶ刻という。世界に闇が混じり、この世あらざる存在が現れる時間。故に、魔に逢う時間と古来より言われている。
 この言葉はGSとしては当然の言葉だが、美神令子としては不適切のような気がした。悪霊をしばいて金を稼ぐのが大好きだと思っていたからだ。
 そんなあたしの視線に気づいたのか、美神は首を振る。
「違うわよ。この時間はね、あたしが最も惨めになる時間なのよ。……横島くんに振られた時のことを、思い出すからね」
 深い憂いの表情を浮かべた美神に、あたしは心底驚いた。耳を疑うとは今この時の為にある言葉だろう。
 よりにもよって、美神が横島に振られた!?
「結構、あんた顔に出るわね。言葉がわかっている事が丸わかりよ……」
 美神に指摘されたあたしは、慌てて落としていた顎を元に戻した。すました表情で明後日の方向を見るあたしに、美神の視線が突き刺さる。
 そして次の美神の言葉に、あたしは再度驚かされた。
「あんたさ……魔族よね」
 反射的に振り向くと、美神が面白そうに笑っていた。
「……今日屋敷で横島くんをかばったでしょ。あの時に発した霊波に魔力が混ざっていたわよ」
 あの一瞬で気づかれたのか……。
 あたしが驚いていると、美神は肩を竦めてみせた。
「もっとも、最初からそれと知ってなければ気が付かなかったかもしれないけどね。……この屋敷に張られている結界はね、今は魔族限定にしてあるの。この事務所にも妖怪が増えてきたからね……」
 以前はある程度強力な力を持っているか、或いは敵意を持つ人外に限定していたという。しかしあの二人の力ではもうその結界に引っかかってしまう為、限定条件を変えたらしい。
 つまり、ここに来た時からあたしが魔族であることには気づかれていたわけだ。道理で最初美神の視線に冷たいものが混じっていたわけだ。横島に何らかの意図があって近づく魔族……。誰だって警戒する。
「あんたさ、女よね」
 確認するように美神が聞いてきた。前後の脈略もなければ、その問いになんの意図があるのかもわからない。
 あたしが反応を示さないでいると、美神は細い棒のようなものを取り出した。
 そして呟くように言う。
「プロービング法、って言ったっけ。排泄口に棒を突っ込んで雌雄判別する方法……。素人がやるにはとても危険らしいけど……」
 ちらり、とあたしを見る美神に、あたしがあわてて首を縦に振りまくったのは言うまでもない。
 美神は大きく溜息をついた。
「やっぱり、そうか。何となくそんな気がしたのよね」
 美神は窓の外へと視線を向けた。段々と赤みを帯びてくる太陽を見ながら、呟くように言う。
「ルシオラって娘がいたのよ。横島くんの元恋人。そして、今でも横島くんの思い人」
 いきなりルシオラのことを美神は語り始めた。
 相変わらず何故そんなことを言い出すのかわからないが、好都合であることは間違いない。それを知りたくて、あたしはここへ来たのだから。
「魔族であるあんたなら知ってるだろうけど、以前アシュタロスって魔神が暴れてね。その時に横島くんは重傷を負って、ルシオラはそのダメージを肩代わりしたの。横島くんに自分の霊気構造を大量に注ぎ込むことで、ね」
 魔族は霊体が皮をかぶったような存在だ。霊気がつまった風船のようなものだと考えても構わない。つまり霊気構造というのは、風船をふくらませている空気に相当する。それを大量に抜いてしまえば、風船はその形を維持できない。
 何故これまでルシオラの存在を感じなかったのか、あたしの中に理解が広がる。その可能性が全く浮かんでこなかったのは、何故かそんなことはないと無意識に思っていたからだろうか……。
「ルシオラは、死んだわ」
 あたしの予想通りの言葉を、美神は口にした。その顔には憂いの表情が浮かんでいる。
「でもね、ルシオラには復活のチャンスがあった。彼女は魔族だからね。横島くんの中にある霊気構造を元に魂を再構成すれば、生き返ることが出来る。そして再構成の方法として、横島くんの子供として転生させるという方法が考えられたわ」
 横島は人間だ。元々譲渡されたものとはいえ、一度自分の中に定着した霊気構造を取り出す事は不可能だ。おそらく魂の原型を保てなくなってしまう。だから子供として転生させる方法が考えられたのだろう。
「でもね、ここに落とし穴があった。いくら転生させればいいと言っても、母胎にだって制限があったのよ。すなわち……胎内で霊気構造の結合を行うことが出来、かつ転生するルシオラの力に耐えることができなければならない……。人間には、無理よね。だからあたしも振られたの」
 こっちから告白してやったのに……。そう美神は呟いて、苦い笑みを浮かべた。しかし横島の行動は当然ともいえるものだ。
 胎内で霊気構造を結合させることまでは、GSである美神ならばできるかもしれない。しかし転生したルシオラの魔族としての霊圧に、人間である美神の身体は耐えられないだろう。結果、母子共に死ぬことになる。それを承知していれば、横島は美神の思いに応えるわけにはいかなかったはずだ。
「日が、沈むわね……」
 窓の外を見ると、美神の言葉通り、沈み往く夕日が見えた。
「夕日の時間を、ルシオラは好んだらしいわ。世界が昼から夜に変わる、まさに一瞬の隙間。最初彼女達は寿命が一年しかなかったから、自分と重ね合わせていたのかもしれないわね……」
 そしてその短い寿命を全うすることも出来ず、ルシオラは死んだ。……横島の為に。
 その時の横島の悲しみは、いかばかりであっただろう。
「なんで、あたしがこんな事をしゃべったか、わかる?」
 振り向いた美神は、あたしの目をじっと見た。まるであたしの心を覗き込むかのように……。
「答えは簡単。あんたが横島くんに好意を持っているように見えたからよ。そして魔族であるあんたが人の姿を取ることが出来て、そして人との間に子供を成すことが出来ると知っているからよ」
 あたしの心臓が、一度大きく鳴った。
「屋敷であんた達と別れた後、あたしはすぐに引き返してあんた達を見てたのよ。あたしがいないところであんたがどういう態度を取るのか、それを見たかったから。あんたは、横島くんを悪霊から身を挺して守ろうとしたわね……」
 確かにあの時、あたしは横島をかばった。何も考えず必死に悪霊を威嚇した。失いたくなかったからだと、今ならわかる。
 ……横島が無事だったことに安堵の息をついたことを、あたしは今更のように思い出していた。
「あんたが横島くんに対して女としての感情があるのか、それはあたしにはわからない。でも横島くんのことを大切に思っていることは、あのときにわかった。……だから話したの。今横島くんの一番近くにいる魔族は、あんただと思ったから」
 あたしは美神から顔をそらすと、机の上に視線を落とした。頭の中では、ぐるぐると様々な事が思い浮かんでは消えていた。横島のこと、ルシオラのこと。そして、美神の言葉が意図すること……。
「どうするかは、あんた次第よ」
 そう言い残して、美神は部屋から出て行った。
 一人残されたあたしは、美神の机の上、ずっとぐるぐると考え続けていた。
 気が付くと、夕日は完全に消えていた。


 その夜。
 あたしは段ボール箱から首を伸ばして寝息を立てる横島を見ていた。へとへとに疲れているのか、その眠りは深いようだ。それが昼間の仕事のためか、はたまたシロとの散歩のせいなのかはわからない。……後者のような気が多分にするが。
 事務所でのことが頭から離れなかった。美神がなんの意図であんな話をしたのか、あたしにはもうわかっていた。あたしが能力を持っている為だ。
 そう、ルシオラを転生させることが出来るという、能力をだ。
 美神の憂いに満ちた顔を思い出す。昔やり合った時の美神は傲岸不遜、唯我独尊といったイメージだったが、その面影は全くなかった。あの顔は横島を想い、横島の幸せを想い、しかしどうにも出来ない自分に歯がみをしている顔だった。
 美神はあたしにルシオラのことを話した。初対面であるはずのあたしに、それは本来話すような内容ではなかった。それでも話してくれたのは、自分の想いを越えて、ルシオラ復活への希望を託す為だろう。あたしが魔族であり、そして横島に好意を持っていると思ったから美神は話したのだ。
 あたしは段ボールから出て横島に近づくと、その顔を尾っぽで軽くぴしぴしと叩いた。 それでも横島に起きる気配はなかった。相変わらず少年のような寝顔で眠っている。
 この横島にあたしは助けられた。命だけでなく心も救ってくれた。初めてあたしの居場所になってくれた。怯えることなく安心して眠れる場所となってくれた。誰からも疎まれた自分を、横島は抱きしめてくれたのだ。
 幸せというものがどんなものか、教えてくれた。……感謝している。
 もしルシオラが復活したら横島は喜ぶだろうか。だったら、あたしはルシオラを産んでも構わない。二度と人化せず一介の蛇として暮らすつもりだったが、致し方あるまい。……横島の為だ。
 暗闇の中、あたしの身体が蠢いた。か細かった身体が肥大し、肉体から剥離されるように手が現れ、足が伸び、鱗は消えて滑らかな肌がなだらかな曲線を描く。最後に髪が腰まで伸びて、変化は終了した。
 ほんの一呼吸で、あたしは人の姿になっていた。横島の部屋で休養を重ねてきた成果といえる。本来の力とは比べるべくもないが、これくらいなら今のあたしでも可能だ。
 このまま横島を襲い、子種を宿し、そしてルシオラを産む。
 あたしの喉がごくりと鳴った。柄にもなく緊張している。よく考えると、こんなふうに男と肌を重ねようとしたことは生まれてこの方、ない。
 ふいに今朝見た夢のことを思い出した。横島と肌を重ねていた夢。寝覚めが最悪だったあの夢。
 横島の意識がない方がまだ良いかもしれない。ルシオラの名前を呼ばれるよりは、眠っている相手を襲った方が気は楽だ。毒を体内調合して、横島に飲まそう。朝まで目が覚めないような奴を。
「借りを返すよ横島……。いや、恩かな?」
 小さく呟き、あたしは横島の身体をまたごうとして、ふと気づいた。
「あれ?」
 なんだか、思っていたよりもずっと身体が小さい気がする。横島をまたぐこともできないなんて、どれだけ足が短いのだ?
 あたしは視線を自分の身体に落とした。そこには滑らかな肌が、なだらかに曲線を描いている。
「……なだらか?」
 あたしは思わず自分の胸を手で掴んだ。……手応え無し。
 腰に手をおく。……くびれってなんだっけ。
 お尻を撫でてみた。……貧相この上ない。
 あたしは慌てて自分の身体を確認していく。手もちっちゃいし、爪もちっちゃい。足もちっちゃいし短い。考えてみると横島の身体が腰の位置にあるっておかしいだろ。
「………」
 あたしは呆然と自分の身体を見ていた。
 少女だった。誰がなんと言おうと、少女だった。横島の子供を産むことはおろか、交わることさえできるかどうかわからない、幼女であった。
「んー」
「っっ!!」
 いきなり寝返りを打った横島に、あたしは驚いて飛び上がった。そのまま段ボールの中に避難する。しゃがむとほとんど身体が隠れてしまうが、それでもはみ出た部分で誰かがいるのはわかってしまうだろう。目を覚ますとは思えないが、念のためあたしは人化を解いて蛇の姿に戻った。
 しばし呆然とするが、何が起こったかはなんとなく理解できている。おそらく霊力が足りずに大人の姿になれなかったのだろう。ここへ来て一ヶ月以上経つというのに、何という体たらくだろうか。回復が遅いにも程がある。
 あたしはそうっと横島を覗いた。先ほど寝返りを打った横島は、それ以降は静かに眠っている。起きる気配はない。
 よかった……。あたしは大きく息を吐いた。先ほどの姿を万が一にも見られていたら、あたしはどうすればいいのかわからない。意を決しての行動だったのに、空回りしてしまったことが恥ずかしいやら情けないやら……。
 しかし、先ほど考えたことは勢いでも血迷ったわけでもない。あたしがそうしよう、そうしたいと感じたから、そうしようとしただけだ。結果としては出来なかったとはいえ、あたしの気持ちに嘘はない。
 あたしは、ルシオラを産む。それが横島の為になるのなら、あたしはそうする。そう決めたから、そうする。
 これからどれだけの時間、横島のそばにいるのかわからない。しかし子供を産める程に力を取り戻し、成長した身体で変化が出来るようになったら、あたしは目的を達する為行動する。
 これは誓いだ。横島への恩と、美神の想いにあたしは誓う。
 あたしは横島をじっと見つめた。瞬きもせず、じっと。
(横島、だからそれまでは……あたしをここに、置いてくれるかい?)
 終わりの時間がいつになるのかはわからない。
 でもそれまでは。
(あんたと一緒に、いていいかい……?)
 暗がりの中、あたしはじっと横島を見つめていた。
 飽きることなく、ずっと見つめていた……。


 あとがき

 お久しぶりです。テイルです。
 大分お待たせ致しました。難産でした。
 お楽しみ頂ければ幸いです。

 次回はどうするか!!
 何も思いついていない!!
 電波よ、来たれ!!
 取りあえず自分が楽しめるような感じのもんで!!(おい)
 とにかく、どんどん大人しくなっていく蛇姉様の今後はいかに!
 本当に極悪魔族だったのか、姉様。
 面影はもはや無し……。

 では、次回に。


>レティシア様
 続ける方向に持っていきました。
 次のネタが浮かぶかどうか結構不安ですw
 事務所のメンバーを掘り下げるか?
 いやいやもしくは、さらに別の所から……ぶつぶつ。 


>皇 翠輝様
 出来れば続ける方向で頑張ります。
 でも次のネタが全くありませんw
 小隆起様にでもお越し頂くか……? うーむ。
 ん? 誤字? そうだっけ……。

>SS様
 続けるっす。
 でも別作品に浮気をする可能性もあるかも。
 単発で何か書こうかな……。

>ncro様
 対立=修羅場。
 私にそれを書く実力があるかが問題ですな。
 いや、書いてみようかなーという思いはあるのですよ。
 ほほほほ。
 ……ほ。

>読石様
 美神嬢は蛇姉様が魔族であることには気づいておりました。
 タマモは割食ってただけですw

>空牙様
 ルシオラの為。横島の為。
 そう考えながら本音がちらほら……といった感じに受け取ってもらえれば僥倖にござる。

>あきら様
 看病イベント。
 ……うむ。

>偽バルタン様
 事務所の面々と今後どう絡ませていくか。
 最大の難問かもしれませんな……。
 だって、下手すると食われるもん……キャラが。
 あの娘達、個性強すぎw

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