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「スランプ・オーバーズ!17(GS+オリジナル)」

竜の庵 (2007-01-21 18:01)
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 …段々コツが掴めてきた。

 冥子は物言わぬ地蔵を前に、自分の手足の具合を確認しながらそう感じていた。

 「今日こそ最後まで〜…」

 妙神山修行も今日で二週間。
 やっている事と言えば基本知識のお浚いと、この地蔵押しばかりだ。
 並んで別の地蔵を押しているおキヌは、いつも顔を真っ赤にして最後には倒れてしまう。いつもひたむきで、挫けたり弱音を吐いたりしない彼女が、冥子にはとても眩しく映る。
 今も彼女は酸欠状態に陥って倒れ、チリの看護を日陰で受けていた。

 (まずは〜…深呼吸して〜)

 呼吸の重要性。小竜姫は体術のみならず、頭を使う前にも必ず深呼吸して酸素の補給、新しい空気を体内に循環させよと冥子に教えた。その一手間の差、余裕の差が必要な場に於いて死活を分ける、と。
 冥子は大きな深呼吸を数回繰り返し、体内の空気を入れ替える。新鮮な酸素が隅々まで行渡るのをイメージする。
 イメージ、という作業も方々で語られているように重要だ。出来るイメージ。強いイメージ。勝つイメージ…
 呼吸もイメージも、意識すればするほどに不自然に力が入るものだ。幻想や空想妄想の類でも、脳に負荷は掛かる。だが、イメージが現実に近づけば近づくほどに負荷は減っていき、負荷そのものが消えた瞬間、想像は現実となる。
 地蔵をゴール地点、約50メートルの先まで押し切るイメージ。
 冥子は地蔵の両肩に絆創膏だらけの掌を当てると、腰を落とし目を閉じた。

 (もしも今日出来たら〜…令子ちゃんが遊んでくれる〜…褒めてくれる〜…!)

 教えられた初日では、絶対に叶わないと思っていたイメージが、今はとても近いところにある。負荷が、減っている。

 「ん〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」

 最初の一歩。
 ごり、と音がして地蔵が身じろぎする。全力が乗った証拠だ。
 冥子の足は地面を噛んでじりじりと前へ歩を進めていく。

 「んんんん〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」

 一生懸命、必死、がむしゃら…言葉面は冥子の努力を肯定しているように見える。でもその実、言い訳でもあった。
 地蔵は勢いを増して後ずさっていく。

 「んんんんんんんんんん〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」

 全力という言葉は、文字通りの乾坤一擲…安易に使っては自分の限界を低く決め付けてしまう、強い言霊を持つ。
 30メートルを越え、冥子の顔から汗が噴出す。

 「んんんんん〜〜〜ーーーーーーーーーーーーっ!!!!」

 冥子は純粋で素直で、言葉の深意を読んだりはしない。方法さえ教われば、愚直とも見える姿勢でもってそれを繰り返し行い、吸収する。
 40メートル。心臓の音と岩が地面を削る音しか、冥子の耳には聞こえていない。


 「んんんんんんんああーーーーーーーーーーーーーー…
へぷっ!!??」


 がくん、と地蔵が硬い手応えと共に急停止した。両手が衝撃で滑り、地蔵に抱きつく形で冥子は額をぶつけてしまう。痛みを感じる余裕は、一瞬後に訪れた全身の倦怠感に駆逐されて麻痺。
 止めていた呼吸が意図しない形で再開され、盛大に咽てしまう。地蔵に凭れ掛かった全身はそれこそ地蔵のように重くてだるい。

 「はあっはあっはあっはあっ………………」

 無垢は染まりやすく、着いた色は落とし難い。
 冥子はただひたすらに要領が悪かっただけだ。環境が邪魔していただけだ。
 正しく想いをもって、一つ事に集中して行動すれば…

 「おめでとうございます、冥子さん。己が全力、出し切ったようですね」

 くらくらする頭の上から降ってきた優しい声は、小竜姫のものだった。
 地蔵は、彼女の足元から伸びている白線の外へと押し出されていた。
 50メートル。
 冥子はおキヌより一足先に、ゴールを迎えられたのだ。

 「さて、では早速次の段階へ入りましょう冥子さん」

 「〜〜〜〜!!」

 ゴールした喜びもへったくれも無い。
 碌にまだ声も出せない冥子が、涙目と口パクで抗議しようとするも、清々しい笑顔の小竜姫は全く取り合わずに懐から巾着袋を取り出した。この間、冥子が渡したものだ。

 「少々微調整に時間を取られてしまって…渡すのが遅くなりましたが」

 巾着の口を緩め、中身を冥子の手に優しく零す。純白の柔らかな繊維を束ねた、そんな手触りの紐を編み込んだ先に、あのブローチが下がっていた。

 「ペンダントになってる〜………可愛いわ〜」

 「その紐は竜神の装具にも用いられる、とても丈夫な繊維から出来ています。胸飾り単品では心許なかったので少しだけ加工してその形に。冥子さん、どうぞ着けてみて下さい」

 ペンダントトップにするには大きめだったが、まだだるさが残る腕で首に通してみると、不思議なほどその重さは感じなかった。丁度鎖骨の下辺りにブローチがくる。

 「うわあ、何だか…とってもいい感じ〜。小竜姫様、これって〜…」

 ブローチを手にとってにこにこと眺めていた冥子を、宝石の中央に開いた金色の瞳が見返していた。


 「へ?」


 ばっちり目が合った。ぎょろり、もしくは…くわっ、と。


 「ふえ、わ、きゃああああああああああああああああ!?」


 疲弊しきっていた体と精神に、その不意打ちのショックは殊の外効いたようで。


 「何か憑いてる〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!!」


 ひっさびさに、冥子はパニックに陥り悲鳴を上げるのだった。


             スランプ・オーバーズ! 17

                    「心眼」


 美神美智恵は今日もオカルトGメン日本支部の所長室で、執務に追われていた。
 きっちり整理整頓されているのが当たり前の室内に、今は書類の束がそこかしこに積まれ息苦しい様相を呈している。
 日本支部の建物は元々あった雑居ビルを改装したもので、空調設備等は昔のまま、今ひとつ信頼性に薄い。所長室の換気扇は予算の関係もあって、やけに音が煩かった。

 「美神隊長、報告書をお持ちしました」

 ノックの音は大きめに。
 美智恵は部下にそう伝えてあった。多少煩わしくても、仕事に夢中になって気付かないのよりはずっとマシだから、と。

 「どうぞー」

 「失礼します」

 ドアを開けて入ってきたのは警察署内では少し浮いて見える、学生服姿の青年だった。
 美智恵は顔を上げてあら、と意外そうな表情をした。

 「ピート君? なーに、西条君ったら貴方にこんなことまでさせてるわけ?」

 金髪碧眼、多少照れた様子のバンパイアハーフ、ピエトロ=ド=ブラドー…通称ピートは苦笑しながら執務机の前まで歩み寄り、ファイリングされた報告書を差し出した。

 「西条先輩はとんぼ返りでまた現場へと向かいましたから…僕は定時なので解放されました」

 「スーツから詰襟に着替えても、あんまり大差ないんじゃないの? ああ、ついでに報告も任されたのね。上手く逃げたもんだわー…可愛くない」

 ストレスと過労で自慢の長髪から艶が無くなっている、と愚痴っていた上司の事を思い出し、ピートは内心で十字を切った。ストレスも過労も、人手不足の現状では軽減する術はないし、目の前の女傑が使える人材を無駄に遊ばせておく訳も無い。
 西条はこれからも全国を走り回ることだろう。
 主に笑顔の美智恵の命によって。アーメン。

 「じゃ、報告を聞きましょうか。確か令子からの通報の件で調査に行ってたのよね?」

 「はい。例の陰陽の帳という誘霊結界の違法配置について、先輩と共に調査していました。予想以上の大事になりそうですよ」

 オカルトアイテムに限らず、霊的設備の使用には厳重な注意と責務、義務がついて回る。
 民間に出回っている緊急用の簡易結界札や、安物の破魔札程度なら罪に問われないが、自ら霊と接触し、何らかのアクションを起こそうとした場合…前述の責任が発生する。
 オカルト関連法案、特に元人間の悪霊を対象とした法律は、アシュタロス事変後に厳しく改正され、償いにかかる時間は以前の比では無くなった。
 それを受けてオカルトGメンの取り締まりも強化され、厄珍堂のようなオカルトショップへも販売についてのモラル改善を求める文書を送付したり、学校や幼稚園で職員が指導に当たったりと…忙しさは増すばかりだ。

 「きらめき動物園で回収した要石…関東地区に限っても、それと同種の装置が16箇所に渡って発見されています。どれもきらめき動物園と同様の人里離れた閉鎖施設に、です」

 バブルの時代を槍玉に挙げなくとも、全国には採算が取れなくなって赤字閉鎖した施設がごまんとある。自治体主導で建設したものもあれば、民間企業が手放して荒廃したものも。
 西条の調査は的を的確に射抜いていたようで、要石の配置された施設は芋づる式に出るわ出るわの大賑わい。帳によって集められた悪霊の除霊に民間のGSやGCの手も借り、勿論西条やピートも現場で陣頭指揮を取って。

 「中には、悪霊の群れに一体だけ飛びぬけて強い妖怪が囚われているケースもあって、恐らくは美神さん…えっと、お隣さんの方ですけど…」

 「ふふ、何だったら私の事は美智恵って呼んでも構わないわよー?」

 「い、いえそんな!?」

 悪戯っぽく笑う美智恵は、なるほど『あの』令子の母なんだなー、と…冷や汗をかいたピートは思う。自分と父・ブラドー伯爵の関係が歪なだけに、美神親子の健全な相似具合が羨ましい。

 「…続けます。美神さんやGCの通報内容にあった、カオスチルドレン、虎妖と同じようなものかと思われます」

 「カオスチルドレンは全くの偶然だったみたいだから、本命は虎妖の方ね。誰が何の目的で結界内に放置したのか」

 「報告書にも記載があるので後で目を通しておいてほしいのですが、それについては先輩が推論を立てています。…あれは、蟲毒の呪法の一種、もしくは亜種なのではないか、と」

 蟲毒。
 毒をもった生物同士を、土中に埋めた壷のような密閉した空間内で共食いさせ、最後の一匹を毒そのもの…毒と呪いの塊と化す禍々しき呪法にして外法。
 現代でもそのような術を執り行う呪術師の類は、オカルト業界の陰の部分に存在する。Gメンでも過去に逮捕した経験はあった。

 「蟲毒ね…帳の特性を考慮すれば、出来なくもないことだけど。西条君は、中にいた強い一個体が蟲毒によって誕生したものだと?」

 「蟲毒の呪法を応用した術者独自の妖物強化術とか…外法には違いありませんが」

 「厄介ねー…あの手の呪いは相当な知識と経験が無いと成功しない。それを更に独自に術式を重ねて発動させられるとなったら…犯人は小笠原さんクラスの使い手かも」

 その名を聞いて、ピートの全身に鳥肌が立つ。指先がひくひくと引き攣り、喉がからからに渇いて唇が干乾びる。何かトラウマにでも触れたようだ。

 「えええええエミさんです、か、かか?」

 「…? どうしたのピート君? 顔色悪いわよー? まるでサキュバスに精気でも吸われちゃったみたい」

 びきっ。
 ピートの全身が硬直した。
 目が凄まじい勢いで泳ぐ。それはもう、イ〇ン=〇ープも真っ青な泳ぎっぷり。

 「ぼぼっぼぼぼ、僕はこれで失礼します! 報告書は確かにお届けしましたバンパイア・ミストおおおっ!!」

 美智恵の目の前で、顔面蒼白のピートの体が弾けて霧と化し、突風のような勢いでばたばたと煩い換気扇から飛び出していった。

 「………彼も大変ねー。どれどれ」

 ピートとエミの間に何があったのかは知らないけれど、エミが少し大胆に迫ったとかそんなとこだろう。ピートの部屋に先回りして結界張ってじわじわと追い詰めたとか。
 報告書のファイルを手に取り、美智恵はしみじみと呟く。

 「ピート君も大人の仲間入りかー…」

 バンパイアハーフの実年齢はともかく。
 初心な男の子のこれからを思い、美智恵はくすくすと楽しそうに笑った。
 そりゃもう、楽しそうに。


 …夜空を舞う謎の霧から、まだ大丈夫まだ平気まだ僕は清いと呟く声が聞こえる、と通行人からオカGに通報があったのは別の話である。


 「心眼〜?」

 「そうです。怖くないですから出てきなさい…猫ですか貴女は」

 小竜姫達の住む屋敷の一室、冥子とおキヌに充てられた部屋は6畳の簡素な佇まいの和室だった。
 冥子が悲鳴を上げて逃げ出した先がまさしくこの部屋で、しかも押入れの中だったのを小竜姫が突き止めたのは、ブローチを渡して10分後のこと。霊気を探っても探知出来ず、おキヌの助言に頼ったものなのが、ちょっぴり竜神のプライドに傷をつけたりつけなかったり。

 「貴女のサポート用に私が竜気を込めたものです。以前横島さんにも渡したことがありましたよ」

 「あ〜〜〜…思い出した〜、横島君のGS試験の時の〜?」

 押入れの中、積んである布団の間に潜り込んでいた冥子は、横島のバンダナの事をぺかっと思い出してもぞもぞと這い出してきた。襖を開けると、腰に手を当てた小竜姫のコワい笑顔が現れる。

 「…小竜姫様怒ってる〜……」

 「呆れているのです! 驚くとは思いましたが逃げ出すのは想定の範囲外でしたよっ! 貴女は今までどんな悪霊や妖怪と戦ってきたのですか! 外見の恐ろしいものなど幾らでも相手してきたでしょう!?」

 「あうううううう…やっぱり怒ってるし〜〜…」

 布団に這い戻ろうとした首根っこを掴んで引きずり出し、小竜姫は冥子を正座させて改めてブローチを手渡した。さっきは全力で投げ捨てられたので。こんなところで修行の成果を発揮されても困る。

 「体が全力を出す苦痛に慣れたところで、貴女の修行を進めます。この心眼は、今後の修行において貴女のパートナーとなるものです」

 恐る恐る受け取ったブローチの中心には、依然として心眼が開いて冥子を不気味に見つめている。何を言うでもなく、訴えるでもない無機質なその瞳がやはり怖い。

 「でも〜…この子、何にも喋らないんですけど〜…」

 「それはそうです。まだこの心眼には個性を与えていません。心眼の器を形成したのみですから」

 「器〜…?」

 「ここに、今から」

 小竜姫は巾着袋から、ミチガエールの薬瓶を取り出す。随分と量が減っているようだ。

 「冥子さんの心格を移植します」

 正座して自分と向き合う小竜姫の表情は、至って真面目だ。冥子は形にならない疑問を声にならない声で噴出しそうになって、口を金魚のように開閉させる。

 「順を追って説明しますから、そのままで。あ、そうだ…ええと、宮下さん! 宮下さん!」

 ハテナマーク乱舞中の冥子を一旦制して、小竜姫は修行見学のために逗留中の一般人、宮下健二の名を呼んだ。
 暫くして、足音がこちらへ近づいてくる。

 「お呼びでしょーか、小竜姫様」

 「宮下さん。申し訳ありませんが、冥子さんにお茶を一杯頂けませんか? 老師様が貴方の淹れるお茶が美味しいと言っていたのを思い出して…」

 部屋の障子を開けて現れたエプロン姿の健二は、そのお願いにひどく嬉しそうな顔を一瞬浮かべ…はっと思い直すように首を振って仏頂面になり、けれどやっぱり嬉しそうな様子を崩しきれない…ツンデレのような反応を見せて、口の端を力無く吊り上げた。

 「…りょーかいしました。小竜姫様の分もお淹れしますねー…少々お待ち下さーい…………エプロンが普段着になってる俺は一体何をしにここに来たんだっけねー?」

 ぶつくさとぼやきながら、健二は厨房へと歩いていった。

 「心格の切り離しは、美神さんからの手紙でお願いされたことです。彼女は冥子さん、貴女の事を本当に心配しておられますよ」

 「令子ちゃんが………」

 美神の手紙には、冥子が心格と交代したがっている旨、性根を叩き直してやってほしいという檄、心格が自分をモデルとしている事実…そんな内容が彼女らしい強い筆圧で書かれていた。

 文面から滲み出るのは、冥子を大切にしているという想い。

 親友を苦しみから救ってやりたいという願い。

 直接的な文章で、冥子が困っているから助けてくれとは記されていない。遠回りに曖昧に、あくまで冥子を妙神山で修行させるための紹介状のような体裁を保ちつつ、言いたい事を行間から訴えてきていた。

 「美神さんがこの手紙を記している様子が、目に浮かぶようです。きっと、苦虫を噛み潰したような顔で…柄じゃないなと思いながら、書かれていたと思いますよ」

 愛情を見せることにとても臆病な美神を、小竜姫はまるで子ども扱いだ。
 目をうるうるさせて感動している冥子とは、これはこれで釣り合いが取れているものなのかも…コドモ大人同士で。
 会うべくして遭う必然、美神と冥子は親友となる定めなのですね、と小竜姫は納得する。

 「失礼しまー。すっかり竈の使い方にも慣れた俺のお茶が入りましたよーう…」

 「有難うございます、宮下さん。お茶汲みなんかさせてしまって恐縮です」

 「いーんですよ。どーせ梓と違って俺には見て得るものとか学ぶものはほっとんどありませんからー…筋トレくらいしかしてませんしー」

 自嘲気味に投げやりに、でもお盆に置かれた急須のお湯は理想的な温度。気持ちとは裏腹に美味しいお茶の淹れ方が熟練していく健二は、目の色がどんよりとしていた。

 「ではこれでー。さーて梓が見学してるのを更に見学して自分の存在価値について脳内会議に耽ろうかなーなんちゃってーあはーはーはー」

 自分を見失いかけている健二に、どう声を掛けたものかと思案している内、ふらりんと彼は去っていった。最近の健二は厨房か老師の部屋のどちらかにいる事が多いので、その内面白いお話でもしに行ってあげよう。
 冥子は自分なりに慰めの仕方を考え、可哀想な青年を見送った。

 「では改めて、心格の移植作業を行います。まずは冥子さん、これを飲んで下さい」

 「ミチガエールをですか〜? 分かりました〜」

 小竜姫に促され、冥子は躊躇い無く錠剤を一粒、健二のお茶で流し込んだ。霊気の変化に敏感な者なら、項垂れた冥子の霊気が一瞬だけ乱れたのが分かるだろう。当然、小竜姫もその変化を見て取っている。
 ややもせず頭を上げた冥子からは、今までの和やかな雰囲気は窺えず、代わりに落ち着いた凪いだ海のような気配が漂ってきた。心格冥子の顕現は、極めて平和に行われるようだ。

 「お久しぶりです、小竜姫様。私、てっきりもう出番はないと思っていましたわ」

 少しだけ首を傾げて微笑む心格冥子に、小竜姫も微笑みつつ首を振る。

 「貴女には大事な役目がありますよ。冥子さんのためを思うなら、是非協力して下さい」

 正座している膝の上に置かれたブローチを示して、小竜姫は言葉を切る。
 冥子はブローチに現れている瞳と見つめ合い…直ぐに小柄な竜神様に視線を戻して、彼女の表情からある事実を汲み取る。

 分かってしまう。

 自分が何を冥子に教えられるのか…小竜姫が敢えて冥子には伝えず、自分の顕現まで顔色をも押し殺していたのか。

 「お受けします、小竜姫様。私は今後…心眼として冥子ちゃんの力になります」

 「……良いのですね? そうなったら…」

 「お待ち下さい。中で、冥子ちゃんも聞いていますから…元より我が身は冥子ちゃんの理想から生まれた幻。心眼として形を与えられ、彼女をサポートする事が可能となるなら、是非もありませんわ」

 「……分かりました。では我が竜気と合一し、六道冥子を補佐する心眼としての役目、貴女にお願いします」

 お互い、色々な言葉を…思いを省略したやり取りだった。心格冥子の覚悟と、覚悟を強いる小竜姫の意志と。
 小竜姫は巾着から手紙に同封されていた文珠一つをそっと取り出す。

 「私の能力だけでは、心格の移植は完全には出来ません。けれど、美神さんはそれを見越して文珠を提供してくれました。大した方ですね、あの人は本当に…」

 実際に提供しているのは横島だが、それはそれ。

 (…しかし、手紙の方法が可能だとすると、この文珠…また一つ進化しているのではないだろうか。無形に至る…進化を)

 「どうかしましたか、小竜姫様?」

 「…いいえ。では冥子さん、この文珠を握っていて下さい」

 イメージした通りの文字が浮かび上がった文珠を、冥子は言われた通りに右手で握り込んだ。
 雑念を払った小竜姫は目は閉じて厳かに祝詞じみた言葉を唱え始める。


 「六道冥子が意識の海より弾けし飛沫なる者よ。我が竜気宿りし新しき器へその身を『移』し、主・六道冥子の第三の目、第二の心、第一の友となりて顕れ出でよ」


 小竜姫の全身から竜気が立ち昇り、冥子の体へと吸い込まれる。瞳が自然と閉じられ、冥子の右手の中から文珠の光が洩れ出す。
 心眼の宿ったブローチに竜気と冥子の霊気が絡み合うように吸い込まれ、文珠の発光が収まるのと同じくして、開いていた心眼がゆっくり閉じられ、消えていった。

 「……あ、あら〜? 小竜姫様、終わったんですか〜?」

 目をしばしばさせながら、冥子は特に変わった様子の無い自分とブローチを見て尋ねた。ミチガエールを服用して数分もせずに元に戻ったため、なんとなく意識がふわふわして落ち着かない。

 「ええ。心眼、調子はどうですか?」

 細く長い息を吐いてから、小竜姫は目を開くと穏やかにブローチへ語りかけた。
 冥子の喉がごっくんと鳴る中、再び心眼が緩やかに開いていく。開き方を確認しながらのような、おずおずとした開眼だ。

 「………はい、思ったよりも快適ですね。こんにちは、冥子ちゃん。こうしてお話出来るなんてとっても嬉しいわ」

 聞きなれない女性の声が、室内に響く。声の出所はまさしくブローチで、その雰囲気は心格冥子そのものだ。
 目をまん丸に開いた冥子が、おっかなびっくりブローチを手に取り、瞬きを繰り返す心眼と視線を交わす。

 「貴女なの〜…? ふわあ……」

 「改めて自己紹介するわね。私は『心眼』。冥子ちゃんをびしばし鍛えるために身を別った…貴女の分身よ」

 すうっと細められた心眼は、確かに笑っているように見えて…冥子もこれまでとは違う心眼の雰囲気に、釣られて笑みを返す。

 「冥子さん。今後の修行は心眼と共に受けてもらいます。元々は貴女の一部、式神を制御する段階に於いて、心眼ほど心強いパートナーはいません。次の段階の修行では、心眼と共に…十二神将と戦って頂きます」


 「ふぇえええええええええええええええええええっ!?」


 思わず、心眼が驚いて目を閉じるくらいの大声で冥子は叫んだ。それはそうだろう。十二神将と戦うなんて、言うなれば兄弟と戦うようなものだ。

 「初めに言ったでしょう? 貴女と式神の間に、過剰に築かれてしまった絆を一旦白紙に戻す、と」

 国内最高峰の修行場管理人の眼差しに戻った小竜姫は、異議を認めぬ強い口調で繰り返し、少し温くなった自分のお茶を啜った。あ、美味しい。
 一方の冥子はもう、涙腺が決壊寸前である。抗議しようにも、頭の中がぐちゃぐちゃで良い言葉が思い浮かばない。小竜姫が意地悪で言っているのではないことも理解している。
 真に必要な修行しか、彼女はしない。この二週間でそれはいやと言うほど分かったつもりだ。
 そして手心を加えることも、一旦口に出した内容を撤回する人物でもない。
 やると言ったからには、絶対実行される…冥子は、十二神将と、家族と戦わされる。

 「大丈夫よ、冥子ちゃん。今まで貴女と十二神将が過ごしてきた時間を無にするわけじゃないから。あくまで霊的な意味合いよ? でしょう、小竜姫様」

 「六道家の式神使いと式神の在り方は、以前にも学んだように異質です。切り離すといっても霊力供給のチャンネルと不完全なシンクロ部分…この辺りしか手を出せません。強引に引き剥がしてしまえば、双方の魂に大きな傷が刻まれるでしょう」

 そこまで鬼じゃありませんよ、と小竜姫は目元を柔らかくして冥子の肩に手を置く。

 「じゃ、じゃあ〜…その修行中も、私と皆はお友達のまま〜?」

 「心の繋がりを断ち切ることなど、誰にも出来よう筈がありません」

 例え神族の最高指導者であっても、触れてはいけない部分がある。
 絆とは、縁とは…そういうものだから。『そういうもの』としか、誰にも表現出来ないものだから。
 小竜姫は実例を知るからこそ、胸を張って断言できる。

 「絆とは、例え…前世で死別した恋人達であっても今生での出会いを引き寄せる、それほどに強い力があるのですから」

 小竜姫はお喋り好きで口の軽い親友から聞いて、その顛末を知っている。上辺の情報以上に確かな、少しだけ、少しだけ羨ましいと思えるほどに奇跡的で必然的な物語を。
 あらゆる障害を超えて、今この世で共にいる一組の男女の事を。

 「冥子さんにも、いずれ分かる時が来るでしょう。今はその功罪を知りなさい。そうすれば修行を終えて下山したとき、真の絆というものの存在を実感出来るはずです」

 「だから頑張りましょう。冥子ちゃん? 私もついてるし、ね?」

 「うう…………もっと仲良くなれるのなら、私頑張る〜…痛いのも辛いのも我慢する〜…」

 俯いて必死に泣くのを我慢する冥子は、でも強くなっている。誰よりも幼かった精神は、幼かった故に伸び易い。
 小竜姫は冥子が目に見えて成長していく様を間近で見られて、満足げに頷いた。
 彼女ならきっと、自分が課す鬼で地獄で情け容赦の無い魔界の友人でもきっと裸足で逃げ出すか土下座で勘弁して下さいと懇願するような特訓でも…きっとやり遂げる、と確信を抱く。

 「………なんか〜…小竜姫様の背後に卓袱台を返すおじさまの姿が見えたわ〜…」

 「……私も口の悪い某軍曹の姿が…」


 小竜姫の醸し出す体育会系オーラに、生唾を飲み込む冥子&心眼だった。


 「あ、そうだ〜。ねえねえ、貴女の名前、心眼ちゃんじゃ可愛くないから〜」

 「な、名前?」

 「うん〜! 心の目だから、『ころめちゃん』って呼ぶわね〜♪ これからよろしくね〜ころめちゃ〜ん!」

 「……………うん。まあ、頑張る。頑張って慣れてみせる…頑張れ私…っ!」


 深夜。
 オカルトGメン所長室ではぼさぼさの長髪、濃い無精ひげがデフォルトになりつつある西条輝彦と、美智恵とが一枚の写真を挟んでしかめっ面を突き合わせていた。

 「…はい。要石の裏に刻んであったのは、間違いなく『魔填楼』の刻印でした。厄珍堂にも確認を取りましたし、彼の持っていた過去の資料とも照合しました」

 「魔填楼だなんて…懐かしい名前ね。まだ営業していたとは知らなかったわ」

 「…ロンドンにいた頃、手配書で名を見たことがあります。オカルトの暗闇を知り尽くす、流浪の商人…」

 「帳を生み、何かをしでかそうとしているのが魔填楼なら…蟲毒紛いの呪術を用いる手法も出来て当然だわ。いえ、温いくらいね」

 「それより、問題は…」

 「ええ…いなくなった、とは聞いていたのだけれど。まさかね」

 机の上に置かれたピントの甘い一枚の写真。
 西条が指揮を執って進めていた、東京都に程近い場所に張ってあった帳の除去作業中…雇っていた民間GSの男性が何者かに襲われて負傷した。
 それは陰の側に集められた悪霊でも、速攻で西条の手によって片付けられていた強化妖物の仕業でもなく。

 「そのGSの仲間が辛うじて写真に収めた犯人の姿が…はあ…私、またあの子達に嫌われちゃうかも…」

 美智恵はこれから自分が行わなければならない責務を思い、胃痛を覚えた。

 「…保護者は、彼女ですから。…覚悟を決めましょう。我々は泥を被ってなんぼの仕事です」

 「憂鬱だわーーー……」


 美智恵が机に肘を突いた拍子に舞い上がり、西条の足元に落ちたその写真には。


 銀髪をたなびかせ、青白い霊波の刀を振るう少女の姿が収められていた。


 つづく


 後書き

 竜の庵です。
 というわけで、心眼が正解でした。別に問題は出してませんが。冥子には試練が取敢えず十二回待ってます、と書くと某英霊の宝具みたいですね。試練全てを詳しく描写する字数は無いでしょうから、ちょっと悩み中。
 公僕も働いてます。謎っぽい相手もまた出します。次章への伏線も張ります。いっぱいいっぱいです。あっぷあっぷとも言います。


 ではレス返しを。


 カシム様
 暴走のメカニズムは、冥子パニック>パニックに煽られて十二神将出現>十二神将出現による霊力の過剰流出がパニックによって暴発、暴走>どかーん。こんな感じかなと思っています。作者の解釈では、あくまで霊力の暴走は副次的な産物。ならば、と思うところもあって…冥子の修行はある方向へ向かっております。ダメージのフィードバックも解決出来る方法を何とか。
 おキヌのスタイルは、客観じゃなくてあくまで主観による本人の感想なんだと思われますよ。一番身近にいる女性は美神ですし…嫌でも比べてしまうだろうし、想い人のちちしりふともも発言だって、おキヌに向けられたことってないでしょうから。やっぱり意識するのでは。細かな差にも敏感。それがおキヌクオリティ。
 一月中にもう一本更新出来るかなー…みかんでも食べながらお待ちを。健康にはお互い留意しましょー。


 内海一弘様
 聞けば聞くほど怒りが増すと思いますので、健二を問い詰めるのは無しの方向で! 一般的な新婚家庭みたいなもんをイメージしてもらえれば…あれ? 火に油?
 カオスの研究はGC全体でも重要な位置にあります。柊財閥の力も使って、全面的に秘匿されているので調査はとても大変。洩れている情報の大半はカオス自身が美神に語ったものという、叩かれる上司の典型ですな。
 カオスの思惑とロディマスの思惑の違い、ですよね? 途中まで〜というのは。出てくるのはまだまだ先の予定ですが。
 ブローチは心眼でした。面白くもなんともないな! でも冥子編構想の最初段階からあったのでー…心眼ありきの物語なのです。如何でしたでしょうか。


 柳野雫様
 そういえば小鳩出してないなあ…と。出番を考えていたのです。短編では書きましたが、どうにも絡むタイミングが無くて。貧にしても同様。バトルとは無縁の造形がされているキャラなので、どたばたやってる中に放り込むのはちょっと気が引ける…
 実際、貧が本気出したら国くらい傾くのかも…美神が恐れるのも頷けます。
 妙神山組の修行は、ようやく中盤が見えてきたというところです。態と時間軸を曖昧にして下界組と温度差をつけてますが、分かり辛いですね。美神&横島の二人だけの除霊風景もどこかに挿入したいけれど…
 チリは歯に絹を着せない物言いが段々露骨になってきてます…事務所の空気に侵食じゃない影響を受け始めているようです。馴染んできている、とも。


 スケベビッチ・オンナスキー様
 健二は苦労人のはずなのに、何故か憎まれたり嫌われたり…おかしいですね?
 冥子というか、六道家の除霊術はとにかく十二神将の強さが全てなのでしょう。霊力が強ければ強いほど式神は強大になるだろうし、術者の体力不足を霊力で補う典型というか、極端な例が六道家では。走り込むくらいなら、脳トレやってろみたいな。その手法のツケが、今現れているのですが。
 美神と横島…一言、冴えません。散々中学生の恋愛とか揶揄される両人ですが、ルシオラ問題や前世での関わりなど、ディープ過ぎて収拾の付け方が思いつかないっ。今しばらくうじうじうじうじしててもらいます。
 小鳩は掛け値無しでチャンピオンかー…異論は無いな!
 シロタマ。忘れてはいませんということが、今回で分かってもらえたでしょうか? もうしばらくお待ちを。


 以上レス返しでした。皆様有難うございました。


 次回、冥子&ころめが十二神将に挑みます。今回ぶっ倒れてただけのおキヌも、また元気に地蔵を押すでしょう。
 そろそろ見学組は退場かなー…


 ではこの辺で。最後までお読みいただき、有難うございました!

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