美智恵はまず横島たちに呼び出しの電話をかけた後、彼らが来るまでの時間で装備を用意した。
彼女自身は精霊石弾バズーカ、令子に大型霊体ボウガンなどである。このバズーカは1発当たり10億円は下らないという非常に高価な兵器だが、こんな時にこそがんがん使うべきだろう。
移動手段はヘリコプターだ。渋滞に巻き込まれる恐れはないし、犬飼の凶行現場を空から捜すこともできる。
乗っているのは美智恵・令子・横島・小竜姫・シロ・冥子・魔鈴・ピート・雪之丞の9人だ。定員がパイロット込みでちょうど10人の大型ヘリなので、冥子や魔鈴に自前で飛んでもらう必要はなかった。
「ごめんなさいね、突然呼び出してしまって」
と美智恵が横島・ピート・魔鈴に軽く頭を下げた。怪獣出現の報告は来ていないから犬飼はまだフェンリルになっていないはずだが、しかし事態は一刻を争うのだ。学校や料理店の終業時刻を待ってなどいられない。
「いえ、気にしないで下さい。フェンリルが攻めて来たらお店どころじゃありませんし」
魔鈴が代表してそう答える。確かに店をいきなり閉めるのは営業に悪影響があるのだが、1度仕事を引き受けたからには仕方のないことと割り切っていた。
「それよりどんな作戦でいくんですか?」
「はい。こちらの人数が多いので、二手に分けようと思います」
横島と小竜姫が前衛として八房を止める役になり、その後ろから美智恵と令子が飛び道具で倒す、というのが基本的な構図である。そして空を飛べる魔鈴・ピート・雪之丞が上から牽制と逃亡の阻止に当たり、冥子とシロは地上組のサポートという配置だった。
「ただ接触する前に逃げられると面倒なので、横島クンとシロさんは最初は六道さんの影の中に入っていてもらおうと考えています」
こうすると最初に地上から犬飼に接触するのは美智恵・令子・冥子・小竜姫の4人になる。このくらいなら犬飼も戦わずに逃げ出すような事はしないだろう。まったく、彼に超嗅覚がなければこんなややこしい真似をしなくてすむのだが。
「そうねぇ……狼のクセに木こりに走るよーなチキン相手じゃ仕方ないか」
腕組みして聞いていた令子が渋い顔ながらも同意する。この作戦だと出会い頭の1発がちょっと怖いのだが、まあ1回だけなら自分の神通鞭と小竜姫の剣で何とか防げるだろう。
シロが複雑な表情を浮かべたが、令子はもちろんスルーした。
「その後は横島クン。あんたが盾なんだから、しっかりがんばるのよ」
「な、何か美神さんに言われるとすっごく不当なことのよーな気がする……」
横島が前衛で八房の霊波刃を止める役、というのは非常に真っ当な戦術で、美智恵に言われた時は別に何とも思わなかったのに何故だろう……?
「何言ってんの。あんたのその、小竜気全身装着、だっけ? それだったら八房くらっても平気なんだから当然じゃない」
魔装術で耐えられたのだから、小竜気でも耐えられるだろう。カリンを呼ぶよりこの方が安全かも知れない。だが横島はここで、最初に「不当だ」と感じたワケを理解した。
「じゃあ美神さんも一緒にやって下さいよ。俺にできるんですから、美神さんだってできるでしょ!?」
横島が小竜気を会得した淵源(えんげん)は、妙神山で小竜姫の波動を受けたことである。令子も同じことをしてもらったのだから、元丁稚の横島にできて元女王様の彼女にできないはずがない。
だが令子はあっけらかんと、
「私はそんな器用なことできないわよ。影法師も出せないし」
「じゃあ俺が手取り足取りへぐっ!?」
性懲りもなくルパ○ダイブを決行した横島だが、令子のハイヒールのかかとであっさり迎撃された。
「横島クン、ヘリの中で騒ぐのは止めなさい」
「ハ、ハイ……」
美智恵の注意はまことにもっともである。横島は蹴られる直前に一瞬だけ見えた赤い布の映像を心のHDDに保存してから、ゆっくりと意識を手放した。
日が沈みかけて、月がよく見えるようになった。その光を見上げながら、犬飼は飽きもせず自然破壊にいそしんでいた。
満月にはまだ遠いが、フェンリルの覚醒はもうすぐだ。
植物の霊気を吸収する、という発想は実は初めからあった。ただ肉食動物である狼にとってはあまり美味しいものではないし、消化に時間がかかる。むやみに樹を切るのは狼の住み処を減らす行為だし、何より狩人らしくないということで却下していたのだ。
フェンリルへの先祖帰りは人狼族に自由と野性を取り戻すことであると同時に、狼の住み処を奪ってきた人間たちへの復讐でもある。だからこそ、わざわざ人間の街へ出て辻斬りをしていたのだ。
吸血鬼と出会ったり八房を奪われたりしていたせいで忘れていたが、初めからこうしていれば良かったと思う。
ただまあ、まだ明るいのにそんなことをしていれば上空からはすぐ発見されるわけで。犬飼は気配が4つほど近づいて来るのに気づいた。
その内の3つが知った臭いである事に犬飼は驚いたが、逃げようとは思わなかった。3人とも高レベルの霊能者だったから、彼女たちの霊力を奪えばこの場でフェンリルになれるに違いないのだ。あれから大量の霊力を吸収して強くなったし八房もあるから、負ける恐れなどまったくなかった。
木立ちが少なく戦いやすい所に移動して、4人が到着するのを待つ。
やがてお互いの姿が目で確認できるところまで近づいた。
「くくく……こんな所まで拙者を捜しに来たのかな?」
「これが……犬飼!?」
先頭の小竜姫がその異様な姿に息を飲んだ。
犬飼はもう人間の姿をしていなかった。狼が二足歩行しているような感じで、野性のエネルギーが全身からはちきれそうになっている。これはもうフェンリルになる寸前だろう。
「六道さん、横島クンとシロさんを!!」
美智恵も本来なら何がしかの口上を述べねばならないのだが、もはやそんな余裕はなかった。間に合ったのはいいが、これほどのパワーを持った化け物が相手では、さっさと戦力を揃えないとやられてしまう。
「は、はい〜〜〜!」
冥子がこくこく頷きながら、自分の影の中から横島とシロを解放し、ついでにインダラとアンチラも出動させた。同時に横島がカリンを呼び出す。
「……! お、おまえ、シロなのか!? それに貴様たちは……!」
何もない地面から最も避けたいと思っていた3人(+α)が飛び出してきたのに犬飼が驚いて目を丸くする。その隙にシロが1歩前に出て、犬飼に人差し指を突きつけた。
ここで吶喊する気はないが、せめてひと言怒りをぶつけるくらいは許されるだろう。
「犬飼ーーーっ! 身勝手な野望のために拙者の父を、無関係の人たちを大勢殺したあげく、狼の家である森まで食い散らすとは。もはや狼の誇りも武士の矜持も捨てたでござるか!!」
シロは里を抜け出した頃は人間のことは何とも思っていなかった、というか森を破壊してきた連中として反感さえ持っていたが、ここ1週間の美智恵や「小山竜姫」たちとの接触の中で認識を大いに改めていた。森のことより先に言及したのがその表れである。
少なくともここにいる8人は、シロにとってすでに仲間だった。
「だ、黙れ! 狼族に自由と野性を取り戻すことこそ拙者のジャスティス、そのためには手段など選ばぬ」
犬飼はシロの糾弾にそう怒鳴り返したが、多少なりとも動揺はしたのか、言葉遣いが一部変になっていた。
「と、とにかく! 貴様らが何人ガン首そろえようと、今の拙者の敵ではないわ。死ぬがいい!」
話はここまでだ、と言わんばかりに犬飼が思い切り八房を振り下ろす。前と形は同じ、しかし速さと霊力は段違いの霊波刃が小竜姫たちを襲った。
「くっ、速い!」
横島とカリンはとっさに2人がかりで金縛りの術を使ったが、それでも霊波刃は止まらない。しかしスピードはかなり遅くなったので、小竜姫の木刀とアンチラの耳の刃で何とか打ち払うことができた。
「かなり強くなっているな、これでは前と同じ手は使えないか」
とカリンが犬飼の成長ぶりに眉をしかめた。
美智恵以外のメンバーは犬飼と1度やり合っているので、ある程度手の内を知られている。横島とカリンの戦法は特に警戒しているだろうから、お札を投げたら委細構わずこちら側に霊波刃を飛ばしてくるに違いない。そうなったら突進するどころか、身を守ることさえ怪しくなる。
「こ、これが八房……!?」
その後ろで、霊波刃を見るのは初めての美智恵と令子が青ざめていた。この威力と連射性能をもってすれば、精霊石弾やボウガンの矢を迎撃するなど容易だろう。
さらにその後ろの冥子とシロは言葉もなかった。冥子の役目はアンチラで前衛をサポートしつつ、隙を見てインダラに体当たりさせる事なのだが、特攻させる勇気などとても出ない。シロに至っては自分の未熟霊波刀とのあまりの落差に愕然としていた。
「くくく、どうやら受けるのが精一杯のようだな……」
一方の犬飼は余裕綽々である。
何も一太刀で勝たなくてもいいのだ。この調子で攻め続けていれば、いずれ美智恵たちは霊波刃を防ぎそこなって倒れるのだから。
傷は癒えたし霊力はあり余っている、しかも時刻はこれから夜になるところ。急ぐ理由はどこにもなかった。
「ふんっ!」
犬飼が鋭い気合とともに再び八房を振るう。横島たちは先ほどと同じやり方で防いだが、後衛組は反撃の糸口を見出すことはできなかった。犬飼は人を見下した態度を取ってはいても、油断まではしていないらしい。
しかし美智恵はあせったりしなかった。こういう時のために別働隊を用意しておいたのである。
「……強いですね、犬飼さん」
上空から戦いの様子を見下ろしていた魔鈴は驚嘆を禁じ得なかった。いかに人狼族がフェンリルの末裔とはいえ、あの美神親子に横島と冥子までいて押されっ放しとは。
雪之丞がまったく同感といった風に頷く。
「だな。迂闊に接近戦挑んだらナマスにされかねねえ。
気は進まんが、いつだったかあいつが力説してた戦法でいくしかねえようだな。たしか『チョウのよーに舞い、ゴキブリのよーに逃げる』だったっけか?」
要するに一撃離脱戦法だ。3人で順番にやればそれほど消耗はしないだろう。
他に良策もない魔鈴とピートが頷いて賛成の意を示すと、雪之丞は言いだしっぺの義務とばかりに飛び出した。犬飼の背後から近づいて射程距離ぎりぎりに入ったところで、お得意の連続霊波砲を放つ。
「ぐうっ!?」
10発近い霊波弾を背中と脚に食らった犬飼が衝撃でよろめいた。いかに人狼の感覚が鋭くても、前方の敵に集中しているところへ後ろ、それも上空からの狙撃に気づけるわけがない。
それでも何とか足を前に出して踏ん張り、美智恵たちへの警戒は維持したまま、顔だけを後ろに向ける。が、卑怯な攻撃者はとうの昔に八房の射程外に退避していた。
雪之丞は空を飛ぶスピードは別働隊の3人の中で1番遅いのだが、今回は霊波砲を撃った反動をそのまま後方への推進力として利用することで、必要十分な離脱速度を実現したのである。
「おのれ、あやつら……」
犬飼が怒りに顔をゆがめた。ダメージは大した事ないのだが、不意打ちをまともに食らったということ自体に腹が立つ。たった4人で勝てるつもりかと思っていたのに、それが実は総勢の半分以下だったとは。
そしてここで最も早く行動に移ったのは、ついさっきまで憔悴していたシロだった。まず横に跳んで美智恵たちから3mほど離れてから、大声で父の仇に呼びかける。
「犬飼、覚悟ーーっ!!」
叫ぶと同時に霊波刀を出した右手を大きく振り上げ、ついで野球のピッチャーのようなモーションで振り下ろした。水色の刃が手から離れ、犬飼めがけて飛んでいく。
「何っ、霊波刀を投げただと!?」
意外な攻撃に目をみはった犬飼だが、人狼の剣士である彼に見切れない速さではなかった。人間の基準でいえば超豪速球と言っていいそれを、軽く体をひねるだけでかわす。
だがその直後、肩口に長い矢がぶすりと突き刺さった。
「うぐっ!? く、まさかおまえがそんな手を使うとは」
と犬飼が低いうめきを漏らす。
シロがわざわざ叫んだのは不意打ちを潔しとしなかったのではなく、自分に注意を向ける、つまり令子たちから注意をそらすためだったのだ。
ガキのくせに小癪なマネを、とさっそく報復しようとした犬飼だったが、その目に今度は美智恵がバズーカの引き金をひくのが映った。
霊波刃を繰り出すのは間に合わない。犬飼は剣士のサガでとっさに八房で受けたが、それがいけなかった。
精霊石の砲弾は鋼の刃をたやすく砕き、ほとんど同じ速さのまま犬飼の胸板を強打した。
「やったわ!」
美智恵と令子の歓声が重なる。
八房が折れるところが確かに見えた。吹っ飛ばされた犬飼のケガが致命傷でなかったとしても、フェンリルになるどころか霊波刃を出すことすらできなくなったのだからもはや恐れるに足りない。
しかし美智恵は他のメンバーが近づこうとするのを手で止めた。犬飼は刀は失ったが、まだ強靭な四肢と牙が残っているのだ。
それより費用はかかるが飛び道具を使った方が安全である。美智恵は犬飼が体を起こした所を狙って、2発目の精霊石弾を発射した。
「がふっ!」
再び吹っ飛ばされた犬飼の体は、地面をはねるように転がったあと木の幹にぶつかってようやく止まった。人間なら、いや人狼でも骨が砕けるような痛撃を2発も食らってまだ生きていたのは、ひとえにこの6日間に霊力をかき集め修業も積んでいたおかげである。
だが傷は深かった。もう1発受ければ終わりだろう。
「くそ……ここまで来て、こんなところで死ぬというのか!?」
誇り高い狼が人間から逃げるような真似をして、植物をエサにするという狩人の風上にも置けぬ手段を使って、ようやく覚醒直前にまでなったというのに。野望の実現はもう目の前だというのに、ここで屈辱を抱いたまま朽ち果てるのが己の運命だったというのか!?
「―――そんなことは断じて認めん! 何が何でも、拙者は狼王になってみせる!! ウォオオオオオォォォーーーーッ!!」
倒れたままの犬飼の体からメキメキと木が折れる時のような音がひびく。やがてその全身が急速に膨らみ始めた。
「グオーーーッ!!!」
犬飼が月を見上げて凄まじい遠吠えをあげる。
そこにいたのはもはやただの人狼ではなく、恐竜なみの巨大な体躯を誇る伝説の魔狼であった。
「犬飼……あれだけの傷を負っていながら、むりやりフェンリルに化けたというのですか」
小竜姫が信じがたげな面持ちで呟いた。もう立てまいと思っていたのに、何という精神力、何という執念か。ただ元々霊力が十分でなかった上にダメージが深かったせいか、エネルギー不足はかなり深刻なようだが……。
「な、何だあれ、怪獣じゃねーか!」
「きゃ〜〜〜、怪獣よ〜〜〜。逃げなきゃ〜〜〜」
横島と冥子はすっかり錯乱していた。とりあえず横島にはカリンが、冥子には令子がそれぞれ叱りつけて黙らせる。
(……これは私たちの手には負えないわね)
美智恵もさすがにこの怪物に勝てるとは思わなかった。
犬飼が化けたフェンリルは体長30m、肩高15mほどもある。体重は見た目通りなら15トンくらいになるだろう。まがい物とはいえGSや機動隊にどうにかできる相手ではない。
それでも倒す方法はあった。小竜姫が封印を解けば対抗できると思うし、ここでなら自衛隊の攻撃ヘリも使える。
だが小竜姫に封印を解く気配がない所を見ると、今の状況では出来ないのだろう。一方自衛隊の防衛出動は首相の命令が必要だから、当然すぐには来られない。
とにかくここはいったん距離を取って、応援の要請と地元住民の避難に当たるのが最善の策だと思われた。
「総員、撤退!」
と指示を出しつつ、自分は殿軍役としてバズーカを構えた美智恵だったが、そこで人数が少し減っていることに気がついた。
「あら、横島クンは?」
「横島どのなら犬飼に睨まれて逃げて行ったでござるが……」
隣にいたシロがぽつりと答える。フェンリルはよほど飢えているらしく、「腹減ったぁーっ!」と叫びながら美智恵たちの方に顔を向けたのだが、横島は運悪く(?)そのとき目が合ってしまったのだ。
横島もずいぶんと強くなったが基本的には弱気な性格だから、大怪獣に目をつけられたと思って反射的に脱兎してしまったのである。
「しかしすごい健脚でござった。里の足自慢でもあんなに速くはないでござるよ」
シロ自身は美智恵の護衛として残っていたが、横島の臆病さをそしるつもりはないようだ。あまりにも素直な行動だったので、いっそ清々しく見えたらしい。
「……そう。まあ、別にいいんだけどね」
美智恵は3発目の精霊石弾をフェンリルの顔面めがけてぶっ放しながら、憮然とした表情でそう言った。
逃げるという判断自体は間違っていないから文句をつける気はないが、仲間を置き去りにして1人でというのは男としてどうかと思う。
もっとも美智恵も死ぬ気で殿軍をしているのではない。彼女の後ろには冥子に借りたインダラがスタンバイしていて、弾を撃ち尽くしたらこれに乗って脱出するつもりでいるのだ。シロは自前の脚でどうにかなるだろうし。
「ああ、何てもったいない……」
とひどく悲しげな声をあげたのは、冥子といっしょにシンダラの背中に乗っている令子である。1発10億円もする砲弾を足止めのためだけに使うなんて、他人の金でも腸がねじれそうなほど口惜しい。
小竜姫はこんなことではまだ封印を解けないので、角の姿になって令子のポケットの中に入っていた。この期に及んでまだお金のことが頭から離れない守銭奴美人に苦言を呈する。
「美神さん、そんなこと言ってないで早く役所に連絡を!」
「わ、分かってるわよ」
その時間を稼ぐために美智恵が残っていることくらい、令子にもよく分かっている。ポケットから携帯電話を取り出して、
「あーもう、役場の電話番号なんて知らないわよ! って圏外じゃない。冥子、こーなったら早いとこ山のふもとまで降りなさい!」
「は、は〜〜〜い」
シンダラが高度を上げて木々の上まで飛びあがり、本格的に加速して戦場を離脱した。
さて、いち早く魔狼から遁走していた横島と、彼に手を引っ張られてきたカリンの方であるが。
「こら横島、おまえ1人だけ逃げてどうする。恥ずかしくないのか!?」
「だってあのバケモン、俺とおまえをつけ狙ってるんやぞ!? 他にどーせいっちゅーんじゃ」
「そ、それはそうだが……」
相手は体格も霊力もケタ違いの怪獣だ。カリンとしても横島の命が1番大事だから、勝つ当てもないのに戦えとは言えなかった。
「それにそのうち自衛隊のヘリとか来るんだろ? 俺たちばっか無理しなくてもいーやんか」
ヘリの中で美智恵がそんなことを言っていた。もっとも要請するのはこれからなので、具体的にいつ頃来るかは分からないのだけれど。
だからカリンはそれを当てにするのは間違いだと思った。
「確かに自衛隊が来ればフェンリルは倒せるかも知れんが、支部長殿たちは助からないぞ」
カリンは美智恵が撤退を指示した声は聞こえなかったから、彼女たちはフェンリルと戦うつもりでいるものと思っている。仮に退却する気になったとしても、あの巨獣から全員が逃げ切るのは難しいだろう。
「そ、それはそーだけど……でも俺たちが戻ってどーにかなるのか?」
横島は今の状況にどこかデジャヴを感じつつ、その時と似たようなことを訊ねた。
「方法は……ある。おまえ次第だが……」
カリンからかえってきた返事も、何だか聞き覚えがある感じではあった。フェンリルを倒す方法があるというのは正直言って信じがたかったが、なぜかカリンはそれをはっきり言おうとはしなかった。
「もしかしてすごくヤバい作戦なのか?」
「……ああ」
押し問答している時間などないというのにカリンが言いよどんでいるのは、横島の言う通り、非常に危険度の高い方法だからである。
彼女が以前から考えていて、今それが可能だと判断したその方法とは、自分からフェンリルの口の中に突っ込んで、内側からのどや脳を斬り破ることである。どれほど強靭な生物でも体内からの攻撃には弱いし、反撃の手段もなかろう。
ただし飛び込む時にフェンリルの牙に咬まれれば即死である。まことに危険な賭けだが、勝率を上げる方法はあった。
メドーサの時にも使った、横島の煩悩パワーによる加速である。逆に手加減が要るぐらいのスピードを出せるだろう。
ただ問題はこの方法は無償ではなく、代価としてしかるべき生贄を捧げねばならないことだった。タマモがいれば問題ないのだが、今は唐巣教会で療養中だ。
となると自然の流れとして生贄はカリン自身ということになるが、浮気をそそのかすのは人(?)としていかがなものか。
まあ横島も命を賭けるのだからそれなりの報酬は欲しいだろうが、それを言うならカリンは命を賭けたあげく好きにされてしまうわけで、割に合わないにも程がある。
しかし迷っている時間はないし、今さら撤回するわけにもいかない。カリンは仕方なく顔を上げると本体にその作戦を説明して、
「―――というわけだ。どうする? 横島」
と判断を委ねてしまった。
「どうするって、お、俺が決めるのか?」
決断を迫られた横島が頭を抱えたが、カリンの飛行スピードは横島のテンションに左右されるのだから仕方がない。
小竜姫や令子を見捨てたくはないが、自分の命ももちろん惜しい。かと言って恋人に無断で勝手なことは決められないし、カリンもヤらせてくれるつもりはなさそうだ。
困り果てた横島がふと下を見ると、カリンがじっとすがるような眼で自分を見上げていた。
その視線が「煩悩抜きで自分の力を引き出してくれ」と言っているのは明らかだった。何かを覚悟しているようにも見えたが、横島はそれには触れずに、
「あーもー、分かったよ! よーするに普通に気合入れりゃいーんだろ!?」
なかばヤケっぱちでそう叫んだ。
横島の霊力源は煩悩であるが、それだけというわけでもない。ブラドーと戦ったときは、恋人を傷つけられた「怒り」だけで霊力を引き出せたのだから。今回はそれを「半身の願いをかなえるため」にやればいいだけのことだ。
あんまり自信はないけれど。
「横島……!」
カリンの顔がぱぁぁっと明るくなる。口だけではなく、霊力もちゃんと上がっているのが分かったからだ。
だがその直後、少女の笑顔はびしりと凍りついた。
「んでもって……妄想ッ!!!」
横島の叫びと同時に、何やら異様にねっとりした視線がカリンの胸と腰の辺りにまとわりつく。霊体であるはずのカリンの全身にぞわぞわと鳥肌が立った。
「やめんか変態ーーーっ!!」
条件反射で放たれた強烈な右ストレートが煩悩魔人の顔面にめり込む。吹っ飛んで木の幹に叩きつけられた横島が抗議の声をあげた。
「何しやがる、霊力上げねーと咬まれて死んじまうんだろ!?」
「やかましい、もういいからしばらくそこで寝ていろ! ただし霊力が下がったらおまえの言う通り狼のエサだからそのつもりでな」
「鬼かおまえはーーーっ!」
と言ってから気がついたが、カリンの頭にはそれっぽい角が2本生えているではないか。経過からいって竜の角だと思っていたが、本当は鬼の角なのでは……?
「うるさい!」
「ぶっ!」
横島は内心を声に出してしまっていたらしく、カリンに小石を投げつけられて鼻血を吹いた。
「では行ってくる。後は頼んだぞ」
「鬼ー! 悪魔ー! せめて乳揉ませろーーっ!」
その声に答える者はいなかった。
カリンがフェンリルの霊波を頼りに戦場に戻ってみると、戦っているのはインダラに乗った美智恵1人きりだった。
ピートたち別働隊の姿もないが、彼らも退却したのだろう。上空から遠目に見ても魔狼のパワーは圧倒的に強大だから、賢明な判断だと思う。
なのに美智恵が1人残っているのは、ふもとの村の住人が避難する時間を稼ぐためだった。飢えた狼は樹木よりは人間を食べたがるだろうから。
「しっかしタフね、このバズーカが足止めにしかならないなんて」
フェンリルの眼の下から発射されてきた霊波ビームをかわしつつ、美智恵はそんなことをぼやいた。最高の装備を必要なだけ投入できるといっても、好きに無駄遣いして良いというわけではない。いや人命を守るためだから決して無駄ではないのだけれど。
犬飼はフェンリルになりたてで、まだその巨体に慣れていないから動きはちぐはぐである。だからこそ乗馬の経験のない美智恵でもかわしていられるのだが、そろそろ弾がなくなってきた。残弾ゼロになる前に自分も退くべきだろう。
「グオオオオッ、逃げるな人間ーーー!」
「……っと、危ない危ない」
体ごと飛びかかってきたフェンリルの顎にバズーカを撃ち込みつつ、インダラを駆って横に避ける。神話では下顎が弱点だったのだが、鉄靴ならぬ精霊石弾では決定打にはならないらしい。多少体勢を崩す効果はあったが……。
「支部長殿も1人でよく頑張っているな。あの人は横島を何度もかばってくれたし、そろそろ行くか……」
カリンは2人の戦いをじっとみつめていたが、ようやく参加する気になったようだ。チャンスは2度はないだろうから、魔狼の動きをきっちり見極めてからになるのは当然だった。
高度を下げて戦線に加わってきた少女の姿を発見した美智恵と犬飼が驚きに眼をしばたたかせる。
「カリンさん!? あなた、どうして……」
「貴様は! そうか、わざわざ食われに戻って来たか!」
「……ふむ、半分は当たりだな」
カリンはフェンリルの巨体に接近しつつも、律儀にそう答えてやった。犬飼にはその返事の意味はよく分からなかったが、以前八房を奪ってくれた憎い小娘がせっかく近づいてきてくれるのだから、ビームで撃ち落とすよりは腹の足しにしたいところである。
「お預けはなしだ! ひとくちで……!」
「カリンさん、どういうつもり? 下がりなさい!」
フェンリルがぐわっと顎を開けてカリンに躍りかかる。美智恵は少女の無謀な突進を止めようとしたが、もはや間に合いそうもない。
「ここで―――飛び込む!」
巨大な顎がどアップで迫ってくるのはさすがのカリンも怖かったが、怯んでいたら逆にやられてしまう。剣を構えて、全力で急加速した。
そして上下から迫ってくる魔狼の牙を無事やり過ごしたカリンは、犬飼が口を閉じきる前にその舌にデザイアブリンガーを突き刺した。ダメージを与えると同時に、反動をブレーキ代わりにするためだ。
喉頭に体当たりするような形でようやく止まった。少し痛かったが、ここまで来ればもう咬まれる心配はない。
「グギャアァァア!?」
思いもよらぬ深傷を負ったフェンリルが痛みに頭を振り回すが、カリンは彼の喉頭に突き立てた剣を支えにして踏みとどまった。
その動きがゆるんだところで、作戦の第2段階に移る。
「狼の自由と野性のため、か。その望みが悪だとは言わんが……おまえも武士なら、戦場での死は覚悟しているはずだな?」
それとも野生の狼に武士道など関係なく、信じるのは自然の掟だけなのだろうか。いずれにしても、今が多くの命を奪った報いを受けるときだ。
「終わりだ、犬飼!」
カリンは渾身の竜気を剣にこめて、フェンリルの口蓋に斬りつけた。
「ガッ……ギャアアアア!!!」
フェンリルが口から鮮血と唾液をまき散らしながら絶叫をあげる。あまりの痛みに、まともにものを考えることすらできないようだ。もっとも頭がまともに働いていた所で、口腔の内側から脳に移動中の敵を攻撃する方法など考えつけはしなかっただろうが……。
しかしそれも長くは続かなかった。やがて思考中枢、そして生命維持を司る脳幹部分も斬り裂かれて、魔狼は地面にくず折れた。
冷たい土の上に横たわったフェンリルはぴくりとも動かなかったが、しばらくするとその巨体は輪郭さえはっきりしない淡い光の塊になり、湯気のように蒸散して消えていった。
その中からカリンがふうっと息をつきながら飛び出してくる。
「やれやれ、どうにか終わったか。今回は色々と大変だったな」
「カリンさん、あなた……」
美智恵は何と言っていいか迷っているような顔つきだったが、カリンは手のひらを突き出してそれを押しとどめた。
「私は何もしていないぞ。犬飼は無理な変身で自滅しただけだと思う」
とカリンが自分から手柄を棒に振ったのは、今回はそれが大きすぎるからだった。あまり名が売れるのは横島のためにならないし、小竜姫やタマモに迷惑がかかるかも知れない。
「……。そうね、そういう事にしておきましょうか。お疲れさま、カリンさん」
カリンの言葉が事実ではないことくらい美智恵は百も承知していたが、あえて指摘はしなかった。別に何も不都合はないことだし。
「支部長殿もお疲れさまだったな。それじゃ私は横島のところに戻るから、また後で」
「ええ、それじゃまた」
と美智恵は飛び去っていくカリンの後ろ姿を見送ると、八房の残骸をしっかり回収してからその場をあとにしたのだった。
―――つづく。
いつもよりだいぶ長くなりましたが、フェンリルを倒すところまで書きました。後始末とかシロとブラドーの身の振り方とかは次回、来年になりますー。
ではレス返しを。
○whiteangelさん
横島はこのたび生身の人間の力だけでフェンリルを倒すという偉業を果たしました。
と、結果だけを書けば大変立派なのですが(^^;
○KOS-MOSさん
横島の浪漫回路が光って唸れば、たとえ魔狼でも一撃なのですよー。
小竜姫さまは盾役を地道に果たしていたんですが、相変わらず目立ちません。困ったものです(ぉぃ
○逃亡者さん
ここの小竜姫さまは要らない所ばかり高性能なのが売りなので、目を引くような活躍はなかなか出来ません(酷)。
まあシロの師匠としては横島の100倍良いのではないでしょうか。
ブラドーさんは貴族で領土持ってますから、実はお金持ちなんじゃないかと思うのですよw
魔鈴さんは……もともとガチバトル向けな方じゃないですからねぇ○(_ _○) でも活躍は何も戦いの場だけとは限らないのですよー。
>先入観に囚われないアイディアは流石です
や、そういっていただけると嬉しいです。
○零式さん
ブラドーさんの父の威厳……カオスにやられる前はあったんでしょうかねぇ。
>サンポ
横島にとってはラッキーな展開かも(ぉ
>傾国verタマモ
筆者も横島に仏罰を下したいのですが(マテ)、今の横島をシバくには令子や冥子クラスでないと難しいという事情がorz
○ばーばろさん
は、仰るように小竜姫さまはオカGでバイトするのが1番ためになったかも知れませんねぇ。それだけに怖かったのでしょう、きっと。
シロは周りの人が原作のそれより大人な分、より大人な考え方ができるようになったと思っていただければ。
愛子は横タマカップル成立を知りませんからねぇ。でも横島には青春属性がないのが困りものであります。
犬飼は1度は根性を見せましたが、やっぱり鶏ではダメでした<マテ
タマモは教会で神父や雪之丞と一緒にいたのですよー。犬飼が攻めて来たら1番早く気づきますから。
○通りすがりのヘタレさん
犬飼さんの木こり事情は本文の通りであります。
ブラドーさんは結局出番なしでしたが、そのうち再登場してくれるでしょう。
愛子フラグは以前からちょくちょく出てたですよー。単に出番自体が少ないだけで<マテ
○casaさん
プライドでメシは食えませんからねぇ。世の中ほんとにせちがらいであります(違)。
○遊鬼さん
シロは成長したと思っていただければ有り難いです。というか、あのメンツの中でいつまでもストレートにばかりしてられませんし(^^;
>横島君
そう毎回ご褒美もらえるほど世の中甘くないのですw
○minoさん
>シロ
横島と小竜姫さまとどちらに弟子入りするかといえば……まあ当然の選択ですよねぇ。
小竜姫さまも横島やタマモに教えるよりはずっとやりがいあるでしょうしw
>ポチ
目的は手段を浄化するのですよー<超マテ
○ガッツマンさん
はじめまして、一気読みお疲れさまでした。
横タマ分を楽しんでいただければ嬉しいです。
○博仏さん
犬飼さんも頭を使うときは使うのですよー。消臭剤も使ってましたし。
シロの行き先は次回をお待ち下さい。
>美神親子
まったくそんな感じですねぇ。
○LINUSさん
犬飼の策はみなさまの意表をつけたようで、書き手としては大変うれしいです。
○kkhnさん
横島は全力を出せれば今でも令子に勝てるんですが、それが出来ないのが横島の横島たる所以ですから(ぉ
犬飼の草食は質より量という感じですねー。仰る通りフェンリルなんて雑食の極みですしw
彼の言う狼の野性ってどんなものだったんでしょうねぇ。
○読石さん
シロの霊波刀は最終的には横島に師事するより強くなるはずなんですが、まだ弟子入りしたばかりですから。
犬飼は同族を殺したのはシロの父親だけであります。
○内海一弘さん
ブラドーは美神流の元祖を敵に回したのが運の尽きでしたorz
犬飼はいい所まで行ったんですが、やはり己を過信していたようです。
シロは正しい選択をしたと思います(ぉ
○Februaryさん
狼のくせに木こりとは、いろんな面で許しがたいヤツではありますな(ぉ
>ヨコタマエルの鉄拳
そうです、愛はすべてを超えるんです。
○ブレードさん
シロの指導は小竜姫さまの方が上達は早くなると思うんですが、このお話ではとりあえずここまででした。
でも未熟霊波刀でも戦力になる方法はちゃんと考えてあげたのですよー。
○TA phoenixさん
横島の「栄光の手」は練習して会得できるものじゃないですよねぇ。文珠もそうですけど、あれはどう考えてもイカサマです<マテ
シロの場合は普通に修業して上達したわけですのでああいう描写になりました。
パワーアップ犬飼は強いんですが、9対1ではさすがに厳しかったです(^^;
○LoveBoxさん
言われてみればその通りですね。原作のシロは父親を思い出して泣くようなことはしなかったので、意識していなかったのですが。
そういうわけで、文意は変わりませんが修正しました。
それではみなさま良いお年を。