「世界征服とかしてみようと思うんだが。どうだろうアーサー」
「不可能です・マスター」
全ては、その対話から始まった。
スランプ・オーバーズ! 10
「忘却」
『噂に違わぬ・暴虐っぷりだな美神令子…!』
苦虫を噛み潰し、青汁で飲み込んだような声は美神の周囲全ての方向から聞こえていた。
「城攻めなんて外から崩してった方が楽じゃない? わざわざ飛び込む馬鹿がいるかしら?」
こちらは飄々と、人を食った笑顔でのたまう美神。
「あんたが城主? それとも、カオスの馬鹿の代理人かしら」
『マスターを侮辱するか…浅はかなところも・噂どおりだ』
落ち着きを取り戻したらしい声の主は皮肉っぽく揶揄してみせるが、その余裕は美神が笑顔のままで振るった天華の一閃により、再び失われた。
美神と冥子が並び立つ背後にいた横島の頬を掠り、金色の鞭は今しがた潜ったばかりの門へと奔り…繊細な石彫の施された門柱を、木っ端微塵に破砕した。
『貴様っ!!』
「勘違いしないでね? 私達は、マリアに用があって来たの。ここで問答する気は無いわ。ぶっ壊されたくなかったら姿を見せるかマリアを出すかしなさい」
「893や…」
「テレビで見た地上げ、という奴じゃな! おい忠夫、するとお主は鉄砲玉のチンピラ役か?」
「な……否定できん!?」
「横島さん、ショウ様…どーして美神さんに聞こえるように言うんですか?」
「「は!?」」
「キヌ姉様…ボケには突っ込みが必要なのです。いわば、芸人体質ですね」
「チリちゃん。テレビは程々にね?」
「…横島とショウ…事務所帰ったらシバく…いいえ『裁く』から憶えておきなさい」
「「ひいいいっ!?」」
「えっと…お城の方? ほったらかしでごめんなさいねー?」
『…六道冥子。データとは随分印象が違っているようだが・正直有り難いな…』
物事を行う前のイニシエーションの一種、と捉えておこう。アーサーは美神達の余りにマイペースな様子をそう結論付ける。
一人こちらを見て話してくれる冥子の姿に、ちょっとだけ救われる気がした。
「で、どうすんのよ? 大人しくするってんなら、話し合いに応じてあげてもいいわよ?」
『勘違いは・そちらもしている。私は最初から敵対する気などない。…マリアも・君達を中へ案内するよう言っているしな』
「なら出迎えくらい寄越しなさいよ。扉を開ければ入ってくるとでも思ったわけ? んなRPGの世界じゃあるまいに」
「カオスのじいさん、結構様式美に拘りそうっすけどねー」
異界の城、毒の沼、跳ね橋…魔王の居城としては、舞台効果抜群の立地である。訪れるのが本物の勇者なら、戦慄の一つも覚えるところだが。
如何せん、自分たちはもっとすごいものを見ている。南極のバベルの塔然り、月面の月神族の城然り。
『君達が招かれざる客であることに・間違いはない。マリアは・自らの意志でここへと帰ってきたのだからな』
「じゃああの電話は本物のマリアが…?」
おキヌが受けた『もう探すな』という内容の、マリアからの電話。美神は偽者の可能性も高い、と示唆していた。おキヌは電話の声を聞いた当事者だけに、確かめたい気持ちでいっぱいだった。
『…この城は・マリアの家のようなものだ。帰ってきた以上・そちらにいる理由はない。代弁したまでだ』
「なんじゃそれは!? ふざけるでないぞ小童ぁぁっ!!」
『小童? 君には言われたくないな』
アーサーの声は、年若い男のものだ。ショウはずっとそれが気に障っていた。
「オレは200年を生きる付喪神じゃ! 貴様、声から察するにまだガキじゃろう!? しかも大人びた真似で周囲を困らせるマセガキじゃあ!!」
「おおー…ショウ、まるで鏡見て言ってるみたいだなオイ」
「どういう意味じゃクソ丁稚っ!!」
「やめんかガキ共っ!!」
「ごめんなさいねー?」
『…………いや・いい』
「とにかく貴様! さっきから聞いておれば年上の者に向かって暴言三昧…! 親の教育がなっておらんと見えるな!!」
『私は創造されてから850年になるが』
「はっぴゃ…っ!? なんと、キヌより年上!?」
「それなんかヤな言い方ですねショウ様…」
『…自己紹介をしておこう。私はアーサー。カオスチルドレンが長子にして・この城を守る存在だ』
彼らのペースに引き摺られまいと、アーサーは努めて冷静に己の名を語った。
この異界は自分の庭だと言うのに、乱されっ放しである。
「カオスチルドレン…Chaos kinderの事ね」
『マスターは世界中に・研究施設をもっている。D-168はドイツで製作されたチルドレンだ』
ひとまず敵意は無い、と判断したのか…美神は天華を納めると冥子にも十二神将を影に戻すよう、指示を出した。
「アーサー。さっきから言うように、私達はマリアに会いに来たの。彼女の口から真意を聞かない限り、納得してここを去る気は無いわ。ぶっちゃけストレスの捌け口にここをぶち壊してから、勝手に探す手もあるけど」
『この城はマスターが野望のために築き上げ・私が改修した要塞だ。破壊できるものならして見せるがいい』
どこまでも不穏当な美神に、アーサーは挑発で返す。空気が一瞬だけ冷えるが、
『と・言いたいところだが・マリアが睨むのでね…招待しようではないか・城内に。本来ならこれは・マリアと私…カオスチルドレン・家族の問題。君達が関与すべきものではないが』
アーサーのこの発言を聞いて、美神より先に、マリアを姉と慕う少女が叫び返した。小さな体いっぱいから声を上げ、城内の姉へ届けとばかりに。
「マリア姉様は私にとっても家族です! 家族を失う悲しみを、私達はもう味わいたくありません!」
「チリよ、よう言った!! その通りじゃアーサー! お主が何をしたいのか知らぬが、マリアは既に我らが仲間! 同じ釜の飯は…食うてはおらんか」
「…ショウ、お前もうチリの言葉尻に乗るの止めろ。微妙に締まらねーし」
ショウの後襟をひょいと摘んで、横島はチリの隣から威厳ゼロの兄を引き離した。わめくショウを、おキヌが苦笑して抱き上げる。
「だそうよ、アーサー。あんたと違って、マリアは慕われてんの」
『………良かろう。議論は・無駄だ。扉から道なりに進むがいい。さすればマリアの・そして私のいる大広間へと出る』
扉の奥の暗闇が、どくんと脈動したように感じた。
アーサーの意志…押し殺した怒りの念が噴出したようにも美神には思える。
「…皆、気を引き締めて行くわよ。…冥子、大丈夫ね?」
「? 大丈夫よ?」
きょとん、と首を傾げる冥子をじっと見つめてから、美神は天華を引き抜いて扉へと向かった。
(…何となくだけど、この子は……強制的に『今の冥子』になってる気がする。催眠術か…それとも薬? ああもう、爆弾の導火線が見えないのは不安ね…)
何をきっかけに、元の冥子に戻るか分からない。今から混沌の城へ乗り込もうという時だからこそ、その懸念が鎌首を擡げて美神を苛んでいた。
「美神さん? …俺が先鋒で行きましょうか?」
「…ん、平気。あんたは冥子とおキヌちゃんのガードをしっかりやんなさい。ショウチリ! 逸れるんじゃないわよ!」
「子供扱いするでない!」
「チリちゃん、手を離しちゃ駄目よ?」
「はい!」
ショウの言葉は、おキヌに抱かれた状態では説得力無し。右腕でショウを抱き、左手にはチリの小さな手を握ったおキヌは、さながら二児の母である。
「じゃあ入るわよ!」
『あ・ちょっと待った』
「って何よ!」
『せっかくだから・これを聞いていけ。多少ニュアンスは違うが・マスターがこんな時のために・録音してあったものだ』
「こんな時って…?」
アーサーの声が途絶え、代わりに流れてきたのはノイズの酷い音声だった。
『…お、もういいのか? よ、よし。ちょっと緊張するな。む、ごほん。
ふははははははは!!
よくぞここまで辿り着いたな勇者共よ!
我が兵の悉くを打ち破り居城へと迫ったその手腕…敵ながらあっぱれと褒めてしんぜよう!
だがしかし!
城内にはこれまでとは比べようもないほどに強力な我が従者の群れが待ち構えている!
今までの戦で消耗した貴様らに相手が務まるかな? ふはははははは!
逃げるのなら今のうちだぞ!
ふははははは。安心するがよい! 貴様らが戦力を整えるために一旦退こうが増援を待とうが…私は逃げも隠れもせん!
この城の最奥にて、貴様らの到着をいつまでも待っていてやろう!
何せ私は不老不死にしてこの世の征服者…魔王カオスだからな! いい暇つぶしになるわ!
ふはははははははははははははははははははは!
では諸君、待っているぞ!
ふは、ふは、ふははははははははははははははは!』
「………………………………………」
異界の空気は、白っぽい気まずい雰囲気に染まっていた。イタい空気に、異界もへったくれもないことがここに証明されたのである。
『…いや・な? マスターがこの城に人間が訪れた際には・これを流せと。私は反対したんだ。反対したんだよ?』
「………………いーわよ、もう何でも。みんな、行くわよー…」
気勢を根こそぎ奪われた一行は、美神の号令にのろのろと歩き出す。
『信じてくれ! 私は反対したんだっ! このセンスは・私のものではないからな!』
アーサーの言い訳に耳を傾ける者は…こぽん、と泡立つ沼の瘴気だけだった。
空っぽの玉座を見ても、マリアは何も思い出せなかった。
自分が精神的に未熟だったせいか、それとも記憶に残るような出来事が無かったためか。自分では判然としない。
「…人と関わらずに過ごしてきたツケが来たか…あれほど・人間が扱い辛い生物だとは思わなかった」
大広間の最奥、突き当たりの壁に巨大なタペストリーの翻る玉座の間。
見るからに豪華な装飾の施された玉座は、たった今磨かれたような光沢を維持している。
マリアは壇上の玉座の前に上がり、そっとその表面を撫でた。手触りにも古びたところはない。赤絨毯に埃がうっすらと積もっていたのと違い、座面や背もたれには汚れ一つ付いていなかった。
「…アーサー」
「君も・私を笑うか? 無様にうろたえ・満足に我が意を通すことも叶わぬ兄を」
天井付近にスピーカがあるのか、アーサーの声はマリアの上から降ってくる。今に至ってもまだその姿を見せない兄に、マリアは慰めるような声を掛けた。
「いいえ・逆に・8世紀以上も前から・あのセンスを誇る・ドクター・カオスが…ちょっとだけ・尊敬出来るかと」
「そっちの話じゃないっ!!」
「何故・貴方は…人と関わりを・持たなかったのですか?」
「…っ! 全く…マリアも人間と同じだな…言動が読めない」
「恐れ・いります」
「…褒めたつもりは・ないのだがな。まあいい。…人は・人にしか理解出来ぬと判断したからだよ」
「人にしか…?」
「私はマスターに造られた存在。君のように魂を持たず・データの蓄積によってのみ擬似的に成長する…機械でしかない」
「しかし・貴方は…ミス・美神達と・相対したとき・取り乱しました。機械には・そのような機能・ありません。不要なもの・です」
「マリア…マスターの名を・忘れたか? 混沌と自ら名乗る・その意味を問うたことは無いのか? あの方が創造するものに・要不要の境界線はない」
確かに…カオスの発明には無駄や遊びが多い。実用や効率に徹すれば、今日の衰退は免れたと…マリアも思う。
ただ、常にカオスは楽しそうだった。笑みの中身に陰陽はあれど、創造する行為が楽しくて仕方ない、そんな顔をしていた。
「マスターの仕様は・その根幹に自らの精神が根ざしている。私の人工知能にも・マリアの人工魂魄にもそれは息づいている」
混沌とはポジもネガも内包する。
マリアはアカシックレコードを思い出して納得した。アーサーの自意識は、あの記録と同じものなのだ。
「だが所詮・私の中の混沌は文字と数字の羅列によって合成された・紛い物。幾ら人間社会の情報を集め・行動パターンの検証を行っても・最後には破綻する。私は何千万回も・収集したデータによる社会進化シミュレーションを行ったが・納得いく結果には到達出来なかった」
カオスの描く地図を、とうとうアーサーは見出せなかった。
マリアが無言のまま玉座を見つめる中、アーサーは次第に熱く、まるで…人間のように語り続けた。
「故に私は・私自身から人を排した。全ての演算から・人という不確定因子を取り除いた。私がマスターから受けた命令は・世界を制する術の模索。マスターが…現在日和ったのだとしても・命令は絶対。カオスチルドレンとは・マスター・カオスの意を実行するものなのだから!」
「アーサー…貴方は・ドクター・カオスが・自分のことを忘れてしまったと・それが寂しいと・感じているのですね?」
マリアの静かな問いに、アーサーの声は不意を突かれたかのように、途絶えた。
「マリア・何故この城の記憶が・無いのか…考えました。結果・一つの推論に・到達しました。聞いて・もらえますか?」
「………………ああ」
「…とても・単純で…その分・貴方には残酷なもの・です。それでも」
「いいから話せ! …それはきっと・私の結論と同一のものだ」
この声…マリアは思う。
どれだけ自分を機械機械と言っても、アーサーの声に滲むのは諦観じみた寂しさの色。何かを諦め、寂しさを感じるのは機械の機能ではない。
それは、アーサーの心だ。
マリアはアーサーの中にも確かに魂を感じる。姿なんて見なくても、同じカオスに創造された同胞、兄妹が共有する何かで理解出来る…痛み。
「…マリア・ドクター・カオスと650年に渡って・旅をしてきました。でも・その間…ドクター・カオスの口から・貴方やこの城の事・聞いた記憶及び・記録もありません」
痛い。マリアは人工魂魄が疼くのを、受ける筈も無い痛みとして知覚する。
「………98%の確率で・忘却していると・思われます…」
胸の辺り、人間ならば心臓の付近に両手を当て、疼きに耐えて言い終えた瞬間、マリアは言い様の無い虚無感に襲われる。この感覚は…喪失感は一体なんだろう?
「…………………………………………やはり・同一の解答だったよ・マリア」
「アーサー…」
何か。
何か言わなければ。
マリアは胸の虚無感を埋めるための言葉を捜した。
「げ・現在・ドクター・カオスは…とても大きな研究・しています。オカルト業界全体を・揺るがすほどに・大きな・研究を。マリア・詳細は知りませんが・きっとそれは・ドクター・カオスの・長年の夢を・叶えるものだと・推測します」
情報と呼ぶにはあまりに不正確で、推測と呼ぶにも曖昧すぎる…普段のマリアなら口にしない類の台詞だ。
「長年の夢・だと…?」
「イエス。とても真剣な表情・していました。まるで…とても大切な事を・思い出したかのような」
「何…?」
マリアも言い連ねる内に思い出していた。マリアがカオスの許から離れるきっかけとなった、あの時の事を。
真顔でマリアに『自分で考え、行動せよ』と言った…あの時のカオスの表情。
「それは・もしや……!?」
「マリア姉様ぁぁーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」
その声に、マリアは弾かれたように壇上から飛び降りた。
センサーが小さな影と、それに続いて接近してくる5つの反応を伝えてくる。
「あ……」
胸の虚無感が、嘘のように消える。
そうか、とマリアは理解した。
この虚無感は…アーサーとの繋がりを断ち切ってしまったために空いた穴だ。
カオスの混沌が齎したアーサーの苦悩を、マリアが最悪の形で解決したがために生まれた、心の痛み。
その痛みを消し、虚無感を埋めたのは。
「チリ…皆さん」
「マリア姉様の馬鹿ぁーーーっ!!」
結構な距離からどーんと胸へ飛び込んできたチリを、マリアは優しく受け止めた。
小さな付喪神の少女はマリアの首に縋りついて、ぽろぽろと涙を流し続けた。震える背中を、マリアはあやすようにさすってやる。
「チ、チリぃぃ……いつから、オレより速く走れるように…」
「マリアの気配がした、って言った途端だったわねぇ…ああしんどい」
「ふー……うは、天井たけーなここ。ほんとにさっきの城の中かよ!」
「………はぁはぁはぁはぁはぁ………みんな、速すぎ、ですよぅ」
「おキヌちゃんもインダラちゃんに乗れば良かったわねー」
チリに少し遅れて、美神達も現れる。全力疾走して来たのか、午の式神インダラの背に座る冥子を除いて、皆それぞれに息を切らしていた。どれだけチリが頑張ったのか分かるというものだ。
「あれ? マリアだけ? アーサーって奴は?」
「ミス・美神…私は…」
「令子ちゃん、上!!」
きょろきょろと周囲を見回す美神に、マリアが口を開きかけた瞬間。
巨大な質量の物体が突然、美神の頭上から降ってきた。それにいち早く気づき、咄嗟にインダラを走らせて横抱きに美神を浚った冥子は、更に叫ぶ。
「皆、離れて!!」
赤絨毯では吸収し切れない衝撃が、全員の足を縺れさせた。埃が舞い上がり、壁の燭台の幾つかは震動によって落ち、青白い光を拡散させてしまう。残ったものも明滅を繰り返して視界を悪くした。
「な、何よ一体!?」
細身で非力な冥子に、緊急時とは言え片手で担がれた美神はパニックになっている。インダラの蹄の音がうるさいのも余計に混乱を助長していた。
「アーサーって野郎かコラァ!? 敵対する気は無かったんと違うんかボケぇぇっ!?」
光源代わりに霊波刀を展開し、おキヌを背後に庇いながら足ガクガクの横島が叫ぶ。目の前ではショウが腰を抜かして座り込んでいた。
「はははははははははははははははははは!!!!!!!」
狂気じみた笑いは、アーサーのものだ。埃煙の内部、明滅を繰り返す不安定な光の中でごそりと動き出したのは、先ほど降ってきた巨躯である。
「なるほどな! マリア・良く分かったよ! マスターは…思い出してくれた! 850年前と同じく・全ては混沌の魔王の望むままに! ならば・我が仕事は一つ! 侵入者を排除し・マスターの城を守る! マスターの意志を! 野望を! このアーサーが!!」
「アーサー!? マリア・そういう意味で・言った・違います! ドクター・カオスは・貴方にこんなこと・望んでは…!」
「なんか事情は分からないけど、無駄よ! こいつ…使命に狂ってるわ。あんのクソ爺…てめえのモンの始末くらい、きちんと着けときなさいよ!!」
チリを抱えたまま、停止したインダラの側にまで後退したマリアの悲痛な声にも、アーサーは狂笑で応えるばかりだ。
「マスターを侮辱するな美神令子!! 貴様から排除してくれるぞ!?」
「ぎゃああ薮蛇っ!?」
煙の中から伸びてきた巨大な手は、金属の光沢を持っていた。錆などどこにも見えない、完全なチルドレンのボディを保っている。
そのうち生きている燭台の明滅も収まり、徐々にアーサーの全容が浮かび上がってきた。
その姿は、巨大な鉄の人形…遊園地にいたイレギュラーを更に重く、強くしたようなものだ。無手ではあるが、通路をいっぱいに塞ぐ図体そのものが最大の武器である。
「メキラちゃんっ!!」
冥子の鋭い声が響く。同時に美神の視界が書き換わり…
「きゃあっ、て何故お前の腕の中かっ!?」
「一点の非も無いのに殴られがふっ!?」
寅の式神メキラの瞬間移動によりアーサーの手から逃れた美神は、お約束の神が導くままに、横島の懐へと飛び込み彼を刹那の極楽へと誘った。
当然次の瞬間、地獄へ変わるが。…迷いなく美神のビンタは横島の頬を張り倒す。
一連のお約束で平常心を取り戻した美神は、天華を抜き放ち、一気に数条の鞭へと変化させた。もう完璧に天華を自分のものとしている。
「! ミス・六道!!」
見上げるほどの巨体へ鞭を叩き込もうと振りかぶるのと同時に、チリを抱いたマリアも瞬間移動で射線上へ出現した。切羽詰った様子で叫ぶマリアに、美神もすぐに状況を悟る。
「ちょ、冥子?! そっち一人じゃないのっ!!」
アーサーを挟んで玉座側に冥子一人、そしてこちら側に他全員が送られている。これでは自ら的を絞ったのと同じだ。
「アンチラちゃん!!」
が、冥子はインダラで巧みにアーサーの拳を避けながら、卯の式神アンチラを召還、その鋭い刃状の耳で攻撃を加える。巨体に取り付くようにアンチラは刃を鋼鉄のボディに奔らせ、火花を撒き散らした。
「ははははははははは!! 我が剛体に刃が入るものか!!」
「なら、シンダラちゃん!!」
「冥子!! こっちに逃げて来なさいって!!」
アーサーの振り回す両腕に阻まれ、美神達は冥子の支援が出来ていない。冥子自身もこちらに瞬間移動してくれば問題ないのだが、何故かそれをしようとはしなかった。
マリアのマシンガンはアーサーの装甲を貫けず弾切れし、完全なる機械と思われるものに、おキヌの神域の浄化効果も見込めない。
「んなろぉーーーーーーっ!! お馴染み『縛』でも喰らっとけ!!」
横島がしっかりと安全な距離から投げつけた文珠『縛』は、アーサーが背後も見ずに振るった豪腕の衝撃波で弾き返された。
「くっそ! なら『爆』で…!」
「やめなさい! 今みたいに弾かれたら私らが巻き込まれる!」
美神の鞭も、鋼鉄の塊を叩くような手応えを残すばかりで効果的とは言えなかった。足首に巻きつけて転ばせようにも、重量が違いすぎてびくともしない。
「はははははははははは!! マリア! 我が妹よ! マスターの意志を伝えてくれて・感謝しているぞ!」
アーサーは、シンダラの背に乗ったアンチラによる高速斬撃を気にも留めず、自分勝手に喋り続けている。
振り下ろされる拳も、冥子を正確に狙うというより、高揚する気分のままに放っているだけに見えた。
「アーサー! 得意の・演算はどうしたの・ですか! 今の貴方は・まるで子供・です!!」
「我が意・マスターと等しきものと確認した! 迷いは既に無い! 邪魔をするなら・妹といえど其の身…魂ごと鉄屑と変えるぞ!!」
「!! アーサー…!」
この変貌も、カオスの混沌が齎したものだというのか。
これでも、まだ己は機械でしかない等と嘯くのか。
マリアは握り締めた拳を、アーサーの巨大な背に向けて力の限り撃ち放つ。
「ロケット・アーム…フルスロットル…ッ!!」
限界まで力を溜めた右拳を、全身の駆動力を併せて発射する。反動を吸収した左足の踵が、火花を噴いて砕けた。
(お行儀の悪い・兄を躾けるのも…妹の役目・です!!)
兄妹とはそういうものだと、ショウチリを見て学んだ。
一方的に躾けられるショウに、若干の憐れみすら憶えるくらい学んだのだ。
広い背中は、力任せの一撃でも的を外すのは難しい。
人で言う肩甲骨の間に激突したマリアの拳は…
「マリア姉様ぁっ!?」
「はははははははははは! 優しい! 優しいなマリア!!」
威力を完全に発揮し…爆砕した。ワイヤーから逆流した衝撃と、踏ん張りの効かなくなった左足のせいでマリアは吹き飛び、壁面へと衝突、ぎこちない動きで立ち上がろうとするも、バランスを崩してうつ伏せに倒れてしまう。
「この…っ! いい加減にしろよっ!!」
それを見て、最大限にまで大きくした霊波刀を構えた横島の怒りは、額に浮かんだ井桁の大きさからも窺えた。
(懐に飛び込んで『障』なり『縛』なり叩き込めばいい…! 要は自分の勇気次第!)
「横島突貫します!!」
「やめんか馬鹿! 一発喰らったら終わりなのよ!!」
「でも!!」
「命賭けた博打は最後の最後の最後の手段! あんた、誰に命もらって生きてると思ってんのよ!!」
「――――――――――――――――――っ!?」
美神の怒声に、横島の頭が瞬時に冷える。
浮かび上がるのは、淡い光の化身の後姿。
「……ああああああくそおっ!!! 何だよ俺!? 足が止まっちまった! くそくそくそぉっ!!」
叫んだ美神の表情にも、後悔の色はある。が、彼女は横島に対し、彼の命を守る誰よりも、誰よりも大きな責任がある。勝手に思っているだけの、けれど何よりも大事な『自分との盟約』が。
「こんなクソ下らない茶番で賭けるほど、私達の命は安くないわ。ほらしゃきっとしなさい! 冥子だってあんなに頑張ってるでしょうが!」
「横島さん! 龍笛で私が結界を張ります! 少しの間なら、それであいつの攻撃も防げるはずです! その隙に接近すれば!」
「美神さん…おキヌちゃん…」
また、悪い癖が出た。
横島は周囲が見えなくなる己の痴態を恥じ…
自分の頭を霊波刀の腹で思いっきり叩いた。
…で、噴水のように出血した。
「ぬおおおおああああ!? やり過ぎたぁぁ!?」
「自分で致命傷作るな馬鹿者ぉーーーーーーーーーーーーーっ!!」
「あああ横島さんの顔色が真っ青にぃーーっ!?」
ペースを取り戻した美神達であったが、打開策は見えない。冥子は孤軍奮闘、アンチラ&シンダラの波状斬撃でアーサーの目を引きつけていた。
それでも、刃は表面をなぞるだけでダメージにならない。飛び散る火花の量は鉄工所のようだが、アーサーには堪えた様子もなかった。
「サンチラちゃん!! アジラちゃん!!」
斬撃の嵐に、雷と火炎の猛攻が混ざる。時折石化の光線も試してみるが、霊的防御力も比例して高いのか、表面で水しぶきのように弾かれていた。
(パワー系…ピカラちゃんじゃスピードが足りなくて駄目…特殊能力系…バサラちゃんじゃ吸引は不可能、アジラちゃんの石化も通用しない…そうだ、クビラちゃんの霊視で弱点を…!)
「クビラちゃん!!」
自分の乗るインダラに、アンチラ・シンダラ・サンチラ・アジラ。五鬼使役に更にクビラを加えての戦闘は、霊力はともかく体力、精神力的に辛い。
「外道照身霊波光線っ!」
でも、今の冥子は怯えない。余裕を見せるために、小ネタも混ぜてみたり。
(駄目、見えない! 装甲の継ぎ目もフォローしてある…!)
「冥子! 無理しないでこっち来なさい!」
美神の叫び声も聞こえるが、退く訳にはいかない。
何のために『出てきた』のか、それでは分からないではないか。
(私は…試したい。本当に、この子の理想に…この子の力になっているのか…!)
「戻って、サンチラちゃん、アジラちゃん、クビラちゃん!! もう一度お願い、メキラちゃん!!」
(もっと速く…あの装甲も切り裂けるくらいに、もっと鋭く!!)
冥子は一旦インダラをアーサーの射程圏外、玉座の裏にまで退避させ、ひらりと飛び降りた。
「インダラちゃんも戻って!」
冥子の声は美神にも届く。だが真意までは伝わらず、『今の冥子』が何を考えているのか、美神に分かる筈も無い。
「冥子!? インダラから降りたら、あんたが…!」
「平気よー! だから見ててね令子ちゃん! 私頑張るから!!」
「な!? この、デカブツ! こっち向きなさいよ! 壁に穴開けるわよ!」
「絨毯に火い点けるぞコラァ!! この城ぶっ壊されてもええんかーっ!!」
美神と横島が必死にアーサーの注意を自分達に向けようと騒ぎ立てるが、式神2鬼の猛攻がとにかく煩いアーサーにとって、それは外野に過ぎなかった。
ついでに言えば、この大広間は正確には城内ではない。ゲートを潜った別の場所に存在する施設だ。門前の場合と違い、ここを破壊されてもアーサー的には痛くなかった。
「そんな事をしている間に・六道冥子は死ぬな」
口では負けても、実力ならばこの通りだ。
アーサーは自分がひどく愉快な気分なのに気づいた。生身なら、ぞくりと背筋に快感が走っているところだろう。
「冥子!! メキラで逃げなさい!!」
十条以上の鞭で鞭打を浴びせている美神も、霊力が尽きかけている。
「こいつ、なんて防御力なのよ!? 打撃も斬撃も駄目なんて反則じゃない!?」
「私のボディは換装が効いてね。これはベヒモス・タイプ…拠点防衛に特化したタイプのボディだ。個人単位の霊力では破れない」
究極の魔体を咄嗟に連想した美神は、その縁起でもない想像を振り払って鞭打を一点に集中して浴びせかける。さっきマリアのパンチが当たった部分…肩甲骨の間だ。
「美神さん! やっぱり俺が近づいて…おキヌちゃんの結界なら!」
「…駄目よ。あいつ…言ってることは伊達じゃないわ。中級魔族だって張り倒せるくらいの霊気を込めてぶん殴ってるってのに…小揺るぎもしない。恐らく、文珠の霊力も力任せに破られるわ」
「でも、一時的に動きを止めるくらいは…」
「無意味よ。あんたがそうやって稼いだ一瞬だけじゃ、今までの総火力の何倍もの攻撃なんて仕掛けられないし、巻き込まれて消し炭になるのはあんただけね」
「じゃあ手詰まりじゃないっすか!?」
「冥子さえこっちに来れば、逃げられるのよ!! そのためにこうやって注意を…!?」
「…なんだこの霊圧…って冥子ちゃんのかよ!?」
二人が言い争いをしている間、冥子は十二神将に分散して送っていた霊力の大半をアンチラ・シンダラ・メキラへと送り込んでいた。暴走を避けるための最低限の維持霊力は、残りの9鬼へと供給しているが。
「…行くわよ…舞いなさい! 三鬼包囲陣・『斬刃の檻』!!」
苦しい表情ながらも、冥子は笑顔を作り、式神達へ命じる。
アンチラの刃が名工の手による日本刀の如く、輝きを増す。
そのアンチラを載せたシンダラは、低空から一気に亜音速まで加速し、逆袈裟にアーサーの腹から胸へと火花を走らせる。今までの比ではない威力に、アーサーの体がほんの僅かに揺らいだ。
亜音速の勢いは屋内では停め切れない。
が、メキラの能力が無理矢理にシンダラの向きと位置を変える。壁面に激突しそうになったシンダラは、瞬間移動によって今度はアーサーの左側面から背面にかけて駆け抜け、斬線を残してまた掻き消える。現れる。
「ぐあ・あああああ!? 何だ!? これは・この攻撃は…!?」
一撃一撃の威力は、まだまだベヒモスボディの防御力を上回るものではない。
が、捕捉不可能な速度・位置から繰り出される斬撃の圧倒的な量が、何もかもを圧して支配する。
「うっはー……冥子ちゃん…まるで別人だ…」
アーサーを虜囚とする、斬撃の檻。半球状のあらゆる部分から音速の刃は襲っていた。
3鬼に絞っているとはいえ、横島からすれば、今の冥子の集中力は見たことも無いレベルだった。
「これならどう……………っ!?」
異変は、本人が自覚するより先に美神が気づいて。
「冥子!? やっぱりこうなった…!!」
突然ぺたんと床に座り込んだ冥子は、震える両手で鼻と口を覆うと、一度だけ大きく痙攣し…その、指の間から赤いものを滴らせた。
当然、アンチラ達の制御も不可能となり…3鬼の式神はガードを固めるアーサーの周りから、うずくまる冥子の影へと戻っていった。
「…霊力の・オーバードライブか…? 何にせよ・今の攻撃には驚いた」
「天華よ!! 我が霊力の全てを喰らい…怨敵を討ち滅ぼす必滅の槍と化せ!!」
「3文字制御!! 絶対成功させちゃるっ!! 『超』・『加』・『速』じゃあ!!」
「ショウ様、チリちゃん!! 二人の霊力を回復させます!! 神域を!!」
冥子の手元から滴るものを見た美神のこめかみで、ぶちっ、と何かが切れる音がした。天華の先で揺らいでいた数十条の鞭が、一つに纏まって穂先を鋭く変化させる。
横島の手には、並列励起の自己ベストでもある3つの文珠が、それぞれ雷光のような光を放って主の全身を包もうとしていた。
おキヌは龍笛を構え、マリアの側で必死に名を呼んでいたショウチリへ力の限り叫ぶ。
「全て遅い。これでまず……一人」
振り被る必要もない。
拳をそのまま少女の頭上へ落とすだけで、一つの魂は消えるだろう。
だが。
―――――――――――――――――――――――――混沌の魔王の名に於いて命じる
しわがれた声は、アーサーの一切の動作を封じ。
―――――――――――――――――――――――――――コード444の承認をもって、B-002は全ての行動を凍結せよ
熱く狂乱に満ちていたアーサーの頭脳が、冷や水を浴びたように固まる。
マリアと違い、彼は『魂持たざる者』。…抗う術は無い。
「この声…全ての元凶がようやく現れたようね」
生気を失って固まるアーサーの脇を通り抜け、冥子の許へ駆け寄った美神はドス黒い感情を垂れ流しつつ、視線を声のした方…玉座へと向ける。
「…ウチの倅が、随分と迷惑をかけたようじゃの…美神令子」
あれだけの騒乱の中でも、玉座は微動だにしていなかった。その玉座が空間ごと捩れ、復元した時。
「そりゃあもう、ね。どう責任とってくれるわけ? ―――――――ドクター・カオス」
黒衣を纏った混沌の魔王は、悠然と足を組み、そこへ降臨していた。
続く
後書き
竜の庵です。
間が空いたのは、CABALのせいです。ネトゲって怖い…!
そのせい、という訳でもありませんがいつもより1割程度の増量で、お届けしました。2000文字ほど削減したのに、マリア編の終了まで漕ぎ付けられなかったのは、情けない限りです。
ではレス返しを。
樹海様
人工文珠の詳しい仕様については、もうしばらくお待ちを。ちゃんと本文で説明出来ますのでー。
凶悪なものになる、でしょうね。イメージとしては…戦国時代に手榴弾みたいな! ちょっと違うけど!
内海一弘様
アーサーとマリアの差は、魂の解釈の違いです。どーも兄はコンプレックスを持っているようで…ちくちくと妹いいな妹いいなと言いまくってますね。
カオスの思惑やら行動やら色々と…そろそろはっきりさせないと。
お約束大好きな作者です、今回のカオスの登場劇はマリア編の最初から決めてましたよ! 満足!
柳野雫様
マリアの人間味、カオスを見て育まれたなら…ああなるんではと。カオスは尊敬しつつも、駄目駄目な部分に軽蔑もして。
マルタにはもっと突っ込んだ研究もしてもらうため、秘密の一端を担ってもらいましたよ。カオスの助手として馬車馬のように働いてもらいます。
アーサーとやらかしましたが、如何でしたでしょうか。冥子に頑張ったで賞ですね。
ソイヤソイヤ様
『最近の流行』のアレは…横島文珠なら出来るのかな? 人工のは大分リミッターがかかるので…恐らく無理ですね。忌み文字も選べば可能かぁ。『呪』なんて、ポピュラーなもんですしね。
二代目には、自前のパチもんでガマンしてもらいましょう。粗悪品で。
以上レス返しでした。皆様有難うございました。
次回こそマリア編エピローグ。んでもって冥子編へと入れればと思います。
壊れ表記ももうちょっとだけ続くんじゃ。
ではこの辺で。最後までお読み頂き有難うございました!