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「DAWN OF THE SPECTER 16(GS+オリジナル)」

丸々&とおり (2006-10-14 23:07)
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まだ蝉も鳴いていない早朝、神父が郵便受けを開くと新聞と一緒に見慣れぬ封筒が届いていた。
差出人の名前を確認した神父が、意外そうな表情で封筒をまじまじと眺めている。


「ふーむ、彼女から何か送ってくるなんて、珍しい事もあるものだなあ。」


新聞と封筒を一纏めに抱え、澄み切った青空を見上げると教会へ戻っていった。


「……おはよーっす。」


頭を押さえながら、のろのろと横島が食卓に姿を現した。
テーブルの上にはタマモが用意した三人分の朝食が用意され、味噌汁の良い香りが食卓に漂っている。
普段なら『いただきます』を言う暇すら惜しんでがっつくのだが、今日はどうやら様子が違うようだ。
緩慢な動作で席に着くと、頭を押さえて大きなため息を吐く。
横島が微かに漂わす酒の香りに気付き、神父が心配そうに声をかけた。


「昨日はだいぶ遅くまで飲んでたみたいだけど、やっぱり二日酔いなのかい?」


喋る事さえ苦痛なのか、言葉も無くゆっくりと首を縦に振る。
自棄酒に走った理由に見当がついている神父が、顔色が悪い横島に水の入ったコップを手渡す。


「私も問題用紙に目を通してみたけど、あれはかなり難易度が高い問題が揃っていたからね。
横島君も頑張っていたみたいだけど、流石に一ヶ月じゃ時間が足りないよ。
半年後にまたあるみたいだから、その時に受かれるよう、今からこつこつ頑張れば良いじゃないか。」


神父が気を遣っているのを横目に、横島は一息にコップの水を飲み干し、またも頭を押さえて大きな溜め息をつく。
食卓にはもう一人居るのだが、呻く横島を気にするでもなく、澄ました顔で食事を進めている。


「結局、私の一ヶ月の苦労は水の泡、か。
まあ、アンタを賢くするくらいなら、昆虫にでも芸を仕込む方が簡単だろうし。」


あまりと言えばあまりの物言いだったが、横島は食卓の向かいで頭を抱え、じっとしたまま動かない。
何らかの反論が返ってくると思っていたのだが、何の反応も返ってこなかったタマモがバツが悪そうな表情で箸を置いた。
今のは彼女なりに元気付けようとしたのだが、それも反応が無ければただの嫌なヤツにしか見えない。


「えーと……その、昨夜はいったいどれだけ飲んだのよ。
確かアンタって、意外と酒は強かったハズでしょ。」


二人で飲んだ事は無かったが、姿を消す前は未成年のクセにちょくちょく美神と飲んでいたのは事務所では周知の事実だった。
酒豪の美神ほどではなかったが、横島が二日酔いで苦しんでいる姿はあまり見た覚えが無かったのだ。


「昨日はなぁ……えーと……たしか…………」


軋むような頭痛に耐えながら、どうにか昨夜の記憶を掘り起こそうとする。
うんうんと唸っていたが、やがてぽつりと呟いた。


「……やっべ……記憶がねーや……」


いきなりの問題発言に、タマモの顔が目に見えるほど引き攣る。
ただでさえ女癖が悪いのに、泥酔した日には何をやらかすかわかったものではない。


「横島……まさか、浮気とかしたんじゃ……」


びくり!と大きく体を震わせたが、顔を伏せたまま上げようとはしない。
怪しいと見たタマモがジト目で横島の気配を探る。
だが妖狐の超感覚で探ってみても、横島は酒以外の匂いは漂わせていなかった。
もしも以前のように女遊びに興じていたのなら、香水の残り香なりを漂わせている筈だ。


「……なんだ、白じゃない。
挙動不審だから、てっきり何かやらかしたのかと思ったけど。」


安心したようにタマモがほっと息を吐くと、横島もまた安心したように息を吐いた。
昨夜何かやらかしていないか、どうやら自分でも全く自信が無かったようだ。
そのやり取りを見ていた神父は呆れたように苦笑いを浮かべる。


「やれやれ、記憶を飛ばすほど自棄酒を飲んでたのかい。
そんな無茶しなくても、気晴らしなら丁度良いモノが送られてきたんだけどね。」


そう言いながら神父が取り出したのは今朝届いていた封筒。
その差出人を目にした瞬間、苛む頭痛も忘れ、弾かれたように横島が顔を上げた。


――――from 美神令子


見間違える筈もない名前が、そこにあった。


「さて、美神君が三人分のチケットを送ってくれたのは嬉しいんだけどね。
残念な事に、既に週末は予定が入ってしまってるんだ。
なので、私の代わりに誰か誘って行ってきたら良いよ。」


言葉とは裏腹に、神父は名残惜しそうに封筒を見ている。
力無く首を振りながら、せめてもう少し早く連絡してくれていれば、と肩を落とす。
神父も本音としては自分で観に行きたいのだろう。
おキヌのコンサートの『魂を癒す』という謳い文句は、聖職者なら誰しも気になるに違いない。


「そっか……美神さんとおキヌちゃんに逢えるんだ……」


送られてきたチケットを胸に抱き、タマモが想いを噛み締めるように呟いた。
四年前、事務所が解散して以来まともに連絡も取り合っていなかったのだ。
シロと横島も含めれば、あの事務所の面子が久しぶりに顔を揃える事になるだろう。
何でもない様子を装おうとしているが、その両肩は静かに震えていた。


「ああ、そうだね。せっかくだから私の分はシロ君にあげると良い。
流石に正規の手段でチケットを取るのは、確率的にかなり難しいだろうからね。」


タマモの想いを察してくれたのだろう、神父が自分のチケットをタマモに手渡した。
いつもは素直に人の好意を受け取る事はしないのだが、今回ばかりは神父に礼を言い素直に受け取っている。

そんな二人を余所に、横島はじっとチケットを見つめる。
彼の脳裏に浮かぶのはこの前逢った時に言っていた美神の言葉。


――――もう戻れないのに、昔の思い出に触れても、辛いだけだと思うのよ。
だから、お願い……出来たらあの娘をそっとしておいてあげて。


あの言葉から考えれば、いくら自分達が望もうと、美神は皆で集まる事を拒むだろう。
おキヌちゃんに辛い思いをさせたくないというその気持ちはわかる。
少なくとも頭――というか理性――では。

だが、だからと言って、はいそうですかと素直に従うのは納得できなかった。
逢えないまでも、何かを伝えなくては心が納得できないのだ。
自分のチケットに目をやった横島が、聞いた事のない会場の名前にふと疑問を口にする。


「あれ、臨海副都心アリーナ……
こんな名前の建物、お台場にありましたっけ?」


その質問に、神父とタマモは首を傾げるが、すぐに納得したように神父が頷いた。


「そうか、君は四年前に日本を離れたから知らないのか。
臨海副都心アリーナというのはね、三年前に造られたんだよ。
対心霊テロも睨んで作られているから、こういう大々的なイベントには良く使われるんだ。
そう言えば、君の旧友の……たしか近畿剛一君だったかな?彼もこの前ここでイベントを行ってたよ。」


久しぶりに飛び込んできた懐かしい名前に、横島の耳がピクリと反応する。
コンサート当日まで後4日。あまり余裕があるとは言えないが、仕込む時間くらいはあるだろう。
何か思いついたのか、横島がにんまりと緩んだ頬を二人に気付かれないようにさり気なく手で隠す。
つい先程まで横島を苦しめていた頭痛は、何時の間にか消えていた。


タイガーが書類を小笠原エミが残していった魔術書を読む傍ら、雪之丞がソファーに座りテレビのニュースに耳を傾けている。
まだ昼前の伊達&タイガー除霊事務所は、特に仕事に出掛ける訳でもなくゆったりとくつろいでいる。
だが時折時間を気にする素振りを見せる雪之丞の姿から、何かを待っているのが推測できた。


「雪之丞、二日酔いは大丈夫なンか?」


「ったりめーだ。
ちゃんとあの後、全部吐き出したんだからな。
まさかあの後、急に打ち合わせの予定が入るとは……危ないところだったぜ。」


あの後、飲んでいた雪之丞の携帯に依頼人から電話があったのだ。
急な話で悪いのだが、最後の打ち合わせをしたいと。


「さすがにあの人の頼みを断る事などできんからノー。」


普段の彼らなら、突然そんな事を言われても素直に了承する事は無い。
自分たちはプロなのだから依頼人とは対等な関係で、媚びる必要は無いというのが彼らのポリシーだった。
そのポリシーを曲げてまで突然の申し出を受ける程、これから来る相手は大物なのだろう。

その時、味気無い電子音のインターフォンが事務所に響き渡った。


「おっと、来たみたいだな。」


リモコンでテレビを消すと、来客を出迎えるべく雪之丞が立ち上がる。
雪之丞が部屋を後にすると同時に、タイガーも魔術書をしまい来客を出迎えるべく姿勢を正した。


「ま、何もねえ所だが入ってくれや。」


ぶっきらぼうな口振りの雪之丞だったが、その口調に僅かな緊張が混ざっているのは隠せない。
部屋で出迎えたタイガーも緊張しているのか、挨拶のために口を開くが、その声は微かだが震えていた。


「お久しぶりですノー。
またお会いできて嬉しい限りジャ。」


二人の緊張を感じ取ったのか、依頼人が目を細めて二人を見据える。


「一流のゴーストスイーパーたる者、どんな依頼人が相手でも堂々とする事。
依頼人に舐められるような態度は、プロとしてどうかと思うわよ。」


「はは、わかっちゃあいるんだけどな。
やっぱダンナが相手だとちょっと、な。」


「自分達で事務所を持って、改めてあなたの凄さがわかったからノー。」


苦笑いで応える二人に、依頼人――美神令子はやれやれと首を振るのだった。


最後の打ち合わせを何事も無く終えた時、不意に雪之丞が口を開いた。


「ほとんど打ち合わせも終わってる今言うのも何だが……本当に俺達だけで良いのか。
そりゃ確かに、タイガーの精神感応ならあの会場くらいなら全域をカバーできるが、他にも当てならいくらでもあるだろうに。」


「良いの。勿論、他にいくらでも雇えるゴーストスイーパーならいるけど、こっちの条件を確実に満たせるのはあんた達くらいだから。」


言葉では自分達を認めるような事を言っているが、その声色は冷たく事務的なものだった。
それは特に気にしていなかったが、雇うにあたっての条件が記された書類を見て、タイガーが小さく溜め息をつく。
雪之丞も同感なのだろう、この機会にどうしても気になっていた事を尋ねてみる事にした。


「俺達が口出しする事じゃない事は百も承知だが、どうしてこんな条件にしてるんだ。
別に、おキヌに手を出そうとするヤツがどうなろうと気にする必要は無いと思うんだが。」


美神が絶対に守るべき条件として提示したのは、『仮におキヌに何らかの危害を加えようとする者が現れようと、決して命を奪うような事はしない』というものであった。
今のおキヌの世界に与える影響力を考えれば、訓練されたテロリストやら犯罪者が何かしでかそうとしてもおかしくない。
にも関わらず、身辺警護にあたるのが自分達二人だけというのは納得できるとは言い難かった。


「もちろん、会場の警備は最高クラスに設定しているわ。
でも彼らの役目は、不審者の検査や締め出しだからね。
実際に直接おキヌちゃんを護るのは、あんた達にお願いしたいの。」


昔はもう少し柔らかい声色だった筈だが、今の彼女にその面影は無い。
それも、彼女に圧し掛かる責任の重さ故なのだろうか。


「ワシらを信頼してくれるのは嬉しいンじゃが……何故、襲撃者を殺すのがマズイんかノー。
いや、勿論ワシらも人を手に掛けるのは御免じゃが、それでもおキヌさんの身の安全の方を優先すべきと思うンじゃ。」


どちらかと言えば、まるで襲撃者の方に気を遣うかのような条件なのだ。
タイガーならずとも誰しも疑問に思っただろう。
美神も説明すべきか迷っているのだろうか。
二人から目を逸らし、何やら思案している。


「……それが、おキヌちゃんの希望だからよ。」


ようやく出た美神の返答に、雪之丞が露骨に顔を顰める。


「おい、あいつは何考えてんだ?
あいつの立場はそんな軽いもんじゃねえだろうが。
あいつが望もうと望むまいと、あいつの言動は下手すりゃ一国の元首に匹敵する程の影響力があるんだろ。」


人は、自分の大切な人を失った時に最も弱くなる。
その失った人が悪霊と化してしまった姿など見たくない。直視できる筈もない。
だがそのままにはしておけない。何故なら悪霊は生者に害をなすからだ。
悪霊は祓わなければならないとしても、元は大切な存在だったのだ。
出来るだけ安らかに成仏して欲しいと思うのは、人として当然の想いだろう。

そして、おキヌにはそれが出来た。
と言うか、おキヌにしか出来なかった。

無論、おキヌの他にもネクロマンサーは何名か存在した。
だが、彼らは皆高齢で、おキヌのように世界を飛び回れる体ではなかった。
その結果、年若いおキヌは未だ癒えぬ世界の傷跡を少しでも癒すため、常に移動する生活になった。
国連の要請に応え、霊団が出現した地域に駆けつける日々。
本来、霊団はそう簡単に出現するものではないが、アシュタロスの大霊障が引き起こした犠牲者は数千万にも及んだ。
そのため、大規模な霊団が世界で頻繁に発生するようになっていた。

おキヌが世界の各国の人々から崇拝にも似た支持を受けているのは、ここに理由があった。
遥か過去に無くなった霊が霊団と化したとしても、今この世に生きる人々は気にせず祓おうとするだろう。
だが、それがもしも最近亡くなったばかりの近しい人間だったならば、どうだろうか。
目の前で悪霊になり苦しんでいる相手を、もう一度この世界からその存在を消す事ができるだろうか。
出来はしない。しなければならないとわかっていても、その決断が出来るほど人は強くない。
一部例外的にその決断が出来る強い精神の持ち主もいたが、大半の人々にその強さは無かった。

目の前の霊団を祓う事もできず、ただ被害が広まっていく中、おキヌは分け隔てなく救いの手を差し伸べた。
彼らの霊魂を縛り付けていた、後悔や悲哀を断ち切り、悪霊から浮遊霊へとベクトルを強制的に変更する。
魂に直接干渉するネクロマンサーの能力を、魔具とも言える特殊な製法で作られた笛を通す事で初めて可能になる業だった。

目の前で苦しむ大切な人を救われた人々は、当然の事ながらおキヌに多大な感謝を寄せる。
その想いに国境や宗教の区別は無く、皆が皆、ただただおキヌに感謝するばかりだった。
おキヌとしては別に感謝されるためにやっている訳ではなかったのだが、それでも感謝されればやはりそれは嬉しいものだった。
その国の政府としても、霊団を祓うために精霊石弾頭ミサイルによる強行策を使わずに済む上に、それによる民衆の反発も防げるのだからおキヌの能力は非常に都合が良かった。
そういう背景もあり、各国の行政府はおキヌを『現代の聖女』として祭り上げ、あの大霊障の後始末や、過去の戦争によって散っていった魂達を慰める存在に仕立て上げていった。

ちなみに浮遊霊へと戻った霊魂は、残された人に別れを告げ成仏していく者が殆どだったが、一部の霊魂はおキヌと共に在る事を望んだ。
既にその体を失い、魂だけとなった彼らだったが、おキヌに救われたその恩を返したかったのだ。
強制的に彼らを成仏させる事も可能だったし、ゴーストスイーパーという立場を考えればそうするべきだったが、おキヌはしなかった。
彼らの気持ちを無駄にする事は、彼女には出来なかったからだ。


「国連専属のゴーストスイーパーとして活動するようになってしばらくした頃、おキヌちゃんが誘拐された事があったのよ。
勿論、すぐに助け出して事無きを得たんだけど、その時の犯行グループが全員……殺された事を知ったおキヌちゃんが大泣きしちゃったの。
『どんな理由があっても殺しちゃうなんて絶対駄目です』――ってね。」


「……それはまた、おキヌさんらしいノー。」


「相変わらず甘いみてぇだな、あいつは。ま、あいつらしいが。」


自分に危害を加えようとした相手すらも気にかける事ができる、無償の愛情。
それがおキヌという女性の本質だった。
そして、それを知る彼らの表情にも優しい笑みが浮かぶ。


「わかった。もう何も言わねえ。
引き受ける以上は全力でそっちの条件に従うぜ。」


「ありがとう。助かるわ。
あ、でも一つ付け加えておくけど――――」


席を立ち、部屋を出ようとした所で何かを思い出したのかくるりと二人に振り返る。


「――――『殺さなきゃ良い』ってだけだからね。
もしもおキヌちゃんに手を出そうとする馬鹿がいた場合は、生まれてきた事を後悔させてやるくらいの気持ちでお願いするわ。」


美神の顔に浮かぶ、氷の如く凍てついた微笑みに、思わず雪之丞とタイガーが表情を引き攣らせていた。


「ふぅ、やっぱり生放送は何時まで経っても緊張するわぁ。」


「お疲れ様でした。でも、これからすぐ次のスタジオに移動ですよ。
休むのは車の中だけになってしまいますけど、頑張りどころですね。」


地下の駐車場を二人の若い男が歩いていた。
一人はセンスの良い私服に身を包み、もう一人はスーツ姿だった。
この建物がテレビ局という事から考えると、タレントとマネージャーといったところだろう。


「――――あれ、近畿君。どうかしました?」


突然連れ立って歩いていた相手が立ち止まったので、スーツの方の青年が振り返る。
近畿と呼ばれた青年は何を見たのか、呆気に取られた表情を浮かべていたが、すぐに何事も無いかのようにスーツの青年に応えた。


「あ、いや、何でもないよ。
そうや、川島さん。悪いんやけど、何か飲む物持ってへんかな?」


「いえ、持ってませんけど。」


それを聞いた私服の青年が、申し訳無さそうに胸の前で手を合わせる。


「そっかー。なら悪いんやけど、ちょっと上の自販機で何か買うて来てくれへんか。
次のスタジオまで時間無いんはわかってるんやけど、何とか頼めんかなぁ?」


マネージャーはタレントの言う事を聞くのが仕事だ。
それを良い事に、我が侭ばかりを言う者もいるが、この青年は違う。
大物の仲間入りを果たし、舞台や映画の主演を務めるようになっても最低限の礼儀を欠くことは無い。
だからこの程度の事ならマネージャーも嫌な顔一つせず、快く引き受けた。
上の階に戻るために小走りで戻って行ったスーツ姿の男が見えなくなると、青年はいきなり跳ねるように駆け出した。
それと同時に、青年の視界の先に停まっていた大型のワゴン車の陰から、警戒するように周囲に目をやりながら一つの影が這い出てきた。


「おっす、銀ちゃん!」


「『おっす』とちゃうわこのボケぇ!!
今までいったい何処で何しとったんやッ!!
こっちから連絡しようにも携帯は解約しとるわメアドも通じんって、一体どういう事やねん!!」


二人が顔を合わせるや否や、普段の営業スマイルを放り出し、青年は烈火の如く激昂している。
車の陰に隠れていた男は『まーまーそう怒りなやー』などと宥めているがなかなか怒りは収まりそうに無い。


「いやぁ、それにしても久しぶりに会ったのによう気が付いたなぁ。
結構俺って変わったと思うんだけど、やっぱり親友ならわかるんかな?」


「アホか!
車の陰に隠れながらチラチラ霊能見せられたら誰でもわかるわ!!」


先程、青年が呆気に取られた表情を浮かべていたのは、車の陰に隠れながら霊力で創った手甲を掲げるこの男に気付いたからだ。
車の陰から見えた顔つきや体つきは精悍になり、学生の頃の面影は随分と失われてしまっていた。
だが、見覚えのある、その右手に輝く瑠璃色の霊力を見た瞬間、すぐに相手が誰か気が付いた。


「銀ちゃんも忙しそうだし、実はこっちもちょいとゴタゴタしててさ。
取り敢えずコレ渡しとくから、出来れば今晩会えんかな?
もちろん時間とかはそっちの都合に合わせるし。」


そう言いつつ、携帯電話の番号とメールアドレスが書かれた紙を手の中に押し付ける。


「じゃあ、銀ちゃん。連絡待ってるから!」


「あ、おい。ちょっと待てや、横っち!!」


まだ話は終わっていないと声を上げるが、既に遅い。
男は脱兎の如く駆け出し、あっという間に見えなくなってしまった。
青年は、自分の静止の声も聞かずに一目散に走り出していった後姿を、ただ呆然と見送るしかなかった。
いったい何のつもりなのかと訝しみながら自分の車に戻ろうとした時、横島が走り去ったのとは別の方向から屈強な警備員の一団が押し寄せてきた。


「ああ!近畿さん、この辺りで不審な男を見かけませんでしたか!?」


「不審な……?
いや、ちょっとわからないですが。何かあったんですか?」


脳裏をよぎるは先程のこそこそとした横島の態度。
だがそこは持ち前の演技力を最大に発揮し、何の心当たりも無いかのように振舞う。


「はい、許可証を持たない不審な男が駐車場をうろついていると連絡を受けたので。
アイドルを狙った悪質なストーカーの可能性もありますので、見つけ次第即座に叩き出そうかと――――」


遠くの方から『いたぞー!』という叫びを聞いた警備員は途中で言葉を切る。


「見つけたようです。お騒がせ致しました。」


警備主任の男が号令をかけると、一糸乱れぬ動きでムキムキマッチョーな警備員達は走り去っていった。
横島の逃げた先に飛び交う怒号と喧騒に、銀一は頭を抱え盛大な溜め息をついていた。


「いやぁ、さすがにテレビ局の警備は厳重なんだな。危うくもう少しでとっつかまるとこだったぜ。」


「そりゃあ、芸能人なんて商売やっとったら、いらんもんまで寄って来るからな。
けど、よく勝手に忍び込めたな、横っち。局の警備の目はかなり厳しいって聞いた事あるんやけど。」


銀座の路地裏にある目立たない居酒屋で、ふたりの男が並んで酒を飲んでいた。
一人は店内にも関わらずサングラスをかけ、もう一人は喧嘩でもしたのか、絆創膏が数枚顔に張られていた
絆創膏の男は楽しげに笑い、ジョッキをあおる。


「天井に張り付けたら、大抵のとこには侵入できるんよ。
でも急やったのに、付き合ってくれてサンキューな。
ちょっと銀ちゃんに頼みたい事があってさ。」


「待て待て。そっちの話の前に、言わなあかん事があるんちゃうか?」


ジロリとサングラスの男が横目で睨みつけると、絆創膏の男は気まずそうに目を逸らす。


「急に連絡も無しに消えよってからに……おキヌちゃんから連絡もらって驚いたわ、ホンマ。
今まで何処で何しててん。連絡の一つくらい寄こしてくれても良かったんちゃうか?」


「う……あー、まあ、そうだよな。やっぱり。」


言葉を濁す男に、サングラスの男は先を続けるよう目で促す。


「ちょっとポカやらかしちゃってさ……んで、この四年間アメリカに渡ってたんだ。
先月、ちょっとまた色々あって、強制送か――――あ、いや戻ってきたんだよ。」


「ちょっと待った。今、強制送還とか言おうとせんかったか?」


「え?何の事ー?キノセイデスヨー??」


わざとらしく口笛を吹き、聞こえない振りをしている。
その様子に、サングラスの男の心に底知れぬ不安が圧し掛かった。


「いったい、向こうで何やらかしてん……」


呆れたように呟く男に、絆創膏の男は乾いた笑いで応えるだけだった。


「で、あんな無茶な真似してまで、いったい何の用なんや?」


取り敢えず、地雷が詰まってそうな男の過去は置いといて話を進める。


「そうそう、大事な話があったんや。
なあ、銀ちゃん。臨海副都心アリーナって知ってる?」


「え?お台場アリーナか?
そりゃあ、この前もライブやった時に使ったけど……それがどうかしたんか?」


てっきり『芸能人のカワイイ娘でも紹介して欲しい』とか言い出すと思っていたのだが、予想外の単語に思わず聞き返してしまう。
しかし、すぐに今週行われる予定のビッグイベントを思い出し、納得したように手を叩いた。


「そうや!
今週、おキヌちゃんがあそこでコンサートやる予定やないか!」


うんうんと絆創膏の男が静かに頷く。


「横っち、悪いけどチケットなら力になれへんで。
極々一部のチケット以外は完全抽選になってて、俺らのツテでも手に入らんのや。」


「あ、違う違う。チケットなら持ってるんよ。」


誤解されている事に気付き、慌てて手を振って遮る。
なら何の用なのかと、サングラスの男は眉をひそめた。


「俺が知りたいのは、あの会場の間取りと関係者通路の構造なんよ。
ライブやったんならある程度は知ってると思ってさ。どうか、銀ちゃんの力を貸してほしい」


「おいおい、横っち。まさかお前……」


何をしようと企んでいるかを察し、目を丸くする。
絆創膏の男は、相手の想像を認めるように真面目な表情で頷いた。


「い、いや、ちょっと待ちや。
わざわざ俺にそんな事聞かんでも、横っちも充分おキヌちゃんの関係者やんか。
何するつもりか知らんけど、何でまたそんな事を知りたいんや?」


「……おキヌちゃんとは、もうずっと逢ってないんだ。
俺も日本に戻ってきて、ちょうどタイミング良く向こうも日本に来てるからさ。
美神さんやおキヌちゃんと逢いたいと思ったんだ。」


空になったジョッキをじっと見つめる。


「でも、駄目なんだ。逢えないんだ。
いくら俺が逢いたいと思っても、向こうはそれを望んでないから。」


ジョッキを見つめる虚ろな眼差しに気付き、サングラスの男はハッと息を飲む。
子供の時から知っていた筈の男は、今は別人のように思えた。


「それで……いったい、何をするつもりなんや。
もし仮に、あくまで『仮に』や。俺が力になるとして、いったい横っちはどうしたいんや。」


慎重に言葉を選びながら続きを促す。
『現代の聖女』として讃えられつつあるおキヌの影響力は、彼も良く理解していた。
芸能界に身を置くが故に、彼女の影響力の恩恵に授かろうとどれほどの力が動いているか。嫌でも耳に入ってきた。
各国を巡り、世界中の人間から支持――崇拝と言っても良いかもしれない――されている彼女を、もしも宣伝のために使う事ができれば、それに伴う利益は想像すら出来ないのだから。

今の彼女の立場を理解しているからこそ、今自分達がしている会話がどれほど危険か。背筋が寒くなる思いだった。
世界的なVIPとなった彼女に、『ガキの悪ふざけでした』は通じないのだから。


「ああ。俺の目的は――――――――」


男はサングラス越しの瞳を見据え、自分の計画を話し始めた。
既にその眼差しは虚ろなものではなく、穏やかなものに戻っていた。


誰もいない廊下を、小さく靴音を響かせ小柄な少女が歩いている。
恐らく、年の頃は10代半ば。せいぜい、中学生といったところだろうか。
真夏だというのに何故か少女は丈の長いフード付きのコートを羽織っているが、その表情は涼しげ、というか無表情だった。
冬物のコートに加え、首には――素材は不明だが――半透明のマフラー状の布がゆったりと巻かれていた。
腰まで伸びた金色に近いライトブラウンの髪と、宝石のような碧眼が、彼女が日本人ではない事を示している。

少女は廊下の突き当たりの部屋の前で立ち止まり、扉を軽く叩いた。
はい、と扉の中から返事が聞こえたのを確認し、口を開く。


「シルキィです。ただいま戻りました。」


すぐに室内から、弾むような声色で入るように言われ、少女は扉を開いた。


「こら、おキヌちゃん。動いちゃ駄目だってば、もう……」


「だって、美神さん。シルキィちゃんが戻ってきたのに。」


広い室内には、鏡が取り付けられた化粧台の前にいる二人の女性しか姿が無い。
咎めるような言葉に、鏡の前で髪をセットされていた黒髪の若い女性が不満そうに口を尖らせる。
少女は静かに二人に近付くと、化粧台に自販機で買ってきた缶コーヒーとオレンジジュースを置いた。
だが、少女が買ってきた缶コーヒーを見た黒髪の女性は、微かに表情を曇らせた。


「希望の物を探したのですが、既に製造が終了してしまっていたようで、ここの自販機にはありませんでした。
代わりとして、同じ製造会社の物を買ってきましたが、構いませんでしたか?
もし、希望の品でなければいけないと仰るのなら、外に出て探してきますが。」


申し訳無さそうに頭を下げる少女に、慌てて黒髪の女性は手を振り、頭を上げさせる。


「あ、ご、ごめんねシルキィちゃん!そんなに大事なことじゃないの。
わざわざ買ってきてくれて、ありがとう。」


「では、よろしいのですか?
許可を頂けるなら、すぐにでも外へ探しに――――」


外へ向かおうとした少女の手を取り、慌てて引き止める。


「本当に良いの!
ちょっと、久しぶりに飲みたいなーって思っただけだから……」


やはり女性は残念そうだったが、少女も納得したのか、それ以上は何も言わなかった。
二人のやり取りが一段落したのを確認し、亜麻色の髪の女性が化粧道具を手に取る。


「さて、それじゃさっさと化粧しちゃうわよ。
だーいじょうぶ、おキヌちゃんは元が良いんだから薄化粧で充分よ。」


黒髪の女性は化粧が苦手なのか、不安そうな表情を浮かべた。
しかし、それもいつもの事なのだろう。薄化粧だからすぐに終わるわよ、と付け足し、様々な化粧道具の中から必要なものだけを手早く取り出す。


「ほら、シルキィも笛の調律はもう終わってるの?
造ったあんたにしか出来ないんだから、しっかり頼むわよ。」


「もう終わってる。何時でも大丈夫。」


素っ気無く答えると、ふいと背を向け、控え室に置いてあったソファーに腰を下ろす。
自分には全く懐こうとしない少女に、苦笑しつつ、やれやれと頭を振るしかなかった。

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