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「スランプ・スランプ!5 「百華繚乱、縁抱きて」前編(GS)」

竜の庵 (2006-08-30 13:10)
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 激しい動悸と共に、美神令子は真夜中に飛び起きた。

 額といわず全身といわず…吹き出した汗で体中が気持ち悪い。

 「……シャワー、浴びなくちゃ」

 のろのろとベッドから這い出し、明かりもつけずに部屋を出て浴室へ向かう。


 嫌な夢だ。中途半端に現実を踏襲した、生々しい悪夢。絶対にそんな事はあり得ない、と言い切れない後味の悪さが、胸をムカつかせる。


 冷水を頭から被って、汗とイラついた気分を纏めて洗い流す。美神自身、誤魔化しにしかなっていないのは解っているが。

 「なんとか、しなくちゃね…なんとか………」

 水の音でかき消された呟きは、彼女らしくない弱々しいもので。

 「…よし。うん、大丈夫よ。私を誰だと思ってんのよ。冗談じゃないわ」

 自己暗示のように、美神の唇は大丈夫大丈夫と呟き続ける。同時に、眼の光が強く、鋭く甦る。

 「二度とあんな無様なこと、して堪るもんですか!」

 浴室の壁に裏拳が叩き込まれる。続けて鞭のような蹴り、力任せの正拳と連撃が繰り出され、浴室の壁に掛けてあった鏡が衝撃で落下し、大きな音を立てた。

 「あいたたたたた……ふー、落ち着いた」

 熱を帯びた拳を冷水に浸し、美神は落ちた鏡に映る自分の顔が、幾らかはまともになっていることを確認した。

 と。

 「何事ですかこんな夜中に!?」

 ばたばたと美神の部屋に複数の足音がなだれ込んでくる。

 「あ」

 ここは事務所ではありません。白井総合病院、VIP専用個室。当然、水回りの設備も完備。

 「あ、あははははははは! 何でもないのよ先生! ちょっと滑って転びそうになっただけ! あはははははははは!」

 浴室から聞こえてきた声に、先生と呼ばれた白衣の男性は頭を抱えた。

 「何度目だと思ってるのかね美神くん!? 明日退院なんだから、今夜くらい大人しくしていたまえ!!」

 「や、やーね? 常習犯みたいな事言わないでよー」

 「どの口が…っ!! 我々が夜中の轟音で何度、叩き起こされたと!?」

 「轟音って…あんた人を戦闘機みたいに」

 「いいから、さっさと寝なさい!」

 「はーい…」


 美神が入院して一月。この間に生まれたであろう損失額に頭を抱えつつも、美神にはまだGS稼業を再開する勇気は無かった。
 明日には退院出来るが、それは肉体的な疲労や怪我が治ったに過ぎない。彼女の心に傷を残しているあの暴走事件。その原因を究明して、乗り越えなければ世界最高のGS、美神令子の復活はなかった。


 「…負けちゃ駄目なのよ、私は…」

 複雑な思いを内包した呟きは、決意とも強がりとも言いづらい、ある意味とても美神らしいもので…


 スランプ・スランプ!5 「百華繚乱、縁抱きて」(前編)


 美神が一月余りの入院生活から開放された当日。
 事務所に帰ってきた彼女は、横島が妙神山へ向かったことを知ると…壮絶な笑みを浮かべて自分も修行に出ることをおキヌに伝えた。
 当然、おキヌは反対したのだが…本気の美神は止められない。軽い言質の裏にある、頑なな決心が見え隠れしているとなれば、尚の事だ。

 「じゃ、そういうことで留守はお願いね、おキヌちゃん♪」

 「もう、分かりました。でも無理はしないで下さいね? 病み上がりなんですから」

 「はいはい。なんかあったら携帯に連絡ちょうだい。可能な限り電源は入れとくから」

 小さな手荷物一つ持って、美神は颯爽と玄関を出た。扉を閉め、おキヌの気配が遠ざかったのを確認してから、雰囲気を180度変えたような声音で呟く。

 「……人工幽霊一号」

 『はい、オーナー』

 「…おキヌちゃんのこと、お願いね」

 玄関扉に寄りかかった美神は、おキヌの前では決して見せなかった堅い表情でそう伝えた。

 「シロとタマモにも、フォローするよう言っといて。あと、横島くんが私より先に帰ってきたら…私が戻るまで、アイツに事務所任せるわ。前も上手くやってたし、なんとかなるでしょ」

 『オーナー…お帰りはいつ頃の予定ですか?』

 「さあねー…おキヌちゃんには一週間くらいって言ったけど、正直分かんないわね。まあ小竜姫様に会ってから考えるわ。…それじゃ、さっきの件よろしくね」

 『畏まりました。…ご武運を』

 人工幽霊一号の神妙な言葉に、美神は苦笑する。

 「やーねー、せめて良い旅を、くらい言ってよね。んじゃねー」

 愛車コブラのキーを指で遊ばせながら、美神はガレージへと向かう。強烈な意志を秘めた瞳がコブラのフロントガラスに映りこみ、キーを握り締める拳は血の気が引いて真っ白くなっている。
 軽くため息をついて、美神はコブラを発車させた。普段よりも乱暴に、白煙と爆音を轟かせながら。


 『オーナー、ご無事で…』


 美神を見送る人工幽霊一号の呟きは、『人工』なんて言葉の全然似合わない…人間臭いものだ。
 彼は『家族』の無事を、本当に心から祈っていた。


 妙神山修行場を眼下に見下ろす遥か雲上に、その少女は漂っていた。

 「んー…♪ いいタイミングで遊びに来れたのね〜」

 彼女の眼には、涙をどばどば流しながら山を駆け下りていく青年の姿と、真っ赤なボディの車を降りて、登山道に入ろうとしている女性の姿とが、明瞭に見えている。

 「うふふふふふふ…ふ? 美神さん…なんか調子悪そうね…ふんふん? はー、なるほど…うわすご! あの人、もう人間超えてるのね〜…」

 人懐っこい笑みを浮かべる少女…妙神山修行場の管理人、小竜姫の友でありれっきとした神族である天界調査官ヒャクメは、何を見ているのか、しきりに頷いたり首を振ったりを繰り返し…

 「…やっぱり間近で見ないと駄目なのね。さっさと行くとしますかー」

 くるりと身を翻すと、眼下の修行場で一心に剣を振るう友に向けて降下していくのだった。


 因果応報。
 この言葉は悪い意味で使われる場合が多いようだが、語句自体に悪意は無い。過去の行いが現世になって善悪どちらかの結果となって現れる、双方の意味を含んでいる。
 美神と横島の関係は、この因果にそりゃもう振り回されっぱなしで…当事者的には、そろそろ勘弁してほしいと本気で願っている程だ。
 縁を切りたいのではなく、お約束、王道、世界意思…運命、本懐(?)その他諸々に人生を牛耳られているような感覚から抜け出したいのだ。


 「まぁ…そうは言っても、多分こうなるんじゃないかなーなんて思ったけどね」


 登山道の入り口脇に座り、缶コーヒーを飲んでいる美神は、近づいてくる見慣れた霊圧に複雑な思いを感じて眉を顰めた。

 こと彼に関して。
 美神の勘というのは未来予知に近い精度を叩き出す。
 彼が妙神山に向かった確証はなかったし、ましてやこちらが碌に探しもしない内から出会えるなんて、都合の良すぎる話ではないか。
 しかし、もっと美神には認められない事実がある。
 彼の霊圧を感じた瞬間、反射的に出た安堵のため息。
 胸のうちに渦巻く複雑な感情の大半を、つい出てしまったため息が代弁している。
 まるで自分が…彼との再会を熱望していたようではないか。

 「……はー…全く、どうしたもんかな」

 ぐいっと缶コーヒーを呷り、飲み干す。空き缶になったそれを手に鷹揚に立ち上がった。

 「……なるようになる、か」

 土煙を上げながらこちらに向かってくるソレに、美神は目線を向けた。
 そして。

 「えい」

 かららん、と空き缶が転がる。道の真ん中に。
 …あとは、世界意思が、運命が、お約束が望むとおりに。


 「げぐわっしゃあああああああああああああっ!!???」


 土煙の主は、今まで以上に壮大な煙と小石、脱げた靴なんかを辺りにぶち撒けながら、盛大にすっ転んでみせたのであった。

 「…あーあ。私も日和ったのかしらね…転がす程度で満足してるなんて」

 「この顛末見て転がった程度だなんてどの口が言うんじゃぁぁーーーーーっ!?」

 宇宙意思が用意したとしか思えない、転がる先の石碑に叩きつけられ、砕けた岩石が頭に刺さっている彼…横島忠夫は血染めの形相で美神に突っ込む。

 「血と涙でキモい」

 「酷!!??」

 しばしして。

 「……はっ!? 何故美神さんがこんなところに!? 入院してた筈では!?」

 ようやく、横島は現状の不自然さに思い至って突っ込む。

 「退院したに決まってるでしょ。さて、横島くん?」

 「っ!? 何でがしょ、旦那…?」

 びくり、と細胞が青ざめたような気がした。久々に会った上司の放つ、抗いがたいオーラの波動。笑顔の裏に見え隠れするのは殺意か慈愛か…考えるまでもないですが。

 「……やっぱやめた。とりあえず付き合いなさい」

 が、大半の予想に反して、美神は不機嫌な様子でオーラを消し、登山道を歩き出した。残された横島は首を捻らざるをえない。

 「なんかあったのかあの人…っと、あ、美神さんちょっと!」

 「あ? 何よ?」

 振り向いた美神に、横島は一つの文珠を放った。『治』の文字の入ったそれは、作り手とはまるでそぐわない清らかで優しい霊圧を放って、美神の疲労を癒していく。

 …いや、美神は知っている。横島の本心は、この文珠の様に…

 頭を振って、美神は横島に噛み付いた。

 「ちょ、何よいきなり。あんたの文珠は大事な戦力なんだから、ぽんぽん使っちゃ駄目だって…」

 「いやだって美神さん、小竜姫様のところ行くんでしょ?」

 「そうだけど…」

 「退院したって言っても、ここの道中は病み上がりにはきついでしょ。念には念を入れて万全を期しといたほうがいいッスよ」

 「な………」

 美神の心配をする横島自身、まだ流血しているというのに。
 真っ先に他人を…自分の怪我などまるで気にせずに己の切り札を使ってしまうこの甘さ。

 …美神の暴走時にも、そうだった。誰よりも先に美神の異変に気づき、おキヌやシロタマを守るために全霊力を発揮して…挙句の果てに自分だけ集中治療室行きとなって。

 「………んでそうなのよ」

 「へ?」

 「なんでもない! さっさと登るわよ! はいこれ私の荷物、落としたらその後の人生全てで償ってもらうからね」

 「重!? 小さなバッグに100年分の未来が!?」

 流血の止まった横島に持っていたバッグを投げつけ、美神は「後何年生きる気よ…」と呟きながら歩を進める。
 ここで普段なら、美神の顔は横島の気遣いに真っ赤になっているところなのだが。
 美神は無表情だった。霊力を抑えている影響か、それとも横島の行動に含むところでもあるのか。ただただ不機嫌なままである。

 「やっぱり駄目だわ、このままじゃ…」

 イラついたような呟きも、口中から外へは出ない。

 「…あれ? 俺、けっこう痛々しい別れ方してきたんだけど…また小竜姫様やパピリオと会うの? 半日も経ってないのに?」

 横島は横島で、はたと気づいたちょっと恥ずかしい現実に、目頭を熱く濡らしていたり。


 「「待てい!!!」」


 「うるさい馬鹿とっとと通しなさいよ穀潰しの無能門番コンビ穀潰しを磨り潰したって面白くもなんともないのよそれとも何私に喧嘩売ってこの先も五体満足で門番稼業続けられるとでも思ってんの上等じゃないのかかってきなさいお望み通り腐肉の塊に仕上げてあげるわよ」


 「「ごめんなさい…」」


 美神が妙神山修行場の扉を開けると、ぱたぱたとこちらに向かってきていた小柄な神族…小竜姫と丁度出会うことが出来た。

 「あら? 美神さん、鬼門達の相手は…?」

 「久しぶりね小竜姫様。鬼門? そんなんいたっけ?」


 「のう横島……ワシらもう廃業したほうがいいんだろうか…」

 「さっきの美神殿……まるで花園に捨てられた産廃でも見るような目で…」

 「いやー…なんか今日の美神さん、凄え機嫌悪いのよ。災難だったなお前ら。かくいう俺も入り辛くてこうしてお前らと駄弁ってる訳だが…」

 修行場の門前で一人と二匹は膝頭をつき合わせてさめざめと泣いていたり。

 「…何してんのよ横島くん。さっさと入りなさい」

 「!! う、ういッス! じゃあまたな鬼門! 元気出せよ!」

 上司に呼ばれて中へ駆け込んでいく横島を見ながら。

 「あ奴に慰められるとは…」

 「…堕ちるところまで堕ちたかワシら…」

 しくしくしくしくしくしく…

 鬼門二人の苦悩は、より一層深く暗く落ち込んでいくのでした。


 「綺麗に直ったわね、ここ。出資者としては心配だったわよ」

 「お蔭様で。修行者の方はさっぱり見えられないのですけどね…」

 修行場内の一室に通された美神は、お茶を運んできた小竜姫が落ち着くのを待ってから本題を切り出した。
 門で出会って早々に、美神は今日の来訪の目的が修行ではないことを告げていたため、小竜姫的には些か面食らう展開だったが。
 何より、美神の纏う空気の刺々しさといったら…説教中の斉天大聖のほうがまだマシ、と言えるくらいだ。

 「実はね、今ちょっと…スランプなのよ。で、その原因を見てもらいたくて」

 「すらんぷ…ですか。先ほどから霊波が揺らいでいたのはそのためだったんですね」

 「ま、詳細は省くけど、コレ何とかしないと仕事にならないわけよ。人間界じゃ埒があかなくてね…手っ取り早く、神族様に相談に来たの」

 「なるほど…では一度手合わせしてみましょうか。私は武神、剣を交わせば見えてくるものもあるでしょう」

 小竜姫らしいその言葉に、美神は渋面を隠さない。何かを探すように室内をきょろきょろと見回し…ある一点で眉を顰める。

 「んな事するより、専門家に診てもらう方が早いわ。悪いけど、今の私すっごい敏感になっててね。山麓にいた時から、うざったい視線がちらちらしてたのが丸分かりだったのよ」

 美神はまだ熱い筈のお茶を一息に飲み干すと、空の茶碗を小竜姫の背後へ投げつける。


 「きゃうっ!?」


 宙を舞った茶碗は、放物線というよりも直線軌道を描いて、すこーんと透明な何かに炸裂し悲鳴を上げさせた。

 「っと」

 何かに跳ね返って床に落ちそうになった茶碗は、小竜姫が慌てずにキャッチ。この場に第三者がいたことも知っていた様子で、やれやれと肩を落とす。


 「酷いのね〜…うざったい視線は失礼ですよ、神聖なる神族の眼差しをっ!」


 ぽん、とその場に現れたヒャクメは、赤くなった鼻頭を押さえ、涙目になって抗議し始めた。

 「話は聞いた通りよ、ヒャクメ。悪いんだけど、軽口叩いてないで診てもらえないかしら」

 「完全スルーなのね………まぁ、アレよりはましな扱いかもね…」

 いまださめざめと泣き崩れている鬼門の様子を心眼で捉えつつ、ヒャクメは虚空から大きな鞄を取り出す。

 「ヒャクメ…あなたの言っていた面白そうなこと、というのはこの事だったのですね」

 「そそ。我ながらナイスタイミングで地上に降りてきたものよねー」

 ヒャクメは嬉しそうに笑う。その様子はまるで、噂好きのクラスメイト。フレンドリーな空気はまるで神族に見えません。

 「あんたの好奇心で、何匹猫が死んだかしらね…」

 他人事だと思って、と美神の機嫌は直らない。ひたすらに眉根を寄せ、準備を進めるヒャクメを苛々と睨んでいる。

 「はい、準備完了。さてさてー…ではじっくり見させてもらいましょうかねー」

 まあ準備といっても鞄から虫眼鏡を出して、布でレンズを拭いただけでしたが。

 「さっき、上から一通りは見たんですけどねー…美神さん、霊力量が以前の倍くらいになってますよ」

 「はあ? 私、霊的成長のピーク過ぎてるのよね?」

 思ってもいなかったヒャクメの言葉に、美神の目が丸くなる。
 霊的成長のピークはほぼ未成年時に訪れるものだ。横島やおキヌならいざ知らず、美神に当てはまる筈がない。
 以前に妙神山を訪れた際に小竜姫にも言われていた話だ。

 「ちょっと魂を詳しく見せてもらうのね〜………ふむふむ。ははーん…」

 虫眼鏡の角度を様々に変化させながら、ヒャクメの診断は続く。物凄く楽しそうに。

 「ふー。まあ一通り分かったのね。美神さんの思っているスランプの原因とか、暴走する理由とか」

 虫眼鏡を鞄に仕舞ったヒャクメに、ずいっと美神が詰め寄る。目の色を変えて。

 「何!? 何だったの!? ヒャクメ!!」

 「落ち着いて! 美神さん、ほらお茶のお代わり持ってきましたから!」

 度を過ぎた焦りように、慌てて小竜姫が割って入った。肩を前後左右に揺さぶられたヒャクメはちょっと酔い気味。感覚器官が多い分、繊細というか神経質なのかも知れません。

 「ちゃ、ちゃんと話しますから。えっと、結論から言うと…」

 「何!?」

 「美神さんの魂、一度粉々になってますね。そこから再構築された際に、飛躍的に霊力容量を増しているのね。神通棍が点滅したり、暴走した理由はそれです」

 「粉々!? ……まさか、一年以上も前のアレの後遺症だっていうの!?」

 我を失っていたように見えても、そこは美神だ。瞬時に平静を取り戻し、苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。忘れようと思っても、忘れられる訳がない過去を。

 「アシュタロス…またアイツの名前を出さなきゃならないなんて…反吐が出るわね」

 美神の人生に於いて最も過酷で、最も最悪で、最も辛かったあの事件。彼女の魂に宿るエネルギー結晶を得るために、そして一人の魔神が己が悲願を果たさんがために…壮絶に繰り広げられた数多の戦いが思い出される。

 多くの人間が、魔族が、神族が深い傷を受けた。


 …特に、彼女の丁稚は。


 「エネルギー結晶を抜かれた美神さんの魂は一度崩壊しました。そしてコスモプロセッサの出鱈目なパワーでもって再生された」

 ヒャクメはどこから取り出したのか、キャスター付きの黒板に図解しながら説明を続ける。吊り上った目尻の眼鏡をかけて、女教師風です。小竜姫の冷え切った視線が痛い。

 「それで?」

 美神はヒャクメの姿から黒板から完全にスルーして、続きを促す。

 「…結晶を失った魂は、大きな欠損がある状態でした。コスモプロセッサでそれを補完する際に、大量の霊力が欠損部分に注入されたと思ってほしいのね」

 白いチョークでぐりぐりと丸を描き、その半分ほどを消す。次に赤いチョークで欠損部分の丸を描き足す。もとから美神が持っていた霊力が6割。注入された霊力が4割、という比率だろうか。

 「こうしてしばらくは紅白の霊力が魂に残っていたのだけれど、安定するにつれその境界は薄れていって、あるとき、完全な美神令子の魂として定着する。今の美神さんの魂が、まさしくそう」

 「でも完全に定着したってことは、私のものじゃない。なんで暴走したりするのよ」

 「それは、美神さんの認識が足りていなかったせいなのね。魂と意志の間に生まれた齟齬…簡単に言うと、美神さんの発揮している全力と、再構築された魂の持つ霊力総量に差がありすぎたのね」

 「はあ!? 私が自分の力を把握してないっていうの? いくら何でも、そこまで…」

 黒板に書かれた数字に、美神は呆れる。
 自分の使える力の総量を知り、効率的かつ経済的に仕事をこなすのは、一流GSなら必須の技術だ。それが出来ないと、一日に何件の仕事がこなせて、どの案件に何割の力を使えるのか。見積もりすら出来ない。

 「暴走時の記憶もちょっと見せてもらったのね。神通棍が暴走してたくさんの鞭となって…よこし「ストップ。それはいいでしょ」…っ! 失礼しました…」

 顔を顰めて俯く美神の姿からは、ヒャクメならずとも彼女の痛みが伝わってくるようだ。
 後悔や自責の念が、それまで部屋を席巻していた苛々・刺々しいオーラを拭い去っていた。ある意味、もっと悪質な空気が場を重くしている。

 「……続けますね。本来なら一条の鞭が、暴走時には数十条の鞭の雨と化した。これは、魂が持つ本来の霊力を発揮したから。美神さんの主観では、確かに暴走ですけど…」

 「…なるほどね。要するに、高出力のエンジンをずっとアイドリング程度の出力で動かしていたのに、その時だけアクセルを目一杯に踏み込んでしまった、って感じか」

 「です。急激に回転を上げたために美神さんの意識がオーバーフロウを起こしてシャットダウンしちゃったんです。でも一度流れ出したその力は収まりがつかず…あんなことになってしまった」

 結果、美神の全身の経絡は膨大な霊力の流れに晒されて損傷、神通棍を通してばら撒かれた霊力は周囲一体を破壊し尽くした。

 美神は思わず、強く目を瞑った。

 「……どうすればいいの、ヒャクメ。私、このままじゃ駄目なのよ」

 あれから何度も夢を見た。
 横島を、おキヌを、シロを、タマモを…自分の周囲の人間を悉く傷つけては泣き叫ぶ…そんな悪夢を。
 入院中、真夜中に飛び起きては汗を拭い、偶に見舞いに来る仲間達の前では平静を装って。エミと腹を割った会話が出来るまで、本当に辛かった。

 「うっすらとは、分かってたのよ。あの力が、無理矢理引き出されたもんじゃないってことは。私が私の意志でもって扱える、ちゃんとした能力なんだってね」

 「そうなのね。美神さん自身が、きちんと認識して全力を出すようにすれば…制御可能です。小竜姫なら、適切な修行法を編み出してくれるのね」


 …光明が見えた気がした。

 先の見えない不安から、遠くにうっすらと光が見える程度に。

 そうなれば、あとは光目掛けて進むのみ。

 自信満々に、意気揚々と。

 それこそ、美神の本来あるべきスタンスだ。


 「…そっか。ありがと、ヒャクメ。あんたに頼って正解だったわ」

 「わ、私……面と向かって頼られたなんて言われたの…初めてかも!?」

 じーん、と瞳をうるうるさせるヒャクメ。黒板を片付けていた小竜姫ももらい泣きしてしまうほどに、切ない呟きでした。

 「美神さん。それでは今夜からこちらにお泊りに?」

 「そうね。ほんとはヒャクメに渡りをつけてもらうだけのつもりだったんだけど。こうなったら完全制御するまで付き合ってもらうわ。いいでしょ、小竜姫様?」

 不敵に笑う美神の姿に、いつもの輝きを感じて。小竜姫は微笑んだ。

 「勿論ですよ。妙神山は、あなたのような修行者の方を導くために存在するのですから」


 (…どうせ暇ですし。この際ですから徹底的に鍛え上げてみましょうか)


 小竜姫は内心で、そら恐ろしい事を考えていたり。様々な修行プランが脳裏を過ぎっては消えていきます。億本ノックとか剛錬武背負ってうさぎ跳びとか。

 「では早速修行着に着替えてもらいましょうか。今の美神さんがどれほどのものか…私も一武神として興味がありますしね」

 妙にハイテンションな竜神様に、う、と美神は脂汗を浮かべる。体育会系のテンションは正直苦手。

 「私もしばらく付き合うのね〜♪ お仕事は休暇をもらってあるから平気だし!」

 「あ、そうだヒャクメ。実はもう一つ、お願いがあったのよ」

 爛々と輝く小竜姫の視線から逃れるように、美神はヒャクメに言った。
 え、とヒャクメの多くの瞳が輝きを増した。頼りにされる快感に目覚めたらしく、美神の手を握ってコクコクと頷いている。

 「私に出来ることなら何でも言ってほしいのね。神族の誇りにかけてカンペキにこなしてみせるのね!」

 「……やー、そんなにテンション上げられても困るんだけど。まぁ小竜姫様でもいいんだけどさ」

 「はあ」

 美神は小竜姫にも目を向けてから言った。

 「誰か、有名な鍛冶の神様に知り合いいない?」

 「鍛冶の神? 美神さん一体…」

 「んー、ちょっと私専用の武器、鍛えてくれないかなー、なんて」

 小竜姫は小首を傾げる。神族の鍛える武具とは、即ち神族が扱う武具である。小竜姫の神剣然り、竜神の装具しかり。

 「…ああ、なるほど。美神さんの霊力に耐えうる武器が、地上界ではもうほとんどないのですね。修行を終えて、本来の実力が出るようになったら尚更」

 「私の霊力によって『変質』が起きない…暴走したりしない道具が欲しいわけ。そーね、せっかくだからアメノムラクモとか、草薙の剣とか…あれくらいのが欲しいな。そろそろ私も英雄扱いされてもいいかなーなんて」

 あははー、と笑って言う美神に、小竜姫は厳しい顔を見せた。

 「しかし、貴女専用の武具となると…デタントに引っかかる可能性もあります。せっかく例の事件でのごたごたが片付いて、デタントに対する神魔族の歩調も揃ってきているのに、個人的な用件で神族が動いたら、また…」

 「連絡着いたのね〜」

 「一体どれだけのこんら……ヒャクメ? 今なんと?」

 「だから、マっくんと連絡取れて、今の話も伝えたの」

 「ヒャクメ、マっくんって誰?」

 「さっきの美神さんの条件に合った神族なのね」

 「へ? ありゃ冗談よ。いくらなんでも神話級の武具を造らせようなんて……………マジ? …でもまぁどうしてもっていうなら…」

 美神の本音がちらつく中、ヒャクメはニタリと笑って見せた。

 「うふふふ。このヒャクメ様の人脈を甘くみてもらっては困るのね〜」

 「ちょ、待ちなさい! ヒャクメ!!」

 どーんと胸を叩こうとしたヒャクメの腕を、小竜姫は捻り上げる。頬をひくひくと引き攣らせ、今にも灼熱の霊気が噴出しそうな雰囲気で。

 「まさか、本当にあの方に連絡したのではないでしょうね!? 事はデタントにまで影響を及ぼすのですよ!?」

 「腕腕腕っ!! 小竜姫、腕が千切れるのねーーっ!! …ったく、小竜姫だって分かってるでしょ? あの事件で、私達神族が人間に作った借りは…とんでもない大きさなのね。特に前世からの因縁持ちである美神さんには」

 捻られた腕をさすりさすり、ヒャクメは続けた。

 「マっくんも美神さんの名前は知っていたのね。で、お詫びも兼ねて一品だけ製作を請け負うと言ってくれたのね」

 「いやだから、マっくんて誰よ?」

 「な…!? …私、ちょっと老師に相談してきます。こういうのがアリなのかどうか。ヒャクメ、事と次第によっては…罰せられる可能性もありますからね」

 厳しい口調で小竜姫は言い、部屋を出て行った。残されたヒャクメと美神は、彼女の放っていた怒りの霊圧から開放されて一息。今になって汗が噴出してきたのを、美神は拭った。

 「小竜姫、ほんとに生真面目…デタントに縛られすぎなのね」

 「だからさ、マっくんって誰? まあヒャクメの知り合い程度に、そんな期待してないけどさ」

 今度こそ、どーんと胸を叩いてヒャクメは口の端を吊り上げた。美神の冷めたセリフにも、動揺を見せません。

 「うっふっふ…正直、自分でもマっくんがOKするなんて思わなかったけど…こうなれば面白い方に転がる様を楽しむのね!」

 「へ?」

 「美神さんの驚く顔が見ものなのね〜!」

 「へ? え?」

 美神が呆けた声を上げた次の瞬間、さきほどの小竜姫などお話にならないくらいの霊圧が、突然室内に出現した。
 呼吸するのも辛いほどの強圧に、美神は床に膝を付いてしまう。ヒャクメが平然としているのが、何だかとっても屈辱的です。

 「もう来た!? マっくん流石のフットワークなのね…美神さん、今のうちに何が欲しいかきちんと考えておくといいのね」

 軽い科白に言い返しも出来ず、とうとう這い蹲った美神は、霊圧の放たれている地点をひたすら睨みつけることしか出来ずにいた。


 さて、門を潜った辺りから存在の忘れられていた横島ですが。

 「へー、小竜姫様のことをなー」

 「うん。小竜お姉ちゃんって呼ぶと、凄く嬉しそうにするんでちゅよ」


 妹代わりの魔族、パピリオに捕まって、彼女の自室でTVゲームに興じていた。
 今回は美神の修行がメインなので、修行場に到着してしまうと横島にはやる事が無い。恐らく小竜姫は美神に掛かりきりになるだろうし、斉天大聖にしても、先日の『神魔族介入不要論』がある。
 自主トレくらいは、せっかくの妙神山なので行うつもりではあるが、大半の時間を持て余すことに違いは無い。
 パピリオは真剣な顔の割りに、口が半開きになっていてちょっと間抜け風。コントローラを操る手つきはゲーム猿譲りなのだろうか、なかなか手馴れている。

 …しばらくは、パピに付き合うのもいいか。

 監察期間中で、遊ぶにしても妙神山からは出られないパピリオ。
 規律にはうるさい小竜姫だ。起床から就寝まで、子供には窮屈なスケジュールを組んでパピリオの生活を管理している筈だ。妹に向ける愛情とは別にして。
 監察期間がどれくらいなのか、神族の司法制度なんて知るわけもない横島には、パピリオがここでの生活に慣れ、楽しんでくれるのが一番だった。

 なんとなく、コントローラから手を離して、パピリオの頭をくしゃくしゃに撫でてみる。

 「隙有りーーーーっ!!」

 ゲーム画面の中、横島の操っていたチャイナ服にお団子頭のキャラが、パピリオ操るぼろぼろの黒い道着のキャラに、凶悪なコンビネーションブローを喰らって倒れた。

 「おわ!? パピリオ、今のは卑怯だろ!」

 「パピの愛らしさに負けて手を出したヨコチマの不覚でちゅよ! 真剣勝負中に気を散らすなんていい度胸でちたね!」

 「しかも何だよ今の技! 防御不能かよ! 画面に『天』って意味わかんねー!」

 コントローラを放り出してごろり転がった横島の腹の上に、間髪入れずパピリオは飛び乗った。満面の笑みに、横島も苦笑を浮かべてその頭を乱暴に撫でる。

 「…ヨコチマ、約束守ってくれたんでちゅね」

 「あん?」

 「ミカミと会って生きてたら、すぐにまた会いに来てくれるって!」

 「あー…はっはっは。美神さんと遭遇した時点で、俺に選択権なんかなかったのさ…」

 「それでも約束を守ったヨコチマに、パピからビッグなプレゼントをあげまちゅ」

 横島の胸板にどばーんと飛び込んで、パピリオは言った。

 「その名も、『パピがヨコチマお兄ちゃんと呼ぶ権利!』」

 少しだけはにかんだ表情は、パピリオが情緒的にも成長している証だろうか。

 「嬉しいでちゅかヨコチマ? ときめきまちたか?」

 「はっはっはっは。兄ちゃん会う度に殺人タックル仕掛けてくる妹は正直勘弁だな」

 「!? 言ったでちゅねっ!?」

 パピリオ的には、小竜姫に対した時よりも重要なお願いだった。けれど遠く細い目でやんわりと切って捨てた横島に、今頃になって羞恥心が湧いてくる。

 「ならばお望みどおり、殺人、いやさ封印されし魔神流突貫術の奥義を見せてやるでちゅよ!!」

 横島的には、『何を今更』。この一言に尽きる。パピリオは改めなくても大事な妹分である。兄貴なのは前からで、今更お兄ちゃんと呼ばれても。

 何者をも受け入れる度量の広さの分、致命的に鈍感なこの青年に。

 「殺神の業…今こそ喰らうがいいでちゅよぉーーっ!!」

 「なんで怒ってんだパピリオ!?」


 奇しくも、先ほどのゲームと同じ技が炸裂しました。


 「ぎゃあああああああああああっ!! 瞬獄殺はいやぁぁぁぁーーーーっ!!」


 つづく


 後書き


 竜の庵です。
 スランプ・スランプ! では最終シリーズ予定の、美神編をお届けします。
 といっても、おキヌ編の半分くらいの長さでしょうか。まだ分かりませんが。
 えーと、美神の魂に関する解釈は、恐らくは穴だらけでしょうが、可能性の一つということでご勘弁を。致命的な齟齬や矛盾は無いはず…


 ではレス返しを。


 スケベビッチ・オンナスキー様 > 主役はメゾさんでした。峯さんと弓さんのために壊れ表記が必要かな、とも考えましたが…原作の感じだと不必要と判断しました。峯さん、原作じゃ素の科白自体少ないですし。魔理&タイガーは高校生が一年近く付き合ってられたのなら、このくらいの甘甘状態にはなるかと。オリキャラの波多野さん。動かしやすい方でした。多分もう出ません。おキヌは現実逃避半分、本心半分の複雑な乙女心なのです。ブラドーは一応、実の父ですから、一度は呼ぶんじゃないかと。


 木藤様 > メゾさんの生死は不明です。どうでもいい、の間違い? 腸捻転に注意して下さい。このお話でそこまで楽しめるのなら、よそ様の作品はもっと凄まじいものが多いですから!


 菅根様 > 始めまして。真面目な話をするメゾピアノも一旦は考えましたが、ボツに。真面目なメゾさんって壊れがいるような気がしたので。クロト様の超名大作に登場する峯 京香嬢は全く意識しておりません。彼のキャラはクロト様の手によって新たな個性が付加された、もうオリキャラみたいなものでしょうし。恐れ多いっ!


 内海一弘様 > 雪乃丞は世界中回って、仕事&修行の日々の設定です。今後登場させるとしたら、横島なんぞ一蹴の強さになってますね、多分。タイガーはいい奴ですから、幸せになってほしいのですよ。おキヌちゃんは手元に笛もない、霊力も使っちゃいけないっちゅう状態だったので錯乱気味。愛子には策士が似合いますなー。


 柳野雫様 > コメディの基本はドタバタ。GS世界は特に、ですね。おキヌ弓魔理で下校するときなんか、惚気話ばっかりな気がしますが…おキヌはどう思ってるんでしょう。メゾさんの強さは、普通の強さとはベクトルが違う気がするのです。カビとか油染みとかそういう強さ。言いすぎだな! ブラドー&愛子のコンビ、意外と書きやすかったです。波長が合うのでしょーか。波多野さんは狂言回しですね。メゾさんの次なる旅にエールを送りましょう。行き先は神のみぞ知る、ですが。


 以上、レス返しでした。皆様有難うございました。


 次回、マっくん登場編。美神の新しい力もお目見えします。
 オリキャラ率の高いお話です…今更だけど元ネタを(GS+オリキャラ)にしたほうがいいのかなぁ…

 ではこの辺で。最後までお読み頂き、誠に有難うございました!

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