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「スランプ・スランプ!4 「神域の巫女」(第7楽章・金色の雨、降り注いで)(GS)」

竜の庵 (2006-08-17 00:37)
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 「おかしいなぁ…宮下さん、全然電話に出ません」

 社から戻ってすぐに、おキヌは健二の携帯へ連絡を取った。
 しかし、何度掛けても電波の届かない所か〜…というメッセージばかりで、一向に本人は出てこない。

 「キヌー…この家、何だか誰かに監視されてる気がするのじゃが」

 仕方なく、留守電に浄霊の目処がついた旨を吹き込み、彼からの連絡を待つことにしていた。

 『あ、それはきっと私のことですね。初めまして、ショウ様』

 「うおおおおお!? なんじゃ!? 誰じゃ今のは!?」

 「あれ、兄様…人工幽霊一号様のこと、まだ教えてもらってなかったのですね」

 「人工幽霊!? なんと、引篭もっておる間に文明は進歩したのだのう…」

 訳知り顔に頷くショウとチリに、おキヌは苦笑を見せて。

 「ショウ様チリ様。お昼ごはんにしましょうかー」

 「おお! 今日は何じゃ! オレは昨晩に食したはんばーぐというのがいい!」

 「私は、キヌ姉様の作るものなら何でも…」

 「チリ! 遠慮することはないぞ! 好きなものを頼め!」

 「兄様…ここはキヌ姉様のお屋敷ですよ。あまり無理を言ってはいけません。…どうしてもと仰るなら」

 「チリ…当然のように篳篥を構えるのを止さんか。どんな技を繰り出すつもりじゃ!」

 「はいはい。お二人とも、手を洗ってきて下さいね。今日はキノコのたっぷり入ったお雑炊ですよー」

 「ぬ! それも美味そうじゃな!? チリ、先に行くぞ!!」

 「あ、待って兄様…」

 とたたたた、と応接室から洗面所へと走っていく兄妹。その間に、コンロに仕掛けてあった土鍋を持ち上げ、テーブルへと運ぶ。

 がたがたと踏み台に上る音と、はしゃいだ嬌声。水音もばしゃばしゃと。

 静まり返っていた事務所は、付喪神兄妹の登場によって、以前の活気を取り戻しつつあった。

 『おキヌさん…皆さんがお帰りになるのが、楽しみですね』

 「はい! ショウ様とチリ様を見たら、美神さんなんて言うかな…」

 その様子を想像して、おキヌはくすくすと笑う。


 「き、キヌ! 水が! 止まらんぞ! じゃぐちを回しておるのにーー!?」

 「兄様! 同じ方向に回しても止まらないです!」

 「く! 蛇が出るわけでもないのに蛇口とは!! こうしてくれるーー! ぐごばぁっ!?」

 「兄様! ああ、兄様が水流に呑まれたー!?」


 『……無事に済めばいいですね』

 「……うん」


 ともあれ。
 美神除霊事務所の新メンバーになるであろう、小さな兄妹は。
 新たな居場所に早々に馴染んだようです。


 スランプ・スランプ!4 「神域の巫女」(第7楽章・金色の雨、降り注いで)


 「なるほどのう。ぴあのという楽器を奏でる幽霊か…」

 「生前は高名な方だったのですか?」

 昼食も終わり、おキヌ達は彼女の自室に戻っていた。「ふかふかの布団じゃあーー!」と叫んでベッドに飛び乗ったショウを、チリの一撃が大人しくさせたりもしましたが。


 おキヌは、兄妹と出会うきっかけとなった久遠梓の浄霊について、詳しく話をしていた。

 「凄い人です。九音堂という音楽堂にいる限りは、ほとんど打つ手がありません。だから、お二人の協力が必要なんです」

 「何を水臭いことを言っておる。我らはキヌと一心同体! お主の想いに答えるのが我らの役目じゃ!」

 「リュウ兄様を救って頂いたご恩は、我が身をもってでも返す所存でございます」

 んー…、とおキヌは真剣な表情のチリを見る。ベッドに並んで腰掛けている兄妹だが、どうもチリはまだ固い様子だった。兄の奔放っぷりを分けてやりたいくらい。

 「チリ様、そんな堅苦しい言い回しは止めてください。ここはもう、チリ様のお家なのですから」

 ぽかんとするチリの頭を撫で、おキヌは微笑む。見る見るうちに、チリの頬が赤く染まっていった。

 「で、でしたら…その。キヌ姉様も、その、様付けをやめて下さいませ。キヌ姉様のほうが…精神的には年上なのですし」

 「オレはこのままでいいぞ! なんか偉くなった気がして心地よいしな!」

 「分かりました。じゃあ、ショウ様にチリちゃん? でいいかな」

 「はい…! キヌ姉様!」


 これで少しは打ち解けられるだろう。
 おキヌは仔猫のような笑みを浮かべるチリに、お姉さんスマイルを返してみる。
 生き返って以降こそ、妹属性の強いキャラであるおキヌだが、300年前はよくこうして子供の世話をしたものである。
 孤児として育った過去も、氷室家の養子となった現在も…血の繋がり以上に大切なものがあることを、おキヌは熟知している。家族とは血縁者だけの言葉ではないのだ。
 ショウとチリにも、そのことを理解してほしかった。そして、この美神除霊事務所ほどそれに適した場所はない、ともおキヌは思う。幽霊だった自分、人工幽霊、人狼に妖狐、妖精までいるのだから。今更付喪神の一人や二人、どうってことないだろう。

 (新しい家族だもん。きっと、美神さんは分かってくれます)

 事後承諾になるが、美神がショウとチリを受け入れるのは間違いない、とおキヌは確信している。
 何だかんだ言っても。
 美神の優しさは、疑いようもないのだから。


 「で、だ。その久遠梓とやらの浄霊はいつやるのじゃ? オレはいつでもいいぞ」

 「それが、依頼人の宮下さんの連絡待ちなんです。あの方がいないと九音堂に入れないので…」

 「かったるいのう。そうじゃ! ならば空き時間を利用して近辺の散策に行こうではないか! 田舎の山奥におったせいで、街にあるもんが全く理解できん!」

 「でも、連絡があったときに私が事務所にいないと駄目なんです。私、携帯電話持ってませんし」

 「キヌ姉様。ならば私がお留守番してます。兄様とお出かけしてきて下さい」

 イスに座ったおキヌの膝上に、ちゃっかり移動していたチリが名案とばかりに言った。

 「私は兄様と離れていても念話が出来るので…その、でんわというのが来たらお知らせしますから」

 「出来た妹じゃのうチリは! 土産はお前の好きなもんを買うてきてやるぞ!」

 「分かりました。人工幽霊一号、チリちゃんをお願いね」

 『了解しました。宮下様より連絡があったら、チリ様にお伝え致します』

 「そうと決まれば善は急げじゃ。ほれほれキヌ! さっさと案内せい!」

 「はいはい。じゃあチリちゃん、お留守をお願いしますね」


 ショウが待ちきれない様子でおキヌの手を引っ張る。魂は容姿に引き摺られるというが…こうして見ると、200年を生きた威厳とか神格とかは全く感じられません。見たまんま子供です。


 『あ』


 と、唐突に人工幽霊一号が間抜けな声を上げる。

 「どうしたの?」

 『おキヌさん。宮下様が…物凄い勢いで事務所の前を横切って…あ、戻って…呼び鈴を…押しません。玄関ドアをえらい勢いで叩いています。余程動揺しているようですね』

 「え!?」

 慌てておキヌは自室を出る。ショウの手をしっかりと握ったまま。

 「おわぁ! こらキヌ! 腕が抜ける! もげる! 引っ張るなぁぁぁーーっ!?」

 後には、ちょこんとイスに座った、チリ。

 「…都会は慌しいです」

 りんごのほっぺに手を当てて、そんな感想を呟いた。


 「ひむ…氷室、さん…! くお、久遠くんが…」

 玄関先で息も絶え絶えにおキヌの肩を揺する健二は、目に見えて混乱していた。

 「ちょ、宮下さん落ち着いて! 久遠さんに何かあったんですか!?」

 「くくくくくく久遠くんが消えたオカルトGメンの山中に記憶が混乱して!」

 「宮下さんの記憶こそ混乱してますから!?」


 「ていや!!」


 快音がお空に響き渡った。

 「おごあ!」

 「ショウ様! ご自分の本体で人を殴っちゃいけません!」

 年代ものですから、楽器の扱いは丁寧に。


 「はっ!? 俺は一体!?」

 「うわ正気に!」

 「ホレ、錯乱しとる奴など殴れば元通りになるもんじゃ。オレもようチリにやられておるからな」


 正気に戻った健二を連れて、一同は応接室に入った。
 気の利いたことに、チリがお茶の準備を整えてある。おキヌに頭を撫でてもらってご満悦。

 「それで宮下さん。久遠さんに何か…? まさか、悪霊に…!?」

 おキヌが梓と会ってから一月近く経過している。霊としての『在り方』が変質していてもおかしくはない。

 「いえ、九音堂の久遠くんはそのままなんです。見つかったのは…久遠くんの肉体で」

 「あ……もしかして、ご遺体が…?」

 声のトーンを少し落としたおキヌの問いに、健二は首を振って答えた。

 「いいえ! 違うんです…!」

 息を整えるために俯いて深呼吸を繰り返し、改めて上げたその表情は…

 「何だか、物凄く複雑なお顔です…喜怒哀楽が混じっておられるような…」

 チリの感想もさもありなんといった風の、曖昧な笑顔? だった。


 「久遠くんは…生きていました」


 「………えええええええええええ!?」

 おキヌの大声に、ショウがお茶を噴き出す。げほげほ噎せている背中を、チリがさすっていた。

 「いやだって久遠さん、幽霊に…って、まさか生霊だったの!?」

 生霊。肉体的な死を迎えていない魂が、何らかの理由で世へ彷徨い出るとそう呼ばれる。
 確かに、梓は自身が何故地縛霊となって九音堂にいるのか、分からない様子ではあった。本当に死霊なのか、はたまた生霊であるのか…おキヌでは判別出来ない。

 「俺も信じられませんでした………でも、先日オカルトGメンの美神さんから連絡を受けて。この目で確認してきました…間違いなく、久遠くんだったんですよ…」

 「死んだと思うとった想い人が生きておったのだろう? 何故にお主はそんな微妙な顔をしておる」

 「……………性格」

 ぽつり、と。
 健二は呟いた瞬間頭を抱えて、テーブルに突っ伏す。おキヌ&ショウチリが唖然とする中。

 「久遠くんの一人称が『俺』だったんですよ!? 『俺は大丈夫ッス、どなたかは存じませんが心配してくれてありがとうッス』って!? えええええええ!? 何体育会系の語尾に変わってるんですか!? 記憶喪失だけならまだしもなんで男臭い性格が付与されちゃってるんですか!! たおやかでお淑やかで、時折芯の強い部分を見せては俺の心を擽ったあの頃の久遠くんを返せぇぇーーーーーーーーーーっ!!!」

 テーブルが振動で痺れ、お茶に波紋が生まれるくらいの絶叫でした。

 「俺はどうすりゃいいんですか氷室さん! 久遠くんと夢を実現したと思った矢先に彼女が消えて! 次の日には幽霊になって現れて! 毎晩毎晩彼女のピアノを聴いて! ようやく彼女を失った事実を受け入れられると…笑顔で彼女が天国へ行くことを祝福出来ると…そう…そう思っていたら…この仕打ちですよ!?」

 幽鬼の如く彼は頭を上げた。

 「俺は…もういっぱいいっぱいですよ。頭ん中ぐちゃぐちゃです…氷室さん、教えてください…久遠くんは…どうなってしまったのですか…?」

 よく見れば、健二の目の下は隈が出来ている。梓の体が見つかったという日から、きっと碌に睡眠を取っていないのだろう。
 愛する人を亡くす事は、悲しいが一般的に起こる出来事だろう。
 だが、健二の場合は、死してなお幽霊となって目前に現れ、生前と変わらぬ態度で彼と会話し、ピアノを弾き、あまつさえ笑顔を向けてくる。
 止めは彼女の生存情報だ。驚き、喜んで会いに行った健二を待っていたのは、記憶喪失でムサイ男言葉を話す久遠梓であった。

 これは確かに濃すぎる。パニックに陥るのも無理は無い。

 「で、でも、何故美智恵さんから連絡が? 普通、そういうのは警察からだと思うんですけど…」

 「何でも、彼女の第一発見者がオカルトGメンの職員だったそうです。偶然山中を彷徨っていた彼女を知らずに保護して、地元の病院に搬送したとか…うふふふふふふふ…俺、オカGにもちゃんと彼女の写真とか資料を渡してあったんですよ…その時点で久遠くんだと確認出来ていれば、今こんなにぐっちゃぐちゃになること無かったと思いませんか…?


 「こ、怖いぞコヤツ…。目が今にも渦を巻きそうじゃ…」

 「キヌ姉様…ただならぬ妖気を感じます…」


 ソファの裏から顔だけ出した兄妹が、ガクガク震えながらおキヌの背中へと移動する。
 おキヌにも、一体何が何だか分からなかった。

 「と、とにかく! 久遠さんの肉体が活動していて、魂が幽霊となっているのなら、全部元通りに出来る可能性はあります! 宮下さん、私をその病院に連れてって下さい!」

 自身の反魂の経緯も思い出して、おキヌは叫ぶ。

 「うふふふふふふふふふ……氷室さぁん、駄目なんですよ、ああ、そうなんですよ」

 「ふえ…?」

 健二の表情は、喜怒哀楽陰陽五行(?)まで混ざったような、終末思想的笑顔である。混沌が顔を持ったらこんな感じだろうか。

 「俺はコレを伝えに来たんですよ…助力を仰ぐために…久遠くん、病院から消えたそうなんです。昨日の夜中くらいにー…あは、あはは、はははははははあああはあはははははは…」

 「ええええええええええええええええええ!!??」


 まさに、止めの上に止めを刺されて、健二の理性は崩壊してしまっていた。押し寄せる不可解状況に、脳がギブアップを宣言したようなものだ。

 「留守電を聞いて、飛んできたんですよ…さぁ氷室さん、一緒に久遠くんを探しましょーおう…あはははははは…」


 その時、不思議な音が聞こえた。まるで、分厚い煎餅を握りつぶしたかのような…


 「…………………ショウ様、チリちゃん。少しの間、耳を塞いでいてください」

 音の出所は、おキヌの手元だ。ぴちゃりぴちゃり、と液体が彼女の手から滴っている。


 「ききききききききキヌ? 一体何をす「分かりましたキヌ姉様! 私達は向こうの部屋で耳を塞いでおりますゆえ、ご存分にどうぞ!」…おいチリ、これから何が始まると」

 「兄様もささ早く! それでは失礼致します!」

 「おおうチリ!? 兄の首根っこを掴んで引き摺るのは行儀が悪いのでは…って熱い熱い熱い!? 摩擦熱が! 燃える! 燃えてしまう! 竹炭になってしまう! 脱臭効果に優れてしまうぅぅぅぅぅぅぅ………………


 「………宮下さん」

 「はいー」

 「これから、貴方の脳を洗います

 「へ?」

 握り締めていた何かの破片が、床に落ちる。元々の形は多分、お茶が入っていた湯のみです。滴っているのは、冷めたお茶ですね。

 おキヌは懐から龍笛を取り出すと、思い切り息を吸い込んだ。

 音色に籠める思いは、一つ。


 「一体何を呆けているんですかこのぼんくらーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!」


 ピリリリリリリリリリリリリリィッ!!!!


 拙いおキヌの悪口レパートリーの中でも最上級のものが、手加減無用で健二の脳髄に叩き込まれたのだった。


 前回訪れた時は真夜中だったせいもあり…分からなかったのだが。
 九音堂周辺は、それは深い森になっている。
 おキヌは、風が吹く度にざわざわと揺れ動く木々が、何かの前触れのように思えてならなかった。不吉の前兆とは、得てして不気味なものだから。

 「必ず、ここに来ると思います。久遠くんなら…必ず…!」

 龍笛による喝入れで正気を取り戻した健二は、詳しい事情もそこそこに、おキヌを九音堂へと問答無用で連れてきた。
 道中、走り屋の如く山道を飛ばす健二の運転に、ショウが「オレは今まさに風! 風とは自由の象徴じゃあーーーっ!!」と叫んで窓から飛び出そうとしたり。当然、チリによる制裁を受けて大人しくなりましたが。
 …ショウはこればっかりです。学習能力ゼロ。

 「宮下さん、何か確信があるんですか?」

 「…美神さんから連絡を受けたのは、一昨日の夜でした。それから夜通し走って久遠くんのいる病院に向かい、面会して状況を知ったのですが…性格がおかしかったのはともかく、しきりに音について呟いていたんです」

 玄関扉に鍵を差し込みながら、健二は話した。

 「音がいる…山の中…届けないといけない…そんな事をいつも」

 「…確かに音と山で久遠さんと縁のある場所といえば…ここなんでしょうけど。届けるってなんでしょうね…?」

 「おお! 広いのうここは! ここに久遠梓とやらがおるのか!」

 「お社よりもずーっと大きいですね…」

 扉を開いた途端、健二の足元を小さな二人が駆け抜けていった。ええと、と健二はおキヌに微妙な視線を向けてくる。

 「あ、あはははは。ショウ様とチリちゃんの事は、後で説明しますね! あの子達は私の大切な仲間で、家族ですから」

 事務所でショウにシバかれた記憶は、脳洗浄の効果で飛んでいる健二。とにかく慌てていたので、おキヌを車に押し込んだときも、この兄妹も乗り込んできていた事に気が付いていなかった。
 神域発動に必須の二人なので、おキヌには幸いでしたが。

 GS業界ってワケ分からんな…と健二が内心思っていたことは、ひみつ。


 おキヌは九音堂に踏み入る直前になって、歩みを止めた。我知らず、額に汗をかいているのに気づいたからだ。
 自分では意識していなくても、心の一部に、梓を恐れる気持ちと笛が破砕した時の痛みが残っているのだろう。

 ゆっくりと深呼吸をする。今の自分には、ショウとチリがいる。かおりと魔理が導き、雅やかな調べの中で身につけた、『確かなもの』が。

 「…氷室さん?」

 「大丈夫です。行きましょう!」

 健二の不安げな声に、おキヌは前を見据え、はっきりした口調で答えた。

 迷うこともない。

 怯むこともない。

 力強く、九音堂へと踏み入る姿は…

 既に、一人前のGSのものと遜色はないものだった。


 「天井が高いのうー……ここが音楽堂というやつなのか」

 「…確かに、笛の音が綺麗に広がりそうな空間です」

 大口を開けてホールの天井を見上げるショウと、九音堂の空気に圧倒され気味のチリ。


 「あら…可愛らしいお客様ですね」


 現在時刻は午後2時。彼女が現れるには、まだまだ日が高いはずだった。

 「む! お主が久遠梓か! えーっと、ぴあ…ぴあのりすと? の!」

 「兄様、ぴあにすとです。のが余計」


 「兄妹なのね? ピアノに触ってみる?」


 ホールの照明は、健二が最低限の分だけ点灯してあるのだが、十分に明るいとは言い難い。今、ホールで最も輝いているのは…他でもない、ステージ上で淡く光る彼女自身だろう。

 「オレを誰だと思っておる! 鳳笙が化身、200年を生きる付喪神なるぞ! んな新参者の楽器など触れるか!」

 「あら、ピアノの歴史は300年以上ですよ?」

 「な、何ぃ!? く……黒くて偉そうな図体をしおって! 悔しかったらオレのように飛んだり跳ねたりして見せい!」

 「兄様…恥ずかしいのでその辺で…」


 真夜中でもないのに、久遠梓の幽霊はそこに佇んでいた。
 小さな兄妹の姿を、くすくすと笑いながら見守りつつ。


 「! 久遠くん!?」

 「え!?」


 転げる子犬のようにホールに駆け込んでいった兄妹を追って、おキヌと健二もホール内に入ってきた。咄嗟に健二は腕時計を確認してしまうが、真夜中の2時であるわけもない。
 おキヌの心臓が激しく脈打つ。
 梓との再会は、否応無しにあの日の事を思い出させる。
 ネクロマンサーの笛の、最後の日を。

 「久遠さん……」

 梓も、そんなおキヌと健二に気づき、嫣然と微笑んだ。負の感情の全く見えない、透明な微笑み。

 「またお会いできて光栄です、氷室さん」

 「あ、はい! 先日は失礼しました、って何か違う!? ええと」

 「久遠くん! 何故こんな時間に…いつもは真夜中じゃないと会えないのに!」

 健二の問いに、梓は小首を傾げて答えた。

 「それが、今日は朝からここにいるんです。不思議な…予感というか、何かが起こりそうな感覚があって」

 あ、と健二は、梓に一番に言わなければならない事を思い出す。…思い出して、また複雑怪奇な表情を浮かべる。

 「あー、ええっと…久遠くん、落ち着いて聞いてくれ。いや、なんと言うか…」

 健二は無意味に身振り手振りを交えて、『梓の肉体が見つかったけれど体育会系の性格がインプットされていて今は行方不明になっている』、という朗報だか悲報だかさっぱりな報告を、ぐだぐだになりながら終わらせる。

 それを聞いた梓は。

 「………………………………………………………………健二さん? 私、なんて言えばいいのか分からないんですけど」

 そりゃそうです。

 「きっと私、本物じゃないんだと思います。体があって、心も…変わっちゃったみたいだけどあるのなら、ここでぼうっとしている私は…本物の久遠梓の抜け殻みたいなもので」

 梓は寂しそうに笑った。今にも…消えて無くなりそうな、儚い微笑を浮かべた。

 「久遠くん!!」


 「!! キヌ! 得体の知れぬ霊圧が近づいておるぞ!?」

 「おかしな霊圧…! キヌ姉様、神域の準備を! 私にも、一体なんなのか分かりません!」


 梓に駆け寄ろうとした健二の足を、その声が止めた。
 おキヌは健二と梓を庇うように前に出て、龍笛を構える。

 「一体何が…!? 久遠さんの体じゃないの…!?」

 まさかこの期に及んで、全く誰にも無関係な妖怪がここを襲うとも考えられない。
 だが、確かに近づいてくる霊圧は、人のものとも妖のものとも判然としない。

 「健二さん…」

 「大丈夫、俺が守る! だから、自分が偽者だとか言うんじゃない! ずっと見てきた俺だから、君が本当の久遠くんの魂だと断言出来る!」

 「……健二さん!」


 「来るぞ!!」

 ショウの緊迫した声に、おキヌはゴクリと喉を鳴らす。


 ホールの扉が、開かれる。外の空気と光が入り込み、そこに立つ人影の輪郭を露にしていた。


 長い黒髪に、女性らしいラインの体。虚ろな瞳…


 それは間違いなく、久遠梓そのものだった。


 「! わた、しが……」

 「この霊圧は……! 宮下さん、この方とお話したんですよね?」

 「そ、そりゃ勿論…だって久遠くんですし」

 「魂が混ざってる……どういうこと…?」

 おキヌには、某女神から『心眼』を授かりその訓練に明け暮れた過去がある。それはおキヌの霊を見る目に素質があったからこそ出来たこと。
 神域に目覚め、霊視能力にも磨きのかかった今のおキヌには、梓の肉体に宿っている歪な魂の姿がはっきりと見えていた。

 「宮下さん。あの久遠さんに入っている魂は、別の方のものです。誰かが魂の抜けた久遠さんの体に、憑依しているんです」

 「え…!? じゃあ、あの性格も久遠くんのものじゃないのですね!?」

 「はい、でも…それだけじゃありません。明らかに、人以外の魂も宿っています」

 梓の体は、ふらふらとホール内に入り、光のない瞳をこちらに向けてくる。病院で着替えたのか、白いワンピース姿の所々に木の葉が付着したり、鉤裂きが出来ていた。

 「く……久遠くんの体を返せ!! 一体お前は誰なんだ!?」

 堪らず叫んで、健二はホールの通路を駆け上がっていく。梓の幽霊が引き止めるのも無視し、華奢な肩に手をかけようとした。

 「……届け…たッス」

 「何!?」

 「……俺の…仕事は……お客様…を…届ける…ことッス…から……」

 「仕事……?」

 梓の体に憑依した霊は、健二と、ステージ上の梓の霊を見て呟き、もう、思い残すことはないという風に笑った。
 その微笑みを間近で見た健二は、思わず顔を赤くした。と同時に、この存在に悪意や敵意が無いことも理解する。

 「宮下さん! 離れて下さい!」

 「おいキヌ! 何がどうなっておるのか説明せんか!」

 「健二さん……」

 梓の霊が、初めてステージから降りた。ふわり、と通路へ降りると滑るように健二の隣へと並ぶ。

 「……ああ…くお、ん、さんだ…俺、貴女の…ファンで…だから…嬉しくて…いつも…呼ばれるのが……」

 梓の体は、涙を流していた。間近で見る梓の霊を前に、肩を震わせて。

 「……あなたと私、会ったことがありますね? 健二さんも」

 「何だって!? 久遠くん、一体どこで!?」

 「ここで、です。健二さん、思い出してあげて…」

 そうは言われても、九音堂のスタッフの一人一人までは、健二も覚えていない。建設に関わった人間にまで広げたら、正確な人数すら把握できない。無理な相談だった。

 「…この…体、届けるため…に…来たッス…いつも…いつも…お世話になってたッスから……最期くらい…」


 龍笛を構え、左右にショウとチリを配したおキヌは、油断なくそんな3人の方へ意識を集中する。いくら悪意がないとは言っても、あの魂だ。ちょっとしたバランスの変化によっては、人でない部分が顕出する可能性だってある。

 「ショウ様、チリちゃん…油断しないで下さいね。このまま、久遠さんに体を返して終わるとは思えません」

 「おうよ。確かにあの身に宿る魂…不安定じゃ」

 「久遠様の霊との接触で多少落ち着いたようですが…」

 集中したおキヌの耳には、九音堂を包む森のざわめきが残響のように聞こえていた。いやな予感が…する。龍笛を握る手に、汗が滲んだ。


 「それじゃ……お返しするッス………最期に…また…ピアノが…聴きたかったな…」

 「待ってくれ! 君はいったい…」

 健二の問いにも微笑むだけ。潤んだ瞳をもう一度だけ梓の幽霊に向けて、その瞳を閉じた。
 かくんと崩れ落ちそうになった梓の体を慌てて健二が支える。もう、そこに『俺』の気配は無かった。

 「久遠くん……彼は誰だったんだい? どうしてこんなことを…くそ、分からないことばかりだ!!」

 「健二さん、それは…」


 「!!! キヌ!!」

 「はい!」


 『キキぐあイイああああああああああああああイイイああああああああああヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!』


 痛みに悶えるような絶叫と、聴いただけで魂が砕けそうになるほどの、奇声。
 黒板とガラスと発泡スチロールを纏めて引っかいたような、耳障りこの上ない騒音だ。

 「宮下さん! 久遠さん! 耳を塞いで!!」

 おキヌの叫び声は、なんとか二人に届いた。健二は梓の頭を膝枕し、空いた両手で耳を塞ぐ。梓の幽霊も、霊体をびりびりと震わせながらも耳を塞ぎ、霊圧の震動に耐えていた。

 「キヌ姉様、上!」

 チリが指差す方向、ホールの天井近くで、一人の幽霊がもがいていた。幽霊の背中からは、巨大な何かが出てこようとしている。

 「何じゃアレは! 牛!?」


 『キイイイイイイヤアアアアアアアアアアアア!!!!』


 再びの絶叫が、耳をつんざく。ずるりと幽霊から身を引きずり出した牛頭の巨体が、おキヌ達と健二達の間、座席を蹴散らすようにして落ちてきた。

 『キィィヤアアアアアアアアアアアアア!! クハ! サイセイシタ! クハハハハハハハハハハハハ!!!!』

 「喋った!?」

 「キヌ姉様! こやつの妖気、尋常ではありません…!」

 「名を名乗らんか牛! 何者じゃ!!」

 赤銅色の肌に、牛の頭。金属のように輝く一対の角は、前方へ威圧的に伸びている。

 『コレデフクシュウヲ! イマイマシイアノモノドモヲ!!』

 「オレを無視するな家畜!!」

 くあーっ、と吠えたショウが牛鬼に飛び蹴りを見舞った。チリが止める間もなく、小さな体は牛鬼の右足へ着弾し、

 「はうっ!?」

 ぱちーんと。弾き返される。

 「ショウ様!? この鬼が、さっきから感じていた人外の霊圧の主です! 下手なことは止めてくださいーー!」

 目を回して転がっているショウに、めっ、とやるおキヌ。龍笛を一撫でし、牛鬼を睨みつける。

 「それより、神域を発動します! お二人とも準備を!」

 横目で健二が梓の体を抱えてホール外へ避難していくのを確認する。梓の幽霊は…姿が見えなくなっていた。とにかく、今は目の前の牛鬼をなんとかしなくてはならない。

 (落ち着いて…音楽を…)

 神域の発動には、音楽と霊力の同時展開が必要だ。霊力はともかく、音楽に関しては、まだ即時にその境地へ至れるものではない。

 『イマイマシイケッカイメ…! オトヲクロウテチカラトナスナド…クハハ! シカシソレモイマヤコノトオリヨ!!』

 おキヌが精神集中を行う僅かな隙に、牛鬼はまた奇声を上げた。思わず怯むおキヌ達を蹂躙し、牛鬼の妖気がホールに充満していく。

 次の瞬間。

 九音堂を、完全な無音が襲った。

 (!!!????)

 おキヌもショウチリも口をぱくぱくさせて混乱している。外の音は勿論、自身の鼓動や唾を飲む音ですら聞こえない。当然、三管の調べも外に出ない。

 『クハハハハハハハハハ!! ココラノオトハクロウテヤッタワ!! ワシヲシバッテイタケッカイノチカラ、ギャクニトリコンデヤッタワ!!』

 牛鬼の笑い声だけが静寂に轟く。


 (こんな……! これじゃ、同じじゃない! せっかく、せっかくみんなのお陰で…ここまで来れたって言うのに…!)

 神域の欠点は、発動までの時間が長い事と、音を阻害されると完全に無力化すること。不意をつかれるような状況では、致命的な弱点だった。
 ぺたり、とその場に座り込んでしまうおキヌ。無力感が、立ち上がる気力を失わせている。牛鬼の影が彼女を覆っても、動くことが、顔を上げることすら出来ない。

 『キサマ、タイマシダナ? ワシノスガタヲミテモヒカヌイシト、ムカンケイナモノヲニガスソノハンダン…ワシヲフウジタアノモノタチトオナジ…!』

 おキヌの身を貫くには余りある牛鬼の角が、彼女にぴたりと狙いをつける。憤怒に満ちた邪気が、ホールを渡って天井から埃を落とした。

 『マズハオマエヲ! ソシテ、ワシヲフウジタムラノモノヲ! タイマシヲ! スベテスベテヒキサイテクレル! クロウテクレル!!』


 ショウとチリが、おキヌの前に出て両手を広げ、立ち塞がった。口は動いているが、声は出せない。ただ、おキヌを守らんとする思いだけが…小さな背中から伝わる。


 (ショウ様! チリちゃん!)

 顔を上げたおキヌが、二人を両手で抱き寄せ庇う。小さな体が震えていた。


 委細関係なく怒り狂う牛鬼の角が、容赦なく三人の体を貫こうとした次の瞬間。


 『曲』


 ぎゅるるるる、とその角が。まるで縦ロールの巻髪のように曲がりくねり、牛鬼の顔の両脇に垂れた。


 『ナ!? ナンダトォォ!!??』


 錯乱し、辺りを見回す牛鬼。


 おキヌは、おキヌだけは見ていた。
 角が眼前に迫ったその時、小さな珠が牛鬼の頭上で輝いたのを、彼女だけが見ていた。
 はっ、として。
 おキヌはホールの入り口に目を向ける。


 「―――の名に於いて命じる!!」


 来るは疾風。


 「万華よ!!」


 亜麻色の疾風。


 「千鞭と綻びて我が敵を討て!!」


 一気に飛び上がったその疾風は、牛鬼めがけ、握っていた武器を振り下ろした。


 幾十条もの霊気の鞭が、雪崩を打って鬼へ降り注ぐ。


 それはまさしく、金色の雨。


 『グアアアアアアアアアアアアアア!!??』


 そうして打ち倒した鬼の巨体に上がり、細いヒールで踏みにじったあと。疾風は亜麻色の髪を背中に払いつつ、怒気を孕ませた笑みを浮かべ。


 「うちのおキヌちゃんに何しようってのよ、このクソ牛が!!!!」


 親指を、ぐいっと下に向けて吠えた。


 美神令子は、瞬時に場の主役となったのだった。


 最終楽章につづく


 後書き


 竜の庵です。
 今回は九音堂決戦編、でしょうか。決戦、と言うほど敵と戦ってませんが。全体的に敵の描写が弱いな、と自覚していたり。既存の敵役を出せればいいんですけれど。なかなか。

 ではレス返しをば。


 スケベビッチ・オンナスキー様 > おキヌちゃん効果を霊能で捉えようとしても、形にはし辛いですね。あれはもっと大きな括りの才能でしょうから。いろんなことが、次回最終楽章にて解決していると…思われます。付喪神三兄妹全員にお疲れ様は言ってあげたい。自分で言うのはアレですが。酷い目に遭わせるのが得意になりそう。なりませんけど。ダーク指定で一本何か書いてみましょうかね。


 柳野雫様 > お気に召した作品にレスはつけるもの、かと作者は思うので。ほにゃらんといきましょう。健二は今回の導入部で大分コワレてますが、状況的にそう陥っても仕方ないのではと思います。神域とショウチリはセットなので、今後の作中にも出るかも出ないかもですね。スランプ外のものも書きたいですから。Gメンら大人の今後は次回明らかに! んな大したことにはなりませんけれど。
 っと、夏の〜 にもレスを下さったのですね。有難うございます。変則的ですがこちらにお礼とレス返しを。何でもない夏の日でも、捉え方一つで千変万化な日常となる。個性的なメンツだからこそ成立するお話でしょう。


 以上、レス返しでした。皆様有難うございます。


 次回はようやく最終楽章です。どうぞよろしくお願いします。
 おキヌちゃん達がどうなるのか、といってもGS世界ですし。ヘヴィな事にはならんでしょうねぇ…(他人事のように)

 では、この辺で。最後までお読み頂き有難うございました!

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