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「スランプ・スランプ!4 「神域の巫女」(第2楽章・『音』の悲鳴)(GS)」

竜の庵 (2006-07-28 23:09)
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 スランプ・スランプ!4 「神域の巫女」(第2楽章・『音』の悲鳴)


 「あの日、私は久遠の顔を見ずにホテルを出ました。九音堂のスタッフから、久遠が既に楽屋入りしていると…連絡を受けていましたから」

 健二の話は続いている。土下座から頭を上げ、床に座り込んだままで。

 「九音堂の前には、もうファンの方々が数名並んでいました。思わずガッツポーズをしましたよ…」


 九音堂は街から山一つ超えた、静かな森の中に建設されている。交通手段が車しかないため、駐車スペースは来場者の人数分を確保してあった。
 最寄の街から片道1時間以上もかかる、辺鄙な土地を健二と梓が選んだのには、徹底した下界との隔絶の意味もあるのだろう。
 そんな九音堂に入り、スタッフに挨拶しながら健二は梓の楽屋前に立つ。

 「久遠くん、大丈夫か? もうすぐ始まるけれど」

 くつくつと内心に興奮が湧き出すのを抑えきれず、健二は楽屋内の梓に問いかける。梓が今どんな心境なのか、無性に知りたくなっていた。


 「いつもの習慣で、楽屋には入らずにドア越しに声を掛けたんです。私の姿を見ると…久遠は無理をするので」

 おキヌは、声もない。


 「………とても…」

 か細い、消え入りそうなほど小さな、梓の声。

 「…とても、とても…ピアノを弾きたくて堪りません。早く、早く始まってほしい…」

 梓らしいと言えば、そうではあるが。健二は声に覇気が感じられないのを不審に思い、ドアに思わず手をかけた。

 「大丈夫ですから。健二さん…ぜんぶ、予定通りに進めてください。私は大丈夫です。もう、飛び出していきたいくらい…」

 開けるか開けまいか迷っているうちに、梓から幾分しっかりした声がかかったので、健二は手を引っ込めて肩を竦めた。

 「分かったよ。じゃあ、俺も客席で君の出番を待つとするか。顔を見られないのは残念だけど、客席から存分に堪能させてもらうかな」

 「はい…私、頑張ります。ここは、私の宇宙なのだから…」

 昨夜の健二のセリフを覚えていてくれたらしい。
 とすれば健二が芋づる式に思い出すのは、その後の出来事である。
 頬に残るやわらかい感触を筆頭に。

 「あはっはははは! じゃ、じゃあ俺は行くね! 晴れ舞台、期待してるよ!」

 健二は周りのスタッフに開演の指示を出すと、顔を真っ赤にしてその場を逃げるように去っていった。


 「思えば、違和感はその時からあったのですが…確信を持ったのはステージに立った久遠の姿を見てからです」

 力なく垂れた両腕の、拳だけが固く握り締められて震えている。


 二階の客席に座り、健二は其の時を待っていた。既に照明は、グランドピアノを包むスポットライトのみだ。そして会場を包んでいるのは、息をするのも憚られるほどの静寂。
 騒々しい合図も、前口上の一切も無く。
 梓はステージ上に現れた。淡い光をドレスのように纏ったその姿に、健二は息を呑んだ。


 「久遠は………綺麗でした。とても」

 「宮下さん…」


 演奏が、始まる。
 健二が最初に感じたのは、波だ。音の波が体を貫き、揺らし、拡散して、後方へ抜ける。
 聞こえるのとは違う。
 全身の細胞が音を受け入れ、同調していく感覚。
 目を閉じても、恐らく耳を塞いでもこの音は、波は、健二の全身を揺さぶることを止めないだろう。

 穏やかな曲。
 激しい曲。
 軽快な曲。
 悲しみに満ちた曲。
 喜びに溢れた曲。

 時には太陽のように。
 時には雷雨のように。

 ただただ、全てに身を委ねるのみ。


 そうして2時間ほどが経過した後。最後に奏でられた曲を聴いて、聴衆の誰もが「ああ、この曲で終わりだ」と理解していた。アンコールを求めるような野暮なことは誰もしないだろう。
 梓がこのステージで伝えたいことは、残らず伝わったと皆、信じている。
 これで、今日は終わり。
 後ろ髪引かれることもない。また次の機会を楽しみにするだけ。
 そうして最後の一曲の最後の一音が、ホールを包み込み…
 九音堂杮落とし公演は終了した。
 梓はゆっくりと立ち上がると、ステージ中央にまで進み、深々と一礼する。
 静かな拍手の波が梓を包む。また聞きに来よう、という思いが伝わってくるような優しい拍手の音…これもまた、音楽か。


 梓は心底嬉しそうに微笑み、客席を見渡す。


 そうして、また一礼し。


 淡い光に溶けるようにして。


 その場から消えていった。


 最後の演出に、客席全体からため息が漏れていた。最後まで彼女らしいね、と健二の隣にいた女性が話していたが…
 健二には、一瞬何が起こったのか分からなかった。ただ、言い知れぬ悪寒が心中を氷塊のように冷たくし、うまく動かない脚を無理やり引きずって、観客席からスタッフオンリーの出入り口を通って楽屋へ移動し…

 誰も使った形跡のない、その室内の様子を見て膝から崩れ落ちた。


 「理解…していたのでしょうね、その段階でもう。私はスタッフに片っ端から声をかけて彼女の所在を確かめましたよ」


 でも。
 スタッフの誰も、彼女の姿は見ていない。
 そう、楽屋に入る彼女の姿も。
 ステージに移動する姿さえも。

 ああ。

 喪失感が心を支配しているのに、何を失ったのか分からない。彼女はいたのだから。分かりたくない。
 あの演奏は、梓のものに間違いない。
 なら。
 どういうことか分からない。
 思考が凍りついたまま、健二は梓が楽屋に現れるのを、スタッフ全員が帰り時刻が次の日を指すまで待ち続けた。どこか、気持ちを身体の外へと飛ばしたまま。

 午前0時を回り、三十分を過ぎたころ。
 唐突に、ぽおーん、というピアノの音が健二の耳に届いた。
 駆け出す。
 ステージに。
 健二は確信していた。彼女がそこにいることを。
 そしてもう一つの、決して認めたくないことをも。

 照明が落ち、暗闇の中に沈んでいるステージ。
 そこに、淡い光を纏った梓は、佇んでいた。

 「くお、ん、くん…」

 声にならない。

 「健二さん。私…ちゃんと弾けましたか? いつものように、皆さんに恥じない演奏が出来ていましたか?」

 「……ああ。最高の演奏だった…素晴らしい、公演だった……」

 「良かった…私…よく分からないうちにこうなってしまって」

 彼女が歩くと、燐光のような光が動く。掲げられた手のひらが透けて、彼女の少し困ったような笑顔が健二には見えていた。

 「健二さん。私…」

 「言うな! 久遠くん! お願いだか、ら、言わないで、くれ…」

 健二は怒鳴った。泣きながら叫んだ。

 「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!!!」

 絶叫する健二を、梓は悲しげな顔で見つめ…

 また、

 ぽぉーん、と。

 一音だけ、鍵盤を鳴らした。


 美神除霊事務所、応接室。
 かける言葉の見つからないおキヌと、ソファに座りなおし、憔悴し切った青白い顔の宮下健二。
 土下座の際に、健二は額を軽く切っていた。慌てたおキヌは救急箱を持ってきて絆創膏を張ってあげたのだが、その間一言も喋ることが出来なかった。

 「…その夜から」

 「……」

 「毎晩、日を跨ぐ頃になると、彼女は九音堂のステージに現れてピアノを弾くんです。とても、楽しそうに…」

 健二は毎晩それに付き合い、梓の演奏を聞いていた。

 「…あの、久遠さんが幽霊となって、ピアノを弾いているのは分かりました…でも、それなら、GSを雇うより前にすることがあるのではないでしょうか」

 慎重に、言葉を選びながら。おキヌは恐る恐る切り出す。

 「警察には、全て話しました。彼女が…消えたのが、九音堂の杮落とし公演の前日であることは確実なのですから、俺と…別れたあとの足取りさえ掴めれば発見は容易だと思いました」

 『私も、世界を一緒に回るのが…とっても楽しみですよ』

 健二が明確に覚えている彼女の最期の言葉。
 あの時の笑顔。

 あれから、彼女に何があったのか。一週間が経過しても、警察は彼女の行方を見つけることが出来ないでいた。

 「オカルトGメン、というところに最初は相談に行ったんです。そうしたら、うってつけのGSがいると言われて。紹介されたのがあなたでした」

 おキヌは顔を真っ赤にして俯いた。自分が超一流のGSだ、等と紹介されたことに気恥ずかしさを感じる。その冠が相応しいのは、自分ではない。美神であり、横島こそがその名に相応しいはずだ。

 「お願いします! 久遠くんを、俺の…何よりも大切な女性を、救ってください!」

 健二は既に、マネージャーとしてではなく、一個人宮下健二としておキヌに頭を下げていた。

 「…久遠さんは、九音堂に縛られてしまったのですね?」

 「久遠くんと俺の、長年の夢だったんです。ただ、ピアノを弾くためだけの音楽堂を建設するのが。俺たち、結構昔から組んでたんですよ…」

 7年前。梓と健二が知り合う前だ。
 二人が通っていた音大で梓はピアノを、健二は音響エンジニアの勉強をしていた。
 梓の演奏は構内で話題を呼び、学長の強い推薦でCDデビューするにまで至っていた。

 「生演奏を聞いた学長は、50万枚を初版でプレスして、大々的に売り出しました。でも、彼女の演奏が輝くのは生音だけ。CDは全く売れませんでした」

 そのことが、学長には許しがたかったらしく。

 「あのババァは授業中の教室に乱入してきて、久遠くんを糾弾しました。お前の音は音楽ではないとか、酷い言葉で罵った。俺は偶々同じ授業を受けていて、それが許せなくて」

 思わず割って入り、学長に梓のピアノの素晴らしさを怒鳴りつけた。ババァババァと連呼したので、周囲は騒然となりましたが。

 「俺はすぐに教室を叩き出されて。で、もう大学もやめようかと思ってたら…久遠くんが追ってきて。結局卒業まで一緒にいることになりました。で、その当時から俺達の夢は九音堂の建設だったわけです」

 後半になって話の内容に照れだしたのか、早口に纏めると健二は自嘲気味に笑った。

 「久遠さんはそのことを覚えていて、九音堂に括られてしまったんですね…」

 健二の惚気にしか聞こえない過去話を聞きながら、おキヌは一つの決断をする。

 「………えっと、美神除霊事務所は現在休業中で、新しいご依頼を受けることは出来ません」

 「そんな…!」

 詰め寄ろうと身を乗り出す健二に慌てて両手を振る。そして、コホン、と一つ咳払いをして。

 「ですから、従業員である私は暇なんです。今日は偶然、とっても素敵な女性のお話を聞かせてもらったので…是非、九音堂というところに行ってみたくなりました」

 「氷室さん…」

 「あー、私もそんな素敵な場所で笛を吹いてみたいなー、なんて…」

 こういう言い回しに慣れていないのだろう。しどろもどろに、顔を真っ赤にして。

 「…そんなので、どうでしょう?」

 結局、おキヌは素直にそう、健二に聞いてみるのだった。

 「ありがとう…ございます! ありがとう…っ」

 健二は深々と頭を下げ、ガラステーブルに頭をぶつけてしまった。


 こうして、おキヌは美神除霊事務所の従業員としてではなく。
 GS・ネクロマンサー氷室キヌ個人として、この事件と向き合うこととなった。


 「あ、そういえば宮下さん。もしもご依頼としてこの浄霊をお受けしてたら…たぶん、これくらいのご請求額が美神さんからいってたかもです」

 「え、どれどれ…ってどこの高級マンション一括購入ですかこの金額!?」

 「え? これって高いんですかー?」

 「所長さんって…髪の毛紫に染めた齢八十以上の妖怪みたいな女性じゃないですよね?」

 「え?」

 「さっきの話に出た学長のあだ名です。妖怪紫オババ。もう一つは銭ゲバ魔女。本名は誰も知らないんじゃないかな」

 「銭ゲバ魔女……」

 そこを否定できなかったおキヌは、遠くの空に輝く美神の笑顔から目を背けてしまうのだった。


 おキヌがお空の美神にジト目で睨まれていたころ。

 黒髪をぼさぼさに乱したある人影が、山中を彷徨っていた。

 「あー…どうして俺、こんなとこにいるんスかねぇ…」

 その人物は川沿いを下流に向かって、ふらふらと歩き続けていた。

 「確か…なんか届ける…? いや…歌…音…?」

 ふらふらと、ふらふらと……


 九音堂におキヌと健二が到着したのは、その日の午後十時を回った頃だった。梓が現れるまで二時間以上あったが、建物への結界設営と、見鬼くん及びおキヌの肉眼による霊視時間を考慮してこの時間にした。
 いつもの除霊道具一式を持ち込みたかったが、私的な浄霊に事務所の備品を使う訳にも行かない。
 仕方ないので。
 梓が悪霊というわけでもないし、個人的に買い揃えていた結界札(安物です。厄珍堂のワゴンセールで購入! 大丈夫か!)と、万が一のための破魔札(同左!)だけ懐に忍ばせておいた。

 「それじゃあ、宮下さんは結界の外で待機していてくださいね。危険があるかも知れませんから」

 除霊時の正装、巫女服に着替えたおキヌ。緊張しながらも、見習いとはいえプロとして精一杯の矜持を見せて指示を出してみたり。

 「そんな! 俺が行かないと久遠くん、出てこないかもしれません!」

 尤もな理由を付けようとするが、梓の成仏に立ち会いたい一心なのは見え見えである。おキヌにすら察する事ができるくらい。天然でも察することが出来るのだ!

 「…何だか褒められたような馬鹿にされたような…微妙な空気を感じました」

 「おお。それが霊感ってやつなんですね」

 「…ぶー。そ、それはともかく。うーん…私、何かあってもあなたを守る自信ないんです。久遠さんの幽霊が、万が一ですよ? 万が一悪霊化でもしたら、宮下さんがとっても危険です」

 「俺なら大丈夫ですよ。今までも…ずっと彼女の傍にいたんだ。幽霊となってからも。悪意なんて久遠くんにはありませんよ、絶対」

 それに、と。健二は心中で付け加える。

 (久遠くんが道連れを望むのなら、俺は喜んでついていくだろうしな…)

 と。

 「分かりました。親しい方が立ち会ってくれるのは、とっても嬉しいことでしょうし…私、GSとしては未熟ですけど、一応ネクロマンサーの偉い先生に認められたこともあります。頑張って、久遠さんを天国に送ってあげたいと思います!」

 おキヌは両拳を顔の横でぐっ、とやる『頑張りますポーズ』を取ると、結界設営のために建物の隅へと走り出した。


 「…巫女さんだったんだ、氷室さんって…あ、転んだ。おー、起きた。あ、お札が飛び散ったぞ。おおぅ、集めてる集めてる…なんだか萌えるな。久遠くんが美女なら氷室さんは美少女か…」

 顎に手を当て、わたわたと動き回るおキヌを眺める健二。

 「なぁ久遠くん…君がもしも許してくれるなら、次は彼女のマネージャーとか…いや何でもないですごめんなさい許してください」

 急に全身を寒気が襲い、健二は虚空に向けて土下座を始めた。
 …どうも、おキヌを雇えたことで緊張感が薄らいだようである。

 「きゃ」

 遠くで、おキヌがまた転ぶ音が聞こえた。

 …大丈夫ですか?


 建物の四隅に結界札を配置し、しかる後に建物内から起動させる。極めて簡素な分、効力は弱い。せいぜい浮遊霊の侵入を防ぐ程度である。これは余計な霊まで浄化してしまわないための措置だった。
 事務所から、これだけは仕方なく持ち出してきた見鬼くんを使いながら、おキヌは九音堂の隅々まで霊視を行っていた。
 美神除霊事務所で使っているだけあって、最高級の見鬼くんだ。微かに漂っている霊気を検知しておキヌを正確に霊気の源へと案内していく。

 「あ、氷室さん。どうでしたか?」

 霊気の源は、ホールであった。健二がステージの脇に佇んでいる。

 「やっぱり、ここに一番濃い霊気が残っていますね。…ふわぁ…おっきなホールですねぇ」

 「苦労しましたから。ここが、九音堂の心臓部であり全てなので」

 九音堂には大ホールが一つあるだけだ。リハーサル室や、余計な楽屋もない。
 ここは徹頭徹尾、久遠梓一人のための音楽堂なのだ。


 「…そろそろです」


 手元の時計を確認した健二が、幾分沈んだ声で言った。
 ふぅー、と大きく呼吸を整えてから、おキヌは懐からネクロマンサーの笛を取り出す。
 …最初から最後まで、一人でやり遂げてみせる。
 それが、独断で依頼を受けてしまったことに対する、おキヌの決意であり責任だ。
 時刻は十二時半丁度。照明は、杮落としの時と同じく、ピアノを包むスポットライトのみ。
 ぴこぴこぴこ、と見鬼くんが反応し始める。


 ………淡い光が、スポットライトを少しだけ外した場所に集まって徐々に人型を形成していった。


 おキヌは笛を吹くのも忘れてその様子に見入った。彼女の知るどんな現象より、その光景は美しく…余りに儚い。


 幽霊とは読んで字の如く、『幽(かす)かな霊』だ。見える能力を持つものにしか姿を捉えられず、万人に姿を見せられるようになった幽霊は大抵、別の『モノ』へと成り果てている。
 しかし、久遠梓は幽かな姿でありながら、確かな存在感を持っている。変質している様子もない。

 ……何より、彼女は大勢の観客の前でピアノを演奏してみせたのだ。

 「久遠くん…」

 「あの方が……久遠梓さん」


 なんて綺麗なんだろう。おキヌは思わず見惚れてしまっていた。


 「……健二さん。また来てくれたんですね。私、嬉しいです」

 「久遠くん…今日はもう一人、お客様を連れてきたよ」

 「ひゃ、はい! 初めまして! えと、美神除霊事務所所属のGS見習いで、ネクロマンサーやってます六道女学院二年、氷室キヌといいます!」

 ガチガチに緊張したおキヌの自己紹介にも、儚い笑顔を崩さない梓は丁寧に頭を下げて応じた。

 「こんな姿で失礼します。ピアノの演奏を生業にしております、久遠梓と申します。今日は私の演奏を聞きに来て頂けたのですか?」

 梓が向けてくる微笑に、GSに対する警戒心は全く感じられない。

 「あ、あの…私、久遠さんをお送りするために宮下さんにお願いされたんです」

 「送る…? ああ…私、もう演奏してちゃいけないんですよね、本当は…」

 「久遠くん…」

 「健二さん。ご迷惑をおかけしました。本当なら、どうして私が死んでしまったのか、お話出来ればいいんだけれど…覚えてないんですよ……」

 「いいんだ。後のことは、全部俺が引き受ける。久遠くんはもう…何も考えずに、天国で…」

 揺るがない梓に、健二は俯いてしまう。梓がいなくなるという現実に、まだ頭がついていかない。涙を流せばいいのか、微笑んで見送ればいいのか…健二には分からなかった。

 「天国にはピアノってあるのでしょうか…それだけが心配だなぁ」

 梓はそんな健二を元気付けるような軽い調子で、笑って見せた。


 …いいなぁ。


 おキヌは、その二人の様子に嫉妬心を覚えてしまう。
 公も私もなく、お互いを必要とするのが当然で、普通で、日常。
 自分にもそんな相手がいるのかな。見つかるのかな。
 脳裏に浮かぶ、一人の青年。
 だが、彼には千年前から縁を持ち続けている相手がいて…
 現世で唯一、心から愛し愛された相手もいた。
 おキヌには、その間に飛び込んでいく勇気も自信もない。
 ならば、仕事上の仲間という形でも、彼の近くにいたい。どんどん強くなって、遠くなる彼との距離を縮めるために、一人でなんでも出来るようになって、胸を張って側にいたい。
 ぎゅっ、とネクロマンサーの笛を握り締める。私には、これしかないのだからという悲痛な思いを込めて。
 からからに乾いていた唇を舐め潤して、おキヌは顔を梓に向けた。

 「それでは、これより浄霊を行います。宮下さん、よろしいですか?」

 「……………………は、い」

 今までのぼんやりとした雰囲気を払拭し、GSとしての顔を強く出したおキヌに眼を瞠りつつ、健二は梓の隣から足を引き剥がすようにして後ずさっていく。

 「笛の音で天国に行けるのですか? ふふ、健二さんらしい演出ですね…凄く嬉しいです、私」


 これほど。

 健二への想いが。

 音楽への想いがありながら。

 梓は自縛霊のような現世への執着を見せない。おキヌはまっすぐに自分を見つめる梓が本当に幽霊なのか…自信が無くなっていた。

 「…頑張ります。では、いきます!」

 意を決した合図と共に。
 ホールを清らかな笛の音が響き渡っていく。おキヌの霊波が笛の音に変換され、梓を包み込んでいく。梓の表情が恍惚としたものに変わってゆくのが、健二にも分かった。

 「久遠くん………俺は…何にも言えなかった。本当に、本当に君は死んでしまっているのか…? 本当に、いなくなってしまうのか…?」

 健二はぶつぶつと呟き、呆然と梓を見送っていた。
 しかし。


 「………氷室さん、とおっしゃいましたね」


 「!?」

 唐突に、梓は表情を悲しげなものに変えると。


 「あなたは…音楽とはなんだと思いますか?」


 未だ笛の音が響き渡る中、おキヌに問いを投げかけてきた。
 おキヌは必死に笛を鳴らし続ける。

 「私…昔、自分の音は音楽ではないと言われたことがあるんです。そんなこと、考えたことも無かった…」

 梓は、霊圧を上げた笛の音にも全く成仏する気配を見せない。ゆっくりとピアノの前へと歩み寄り、鍵盤に指を添える。

 (何で…!? ネクロマンサーの笛が通じない!?)

 「あなたの笛は…私のピアノに似ています。だから、ごめんなさい…」

 内心の驚愕が笛の音に乱れを齎す。それでも、必死になって笛を吹くおキヌ。
 だが、瞼を閉じた梓の指が、一音を鳴らしたその瞬間。

 途方も無い霊圧が、おキヌの笛の音を押しつぶした。

 流れるような旋律が、金切り声のような笛の音をかき消した。

 (!! 久遠さんの霊圧…ううん、この建物が、久遠さんの霊力を増幅している!?)

 九音堂という梓のための世界が、ネクロマンサーの笛という『雑音』を排除しにかかったかのようだ。

 「久遠くん!? 君は…天国に行くんじゃないのか!?」

 びりびりと大気を震わす霊圧に、霊感の無い健二ですら耳を押さえて叫ぶ。

 (そんな! そんなはずは! これしかないのに! 私が横島さんの側にいるには、これしかないのに!!)

 「健二さん…この子の笛は、綺麗な…とても純粋な意志を伝えてきます。でも、それだけじゃ駄目なんです…笛は『楽器』であり、人を楽しませるものなのだから」

 梓の声はホールに凛と響いていく。

 (負けられない…! 負けたら、あそこにいられなくなっちゃう…! 久遠さんを天国に送ってあげられないと、私が私でなくなっちゃう…!)

 今まで純粋な霊体相手に、ネクロマンサーの笛が効果を上げなかった事はなかった。頭が混乱し、おキヌの指と喉に、更なる力が加えられる。

 「氷室さんの笛の音を聞いて、私、気がついてしまったんです。だから…私は、確かめたい。この想いを、音を、音楽を…人を楽しませる音楽の本質を、知りたい…」

 微塵も堪えた様子のないまま、梓のピアノは旋律を奏で続ける。

 「この音は…とても優しくて、暖かくて、想いが詰まった旋律。でも、『音』でしかない。私のピアノも同じ…伝えたい伝えたい、と叫ぶだけの『音の塊』でしかなかった…」

 (わた、し、は…!!)

 既に、ホール内に響く音はピアノの調べのみ。おキヌの笛は、完全に呑まれていて音を外に出すことすら出来ずにいた。それにも気づかず、おキヌの霊力は笛へと注ぎ込まれていく。

 ぴしり。

 (私はーーーーーーーっ!!!!)

 ありったけの霊力が、ネクロマンサーの笛を軋ませる。もう、取り返しのつかないほどに、軋んでいく。


 …笛に走った亀裂は、瞬く間に全体を覆いつくした。


 笛の内包する霊力は亀裂から勢いよく逆流し。


 ネクロマンサーの笛は、砕け散った。その破片が、おキヌの手指を鋭く切り裂き頬にも一筋の朱線をつける。


 赤。赤い。私の、血…


 その色と、感覚を失った指。凄まじい霊圧のプレッシャー。


 (横島さん…)


 おキヌの意識は、全身を包んで揺さぶるような梓の演奏の中、静かに薄れていった。


 つづく


 後書き


 暗! 少し駆け足気味に続編投稿しました。暗い部分をさっさと終わらせたくて!
 竜の庵です。
 暗いのは今回までかと思われます。次回からは、お友達も登場しますし。重い部分は書くのも憂鬱になっていけません。

 ではレス返しを。


 柳野雫様 > 事務所には鈴女もいるけどな! と書いてから思い出す始末。普段どんな風に付き合ってるんでしょうなぁ。おキヌ個人への依頼で彼女の成長を描くのは、鉄板展開だと思うのですがー…結末は既に考えてありますが、柳野様の御眼鏡に適うかどうか。お待ち下さい。そっと書きますから。


 SS様 > シリアスとギャグの割合が、今回は極端にシリアス寄りに…。笛、粉砕してしまいました。おキヌの今後にご期待下さいな。悪いようには…うん、なってない? ような気がします。うん。


 スケベビッチ・オンナスキー様 > オリキャラについての描写は、改稿前はこの三倍くらいありました。いや流石にどうよ? と思って削りに削った結果…描ききれないお粗末さ。難しいです。今回でも内面には触れていますが、どうだったでしょうか。「杮落とし」は通じないのかー…オープニングイベント? とか。おまけは気が向いたら番外にでもしましょうかね。


 meo様 > ピアノ弾きました。ジェームス伝次郎(一発で変換してびっくり)のくだりを読んでも、幽霊が表に出て何かやるのは大変だと。おキヌの境遇は今後きちんと作品に還元されて…たらいいな。


 以上、レス返しでした。皆様有難うございます。


 ネクロマンサーの笛を失ったおキヌがこの先どうなるか。いろいろ伏線を張りつつ、のんびりと書いていこうと思います。のんびりとお待ち下さいませー

 ではこの辺で。最後までお読み頂き、誠に有難うございました!

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