「まったく、なんにも見えねーぞ、こりゃ」
夜の帳が下りた山の中で、目つきの悪い三白眼の男がぼやいた。文明の灯りなど一切ない深い山の中で、うっそうと茂る木々の枝葉に邪魔され、月明かりすら届きにくい。
「まったくだ。せいぜい、月明かりぐらいしか光源がねーじゃねーか」
三白眼のぼやきに同意したのは、全身傷だらけのチンピラっぽい風体の小男。
「文句言ってる暇があるんだったら、言われたことをちゃんとやりなさいよ。あたし、あの人に殺されるなんてまっぴらよ」
と、二人をたしなめるのは、リーゼントの男だった。言葉遣いからして、オカマっぽい。
「っつってもなぁ……夕方の地震以来、何か大きな力が蠢いているようだから調べてこいって言われても、どこをどう調べりゃいいのか……ったく、人使いが荒いぜ」
「何か霊感に感じるものはないのですか?」
ぼやく三白眼に、おっとりとした口調で尋ねたのは、「ふしゅるるる〜ふしゅるるる〜」と得体の知れない呼吸音を立てる、性別どころか人間かどうかすら判別不能の物体X。
何かの道場の同門なのだろう。彼らは四人とも、胸に「白竜」と刺繍された道着に身を包んでいた。
「そうね。ちょっと探ってみるわ」
物体Xの言葉に頷き、オカマが周囲に何かないかと集中する。その時、どこかから「……小隆起さまー……隆起さまー……さまー……」と反響する山びこが聞こえてきた。
オカマは「今時、山びこで遊ぶ人間がいるのかしら?」と首を傾げる。
「それにしても、ここは良い山ですね」
集中するオカマをよそに、物体Xが清涼な山の空気に目を細める。
「そうか? 俺にはよくわかんねーけど」
「この山にいると、何故か落ち着きます。まるで、ずっと昔にここで暮らしていたかのような……」
「けっ。くだんねー」
感傷にひたる物体Xに、チンピラがさもつまらなさそうに吐き捨てる。その二人を、オカマがぎろりと睨んだ。
「ちょっとあんた達、静かにしなさいよ。集中でき――」
ずげしっ!
オカマの文句は、最後まで続かなかった。
文字通り目にも止まらぬ何かに、四人まとめて思いっ切り跳ね飛ばされたからだ。
四人は何が起こったかもわからぬまま、問答無用で意識を刈り取られ、豪快な車田落ちを披露していた。
『二人三脚でやり直そう』 〜第七話〜
彼女は今、山の中を疾走していた。秘儀を使い、そりゃもー物凄いスピードで。ドラゴンイヤーは地獄耳、どんな暴言も聞き漏らしません。
目標まで一直線。仏罰くらわすためなら他の何を犠牲にしても構いません。途中で『何か』を四つほど跳ね飛ばした気がしますが、そんなの関係ありません。ええ、関係ありませんとも。うふふふふふ。
……見えました。仏罰をくらわす相手は、なんか雑草だかゴボウだかよくわからんものに捕まってます。でもそんなの関係ないです。面倒だし、この際一緒に吹き飛ばしてあげましょう。
『One! Two! Three!』
どこからともなく、野太い合成音声が聞こえる。
彼女は地を蹴り、空高く跳躍した。
目標に向かい。
重力も加えて。
「ライ○ーキック!」
『Ri○er Kick!』
右足が青白いオーラに包まれ、それをもって渾身の一撃をお見舞いする。
「今何とおっしゃりやがりましたか横島さんーっ!」
聞こえてはいないと知りつつも、叫ばずにはいられない。
インパクトの瞬間、合成音声が周囲に響いた。
『Clock Over!』
「『げぼはあぁっ!?』」
クロックアップ超加速が解けると同時、横島は死津喪もろとも小竜姫の蹴りによって豪快に吹っ飛ばされた。
…………合成音声がどこから発せられていたかというのは、聞かないほうがいいかもしんない。
……激痛に全身が悲鳴を上げる。
何が起こったか、この場の誰も理解できていないだろう。唯一横島だけが、自身が引き起こしたゆえに予想できるに過ぎない。周囲の全てが、戦闘も忘れて呆然と横島達を見ている。
いや――唐巣神父も、何が起きたのかわかっているようだ。完全に血の気の失せた表情で、だらだらと大量の脂汗を流している。そういえば、と横島は思い出す。あの人も小竜姫を知っていたのだ。
何はともあれ――例の渾身の叫びから約十秒ほどして、横島と彼を捕らえていた死津喪はもろともに、何の前触れもなく突然吹き飛ばされていた。
それでもチャンバーを手放さなかったのは、我ながら大したものだと横島は思った。幸いにも、今ので死津喪からは離れることができた。
仕切り直しとばかりに立ち上がろうとした横島だが……その眼前に、すっと一つの人影が降り立った。
「横島さん」
鈴を鳴らすような凛とした声が、横島を呼ぶ。月明かりを背にするその人影は、にっこりと底冷えするような笑顔で、横島を見下ろしていた。
ぶわ、と全身から冷たい汗が吹き出る。本能の全てが警告を通り越し、白旗を上げた。諦めろ、もう終わりだ、と。
「ヤ、ヤア小竜姫サマ……」
「一つだけお聞きします。今さっき、一体何を言いやがりましたかー?」
「エー、アノー……エット……」
なぜか片言でしどろもどろになる。まあ、冷たい竜気を吹き付けてくる存在が目の前にいれば、それも当たり前なのかもしれないが。
正直、アレで本当に来るとは思わなかった。しかも、いくら超加速を使ったからといっても、ものの数秒であの妙神山からこの御呂地岳に到着するとは。恐るべしギャグ補正。
これは、最後の手段として使えるかもしんない。次があればの話だけど。
ちゃらららっちゃっちゃっちゃ〜♪
よこしま は しょうかんじゅもん『小隆起』を おぼえた!
ちゃきっ。
「今すぐ輪廻の輪に入れて差し上げてもいいんですよー?」
でろりんでろりんでろりんでろりんでろんっ♪
よこしま は しょうかんじゅもん『小隆起』を わすれさせられた!
……などとお馬鹿なことをやっても誤魔化せないわけで。
「わかってますねー横島さん? これから仏罰を下しますよー。逃げないでくださいねー。狙いが外れて打ち所が悪いとー、そのまま逝ってしまいますからねー。じっとしててくださいねー」
何かのスイッチが入ったのか、口調までおかしくなってる竜神サマ。横島は恐怖のあまり動けない。何か喋ろうにも、「あうあう」となるだけで言葉にもならない。
「それではー逝きますよー」
怒れる竜神サマは、にっこりと笑って神剣を振り上げた。
が――その時。
『そなたっ! 何奴じゃ!』
空気を読まない命知らずな声が、小竜姫の背中に投げかけられた。彼女はぴたりと神剣を止め、ゆらりと背後に視線を向ける。
「何か御用でしょうかー。今取り込み中ですよー」
徹底して笑顔は崩さない彼女。死津喪はその異様な雰囲気に飲まれそうになったが――
『もしやそなた、神族かえ? 何ゆえにわしの邪魔をする!』
「確かに私はー、小竜姫という竜神ですがー、あなた誰ですかー?」
『わしは死津喪比女じゃ! わしは今、そこの小僧を殺すところだったのじゃ! 邪魔立てすると言うならば、神族であろうと関係ない。死んでもらうぞえ!』
死津喪にとっては、雰囲気に飲まれていた方が幸せだったろうに……何を意地になっているのやら、無謀にも腕を伸ばして攻撃しだした。
単に、異様な雰囲気に飲まれまいと必死こいてただけかもしんないけど。
小竜姫は瞬時に体を死津喪に向け、その腕を神剣の一撃で弾き飛ばした。特になんでもないといった感じに。
『なっ……!』
「死津喪比女……ですか」
攻撃を受けたからか、小竜姫は突然元の口調に戻った。
壊れモード、終了。……いや、一時停止か?
「300年前にもあなたの名は聞きました。強力な地霊と聞いていましたが、この程度ですか」
言って、背後で腰を抜かしている横島に視線を投げかける。横島はその視線に、びくっ!と大げさに反応した。
「情けないですね、横島さん。曲がりなりにも私の弟子なのですから、この程度の妖怪に遅れを取ってもらっては困ります。私はこれ以上手を出しませんので、あとは自力でなんとかしてください。デタントの関係上、私が下界で無闇に力を振るうわけにもいきませんしね」
「は、はい! わかりましたーっ!」
しゅばっ!と立ち上がり、素早く小竜姫の前に立って死津喪と対峙する。
『お、おのれ……!』
死津喪が横島と小竜姫を憎々しげに睨む。横島はサイキック・ソーサーでも栄光の手(劣化版)でもどっちでもすぐに展開できるよう、右手に霊気を集中させた。
背後が怖いのは、この際後回し――と思いたかったが。
「それ片付けたらー、じっくりと話を聞かせてくださいねー♪ 仏罰はー、その時にでもー♪」
「ひぃぃぃぃぃっ!」
恐怖、再燃。どうやらまだ壊れたままだったらしい。
嗚呼、自業自得とは、かくも恐ろしいものか。
ともあれ――
「さあ、逝きなさい横島さん! 相手は緑黄色野菜のなり損ないです! かる〜く料理してやってください!」
「一箇所字が間違ってるんですがーっ!」
『誰が緑黄色野菜のなり損ないかーっ!』
三者三様の叫びを交え。
シリアス全開だった戦いは、かくして微妙な空気で再開されたのだった。
んで。
「……えーと……」
「こっちも……再開していいかしら?」
『……そうするとしようかえ……』
というやり取りをしたのは、横島夫妻vs死津喪フィールド。
『……こっちも再開していいのかえ?』
「あ、うむ……」
こちらは唐巣vs死津喪フィールド。
思いっ切り戦闘の雰囲気をぶち壊された面々は、気を取り直すのにかな〜り時間がかかったようだった。
ガンッ! ガンガンガンッ!
連続して放たれる、頭の触角状の葉と腕。
それら全てを、横島はソーサーで弾いていた。
もう何度かわしたかわからない。その上、二度も捕まってしまったもんだから、いい加減相手のパターンは見切れてきた。
『ええい、相変わらずちょこまかと……!』
死津喪が苛立ちの声を上げる。こと回避や逃走に関しては、横島は群を抜いた力を見せるのだ。
少し――ほんの少しだが、余裕が出る。ちらり、と左手に掴んでいる、M24のチャンバーに視線を落とした。中身の弾丸を取り出すほどには余裕がなかったので、いまだそのままだった。
触角が二回連続で襲ってくる。それらを弾くと、続いて腕。伸びた腕を戻す時、ほんのわずかにタイムラグが出来ることは、既に見切っていた。
(よし……!)
その一瞬。
横島は戻る腕を追うかのように、ソーサーを投げた。
「でりゃああぁぁぁっ!」
『なに……!?』
ずがんっ!
ソーサーが死津喪に直撃し、爆発が起きる。その爆炎で死津喪の視界が塞がれている間に、横島は右手に栄光の手を発現させ、チャンバーに霊気の爪を引っ掛けた。
が――瞬間。
ひゅんっ!
爆炎の中から、死津喪の腕が伸びてきた。
「くっ……!」
横島は気付き、うめきを漏らす。それは真っ直ぐに横島の方に肉薄し――
ずがんっ!
派手な音を立て、横島は爆炎に包まれた。その手に持っていたチャンバーを、粉々に砕いて。
『なんじゃと……?』
自分は爆発を引き起こすような攻撃はしていない。消え行く爆炎の中から姿を現した死津喪は、訝しげに眉根を寄せた。
『あやつの持っていたものが爆発でも起こしたのかえ?』
その視線は、横島がいた場所を包む爆炎に注がれていた。
だが――死津喪は知らない。たとえ弾丸の薬莢が暴発したところで、あそこまでの爆炎は起きないということを。もっとも、火縄銃以降の銃を知らない死津喪にとって、暴発という事象も含め、それを判断しろというのは酷な話だが。
――ならば、何の爆発か――
それを考える前に、死津喪の頭上に降り注ぐものがあった。
「俺はここだぁぁぁああっ!」
『なにっ!』
がすっ!
その叫びに、咄嗟に頭上を振り仰ぐ死津喪。
が――死津喪が上を向くと同時、その額に何かを突き入れられた。真上から落ちてきた横島が、いつの間にやら手に持っていた弾丸を、全体重を乗せた栄光の手によってその額に深々と差し込んだのだ。
『ぐ、ぐぅ……小僧! 貴様ああぁぁあぁ!』
「そら、もういっちょおっ!」
死津喪の真正面に着地した横島は、さらに栄光の手による拳を死津喪の額に打ち付けた。
ガァンッ!
それが撃鉄代わりとなったのか、弾丸の薬莢が爆発し、さらに弾頭を死津喪の体内深くまで押し込んだ。
『ぐ……ぎゃあああぁぁぁぁああああっ!』
死津喪の断末魔が、周囲に響く。その体が、見る間にボロボロと崩れ落ちた。
『『なにっ!?』』
横島夫妻や唐巣と対峙していた二体の死津喪が、驚愕に目を見開く。横島はズタズタになり血まみれになった片足を引きずり、ニヤリと勝利を確信した笑みを浮かべた。
「く……ふふっ……俺達の勝ちだ、死津喪比女」
『なんじゃと?』
「子供の頃から、一度は言ってみたかった台詞があるんだ。今ここで、お前に使わせてもらうぜ」
言って、びしっ!と死津喪に人差し指を突き付ける。
「死津喪比女……お前はもう、死んでいる」
『何をほざくか、小ぞ――『ぎゃああああぁぁぁああっ!』――何っ!?』
横島の真意を問い質そうとした死津喪だが、もう一体の死津喪の断末魔に遮られた。そちらに視線を向けると、そこにいた死津喪は最初にやられた死津喪と同じように体が崩れている。
『な……な、な、何をした小僧おぉぉぉーっ!』
「細菌兵器――わかりやすく言えば、致死性の病原菌だ! ついでに言えば、お前のような植物妖怪限定で効くよう呪術をかけた、特別製のな!」
『病原菌じゃと……!? ならば、本体に感染する前に切り離――なんじゃと!? 感染が速い! 間に合わぬ!?』
「だから言っただろーが! お前はもう、死んでいるってな!」
『こ、小僧おぉぉぉおおおおおおぉぉぉおおおおっ!』
死津喪は、ありったけの憎悪を込めた呪詛を横島に向けて吐き出し――そのまま、ボロボロに崩れ去った。
――静寂が訪れた――
激戦の舞台となった、神社前の傾斜。もはや動く異形はなく、そこには人間達と一柱の女神が佇むだけだった。
「終わった……のかな? 小竜姫さま、わかります?」
「大丈夫ですよ……ほら」
小竜姫が、少し離れた一点を指差す。全員がそちらを見ると、何やら巨大なものが地中から這い出てくるところだった。
『お……のれ……おの……れ……』
呪詛を吐きながら地上に顔を出したそれは――しかしもはや力尽きる寸前なのか、まともに動くこともできないようだった。
「あれは……死津喪比女の本体なのか?」
「もう何もできなさそうっスね」
横島の言葉通り、死津喪比女はそのまま動かなくなり、うわごとのように繰り返していた呪詛の声も、やがて聞こえなくなった。
「ふぅー」
それを確認するなり、横島はぺたんと尻餅をついた。足は片方が包帯に包まれ、もう片方は血まみれになっている。
「まったく……無茶な戦い方しますね、横島さんは」
小竜姫が、その足を見て呆れたようにため息をついた。
「あ、やっぱ見ててわかりましたか?」
「あの霊気の盾を足に出して、それをそのまま地面に叩き付け、その爆風を利用して一瞬で相手の頭上まで飛び上がる――無茶もいいところです。爆心にある足は、しばらく使い物にならなくなるじゃないですか。
片足一本犠牲にしてまでやったことが、ただの奇襲だなんて……」
「あはは。サイキック・バースト・ハイジャンプとでも名付けましょうか。でも見ての通りの技なんで、実用性は皆無っス。忘れた頃に使って意表を突くぐらいしか、使い道ありませんし」
「それで勝負を決められなければ、終わりですよ?」
「それもわかってます。でも今回、俺の実力で死津喪とまともにやり合おうなんて思ったら、あれぐらいしか攻撃の届く技がなかったもんでして」
「まったく……」
弟子の言葉に、小竜姫はため息を漏らす。
何はともあれ、こうして敵を倒せたのだ。彼一人の力ではないにしても、成し遂げる為に色々と手を尽くしたのは、周囲を囲む人間達を見ればわかる。
「さて……それじゃ、最後の一仕事といくか」
これが最後とばかりに、足の痛みも無視して立ち上がる。
横島が目を向けた先には、氷室一家と道士の思念体がいた。
その後は、大樹が小竜姫を口説き始めて百合子が恐怖のグレートマザーと化したり、唐巣が改めて『細菌兵器』の単語を聞いて卒倒しかけたり、エミが横島を勧誘し始めたのを何のかんのとはぐらかして断ったり、目を覚ました早苗がボロボロになった自分の服装を見て横島を張り飛ばしたりと、賑やかな光景が展開された。
その辺のことは描写すると容量食うからパス。……いや決して表現力がないとか細かい描写が思いつかなかったとかじゃないですよ? ホントデスヨ?
……こほん。
負傷者に簡単な応急処置を済ませ、全員で神社地下の地底湖へと足を運ぶと、そこには機能しなくなった地脈堰と、浮いたまま気を失っているおキヌがいた。その姿は、普段通りの巫女服に戻っている。
自ら地脈堰との接続を切るなどという無茶をしたせいだろう、と道士は言った。
霊体の気付け、などということは普通しないので、彼女を起こすのは小竜姫に任せた。
『ん……あ、あれ……? ここは……はっ! よ、横島さん!』
気付いたおキヌは横島の安否を気遣い、慌てて周囲を見回した。
「俺はここにいるよ、おキヌちゃん」
『横島さん!』
横島が声をかけると、彼女はぱっと振り向き、詰め寄った。
『あ、あの、大丈夫ですか!? 死津喪比女は倒せましたか!? 怪我とか、ありませんか!?』
「大丈夫だよ、おキヌちゃん」
安心させるためにニッと笑って、きっぱりと言い切る。
「相手が相手だったから、無傷ってわけにはいかなかったけど……どうにか、倒せた。もう、おキヌちゃんがこの地脈堰に括られている必要はなくなったんだ」
『そ、そうですか……良かった、横島さんが無事で……』
それを聞いたおキヌは、ほっと胸を撫で下ろした。
『私、信じてました。死津喪比女を絶対に倒すっていう、横島さんの言葉を。ずっと、信じてました。ずっと、ずっと……。けど……やっぱり、心配でした……。横島さんがやろうとしていることが、どれぐらい無茶か知ってましたから……心配でした……』
緊張の糸が途切れたのだろうか――言葉の途中から涙声が混じり始めた。そして、横島の胸に顔をうずめ、すんすんと泣き始めた。
『良かった……横島さんを信じ続けて、横島さんが無事で、本当に良かった……』
「おキヌちゃん……」
『横島……さん……』
横島はそのまま、おキヌが落ち着くまで胸を貸していた。
やがて彼女が泣き止み――
「そろそろいいかしら?」
タイミングを見計らったのだろう。横から百合子が話しかけてきた。おキヌが顔を上げ、そちらを見る。
「あなたがおキヌさん?」
『あ、は、はい。あの……』
「あたしは横島百合子。この馬鹿息子の母親よ」
「父の大樹だ」
『は、はじめまして。おキヌです』
「君のことは忠夫から聞いているよ。しかしまさか、こんなに可愛らしいお嬢さんだったとは――ぐげっ!」
「この宿六はほっといていーわよ」
パンプスで夫の足を踏み付けながら、百合子がにっこり笑って言った。その背中から放たれるオーラは、「息子の彼女、しかも幽霊に色目使ってんじゃないわよ」と如実に語っていた。
『あ、あの……』
「いいのよ、何も言わなくて。あんたが忠夫のこと、どれぐらい想ってくれてるかなんて、さっきの言葉聞けばわかるから。
よくあそこまで、忠夫のこと信じてあげられたわね。むしろ、親のあたしらの方が、あいつのこと見誤ってたぐらいだわ。なにせ、本音を言っちゃうと、あいつがあそこまでやれる男だったなんて、夢にも思ってなかったから。
……うん、ちょっと気の弱そうなところはあるけど、あんたなら安心して息子を預けられるわ」
『え? え? ええ?』
「ちょ! おかん、何言うてんねん!」
予想もしなかった言葉――その意味するところを察し、おキヌも横島も耳まで真っ赤になる。横島の方に至っては、知らず方言が出てしまったぐらいだ。
「今更隠しても遅いわよ。忠夫はこの馬鹿亭主の息子なだけあって、十中八九浮気癖があるでしょうから気を付けなさい? でも……ま、そっちは心配ないかな? ナンパ成功率0%の奇跡のモテナイ君だし」
「うっさいわぁっ!」
「この後、反魂の術とかで生き返るんでしょ? ともあれ、その後は頑張りなさいな。応援してあげるから」
『は、はい! が、がが頑張ります!』
意味がわかってるのかわかってないのか、おキヌはどもりながらも即答し、頭を下げる。
おキヌは顔を上げ、周囲をぐるりと見回した。横島、その両親、唐巣、エミとその助手達、氷室一家、道士の思念体、そして小竜姫――
(……あれ? なんで小竜姫さまがいるの?)
途中退場したおキヌは、小竜姫参戦の経緯を知らない。ともあれ――
『皆さん、ありがとうございました!』
全員に向かって、ぺこりと頭を下げる。
『私なんかのために、死津喪比女なんてとんでもない敵と戦うことになってしまって……さぞ、ご迷惑をおかけしたことと思います。でも、お陰で私はやっと、解放されることができます。皆さんには感謝してもし足りません』
「そこまで畏まらなくてもいいよ」
おキヌの謝辞に、唐巣がにこやかに答えた。
「神は自らを助く者を助ける、と言う。君は300年もの長き時を頑張ったんだ。救われて当然だよ。我々はその手助けをしたに過ぎない」
「私は、単に仕事だっただけなワケ。けどそこにいるクライアントが自分の命を張らないような腰抜けだったら、弾丸作ってそのまま終わりだったけどね」
「私は横島さんに呼ばれましたから。といっても、見守るだけでしたけど」
エミと小竜姫も唐巣に続いた。特に小竜姫の方が、「呼ばれた」のあたりで筆舌に尽くしがたい黒いオーラを噴き出し、横島がそれに反応してもンの凄い勢いで脂汗を流したものだが――
『そ、そうですか……』
おキヌは怖くて詳細を聞けなかった。唐巣も何か知っているようだったが、あさっての方向を見て知らない振りをしている。
『……そろそろよろしいですかな?』
そこに、道士が前に出て、場の全員に尋ねた。全員が、道士の方に注視する。
彼が『そろそろ』と言ったからには、やることは一つである。そもそも、死津喪を倒した後にすることといえば、一つしかない。
「おキヌちゃんを……生き返らせるんですね?」
『うむ。だが……それに関して、一つ言っておかねばならぬことがある』
『記憶……ですよね』
沈痛な面持ちで言ったおキヌに、道士は驚いたような表情を浮かべた。
『知っていたのか? 生き返れば、幽霊であった頃の記憶はなくなるということを』
『はい』
見れば、唐巣やエミ、小竜姫も特に驚いた様子はなかった。全員がその道のプロである。知ってて当然だろう。驚いていたのは、横島夫妻と氷室一家だった。
おキヌや横島にとって、生き返ったところで記憶がなければ、辛い思いをするのは目に見えている。それを考えると、誰もがあまりいい顔はできなかった。
だが――
「あのー、それについてちょっと考えたことあるんスけど」
その横島の声が、横合いからかかってきた。
「記憶がなくなるってゆーか、思い出せなくなるってことですよね? 霊魂の中に記憶は残ってるけど、肉体の方――脳がその記憶を引き出せなくなるってところじゃないっスか?」
『はい。人間の記憶は、全て脳にありますからな。脳にない記憶は引き出せませぬ』
「なら、どうにかして霊魂の記憶を脳と繋げられないっスかね? たとえば、地脈の力を使うとかして」
『ふむ……それならば確かに、出来ないことはないかもしれませぬ。幸いにも、地脈の力は300年間堰き止めていた分、豊富ですからな。
しかし、理論上は可能だとしても、そのような術はやった経験がありませぬ。その上、所詮思念体に過ぎない私に、それが出来るかどうか……』
「ならば、私が補助をしましょうか?」
と申し出たのは小竜姫だ。
『あなた様が? 確かに、神族の力を借りればできますでしょうが……よろしいのですか?』
「遠慮しないでください。これは、横島さんのためなんですから。彼は私の初めての弟子なんです。師が弟子を助けるのは当然でしょう?」
『なんと勿体無いお言葉……それならば、謹んでお願いいたします』
その流れを見て、横島とおキヌは顔を見合わせ、「やった」とばかりに笑い合った。
『では、おキヌの体が保存されている場所へと案内いたしましょう』
案内された場所は、例の祠だった。夕方に死津喪が引き起こした地震により、なかば崩れておキヌの遺体が露出していた。
道士と小竜姫が準備をし、「いいですよ」と合図を受けた横島が、栄光の手によって遺体を封じている氷を砕いた。
かくて、おキヌは生き返ることができた。地脈の力によって、幽霊だった頃の記憶を失わないまま。
「とはいっても、地脈の力を借りている仮初のものですので、記憶が脳に定着するまでは地脈の流れるこの地を離れない方が良いでしょう」
「二台のパソコンをLANで繋げて、データをコピーしているようなもんか」
小竜姫の説明を受け、大樹が現代風に例えてみる。言い得て妙というか、意外と的を得ていた。コピーが終わるまでは、LAN(地脈)を外すことはできないのだから。
その後は、氷室神社に戻って、応急処置で済ませていた傷に包帯を巻くなどして改めて処置し、そのままささやかな宴会が開かれた。
その席の中で、おキヌは氷室家の養子として引き取られることが決まった。戸籍等の諸手続きは、彼女の事情が特殊過ぎるために、その辺の工作が得意な横島夫妻が代行することになった。
全員、死津喪戦で疲れ切っていたこともあって、宴会は長く続かないうちにほとんどが酔い潰れた。
こっくりこっくりと舟を漕ぐ横島の肩には、おキヌが頭を乗せてすやすやと寝入っている。
「氷室さーん。御神酒おかわりくださーい」
そんな中、小竜姫だけが御神酒を何杯も呷っていた。
――明けて翌朝――
「それじゃ、また一旦お別れだね」
「そうですね。記憶が定着したら東京に行きますので、それまで待っててください」
「ああ、待ってるよ」
二度目の別れは、明るいものだった。横島は神社の鳥居でおキヌと別れを済ますと、「じゃ」と片手を上げて石段を降りて行った。
「よこしまさーん!」
互いの姿が見えなくなる直前、おキヌが声を上げる。
「私のいない間ー! 美神さんをー! よろしくお願いしますー!」
「おー! 任せとけー!」
距離が開いていたため、自然と大声になる。そしてもう一度手を上げ、別れの意思を示すと、一気に石段を駆け下りた。
石段が終わる頃、そこには小笠原オフィスのワンボックスカーと、それに乗り込んだ人間六人、そして車外で横島を待つ小竜姫の姿があった。
「お待たせしましたっ! それじゃ、東京に帰りましょうか!」
意気揚々と言う横島だったが――
「あらー? 真っ直ぐ帰れると思ってるんですかー?」
…………。
ぶわっ。
小竜姫のその一言で、一瞬の間を置き、横島の全身から冷たい汗が吹き出た。
「ア、アノ、ドウイウコトデショウカ、小竜姫サマ」
「あなたには色々とー、聞きたいことがあるのですよー♪ おもに、私の胸に関してどう思ってるのかとかですねー♪ それにー、あの程度の妖怪に苦戦するなんてー、まだまだ修行が足りないみたいですねー♪ 死ヌほどしごいてあげますのでー、今から妙神山にれっつらごー♪」
楽しそうだ。非常に、とっても、この上なく楽しそうだ。目が笑ってないが、問答無用で楽しそうだ。
…………。
気付いた時には、横島は小竜姫に手を捕まれ、地面と平行に体を浮かせながら、一直線に妙神山へと連行されていた。
あれ? と思う暇さえない。一秒ほど前に目の前にあったワンボックスカーなど、もはやどこにも見えはしない。
「ぎゃあああああーっ! 死ヌ! 死んでしまうううううーっ! 誰かっ! 誰かへるぷみーっ!」
「仏罰だと思って諦めてくださいねー♪ もし死んでもお墓ぐらいは作ってあげますよー♪ ……金魚の墓みたいなのでよければ」
「なんですかそれ扱いが酷すぎますーっ!」
「あ、ほらー♪ もう妙神山が見えてきましたよー♪」
「いやあああああっ! 今日だけは鬼門が地獄の門に見えるうううぅぅぅっ!」
一方。
どこかおかしい竜神サマに一瞬で横島を連れ去られた横島夫妻&小笠原オフィスの面々はというと。
「忠夫……死ぬなよ」
男泣きに泣く大樹の後ろで、ヘンリー、ジョー、ボビーが同じく男泣きに泣きながらドナドナを歌っていた。
――おまけ――
木々が鬱蒼と茂る山の中。朝日が差し込み、幾分と明るくなった森の奥。
「……た、たすけ……」
その中で、今にも燃え尽きようとする四つの命があったのは――まあ、特に関係はない。
―――あとがき―――
やっと死津喪編終了しました。筆者のいしゅたるです。壊れ小竜姫が好評なので、26日朝に壊れ表記追加しましたw
ちなみに、ドラゴンビームは怪光線だとか、ドラゴンウィングは空を飛ぶとか、そういうのは……欲しいですね。ないけどw
次回からやっと美神が前面に出てきます。さらには冥子登場、そして原作の順番を変え、超神合体編の導入部となりますw
超神合体編終了まで、おキヌちゃんはあまり出番ないですけど、その辺はご了承を;;
次から改題したいなぁと思ってる今日この頃。新しいタイトルはシンプルに『二人三脚』で済ますか、『ウィー・アドヴァンスド・トゥギャザー!』(和訳:僕達は共に進む)と捻ってみるか、それとも改題せずにこのまま通すか。どーしよーかな。
ではレス返しー。
○零式さん
私の現在の技量では、この壊れ具合が限度でしたw どうでしょうかね?
○SSさん
逆鱗以上の逆鱗に触れた彼は、果たして生きて帰れるのでしょーか?w
○寝羊さん
小さいってことは便利です(何が?
横島はこの七話と八話の間に何回死ぬんでしょうねぇ……w
○とろもろさん
さすがに、下界のことに小竜姫が首突っ込むわけにもいかないのでw 最初のライ○ーキックにとどまりました。
○ユーキさん
ドラゴンイヤーは地獄耳。わずかなニュアンスの違いも聞き漏らしませんw
○亀豚さん
こうなっちゃいましたw ご一緒に横島君の冥福を祈りましょうw
○T,Mさん
さすがにこの覚悟は……あったかもしんないけど想定範囲外だったでしょう、きっとw
○スケベビッチ・オンナスキーさん
これ(胸のこと)ばっかりはヒャクメに頼らなくても自力で感知できるようですw そーいや美神召喚の時も、ギャグ補正が効いて一瞬で学校到着してましたねー。
○ソティ=ラスさん
死んだっぽいですw 偉大なる勇者(?)に冥福をw
○山の影さん
この七話終了後、妙神山で降ることでしょう。血の雨がw
早苗の方は……どうしましょうか? まだ予定立ててないんですけどね。原作でもまったくの手付かずでしたし。
○kamui08さん
きっと、横島君的には、あの場面で叫ばないのは少年漫画っぽくなかったのではw それで失敗するのがいかにも横島ですが。まさに偉大なる英雄(バカ)ですねw
○casaさん
すいません、私にはそんなCHAOSな状況は生み出せませんでした;; しかし、やはりGS美神における戦闘のコンセプトは、「真面目な敵をギャグ空間に引きずり落としてブチのめす」ではなかろうかと思いますが、どうでしょうw