「まずは状況の確認……それと、おキヌくんの行方か」
唐巣はいつ襲われても対処できるよう、聖書を片手に警戒しつつ、神社周辺を探っていた。
実はこの時点で、既に神社周辺には結界が張られていたのだが、最初から中にいた唐巣はそれに気付かない。
もし推測通りに死津喪比女が現れたのなら、と考える。地中深くに本体を持つ相手に対し、こちらは何の用意も出来ていないのだ。せいぜい、襲ってきたところを防ぐことしかできない。
(……そういえば)
唐巣はふと、昨日にGSの小笠原エミからの電話を受けたことを思い出した。
(死津喪比女について色々聞かれたが……まあおそらく、横島くんあたりが協力か何かを依頼し、その時に話を聞いたんだろう。
だが、彼女は呪い専門のGSだったはず。彼は小笠原くんに、一体何をさせるつもりだ?)
単なる戦力増強、というわけでもないだろう。それならば彼女ではなく、自らの雇い主を頼るはずだ。
もう少し詳しく話を聞いておくべきだったか、と唐巣は今更ながらに思った。
もっとも、この人の良い神父が細菌兵器などという物騒な言葉を聞いたら、どういう反応を示すだろうか。もしかしたら、横島はそれを見越して、その辺りのことを伏せるようエミに言ったのかもしれない。
(それにしても、妙神山から無事戻ってこれるとは……おキヌくんの言う通りになったか。しかも、何か対策を用意しているようだし……期待しておくとしようか。
ともあれ、彼が合流するまで、どうにか凌がないと。――ここからが正念場だな)
『もし……そこのお方』
と――そこに、背後から声をかけられた。
肉声ではないこと、すなわち肉体を持たない者からの呼びかけであることと、それがおキヌの声ではないことから、唐巣は警戒心を強めて慎重に振り返る。
そこにいたのは――
「神主さま……? いや違う。幽霊……いや、思念体ですか?」
この氷室神社の神主によく似た面影を持つ、実体を持たない黒衣の道士だった。
『察しが良いですな。私はこの氷室神社を建立した者がこの世に遺した、地脈堰を守る思念体です。高い力を有した現代の退魔師と見受けましたが?』
害意は感じられない。その外見と言動から察するに、死津喪比女と敵対する者であることが伺えたので、唐巣は警戒を解いた。
「唐巣和宏といいます。地脈堰を守っていると言いましたね? 一体、どこにあるのでしょうか?」
『それはこれから案内します。説明もいたしましょう。死津喪比女が動き出した今、あなたの力をお借りしたい』
「死津喪比女……やはり今の地震は、奴の仕業でしたか」
『はい。奴のことです、枯れるのをおとなしく待っているとは思えませんでした。どのような手段を使ってくるかはわかりかねますが、おそらく、地脈堰を破壊するのが目的でありましょう。
……さ、こちらへ』
道士に導かれ、唐巣は神社の本堂へと向かった。
『二人三脚でやり直そう』 〜第五話〜
空港の到着ロビーで、流れ行く人間をじっと見続ける。目当ての人物はなかなか現れなかった。
しかし、それから数分も経つと、やっとその姿が見つかった。それなりに高級そうなスーツとタイトスカートを着た、ウェーブのかかったロングヘアーの中年女性――横島百合子である。
「あら、迎えに来てくれたのね、忠夫。元気してた?」
彼女は真っ赤に染まった何かを引きずり、横島を見つけるなりにこやかに挨拶してきた。
(お、親父……一体何したんだ?)
横島は、その真っ赤な物体――父・横島大樹の成れの果てを見て、顔に縦線を浮かべて戦慄した。
賢明なる読者諸兄は既に理解していると思う。横島がエミに払う報酬を工面し、なおかつ細菌兵器弾頭を使用するためのライフルを用意するために頼ったのが、この色々と謎の多い両親であったことに。
最初は電話で拝み倒したが、電話線越しではいまいち真剣さが伝わらなかったのか、どんなに説明しても色好い返事は貰えなかった。それならばと、直接帰国してもらって改めて頼み込むという手段に出た。
本来なら、彼らにも仕事があるためそれさえも難しかったのだが、「人の命がかかってる」と言うと、渋々といった様子で承諾してくれて、今日の一時帰国となったのだ。
(300年前にとっくに死んでいる命だけど、嘘は言ってないよな)
おキヌが生き返られるかどうかという意味では、「人の命がかかってる」というのは嘘ではない。
百合子は息子が『ヤの字』に関わるヤバい事件に関わったんだと勘違いしていたのか、会うなり包丁を突き付け、般若のような形相で息子を脅したものだが――対する横島はといえば、
「……そんな単純な話ならまだマシだ。首突っ込む前に逃げてるからな」
と、気圧されるどころか真正面から睨み返し、そう答えた。
「ならなんで、3000万なんて金とライフルが必要なのよ。というかあんた、どうしてあたしらがンなもの用意できると思うの? 親を何だと思ってるのよ」
「……村枝商事のナルニア支社長と、伝説のOLの紅百合、だろ? できない話じゃないと思うけど」
「なんであんたがそんなこと知ってるのよ。話した覚えはないんだけど……」
その後、詳しい話は東京に着いてからということで、京成線スカイライナーを使って(ダイヤを把握していれば、成田エクスプレスよりもこちらの方がかなり早い)都心へと急ぐ。その道中、電話でもした話――太古の妖怪『死津喪比女』と、それを封じるために地脈堰に括られた少女『おキヌ』のことを、改めて説明した。
何分、オカルトと無縁の生活をしている両親である。その世界のことは、いくら話しても実感を持ってもらえない。
だが――
「なーんか眉唾ものの話だけど……あんたの目、本気だね。とりあえず、その小笠原ってゴーストスイーパーのところに連れてってくれる? 金の話はその時。文句はないわね?」
「……それで納得してくれるってんなら」
真剣さだけは伝わったのか、そういう話になった。
――そういうわけで、彼らは今、エミのオフィスにいる。ちなみに大樹はしっかりと復活しており、ちゃんと二本の足で妻と息子の横に立っている。
インターフォンを鳴らすと、事務所の中から筋骨逞しい男が現れた。エミの助手の一人、ヘンリーである。
彼に案内され、昨日も訪れた応接室のソファに座り、親子揃ってエミと対面する。
「あら、昨日のボーヤじゃない。で、そっちは親御さん? お金が足りないからって、親に泣きついたの? なっさけないワケ」
会うなり辛辣なコメントを出してくるエミ。
ちなみに、横島は美神の関係者であることを伏せている。聞かれなかったからというのもあるが……自分が美神の助手であるということを伝えたら、いがみ合う仲である二人の関係を思えば、いらぬいざこざが起きるであろうことは火を見るより明らかだ。
ゆえに今回、エミとの関係は、あくまでもゴーストスイーパーと依頼主でしかない。
ともあれ、その言葉に反応したのは、横島ではなく母の方であった。
「あら、忠夫はまだ未成年なのよ? 親が同伴するのは当たり前でしょ。ただの学生に一億なんて報酬を要求するヤクザ商売なだけあって、常識も何もないみたいね」
エミの美貌に鼻の下を伸ばした夫の足を踏み付けつつ、毒を吐く。そのあからさまな挑発に、ピキ、と音を立て、エミの額に井桁が浮かんだ。
「それ、聞き捨てならないワケ。おたく、こいつの要求していることがどれぐらい無茶なことか知ってて言ってる? 細菌兵器なんてトンデモな代物に妖怪しか感染しない呪いをかけて、ライフル弾を作れって言ってるのよ? 報酬がそれ相応になることなんて、当たり前なワケ。
むしろ、学生だから遠慮して安くしてるぐらいよ」
「どうだか。そもそも、それが本当に必要なものなのかしら? あなたもプロだっていうなら、その妖怪とやらのことを調べた上で、もっと適切な対処方法を示してあげるべきじゃないの?」
「……あたしがそれをしなかったとでも思うワケ?
先に現地に行ってるっていうGSに電話で確認したけど、相手は地中深くに潜っている植物妖怪なワケ。地上に花や葉に相当する部分をおびき寄せて、細菌兵器弾を撃ち込んで本体を根絶させるっていうこいつの作戦が、唯一有効な手段だって判断したからこそ、弾頭の製作を一発一億で引き受けたワケ」
「なるほどねぇ……」
頷き、今度は息子の方に視線を向ける。
「ま、他にも色々言いたいことはあるけど、そっちはそっちでとりあえず納得してあげましょ。で、今度は忠夫、あんたに聞きたいんだけど」
「なんだよ?」
適当に話を切り上げ、息子へと話題を転換する百合子。なんとなく馬鹿にされていると感じたのか、エミは百合子を睨み続けている。
「その死津喪比女とかいうのを封印する地脈堰……だったっけ? それに括られているおキヌって子、あんたの何なの?」
「何なのって……」
「聞けば、あんた自身も妖怪退治に参加するって話じゃない。ただ可哀想だからって、あんたみたいな臆病者のヘタレ息子が親に3000万も借金して、さらに自分の命まで賭けるなんて普通じゃないわよ。
最初はただカッコつけてるだけかと思ったけど、どうも本気っぽいし。正直に言ってみなさい?」
「ああ、それは俺も気になったな。で、忠夫? 本当のところはどうなんだ?」
言われて、横島はどこまで話すべきか一瞬考える。
美神の付き添いで会った、というのは勿論却下。出会った時間が短すぎて説得力に欠けるというのもあるが、エミの手前、美神との関係を話したくはなかった。
そして、未来から一緒に逆行した仲間だから、というのも却下。そんなこと正直に言ったところで、正気を疑われるだけだ。
なので、彼は――
「大事な……かけがえのない、仲間だから。俺はおキヌちゃんのおかげで、色々なものを乗り越えられた」
食うに困っていた時、部屋がゴミで埋もれていた時。甲斐甲斐しく何度も訪ねて来ては、生活能力のない自分を世話してくれていた彼女。
GS試験の時、皆が絶望視していた資格取得を、ただ一人だけ諦めず励ましてくれた彼女。
香港で、まとまりも取れずに迷走しかけていた横島を、ピート、雪之丞とまとめて喝を入れてくれた彼女。
ワルキューレに民間人呼ばわりされて追い出され、一人腐っていた時、夢の中でだが背中を押してくれた彼女。
生身で大気圏突入なんて無茶やらかして記憶喪失になった時、一人だけ自分のことを心配してくれた彼女。
ルシオラを失い、絶望に打ちひしがれていた時、一緒に涙を流してくれた彼女。
そして、ルシオラの霊破片を握った手を、その両手で優しく包み込んでくれた彼女。
他にも、他にも……
「俺は今まで、何度おキヌちゃんに助けられたかわからない。おキヌちゃんがいなければ、今の俺はなかったんだ」
口にした言葉は、全てを語らなかったとはいえ、偽らざる本心。
「だから、助けたい。俺一人でヒーローみたいにカッコ良く、なんて高望みはしない。他人に頼るとか、親に縋るとか、それをカッコ悪いとか情けないとか言われも屁でもない。
……ンなどうでもいいことより、おキヌちゃんを失うことの方が何より怖い。
おキヌちゃんを助けられるんだったら、どんなことでもやってやるさ。勿論その為だったら、この命を賭けることだってためらいはない」
「忠夫、あんた……」
「ふん……?」
それは、聞きようによっては――というより、どこをどう聞いても愛情宣言である。本人にその自覚がないというのが、何よりも大問題なのだが。
百合子が初めて見る息子の必死さに驚き、大樹は値踏みするような視線を向ける。エミはというと、見直したと言わんばかりに、小さく口笛を吹いた。
「なるほど、わかった。そこまで言うんだったら、お前の言うことを聞いてやろう」
「親父、本当か!?」
「ただし、条件が二つある」
大樹はソファから立ち上がり、息子に向かって指を二本立てた。
「まず一つ目だ。この父に対し、お前の力を見せてみろ。お前の説明する通りの妖怪が相手なら、俺を倒せないぐらいじゃ死にに行くようなものだからな」
惚れた女の為に死ぬのも男冥利に尽きるというものだがな、という言葉は飲み込んでおく。そんな父の心など知らず、横島は即座に頷いた。
「二つ目は?」
「それは後だ。まずは表に出ろ」
「……わかった」
そして、二人揃って応接室を出る。それを見送り、残った女二人はあからさまなため息をついた。
「暑っ苦しいわねぇ。男って皆ああなワケ?」
「他はどうだか知らないけど、うちの宿六と馬鹿息子はああみたいね」
「ふぅん。……あ、百合子さんだっけ?」
「なに?」
「さっきは息子さんを情けないだとか、悪いこと言ったワケ。あそこまで覚悟した上での行動だったなんて思わなかったから……」
面と向かって素直に言えないのか、そっぽを向いて謝る彼女に、百合子は内心で「若いわねぇ」と苦笑した。
「いいのよ、そんなこと。ただあんたも、客商売なら態度には気をつけることね。気心の知れたリピーターならいいかもしれないけど、一見さん相手にもそんなんじゃ、客は離れていく一方よ」
「……心に留めておくワケ。さて、と……ヘンリー!」
「はっ」
エミが呼ぶと、応接室に先ほどの男が入ってきた。
「私は仕事の続きをするワケ。百合子さん、何かあったら、このヘンリーに言いつけておいて」
「わかったわ。仕事はきっちりね?」
「言われるまでもないワケ」
そして、彼女は部屋を出て行った。
百合子が窓の外に目をやると、夫と息子が拳を交えているところだった。「山よりも高い父の強さを思い知れ!」だの「俺は今日、親父を越える!」だのといった声が聞こえる。女から見れば、理解不能の熱血馬鹿な台詞だった。
やんちゃな子供を見るような微笑を浮かべ、彼女はテーブルの上に放置してあるリモコンを手に取り、部屋に備え付けてあるTVをつけた。チャンネルを何度か変え、バラエティ番組に落ち着く。
――TV画面には、御呂地岳を震源とする地震の速報が流れていた――
それからしばらく経った頃。
「ぜはーっ……ぜはーっ……」
横島は片膝をつき、目の前で横になる父を油断なく見ていた。
なにせ、自分の父親である。死んだ振りなんてお手の物だろう。
だが大樹は、そのまま起き上がることなく、苦しげに首だけ動かして、自分を下した息子に視線を向けた。
「ぐ……ふぅ……まったく……いつの間に……そんなに強く……なったんだ、忠夫……うぐっ……」
「はぁー……ここ2週間でだよ……超ハードな修行してたんだ……はぁ……」
「しかし……最後のあれ……一体なんだったんだ……いきなり自爆かましたかと思えば……俺の方が地面で寝てたって……どういうことだよ……」
「忍法微塵隠れ……とでも言っておこうか……な」
「馬鹿……言うな……足一本……ズタズタじゃないか……そんな自爆技……使うんじゃない……」
「滅多に……使うつもり……ねーよ……」
息も絶え絶えといった親子の会話。二人はそこで押し黙り、呼吸を整えるのに集中した。
ややあって、二人の呼吸が落ち着く。
「……ふぅ。参った。お前の力、認めてやらんわけにはいかんな」
「当然だ。で、親父? もう一つの条件ってなんだ?」
「ああ、それか……簡単だ。俺達も一緒に連れて行け」
「……え?」
聞き間違いか、とばかりに、彼は間の抜けた声を上げた。
「二度も言わせるな。俺達も一緒に連れて行け、と言ったんだ」
「な、なんでだよ! 相手は妖怪だぞ! 霊能力のない親父達が一緒に来て、どうしようってんだ!」
「それがどうかしたのか?」
「どうかって……!」
「俺達を誰だと思ってる。お前の親だぞ。息子が決死の覚悟で戦いに行こうってのに、親が金だけ渡して「ハイ行ってらっしゃい」なんてできるわけねーだろうが。
自覚がないみたいだから言っておくがな……お前は、どんなにバカでアホでスケベでヘタレでモテナイ君でも、俺達のたった一人の大切な息子には変わりないんだ。それが命がけの戦いに向かって、俺達の方はといえば、生きて帰ってくるのを待ちながら何日も心配し続ける……そんなの、考えるだけで気が滅入るだろーが。
それにそんなのは、俺達のキャラじゃないしな」
「親父……でも」
「デモもストライキもない。言っておくが、お前に選択権はないんだ。付いて来るな、なんて言おうものなら――
――フルコース30セットな」
「謹んで承諾いたします」
だらだらと大量の脂汗を流し、即答する横島。……何のフルコースだろうか?
「で、話は終わった?」
と、そこに声をかけてきたのは、百合子だった。
「母さん」「百合子」
「まったく……しょうがない男どもだね。ところで忠夫、さっき地震速報があって、御呂地岳が震源の地震があったんだってさ。あそこって、あんたの言ってた場所じゃないの?」
「な……
なんだってえええぇぇぇぇぇぇっ!?」
5分後、横島一家、作りかけのライフル弾と顕微鏡を持ったエミ、従業員の3人組――計7人を乗せた小笠原事務所のワンボックスカーが、猛スピードでその場を後にした。
氷室神社の地下に案内された唐巣は、ただ呆けていた。
入り口は、本堂の床にあった。継ぎ目さえもわからない精巧な隠し扉である。ここまで巧妙に隠されては見つからないはずだ、と納得した。
そして地底湖に辿り着いた彼は、目の前にある威容が300年前の産物と知って、我が目を疑っていた。
一枚岩で出来た、寸分の狂いもない巨大で正確な球体。地底湖の真ん中、三本の石柱によって支えられたそれは、蓋でもしているかのように上部に円が描かれている。
これが、地脈という巨大な力の操作、死津喪比女の封印、周辺を守る結界という三つの役割を行っているというのだ。これほどのオカルト装置、現代でさえそう簡単に作れるものではない。
と――その呆けた唐巣を、正気に戻す声が聞こえた。
『唐巣さん……』
「おキヌくん?」
声の主は、その地脈堰に描かれた円の中から現れた。
いつもの巫女服は着ていなかった。裸のようにも見えたが、その体は女性としての形を描いているだけでしかない。地脈堰と接続しているからだろうか――体全体に、霊波で光る模様が浮き上がっていた。
『ふむ……おキヌとは面識がありましたか?』
「前後の状況は把握しておられないのですか?」
『はい。私は死津喪比女が動くと同時に目覚めるよう括られておりますゆえ、先ほどの地震で目覚めたばかりなのです。
私は、起きると同時にこの神社に結界を張り、おキヌも呼び戻して地脈堰の機能も万全としました。ひとまずここは安全ですが……外がどうなっているかは』
「なるほど。とりあえず……詳しい事情は話してもらえますね?」
唐巣の問いに道士は頷き、話し始めた。
「な……馬鹿な!」
説明も終わろうかという時、唐巣の驚愕の声が洞窟内に響いた。おキヌは俯き、道士は静かに目を伏せている。
「最後の手段が、霊体の特攻による死津喪比女本体への直接攻撃……だと! おキヌくんをミサイルにするつもりか!」
道士の口にした言葉に、唐巣は我知らず激昂した。霊体で特攻などしたら、魂が消滅してしまい、輪廻転生の輪に回帰することができなくなる。
死津喪比女を倒すことができれば、反魂の術によって生き返られる――いくらそんな準備ができていたところで、そもそも肝心の霊魂が消滅してしまっては意味がない。
『最後の手段、と言いました。もし死津喪比女がこのまま強硬手段を続け、それを退けることができなければ……この地脈堰は破壊され、奴は開放された地脈を吸って無限に肥大化し、日本は未曾有の危機にさらされるでしょう』
「おキヌくんは……それでいいのか?」
『私は……本当にそれしか手段がなくなれば、そうするのにためらいはありません。横島さんが……皆が生きるこの世界を、守りたいから』
「…………」
俯いたまま、淡々と決意を口にする。その悲壮な決意に、唐巣はかける言葉が見つからない。
――が、彼女は、
『けど』
と続けて顔を上げた。
『横島さんが、きっと何とかしてくれる』
その表情は、希望に満ちていた。
『今の私には何の力もない。最後の手段として、ここで待ってるしかできない。でも、私の出番はきっとない。横島さんがいる限り、私は信じてここで待つことができる』
「おキヌくん……」
『おキヌ……』
『だから……』
彼女は希望に満ちた表情を一転して真剣なものに変え、唐巣に真っ直ぐな視線を向けた。
『唐巣さん、お願いです。横島さんが来るまで、皆を死津喪比女から守ってください』
「……わかった。任せたまえ」
唐巣はその言葉に、力強く頷いた。
『道士さまも、それでいいですね?』
『……よかろう』
おキヌの言葉に、道士も頷いた。いや、その真っ直ぐな言葉に頷かざるを得なかった、といったところか。
(おキヌくんの一人勝ち……だな)
内心で苦笑すると、唐巣は自分の頬をパンッと叩き、自らに喝を入れた。
――その時。
「唐巣神父! そこにいるんですか!?」
「いたら返事してくださーい!」
地脈堰の出入り口――本堂の方から、氷室夫妻の声が聞こえてきた。
「私ならここにいます! おキヌくんも一緒です! 何かあったのですか!」
大声で聞き返してみる。
「と、とにかく来てください! 大変なことが……!」
「娘を……早苗を助けてください!」
『お姉ちゃんが……!?』
「早苗くんが……!? わかりました、すぐ行きます!」
早苗を姉と呼んだおキヌのつぶやきの不自然さには気付くことなく、唐巣は大急ぎで地上へと上がった。
『ふん……やっと来たかえ。随分待たせてくれたものよの』
唐巣が神社の入り口である鳥居に到着するのを見るなり、その前で待っていた妖怪は不適な笑みを浮かべて不満を口にした。
その腕には、制服姿の早苗が抱きかかえられている。
「早苗くん! くっ……まさか、お前が!」
『そう。わしこそが死津喪比女じゃ。ここしばらく、わしのことを嗅ぎ回っていた退魔師はおぬしかえ?』
妖怪――死津喪比女は、結界のせいで鳥居の内側まで入れないのだろう。近付くことなく尋ねて来た。
「だとしたら……どうする」
『地脈堰を壊し、わしをこの地より解放しやれ。おぬしほどの力ある退魔師ならば、できぬことではなかろう?』
「……断る、と言えば?」
『無論のこと、この娘が黄泉路へと旅立つだけだぞえ』
言って、早苗の首を「ぎりっ」と締め上げる。苦しげに顔を歪ませる早苗を見て、氷室夫妻が小さく悲鳴を上げた。
『それとも……300年前と同じように、小娘一匹犠牲にするか? わしは構わぬぞえ。この娘を殺しても、近くにはまだ人間が何十何百とおるのじゃからな』
「……それはどうかな?」
無表情につぶやく唐巣に、死津喪比女は『何?』と片眉をぴくんと跳ね上げた。
「死津喪比女。お前はいまだ、地脈堰に囚われたままだ。ならば、その花一輪を地上に出すのが精一杯なのだろう? 今ここにいるお前を倒せば、被害は最小限で済ませられるはずだ」
『本当に出来るつもりなのかえ? この小娘を犠牲にしても構わぬとでも? それに花一輪といえど、人間ごときに遅れを取るわしではないぞえ?』
「試してみるか?」
冷徹なGSとしての顔になり、挑発の言葉を吐く唐巣。
十を生かす為なら一を犠牲にすることさえ躊躇しない。必要とあらば即座に非情な決断を下せる即断力が、唐巣和宏をして超一流と呼ばせる所以(ゆえん)だった。
普段の温厚な冴えない中年としての彼しか見てない者には、このギャップは空恐ろしいものに見えるだろう。
無論のこと、唐巣はこれを本気で言っているわけではない。人の心を理解しない妖怪相手に、下手に弱味を見せるわけにはいかないのだ。
油断なく相手を見据え、早苗を無事に救出できる方法はあるのだろうかと、密かに考えを巡らせる。
唐巣と死津喪、両者の視線が交錯する。後ろで見ている氷室夫妻は、おろおろと心配そうに早苗を見つめるだけだ。ややあって死津喪比女は、にやりと口元を歪め、早苗から手を離した。
解放された早苗は、どさっと地面に手を付いて四つん這いになったが、すぐにふらふらと立ち上がった。
「さ、早苗!」
神主が声を上げる。駆け寄ろうとしたところを、唐巣に制止された。早苗のいる場所は、いまだ死津喪の足元、結界の外なのだ。
『良い覚悟じゃ、人間。おぬしに免じ、小娘は返してやろう』
「……何のつもりだ?」
突然人質を解放した死津喪に、唐巣は訝しげな視線を向けた。
『どうということはないぞえ。さすがに、片腕を塞いだままではおぬしに勝てそうにもない……それだけじゃ』
死津喪が語る間も、早苗はおぼつかない足取りで石段を上がり、鳥居をくぐる。
その時になってやっと、氷室夫妻は早苗に駆け寄った。急いで肩を貸し、唐巣の後ろに戻る。
「確かに、早苗くんは返してもらった」
氷室一家を背中にかばい、唐巣は死津喪との戦闘を始める為、聖書を片手に霊気を高め始めた。
「次はお前を――「ぐあっ!?」「さ、早苗!?」――何!?」
突然、背後から神主夫妻の悲鳴が上がった。唐巣は驚き、振り返る。
そこには――
「さ、早苗くん!? 何をしているんだ!」
神主の首をぎりぎりと締め付ける早苗の姿があった。
「くっくっくっ……随分と都合の良いことに、この小娘、強力な霊媒体質を持っておるようじゃな」
早苗は、邪悪な笑みを浮かべてつぶやいた。その言葉で、唐巣は早苗の身に何が起こっているのかがわかってしまった。
「ま、まさか……死津喪比女が!?」
「少し強力な念波を送るだけで、この通りじゃ。おかげで労せず結界の中へと入れたぞえ。これで人質は二匹……おぬしはそれでも、こやつらを見殺しにできるのかえ?」
言って、空いている方の手で懐から何かを取り出す。先の尖った木の枝だった。それを無造作に、自分の喉――すなわち早苗の喉へと当てる。
「くっ……!」
早苗が死津喪に乗っ取られた――それを見抜けず、神主までも死津喪の手に落ちた。
自分の間抜けさに、唐巣はぎりっと悔しげに歯軋りした。
「この程度でうろたえるのかえ。随分と薄い仮面じゃったの。さあ、では……」
「『地脈堰を壊してもらおうかえ』」
――死津喪に乗っ取られた早苗、そして死津喪本人の二つの声が、唱和した。
―――あとがきという名の言い訳―――
お待たせしました、いしゅたるです。第五話をここにお贈りします。なにげに、当人達(作者含む)の意図しないところで、横キヌが公認カップルになりつつありますがw
横島一家と小笠原オフィスのメンバーが参戦。一方唐巣は死津喪と遭遇。死津喪が本調子じゃない上に横島もパワーアップしたとはいえ、まだまだ大きい実力差。やはり苦戦は必至です。決着は……次は無理っぽいから、その次の七話になりそうです。
ちなみに今回、大樹との会話で横島の新しい裏技が語られてましたが、まったく実用的ではありません(ぁ 新技と呼ぶのもおこがましいってやつですw それでも後で出しますけど。
なお今回は、無理してギャグ分入れてもリズム崩すかなーと思って、おちゃらけ入れられませんでした^^;
前回、小竜姫戦関係やエミ関係の部分で結構な指摘・ご質問受けたので、その辺はレス返しにて言い訳させてください;;
ではレス返し。
○山の影さん
はい、あの人達ですw しかも死津喪、早苗の霊媒体質を利用してあっさり神社内に侵入。まあ、操ってる体が早苗では、地脈堰の直接破壊までは無理でしょうけど……
○樹海さん
私もそう思いましたので、こういう展開になりましたw
○斉貴さん
あう……確かにそうですね、失念してました(>_<) その辺は、小竜姫が手加減していたことと、横島がデフォで持ってる驚異的な逃げ足で何とか……って、それっぽい描写もないですね。これからはもっと気を付けて書きます;;
せっかく「勝ち方はらしかった」って言ってもらえたので、皆さんに納得できるような作品をお贈りしたいです。
○亀豚さん
早苗は……残念ながら、見ての通りまだ解放されてません。次回も期待して待っててくださいw
○1・2・3だ〜っ!さん
横島が小竜姫の甘さを指摘する、というのは私も考えましたが……手加減してもらっておいて裏技で勝ったような状態では説得力が今ひとつかな、と思い、意味深な台詞を一つ残すに留めました。
美神修行編か天龍童子編あたりで、小竜姫自身が思い直すよう誘導できればと考えております。
○鉄拳28号さん
黒絹様ご降臨……(((((((;゜Д゜)))))))ガクガクブルブル
小竜姫さまは私も好きなキャラなので、出番は何気に多くなるかも? 小竜姫関係は、どうなるか未定です。
エミの方は、単なる依頼人としてでしか接してません。バイトの方は、一応長期休暇貰ってますが……まあその辺のことは、死津喪編終了後に明らかにしますのでw
○ジェミナスさん
いや、横島自身は知らないことですが、実は既にバレてます。というか、唐巣がバラしてます。「無事強くなって帰ってきたら、ちゃんとした給料を支払ってあげたまえ」とか言ってw その辺に関係したドタバタが死津喪編の後にありますので、お待ちくださいw
○とろもろさん
エミがふっかけた値段ですが、精霊石が億単位、破魔札が高いもので一千万単位というオカルト市場の金銭感覚に合わせて、細菌兵器という日本においては入手困難な超危険アイテムを使うということで、それなりの値段設定にしました。本文中でも書いてありますが、あの値段でもエミは遠慮してます。
けど、お金以外での支払い方法ですか……すみません、そこまで考えが回りませんでした。確かにエミなら、そういう方向に頭を使いそうですね。
○万尾塚さん
確かに、考えてみれば凄いアイテムですねw 手に入れられたことそのものが奇跡だからこそ「秘蔵」なんじゃないでしょうか?w
○kamui08さん
もっと可愛い小竜姫さまを書きたいなぁ(ぁ
搦め手に対処できるようにはしたいですね。この後、本家本元裏技女王の修行に付き合うことになりますしw
では、第六話でまた会いましょう。
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