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「DAWN OF THE SPECTER 11(GS+オリジナル)」

丸々&とおり (2006-05-14 21:11/2006-05-14 21:12)
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「釈放の手続きは終わりました。
もう出られますよ、西条主任。」


濃いブラウンのスーツに身をつつんだ、金髪が印象的な整った顔立ちの少年が留置所の扉を開いた。
壁にもたれかかる留置所の男は、顔全体を紫色に腫らし、深く切れた唇が痛々しい。
その男――西条はのそりと起き上がると、留置所の扉をくぐった。


「すまないね……助かったよ、ピート君。」


喋るだけでも苦痛なのだろう。
顔をしかめながら、迎えに来た少年に礼を言う。


「酷い有り様ですね……治療の手配は出来ているので、先に傷を治してください。」


オカルトGメンという職業柄、怪我を負うなど日常茶飯事だ。
そのため、常時治療を受けられる専属の心霊治療(ヒーリング)術者を抱え込んでいた。
西条の傷は軽いものではないが、充分治せる範囲内のものだろうが―――。

上司の力量を良く知っている金髪の少年、ピートは内心驚愕していた。
シロから報告を受け、西条が空港で誰かと激しく争ったという事は聞いていたのだが、ここまで重傷とは思ってもいなかった。
誰と争ったのかを尋ねてもシロは言葉を濁すだけだったが、西条にこれほどの傷を負わせるなど、いったい何者だったのだろうか。

さらに不可解なのは、相手は逮捕から数時間で釈放されたと言うのだ。
オカルトGメンという立場の西条ですら釈放に一日かかったというのに、これは異常な話だった。
それこそ、何らかの外交特権でも持っていなければ、そんな事は不可能だ。


「何があったんですか、西条主任?
目撃者の話では、貴方が先に手を出したそうですが。」


「…………何でもない。」


返答を拒否する上司に、ピートの表情が険しくなる。
いきなり相手に殴りかかるなど、ICPOの一員として決して許される事ではない。
下手をすれば首が飛んでもおかしくないのだ。

思わず声を上げようとするピートに、西条が振り返った。


「彼はどうした?」


機先を制され、責めるタイミングを逃してしまった。
ピートは小さく溜め息をつくと、知っている事を説明し始めた。


「誰かは知りませんが、もう釈放されましたよ。」


そこで、ピートはどうしても気になっている事を尋ねた。


「それにしても……相手は誰だったんですか、西条主任。
理由は不明ですが、相手は貴方を告訴しないと言っています。
それどころか、この件に関して、一切貴方に害が及ばないよう要求しています。」


ちらりと上司の怪我の具合を窺い、言葉を付け足す。


「取り敢えず、報告書を提出すれば、この件に関してお咎めは無いそうです。」


異例の処置に首を捻りながらも、上司の処分が無い事にピートは胸を撫で下ろしていた。


「…………こんな事で、恩を売ったつもりか、横島君。」


小さく呟くと、西条はぎしりと歯を軋ませる。


「え、何か言いましたか、西条主任。」


ピートの問いには答えず、西条は留置所を後にした。


「貴女が彼らと行動を共にするようになったのは、犬塚さんと同じ頃、でよろしかったですね?」


タマモが頷くのを確認し、先を続ける。


「ならば、貴女達は知らないでしょう。
昔の、何の取り柄もなかった、ただの馬鹿なガキだった頃のあいつを。」


昔を思い出しているのか、大樹は目を閉じグラスを傾ける。
溶けかけた氷が、カランと澄んだ音を立てた。


「昔のあいつは、それはもう駄目な奴でね。
よく美神さんもクビにしなかったものです。」


仕事中にセクハラをするようなバイトなど、普通に考えれば即解雇だろう。
とは言え、その代償として労働基準法違反の薄給でこき使われるのだから、バランスは取れていたのかもしれない。
しかし、よく考えてみれば自分も若い頃同じような事を――――

くくっと笑い、残り少なくなった琥珀色の液体をじっと見つめてから、一気に残りを喉に流し込む。
じわりと体にアルコールが染み込んでいく感覚に小さく息を吐いた。

追加を頼もうとしたところで、タマモのグラスも空になっている事に気付く。


「私はもう少し飲みますが、どうしますか?」


「……ええ、私もいただくわ。」


酔いのためか、タマモが少し気怠げに微笑んだ。
大樹が同じ物を頼むのを見ながら、予想以上に酔いが回っていることを自覚する。
視界は微妙にぼやけ、味覚もかなり鈍りつつあった。カクテル三杯ぐらいなら問題ないと思ったのだが、相手のペースに合わせたのがマズかったのかもしれない。
酔い具合はそろそろ危険な領域にさしかかる頃合だが、後一杯くらいなら何とかなるだろう。
それに、ようやく口を開かせる事が出来たこの空気を、変えたくなかった。


「それが何の因果か、知り合いの神様に霊能力を目覚めさせてもらったそうで。
意外な事に才能があったのか、それなりに美神さんに認められるようにまでなったそうです。
私は霊能関係は素人なのでわからないのですが、あいつの能力はかなり珍しいのでしょう?」


「……確かに、かなり珍しいわ。」


実際には珍しいなどというレベルの話ではない。
文珠を精製出来る人間など、千年に一人出るかどうかだ。
現にGS協会のデータバンクにも横島以外の文珠精製可能者は登録されていなかったし、過去にも日本の陰陽師以外には例が無かった。

それが、霊能に目覚めてからほんの数ヶ月でその域に達するなど、タマモにはとても信じられなかった。
よほど特殊な修行でもしたのだろうか――――?


「どうやら徐々にですが、それなりに使えるように成長していたそうです。
そんな時ですよ。あの、アシュタロスとかいう悪魔の事件が起こったのは――――」


「ちょっと待って。
私もシロも、あの事件の顛末を良く知らないの。
オカルトGメンのデータベースも、GS協会のデータベースも、『民間のGSとオカルトGメンが協力し、アシュタロスを撃退する事に成功した』とだけしか登録されてなかったわ。
少なくとも、私達の権限でアクセス出来たのはそれだけだった。
何故それだけしか登録されていないの?
何か、隠さなければいけない事でもあったの?」


自分が目覚める前に大事件があったという事は知っていた。
だが、所詮は過ぎた話だったし、自分には関係無いと思っていたから今まで気にしなかった。
しかし、それに横島が深く関わっているのなら話は別だ。
そうなると、まるで真相を隠そうとしているかのようなオカルトGメンとGS協会が急に怪しく思えてきた。


「先に断っておきますが、私がこれから話す内容は、全て人から聞いたことです。
私が直接関わった訳ではないので、事の顛末を完全に理解しているという訳ではありません。」


タマモは了承し、話の続きを促す。


「事の発端は、美神さんの前世がアシュタロスから何かエネルギーの結晶のような物を盗み出したのが原因だったそうです。
私には良く理解できなかったのですが、大層貴重な品物らしく、それを取り返したかったのでしょう。
アシュタロスは部下を送り込み、美神さんを見つけ出そうとしていたようです。」


「でも……前世と今世は別物よ?
生まれ変わりの美神さんには無関係の筈だわ。」


「素人の私には良くわからないのですが……彼女の前世はそのエネルギーの結晶を取り込んだまま転生してしまったそうです。
そのため、来世である美神さんの魂に引き継がれてしまったのだそうです。」


なるほど、とタマモが頷いている。
そこで大樹は言葉を切り、グラスを口に運ぶ。
酒を飲む大樹の横顔から、タマモはそろそろ本題に入ろうとしている事を感じ取っていた。


「そして、あいつは出逢ってしまったのですよ。
初めて、自分の事を心の底から信じてくれた女性と。」


大樹は哀しみを堪えるかのように、ぐっと唇を引き結んだ。
そして遂に、核心となる女性の名を告げた。


「――――その女性の名はルシオラ。
悪魔アシュタロスがエネルギーの結晶を探すために差し向けた、三人の魔族の姉妹の一人です。」


何時の間にかピアノの演奏は休憩に入り、店内は静寂に包まれていた。


「……なあ、親父。
自分の旦那の昔の恋人を産むのって、その奥さんにとっちゃどうなんだろうな。」


前日とは違う、安い居酒屋のテーブルで二人は向かい合っていた。
既にテーブルの上には空いたジョッキがいくつも並んでおり、横島の顔は赤くなっている。


「どう、と言われてもなあ。
普通はそんな状況にならんしなあ……」


ぐいとジョッキをあおると、少し考え込んでから付け足した。


「やっぱり、複雑な心境なんじゃないか?
恋人の生まれ変わりの娘にばかり愛情を注ぎ、自分がないがしろにされるんじゃないか、みたいな不安はあるだろうしな。」


「…………だよなあ。
あん時はそこまで深く考えなかったけど……娘に生まれ変わるってのはそういう事なんだよなあ。」


はあ、と溜め息をつき、つまみに手を伸ばした。
塩気のきいた枝豆を口に含み、中身を取り出す。


「……なあ、俺はいったいどうしたら良いのかな。」


この日、大樹は横島を居酒屋に連れ出し、言葉巧みに話題を誘導しつつ、ルシオラという女性の事を聞き出そうとしていた。
二年前の出来事を何も知らない大樹は、せいぜい失恋した相手の事を引きずっているのだろう程度にしか考えていなかった。
だがしかし、酒の酔いも手伝い、横島は二年前の事件を全部話してしまった。

ルシオラと出逢い、互いに惹かれあっていった事。
強大な力を持つアシュタロスを出し抜き、短い間だが平穏な日々を送った事。
そして、あの辛すぎる別れと、今に続くその後の展開も。

全てを話し終えた今、横島の脳裏に浮かぶのは、果たして娘に生まれ変わるという方法が許されるのか、という疑問だった。
大樹に打ち明けたのは、確かに酔いの勢いもあった。だがそれだけではなかった。
横島としても、客観的に答えてくれそうな、あの事件に直接関わっていない第三者の意見を聞きたかったのだ。
親という時点で完全な第三者とは言えないかもしれないが、横島は他に頼れそうな相手を思いつけなかった。

話を聞き終えた大樹には、あまりに非現実的で信じがたくある内容だった。
だが、息子の表情は、嘘や偽りを話しているにしては真に迫っていた。
となると、少なくとも今聞いた内容は事実だったのだろう。


「でも、まあ……そんな先の心配するよりも、彼女つくる方が先だよな。」


横島がぽつりと呟く。
確かに、相手もいない頃から相手の心配をしても意味がない――――

そこでふと大樹の頭に何かが浮かんだ。
それは一瞬の閃き。アイデアと言うよりは、ふと浮かんだ、疑問にも似た発想。

こうなったら、誰でもいいから妊娠させてしまえば良いのでは?
酔った大樹の頭は、かなり不穏な思考に傾きかける。
だがすぐに正気に戻り、やれやれと首を振って馬鹿な考えを振り払った。


そもそも、そんな無茶な事が許される訳が無――――いや、待てよ?


一度は馬鹿な考えだと切り捨てたが、何かが引っかかる。
もしも、もしもだ。相手の女性を必要とせず、子供をつくれるならば――――

オカルトの知識を持たず、また、美神や横島達の環境を良く知らない大樹だからこそ浮かんだ発想。


「忠夫、ちょっと思いついたんだが……こういうのはどうだ?」


その言葉に、横島が酒で濁った瞳を向ける。
前日に続き、どうやら今日も深酒のようだ。
だが、大樹の話が終わる頃には、その瞳に力強い輝きが戻っていた。


ジャズの緩やかなリズムが店を包み込んでいる。
大樹の話は、南極でアシュタロスを出し抜き、平穏な暮らしが訪れたあたりまで進んでいた。
ルシオラとその妹――パピリオの身柄を美神除霊事務所で引き受ける事になり、遂に横島とルシオラは平穏を手に入れたのだった。

だが、タマモは大樹の表情からそれも長くは続かなかったのだろうと察していた。
そして、その予感は的中する事となる。

人の姿で美神に近付いていたアシュタロスが正体を現し、エネルギーの結晶を奪い取ったのだ。


「……ちょっと待って。そのエネルギー結晶って来世に持ち越すくらいなんだから、魂と結合してたはずよね。
それを無理矢理引き剥がしたりしたら、美神さんの魂が無事じゃ済まないわ。」


「ええ、そういう事らしいですね。
現に美神さんの魂はエネルギー結晶を抜き取られた際に四散してしまったそうです。」


「だったら、私が知ってる美神さんはいったい何だって言うの?
魂が砕けるという事はこの世からの消滅を意味するのよ。
もしその話が事実なら、美神さんが生きてる訳がないわ。」


思わずタマモが声を上げる。大樹はグラスを傾け、じっとタマモを見つめた。
力強い視線で射抜き、少し熱くなっている事を気付かせる。


「あ、ごめんなさい……先を続けて。」


タマモは素直に謝り、気持ちを落ち着かせるためにカクテルグラスを口元に運ぶ。
話の核心に近付いている事を感じ取り、少し焦っていたようだ。


「さっき貴女は聞かれましたね。
何故あの事件の情報がほとんど登録されていないのか、何か隠さなきゃいけない事があったのか、と。」


タマモがこくりと頷く。


「宇宙処理装置(コスモプロセッサ)、というものを御存じですか?」


少し考え込み、記憶の海を探るが、心当たりがなかった。
首を振るタマモに、そうでしょうねと呟き、先を続ける。


「あの、全世界を襲った大霊障……あれを引き起こしたのは、その装置の力だったそうです。
その名の通り、宇宙を処理し、己の意のままに造り変えることが出来るというとんでもない代物ですよ。」


正直、とても信じられませんがね。
ぽつりと呟き、またグラスをあおる。
気付けば、大樹のグラスは空になっていた。

その頃、自分はまだ目覚めていなかったため、大霊障と言われても一体どれ程のものだったのか。
実際に目にした訳ではないタマモにはわからなかった。
だが全世界で一斉に起こった霊障など、前代未聞だという事はわかる。

しかも、話によれば、一度滅んだはずの魔族や妖怪まで現れたらしい。
常識で考えれば有り得そうもない話だったが、先の大樹の言葉が真実なら、そうもいかない。
もしも、宇宙を意のままに造り変えるような装置が実在したのなら――――記録から抹消されたのも頷ける。

知らない方が幸せな事実というのは記録に残さない方が良い。
少なくとも、一般人は知らない方が良い。
己の生殺与奪権が他人に握られていた事を知れば、無用の混乱が生まれただけだろう。
だがそこで、ふと疑問が浮かぶ。


「もしそれが本当なら……それはトップクラスの重要機密よ。
何故霊能者でもない、ただのビジネスマンの貴方が知っているの?」


タマモの問いに、薄く笑い答えた。


「なに、とある女性が色々と教えてくれたんですよ。
息子を囮にされた父親としては、事情を知りたいと思うのは当然の事でしょう?」


ある女性――――考えるまでもない。美神美智恵だろう。
確かに、彼女なら全てを知っているはずだ。
敵の船ごと横島を殺しかけたことを理由に、説明を求めたのだろうか。

聞いた話から推測するならば、その作戦を立案したのは美智恵と考えて間違いない筈だ。
大樹が嘘をつく理由は無い。しかし、タマモには信じられなかった。
あの、ひのめを優しく世話をする姿からは、そんな冷血な作戦を遂行できるとは想像もできなかったのだ。


「『大の虫を生かすために小の虫を殺す』、なんとも使い古された言葉ですが、一つの真理を現しているとは思いませんか?」


突然話を振られ、タマモがキョトンとした表情を浮かべた。
だが、すぐに我に返り考えを巡らせる。


「悪いけど……それには賛成しかねるわ。
そんな傲慢な考え、私は絶対に認めない。」


タマモの記憶に刻まれた忌まわしい過去。
現世に生まれ変わった直後の記憶。
訳も分からぬまま人間に追い立てられ、滅されかけた悪夢のようなあの日。
それがタマモの脳裏にまざまざと浮かび上がっていた。

大多数のために少数を犠牲にする事を認めるなど、タマモには出来る訳がなかった。
何故なら、それを認めるという事は、あの日の彼らの仕打ちを、自らが正当化する事に他ならないのだから。

そんな事を考えていたためか、タマモの表情と口調は険しいものになっていた。
ちらりと覗いたタマモの素顔に、大樹が笑みを浮かべる。
その仕草に、まるで心の中を見透かされたように感じ、すっと目を逸らすとカクテルを飲み干した。


「ふむ、どうやら貴女も辛い体験をされたようだ。
ま、深くは聞きませんがね。」


目を合わせようとしないタマモに肩をすくめ、続きを話し始める。


「その後、宇宙処理装置とやらを逆に利用し、美神さんは生き返れたそうです。
そして……その装置のエネルギー源だった結晶をあいつが破壊し、アシュタロスは滅び去った、という訳ですよ。」


話はこれで終わりです、とばかりに大樹がゆっくりとグラスを傾ける。
だが、タマモはまだ一番聞きたい事を聞いていなかった。


「これで終わりじゃないでしょ?
ルシオラって人がどうなったのか、まだ聞いてないわ。」


その問いに、大樹はじっとタマモの瞳を見つめる。
まるで、ただの興味本位の言葉なのか見極めているかのように。
しばらくそうしていたが、やがて大樹がポツリと呟いた。


「死にましたよ。」


「――――え?」


何を言われたのか理解できず、一瞬間を置いてタマモが聞き返した。


「彼女は死にました。
死にかけたあいつを助けるために、自分の命を分け与え、彼女は死んでしまったんですよ。」


繰り返される大樹の言葉に、珍しくタマモは困惑していた。
どう考えても、美神や横島から『死』というものを連想できなかったのだ。


「え……でも、そんな……だって、美神さんが生き返ったんでしょ?
それなら、その人も同じように生き返らせてあげられる筈よ……」


大樹は何も答えようとしない。
その時、不意にさっきの大樹の言葉が脳裏によみがえった。

その装置のエネルギー源だった結晶をあいつが破壊し――――


「……そんな、まさか。」


「一応あいつの名誉のために言っておきますが、他に方法が無かったんです。
この世界を救うか、それとも彼女を救うか。
極端に聞こえるでしょうが、それしか選択肢が無かったんですよ。」


さっきの大樹の言葉はこの事を指していたのだろうか。
一人の命と世界の命運。客観的に判断するなら、どちらを優先すべきかなど考えるまでも無い。
頭では理解できる。だが、実際に滅されかけた身としては、認める事は出来なかった。
胸にまとわりつく苛立ちのようなものを消そうと、気が付けばカクテルの追加を頼んでいた。


「そろそろ飲み過ぎなのでは?」


何も答えず、追加のカクテルグラスをかたむけるタマモに大樹が肩をすくめる。
タマモも飲みすぎていると自覚していたが、あまりのやり切れなさに飲まずにはいられなかった。

横島の過去を知りたいと望んだ。
それさえ知れば、四年前のような、何も知らずに取り残されるような事は無いと思っていた。
根拠など無い。だが、知ってさえいれば、何があろうと対処できると思っていたのだ。

だが、知ってしまった今、知るべきではなかったと後悔し始めていた。
結局、自分に出来る事など何も無い事がわかっただけだった。
自らの手で恋人の命を摘んでしまった横島に、自分が何をしてやれるというのか。


「あいつの浮気は……亡くしたルシオラさんを忘れたいがためでしょう……
貴女には関係ない話かもしれませんし、これを聞いた後どうするかは貴女にお任せしますよ。
出来れば理解してやって欲しいとは思いますが……って、おや、タマモさん?」


急に静かになったタマモの方に目をやると、カウンターに突っ伏して静かな寝息をたてている。
そう言えば結構飲んでいたなと思い返すと、6杯近く飲んでいたような気が――――


「ふむ、さすがレディキラー。
その異名は伊達じゃない、か。」


最初、タマモが普段カクテルは飲まないと言っていたので大樹が注文していたのだ。
オレンジとジンのカクテル、『アペタイザー』。
その飲み易い口当たりとは裏腹に、アルコール度数はとても高い。
飲み易さからついつい飲み過ぎ、酔い潰れる女性が多い事からレディキラーと呼ばれている。


「さてと、あの馬鹿のフォローとしては充分だろう。
ここからどう転ぶかは、俺の知った事じゃないしな。」


懐から煙草を取り出し、火をつける。
最低限の話しか伝えなかったから特に問題は無いだろう。
と言うか、あの事務所のメンバーなのに、この程度の内容を知らなかった事の方が意外だった。
腕を枕にして眠るタマモを横目に、携帯電話を取り出し腹心の部下と連絡を取る。


「やあ、黒崎君。連絡が遅れてすまないね。
今、いつも君と飲む店に居るんだが、悪いけど迎えに来てくれるかな。」


今居る場所を告げ、迎えに来てくれるよう頼む。
黒崎は特に不満を言うでもなく、淡々と了承すると、数十分程度で迎えに行けると請け負った。

黒崎を待つ間、煙草をくゆらせながらあの夜の会話を思い出す。
今思えば、あの夜に、後の悲劇に繋がる全ての要因が揃ってしまったのかもしれない。

引き金が実際に引かれたのはもう少し後だが、もしも、自分があの提案をしなければ――――
『もしも』を考えかけたが、すぐに意味の無い事だと首を振る。
今更何を考えようと、起こってしまった出来事は変えられないのだから。


「なあ、代理母出産、って知ってるか?」


大樹の質問に横島が首を傾げる。
そんな言葉は今まで聞いた覚えが無かった。
大樹は横島にもわかるように簡単に説明し始めた。


「通常は、何らかの事情で子供を作れない夫婦のための出産方法なんだがな。
まー、お前にもわかるように簡単に説明してやるとだ。人工授精で妊娠させて、夫婦以外の人間が出産するんだよ。」


いまいちピンと来ないのか、横島は眉をひそめている。
聞き慣れない言葉な上に、今は酒の酔いもまわっているのだ。


「つまり、だ。
お前の精子を誰かに人工的に受精させて、出産してもらうって訳だ。
これなら、出産する人にとっちゃあ別に恋人の元カノを産む訳じゃないから問題無いんじゃないか?」


ようやく大樹の言わんとしている事を理解したのか、横島が大きく目を見開いた。
椅子から立ち上がらんばかりに興奮し、思わず声を上げる。


「そんな事ができんのか!?」


大樹は自信あり気に頷く。


「日本じゃあまり聞かんかも知らんが、アメリカとかだと割と良くあるんだ。
勿論、望めば誰でもって訳じゃないが、事情から考えてもお前なら大丈夫だろう。
あ、だがこの方法には一つ問題があってな……」


最後に言葉を濁した大樹を横島が不安そうに見ている。
大樹は真面目な顔で口を開いた。


「これだと、処女懐妊ならぬ童貞受精になっちまうんだよ。」


自分で言っておきながらツボに入ったのか、大樹が馬鹿笑いを上げる。
うぐ、と悔しそうにうめく横島は苦虫を噛み潰したような表情だった。
大樹は気が済むまで笑うと、笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を拭き取る。


「あー笑った笑った。
まあ、何だ。俺達も日本に帰ってくる事になったしな。
いやー楽しみだ。本音を言うと俺は娘の方が欲しかったんだよなあ。」


「ちょ、ちょっと待て!いったい何考えて――――」


「おいおい、どうせ金なんか持ってないんだろう?
子育てってかなり金がいるんだぞ。良いから俺達に任せとけって。」


これから忙しくなりそうだな、などと大樹が嬉しそうに笑みを浮かべていた。


「遅くなりました、大樹さん。」


黒崎に呼びかけられ、過去の回想から引き戻された。
タマモを起こそうと軽く揺さぶってみるが、眠ってしまっていて起きる気配は無い。
何の連絡も無く、見知らぬ女性と酒を飲んでいた大樹に、黒崎が眉をひそめる。


「大樹さん、この女性は。」


黒崎の言わんとしている事に気付き、大樹が慌てて手を振る。


「ち、違うぞ、黒崎君!これは浮気とかそういう事じゃないんだ!
だから別に百合子さんに報告とかはしなくて良いんだぞッ!」


「なら、どういう事か説明していただけますね。」


黒崎は、大樹とその妻百合子から深く信頼されていた。
その理由は、決してどちらか片方に偏る事無く、常に事実を報告するためであった。
今夜も、もしも大樹が浮気をしたというのなら、迷う事無く百合子に報告するつもりなのだろう。

黒崎も別に大樹に恨みがあるから報告するのではなく、むしろ後でバレた時の方が上司への仕置きがキツくなるから、というのが理由なのだ。
大樹としても、今回は別にやましい事は無いため、素直に何があったのか説明し始めた。
仕事が終わった後、突然タマモが現れ、それからここで四年前の件の話をしていたのだと。
嘘はついてないと黒崎も判断し、そういう事なら、と百合子に報告しない事を了承した。
四年前の件については、百合子が大樹に一任していると黒崎も知っていたからだ。
大樹は酔い潰れたタマモを担ぎ上げると、支払いを済ませ店を後にした。


「取り敢えず、ロイヤルホテルまで頼むよ。
あそこなら顔がきくから、今からでも部屋を用意してもらえるだろう。」


流石に、酔い潰れた女性をそのままにはしておけない。
黒崎も頷き、ホテルの方へハンドルを切った。

ホテルに到着すると、さっそく支配人を呼び出し一部屋用意してくれるよう頼む。
上得意の大樹の頼みならば、とすぐに部屋を用意してもらえた。
何故に上得意なのかは、色々と過去に利用しているからなのだが――――それはまた別の話。

まだ起きる気配の無いタマモを部屋に寝かしつけると二人はホテルを後にする。
大樹は駐車場からホテルを見上げ、スカイバーから漏れる光を眩しそうに見ていた。

昔はスカイバーで飲んだ後、予約した部屋で一夜を共にしたものだ。
あの頃は良かったな、と大樹は思い返していた。

もっとも、その後十割の確率で浮気が発覚し、何度緊急入院したかわからない。
良く死ななかったなーなどと己の体の頑丈さにしみじみと感謝していた。


「まだ飲みたいと言うのなら、お付き合いしますが?」


バーを見上げる大樹の姿に、黒崎が気を利かせて声をかける。
だが大樹は首を振ると、名残惜しそうにしながら車に乗り込んだ。


「では、御自宅に戻ってよろしいですね。」


「……いや、一度会社に戻ってくれたまえ。
少し、確認したい事があるんだ。」


「わかりました。」


最上階のスカイバーでは、青年が夜景を見下ろしていた。
地上の駐車場から一台の車が出て行くのを見送りながら、絶景を楽しんでいる。
そして、窓際のテーブル正面には女性が座り、同じように夜景を見下ろしている。
どうやらつい今しがた来たらしく、二人のテーブルにはまだ飲み物が用意されていなかった。


「何が良い?」


茶色がかった黒髪の青年が優しく微笑んだ。
正面のスーツ姿の女性は、あまり酒をたしなまないのか、何にするか迷っているようだ。
テーブルにともされた蝋燭の灯火がその銀髪に反射され、きらきらと輝いていた。


「その……お酒はあまり飲んだ事がないので、何にしたら良いかわからないでござるよ。
よければ、先生が美味しいものを選んで下さらぬか。」


女性の言葉に青年がにこりと笑う。


「そっか、良し、それなら俺が選んでやるよ。
そうだなー、これなんか良いと思うぞ。」


「……えーと、あぺたいざー、でござるか。
なら拙者はそれにするでござるよ。」


青年が指したカクテルを、女性が迷う事無く選んだ。
少し緊張しているのか、その表情はどこかぎこちなかった。

青年は女性のカクテルと自身の飲み物を注文する。
彼は年代物のスコッチを選んでいた。


さてと、夜はこれからだな――――


夜景の明かりを眺めながら、青年はこの後の展開に心を躍らせていた。
内心の感情の昂ぶりとは裏腹に、その表情は優しく穏やかで、女性を安心させるものだった。

ポケットの中の、取っておいた部屋の鍵の感触を確かめながら、夜景に心を奪われている女性の横顔を窺う。
弟子の成長を神に感謝しながら、美しい夜景に視線を戻した。

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