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「DAWN OF THE SPECTER 7(GS+オリジナル)」

丸々&とおり (2006-03-31 21:23)
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夜が昼を追い出してしばらくした、闇の濃い宵の頃、ふらつく足取りでタマモが教会の扉をくぐった。
その表情には激しい苛立ちと深い疲労の色が浮かび、梅雨時の蒸し暑い気候の元で長時間歩いたせいか、じっとりと全身に汗をかき、それがまた彼女の不機嫌さに拍車をかけていた。
八つ当たり気味に荒々しく音を立てながら扉にこぶしを叩きつけ、覚束無い足取りで居間に向かう。

昼前横島に逃げられてから今まで彼が向かいそうな場所を、あくまでも4年前での記憶からだが、片っ端から調べてはみた物の収穫と言えるようなものは何もなかった。
みすみす逃がしてしまった不甲斐なさや、一日歩き回っての徒労感から、タマモはまともに頭が働く状態ではなかった。

ふと居間の電気がまだ点いているのに気付き、神父の夕飯をすっかり忘れていた事を今更ながらに思い出す。
些細な事とはいえ、自分の不注意に眉間を押さえつつ、大きく長く息をため息をつく。
居間の扉をくぐりながら、タマモは申し訳なさそうに口を開いた。


「ごめん、神父……。
 ご飯…その、ちょっと問題が起きちゃって……」


「ん、遅かったな。
 飯は適当に食っといたから、悪いがお前の分はないぞ。」


何やらテーブルの上に広げられた資料に目を置いた横島が、テーブルで頬杖をつきながらひらひらと手を振っている。
が、どうかしたのか、黙り込んだまま動こうとしないタマモに横島は首を傾げる。


「何ボーっとしてるんだ?
シャワーでも浴びてスッキリしてこいよ。」


頭を上げると、呆然として立ったままのタマモに声をかけて資料に視線を戻すと、ふむふむと頷きながらページをめくっていく。


「でも女の子がこんな遅くまで出歩いてちゃ駄目だぞー?
 夜遊びもほどほどにせんと、神父も心配するし。」


完全に資料に見入っている横島に、タマモがゆらりと近付いていく。


「あ、それとも、もしかして男でも――――」


できたのか?と続けようとしたが、無言で打ち込まれた拳を鼻筋に喰らい、椅子ごと後方に吹っ飛んだ。


「ブハッ…。
 ちょ、何すんだよ、いきなり……」


まるで心当たりが無い、といった様子で目を丸くしながら体を起こす。
盛大な音を立ててひっくり返った椅子を元に戻しながら、もう片方の手で鼻をさすると、冷たい感触を感じる。
赤い血に、上を向きながらとんとんと軽く首の後ろを叩くと、どうだろうと指を離した。
しかしそんなにすぐに出血が止まる訳もなく、たらりと赤い筋が鼻から垂れる。
慌てて近くにあったティッシュを鼻に突っ込むと、これで一安心とばかりにほっと息を吐いた。


「お前なぁ、女の子なんだし、せめて平手打ちくらいにしとこうぜ……。
 つーか、もろに拳、しかも今の全体重乗せてただろ、洒落にならんぞ!!」


思い出したように抗議の声を上げるが、タマモは怒りで肩を震わせると横島の胸倉を掴み、睨みつけた。


「いい加減にしなさいよ……!
 一体どこまで人を馬鹿にしたら気が済むの!?」


「そーんな怖い顔するなよ〜
 せっかくの綺麗な顔が台無し――――」


パシン!と乾いた音が居間に響いた。
からかうように指先でタマモの頬を突っ付こうとしたが、その手を思い切り叩き落とされる。
反省するでもなく、苦笑いを浮かべながら肩をすくめるだけの横島に、再びタマモが激しく詰め寄る。


「昔も……真面目じゃなかったけど、今のあんたよりはマシだったわ!
 4年経ってどうなったかと思ってれば。
 今のあんたは軽薄な……ただ自分勝手なだけじゃない!」


息を切らせながら、どこか悔しそうにタマモが横島のシャツを握り締めている。
だが今の真摯な叫びを聞いてなお、横島はおどけた態度であちゃーと額を叩き、言った。


「何をそんなに怒ってるんだよ。
 パンツ見せながらバイク乗るのも、嫌だったんだろ?」

あくまでもおどけた調子でしゃべる横島に、タマモは襟を掴みなおす。

「あんたは、どこまで――――!!」


激昂するタマモの感情に、周囲の空間が陽炎のように揺らめき始める。
狐火が発動する兆しを察知し、慌てて横島が退避しようとするが、空間の歪みはそれより早く横島を取り囲んでいた。


「待て待て待てッ! バカな真似はよせ!
 頭冷やしていつもみたいに冷静になれって!!」


「うるさい!もう喋るなぁぁ!!」


その時タマモの瞳から一筋の雫が頬を流れ落ちた。
怒り、苛立ち、そして否定。

絡み合う感情が爆発し、爆炎となり横島を飲み込んだ。


――――あかん。こりゃ死んだわ。


横島はどこか冷めた頭で我が身に迫る紅の業火を眺めていた。
だが横島の肉体が燃え上がる寸前、澄んだ甲高い音と共に青白い閃光が室内に広がった。

閃光が収まった時、狐火はまるで幻であったかのように霧散し、居間は清浄な空気に包まれていた。
呆気に取られていた横島だったが、間一髪で助かった事を理解し、力無く床にへたりこむ。

開け放たれた居間の扉に、光を放つ聖書を手に神父が佇んでいた。
その表情は普段の穏やかなものではなく、何時になく険しい。
そして、その険しい表情のままタマモに近付いていく。


「……し、神父……これは、その……」


一気に霊力を消費したため、タマモは荒い息を吐いている。
ぜえぜえと体を上下する様に息をしながらタマモが何か言おうとしたが、神父の険しい表情に、叱責を覚悟したのか申し訳無さそうに目を伏せた。


「……私が介入しなければどうなっていたか、言わなくてもわかっているね?」


表情だけでなく、その口調も普段の優しく穏やかなものでは無かった。
はっきりと怒りを感じさせる、低く詰問するような声色にタマモがびくりと肩を震わせた。
怯え、目を伏せたまま無言で小さく頷いたタマモに、神父が深い溜め息を吐く。


「いやぁ、さすが神父!
ナイスタイミングってやつでしたよ。」


体を起こし、跳ねるように軽快な動きで立ち上がった。
朱色のティッシュを鼻から抜くと、ゴミ箱に放り投げる。
ティッシュは吸い込まれるようにゴミ箱に消えていった。

被害者の横島に何故か神父は厳しい視線を向け、つかつかと近づき、右手首を掴んだ。
その掌の中に何の霊気の痕跡も無い事を確認すると、理解できないといった様子で首を振る。


「君も君だ、横島君。どうして防ごうとしないんだ。
私が手を出さなければ、怪我ではすまなかった……!」


「いや、そんな事言われても……
 俺のソーサーじゃ、今のは防げませんし。」


横島の言葉に、神父が苛立ちを抑えようと大きく息を吐く。


「……いい加減にふざけるのはやめるんだ。
 君の能力なら結界を張るくらい容易なはずだろう。」


攻撃、防御、移動、その他補助。
横島の能力、『文珠』はあらゆる局面に対応可能な、文字通り万能の能力だ。
今の狐火も、結界を張って防ぐ事もできれば、転移して逃げる事もできた筈。
だが横島はそのどちらも選ばなかった。
それどころか、文珠を発動させる事すらしなかった。

タマモ同様、今では神父も薄々気が付いていた。
この目の前にいる横島は――容姿こそ成長していたが――違う。
底の、本質において、確実に何かが歪んでいた。

死に急いでいる、という訳ではない。
今を楽しむ、というなら変わってはいない。
だがそこに、昔の彼が常に抱いていた、生きる事へのひたむきさを見いだせなかった。

神父の内心を知ってか知らずか、横島はとぼけた雰囲気を崩そうとはしない。
何をそんなに本気になっているのかわからない、とでも言いたいのか、首を傾げていた。


「神父〜、何怖い顔してるんですか〜。
別にこの通り怪我もせずにすんだんですし、タマモを責める事無いッスよ。」


「話を逸らすんじゃない、横島君。
私は何故文珠を使わなかったのかと聞いているんだ!」


神父の一喝が静まり返った居間に響いた。
神父がここまで声を荒げる事は滅多にない。
それだけに、その言葉の重みを感じたのか、横島の表情から笑みが抜けた。

迷うように頭をかいていたが、何かを決心したのか、ためらいつつも口を開いた。


「うーん……わざわざ言うつもりはなかったんですけど……
神父には言っといた方が良いのかもしんないッスね。」


ふぅ、と小さく息を吐くと、ゆっくりとシャツをまくり上げた。
右肩から袈裟掛けに走る深い傷跡があらわになり、神父が息を飲む。
医学の知識がなくとも、この傷の深さでは致命傷であったろう事は疑う余地が無かった。


「横島君……その傷はいったい……」


服を戻し、テーブルに腰掛ける。


「馬鹿な事をした報い、ってやつですよ。」


目をつぶり、小さく呟いた。


「使わなかった訳じゃ無いんです。
ただ、もう、俺には――――」


スッと右手を差し出し、意識を集中させる。
横島の右の手の平に霊気が収縮し、小石程の大きさの球体を形成していく。
美しい瑠璃色の球体が光を放ち、うっすらと何かの文字が浮かび上がる。

だが、文字が完全に浮かび上がる前に、ビシリという鈍い音と共に球体に亀裂が入った。
驚く神父とタマモの目の前で、球体は粉々に砕け散り、霞のように霧散してしまった。


「――――文珠は、精製できないんです。」


そう静かに呟くと、何も無い手の平に向け、自嘲にも似た寂しげな笑みを浮かべた。


何と言えば良いかわからず、呆気に取られている二人に向け説明を続ける。


「俺も難しいことはわかんないですけど、この傷が原因で霊力の流れがおかしくなってるらしいんです。
 まあ、普通なら、間違いなく命を落としていた筈ですしね。
 心霊治療、ヒーリングの先生から話を聞いた時も別に驚かなかったですよ。」


もう一度右手に霊力を集中させ、今度は霊波刀を造り出す。
水が床を広がるように、滑らかに霊力が刃の形状を形作っていく。
完全に顕現した瑠璃色のそれは、まるで抜き放たれた日本刀の如く、洗練された光を放っていた。


「ま、見ての通り、霊力そのものが使えなくなった訳じゃないんで。
 俺は死なずに済んだだけラッキーだったと思ってますよ。」


予想もしていなかった横島の現状を知ってしまい、タマモの頭からは怒りが完全に消えていた。
衝動的に馬鹿な事をしてしまった自分を恥じつつ、どうしても聞かずにはいられない言葉を投げかけた。


「ねぇ……あの夜、一体何があったの……?」


一度は拒否された問い。
だが、それでも、タマモは聞かずにはいられなかった。
神父はそんなタマモを、じっと見つめている。


「…………これはお前には関係ない話だ。
だから、何回聞かれても答えてはやれない。」


悪いけどな、と付け足し口を閉ざす。
決してこの一線だけは譲ろうとしない、頑なな態度。
タマモは、疎外感にも似た痛みを胸に感じていた。


「君が言いたくないというなら、何があったのかは聞かない事にするよ。
 でも、そういう事なら尚更、選抜の件には手を出さない方が良い。」


夕方、一人で戻ってきた横島は、突然意見を翻し、選抜に参加したいと言い出した。
今朝の東堂の態度に不審なものを感じていた神父は、それとなく参加しない方が良いと促した。
だが、横島は全く聞き入れようとはせず、今まで選抜の資料を読み耽っていたのだ。
怪訝な表情のタマモの横で、横島は首を傾げている。


「そういや、さっきもそんな事言ってましたけど、何か理由があるんですか?」


あの話には何か裏がありそうなんだ――――

はっきりそう言ってしまいたかったが、根拠と言えるものは自分の直感のみ。
そんな不確かな理由だけで、日本GS協会支部長である東堂を批判するような事は出来なかった。
しかも、横島はともかく、タマモは今は協会の職員なのだ。
ただでさえ微妙な立場の彼女に、妙な先入観を与えるような言動は避けなければならない。

あくまで客観的な意見になるよう、言葉に気をつけながら説得を試みる。


「考えてもみたまえ。
 優秀なGSを選抜するのが目的という割には、明らかに試験の内容が偏っているとは思わないかい?」


「ん、まあ、そう言われればそうかもしんないッスけど……
 でも、俺としちゃむしろ好都合ですし。」


資料によれば、一次試験で筆記試験が定められているとはいえ、それ以降は実技試験のみで選抜されるらしいのだ。
だが、GSには美神や横島のような肉体派もいれば、おキヌやタイガーのように特殊能力に特化したもの、ドクター・カオスのように膨大な知識を駆使するものと、様々なタイプが存在する。
しかし、それらの優劣に絶対的な基準が存在する訳ではなく、除霊の内容によって相性が変化するものなのだ。
にも関わらず、実技のみを重視する選抜試験は、神父の目には公平さを欠いているようにしか見えなかった。

しかし、それは横島とて理解していた。
この選抜は不公平なシステムだと。
だが、それで自分が不利になるならともかく、有利になるというのに、わざわざ文句を言う必要があるだろうか?
答えは無論、否。

横島にはもう、参加を取り消す気も無ければ、疑う気も無かった。


「試験の内容も不公平だけど、それ以前に平等性がないがしろにされている。
 参加機会を、全てのGSに与えないという時点で、もはや『優秀なGS』を選抜するという看板に傷がついている。
 そう思わないかい。」


近年、今まで対立してきた人ならざる種族を、積極的に社会に受け入れようとする動きが活発になってきていた。
その中には、吸血鬼、人狼、妖狐などの属性的に中立の妖怪達や、大きな力は持たないが、古来より人間界で生活する神魔族などが含まれ、少しずつではあるが、社会進出を果たしつつあった。
だがこの選抜に参加できるのは人間のみ。

そのため、一流のGSだというのに、ピートやシロに参加資格はなかった。
そもそもGS免許を持たないタマモは気にもしていなかったが、神父はピート達が参加できない事に納得いかない思いを抱えていたようだ。
しかし、やはりそれすらも、横島にとっては都合の良い話だった。


「ピートには悪いッスけど、俺には好都合ですしねー。
 と言うか、あいつの不死性と吸血鬼の能力は正直強すぎでしょ。
 まともにやりあったら勝負にならないッスよ。」


「それは、私もその通りだと思うよ。
 だが、だからこそ、試験を実技だけに絞るのではなく、もっと総合的な見地から――――」


熱が入り始めた神父を、手を振って遮る。


「そんな事、俺に言われても困りますって。
 とにかく、俺は参加しますからね。
 必要な書類記入しといたんで不備がないかチェックしといて下さい。」


差し出された書類を受け取りつつも、やはり神父は気が進まないのだろう。
最後の説得を試みる。


「……しかし、横島君。
 霊力の流れがおかしいと言っていたね。
 チャクラに異常をきたしているのなら、せめてそれを治してからの方が良いんじゃないかい?」


「治すったって、当てがあるんですか?
 俺だってこの四年間で出来る事は全部試しましたよ。
 妙神山も復旧してないそうですし、今更何か出来ることがあるとも思えねーッス。」


6年前のアシュタロス事件解決前後を最後に、小竜姫やワルキューレ達といった、横島達の様なGSと縁のあった神族・魔族は連絡が取れなくなっていた。
元々連絡を取ろうにも妙神山に連絡を取るくらいしか方法が無かったのだが、それもあの事件で吹き飛ばされたまま復旧していなかったし、その他の拠点も復興が遅れ、また駐留する神族魔族もごくわずかで、以前の様な接触は望むべくも無い。
復興は遅れているのではなく、神族魔族の政策かもしれなかったが、結果としてあれから6年経っているというのに、彼らとは音信不通のままだった。

横島にとって文珠はただの『技』では無い。
知識も経験も無かった自分を、少なからず美神に認めさせる事ができたのは、間違いなく文珠のおかげだった。
自分の存在意義の一つになりつつある文珠を、怪我の影響で使えませんと言われて、「ハイわかりました」などと素直に納得する事など出来る訳が無かった。
横島は仕事の合間にアメリカの心霊治療の権威を片っ端から訪ね、治療の手掛かりを探した。
だが心霊治療に関しては日本よりも遥かに進んだアメリカですら、何の成果も上がらなかった。

神族・魔族の知恵を借りられるならともかく、心霊治療の専門家でもない神父にできる事は無い。
横島は、そう考えていた。
そしてそれは正しかった。
神父自身、力になれないと理解していたので、嘆くように首を振ると書類の不備が無いかチェックを始めている。
だが最後にちらりと横島の方を見ると、もう一度だけ口を開いた。


「わかった。もう何も言わないよ。
 ただ、最後に確認させて欲しいんだけど――――」


そこで一度言葉を切り、思案するかのように目を伏せる。
言うべきか言わないべきか迷っているのだろうか。
しばらく躊躇していたが、決心したのだろう、横島の目を見据え、尋ねた。


「使えないのは文珠だけなんだね?
 霊能自体に……影響は無いんだね?」


その言葉に横島とタマモの表情に影が差した。
目を閉じ、何かを考えている横島を、タマモが不安げに見つめている。


「……ええ、それは大丈夫です。
 美神さんみたいな事には……なりませんよ。」


俯いたままそう呟いたが、神父とタマモが心配気に自分を見ている事に気付き、慌てて手を振った。


「や、やだなー、心配しすぎッスよ!
 それにさっきの霊波刀見たでしょ?
 今の俺なら文珠が無くても充分戦えますって!」


重苦しい雰囲気を払拭しようと、不自然なほど明るい口調で胸を張る。
先程の、まるで物質かと見紛うほどの霊波刀は、霊力を精密に操れなければ無理な代物だった。
恐らく文珠を精製する力を取り戻そうと鍛錬を積み重ねてきたのだろう。
目的の文珠は精製できないようだが、その鍛錬が無駄になる事は無い。
放出した霊力をコントロールする技術はかなりの腕前に達しているようだった。


「……そう、だね。
 昔から、自分の体のことは自分が一番わかると言うしね。
 でも何か霊能に違和感を覚えたら、すぐに相談してもらえるかな。
 令子君の二の舞いには……なって欲しくない……」


神父の言葉にビクリと横島が体を震わせた。
ぐっと両腕を強く掴み、体を抱きかかえるように背を丸める。
微かに横島の体が震えている事に気付き、タマモが横島の表情を覗き込んだ。


「横島……?」


タマモの心配そうな声にハッと我に返り、慌てて頷く。


「わ、わりぃ……ちょっと考え事しちゃったよ。
 神父、もちろん何かおかしい事があったらすぐ相談しますよ。」


不審な顔をしている二人から逃げるように、横島が席を立った。


「じゃ、俺はそろそろ寝るんで。
 選抜の件は、また明日話しましょうや。」


そう言い残すと、さっさと居間を後にしてしまった。
残された神父とタマモは、まるで逃げるように出て行った横島の態度に首を傾げていた。
さっきの神父の言葉は、それほど目新しい内容では無かった筈だ。

いったい何に反応したのだろうか。
二人には見当もつかなかった。


薄暗い廊下を歩きながら、ふと横島が振り返る。
居間から漏れる光が狭い範囲を照らしていたが、何とも心許ない。
その光景に感じるものがあったのか、横島の口元が僅かに緩む。
だが、それは微笑みではなく、自嘲と呼ぶ方が正しかっただろう。


「神父……意外とね、自分の体の事ってわからないもんなんですよ。
 ま、俺も四年前のあの時まで……自分の体の事は自分が一番わかってると思ってましたがね。」


薄く笑うと、闇に包まれた廊下の奥へと消えていった。

去り際の横島の様子に神父とタマモは釈然としないものを感じながらも、後姿を眺めるのみで、敢えてそれを口にしなかった。

仮に問い詰めた所で何かを話すとは思えなかったし、一日を過ごして感じた横島への違和感が胸にもたげて離れず、二人はじとついた気持ちでそれぞれの自室へと戻っていった。


神父には珍しくコーヒーを淹れると、右手で持ったカップを覗き込みながら、先程の横島の様子を思い返していた。
狐火に囲まれ、今にも焼き尽くされそうだというのに、どこか他人事のように炎を眺めていた。
自暴自棄になっているのかとも考えたが、違う、としか思えない。

彼も、もう23歳なのか。

コーヒーを口に運びながら、ふと、自分がそれくらいの年齢だった頃を思い出す。
その頃の自分はどうだったろうか。果たして、品行方正な若者と言えただろうか。

美智恵や公彦と出会ったあの頃。
信仰を見失いかけ、やさぐれて場末の喫茶店でインベーダーゲームに興じつつ、煙草をふかす日々。

美智恵や公彦との親交のきっかけとなった、あの夜の事件を思い出し、くくっと喉を鳴らす。
思えば、随分と無茶をしたものだ。

――――ああ、そうか、そういう事かと神父はうなずく。
彼はもう自分が知っている少年ではないのだ。

彼がこの4年間で何をし、考え、生活して、得た経験。
自分には知りようも無い。
だがそれは、良くも悪くも彼の糧となり今に繋がっているはずなのだ。
そう、どん底から信仰を取り戻せた自分と同じように。

もしも彼が悪い方向に進もうとしているなら、年長者の自分がそれとなく引きとめよう。
そのために、主は彼をこの教会へ導いたのかもしれない。

神の御心に思い至り、何時しか神父の心にのしかかった重荷は消えていた。


同じ頃。
空調の低い音だけが響く中、タマモはベッドに体を投げ出し、ぼんやりと白い天井を眺めていた。
右手を高く上げて、こぶしを開く。
軽く火を起こすと、すぐにまた消して、握り締める。
狐火、それはタマモの特性と言っていい。
だがそれは身を守るためのものであれ、無闇やたらと使うものではないし、そうあるべきだと自戒をかけてもいた。
少なくとも、この教会に来てからは。
だが先ほどは神父が止めてくれなければ、本気で横島を焼き尽くしてしまっていたかもしれない。
一瞬、肉が焦げる匂いが脳裏をよぎり、ぞくりと背筋に寒気が走る。

感情で行動するなど自分らしくない。
そう自覚しているにも関わらず、何故あれほど感情を高ぶらせてしまったのか。

認めたくないが、薄々気が付いていた。
横島が戻ってきたことで、四年前の生活に戻れるのではないかと、心のどこかで微かに期待していたのに違いない。
だが、当の横島はそんな事考えもしていないのか、ふらふらと自分勝手な振る舞いをただ繰り返すばかりだった。

今更昔には戻れやしない。
そんな事くらいタマモとて充分理解していた。
しかし、それでもなお、横島なら何とかしてくれるのではないかと、淡い期待を抱いてしまったのだ。

だがあの後、汗を流そうとシャワーを浴び、ゆったりとベッドに横になっている今。
こうして冷静な頭で考えてみれば、自分の勝手な期待を押しつけられた横島はいい迷惑だっただろうと思える。


――――うん……さっきの事もあわせて……明日、ちゃんと謝らなく……ちゃ……


日中の疲労のためだろうか。
すぐに室内からくうすうと、静かな寝息が聞こえてきた。


何時の間に眠ってしまったのだろうか、タマモがふと目を覚ますと、すでに窓の外は明るくなっていた。
だが、まだ完全に日が昇っている訳ではなく、街には静けさとうす暗さが残る。
後2時間は眠れるだろうと、寝惚けた頭で計算し、また目を閉じる。

と、その時、微妙な違和感に気付く。
枕の感触が普段と違うのだ。

目を閉じたまま枕をまさぐると、普段のクッション枕ではなかった。
だが意外と寝心地は良いので、気にせず寝返りをうつ。
普通なら目を開けて確かめようとしただろうが、低血圧のタマモは朝はまともに頭が働かなかった。

ごろりと寝返りをうったが、丸めた膝に不思議な感触を感じ、うんと寝惚けた頭で考える。
膝に当たっているのは、固いような柔らかいような、あまり他では覚えが無い感触だ。
例えるならゴム、と言いたいところだが、ゴムにしては温かみがあるし、芯が固い気がする。

少し頭が目覚めかけた所で、すぐ側に自分以外の寝息がする事に気が付いた。
流石に驚き目を開けると、横島の寝顔が目の前にあった。

さっき枕の感触が違うと思ったのは、横島の伸ばした腕を枕にしていたのだ。
あまりの驚きに口をパクパクさせるが言葉が出ない。
どう考えても自分のベッド、だが何故か隣には横島。
驚かない方がどうかしているだろう。

恐る恐る布団をめくると、横島はティーシャツにトランクスだけの姿で横になっている。
そして、さっきから、膝に当たっている固いもの――――


視線だけ膝の方に動かし、その正体を知った瞬間。
早朝の穏やかな住宅街を、つんざくような悲鳴が切り裂いた。


「いや、その、まあ何だ、驚かせてスマンと思っとるよ。
という訳で、ロープをほどいて欲しいんだが。」


ソファーに縛り付けられた横島が口を開く。
かなり本気で殴られたのか、顔面痣だらけだった。
肩で息をしながらタマモが、両拳についた血を拭っている。

拭い終えると、さめざめと涙を流しながら、今度は膝をごしごしとタオルで擦り始めた。


「おいおい、生理現象なんだし、そんなに気にすんなよー。
女の子にはわからんかもしれんが、男ってのは寝起きは元気になっちゃうもんなんだぞー。」


横島は明るくあははーと笑っているが、タマモは横島が笑えば笑うほど、よりどんよりとしていく。


「何で、何で人のベッドに潜り込んでるのよぅ……うぅぅ、汚されちゃった……」


半分泣きながら、責任とんなさいよと言いたげに、キッと横島を睨んでいる。
うむ、と大袈裟に頷くと横島は説明を始めた。


「いやな、一次試験の筆記試験なんだが、俺は知識には自信無くてさ。
GS協会で働いてるお前なら、俺よりもその手の知識が豊富だろうし、教えてもらおうと思ってな。」


「……それが何で、人のベッドに潜り込む事につながるのよ……」


心底タマモが呆れて問いかけると、横島は当たり前の様に答えた。


「ああ、タダで教えてもらうのも悪いからと思ってさ、体で前払いをしようかなと。
まあ、ぶっちゃけるとアレだ――――」


最高に爽やかな笑顔を浮かべると、横島は高らかに良く通る声で宣言した。


「――――夜這いに来ました!」


ブツン、と。
タマモは何かが切れる音を聞いた。


「そぉぉれぇぇがぁぁ……
 それが!人に物を頼む態度かぁぁぁぁ!!!!」


激昂したタマモの周囲に無数に火の玉が出現する。
歪んだ空間に灯る炎に照らされ、タマモの表情が揺らめく。
その顔は、まるで悪魔のようで――――


「ちょ、冗談だってば!
いや、そんなマジに怒らないで――――って熱ぁぁぁぁぁぁぁ!!」


横島の悲鳴が響く中、神父はタマモの部屋の扉にもたれ、疲れた表情で眉間を押さえていた。
流石の神父も今回は仲裁に入る気力が湧いてこないのだろう。
大きく溜め息をつくと十字を切り、朝の祈りを捧げるべく礼拝堂へと歩いていった。

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