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「DAWN OF THE SPECTER 5(GS+オリジナル)」

丸々&とおり (2006-03-11 01:53)
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早朝。
梅雨とはいえもう初夏に差し掛かり、日差しも強くなり始め、街の朝露が光を反射してきらめいていた。

神父はカーテンの隙間から入る朝日に目を覚ますと、部屋の窓を開け、朝独特の澄みきった空気を胸いっぱいに吸い込む。
まだ明るくなり始めたばかりのこの時間、通勤の時間にもまだ早く、街は眠りから目を覚ましていないかのように静まり返っていた。
わずかに遠くで車が通り過ぎる音や朝早い人達の息遣い、早起きの小鳥達のさえずりが聞こえるばかりで、この静謐な一時は、常に神は自分達を見守っていて下さるのだと神父に感じさせてくれる。

寝覚めの良い朝を迎え、気力が体に満ちていく事を神父は感じていた。
いつもの様に神父服に身を包み、自身の信じる神に朝の祈りを捧げるために礼拝所に向かう。


(おや?)


礼拝所の扉の前で神父が首を傾げた。
昨日の夜、きちんと閉じた筈の扉が半開きになっていたのだ。

自分の勘違いかと思いながら扉をそっと開くと聞こえてきた、この爽やかな静けさをつんざく声。


「んごがあぁぁぁぁ〜…、ヒューすぴーぐしゅるる…」


音に近づいていくと、最前列の長椅子に横島がだらしなく横になっており。
足を放り出し靴は脱ぎ散らかされ、盛大ないびきをかきながら、ずれたシャツから現れた腹をぼりぼりとかいている。

いつもの厳粛な空気はぶち壊され、その光景には静謐さの欠片も無かった。
毎朝の、しかし神聖な儀式にいきなりケチをつけられ、神父がはらはらと涙を流していた。


「横島くん、本当に君って奴は…」


流れ落ちる涙と一緒に、ひらひらと髪も舞い落ちた。


「いやぁ、それにしても驚いたよ。
アメリカの知人から今回の話を聞いた時は、正直自分の耳を疑ったけどね」


朝の食卓を囲みながら、神父が横島に笑いかけた。


「向こうもハッキリとは教えてくれなかったんだけど、強制送還されたって事は、随分派手にやらかしたんだろうね。」


食べかけの味噌汁の碗を置き、横島は苦笑いを浮かべながら遮る。


「まーまー、別に良いじゃないですか。
それに、そんなに大した事はしてませんし。」


ちょうど朝のニュース番組では、破壊されたアメリカの自由の女神の腕の修復作業が始まった様子を伝えていた。
暴走したワイバーンによって破壊された自由の女神は市民のボランティアも参加し修復が進められています…、などと興奮した様子で語るキャスターの言葉に冷や汗を流しながら、横島が空になったご飯茶碗をおずおずと差し出す。


「あのー、タマモさん。おかわりをお願いしたいのですが……」


タマモは話にも参加しようとせず、ずっと無言で箸を進めていたが、ちらと横目で見やると、ふんと鼻を鳴らすと不機嫌そうに茶碗を受け取る。


「やー、すいませんねホント。
 ……あ、大盛りね」


横島はぺこぺこと卑屈に頭を下げつつ、しっかりと要求するところはしていたりする。
タマモはもう一度ジト目で横島を睨み付けると、全くとでも言いたげに乱暴に、不恰好に盛り付けられた大盛りの茶碗を渡した。
神父が家事一切を担当しているのなら横島は安心しておかわりを言えたかもしれない。
だがここの家主は神父だが、炊事はタマモが担当していた。
神父はそこまでしてもらわなくても、と当初は遠慮していたのだが、タマモは家賃を払っているだけでは釣り合いが取れないと思ったのだろう。
半ば強引に押し切るように、台所を自分の縄張りにしてしまった。

飄々としたタマモには似つかわしくないとも思えるその裏には、神父への感謝があった。
四年前の横島の失踪により事務所がバラバラになった時、最も危険な立場に追いやられたのはタマモだったし、その時庇護してくれたのは神父だった。


六年前、事務所に加わったタマモを美神は事務所の一員として扱い、タマモは他の皆と一緒に依頼をこなしていた。
そのため、狐火を使う少女が美神除霊事務所にいるらしい、という噂は徐々に業界に広がっていった。
そしてその噂はしばらくして、タマモの除霊を依頼したお偉方の耳にも届く事となる。
美神は政府から呼び出され、莫大な違約金を盾に改めて契約通りにタマモを除霊するよう迫られた。
美神らしくない失策とも言えるが、彼らの言葉を美神は平然と付き返した。

九尾の狐と人間の確執は不幸なすれ違いによるものであり、既に自分達は和解に成功した。
彼女の高い能力は国にとっても利益にこそなれ、決して害を及ぼすものではない。

しかし美神の言葉を彼らは鼻で笑い、一蹴した。


――――化け物はどこまでいっても所詮化け物。
我が国はそんな「もの」を必要としないし、認めもしない。


官僚達が呟いた言葉。
その時彼らは、自分達のその発言の持つ意味を理解していなかった。
また同時に、美神令子という女性を甘く見過ぎてもいた。

その日から、国の中枢でふんぞり返っていた連中は、一人また一人と権力の座から追われていく。
ある者は汚職の証拠を検察に掴まれ、ある者はスキャンダルをマスコミに流され、ある者は消えるように去っていった。

中心にいたのは美神。
表の人脈、裏の人脈、そして潤沢な資金にものをいわせ、あらゆる手段を使って彼らを追いつめた。
無論美神とて、後ろ暗い事は一つや二つではない。
彼らが共倒れになる覚悟で反撃していたなら、彼女も無事ではすまなかっただろう。

だが、追い詰められる事など今まで無かった彼らには、美神とやりあう気力などありはしなかった。
結局彼らが気付いた時には、既に逃げ場など一つも残っていなかった。
そして、証拠こそ無かったが美神が中心になって動いている事は明白だった。
タマモから完全に手を引く事を条件に、彼らはこれ以上の追及を止める様、美神に申し入れ、それは受け入れられた。

最後の会合で、修羅の形相で自分達を睨みつけていた美神の姿を彼らは決して忘れないだろう。

だが彼女を良く知る人間――母親や師匠である神父――は陰につけ陽につけ、協力こそしたが。
彼女らしくない今回のやり方に首を捻っていた。
普段の彼女なら、下手に目立つ事をせず、かなり高くついてでも違約金を素直に支払って場を収めていただろう。
タマモの潜在的な価値は、違約金を遥かに上回るものだったからだ。

いつか、人間に友好的なまま記憶や力を取り戻した時、その恩恵を一番に得る事が出来るのは、雇い主である彼女だった筈なのだ。
そのためなら先行投資も悪い話では無い。
だが彼女はそうしなかった。
感情に任せ、危険も省みず突き進んでいってしまった。

その原因となった、連中の嘲笑うようなあの言葉を神父達は知らない。
だが仮に知っていたとしても、理解は出来なかっただろう。

そして、この一件こそが後の悲劇の一因なのだが、それはまだこの時点では、誰にも予想出来なかった。


こうして、タマモは美神の庇護下で安全が保障される事となった。
が、四年前事務所がバラバラになった時、タマモは美神の庇護を失う事となる。
また危険な立場に立たされそうになった彼女だったが、それを救ったのが唐巣神父だった。

神父は彼女を引き取ると、GS協会の職員になるよう勧めた。
元来働き者という訳では無い彼女は最初は迷っていた。
しかし、神父の言葉に動かされた。

『一時的に人の庇護下におかれ安全を手に入れる事が出来ても、人はいずれ命を失ってしまう。
なら君が真に平穏な暮らしを手に入れるには、君自身が皆に認められなければならない。
人のいる世界で、生きていくためにはね』

そう真摯に説得され、行く当ても無かったタマモは、神父の庇護の下で働いてみる事にしたのだった。

美智恵ではなく、何故神父が引き取ったかというと、神父には、ハーフとはいえヴァンパイアのピートを立派に人間社会に送り出した実績が既にあった。
その神父の紹介だからこそ、協会も大妖の生まれ変わりであるタマモを受け入れる事を決心したのだった。

タマモはその超感覚を活かし、呪われた美術品の鑑定や、外部から持ち込まれた歴史的に貴重な品物の真贋の鑑定などを担当し、協会の仕事をこなしていった。
タマモはその仕事の確実性と、美神事務所で学んだのであろう人間社会での協調性を持ち、今では立派にGS協会の一員として認められ、社会的にも自立出来るようになっていた。

今の自分があるのは神父のおかげという事は理解していた。
だが素直に感謝するのは照れ臭い。
それならばと、タマモは半ば強引に神父の台所を占拠する事にしたのだった。


そして、この間アメリカから神父に一本の電話がかかってきた時、タマモは横島の生存を知った。

――――横島君が戻ってくるよ。

その神父の言葉を聞いた瞬間、跳ね上がるように席を立ち、神父に何度も確認をした。

到着の日、どれだけ時間が長かったことか。
戻ってくる横島に、タマモは言いたい事も聞きたいことも、山一つ分はあった。
すぐに逃げ出したと聞き、変わって無いわねと思わないでもなかったが、やはり実際に横島を目にするまでは彼が帰ってきたとは信じられなかった。

匂いをたどって見つけた横島。
相変わらず、間抜け面をしていた。
だが、背丈もそうだが、身につけている衣服や髪形など。

彼の持つ雰囲気が、違った。
四年前と比べると、横島は見違える程大人になっていた。

しかし、ほんの僅かなやり取りでタマモは理解した。
馬鹿で女好きで考えなしで、煩悩で出来ているような、彼の中身は。
昔と何一つ変わっていないと。

だが、だからこそ、彼女は納得できなかった。
もしも横島が変わり果てた姿だったなら、まだ諦めもついただろう。
四年前のあの夜、自分の知っている横島は死んだのだと、自分を納得させる事も出来ただろう。

そんな事を考えている内に、感情を抑える事が出来なくなってしまった。
恨み言をぶつけ、さらには泣きじゃくり、自分らしくもない姿を晒してしまった。
追い討ちをかけるようなその後の展開も手伝い、タマモはどうにも気まずい。
不機嫌な顔でもして、ごまかすしかなかったのだが。

そんな事情があるとは露知らず、何気なく神父が横島に尋ねた。


「横島君、君はこれからどうするんだい?
こっちでもGSとしてやっていくのかい?」


手を頭の後ろで組みながら、少し考え込み答えた。


「うーん、まだ何も考えてねーッス。
何せ、いきなりこっちに送り返されちゃったもんで。」


うんうんと神父は横島の答えに何度か頷き、一度席を立つと何かの資料を持って戻ってきた。


「実はGS協会が新しい制度を導入する事になってね。
経験を積んだGSを対象に、国ごとに最も優れたGSを選び出す選考会を実施する事になったんだ。」


横島が資料に目をやると、なるほど、国ごとに最も優秀なGSを選出し、国の代表として様々な便宜をはかると書いてある。


「これって、あれですか。
オリンピックの選考会みたいなもんですか?」

「うん、似たようなものだよ。
六年前のあの事件以来、GSという職業への関心が高まっていてね。
この機会に社会的な認知度を確かなものにしようと、GS協会の方で色々と考えているみたいなんだ。
これもその一環として企画されたらしいよ。」


もしも選ばれれば実に様々な特典を手に入れる事が出来るようだ。
金融機関からの融資や税の控除といった金銭的なものから、講演会や書物の出版などの宣伝活動。
果ては――明記こそされていないが――駐車禁止違反やスピード違反の揉み消しといった俗な物まで様々な特権が与えられるという。
選抜された本人は当然として、なんと師匠まで同様の恩恵を得る事が出来ると資料に記されていた。

選抜予定人数は数名、参加資格は三年以上の実務経験者というもので、参加するだけならそれほど狭き門という訳ではなさそうだ。
とてつもない数の参加者が予想される。

だが、横島は一通り目を通すと、興味無しといった風に資料を放り投げる。


「なんか面倒臭そうですし、俺は遠慮しときます。
しばらく暮らすだけの蓄えはありますしね。」

「そうか、それは残念だな……
だけど考えてみれば、確かに君向きの話では無かったかもしれないね。」


残念そうだったが、最初から神父も無理強いする気はなかったので、それ以上は何も言おうとしなかった。
数瞬訪れた沈黙。
神父は疑問に思っていた件を、この機会に聞いておく事にした。


「話は変わるけど……四年前、どうしていきなり姿を消してしまったんだい?
令子君が探そうとしなかったのは、彼女には連絡してたって事なのかな。」


神父のその言葉に、タマモが非難を込めた眼差しで視線を送ると、横島は慌てて目を逸らした。


「あー、俺は連絡しなかったんですけど、もしかしたら知ってたかもしれませんねー。」


歯切れの悪い横島の返事に、神父が首を捻る。


「いや、君が連絡してないなら、いったい誰が連絡したんだい?」


さらに険しさを増すタマモの視線に耐えきれなくなったのか、ふぅとため息をつき肩をすくめた。


「多分、親父ッスよ。
もしも誰かが連絡したっていうなら、親父以外に考えられねーッス。」


この返事は予想外だったのだろう、神父も驚いていた。


「という事は、お家の事情で日本を離れたって事なのかい?
いや、だが、どうしてまた、あんな急に……」


考え込むような神父を余所に、食事を終えた横島が席を立つ。


「ま、その辺はプライバシーって事で。
んじゃ、ごちそうさんでした。」

「な!待ちなさいよ、横島!」


肝心な部分をごまかされ、思わずタマモが声を上げる。
だが横島は振り返らず悠々と歩き去っていく。

後を追おうとするが、躊躇うように、食卓と横島に視線を泳がせる。
タマモの様子に気付き、神父が笑いながら手を振った。


「ああ、洗い物は私がやっておくよ。
四年振りの再会だし、積もる話もあるだろうしね。」

「ごめん、神父。悪いけど、後お願い。」


慌てて横島の後を追うタマモを見送ると、慣れた手つきで神父が皿を重ねていた。


タマモが横島を追っていくと、教会を出た大通りでタクシーを拾おうとしていた。
止めたタクシーに乗り込み、走り出そうとする寸前、タマモが横島の乗ったタクシーのドアを掴み、強引に乗り込んだ。
呆気に取られる横島とタクシーの運転手を、何か文句があるかと言わんばかりに睨みつける。


「お、お客さーん?」


困惑した表情で振り向く運転手に、横島が頭を掻きながら言う。


「あー……こいつは俺の連れなんだ。気にしないでくれ。」


まだ何か言いたげだったが一応納得したのだろう、緩やかにタクシーは走り出した。
横島は窓べりに頬杖をつきながら流れ行く街並みを眺めていたが、がしがしと頭を掻くと若干苛立ちながら口を開いた。


「なあ、何なんだ。
お前はいったい何がしたいんだ。」


同じように頬杖をつき、逆の景色を眺めていたタマモは事も無げに答えた。


「決まってるでしょ?
あんたが逃げないように監視してるのよ。」


「……えーと、タマモさん。
俺にも自由を楽しむ権利があると思うんですが。」


乾いた笑いを浮かべながら横島が提案する。


「別に自由に好きな事をして良いわよ。
もっとも、私はあんたの傍を離れる気は無いけどね。」


「ふ、ふっざけんなぁぁぁぁ!
コブ付きでナンパが出来るかぁぁぁぁ!!
久方ぶりの日本で、羽根を伸ばしたっていいだろうが!」


とうとう爆発した横島だったが、タマモはしれっと切り返した。


「確かに、あんたの言う通りね。
羽根を伸ばすのは、あんたの自由だわ。
昨日謝ってもらった件だって、私も何時までもこだわる気は無いし。」


「だったら――――!」


「――――ただし。」


ぴんと人指し指を立て、横島の鼻先に突き付ける。


「あんたが謝らなきゃいけないのは私だけじゃないでしょ?
少なくとも、シロも何も知らなかったわ。まさかあいつを無視する気じゃないでしょうね。」


タマモの指摘に横島が苦い表情で呻く。
何とか逃れる言い訳を思いつこうとコメカミを押さえていたが、とうとう諦めたように深いため息をついた。


「わかった。わかりましたよ。
ちゃんとシロにも謝るよ。約束する。
だからもう自由にしてくれよ、頼むからさぁ……」


手を合わせ懇願するように頭を下げる横島に、流石にタマモもほんの少しだけ気の毒かなと思う。
とは言え、昨日いきなり逃げ出そうとしていたのも確か。
そもそも、四年ぶりに捕まえる事ができたのだ。
ここで甘い顔をする訳にはいかない。

そんなタマモの内心も知らず、横島が声をかける。


「んで、シロはどこに居るんだ?」


「ああ、シロならオカルトGメンの研修でイギリスに行ってるわ。
来月には帰国するけど、それまでは会えないわね。」


タマモの返事に横島がぽかーんと口を開いていた。
シロがオカルトGメンに入っているというのは驚きの事実だったが、タマモの答えは横島にとってさらに重要な事を意味していた。


「んじゃ、何か?
来月シロが帰ってくるまで、お前は俺をストーキングし続けるってのか?」

「ストーキングじゃないわよ。監視だって言ったでしょ?
有給使ったから協会の仕事も気にしなくて良いしね。」


ちょっと待てやと言わんばかりに横島が声を上げる。
日本に帰ったら過去の屈辱を晴らすためにナンパに励もうと計画していたのに、このままではいきなり頓挫してしまう。


「ちょっと待てぃ!!俺に一ヶ月も女抜きの生活を送れってのか!?
いくらなんでもそんな横暴な――――」


事を認められるかぁぁぁぁ!と言おうとして、ふと言葉を切る。
そして確認するようにタマモに尋ねた。


「お前、俺に付きっきりになるつもりなんだよな?」

「仕方ないでしょ。目を離したら逃げそうだし。」


タマモの返事を聞き、笑いを堪えるように肩を震わせる。


「はっはっは!という事は風呂もベッドも一緒って事かぁ!
いやぁ〜♪お兄さん、なんだか楽しくなってきたよ。」

「な、何を馬鹿な事を――――!」


慌てるタマモの不意を突くように、いきなり横島が飛びつきタマモを押し倒すと、胸に顔を埋める。


「んじゃま、仲良くやろうぜぇタマモ〜♪
わーい、や〜らかいなぁ〜あったかいなぁ〜〜♪」

「ちょ、こら!何すんのよ、この馬鹿ーーーー!!」

「お、お客さぁん!車内でそういうのは勘弁してくださいよぉぉ!」


暴れる後部座席に振り回されるように、タクシーが蛇行しながら道路を走っていった。


「お客さん、大丈夫ですか?」

「ん?ああ、へーき、へーき、こんなのどって事ないよ。あんがとね。」


運賃を支払うと横島は颯爽とタクシーを降りた。
外気に触れた瞬間、梅雨特有の蒸し暑さに顔をしかめる。
ため息をつくと、うす曇の下に注ぐ陽射しの中、気怠げに髪をかきあげた。

良く鍛えられた均整のとれた体を薄い水色のシャツと濃紺のジーンズに包んだその姿は、なかなか様になっている。
もっとも、両頬にくっきりと浮かぶ、キレイな紅葉形の手形が何もかも台無しにしてしまっていたが。


「痛ぇーなぁ、もう……」


ひりひりと痛む両頬をさする横島の後ろでは、タマモが腰に手を当て睨みつけていた。
横島が振り向き、恨めしそうな視線を送る。


「なんだよー、ちょっとしたスキンシップくらい良いじゃねーか。」

「うるさい、この馬鹿!変態!
次やったら訴えるわよ、このセクハラ男!!」


烈火の如く怒るタマモに、がっくりと肩を落とす。


(ちょっと胸に顔埋めて、ついでにブラのホック外しただけじゃねーか。心が狭いよ、全く。)


欠片も反省していない横島を見ながら、何故美神があれほどの、それこそ過剰なまでの仕置きをしていたかを身をもって理解したタマモであった。


「で、昨日の空港に戻って来てどうするの。」


セクハラを警戒しているのか、一定の距離を保ったまま尋ねる。


「ああ、向こうから送ってもらった荷物をまだ受け取ってないからさ。」


タマモの様子に、心外だと言わんばかりに肩をすくめ答えた。
昨日は空港の喫茶店からいきなり神父の教会に連れて行かれてしまったので、荷物を受け取る機会が無かった。
今日はそれを受け取りに来たのだった。

空港の制服を着た職員に声をかけ、案内を頼む。
丸々と太った中年の人の良さそうな男は、横島が持つ荷物の証明書を確認すると、快く案内を引き受けてくれた。
一行は一般の搭乗スペースから離れ、倉庫のような荷物保管所へ向かう。


「服なんかは別に買い直せばいいんだけど、やっぱり足は必要だしな。
それに結構思い入れもあるし、アレだけはラルフに無理言って送ってもらったんだ。」


あれだけ逃げ回っておいてよく頼めたものだなと、この場にラルフがいたらまた嫌味の一つも言われそうだが。
荷物を保管してある倉庫の中には、人が一人くらいなら余裕で入りそうなほど巨大な木箱やコンテナが大量に積み上げられており、それらの全てに税関の検閲済みを証明する用紙が貼り付けられていた。
職員の男は横島の持つ証明書に目をやりながら、何かを探すように周囲を見渡す。
茶色い木箱や灰色のコンテナが置かれている中に、一つだけ青いシートがかぶせられている物を見つけ、笑顔で指差した。


「ああ、ありました。お客様の荷物はあちらですよ。」


男がシートを取り払うと、中から流線形のフォルムをした、二つ並んだ丸いフロントライトが特徴的な真紅のバイク、ビューエル・ライトニングがその姿を現した。
かなり使い込まれているらしく、少し観察すれば、ボディには幾つもの傷が刻まれているのがわかっただろう。
しかし整備は念入りに行われているようで、足回りなどの、操作に影響する箇所には汚れ一つなかった。


「向こうじゃ、こいつを使って仕事してたんだ。
カウルはちょっと痛んでるけど中身はまだまだ現役なんだぞ。」


自慢げにタマモに解説するが、彼女はあまり興味が無いようで適当な返事を返している。

横島は残念そうに首を振ると、中身を確かめるように軽くタンクを叩いた。
返ってきた低くこもった音から判断するに、ラルフが気を利かせてくれたのだろう、どうやらガソリンも入っているようだ。

鼻歌を歌いながらグリップに吊り下げられていたゴーグルを手に取り、額に装着する。
手慣れた動きで倉庫からバイクを出すと、キーを差し込んだ。

キュルルルとエンジンに火が入り、すぐに重低音の小気味良いエンジン音が周囲に響き渡る。
タマモにバイクの知識は皆無のため、何をしているのか全く理解できなかったが、ふと素朴な疑問が浮かんできた。


「――――?」

「何だぁ、聞こえねーぞ。」


タマモの口が動いているのに気付き、横島が聞き返す。
思いのほか大きいエンジン音に邪魔をされ、タマモの小さな声では横島の耳に届かなかった。
あまり大きな声を出すのは好きでは無かったが、仕方ないので大きく息を吸い込み、精一杯声を張り上げる。


「私はどうすれば良いのかって聞いたのよ!」


今度は聞き取れたのだろう、横島はああと頷き、意地の悪い笑みを浮かべた。


「乗りたきゃ乗せてやっても良いぞ!
ま、お前が乗りたいなら、だけどな!」


自分もエンジン音に負けないよう声を張り上げる。
タマモは促されるままに後部のシートに跨がろうとしたが、何かに気付いたのか、右足を上げようとしたまま、ぴたりと動きが固まった。
それを見た横島は、こみ上がる笑いを隠すように口元を押さえた。

横島のしてやったりといった様子に、タマモが悔しそうにその小さな拳を握り締める。
今日のタマモの服装は、フードの付いたパーカーにチェックの柄のスカートという簡単ながらも、女性らしい印象を与える物。
恐らく、横島を逃がさないために見た目以上に動きやすい服装を選んだのだろうが、流石にこれは想定外だったのだろう。
タマモの妖力であればサイズなら変化でどうにでもなるが、さすがに全とっかえという事は出来ない。

タマモのスカートの丈はミニという訳では無かったが、それでもスカートという事には変わりない。
バイクに乗る際はシートを挟むようにして乗らなければいけないし、案外に横幅がある。
もしも足を開いてバイクに跨がりでもしようものなら、思う存分気の済むまで、世の男達の視線を惹きつける事になるだろう。


「あれ、乗らないの?」


何時までたっても動こうとしないので、横島がタマモの表情を覗き込むように尋ねた。
タマモは唇を噛み締め、この卑怯者、とでも言いたげに横島を睨んでいる。


「なぁんだ、乗りたく無いんだ?
んじゃ、俺は独り寂しく走るとしましょうかね。」


残念で仕方が無い、といった様子でわざとらしく天を仰ぐ。
敢えて言うまでも無いが、横島は何もかも理解していた。
そしてタマモの悔しそうな姿を充分に堪能したのだろう、ゴーグルをセットし、エンジンの調子を確かめるように何度かアクセルを握り空吹かしさせる。

唸るエンジンに満足そうに頷くと、タマモに手を振り別れを告げる。


「それじゃ、元気でなー!
あ、そうだ!今度会ったらデートしような!」


からかうような別れの言葉にタマモが何か叫んでいたようだが、既に走り出していた横島の耳に届く事はなかった。

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