しんと静まり返った店内で、カウンター席に二人の男女が隣りあって座っている。
他の客は最初は類い稀な女性の美貌に見とれていたが、タマモが放つ触れれば切り裂かれそうな緊張感に、恐れをなして皆逃げ出して、残るは横島とタマモのみ。
店員達もどうしてよいものかわからず、遠巻きに二人を眺めている。
腕を組んで不機嫌そうに黙り込んでいるタマモの隣りで、横島が居心地が悪そうにアイスコーヒーをすすっていた。
横島としてはさっさとこの場を離れたかったのだが、残念ながら相手は許してくれそうになかった。
拷問にも似た長い長い沈黙の末、ようやくタマモが口を開いた。
「――――横島。」
ああ、こういうのを針の筵(むしろ)って言うのかぁ、とどこか悟ったように横島がぼんやりしていたのだが、その言葉で現実に引き戻された。
「何か言う事があるんじゃないの?」
タマモが横目で愛想の欠片も無い視線を投げかける。
横島としては正直なところ、何がなんでも逃げ出したかったが、そういう訳にもいかない。
なんとかこの場を切り抜けるため、頭を高速回転させて言葉を考える。
コホンと小さく咳払いし、真面目な表情で隣に座るタマモの瞳を見つめる。
「綺麗になったな、タマモ――――ゥウッ!?」
突然横島が言葉を詰まらせ、口をパクパクさせて言葉にならない悲鳴を上げる。
カウンター席の足元では、横島の足の甲をタマモのハイヒールが踏みつけていた。
(こ、こいつ、このためにカウンター席を……!)
いくらでも広々としたテーブル席が空いているにも関わらず、わざわざカウンター席についた狙いを察し、横島の表情が青ざめる。
「お、お待たせいたしましたぁ。」
遠巻きに二人を見ていた店員達もさすがに給仕をしないわけにいかず、おそらく一番若いのであろうウェイトレスが、タマモが注文したブレンドコーヒーを運んで来た。
その声は上ずり、手元を震わせているためカップと皿が擦れ合ってカチャカチャと音を立てる。
タマモは穏やかに微笑み、礼を言うと、カップを口元に運ぶ。
奥深い芳醇な香りを悠々と楽しむタマモの、その隣では解放された横島が荒い息を吐いていた。
カップを置くと、またもタマモが口を開いた。
「何か、言う事があるんじゃないの?」
まさか満足のいく答えが返ってくるまで続けるのか、と横島が表情を引きつらせる。
(さ、さっきのは昔の俺らしくなかったかもな。
よし、今度は昔の俺らしい事を言ってみるとするか…。)
ほとんど喋ってくれないのでは、何が気に入らないのかさっぱりわからないし、埒が開かない。
一縷の希望をたくし、覚悟を決めて再度口を開いた。
「そ、それにしてもすっかり大人になっちゃったな〜
良かったらデートしない?きっと楽し――――ぅアッチャァァ!!」
湯気の立ち上るコーヒーをいきなり顔に浴びせられ、横島が騒々しい音を立てながら椅子からひっくり返る。
「あああ、熱いってばタマモさんっ…ってうごぎゃおうっっっっっ!?」
ガズっと鈍い音が体に響いて。
ずきん!
突然肩口に走った痛みに目を向けると、床に仰向けに倒れている横島をタマモがまたハイヒールで踏みつけていた。
その華奢な肩の上には、今まで座っていた、シート部分以外は鉄で作られた丸椅子が両手でしっかり、高々と握られている。
そして冷めた眼差しで見下ろしながら、またもあの言葉を口にした。
何か言う事があるのでは無いか、と。
ああ、きっと正解なんて無いんだろうなぁ――――
諦めの境地に到達した横島が、タマモを見上げ、本能の赴くままに答えた。
「B85・W54・H84のCカップ!」
サッとタマモの頬が朱に染まる。
――――ビンゴ♪
心の中でガッツポーズをする。
最後に椅子が振り下ろされるのを見たような気もするが、そこで横島の意識は途絶えてしまった。
――――なあ、忠夫。お前はこれからどうするんだ。
清潔な白いベッドに一人の少年が横になっていた。
ベッドの脇には心電図が置かれ、腕には点滴のための注射針が刺さっていた。
上半身の肩から腰まで包帯が巻かれており、少年の受けた傷の深さを何よりも物語っている。
病室の窓から外を眺める、無精髭を生やした男。
その背中を見つめながら、ぽつりと少年が呟いた。
――――親父……やっぱり俺が悪いん…かなあ…
無精髭の男は振り返らずに答えた。
――――良いとか悪いとか……正しいとか間違っているとか……当事者じゃない俺には答えられないぞ。
突き放すような男の言葉に、少年が小さくため息をつく。
――――だよな……
消え入りそうなほどに小さな呟きだったが、男は答えた。
――――答えは、お前が納得できるものをゆっくりと探せば良いんだ。その手伝いならしてやる。
男の力強い言葉に、少年が安心したように目を閉じる。
――――そっか……サンキュな、親父……
そう小さく呟くと、少年の意識はまどろみに沈んでいった。
(夢、か。)
あれから4年の月日が流れた。
それは果たして長かったのか短かったのか。
横島には良くわからなかった。
良い事も悪い事も、思い出が多すぎる日本を飛び出して、アメリカに渡って。
何を期待したのだろうか。
そこにあった物は、日本と何も変わらない。
生きて、生活して、暮らして、色んな人間と関わって、そして別れて。
気だるい日や楽しい日、いつの間にか季節も過ぎて、巡り。
バカもやった、大騒ぎもした、成功もした、失敗もした。
逃げ出しもした、火の中に飛び込みもした。
一人だった異国で、いつのまにか友人も増えて。
出会いの中で、生きていて。
馬鹿なガキだったあの頃と比べれば、随分変わってしまったとは思う。
大人になったと言ってしまえばそれまでだが、世の中の裏側の悪意も、人間の欲望の汚さも、いつの間にかその手に閉じ込める事が出来るようになった。
それは、自分も同じ海に飛び込む事が出来るようになったから。
だが、それが良い事なのか悪い事なのか。
まだわからなかった。
「夢でも見た?」
いきなり声を掛けられ、反射的に身構える。
声の方に目を向けると、タマモが膝を立ててソファーに座り込んでいた。
ふぅ、と小さく息を吐くと、鋭利な刃のような光を宿らせていた横島の瞳が穏やかになる。
今の横島の反応が意外だったのだろう。
タマモが見極めるように、じっと横島を見つめていた。
ここがどこかはわからなかったが、横島には一つだけわかった事があった。
(ここは女の部屋だ。うん、間違いない。)
特にかわいらしい小物が置かれていた訳では無いが、横島はこの部屋から男の気配を感じなかった。
自分が眠っていたベッドとクリーム色の二人掛けのソファー。
小さいが使い易そうな事務机と回転椅子。
それほど人が生活している気配が無い内装に、横島がこの部屋の住人の姿を予想する。
(間違いなくキャリアウーマンタイプだろうな。
あんまり物が置かれて無いし、多分クールな性格かな。
ん、もしかして?)
ふと横島がタマモを見る。
タマモはまだ黙って横島を観察していた。
「なあ、もしかして……ここってお前の部屋?」
タマモがこくんと頷いた。
それを見た横島が再び横になり、うつぶせでベッドに顔を埋める。
(んー、良い匂い。)
普段使っているからだろう。
ベッドにはタマモの香りが移っていた。
(時には独り寝の寂しさを紛らわせるために、あんな事やこんな事を……
いやー♪たまりませんなぁ――――ィテッ!)
ガツンと音を立て、机の上に置かれていたペン立てが横島の頭に直撃した。
「な、何するデスカ?」
後ろめたさから片言になる横島に、タマモが不機嫌そうに呟いた。
「なんか、無性に腹が立った。」
次に投げつける物を探すタマモの姿に、横島が慌てて起き上がる。
その時、扉を軽く叩く音が聞こえ、続いて聞き覚えのある穏やかな声が響いた。
「大丈夫かい?
今何かがぶつかる音が聞こえたんだけど。」
「入って、神父。横島が起きたわ。」
カチャリと扉が開き、唐巣神父が部屋に入って来た。
意外な人物の登場に、横島が目を丸くしながら二人を交互に見やる。
ようやく理解したのか、ポンと手を叩くと唐巣に満面の笑顔を向ける。
「やるじゃないッスか神父!
こんな若いコをモノにするなんて――――」
――――グシャッ!!――――
突然飛んで来た回転椅子の直撃をくらい、意識がまた飛んだ横島がそのセリフを最後まで口にする事は無かった。
「なーんだ。今は神父のとこに居候してるんだ。」
「ちゃんと家賃払ってるんだから居候じゃないわよ。」
タマモの言葉に、そりゃ失礼しました、と肩をすくめる。
「でも何でまた神父のとこに住んでるんだ?」
何気なく口にされたその言葉。
タマモは数瞬置いて振り返る。
ギリと歯を軋ませたかと思うと、突然横島に飛びかかった。
乱暴に横島を押し倒し、そのまま胸倉を掴み上げる。
タマモの激高、怒りに満ちた表情で横島に詰め寄る。
「誰のせいだと思ってるの!?
美神さんがあんな事になって、皆どうしていいかわからないような時に……!
いきなり姿を消したのはあんたでしょ!?」
普段の落ち着いた彼女からは想像も出来ない激しい剣幕に、横島も神父も呆気に取られていた。
「あんたまで居なくなって事務所がどうなるか、少しでも考えなかったの!?」
「お前――――」
「あの生活が好きだったのに!
あんたが馬鹿やって、美神さんが怒って、おキヌちゃんが庇って、シロがあんたにまとわり付い て……
そんな日が何時までも続いてくれると思ってたのに!!」
偽りの無い感情を吐露するタマモに、室内はしんと静まり返る。
滴る涙を拭おうともせず、横島のシャツを握り締めたタマモの頬には、高ぶる感情を抑えてほしいと願うように、涙が伝っていた。
ふとしたさざなみで溢れる様に、たくさんの感情がこぼれて。
ようやく横島は自分が言わなければならなかった言葉を理解した。
「すまん、タマモ……」
だがタマモは顔を伏せ、振り絞るような声で遮った。
「もう……もう、何もかも無くなったのに、今さら……!」
届かない、謝罪の言葉。
でも今は、二人は本当にすぐそばにいて。
むき出しの心。
横島がタマモの背中に手を回し優しく抱きしめる。
「それでも……本当に、ごめんな。」
タマモは弱弱しく体を離そうとしたが、横島は両腕に力を込めてしっかりと抱きしめた。
横島の暖かさがタマモの強張りを溶かすと、タマモは横島の胸に顔を埋め、わだかまりを吐き出すかのように声を上げて泣きだした。
意地やプライドなどの余計な物を全て捨て去り、ただ赤子のように泣いていた。
神父はいつの間にか部屋を後にし、室内には横島とタマモの二人きりだった。
すすり泣きへと変わったタマモの背中を、横島があやすように軽く叩いている。
ようやく気持ちが落ち着いたのか、タマモが体を起こそうとして、横島はそっと腕を離す。
横島から顔を背け、手の甲で涙を拭おうとするタマモに、灰色の男物のハンカチを差し出す。
「……あ、ありがとう。」
少しだけ躊躇ったが、そっとハンカチを受け取った。
「落ち着いたか?」
横島の言葉に、背を向けたままこくりと頷く。
小さくため息をつくと、横島がタマモの背中に声を掛けた。
「あん時は、自分の事で精一杯でさ。
情けない話だけど、自分の事しか考えられなかった。」
タマモはまだ時折ぐすんと鼻を鳴らしている。
「その結果、お前に嫌な思いをさせちまった……すまん。」
本心から深く頭を下げる。
背中に向けて頭を下げても無意味かもしれない。
だけれども、横島は。
伝えようとする気持ちこそが何より大切だという事を、この6年で学んでいた。
タマモが惹かれる様にして、ゆっくりと振り返る。
もうほとんど普段のクールな表情に戻っていたが、涙で赤くなった目元が先ほどの事が現実だったのだと教えてくれて、横島はタマモにもう一度頭を下げた。
そんな横島を無言で見ると、タマモは静かに立ち上がり、ソファーに腰を下ろした。
しんと静まり返った室内。
かちこちと響く時計の音、時折吹く風の響き。
タマモがソファーに手を置く時の音さえ耳に届いて、息が苦しい。
以前の横島なら、居たたまれなくなり馬鹿な事でもしてこの重い空気を払拭しようとしたかもしれない。
だが、今の横島にあるのはあくまでも真摯な――
赤みを帯びたタマモの目元がいやに似合わなくて、申し訳なくて。
もう一度タマモと近づきたくて、そっとソファーに進み、自分もタマモの隣に腰を下ろす。
うつむいているタマモの肩にゆっくり手をまわすと、自分の胸元に引き寄せた。
抵抗する素振りもなく、引き寄せられるままにタマモが横島の胸にもたれかかる。
目の前にあったのは9つの房に分けられた、しとやかな金髪。
細く瑞々しく、流れるような髪の毛を、横島は優しく撫でる。
この4年の溝を埋めるように、確かめるように。
そのくすぐったいような、さわさわとした感覚が、右手に伝わる。
横島はもっと確かめたくて、タマモをもう少しだけ強く抱き寄せると、彼女の金髪が鼻をくすぐる。
その豊かな金髪をかき分けるように、隠された耳からうなじを、そっと撫でる。
形の良い耳の裏からあご、首筋に手をまわすと、彼女の体温が一層強く感じられて、髪と指が絡み合って落ちるかすかな感触と、タマモの息遣いが胸元にあり、横島は気付く。
タマモもまた、この4年で変わったのだと。
人とは違う理を生きる妖怪と言えど、鼻腔をくすぐる感触は、横島もすっかり慣れたはずの、成熟した女性の匂い。
胸や足に触れる彼女の体は、柔らかくもじっと暖かくて、思わず横島はタマモの背中にまわした手に、ぎゅっと力を入れる。
髪を撫でた右手を、タマモのあごに添えると、くっとタマモの顔を上げさせる。
タマモも、驚いた様子もなく横島の瞳をじっと見つめる。
横島の瞳の奥に燃える情欲に気付いたのか、タマモが小さく呟いた。
「私を、抱くの……?」
問いに答える代わりに無言で見つめる。
諦めたのか、タマモが小さくため息をついた。
「……いいわよ、でも――――」
すっとタマモの細い指が横島のシャツにかかる。
そしてゆっくりとボタンを一つずつ丁寧に外していく。
(わぁ♪って、はっ!?
おい!いかん、なにやってんだ、俺!
こんな事していいわけないだろ、ああ、でも摺り寄せた体がやーらかいっっっっっ…!!!)
タマモの行動に横島は自分が何をしているのか気付き、驚く。
思っている事はおくびにも出さないのが成長の証かもしれないが、じっとされるがままになってしまい、ボタンは全て外され、鍛え上げられた無駄の無い横島の上半身があらわになる。
「代わりに、この傷の事を教えて……
どうしてあの時、こんなに深い傷を負っていたの……?」
つつとタマモは右肩から走る深い傷痕を指先でなぞる。
その瞬間、見上げた横島の瞳の奥に情欲とは違うものが浮かんだのをタマモは見逃さなかった。
それは幾つもの想いが複雑に絡まり合っていたため、どういう感情なのか明確にはわからない。
だが複雑に絡み合う想いの中でも、一際暗い光を放っていたある感情だけは読み取る事が出来た。
横島の内面には、全てから逃げ出したくなる程の強烈な後悔の念が渦巻いていた。
「あ……」
小さく声を上げるタマモから横島は体を離し、ソファーから立ち上がってシャツのボタンを止める。
「悪ぃけど、やっぱり今日はやめとくわ。」
訴えかけるようなタマモの視線に、横島が肩をすくめる。
「おいおい、勘違いすんなよ。
時差ボケがひどいだけなんだからな。」
ジーンズのポケットに手を突っ込むと、口笛を吹きながら部屋から出て行った。
何も知らない者が見れば、その姿は気楽なものに見えただろう。
だが後姿を見送ったタマモには、去り際の横島はどことなく奇異に映った。
さっきの自分の言葉が、横島の何かに触れてしまったのだろうとタマモは感じていた。
一人部屋に残されたタマモ。
恐らくは全ての元凶であろう、あの夜の事を思い返していた。
――――いやぁぁぁぁ!駄目、駄目です横島さん!息をしてぇぇぇぇ!!
その日の除霊は泊まりがけになる筈だった。
だが運が良かったのか、半日程度で片が付いてしまい、時間の空いた自分とシロは買物を引き受け、おキヌは一足先に事務所に戻っていた。
買物袋を片手に、シロと取り留めの無い話をしながら事務所に戻った。
普段と同じように――――
だが、一歩事務所に足を踏み入れた途端、二人の鋭敏な嗅覚は、嫌な――少なくともこの事務所の中には似合わない――匂いが漂っているのを嗅ぎ取った。
急いで二人は匂いの源であるリビングに向かう。
そこで待っていたのは、ドス黒い血溜まりに横たわる横島の姿と、泣きながら、縋りつくように必死でヒーリングをかけるおキヌの姿だった。
そして横島の隣には、血の気が失せた表情で呆然と美神が座り込んでいた。
おキヌの必死のヒーリングで何とか一命を取り留めた横島は、救急車で運ばれて行った。
そして、傷も癒えぬまま――――忽然と姿を消した。
あの夜が全ての元凶なのか、それとも少しずつ歪んでいた歯車が、あの時一気に弾け飛んだのか。
今となっては、それを知っているのはあの時事務所に残っていた横島と美神の二人だけだろう。
あの夜いったい何があったのか、タマモはどうしても知りたかった。
それこそ、一晩体を預ける事でその願いが叶うなら、それでも一向に構わなかった。
ずっと心の奥深くに突き刺さっている、あの夜の疑問が解けるなら、それだけの価値はあると思っていたのだ。
横島の方から迫ってきたのは意外だったが、むしろ好都合だった。
だが受け入れる代わりに提示した条件を聞いた時の、あの一瞬浮かんだ表情。
タマモは小さく息を吐くと、もう眠ろうとベッドに体を投げ出した。
微かに残った、自分のものとは違う匂い。
何となく、横島が身近に居るような気がして、あの楽しかった四年前に戻ったような感じがした。
懐かしさが胸に込み上げるが、タマモの瞳は涙で滲んでいた。
失われた日々を思うと悲しかった。
確かにそれもある。
だがそれ以上に彼女は悔しかった。
日常に潜んでいた筈の異変に気付けず、流されるままに全てを失ってしまった自分の不甲斐無さが許せなかった。
だがどれほど強く願おうと、横島が口を開かない限り、彼女が真実に辿り着く事は永遠に無いだろう。
礼拝所の長椅子に寝転がり、横島がぼんやりと高い天井を眺めていた。
電気が消された礼拝所は薄暗く、物音一つ無い空間はどことなく厳粛な雰囲気が漂っている。
よく耳を澄ませてみれば、遠くで虫が鳴いているようだが、それ以外は静かなものだった。
空調が無いため少し蒸し暑い。
本当に、さっきは何をしていたのだろうか。
反射的にと言っても良かったが、それくらい自分の女癖もいよいよ酷い所まで来てるな、と横島は思う。
家族と言っても良いくらいの、何よりも大切だった仲間を一晩の慰みものにしようとするなど、普通では無い。
四年前の出来事が脳裏をよぎり、背筋に寒気が走った。
――――タダオ、女遊びも良いが、それで満たされるのは体だけだぞ。
ラルフの言葉が身に沁みる。
あの時は馬鹿言うなと笑い飛ばせたが、今でも同じ事が言えるかと聞かれれば、NOだ。
四年前の事は自分の中では消化出来ていると思っていたのだが、それも自信が無くなってきた。
アメリカに渡って、覚えたのが女だけとは思いたくも無いが……
ため息をつきながら、ふと視線を下ろして見ると、十字架にはりつけにされたキリストの姿が目に入った。
「生きていくのは辛くて苦しい……か。
全く、楽しく暮らせればそれでいいんだけどなあ……」
独り愚痴を零すと、目を閉じる。
すぐに静かな寝息に変わり、横島の意識は深く深く沈んでいく。
こうして、帰国一日目の夜は虫の音色とともに静かにふけていった。