インデックスに戻る(フレーム有り無し

▽レス始

「連作・二年後 『老いた獣』(GS)」

迷彩海月 (2006-01-22 12:43/2006-03-03 16:32)
BACK< >NEXT

 青く、高い空でカモメが鳴いている。

 岸壁にちゃぽちゃぽと静かに波が当たる音が聞こえ、あたりには潮の香りが漂っている。

 唐突に、ボー、と汽笛の音があたりに響いた。


 様々な国からの船が集う、ここは港である。

 たった今新しい船の着いた港は、貨物や人であふれていた。


 貨物をおろす船員。

 おろされた貨物を運んでいく倉庫の職員。

 この船に便乗してやってきたであろう船客。

 
「ふむふむ……匂うな。さて、あの小娘がどうなったか。いい女になっているといいのう……」
 そんなことをつぶやいた老人もまた、そんな船客の一人であった。
 黒い人民服と人民帽。目は帽子に隠れて見えない。小柄なその老人は、あごの下に見事な白髭を蓄えている。左手は腰の後ろに回し、髭を右手でなでつけながら、宙をくんくんと嗅いでいる。

「おい、爺さん。早く先行ってくれよ。後が支えてんだろ」
 船と陸をつなぐタラップの上で妙なことをやり始めた老人に、すぐ後ろを歩いていた若者がいらいらして肩をつかむ。


「黙れよ、小僧」

 瞬間、人民帽の下から老人とは思えぬ眼光が現れる。

「待ち望んだ大きな獲物で興奮しておるのだ。邪魔をすると食らうてしまうぞ」

 否、それは人の目ですらない。虹彩の縦に裂けた金の目は、獰猛な肉食獣のそれだ。


「ひ」
 悲鳴さえ飲み込んだ若者から、何かに気づいたように老人はスッと人民帽を下げて視線を隠す。


「いや、すまんすまん」
 一転してやさしげな口調になると、老人は腰をぬかし座り込んだ若者の肩をぽんとたたく。

「どうも、腹が減ると気が立っていかんな。こんな歳になったというに、わしもこらえ性のない」
 かかか、と空を仰いで笑う。若者は相変わらず呆然としたままだ。

「この国では良いことがたくさん起こりそうじゃ。お主も楽しむが良いだろうさ」
 そういって、老人は歩いていく。


 その若者は、そのまま乗ってきた船から下りることはなかった。

 あんな化け物のいる国にいられるか、と船員に青い顔をして語ったと言う……


−1−


――あぁ、なんと美しい……


ちがう……


――そなたにあえて、私は幸せだよ……


ちがう……


――王が倒れたぞ、これはいったい……


ちがう……


――王に仇なした妖怪を殺せ……


ちがう……!


「……!!」
 押し殺した叫びを上げて、タマモは目を覚ました。

 ここは美神除霊事務所の屋根裏、タマモとシロの部屋である。明かりはなく、暗闇の中にはタマモが息を整える音の他、隣りで立てるシロの微かな寝息だけが聞こえた。
 息が整ってきたのを感じて、タマモは身を起こした。時計を見れば時刻はまだ午前二時半、日が昇る気配さえない。冬の夜の冷たさが肌を突き刺し、代わりに火照りを沈めてくれた。

 そのまま、少しだけ部屋を見つめていた。この部屋に住むようになって、二年の月日が流れた。今でもシロとの間には喧嘩は絶えないけれど、すっかりここは二人の部屋だった。


「んー……どうかしたでござるか?」

 急に聞こえてきた声にびくりとする。見れば、シロが横になったまま寝ぼけ眼でこちらを見つめていた。

「なんでもないわ。いいから寝てなさい」

 わかったでござる、と言う返事さえも最後まで言わずにシロは再び寝入っていった。
 タマモはほっとすると同時に少し苦笑した。おびえる必要なんてなかったのに、と。

 それから、今度こそシロを起こさないように注意しながら掛け布をめくり、体をずらして座ったまま、横に置いてあるスリッパに足を入れた。夜気に呑まれたスリッパは冷えて、毛の一本の感触さえ寒々しかった。
 立ちあがり、シロの寝顔を眺めながら部屋を横切る。階段を、やはり少々の気を使いながら降りて行く。

 シロに聞こえないよう最後まで気を張って、閉めた扉の前で少しだけ息をついた。独り、暗い廊下を歩いていく。美神もおキヌも、人工幽霊壱号でさえ眠っているであろう。


 キッチンの扉を開き、タマモはいつもの食卓ではなく流しまで歩く。キッチンには、小さな明り取りの窓から月明かりが零れていた。
 流しの横にあったかごの中のコップを手に取り、蛇口から水を汲む。
 コップいっぱいに汲まれた水を一口だけなめるように飲んで、コップを置いた。しばらくコップの中の水が揺れるのを眺める。それが収まったころ、磨かれたステンレスの台におぼろげな月明かりで自分の姿が映っているのに気づいた。

 磨かれてはいてもステンレスの台はやはり鏡ではなく、タマモの姿を歪んで映している。歪んだ像を何思うところもなくぼんやりと眺めていると、先ほどまで見ていた夢のことがふと思い出された。


 あの夢を見始めたのはいつのことだったか。


 夢は様々な時、様々な場所を映した。

 あるとき、彼女は殷の時代の中国にいた。あるとき、彼女は古代のインドにいた。あるとき、彼女は平安の日本にいた。

 普通の狐だった。二股の尾を持つ狐だった。美女だった。皇后だった。賢女だった。


 夢は、九尾の狐の記憶であった。


 金毛白面九尾の妖狐。
 伝説においては傾国の妖怪とされ、時の権力者に取り入り、その寵愛を受ける。権力者を狂わせ国を傾かせ、あるいは憑いた者を邪気で殺すという。
 しかし、昨今に於いては利口な妖狐が権力者に取り入り、自分の身を守ろうとしただけだという研究結果もでていた。


 その研究結果の是非は夢で知った。正しかったのだ。
 いつの時代の彼女も皆ただ権力者に取り入り、己を庇護してもらおうとした。成功させた彼女は安住の地を得て、逆に相手を病や敵から守りさえした。

 幸せだった。


 なのに、どの時代でも彼女は最後には人に追われた。

 悪女といわれ。

 傾国の魔物とののしられ。

 弓矢を射掛けられ。


 終には殺された。


 胸に湧く苦々しさを感じてコップを手に取ったタマモは、今度は中の水全てを飲み干した。水は良く冷えていて、胸のつかえを洗い流してくれそうだった。
 ふ、と息を吐いて、コップを流しにあった洗い桶に置く。洗い桶に水を張りながら、タマモはまた思考に埋没していった。


 私は九尾の狐だ。


 でも、と思う。


 私は、金毛白面九尾の妖狐と呼ばれた妖怪じゃない。


 別のものなのだ、とそう思った。

 妖狐である自分は、金毛白面九尾の妖狐、あるいは玉藻前の転生だ。だがその記憶は持たず、別の妖怪でもある。


 そのはずだった。


 ここ一ヶ月ほど、よく夢を見る。先ほども思い出していたそれは、間違いなく金毛白面九尾の妖狐の記憶であった。

 夢は、毎日少しずつ鮮明さを増していた。


 ふと気づくと、洗い桶からはすでに水があふれていた。蛇口を閉めると、水面はゆっくりと収まって、やがて水鏡へと姿をかえた。
 水鏡は、ステンレスよりも上等にカガミとしての役割を果たし、今のタマモの姿を映し出した。


 水鏡には美しい、といえる姿が映っている。

 まだ未発達だ。それははっきりとわかる。だが、今もそれで完成しているのだ。


 月の輝きを受けて、九つに分かれた髪房が黄金の輝きを燈している。

 切れ長の目は月の輝きを閉じ込めたよう。


 月明かりに浮かび上がるタマモの姿は幻想的であった。


 いや、そうではない。


 小さな明り取りからもれた月明かりが、こんなにはっきりと姿を照らすわけがない。


 明かりは、タマモ自身から溢れ出していた……


 かつて、平安の都は鳥羽上皇の御所に、化粧前という名の美しい女が現れた。

 内典、外典、仏法、世法。
 女に知らぬことなく。
 女に出来ぬことなく。

 和歌を歌えば賞嘆され。
 管弦を奏でれば感嘆させ。

 見目常に美しく。
 香もつけずに良い香りを発していたという。

 たちまち、女は上皇に気に入られた。

 ある日、清涼殿での詩歌管弦の遊びの折も、化粧前は上皇の近くに控えていた。
 上皇は簾の内に化粧前をつれて座る。折しも強い風が吹き、屋敷中の灯火が吹き消されあたりは真っ暗になってしまう。

 すると、どうだろう。

 化粧前の体から光あふれ、朝日のように屋敷を照らすではないか。

 鳥羽上皇は化粧前を、仏や菩薩の化身に違いないと仰せられたと言う。


 この出来事の後、化粧前は名を変え、鳥羽上皇の側女となる。


 側女となった彼女の名は、まるで玉が輝くような光を放ったことからとって玉藻前と言う。


 タマモは、手のひらを目の前に持ち上げてみた。

 それは朝日の様だと言われた玉藻前の輝きには及ばず、窓の外に浮かぶ月のようにぼんやりとした輝きだ。


 だが、それは確かに輝いている。


 タマモは恐れを感じていた。

 夢を見るようになってからじわじわと増してきた恐れだ。


 私は夢を見る――あれは意味ない夢なのか。私の記憶に取って代わる誰かの記憶ではないのか。

 私は成長している――成長して、私は何になるのか。

 私は強い妖怪だ、私は九尾の狐だ――かつて金毛白面九尾の妖狐は、恐ろしく強い妖怪だった。


 私はタマモ――私は、何?


 その問いに、タマモはすでに答えを出していた。


 トントントントンと小気味良い音が響いている。

 それは、おキヌが朝餉の支度をする音だ。まな板と包丁は、この時間極上の楽器と化している。
 そんな朝のいつもの音と、食欲を誘う炊き立てのご飯の香り漂うキッチン。


「おはよう、おキヌちゃん。今朝もご苦労様」
 扉を入ってきた美神は、室内に漂うご飯と味噌汁の香りに頬を緩めた。

「あ、おはようございます。美神さん。もうすぐ出来ますから、ちょっと待っていてくださいね」
 いったん手を止めて振り向いて朝のあいさつをするおキヌ。
 美神は食卓に着きながらは〜い、と返事をする。


 そのまましばらくおキヌを眺めていた美神だが、不意にポツリ、と言葉を漏らす。

「おキヌちゃん、ホントいいお嫁さんになれるわね」

「え、あ、う、その? み、美神さん!?」
 瞬間、ぼっとうなじまで赤く染めるおキヌ。味見のための小皿とお玉を持ったまま、胸の前で二つのこぶしを合わせてぶんぶんと意味もなく振る。
「そんな、お嫁さんだなんて……まだ早いです」
 とうつむいて言う。

「別に今すぐって訳でもないでしょ。ま、横島クンにはおキヌちゃん一人ぐらい簡単に養える給料は上げてるけどね。おキヌちゃんを幸せにするにはまだまだだから、もっと鍛えてやらないと」
 いたずらっぽく話しかける美神。おキヌは横島の名を聞いて、さらに真っ赤になった。美神からも伏せたおキヌの顔はわからずとも、耳の赤さでそれがはっきりと覗えた。
 ほんの一瞬、美神が寂しそうな顔を浮かべたが、おキヌがそれに気づくことはなかった。


 おキヌと横島が付き合いだしてから、まだ一月もたっていない。
 帰りの電車で、とりあえず美神には二人の関係はないしょにしておこうと決めた二人ではあったのだが……


 二人きりの温泉旅行から帰ってきたあの日、速攻でばれた。

 よくもおキヌちゃんを傷物にしたな、と怒り狂う美神がおキヌの必死の嘆願で止まった時、すでに横島は赤いボロ雑巾の如しであった。
 それからなにやらボロボロで帰ってきたシロと、対照的にいい笑顔をして帰ってきたタマモも交えて一晩かけてすったもんだがあったのだが、そこはご想像に任せよう。

 最後には美神も二人の交際を認め、晴れて横島とおキヌというカップルが出来上がったという結果だけをお伝えしておく。


「あ、おキヌちゃん! 味噌汁味噌汁!」
 見れば、鍋はぐつぐつといっている。
「え、きゃぁっ!」
 おキヌは、美神の声に正気に戻るとコンロの火をあわてて止めた。

「あーあ……失敗しちゃった」
 がっくり、と肩を落とすおキヌ。

「もう、美神さんのせいですよ」

「ごめんねー、おキヌちゃん。ま、たまには失敗したのでもいいでしょ」
 怒った様子で抗議するおキヌに、ちょっとだけ苦笑して美神は答えた。

「それに、新婚家庭には失敗した料理も付き物よ」
「美神さんたら」
 全く悪びれる様子なく再びからかいの言葉を口にする美神に、おキヌはしょーがないなぁ、と呆れ気味だ。
 もっとも、やはりおキヌの顔はほんのりと赤く染まっていたりするのであったが。まだまだそういうからかいには慣れないおキヌであった。


「おはようでござる! 美神どの、おキヌどの!」

 ちょうど朝食の支度が終わったころ扉を開けたのはシロだ。元気よく手を上げ、満面の笑みであいさつをする。
「おはよう、シロ」
 美神は座ったまま、微笑んであいさつを返す。

「おはよう、シロちゃん。タマモちゃんは起きてる?」
 おキヌは洗った手をエプロンで拭きながら訊ねた。
「いや、もう寝床にはいなかったでござるよ」
「そう。それじゃ顔でも洗いに行ってるのかな……んー、どうしようかな」

 タマモを呼びに行こうか迷う様子のおキヌに、シロが声をかけた。
「呼びに行かずとも、そのうち来るでござろう」
「でも、もう出来上がったから」
 やっぱり呼んでくるわね、と扉を開けて出て行こうする。


 だが、扉はキィ、とおキヌの目の前で開いた。
「おはよう……」
 少々景気の悪い声で朝のあいさつをしたのは件のタマモである。ドアが開いた瞬間、何かいい香りが漂ってきた。シャワーでも浴びていたのかもしれない。


「おはよう、タマモちゃん。今、ちょうど呼びに行こうかと……」
 そこまで言っておキヌは言葉をいったん切った。
「大丈夫? 顔色悪いわよ?」
 心配そうに問いかける。

「大丈夫よ。ちょっと、寝不足なだけ。シャワーを浴びたから頭もすっきりしたしね」
 片手で扉のとってをつかんでたったまま、そっぽを向いて、でも安心させるように話すタマモ。しかし、そういうタマモはとてもすっきりしたようには見えない。

「そう、それならいいんだけど……最近ちょっと気になってたんだけど、もしかしてあんまり眠れないの?
 もし、本当に体調が悪いようなら今日は仕事休ませてもらったら?」
 おキヌはまだ心配そうだ。振り返って美神に視線を合わせる。途中で視線のあったシロは、ほっとけばいいのでござる、とでも言いたそうだ。


「そうねぇ。今日は特に大きな仕事があるわけじゃないし、その様子じゃ休んだほうがいいかもね」
 軽く思案して、美神はタマモに笑いかけた。

「そう。美神がそういうなら、そうするわ」
 なぜか、美神の言葉に答えるタマモの表情は少し硬い。


「ねぇ、タマモ? 私、あなたに何かしたかしら? 今日は特にだけど、最近ちょっと私に対する態度だけおかしい気がするわ」
 美神はいぶかしむように問いかけた。そういいながらも特に思い当たることはないのだろう。

「何もないわよ」
 そう答えるタマモの声はやはり頑なだ。


「そういえば、最近は美神どのを呼び捨てにしているでござるなぁ」
 おキヌの後ろに立っていたシロが、ふと気づいたように声をあげる。

 その言葉にタマモは一層身を硬くした。
「ほんとに、なんでもないの。ただ……」
 私は、と口の中で続けてタマモは顔を伏せた。


「ごめんなさい、おキヌちゃん。やっぱり体調が悪いみたいだから、今日は朝食はいらないわ。部屋に戻って休むことにする」
 唐突に早口でまくし立てると、タマモは今開けてきたばかりのドアから出て行く。

「え、ちょっと、タマモちゃん?」
 おキヌの呼びかけを全て聞く間もなく、扉はバタン、と閉ざされた。
 おキヌと美神はそれを呆然と見送り、シロだけは閉ざされた扉を見つめながら何か考え事をしていた……


 部屋に戻って、タマモはベッドに腰掛けた。そのままうなだれる。憔悴しきった様子なのに、その仕草にさえ色気が付きまとう。

「バカね、私……」

 一人つぶやいてみた。

「意味なんかないのに……」

 つぶやくほど心は沈んでいく。

 タマモは一人、膝を抱えて顔を伏せた。


−2−


 シロは朝食の後、部屋にタマモの様子を見に行った。一応おんなじ部屋で暮らしてきた仲だ。気に食わない相手であることには変わりないが、全く気に留めないでいられるほどシロは不義理ではなかった。


「タマモ、大丈夫でござるか?」
 ベッドに横になっているタマモに、シロは問いかけた。

「そんなに心配することじゃないわ、本当にたいしたことないんだから」
 こちらには顔を向けずに話すタマモに、シロは少しだけ不安を増すが笑顔で話し続けた。
「おキヌどのが握り飯を作ってくれたでござる。ここに置いておくから、腹が減ったら食べるといいでござるよ」
 ありがと、と答えるタマモの声を聞きながら、シロはお握りとポットに入ったお茶の載ったお盆を部屋の隅の机に置いた。


「なぁ、タマモ」
 タマモのベッドに近寄りながらシロは声をかけた。

「なによ」
 やはりタマモは振り向かずに答える。


 シロはそのまま手前にある自分のベッドに腰掛け、自分もまた背中越しに話しかけ始めた。

「なにがあった」


「なにも……ないわ」


「そんなことはなかろう。最近のタマモはどこか違和感があったし、美神どのに対する態度は明らかに前と違っていたでござるよ」
 タマモからの答えはなかったが、シロはそのまま話を続ける。
「拙者やおキヌどの。それに先生への態度はそんなに変わっていないのに、美神どのに対してはまるで突き放すような態度だったでござる」
 相変わらずタマモからの返事はない。しかし、身じろぎしているようで布のこすれる音が聞こえていた。

「それに、最近は妙に色っぽいような……」
 タマモの沈黙が深くなる。


「まさか、タマモおまえ」

 背後でタマモが息を呑んでいるのがわかった。シロも、決定的なことを言うのを恐れるように少しだけ息を呑む。


「美神どのに、惚れたのでござるか!?」
「え?」


 シロは右手の指を立て、自信満々に語る。
「だって、そうとしか考えられないでござろう?」

「美神どのを意識したから突き放すような態度をとったのでござろう」

「恋をした乙女は綺麗になると決まっているのでござる」

「朝食をとらなかったのも、ほれ、飯がのどを通らないほどの恋、というではないか」

「以前の拙者には女性同士の恋愛など考えられなかったでござるが、最近漫画で読んだでござるよ」
 そこまで言い切って、シロは腕を組んでうんうんとうなずいている。自分も人の恋に気づくことが出来るほど成長したでござるか、といった風情だ。

「しかし、まさか美神どのに恋するとは……まぁ、拙者も以前おまえに恋を応援された身。道ならぬ恋なれど、今度は拙者がおまえの恋を応援するでござるよ」
 と、シロはベッドに腰掛けたまま上半身を軽くひねってタマモのほうをむくといい笑顔で笑いかける。


 視線の先では、横になったままタマモがプルプルと震えていた。察しの良すぎるのも困ったものだ、タマモがあんなに感動するとはなぁと、シロは満足げだ。


「あ」

「ん?」


「あほかぁー!」


 がばっとベッドから身を起こし振り向いて、タマモは渾身の叫びを上げた。


「誰が、美神に、恋したって言うのよ! このバカ犬!」
 一つ一つの言葉に力を込めながら言うタマモ。顔は真っ赤で、必死に否定する。
「ち、違うのでござるか?」
 シロは少々気圧されていた。

「当たり前でしょ! 呆れて声もでなかったわ……」

「しかし、それでは……はっ!」
 また思案気な顔つきになるシロは、何か思いついたようにはっとする。


「では、横島先生に恋を!? ダメでござる! 先生にはおキヌどのが……拙者だってあきらめたのでござるよ」
 諭すように告げるシロ。

「それも、違う……と、言うか恋から離れなさい。それに、そっちの推論じゃ美神のことなんか関係ないじゃない」
 疲れてきたのか、呆れたようにタマモは話した。それもそうでござるな、とシロも納得した様子だ。


「では、本当はどうしたのでござるか?」

 本当に不思議そうに邪気なく問いかける。

 タマモは苦笑した。なんだか、意地を張っていた自分がバカみたいではないか。すっかり肩から力が抜けてしまっていた。絶対にシロが意図したものではないけれど、意図してやったならたいしたものだ、と。


「そうね、うん。あんたになら話してもいいかもね」
 だってバカだし、と口の中でつぶやいて、タマモはまた笑った。

「話してくれる気になったのはうれしいでござるが、なにやら釈然としないでござるな」
 シロは少し不満げだ。

 二人は、改めて二つのベッドの間を挟んで、向かい合って座った。


「私……最近夢を見るのよ」

「夢、でござるか?」

「そう、夢よ。でも、ただの夢じゃない」

 そうして、ポツリ、ポツリとタマモは語っていく。


 毎晩見る夢、それがだんだんはっきりとしていくこと。
 それは前世の九尾の妖狐、金毛白面九尾の妖狐の記憶であるということ。

 暗闇で体が輝くこと。
 それは前世の九尾の妖狐、金毛白面九尾の妖狐の特徴であるということ。


「私、もしかしたら戻るのかもしれない」

「戻る?」

「かつて、金毛白面九尾の妖狐と呼ばれていた私に。玉藻前に」

 力ない笑みを浮かべ、視線をシロから天井に移してタマモは続ける。


「転生ってそういうものなのよ、きっと。今の私はつなぎ。やがてタマモである私は消えて、本来の金毛白面九尾の妖狐が蘇るんだわ」

 その声には諦めが多く混じっていた。

「そんな馬鹿なことが……!」
「起こるのよ」
 シロは憤慨して否定しようとしたが、それを天井から向き直ったタマモが一蹴した。


「最近、私に色気が出てきたって話はしたでしょ。これもね、きっと準備よ」

「そうね、シロがさっき言ってた話もあながち間違いじゃないかもね」

「ただ、逆なだけ」

「私が美神に恋するんじゃなく、私に美神を恋させようとしているのよ、私の性が」

「美神は、権力者ではないにしろかなりの力を持った人よ」

「だから、金毛白面九尾としての私が美神の傍で安寧を得ることを欲している」


「でも」
 タマモは膝の上に置かれたこぶしに力を込めた。


「誰かの意思で動くなんて、そんなのごめんよ」

「私はタマモよ。私は九尾の狐で、金毛白面九尾の妖狐の転生だけど、前のままの私じゃない」

「私は、誰にも媚びたくない!」

「私は、誰にも裏切られたくない!」

「私は、私として、タマモとして生きたい……!」


 それらはタマモのうちに閉じ込めていた叫びだった。
 夢を見始めたころからふつふつと溜め込み、抗ってきた証だった。

「だから私は、美神にも媚びないわ」


「それで、美神どのを避けてみたり、ぶっきらぼうに呼び捨てにしたりしていたのでござるか?」
 シロはうんうん、とうなずくと、
「単純でござるなぁ」
 とつぶやいた。


「そうね、単純かもしれない」
 シロにそういわれたのがちょっとショックだったのか、タマモは苦笑いだ。

「でも、それが私に出来る精一杯だったのよ」


「無駄だったみたいだけどね……夢はどんどん鮮明になっていくし、昨日の夜から体が輝きだしたもの」

 そう言って、タマモは話を終えた。シロに向けるのは笑顔だが、力ないそれはあきらめの笑顔である。


 その笑顔だけは許せない。


「何をあきらめているでござるか、女狐!」
 シロが発憤した。立ち上がり、こぶしを振りかざしてタマモに活を入れようとする。

「拙者の知るおまえは、こんなことであきらめるような根性無しではないでござる!」

「ここであきらめたりしたら、それこそおまえはタマモではなくなってしまうでござるよ!」

 ぜぇぜぇと息をつきながらシロは言い切った。タマモはそんなシロをぼう、と見つめている。


 シロは、もともと座っていた自分のベッドではなく、タマモの隣に座り語り続ける。


「タマモ、拙者はおまえを友だと思っているでござる」


 それは、かつては他人の前ですらいうことは出来なかった言葉だ。でも、今なら面と向かっていえる。
 シロが成長し、二人の間に積み重なったものも増えた。だからこそ、今シロは友を励ませる。

 目を見開いて驚くタマモを抱き寄せる。

「拙者だけではござらん。先生もおキヌどのも、美神どのだってタマモのことは、かけがえのない仲間だと思っているはずでござる」
 だから一人で抱え込む必要はなかったのだ、とシロはタマモに囁いた。こんなときに頼ってくれないから、お前なんか大ッ嫌いなのだ、と。

 堪えていたものが溢れてきて、タマモはシロの肩に顔をこすり付けた。シロはぽんぽん、と赤子をあやすようにタマモの背を叩いてやった。


 二人はそうしてしばらく抱き合っていた。ぬくもりが心を暖めるまで……


「初めまして、美神美智恵殿。お会い出来て光栄じゃ」
「初めまして、白虎翁。こちらこそ、お会い出来て光栄ですわ」

 オカルトGメン日本支部、その応接室で二人は会っていた。

 ソファに座る一人は、現場でオカルトGメン日本支部を率いる最高責任者にして、世界最高のGSと言われる美神令子の母、美神美智恵。
 その向かいに座るもう一人は、日本についたばかりだと言う黒い人民服の老人である。

 あいさつは穏やかであったが、二人の間に流れる空気は張り詰めている。

「それで、今回は如何様な用件で日本へ?」
 緊張した様子で話す美智恵は、しかし完璧な笑顔で話しかけた。


「こちらで動く了解を得に来たのだ。それを話すのはやぶさかではないが……後ろの小僧、物騒なものから手を離さんか」
 振り向いて、ソファの後ろに立つ男に声をかける。


 老人の後ろに立っていたのは西条輝彦だ。
 西条は、すぐにでも鞘から解き放てるよう霊剣ジャスティスに手を添えている。

「西条クン。白虎翁は敵ではないわ。剣から手を放しなさい」
「しかし、先生……」
 不満はあるようだが、意見を翻す気のない様子の美智恵に従い、西条はしぶしぶ手を放した。西条は、それでも白虎と呼ばれた老人からは視線をはずさない。


「かかか……威勢のいいのがおるようじゃな、美神殿」
「えぇ、まぁ。無礼をお許しください、白虎翁」
 頭をたれる美智恵に、よいよい、と笑む白虎。
「わしについて何を聞いておるかは知らんが……まぁ、そのとおりの身の上だからな、わしは」
 白虎は右手で髭をなでつけながら美智恵の顔を窺うように言う。

「大陸のGS白虎と言えば、かなりの有名人ですから。それで、今回はどうして日本へ」
 それを流して、再度の質問をぶつける美智恵はさすがと言えよう。


「やれ、そんなに有名になった覚えはないがの」
 軽くため息をついて、白虎は後を続けた。
「わしの仕事は知っておろう。国に手配された妖怪、魔物、悪霊怨霊その他の処理じゃ」
 そこで、いったん言葉を切る。


「今回は、ちょいと大物を探していてな」


「大物、ですか? しかし、そもそもあなたが処理するのは自国内に限定されているはずでしょう」
 だから、おかしい。いるはずのない男が、いるはずのない敵を探している。
「普通はそうなのじゃがなぁ……」


「わしの担当でな、一匹だけおるのじゃよ。国外に逃げて、いまだ捕らえられておらぬ妖怪が」
 白虎の雰囲気が変わった。穏やかな老人のものから、獰猛な獣のものへと。


「それは……」
 美智恵は、背筋に氷を差し込まれたような感触を味わう。


「九尾狐。そう、我国を二度にわたり破滅せしめんとした金毛白面九尾の妖狐じゃ」


 告げられた名は、美智恵の良く知る少女を指し示していた。白虎の後ろで、西条もまた息を呑む。


「九尾の狐は、殺生石より蘇った後、すぐに日本国の依頼により民間GSが退治したと連絡が行っているはずですが」
 あせるな、隙を見せるな。そう自分に言い聞かせ美智恵はなんでもないように対応する。


「そうじゃな、確かに遠征に出ていたわしが最近になって帰ってきたらそういう話を聞かされた」
 だが、と言葉には続きがある。
「あまりにもでかい獲物。簡単に退治されたのが信じられんかったのでな、これで占って見たのよ」

 懐より出され、手のひらに乗せられたそれは多角形の板に文字が幾つも描かれたものだ。

「遁甲板、ですわね」

「さよう。わしは、術など何も使えんが奇門遁甲だけは収めておってな」

 ふ、と白虎が力を込めると、遁甲板が浮き上がり、ゆっくりと回転を始める。

「それによると、だ」

 やがて遁甲板は回転を止めた。しばしそれを読み取って、白虎はゆっくりと美智恵に視線を合わせた。

「まだ九尾狐は生きている。しかもこのすぐ近くにとあるがいかに?」


 美智恵はしばらく黙っていた。やがて、ふぅ、と息をつくと
「西条クン。ちょっと、席をはずしてもらえる?」
「先生?」
 突然の願いにいぶかしむ西条。

「いいから。お願い」
「……わかりました」
 しかし再度の要請に得心の言った表情になり、すぐにそれを隠すとちらりと白虎を見て退出していった。


「どういう風の吹き回しじゃ? わしのことを信頼したというわけでもあるまいに」
 美智恵は微笑んでその問いを流す。食えん女じゃ、と白虎もまた笑みで答えた。


「えぇ。生きていますわ」
 それはなんでもないことのように美智恵の口から告げられた。直前の白虎の問いは無視して、しかしより重要な答えを。


「国の上層部は騙せても、おそらくあなたは騙せませんから正直にお話いたします。九尾の狐は生きています。
 ですが、我々の研究結果によれば、九尾の狐が傾国の魔物であると言うのは間違った……」
「あぁ、よいよい。生きているのさえわかればそれで十分じゃ」
 白虎は美智恵の説明を途中で切った。

「しかし!」
「いや、あわてずとも良い。九尾狐がそのような妖怪でないことはわしが一番わかっておるわい。
 国に報告などせんよ」

 落ち着いた口調で話しかける白虎に、ほうと美智恵は息をはいた。
 だが、そこに続く白虎の言葉は再び美智恵に緊張を蘇らせる。


「わしが九尾狐を探す目的はもとより一つじゃからな」


「食らう。それだけじゃ」


 美智恵は必死に嫌悪の表情を隠した。


「なに、そういやそうな顔をするな。書物に書かれていたことが本当かどうか試すだけよ」
 と、笑う。

 美智恵の知識はそれについても収めていた。


 地理書山海経の一書である南山経次一経に「有獣焉、其状如狐而九尾、其音如嬰児、能食人。食者不蠱。」とある。
 これは近くの山に存在する九尾狐について語ったものだ。人を食い、赤子の声で鳴き、狐のような九本の尾を持った獣。
 問題は、最後の一文。これを訳すと、「これを食べたものは邪気にあたらない」となる。

 邪気にあたらない、とは邪気をはらう力を持つ、と言うことだ……つまり、霊力が上がるのである。

 九尾の狐の所業のことを言うに及ばず、伝説とは歪んでいるものだ。
 だが、これが全くのでたらめであると言い切れないのも確かだ。

 高位の霊獣、神獣の類には、確かにそのような効果があることがしばしあるからだ。
 例を言うならば万病を治すユニコーンの角がそれにあたろう。


 思い出しながら美智恵は考える。それに、白虎ならば書物の通りの効果がないとしても……


「それで、そろそろ探しに行こうかと思ったのじゃが、どうじゃろう?」
 右手で髭をなでつけ、白虎が美智恵に語りかけた。


「準備は、出来たかな? 匿っておる狐は逃げたか?」


「やはり狩りは楽しまなくてはならんからな。逃げる獲物を追うのが最もよい」
 かかか、と笑う。


 やはり、と美智恵は口の中で呟きをかみ殺した。白虎は知っている。知っていてわざわざ見逃がしたのだ。


「国の要請はないがの。非公式でも怪異を払うのに文句はあるまい」
 この翁は止まらないと美智恵は感じた。オカルトGメンという背負うもののある美智恵には直接どうこうする事など出来ない。


「ここを訪れたのはいわば宣戦布告」
 目深にかぶっていた黒い人民帽の下から獣の目が覗く。


「では、これよりは狩りの時間だ」
 にやりと、笑みを見せる白虎。歯をむき出しにした獣の笑み。その口からは老人にふさわしくない、長く、鋭い犬歯が覗いていた。


 老人、白虎がオカルトGメンを訪ねたころ、となりにある美神除霊事務所ではフルメンバーが事務所に集まっていた。


「なるほど、そーいうことだったわけ、か」
 事務所のデスクに座った美神が、その前に立つシロとタマモから事情を聞いて発した言葉は納得のそれだった。


「まぁ、何とかなるだろ。そう気を落とすなって」
 軽い声をかけたのは、事務所にやって来ていた横島だ。

「ううぅぅ……タマモちゃん、そんなに悩んでいたのね」
 対照的に涙声で話しかけたのはおキヌである。タマモの悩みに精一杯シンクロしたらしい。
 横に立つ横島が、ほら、と差し出したハンカチで、涙を拭ってさらにち゛ーんっと鼻をかんでいる。


「さて、それじゃどうするか、だけど。何か案はある?」
 おキヌが落ち着いたのを見計らって、美神は全員に声をかけた。


「とりあえず文珠を使ってどうにかする、とかは出来ませんかね」
 最初に意見を出したのは横島だ。

「ずいぶん曖昧な案ね。どうにか出来そうなの?」
「そりゃー……九尾封印、とか?」
 答える横島には自信がなさそうだ。
「タマモまで封印する気? それとも横島クンの技量で玉藻前だけを封印できるの? 出来ないわよね? はい、却下」
 美神は横島の意見を一蹴した。

 文珠は万能の珠であるだから、何とかできるのではないかと期待して色々考えたが、なかなかいい案が思い浮かばない。
 他にも前世封印、前世分離など意見は色々と出たが、タマモと同一存在であろう玉藻前のみをどうにか出来そうな案は出てこなかった。


「拙者に、一つだけ心当たりがあるでござるよ」
 全員が文珠の使い道で頭を悩ませている中、シロが何か思いついたようではい、と勢いよく手を上げた。


 全員の注目が集まったのを見計らってシロは胸を反らして発言した。
「天狗どのでござる」


「天狗って言うと、前にタマモの薬取りに行ったときの奴か」
「そうでござる!」
 思い出しながらしゃべる横島にシロは勢い良く肯定する。

「あぁ、あの天狗なら確かにとりあえずの指針ぐらいは示してくれそうね」
 美神も肯定的なようだ。

「それじゃあ、まずは天狗様に聞きに行くって言うのでいいかな? タマモちゃん」
 おキヌが確かめるようにタマモに訊ねる。

「そうね……みんな、ごめんなさい。私のために……」
 タマモも肯定して、それからしおらしく謝る。


「やめるでござるよ。友を助けるのは当然だし……それに、女狐が大人しいと不気味でござるよ」
 完全に後半が余計だ。瞬間タマモの頭に血が上る。

「うるさい、バカ犬! 私がちょっとしおらしくしただけで、なんて言いようよ!」
「はっ! あんな半端にあきらめて自分に酔っていた奴にはちょうど良いでござる!」
「なによ! あんただって最近横島にあんまりかまって貰えなくなってしおれてたじゃないの!」

「なにをー!」
「なんだってのよ!」

 売り言葉に買い言葉。がるるる、うぅーとにらみ合いを始めるシロとタマモ。

「はい、二人ともそこまで。元気になったからってすぐ喧嘩に発展させなくてもいいじゃない」
 ちょっと苦笑しながらもぽんぽん、と手を叩いて二人を止めるおキヌであった。


 そんな様子を微笑ましそうに眺めていた美神は、表情を引き締めると話をまとめに入った。
「さて、それじゃあ早速動きましょ。今日の仕事はもうキャンセルしたから、すぐにいけるわ……タマモ、後でこの借り返しなさいよ」
 茶化して、しかし確実に本気の顔で美神はタマモに念を押す。


 出発の前、横島とおキヌは倉庫で除霊道具をそろえている。あの武芸者とまた見えるのだ。一度は勝った相手とはいえ、油断は出来ない。出来る限りの準備をする必要があった。
 美神はシロとタマモの二人とそれを待ちながら、思案気な表情でつぶやいた。
「これでとりあえず動けるはずなんだけど……なんか、いやな予感がするのよね」


 りりりりり、と電話が鳴ったのはそんなときであった。

 美神は受話器を手に取る。
「はい、こちら美神除霊事務所です」
「令子ちゃんか! 僕だ!」
 電話口から聞こえてきたのは慌てた西条の声である。

「西条さん? どうしたの?」
「いいか、今すぐタマモちゃんをつれて逃げるんだ!」
 要件だけ告げる西条に美神は少し混乱する。

「ちょっと待って、西条さん。一体どういうこと?」
「タマモちゃんのことがばれた。それも最悪の相手だ。日本に、大陸のGS白虎が来ている!」
 美神の血の気が引いた。

「白虎!? 本当に?」
「本当だとも。今は応接室で先生が時間を引き延ばしてくれている。だから早く!」
「って、今オカルトGメンにいるの!?」
 美神は真っ青になって西条への礼もそこそこに電話を切る。


「シロ、タマモ!今すぐ横島クンとおキヌちゃんを呼んできて!」
 そうして、自分も慌てて準備を始める。
「あー!もう!なんだって立て続けに問題が起こるのよ!」

 シロとタマモは訳がわからなくとも、急いで二人を呼びに向かった。


 こうして、美神たちの逃走劇は唐突に幕を開けたのである。


−3−


「ちょ、ちょっと美神さん! 飛ばしすぎっスよ!」
 ひえーと、前の座席のおキヌにつかまる。二人乗りのコブラで、無理やり後ろのスペースに乗っているのだから飛ばしたらこうもなる。おキヌのほうはおキヌのほうで、高速の車上だというのにダメです、横島さんなどといって頬を赤く染めている……緊張感の足りない二人である。

「狭いでござる……タマモ、もうちょっとそっちによってくれ」
「こっちだってこれで精一杯よってるわよ。シロ、あんた肉の食いすぎで太ったんじゃない?」
 シロとタマモは獣の姿でおキヌの膝の上にあるキャリーバックに収まっていた。
「せ、拙者が太ったと申すかー!そういうおまえが太ったのではないのかこの女狐!」
「私のどこに太る要素があるって言うのよ!」
 こちらはこちらで、よくもまぁこの状況、こんな短い時間で喧嘩を始められるものである。

「あんたたち! ちょっと黙りなさい!」
 美神だけは必死の形相でハンドルを右に左に切っている。そのたびに車に乗った三人と二匹の体が大きく揺らされ、横島とおキヌはいちゃいちゃが増し、シロとタマモの喧嘩はエスカレートしていく……


 美神の赤いコブラは、そのもてる力の限りを発揮して都内を爆走していた。車と車の隙間を縫うように走るその姿はカーアクション映画さながらである。


「美神さん、そんなにやばい相手なんスか?」
 ある程度離れたので少しだけスピードを落とした車上で、やっと体を安定させることが出来た横島が問いかける。

 横島たちは、美神にタマモが殺されるのから逃れた九尾の狐であることがばれたのを告げられ、とにかく逃げるわよ、と車に乗り込んでそこからは一切話しの出来る状態ではなかったのだ。

「やばいなんてもんじゃないわ。相手は、白虎。狩りという一点に関しては最高のGSといっても過言じゃないわ」
 そう言って美神は白虎というGSについての説明を始めた。


 日本の隣の大国には四人の守護者がいる。
 彼ら四人のGSは神獣になぞらえて、青龍、白虎、朱雀、玄武という名を持つ。
 このうち、青龍、朱雀、玄武については一流の力を持ってはいるがただのGSであるから問題ない。その任も都の守護であるから、一般のGSと変わらないと言ってもいい。

 だが、白虎だけは違う。守護者と名づけられながらその任は手配妖怪の処理。大陸を巡り、数多の怪異を屠ってきたという。

 この白虎については様々なうわさが流れている。

 曰く、白虎だけは何百年もの間、同じ者がその名を持っている。
 曰く、白虎から逃れられた怪異はいない。

 曰く、白虎だけは本物である。


「本物って、本物の神獣ってことですか?」
 まさかそんな、とおキヌは美神に確認する。
「まさか。ただ、そう間違えるに足る能力を相手は持っているってことよ」


「……タマモ!?」
 突如、シロの叫びが響いた。


「う、あ……うぅぅぅ……」
 見れば、タマモは目を閉じ、苦痛にかうめき声を上げていた。

「一体どうしたの?」
「わ、わからんでござる。美神どのの話を聞いているうちに急に……タマモ! おい、女狐! しっかりするでござるよ!」
 美神からの質問に短く答えると、シロはタマモをゆすりだす。

「とりあえずあまり動かさないで、シロちゃん。美神さん、どこかに止めることは出来ないんですか?」
 おキヌはバスケットの中のシロの頭をなで落ち着けさせると、今度はタマモの体をさすりながら美神に問う。シロも必死にタマモをなめ、ヒーリングする。


「あぁぁーもう! 次から次へと! なに、これは誰のせい!? 横島クン、あんた?」
 ギン、と横島を睨みつける美神……完全な八つ当たりである。どうやら何かの限度を越えてしまったようだ。

「違います! それより美神さん、前! 前を見て運転してください!」
 まだ周囲には車が走っているのだ。横島は美神の視線から逃れるためにも前を見ることを促す。


「わかってるわよ! って、わ!」
 前に向き直った美神は慌ててハンドルを切った。
 ぷぁーぱぱー……横合いから飛び出してきたトラックを慌てて回避した。トラックのほうも肝を冷やしたようで、クラクションで抗議してくる。

「うっさいわね! わかってるから黙りなさい!」
 バックミラーに映るトラックを睨みつけて悪態をつく美神。キャリーバックの中で縮こまっているタマモと、タマモを心配していて周りの状況に気づいていないシロはともかく、おキヌと横島は心底肝を冷やして言葉も出ない。


 そんな二人を気にせず、美神は話を切り出した。
「とりあえず、今私たちは当初の予定通り天狗のいる森に向かっているわ。あそこなら治療も受けられるし、少しは身を隠すのも楽だと思う。安全が確保できそうなら、頼み込んでタマモをしばらく預かってもらうって言う手もつかえるかもしれない。
 タマモのことは心配だけど、ここで降りたとしてもどうしようもないと思うの。ここは少し我慢してもらうことにしましょ」

「問題は、白虎が私たちに追いついて来たときよ」
「そりゃありえないっスよ。事務所からここまで何キロ出してきたと思ってるんです?」
 深刻な顔で告げる美神の言葉を、横島は即座に否定した。

「もちろん、逃げるつもりで飛ばしてきたんだから逃げられたら一番いいわ」
 でもね、と美神は後を続ける。
「白虎は探索と追跡のプロよ。きっと見つけられる。だから、見つかるのが早いかが問題なのよ」


「もし見つかったら……戦うしかないわね」

「そんな! 相手は同じGSなんですよね? 話し合いとか」
「無駄よ」
 おキヌの言葉を切って捨てる。

「GS同士での争いはそうおかしなものではないわ。特に今回はタマモって言うわかりやすい争点ある。こっちはタマモを譲ることなんか出来ないし、向こうも譲ることなんかしないでしょうね。
 それに、白虎っていうGSは……」


「やっと追いついたわい」


 どんっと言う音とともに、その声は聞こえてきた。

「横島クン!」
 美神の声を聞き終わる前に、横島は動き出す。


 左手に『栄光の手』を発現、形態は霊波刀に固定。

 反時計回りに体を回し、最短で振りぬく。


 ばちっと溢れた霊力が飛び散る。

「いい反応じゃ」

 栄光の手は老人の攻撃を受け止めた。


 時速80kmは優に越す速度で走る車にどうやって乗り込んだというのか、横島の目の前には黒い人民服、人民帽の老人がいる。

 栄光の手はその老人の左手に発現した霊波刀を受け止めていた。

 老人の霊波刀は横島よりも明らかに短い。

 だが、それは老人の霊力や技量が劣っているという話にはならない。

 その老人はやはり同じ長さであろう霊波刀を右の手にも発現し、車の後部トランクにそれを突き刺すことで己の体を固定していた。


「あ、あんたは……」
 横島は栄光の手に力を込めながら誰何する。

「お初にお目にかかる。わしが白虎じゃよ」
 一方の白虎は飄々とした様子で拮抗させながら答えた。


「ずいぶんなごあいさつね、白虎さん。噂はかねがね伺っているわ。あなたほどのGSが私に何の用か知らないけど、このGS美神令子に依頼がしたいって言うならきちんと事務所に来て欲しかったわね」

「かかか……威勢のいいことじゃな、お嬢さん。美神令子に直接の用はないさ。ただ、この車に乗っている九尾狐に用があるだけよ」

 美神はバックミラー越しに白虎と不適な笑みで威圧しあう。
 おキヌは白虎を睨みつけながら、シロとタマモの入ったキャリーのふたを閉め、ぎゅっと胸に抱いた。

「何のことかしら? うるさい犬の子が一匹は乗ってるけど、九尾の狐なんか乗ってないわよ」

「隠しても無駄だよ、お嬢さん。わしの遁甲板はおまえたちを指し示し、何より……」


「こんなにうまそうな匂いをさせていてはな。隠せんよ。早く食いたいのう」
 白虎は舌なめずりをした。


「うまそうって、食うって、そんな……」
 横島は絶句する。


「おまえロリコンなのかー! き、きもちわりー!」
 ギャーギャー騒ぐ横島。

「ろ、ろりこん……」
 おキヌも顔を青ざめさせ、キャリーを抱える腕に力を込めた。


「バカ! 横島!」
 美神は思わず振り返って叫んだ。


「油断大敵、じゃな」

 少々呆れた様子ではあったが、白虎は戦闘態勢を解いていない。

 力の抜けた横島の栄光の手を払い、直線の突きを放つ。

 横島も殺気に気づいて対応する。


 よけられない。


「横島さん!」
「横島クン!」

 二人の悲痛な声が響き……


【反】


 瞬間、横島がとっさに差し出した右手で文珠が発動した。

 ギンッと白虎の突き出した霊波刀が【反】される。

 必殺の勢いで突きこんだ霊波刀だ。

 その力が全て白虎に舞い戻り、


「なんと」


 白虎は後部から転げ落ちていった。


「ってうわ!思わずやっちまったー! 違う、違うんです刑事さん! 殺す気はなかったんだー!」

 走る車から突き落とされたのだ。普通、生きてはいまい。横島の頭の中では、すでに取調室でカツ丼を目の前にした自分の姿が見えているようである。


「大丈夫よ。死んではいないわ……いっそ死んでくれたほうが楽だったんだけどねー!」
 ほほほほ、と美神はやけ気味に笑った。


 バックミラーには、今まさに立ち上がる白虎の姿が映し出されていた。


「やれやれ。油断はこちらのほうじゃったか」

 軽く頭を振って意識をはっきりとさせながら白虎はつぶやいた。

「だが、面白いのう……九尾狐だけでなく、あの小僧も食らうか?」
 まずそうじゃがな、とつぶやいてにやりと笑む。


「では、そろそろ全力で行くとするか」


「な、なんだ、あれ?」
 横島は白虎の姿に異変を感じた。

 見間違いだと思ったが、車に乗って白虎から遠ざかっているにもかかわらずそれははっきりと見えた。


 小柄だったはずの老人の体躯が、どんどん膨れ上がっていく。

 顔や手の露出している部分からは白い獣毛が伸びる。

 老人であった獣は二足ではなく、四足をもって地に立った。


 白く長い体毛を持つ、まさしく名の如き白虎である。


 その体長は4mほどであろうか。

 その姿は威圧するだけでなく、どこか神々しさすら感じた。


 GS白虎。

 彼はもともと中国の奥地に生息していた妖怪であったという。
 種族は虎人。
 白虎は珍しく白い毛皮を持って生まれた虎人であった。
 その能力は他の妖怪を狩り、その霊力を己のものとすることが出来ることであるそうだ。


「み、美神さん! タイガーの親戚だったんスか、あいつ!」
 横島は焦って声をかける。

 白虎は、ビルの谷間のこの道をまるで己の縄張りであるかのように我が物顔で駆ける。
 視界のその姿はあっという間に大きくなっていく。

「バカいわないの! タイガーにあんな強い親戚がいてたまるもんですか!」
 美神はアクセルを全力で踏み込んだ。

 また白虎との距離が開いて……


 白虎の跳躍。


 ゼロになった。

 いや、白虎の体はまだ落ちてはいない。太陽をさえぎり、美神たちに暗い影を落とす。


「この!」
 美神は全力でハンドルを切った。


 車体がすべり、白虎の突撃を何とかかわす。白虎は、アスファルトをその爪で捉えるように地響き立てて降り立った。


 美神の運転するコブラは横滑りが止まらない。

「止まりなさい!」
 必死にカウンターステアを当てる美神であるが、コブラはそのまま歩道で何事かと見ていた通行人に牙を剥こうとしていた。


「横島クン!」
「はい!」


【止】


 歩道に突っ込む寸前、横島はコブラに文珠を叩き込む。

 コブラは文珠にその全ての運動エネルギーを奪われ【止】められた。

 通行人は慌てて散っていき、あたりに人影はなくなった。


「やってくれるじゃない」

 すでに車で逃げても無駄だということは重々分からされていた。

 美神たちは車から降りる。


 白虎は、先ほどまでと対照的にうなり声も上げずに静かにこちらへ歩み寄ってくる。


 おキヌはキャリーを抱いたまま車の陰に立つ。
 横島は左手に栄光の手を発現させ、白虎を睨みつける。

 美神は神通棍を取り出した。


「おキヌちゃん、トランクに入ってる青い小袋を出して頂戴。効くかは分からないけど、無いよりましよ」


 白虎に聞こえぬようおキヌに告げると、美神は神通棍を伸ばし、霊力を通す。
 強力な負荷のかかった神通棍は飴のように伸び曲がり、霊力を帯びた鞭、神通鞭へと姿を変えた。

 パシン、とサーカスの猛獣使いのように地面に向かって鞭を一振りする。


 次の瞬間、美神は左手に隠し持っていた精霊石を放り投げた。右手に意識を引き付けての一撃。


「精霊石よ!」


 さらに神通鞭で低く薙ぐ。

 不意をつかれ、白虎は吹き飛ばされた。


 まだ、止まらない。


「食らえ!」

 美神が精霊石を投げると同時に駆け出していた横島が、栄光の手で切りつける。

 反す刀で二撃、三撃。

 最後に白虎に蹴りを入れる。体重差のある白虎への蹴りは、横島の離脱のためだ。

 地面に背を向け吹き飛びながら、横島は文珠を投げた。


【爆】


 【爆】発があたりを一瞬赤く染めた。遅れて轟音が響き渡る。

 爆風に横島は吹き飛ばされ、巻き上がる粉塵に視界は閉ざされた。


「やった!」
「……まだよ!」

 横島はすでに勝利を確信するが、美神がそれを戒める。


 粉塵が収まると、そこにあったのは傷を負ってはいるものの、まだその威容をとどめて歩く白虎であった。


 そのうえ、その傷は見る見る治っていく。


「不意をつかれたわい。最後の爆発は危なかったの。まぁこの程度の傷なら、ほれこのとおりじゃ。」

 文珠が炸裂する寸前、白虎は後ろに跳んでいた。そのまま爆風に乗り、爆発から逃れたのである。


「は、反則だ!」
「そーよ! あれだけの攻撃で無傷ってどういうこと!」

 横島と美神はぶーぶーと不平をもらす。


「なに、肉体を回復するために霊力を使っておるのだ。無傷というわけではない。この分は早く補給せんとなぁ」

 白虎はそういってふたりの後ろに立つ、おキヌの方を見て舌なめずりした。


「だ、ダメだー! あれは俺のもんやー!」

 そういって、横島はおキヌにかけより後ろから抱きしめた。
「あ、あの横島さん!こんなとこじゃ! えっと、その……」

「あほ! 今がそんなことやってる場合か!」
 美神に怒鳴られ、二人そろってしゅんとした。


「その譲ちゃんじゃないわい」
 虎の姿のまま白虎はぐるるとうなる。どうやら笑ったようだ。

「そのかごの中におるようじゃの。匂いがぷんぷんしてくるわい」

 視線はおキヌの持つキャリーにあった。


 ばれた。時間の問題ではあったのだが、相手に知られた。

 キャリーの中にはまだ苦しむタマモと、それを必死に癒そうとするシロが入っていた。


 横島と美神はおキヌの再び前に立つ。おキヌはキャリーを持って後ろに下がった。


「横島クン。まだいける?」
「大丈夫っス。修行してからここまで大物と戦ったことはなかったですから、その成果を試す良いチャンスですよ」

 お互い、相手を見ずに会話する。やることなどわかっている。アイコンタクトすら必要ない。


「ほう、まだ先があるか。では見せてもらおうか!」

 駆ける白虎。

 そこにあわせるように横島が突っ込む。


「横島クン! 投げなさい!」

「何!」

 いきなり初手で先ほどの文珠を使ってきたか、と一瞬速度を緩めそうになるが、

「こけおどしか!」

 獣の反射神経が飛んでくるものを捕らえた。それは文珠と同じ大きさの小さな袋である。


 横島が先ほどおキヌにくっついたとき、さりげなく受け取っていたものである。あれも作戦だったのだ、多分……


 しかし、それはただの小袋だ。特に脅威は感じない。白虎は無視して横島をその牙に捕らえようとする。

「まだよ!」

 美神は神通鞭を振るった。パシッと音がして、しかし、白虎は止まらない。


「ふん、打ち誤ったか」

 鞭は白虎を打たなかった。


 だが


 ぼふっとあたりが白い煙で隠された。

「煙幕か!」

 美神の打ったのは先ほどの小袋である。

 白虎は一瞬横島を見失い、立ち止まった。


「しかし、このようなものでは意味はないのう。わしは鼻が利くのでな」

 煙にまぎれて襲ってこようとしているのは確実だ。白虎は匂いをかいであたりを探る。


「にゃ、にゃんだかおかしいにょ?」


「にゃんかあたまがふらふらするし、いいきもちだにゃー」


「ふっふっふっ……まさか本当に効くとは思わなかったわ」
 やがて煙が晴れて、不適に笑う美神が現れた。

「あの、美神さん? あれ、なんなんスか?」
 ふらふらと楽しそうにしてついには歌いだした白虎、体長4mの大虎を見て横島は美神に問いかけた。


「マタタビの粉末よ」

「あ、猫にマタタビって言うあれですね」
 美神の答えにおキヌが続けた。


「猫……? あれが……?」
 横島の視線の先では、白虎が地面に背中をこすり付けていた。


「ま、あの白虎にマタタビなんて代物が効くなんて本気では思ってなかったんだけど、所詮猫ねー」
 ふふーんとご機嫌だ。

 美神は神通鞭を白虎の前でクネクネさせている。
 それをにゃんにゃんいいながら捕まえようと必死になる白虎。 


 なんとなく、かわいいと、いえなくもないきがしてきた。


 横島はぶんぶんと頭を振ってそれを振り払う。


「そんで、これからどうします?」
 話しかけながら横島は栄光の手を篭手の状態で伸ばし、人差し指をぐるぐる回す。


 それを視線で追いかけていた白虎は、最後には目を回して倒れこんでしまった……


「そうねぇ……とりあえず、白虎はロープで縛ってその辺に置いときましょ。封印しちゃうわけにもいかないしね。
 それで、あとはタマモのほうなんだけど。おキヌちゃん、タマモの様子は?」

 美神の言葉を受け、横島はトランクの中からロープを取りに行き、おキヌは手に持っていたキャリーを地面に置き、ふたを開けた。

「シロちゃん? タマモちゃんの様子はどう?」


「おキヌどの! 避けるでござる!」
 中を覗き込んだおキヌを、シロが狼の姿のまま突き飛ばした。


 瞬間、キャリーバックが燃え上がり、さらにあちこちに炎が散った。


「何!?」
「わ、分からんでござる。先ほど、急にタマモが熱くなって……」


「熱い……」


 燃え尽きたキャリーバックの中から現れたのは、人の姿に戻ったタマモである。
 何事かつぶやきながら、ふらふら歩く。


「タマモ!」

 呼びかけ、シロが走りよろうとする。

「いや!」

 だが、それはタマモの拒絶の声で阻まれた。


「こないで! こないで! 誰も私を追わないで!」


「ねぇ……」
 恐る恐る、美神は声をかけた。


「あんた、タマモよね?」
 問う美神の声に、返事は返ってこない。


 パチパチとあたりに火のはぜる音が響く中、誰も声を出せなかった。

 感じてはいても、その結論を出したくないから。


「あ……」


 声は、タマモから発せられた。

 その顔には確かに喜色が浮かんでいる。

 童女のように幼い笑みは、普段のタマモのそれではなかったけれど。


 タマモは、見つけたものに駆け寄った。


 それは、倒れた白虎だった。


 タマモが白虎に駆け寄る。

 音に目を覚ましたのか、白虎がゆっくりと目を開けた。


「タマモちゃん!」
「くっ」

 おキヌの悲鳴に押されるように、横島が飛び出す。

 遅れてシロ、そして美神も駆け出す。

 しかし、間に合いはしなかった。


「……なんじゃ、おまえか」

 寝ぼけた様子でタマモを眺め、白虎はゆっくりと目を閉じた。

 タマモは、白虎の白い毛皮に身を預けすやすやと眠りだす。


 美神たちは、あっけにとられて眺めていることしか出来なかったのである。


−4−


 目を覚ましたとき、タマモはいつものタマモであった。

「お、おはよう……」

 囲んでいる美神、横島、シロの三人を見回しての一言である。


 急な激痛、発熱、そしてあのタマモとは思えぬ様子。


 しかし何か変わった所はないか、と問うて見ても、
「なんだろう? むしろ元気になったみたいな感じがするんだけど……」
 と、言う具合である。

 ちなみに、タマモはその話をしている間ずっと白虎にしがみついていた。なんか安心する、とのことである。

 とにもかくにも、どうやらタマモに問題は無くなったようで、代わりに新たな疑問ができた。


 白虎とタマモの関係は?


 そんな疑問を解消するため、白虎を縄でふん縛り、目覚めたところで事務所へしょっ引いて行ったという所で今に至る。


 美神除霊事務所のメンバー全員がそろって、椅子に縛った白虎を囲んでいた。もちろん白虎は元の黒い人民服、人民帽の人の姿になっているし、縄は対霊用の強力なものだ。逃げられはしない。

「それで、白虎。あんたはタマモとどんな関係があるの?」
 美神の質問の言葉は直球だ。


「捕食者と餌じゃよ、お嬢さん」
「嘘つくんじゃないわよ! この狸! 捕食者と餌がそんなに仲良くする分けないでしょーが!」


 息を荒げて詰問する美神に相対する白虎、その背中にはタマモがぺとっとくっついている。二人の容姿もあいまって、仲のいい祖父と孫といった風情だ。

「タマモ! あんたもそんなくっついてんじゃない!」
「だって、なんか安心するんだもの」

 タマモはゆるゆるとした顔をして、美神の怒りもどこ吹く風だ。
 はぁ、とため息が漏れたのは、美神と白虎の二人からだった。

「狐よ、いい加減放してはくれんかね」
「いやよ」

 希望を切って捨てられ、白虎は再びため息をつく。


「なんでまた小娘に戻っておるんじゃ、おまえは……」


 ポツリ、と白虎の口からそんな言葉が漏れた。


「戻るって、おまえは金毛白面九尾の妖狐とやらを知っているんでござるか!」

「ふむ?そう呼ばれる狐なら、ほれ、わしの後ろにいるではないか」
 勢い込んで訪ねるシロに、いぶかしむように白虎が言う。


「ちがう!」
 シロは覚えている。


「タマモは、タマモでござる!」
 タマモのあの顔を。


「他の誰でもないでござる!」
 苦しんで、助けを求める声を。


「金毛白面九尾の妖狐とやらにのっとらせはしないでござるよ!」
 友の、嘆きを……


「のっとる? こやつはこやつ以外の何者でもあるまい。なにか取り付いてでもおるのか」
 白虎はこいつだ、と顎でタマモを指す。

 その様子にまたシロが怒り……


「ちょ、ちょっと待ってくれる? 二人とも」
 美神が二人を止めた。
「どうも話しに食い違いがあるみたいなんだけど。白虎、あなた妖狐の転生について何か知ってるの?」

「……おまえら、なんも知らんのか?」
 白虎の問いにうんうん、と全員がうなずいた。


 事情を話し聞き終えて、白虎は深くため息ついた。
「ほんとに、なんも知らんのじゃな……と、いうか狐。おまえがそれを忘れてどうする」
 ほんとに抜けた奴じゃ、と白虎は呆れた視線を送って話を続けた。


「まず、九尾狐は転生して記憶の受け渡しはしても引継ぎはしない」


「それは、どういうことでござるか?」
 先ほどとは違い、落ち着いたシロが問いかける。
「自分以外の存在の記憶を知識として得るが、そのままの存在になるわけではないということじゃ」


「でも、私は夢で記憶を見るようになって、それに最近体が光りだしたんだけど……」
 納得いかない様にタマモが問いかける。
「九尾狐は子供のうちは記憶を知識として得ることは出来ん。人格の形成に影響するからだそうじゃ。もちろん、子供のうちでも妖怪として最低限の生きる知識は得るがの。夢で見るのはおまえが記憶を引き出せるようになった知らせじゃ。体が光るのも成長した九尾狐の特徴じゃな」


「つまり、大人になったんじゃよ、おまえは」
 白虎はタマモにやさしく笑いかけた。


「あはははは……なーんだ、そうだったんだ」
 タマモは胸のつかえが取れたよーに笑った。

「な、なーんだじゃないでござるよこの女狐! 拙者が、拙者がどれだけ……」
 がっくり、と膝を突くシロである。美神、横島、おキヌもシロほどではないが気が抜けてしまったようである。


「ま、ご苦労なことじゃ」
 そんな様子を眺めて、少しだけ楽しそうに白虎が笑った。


「ちょっとまて。じゃ、あのタマモが苦しんだのとか、発熱したのとか、タマモじゃない顔してたのとかはなんだったんだ?」
 いち早く復活した横島が訊ねる。あれも成長過程だというのだろうか。


「あー……それは、な。半分は成長するときに骨が軋んだりする、あれみたいなもんが原因じゃ」
 視線をそらし、天井を眺めながら言う。手が自由なら髭でも撫ぜていたことだろう。

「半分? ならもう半分は何なんだ?」


「……わしじゃな」
 苦々しそうに答える白虎。

「あんた、やっぱりなんか関係あったんじゃない!」
 美神が発したのは、そもそもこの詰問の始まりであった問いだ。


「いや、やはりわしとこやつの関係は捕食者と餌だったのじゃよ」
 そうして、白虎は語りだしたのだ。はるか昔の物語を……


――初めて会ったとき、あのバカはこんくらいの大きさでな。
  こんくらい、と親指と人差し指で大きさを示す白虎……さすがにそこまで小さくはあるまい。


 中国奥地の山奥、その日、白虎はいつものように狩りに出る途中珍しいものを見つけた。

「おぉ、小娘。なんだ、おまえ九尾の妖狐か」
 このころの白虎は並みの成人男子でも見上げるほどの体躯を持つ大男であった。背には白い長髪がたれ、白い無精ひげを生やしている。

「おぉ、おっさん。私は九尾の妖狐だ。そういうおまえは虎人か?」
 対峙するのはあまりにも小さな妖怪の娘だ。頭からは九本の金の毛の房がたれている。
 九尾の妖狐は美味だという話しだし、普通ならあっという間に他の怪異に狩られているであろうが、ここは白虎の縄張りであり雑魚の妖怪は入ってこない。

 妖狐の問いには答えず、白虎は品定めを始めた。
「ちっ……まだガキじゃねぇか。稚児の肉はやわらけぇが食いでがなくていけねぇ」
「ガキじゃないぞ!」
 腕を振り上げ怒る妖狐。少しでも体を大きく見せようと背伸びまでしている。
「そこがガキだって言ってんだ。あー……どうすっかなぁ。うまそうなのは確かなんだが、あっけなく食っちまうには小さすぎらぁ」
 白虎は思案する。

「おまえ、腹が減っているのか……私も腹が減っているぞ!」
 と、そこでふと思いついたように
「おぉ、そうだ。忘れてた!」
 クネクネとなにやら不思議な踊りをする妖狐。

「なんだそりゃ……」

「なんとも思わないのか?」
「なんとも思わんな」
 白虎がそういうと、妖狐はがっくりと膝を突く。

「そ、そんな……私の色仕掛けが効かないなんて」
「……色仕掛けだったのか」
 白虎は呆れて妖狐を眺めた。

「おまえ、そんなんでよく生きてたな」
「ふっ。私は今日生まれたばかりだからな!」
 祝え、とばかりに胸を反らす。


 白虎は彼にしては珍しく少しだけ悩んだ。今食ったらたいして食いでがない。なにせ美味いという九尾の妖狐なのだ、もう少しでかくなってから食いたい。かといって、ここで逃がしたら探して捕まえるのは楽だとしても、おそらく他の怪異に食われてしまう……


「……ついてこい。飯を食わせてやる」
「ホントか! なんだ、やっぱり私の色仕掛けの効果はあったじゃないか」
「あほか! 今すぐ食っちまうぞ! ったく。大人しくついてきやがれ」


 気まぐれだった。人が家畜を育てるように育ててみてはどうだ、と思ったのだ。


「俺は白虎だ。白虎様と呼べ。それで、おまえの名前は?」
「わかったぞ! 白虎! でも、私に名前はない!」
「わかってねぇじゃねぇか! いいか? おまえは俺に飼われるんだ。おまえは俺を崇拝しやがれ」
 そう言っていいことを思いついたと言うように笑みを浮かべて妖狐に話しかける。

「そうだ、名がないのは好都合だ。手始めにおまえの名前をつけてやる。俺のもんだって証にな。そうだな……俺のもんだから俺の字を一個くれてやる。おまえは狐だから白狐、いや白面だ。」
「白面?」
「そう、白面だ。綺麗な顔って意味だな。おまえにはぴったりなんじゃねぇか?」
 少しだけ皮肉気に話す。九尾の狐の性を皮肉っての名前だ。

「白面……そうか。私は白面か! 分かったぞ! 白虎!」

「おい白面、俺の名には様をつけやがれ!」
 きゃっきゃっと浮かれて自分の名を言って走り回る白面を、白虎は呆れながら見守っていた。


――気の強い娘でな。手がかかった。おまけにバカだから始末に終えん。
  そういう白虎の口調は案外やさしい。


「白虎! 白虎!」
 白面が白虎と暮らすようになってそれなりにたつと言うのに、いまだに白面は白虎のことを呼び捨てにする。最近は正すのも面倒くさくなり、そのままにしていた。

「なんでぇ白面」
「私は強くなった! 皆が私を避けて通るぞ!」
 今は白面が来てから習慣になった食料集めに来ている。白面は白虎のように他の怪異を食べることなど出来ないから、普通の果物を採ったり、普通の動物や魚を獲らなければならないのだ。
 見れば、確かにこの森に住む雑霊や雑魚妖怪が道を空けていく。

「……バカかおめぇは。そりゃ俺をよけてるだけだ」
 もちろん、あの日より多少成長したとはいえ、わざわざ白面のような小娘のために道を空けるものはいないだろう。

「ふふーん。白虎は私が強くなったからねたんでいるんだろ!」
 だが、白面はやはり偉そうにして、ほれ見直せといわんばかりだ。


「バカにつける薬はねぇ、か……まさしく虎の威を借る狐ってやつだな」


――ま、それなりに……そう、ちょうど今のこやつぐらいになるまで育てたんじゃがの。
  そうして、白虎は人民帽の陰に隠れた目でタマモを見やった。その目がどんな色を宿しているか確認することは出来ない。


「白虎。私は広い世界が見たい」
 ある日突然だった。その日、雪が降っていたことを白虎は覚えている。
 雪の中に立つ白面は、以前よりずっと成長していた。妖狐の子供時代はそう長くはない。まだ姿に幼さは残っても、白面は大人であると自分で思っていた。

「あぁ? 白面よ、何でそんなもん見る必要があんだ? そのうち俺に食われるってのに」
 心底不思議なように本気で問う白虎。
「白虎……私を育ててくれたことに感謝はしているけど、いい加減あきらめない?」
 白面は白虎の、そのいつもの物言いに少しだけ呆れた。

「ここまで苦労して育てたんだ。そのうち食わなけりゃ俺が報われねぇよ」
 歯をむき出しにして白虎が笑う。吐き出した息が白く凍った。

「全く、わからずや」
「わからずやで結構だね」
「これだけ一緒に暮らしたんだから、少しは情くらい移らないの?」
「移らんなぁ……まぁ、もう少しでっかくなるまで待ってやるから安心しな」
 微笑みながら言葉の応酬をする。それはいつの間にかいつものやり取りとなっていたものだ。


「ねぇ、白虎……ありがとう」


「……なんだそりゃ」
 突然の感謝の言葉に白虎は戸惑う。

「ここまで育ててくれてね、ありがとうって言いたくなったの」
「いらんいらん。そんなん俺に食われてくれりゃ十分だ」
 半眼になって、白虎は手をひらひらと振る。

「うん、でもね。しばらく食べられてあげることは出来そうにないし、白虎も私を食べたくないみたいだから……」

「わけわかんねぇこと、を……! てめぇ! こいつは幻影か! ちっくしょどこに行きやがった!」
 慌てて辺りを見回すが、視界に入るのは舞う雪ばかり。当然、白面の姿が見えるわけもない。


「ねぇ、白虎。ほんとに、ありがとう……」


「お父さん」


 そんな言葉を残して、白面の幻影は消え去った。


「なんだそりゃ? いつ俺がおまえの親父になったっていうんだよ、あのバカ狐め」
 顔を上げ、無理やり笑む。寒さのせいか、それはひどく難しかった。


「ちっ……まぁ、外の世界で色々やりゃもっとでっかくなんだろ」


「でっかくなったころに狩りに行ってやる」


「少しだけ……そう、少しだけだ。食いに行くのは待ってやらぁ」
 宣言するように、吼える。雪を散らし、雲を揺らしたその声は、きっと白面に届くのだと知っていた。


「それが白面を見た最後じゃった」


「その後風の噂に金毛白面九尾の妖狐の話を聞いての。そろそろかと思っておったんじゃが」

「ま、そのころわしは道士に捕らえられ、白虎である事を買われて守護獣となった」

「次にこやつの噂を聞いたのは極東にいるという話でな。そのうえ退治されてしまったという話じゃった」

「あんなに大切にしてた餌が横から掻っ攫われたと聞いて腹を立てたもんじゃが、どうやら死んだわけではないとわかってな」

「ずっと、待っておったんじゃよ。復活をな」


 そこまで話して、白虎は肩を落とした。


「だというのに来て見てみれば、こやつ、復活ではなく転生しておるではないか」


「あれだけ苦労して育てて、これだけ待ったというのにまたちっこくなりおって……」


「これでは、食えんではないか……白面よ……」


 ポツリ、と白虎はつぶやいた。

 それは、金毛白面九尾の狐であるタマモに向けられた言葉で、でも違うのかもしれない。タマモは、白虎をぎゅっと強く抱きしめた。


 美神も、おキヌも、シロでさえ二人を見て寂しい、でも暖かな心地がした。


 タマモでないと思ったあのときのタマモ、あれは白面だったのだろう。

 白面は、久々に出会う白虎の気にひかれ、ほんの一時タマモの体を借り受けたのだ。

 人の世で追われたあの狐は、懐かしい父のぬくもりに抱かれ、わずかでも安らぎを得られたのだろうか……


 横島は、この白虎の過ごした時を思った。

 ふと、思う。

 もしかして、山奥に住んでいた彼が街に出てつかまった理由というのも、白面を探してのことだったのではないか、と。


 でも、それは確かめない方がいい類の話なのだろう。


 狐を食おうとした虎が、狐に化かされて食えなかった。


 白虎は、それだけの話だと何百、もしかしたら幾千年も自分に信じ込ませてきたのだろうから。


−5−


 カモメが、灰色の空を舞っていた。あいにくの曇り空だが、別れの日にはふさわしいとも言えよう。晴れた天気でさっぱりと別れるのでもなく、雨の中でしんみりと別れるのでもなく。今日の別れには、こんな中途半端な天気が一番ふさわしいような気がする。


 この港に降り立ったのは幾日前のことだったか、と白虎は考えた。

 すでにこの身は拘束されておらず、さりとて、狩る獲物のない身には自由などさしたる意味もない。

 そう、また戻るだけなのだから。


「白虎! また来なさいよ」

「また、来てくださいね。白虎さん」

「また来いよ、白虎」

「白虎どの! また会おうでござるよ!」


「また、機会があればの」

 ここ数日厄介になった美神除霊事務所の面々とあいさつを交わす。全く、不思議な連中だった。確かに被害はでてはいなかったが、あれだけの戦いを繰り広げた相手をその日の晩に自由にして、しかも自分たちの館に泊めるという。まぁ、なんとバカぞろいだったか、と白虎は少し愉快になった。


 その中から、一人が駆けて白虎の前にやってきた。

「ホントに、行っちゃうの?」


 タマモ。金毛白面九尾の狐。白面の転生。


 タマモは、逗留中ずっと白虎にくっついていた。まだうまく読み取れなくとも白面の記憶がそうさせるのか、白虎も結局は特に嫌がりもせずそのままにさせていた。

「あぁ、また大陸で雑魚でも追うわい」
 かかか、と白虎は笑った。

 笑う白虎に相対して、タマモはうつむいて声を出した。
「ねぇ、白虎?」

「ん、なんじゃ?」

「またくる?」
 うつむいたままのタマモの声は震えていた。

「なんじゃい、弱弱しい声を出しおってからに。強くなれよ、タマモ。おまえは強い子じゃからな」
 ポン、とタマモの頭に手を伸ばして触れる。

 そのまま、しばらく頭をなでていた。


 重い汽笛の音が響いて、出航の時間を知らせた。

「さて、ではそろそろ出るかの」

 タマモの頭から手を離し、白虎は船に振り返った。タラップを上る。


「白虎!」

 背中で、タマモが自分を呼ぶ声を聞いた。


「私! 強くなる!」


「誰よりも強くなるから!」


「そうしたら! そうしたら……また来てくれる?」


 タラップを上りきり、船の甲板に着いた白虎は振り返った。

 こちらを見上げるタマモと、少し遠くに立つタマモの仲間たちの姿が見えた。


「そうじゃな、そのときは……」


 人民帽を指で押し上げ、普段は隠している獣の目をあらわにする。自然に口は笑みの形になった。


「また、狩りに来てやるわい!」


 水面を割って進む船上、白虎は甲板で空を見上げていた。

 先ほどから、ちらほらと雪が舞い始めてきた。

 不意に吼えたくなって、力の限り吼えてみた。

 ごお、とその声は雪を散らし、雲を揺らして。


 あの日のように、どこかに届けばいいのだが、と想った。


あとがき

お読みいただき、本当にありがとうございます。

まいど、迷彩海月でございます。
それがしの三作目に当たるこの作品、いかがでしたでしょうか。

不思議です。タマモの話を書いて、共演でシロに頑張ってもらおうと思っていたのに、
気がつけば白虎の爺さんが出張りすぎてしまいました。

プロットからずれるのではなく、最初のプロットが杜撰なのかもしれません。
どちらにしても問題ですが……うーん……

始まりは、タマモが美神と呼んでいると突っ込まれたところから膨らめた話です。
申し訳ありません、本当はあの時考えましたorz
しかも、それがしにはこの程度が限界でしたorz
強引過ぎる理由だと後から気づいてみたりしたのです……

今回は前二本に比べ、色々と試行錯誤の度合いが大きい作品でした。
初めて戦闘も書いて見たりもしました。
いつもよりさらに考えながら文を書くのは楽しかったのですが、結果は……


それでも、またあえる日を願って。

BACK< >NEXT

△記事頭

▲記事頭

e[NECir Yahoo yV LINEf[^[z500~`I
z[y[W NWbgJ[h COiq@COsI COze