<横島>
「彼女のためにも、一日も早く、俺――」
「そーそ! 前向きに考えて……」
「一日も早く子供作ります! 差し支えなければ今!?」
「結局それが落ちかい!?」
いつものごとく飛び掛った俺を撃墜する美神さん。
久しぶりに俺をしばいてどこかすっきりした顔な美神さんは、だが俺がいつまでも起き上がらないことに疑問を抱いたのか、倒れたままの俺に近づいてくる。
「あー、ちょっとやりすぎちゃった? しばくの久しぶりだったからつい手加減忘れちゃって……」
そう苦笑いしながら俺の顔を覗き込もうとする美神さんを、俺はすぐに起き上がることで止めた、いや止めさせた。
「横島君?」
「さ、帰りましょう美神さん! 今日からまた馬鹿な悪霊相手に荒稼ぎするんでしょう? 一ヶ月後には妹も生まれるんですし」
顔を見せずに立ち上がる俺を、美神さんが不審そうに、そして悲しそうに見つめる。
そんな顔をしないで。
俺は不幸だったわけじゃない。
「横島君、あんた……」
「やだなあ美神さん。言ったでしょ? 彼女のためにも悲しむのは止めにしますって! だからもう悲しんだりなんかしませんよ!」
そう笑う俺を、美神さんとおキヌちゃんは少し安心したかのように、でも少し辛そうに笑顔で応えた。
そう俺はもう悲しんだりはしない。
ルシオラのことは俺だけの不幸だったわけじゃない。
このアシュタロス戦で巻き込まれただけで俺よりも多くの大切な人を失っている人はいくらでもいるだろう。
それに比べて俺にはまだ生まれ変わりの娘として会えるという可能性が残っている。
だから俺は決して不幸ではない。
今の俺が不幸だとすれば、俺を命をかけて救ったルシオラの行動が無意味になってしまうから。
そして俺が今生きて、ルシオラのことを想っている事は幸福だ。
だから俺は不幸じゃない。
ルシオラは煩悩しか取り柄の無い俺を初めて心の底から信じてくれた女性だった。
たった三日間の恋人だったけれど。
そんな女性に出会えたことは、幸福だ。
だから俺は不幸じゃない。
幸福者だ。
「だけど、さ。それでもやっぱり寂しいよって言ったら、ルシオラは悲しむのかな?」
帰り際、美神さんとおキヌちゃんの後姿を見ながら、俺はぽつりと呟いた。
妙神山のただおくん~番外編 ある蛍と少年の話~
それは偶然に過ぎないはずだった。
美知恵さんが予定日まで後二週間という時のこと。
アシュタロス戦のごたごたでまだ営業のできない美神さんに暇を出されて、特にすることもなく街をぶらついていた時、目つきの悪いチビに出会った。
もしや決着を着けに来たのかとも思ったが、そいつは何も言わずに俺を居酒屋まで連れて行くと半強制的に酒を飲まされた。
何年も高校生をやっているとはいえ、一応見た目もまだ高校生なので駄目だろうと思ったが、店主は何も言わなかった。
雪乃丞がなにやら目配せしていたところを見ると、“そういう店”なのだろう。
「おい、雪乃丞。自慢じゃねえが金はねえぞ」
「安心しろ。俺もない」
ぶん殴りたくなったが、ガチで殴り合えば俺が雪乃丞に勝てるはずもないので止めといた。
まあ、雪乃丞が言うにはここはモグリでGSをやっていた時に世話になっていた店で、ある程度は顔が利くらしい。
雪乃丞はカウンターに座ると、生を二つ頼んだ。
「俺、飲めねえぞ?」
「いいんだよ、偶には。最近お前羽目を外してねえだろ? いつも真面目な顔しやがって。似合わねえぞ、そんなん」
「うっせえ。人の勝手だろ」
「そうもいかねえな。お前、このままじゃ破裂しちまうぞ?」
さっきまでふざけていた雰囲気だった雪乃丞が、急にしまりのある顔にある。
破裂する? なんだそりゃ。
「意味分かんねえよ」
生ビールが運ばれてきた。
実は飲んだことがないわけではない。
親父に何度か無理やり飲まされたことがあるし、その時も特に悪酔いはしなかった。
ただ、それで酒が強くなったと言ったらまるで親父のおかげのような気がして嫌だったから、酒は飲めないと言っただけだ。
俺はジョッキを上げて一気に乾いた喉にそれを流し込んだ。
「あん? 案外飲めるんじゃねえか」
「話逸らすなよ」
雪乃丞がまたふざけ顔になって茶化し、同じようにビールを流し込んだ。
その飲み方が俺より飲み慣れているようで癇に障った。
「溜め込むなってこったよ。お前、あいつのことをあれから一度も話題にすらしてねえだろ。それこそ蝶の嬢ちゃんにすらも」
中ジョッキを一気に飲み干し、熱燗を頼んだ。
「話題にしてどうするってんだよ? あんな話話題にして喜ぶ奴なんかいねえだろ? 大体まるで不幸自慢みたいでそんなん嫌だぜ」
店主から熱燗を受け取り、雪乃丞が注ごうとするが俺はそれを制して手酌をする。
ちびりちびりと飲むのが大人だと、親父が言っていた。
「本当にそう思ってんのか?」
「そりゃどういう意味だ?」
雪乃丞も手酌で酒を飲み込むと、俺を軽く睨んだ。
「お前が無理してることぐらい、皆分かってんだよ。美神の旦那もおキヌちゃんも、隊長や西条の旦那にタイガーにピート、唐巣のおっさんや小笠原の旦那や六道も、そして俺もな」
雪乃丞の言葉を無視して、俺は酒をまた飲み干す。
親父の言い伝えなどとうに頭から忘れていた。
「お前、本当はぶちまけたいんだろう? 彼女のこと。誰かに聞いて貰いたいんだろう? 自分のことを」
「……手前になにが分かる」
いつの間にか注がれていた酒を、また一気に飲む。
少し頭がぼんやりしてきたようだ。
「分かるとは言えねえが、どう思っているかは理解できるぜ。俺もそうだったからな」
雪乃丞は酒を飲み干すと、少し辛そうな顔をした。
「ママが死んじまった時、俺の周りには誰もいなかった。物心ついた時から父親はいなかったし……死んじまったのか、逃げたのかは知らないがな。母親側の親戚はあまり知らなかったしな。そのまま孤児院に入れられて……初めは周りも優しかったよ。大体そういうところに入る奴は訳ありの奴ばっかりだったし、同じ境遇の奴らで慰めあったりする場所でもあったし」
「…………」
「でも俺は馬鹿だったからな。周りの優しさを理解できなかった。いや、理解したくなかったんだ。ママが死んじまったっていう現実を理解したくなかったから。そんで周りの好意に甘えることができずに、悲しさや寂しさを溜めに溜め込んで……破裂しちまった。そんでその後は孤児院抜け出して、行き倒れになったところをメドーサに拾われて……後はまあ知っての通りだ」
雪乃丞は自嘲気味に笑った。
雪乃丞にはそれなりに暗い過去があるのは聞いたことがある。恐らくその孤児院から出てメドーサと会うまでにはかなり苦労したはずだ。
だが今の雪乃丞にはそれを懐かしむだけの余裕もあるのだろう。
「……それで、俺が溜め込んでいるってか?」
「ああ、もう破裂寸前なくらいまでな」
頭が熱い。
身体が熱い。
それは酒のせいだけではなさそうだ。
俺はとっくりを叩き付けた。
「それで俺にどうしろってんだよ!? 周りの好意に甘えて全ての思いをぶちまけろっていうのかよ!」
「ちげえよ」
激昂する俺とは対照的に、雪乃丞は手酌で酒を注ぎながら落ち着いて答える。
「無理すんなとは言わねえ。周りを気遣って何も言わないのもいいだろう。でもな、自分を偽るな。お前はあの時言ったんだろう? 『俺は俺らしくしなきゃ、あいつががっかりする』ってな」
あの究極の魔体との最後の戦いの時。
ベスパがルシオラに化けて魔体の弱点を教えに来た時。
確かに俺は誓った。
化けたベスパを通して、その先に見えたルシオラに。
『俺は俺らしく』と。
「お前は自分の心を押し殺すような奴だったか? 超が付くほど自分に正直な奴だっただろ? 美人と見れば理性を振り切って飛びつくような奴だったくせによ」
「俺は……」
「別に以前に戻れって言ってるわけじゃねえよ。ただ少しは自分の本当の心に向き合ってやれ。そして全てをぶちまけたきゃみんなの前でそうすりゃいい。泣きたかったら枯れ果てるまで泣け。叫びたかったら喉が潰れるまで叫べばいい」
「俺……は……」
「お前は、どうしたいんだ?」
皆にぶちまけたい。本当は悲しくて辛いことを。
皆に話してやりたい。あいつは確かにいたんだってことを。
そして
「会いてえよ! あいつに会いたい! もう一度会って、抱きしめて! そして言ってやりたかった! 本当のことを、本当の俺の気持ちを! だけど」
「だけど?」
「だけどもう、会えねえんだよ! 俺の中のあいつの霊体はもう完全に同化しちまった! 残った霊体じゃ基本量に達してないからルシオラを維持はできない! 時間移動で助けに行きたくても、歴史は変えられないって小竜姫様は言ってたからできねえし、大体時間移動そのものを神魔族が封じちまった!」
立ち上がった俺の言葉を雪乃丞は黙って聞いていた。
俺の魂がまだルシオラの霊体と同化していなければあるいはルシオラを助けることはできたかもしれない。
俺の命を削ることで。
残ったルシオラの霊体に他の霊体をくっつくけても、それはルシオラではない。
ルシオラだった、他の魔族ができあがるだけだ。
時間移動は変えられることしか変えられない。
実際に中世での戦いも平安での事件も結局未来を変えることはできなかった。
いや、むしろ時間移動そのものが歴史の中に組み込まれていると言ってもおかしくはない。
第一に唯一時間移動をできる美神さんたちの能力はあの大戦以後封じられてしまった。
最後に俺の子供に転生するという方法が考えられた。
確かに生まれ変わった彼女を幸せにできれば彼女はそれでいいのかもしれない。
だが俺は子供としてではなく、ルシオラに会いたかった。
それは俺の単なる我が侭。
「やっと本音が出たか」
「あんだと?」
「お前はルシオラが死んじまったことを認めたくない。だから本当は生き返らせてやりたいけど、もし全ての手段をやりつくしても生き返らすことができなければ、ルシオラは『本当に死ぬ』ことになる。そういう事実を直面することをお前は恐れている。だから生き返らす方法を考えようとも試そうともせずにうじうじしてやがるんだ。でも本音では生き返って欲しいから……後はその繰り返しで、溜め込んじまったんだよ」
事実だった。
実際、あれからルシオラを救う方法を考えていたのは責任を感じていた小竜姫様やワルキューレたち、そして姉妹のベスパとパピリオだけだった。
俺は何もせず、ただルシオラのことから立ち直った風に装い、前を向いている振りをしているだけだった。
それは自分で助ける方法を調べて、そして全てを突き詰めても助かる方法が見つからないことに恐怖したから。
ルシオラが死んだという事実を真正面から受け取ることが怖かったから。
そのことに気付いた時、俺は酔いで興奮していた頭が一気に覚め、力なくイスに座り込んだ。
自分の身勝手さと情けなさに反吐が出た。
それから先はよく覚えていない。
ただ酒を飲み。
全てをぶちまけて。
泣いて。
笑って。
悲しんで。
ただ一つだけ覚えていることがあった。
例え何十年掛かっても、必ずルシオラを救うと。
そんな決心。
それから数ヶ月が経ったある日のこと。
ひのめちゃんが産まれたり、シロタマが事務所に居候したり、おキヌちゃんの臨海学校にこっそり付いていったりと馬鹿をやりながらも、ルシオラを救う方法を考えていた。
「横島君、そろそろファイルの整理しといてくれる? 今年は事件が色々ありすぎたせいでちょっとこんがらがっちゃてるのよね」
「へーい」
美神さんの命で俺は資料整理をしに別室へ向かった。
最近美神さんの人使いが荒い。
ルシオラを助けるために色々な知識を吸収していってるが、そのためにこういった肉体労働以外での仕事も回されるようになったからだ。
とはいえその分大幅に給料が上がったのだから文句など出ようはずがないが。勉強をするのに色々とお金が掛かる俺の事情を分かってくれている、美神さんなりの少し遠回りな思いやりなのだろう。
「こいつか……。へー懐かしい事件が結構あるな」
一昔前の事件を感慨深げに一通り読む。
思えばあの頃は霊能などちっとも使えなかったただの荷物持ちのくせに、今ではいっぱしのGSなのだから世の中分からないものだ。
文珠なんて便利で貴重な力を手に入れるなど当時は考えもしなかった。
だが無限の可能性を持つ文珠でもできないことはある。
そんなことも考えながら、ぱらぱらとファイルを流し読みしていると、奇妙な部分を発見した。
そこにはこう書かれていた。
「大蜘蛛事件。美神令子本人が担当。同行者は横島忠夫、氷室キヌ。そして――」
横島忠介。
続く
あとがき
未来原作横島の逆行前の話です。シリアスです。とことんシリアスです。忠夫のいる世界が壊れ過ぎているのに対してこっちの世界は真面目です。実はそれにも意味があったりなかったり……
今回はこちらの都合でまとめてレス返しです。
先にも書きましたが本編の方は完全に原作の横島が来たという設定です。未来から横島君がなぜ来たのかはまあ分かると思います。
ちなみに男子五人の内最後の一人はやっぱりあいつにしようかなと思っています。でもあいつならこのまま出番すらない方が似合ってるかもしれませんけど(笑)。
次回は今回の続きになると思います。次回もシリアスになると思いますが、本編の方が好きだという方は見捨てないでもう少し待ってくださいね。
ではこの辺で。