ガチャン・・・
「つ・・・疲れた・・・・・・」
自宅へと帰ってきた青年、皆本光一が後ろ手で玄関の鍵を閉めつつ、誰に言うとなしに呟く。
その言葉通り、皆本の顔には疲労の色がありありと浮かんでいて、傍から見ても彼の体が休息を求めているのがよくわかる。
日付はもうすぐ変わろうとしていて、時計の針はその事実を皆本に知らせていた。
『特務エスパー「ザ・チルドレン」現場運用主任』。
要するに三人娘の世話役である皆本。
その三人娘が三人とも一筋縄ではいかない連中のため、彼がこうして帰りが遅くなるということは悲しいかな、それほど珍しいことではない。
その中でも『念動能力者(サイコキノ)』である薫の影響は大きく、今日とて任務の報告書に加えて彼女が任務中に壊してしまった物等に関する始末書を作成していたので、帰宅した時間がこのような時間になってしまった。
「もう少し、手加減してもらえると助かるんだがな・・・」
そう言うが、それが皆本の本心かと言うと複雑なところだ。そう思っているのは確かなのだが、別のところでは薫が命令を聞かずに能力を振るいまわったとき、そのことを咎めることに徹しきれない自分もいる。
もっとも、そう思っているのは皆本の方だけのようで、薫のほうからすれば、いつもの小煩い説教には変わらなかったらしい。
今日も薫が説教に我慢できなくなったせいで、皆本は壁にめり込む羽目となった。
『超度7』
わずか10歳で持つには強大すぎる能力。
その能力に振り回され、抑え続けながら暮らしてきた少女。
そんな彼女が思いっきり能力を振るうことができる場は、特務エスパーとしての任務くらいだ。
最も周りに被害を出さずに済むのであれば、皆本にとってはそれが一番助かるのだが。
そんなことを思いながら自室に入ると、スーツの上着を脱ぎ、ネクタイを外す。
「ふぅ・・・」
少し身体が開放されたせいか、安堵の溜め息が漏れた。
同時に何も詰まっていない胃が、文句を言うように音を立てる。
「そう言えば、昼に食べたきり何も食べてなかったな・・・」
報告書等を作成している間はどうもなかったのに、自宅に帰ってきて気の抜けた途端、空腹を訴える胃。
そんな現金な己の身体に対して、皆本の顔に苦笑が浮かんだ。
遅めの夕飯を食べようかと考えるが、その前に身体をさっぱりとさせようと、皆本は着替えを手に取ると自室を出て浴室へと歩いていった。
三十分程の後。
カチャリ、とダイニングルームの戸が開いた。続いて、パチンと明かりのスイッチが入る。
部屋に入ってきたのは皆本で、風呂上がりのためかホクホクとしていて心身共にリラックスした様子。
まだ乾いていない髪を、がしがしとタオルで拭きながら、中央の辺りに置いてあるテーブルの近くまで来たとき。
「・・・・・・ん?」
テーブルの上に置いてある物に気がついた。
逆さに置かれた大人用の茶碗と、その前に置かれた一膳の箸。
少し大きめの底が深い入れ物と小皿。
最後に平たい楕円形の皿。
入れ物の中には器の大きさに見合うくらいの量の肉じゃが。
楕円の皿には一本の玉子焼きが乗っていて、どちらにも丁寧にラップがされていた。
「・・・今日も作ってくれてたのか」
部屋に入ってくるまでは何か食べるものがあったかなぁ、なんてことを思っていたが、そんな考えは余計だったようで。
目の前の料理を見ていた皆本の顔が自然と綻ぶ。
しばらく前から皆本が残業などで遅くなったとき、こうして夕飯が置いてあることが時折あるようになっていた。
別にお手伝いさんを雇ったというわけではなく。
同居しているチルドレンの面々が料理を作る楽しさに目覚めた、というのを皆本は本人たちから聞いていた。
学校の家庭科の授業で料理を作ったことが、きっかけになったらしい。
さすがに普段、皆本が家にいるときは彼が全員の分を作っているが、こうやって自分の帰りが遅くなったときには、葵と紫穂が積極的に色々な料理に挑戦していて、皆本の分も置いておいてくれる。
保護者代わりの身としては刃物や火の扱いの心配がないわけではないが、それを止めさせようとはまったく思っていない。
二人がこういうことに興味を持つことは歓迎することであるし、何より自分で作るよりも今では彼女たちの料理の方が美味しいのである。
初めて二人の料理を食べたとき、その味に驚いた皆本に葵と紫穂は少し恥ずかしそうに、だけど嬉しそうに笑ってこう言った。
「そら何回も練習したもん。でも、皆本はんが美味しい言うてくれてよかったわぁ・・・」
「自分たちで味見はしたけど、少し不安だったの。ありがとう、皆本さん・・・」
このときに『自分たちの作った料理を皆本が食べて美味しいと言ってくれる』ことの嬉しさに目覚めて、葵と紫穂は料理の腕を磨き続けているのだが、料理が楽しいからと聞かされている皆本が知る由もない。
「やっぱり料理って好きな人に食べてもらってナンボやんか? 毎日、愛する男のために料理を作るウチ・・・ けなげやわぁ〜〜」
「今のうちから私達の料理の虜にしておけば、私達から離れなく・・・・・・・・・・・・
これって餌付けになるのかしら?」
彼女達がそんなことを思っているのかどうかはともかく。
皆本は今晩も二人に感謝しつつ、夕飯を食べる為にラップをはがそうとして。
肉じゃがの器を重石にするようにして、テーブルとの間に置かれている一枚の紙に気づき、それを手に取った。
それは彼女たちのメッセージが書かれた書き置きだった。
『今日は肉じゃがだけやけど、ようさん作っといたから堪忍してな。
うちと紫穂の力作やから味はバッチシやで♪』
『皆本さん、夜遅くまでご苦労様。
置いてあるおかずは冷めてると思うけど、そのまま食べずにちゃんとチンしてね』
「お見通しか・・・」
苦笑を浮かべると半分ほど剥がれていたラップをかけなおし、最後に書かれているメッセージを読む。
「・・・・・・・・・・・・」
と、皆本の視線はそこに書かれていることをじっと見たまま動かなくなった。
驚いたような表情で見つめる先には、
少しぶっきらぼうで、
乱暴な字でこう書かれていた。
『わるかった! 玉子焼き作ったから食え!!』
「・・・・・・・・・あいつ・・・」
照れながら文句を言いつつも、このメッセージを書いている薫の姿が、皆本の脳裏に何故かすんなりと浮かび上がった。
ジーーーーーーー
そんな音が背後から聞こえてくる中。
皆本は椅子に腰掛けていた。
聞こえている音の正体は活動中の電子レンジの音で、中では肉じゃがの入った入れ物が、ぐるぐると回っている。
彼の目の前には、湯気を立てふっくらとしたご飯と先に温めた玉子焼き。
「・・・薫が作ってくれた玉子焼きか。あいつ、料理は苦手だったと思ってたんだがなぁ」
皆本の記憶では、薫は二人とは比べられない程の料理オンチだったはずだ。本人は諦めきれずにいたが、最近では料理は葵と紫穂が、そして食事の用意や片づけを薫がするようになっていた。
以前、皆本の前に薫の作った玉子焼きが出されたことがあったが、残念ながら玉子焼きとは程遠いものだった。
だが今、目の前に置いてある玉子焼きは以前とは見間違えるほどである。
少し焦げた部分はある。形も少し崩れてはいる。
だけど皆本にはそんなことは全く気にならない。
玉子焼き、されど玉子焼き。
自分の知らないところでも、彼女達は確かに成長しているんだと思うと、皆本は顔に笑みが浮かぶのを止められなかった。
「それじゃあ・・・いただきます」
しっかりと手を合わせると、醤油をかけるのは無粋な気がしてそのまま何もかけず、玉子焼きにそっと箸を入れた。
カチャッ・・・
小さな音を立てて、居候の三人娘が寝ている部屋の戸が開く。
明かりの消えた部屋の入り口から、皆本が少しだけ部屋の中へと入ると。
くぅ〜〜〜
かーーーー
すぅ〜〜〜
彼の耳に三人それぞれの寝息が聞こえてきた。
ぐっすりと寝ているらしい彼女らを、起こさないように皆本は声を掛ける。
「葵、紫穂、今日もありがとうな」
言葉を一度切るが、すぐに続ける。
「あ〜〜〜〜・・・ それと薫。まさか君が料理を作れるようになってるとは思わなかった。
玉子焼き、美味かったよ。ごちそうさま」
そう言うと、部屋から廊下へと出て行き。
「三人とも、おやすみ」
パタンと戸を閉めた。
明日はチルドレンと自分の予定は特に入っていない。
緊急事態が起こらなければ久々の休暇となるはずだ。
「まぁ、あいつらが大人しくしてるはずがないよなぁ・・・」
きっと朝っぱらから、何処かへ連れて行けと騒がしいだろう。
だとしたら、とっとと寝てしまうに限る。
自分の部屋へと戻った皆本は、脇目も振らずに布団の中へもぐり込むと、あっという間に眠りへとついていった。
パタン
隣の保護者の部屋の戸が閉まる音が部屋まで聞こえてくると。
もそもそもそ・・・・・・
ゴソゴソゴソ・・・・・・
ベッドの左側と右側に寝ていたはずの少女らが動き出して、真ん中で寝ている少女にそれぞれが向かい合った。
左側の少女は満面の。
右側の少女はニヤリとした。
笑みを、真ん中で寝ている、顔が真っ赤な少女に向ける。
「よかったわね、薫ちゃん♪ 皆本さんが薫ちゃんの作った玉子焼きが美味しかったって言ってくれて」
「ホンマになぁ〜。いやぁ、最初に砂糖と塩を間違えるなんてお約束をしたときはどうなるか思ったけど、作り直してよかったなぁ、薫♪」
「うっさい!!!」
おわり
どうも、むぎちゃです。
思ったよりも早く、短編二作目を書き上げることができました。
次もこのくらいの調子で、と思いながら。
この辺で。
BACK< >NEXT