<???>
私はゆっくりと目を開けた。まだ周囲がぼんやりとしているが、意識ははっきりしている。傷はほとんど残っていないし、体力も戻っている。どうやらここにいる人間たちが手当てをしてくれたらしい。
だが気を抜いてはいけない。人間はすぐに裏切るから。どうせこの人間たちが優しくしているのも、私が金毛白面九尾の狐と知らないからだろう。知ればどうせいつかの人間たちのように襲ってくるに決まっている。いや、例え知らなくても先の子供たちのようにどんなことをしてくるか分からない。
だから、人間の前で気を抜いてはいけない……。
「狐さんよかった〜。気が付いたんだ〜」
だけど、こいつの手は暖かい。
「ごめんね。僕の同級生があんなことして」
だけど、こいつの手は優しい。
「ここなら大丈夫だからね」
そして、こいつの手は気持ちよくて……
駄目だ、人間を信用してはならない。私はこのままずっと撫でられていたい衝動を振り切って、この人間の手から飛び降りた。
妙神山のただおくん〜小学生のただおくん きつねさんとあぶらあげ〜
<忠夫>
妙神山に帰った僕は、さっそく狐さんの様子を見に行った。なっちゃんや銀ちゃんも一緒だ。狐さんは最初大人しく撫でられていたけど、途中で思い出したかのように僕の手から飛び降りた。
「やっぱり、人間を警戒しているんですね」
「可哀想に……。ほら狐さん。大丈夫だよ」
僕はもう一度撫でようと手を伸ばすが、がぶりと指を噛まれた。
「いたっ!」
そんなに強く噛まれたわけじゃないけど、僕はびっくりして少し大声になってしまった。狐さんも少し驚いたような、そしてしまったという顔をしている気がする。
「た、忠夫さん! 大丈夫ですか?」
「大丈夫、大丈夫。ちょっとびっくりしただけだから。でもどうしたら懐いてくれるんだろう?」
「そやな。餌をあげてみたらどうや? あれから結構時間経つし、腹減っとんちゃう?」
なっちゃんの提案で、とりあえず狐さんの餌を用意することにした。狐さんて何食べるんだろ?
「狐はイヌ科ですからね。どっぐふーどはありませんし……。そうだ、ヒャクメ用のおやつをあげましょう」
「ひどいのねー」
そういって小竜姉ちゃんは台所へ向かった。
「この子まだ小さいですねー。産まれたばかりなんでしょうか?」
「多分ね。顔つきも子供らしいし」
ほどなくして小竜姉ちゃんがヒャクメ姉ちゃんのおやつを本当に持ってきた。
「ほら、お食べなさい」
小竜姉ちゃんが狐さんの前にヒャクメ姉ちゃんのおやつを置いたけど、狐さんは少し匂いを嗅いでぷいっと横を向いた。
ヒャクメ姉ちゃんのおやつは狐さんに見向きもされないものなのか……。合唱。
「あら、食べませんねー。お腹空いてないんでしょうか?」
ぐぅー。
おキヌちゃんの言葉と合わせたように、狐さんのお腹が鳴った。狐さんは少し恥ずかしそうにしている。妖狐だから、そういうことが分かるのかな?
「そんなことないみたいだし……。そうだ、あれなら……」
僕は台所へ向かい、一つの袋を持ってきた。
「ほら、狐さんなら油揚げが大好物っていうでしょ!」
僕が油揚げを見せると、皆苦笑している。どうしたんだろ?
「横島さん……。狐が油揚げが好きというのは迷信ですから……」
「よこっちは時々抜けてるよなー。そんなところも可愛いけど」
「うんうん……って違うんやー! 俺はそんなこと欠片も思っとらんのんやー!」
「ああ、天然の忠夫さんも可愛いです……」
ええっ、狐が油揚げを食べるって嘘なの!? あれ、でも狐さんすごく反応してるけど。
「食べるの?」
僕が油揚げを置くと、狐さんは少しおずおずしながらもそれを噛み始めた。
「わっ、本当に食べとる」
「へー、狐が油揚げが好きって本当だったんですねー」
狐さんは油揚げを食べ終えると少し元気になったみたいで、僕のところへてくてくと歩いて来た。僕が少し慎重に撫でてあげると、目を細めて気持ちよさそうにしている。
狐さんはぺろぺろと僕の指を舐め始めた。さっき噛まれたところだ。治しているつもりなのかな。可愛く思えて笑顔でまた撫でてやる。
「……なんというかほのぼのする光景やな」
「いいなあ。私も撫でられたいです」
「か、かめらを! こんな極上シーンを取り逃がしてなるものですか!」
「よこっち……ってだから違うんやー! 俺は、俺はー!」
「あっ、傷が治ってる」
「妖弧は舐めることでヒーリングができますからね。きっとさっき噛んでしまった罪滅ぼしのつもりなんでしょう」
「ありがと狐さん。あっ、でも狐さん、怪我は治ってるけど血と泥で身体が汚いなあ。そうだ。洗ってあげるから僕と一緒に入ろうか?」
僕は狐さんを負荷が掛からないようにふんわり持ち上げると、風呂場へ向かった。
「ま、待ってください! 子供とはいえ妖狐! 危ないですからもしもの時に私が一緒に! そう、そしてドサクサに紛れて久しぶりにあんなことやこんなこと、さらにはそんなことまで……」
「そや! もしかしたら二人っきりになって何かするつもりかもしれんで! だから私も一緒に! そしてそのままなし崩し的に今日こそよこっちのズキューン!を私のバキューン!でそして十ヶ月と十日後には……」
「あのー、私幽霊ですから着替えなくてもおっけーなんで、その、私が……。いえ、別にやましい気持ちなんてないですよ!? ただ横島さんが心配かなってそれだけで、その、一緒にっていうのは……きゃっ、私ったらはしたない」
「いや、ここは男同士俺が……ってだからなんで俺は対抗しとるんやー!」
みんなが口々に文句を言うけど、みんなで一緒に入ってたらいつ出れるか分からない。
「僕一人で入るからいいよ。行こう狐さん」
僕は自分の世界に入りつつあるみんなを置いて、お風呂場へ出かけた。
<???>
「はい、狐さん。目瞑ってね」
ばざーっと私の身体にお湯がかかる。私はぶるぶるとお湯を切ってこの人間の側に寄った。この人間の名はヨコシマタダオというらしい。
ヨコシマは不思議な奴だ。いや、さっきの連中も違う意味で充分不思議だが、こいつは特に輪をかけている。
こいつの私を見る目は優しい。心が落ち着く。もっと見て欲しいと思う。
こいつの私を撫でる手は温かい。気持ちいい。もっと撫でて欲しいと思う。
「ほら、狐さんも一緒に入ろう」
ヨコシマは浴槽で、私は湯の中に浮いた風呂桶の中で風呂につかる。お風呂も気持ちいいな。
「狐さんはこれからどうするの? 森の中に帰りたい?」
少し考えて、私は首を振った。あまりいい思い出がない以上、そんなには戻りたくない。
「じゃあ、これから一緒に住まない? 大丈夫、ここに居る人はみんな優しいから誰も苛めたりなんてしないよ。おじいちゃんもヒャクメ姉ちゃんも、そして小竜姉ちゃんも」
私はまた少し考えた。どうもさっきの小竜姫とやら神族らしい。人間よりは私側だから、知らない人間よりはましだろう。私の正体に感づいていながらヒーリングもしれくれたし。
それにヨコシマがいる。ヨコシマの笑顔は嬉しい。一緒にいると気持ちがいい。僅かに残っている前世の記憶にはない、裏表のない笑顔。
私は少し自分の頬が染まるのを感じる。恋だとでもいうのか? この傾国の美女と呼ばれた金毛白面九尾の狐が? ありえない!
だがどう否定してもヨコシマに笑いかけられることで得られる安心感と幸福感は否定できない。
だから私は頷いた。そして……。
<忠夫>
「ホント? よかった。じゃあ、これからは狐さん、も、か、ぞ、く……?」
狐さんがいた場所には、金髪を九に分けた僕より一つ二つ下に見える裸の美少女がいた。
「え、ええええええええええええ!?」
な、なんで!? どうして!?
「私が今の妖狐よ……。あの、その……」
人になれるとは知らなかった。
狐さんは少し体をもじもじさせると、
「助けてくれてありがとう、ヨコシマ。そしてこれからよろしく……」
狐さんはそっぽを向いて少し照れながらもはっきり言った。
「僕もよろしく、狐さん」
「タマモよ」
「分かった、タマモちゃん」
僕が笑顔を向けると、タマモちゃんはまたそっぽを向いた。
ドドドドドドドドドド
ん?
ドドドドドドド、ガラッ!
「大丈夫ですか、忠夫さん! 今のひ、め、いは……?」
「どうしたんやよこっち! な、に、が……?」
「横島さはーん! 大丈夫で、す、かぁ?」
「なんや、何があった……ん、や……?」
風呂場に入ったみんなが急に固まった。よく見ると僕とタマモちゃんはお互い裸で向き合っている形になっている。
マズイ! 僕の妙神山で過ごした研ぎ澄まされ過ぎ気味な勘がこのままではやばいと警報を鳴らしている。
「あ、あのね、小竜姉ちゃん? これは……」
「な、なによ……?」
ただならぬ雰囲気にタマモちゃんが脅えて身体を押し付けてくる。
プチン。
「あっ、夏子さん。背中のここ押してもらいますか?」
「おう、ここやな? ほいっ、ぽちっとな」
「グウオォォォォォォォォン!」
……それから一ヶ月は銭湯通いだった。
<タマモ>
それから一週間が経ち、私は妙神山で暮らすことが決定した。妖怪の私を神族が引き取っていいのか不思議に思ったが、なんでもヨコシマが頼めば大抵のことはなんとかなるらしい。ヨコシマって一体……。
ついでに学校も行かせてもらうことになった。今の日本の常識を知るにはちょうどいいからって。私は学校なんてどうでもよかったけど、ヨコシマが行っているというから行くことにした。
「さ、そろそろ行こうか」
そして私は戸籍を手に入れた。同時に家族も。
「うん、ヨコ……お、お兄ちゃん……」
今の私の名は、横島タマモ。ヨコシマの妹。
「呼びにくいならヨコシマでいいよ。僕もお兄ちゃんなんて慣れてないし」
「ん、でも学校でそれじゃ変に思われない?」
「そっか。じゃあ学校以外ではヨコシマでいいよ」
そう言ってヨコシマは手を出してくる。手を繋いでくれるのだろうか。
だが私は狐形態になると、しゅるしゅるとヨコシマの頭に上って寝そべった。ヨコシマの手は気持ちいいけど、この場所も気持ちいいと最近知った。
「タマモは面倒くさがりだなあ」
ヨコシマが苦笑するが、別に面倒だからではない。この場所が好きだから。
「くーん」
そんな私の気持ちが分からないヨコシマに早く行けと催促すると、ヨコシマは私を落とさないよう、ゆっくりと歩き出した。
続く
あとがき
タマモ、妹化。これを見て三女の計画が狂ったアシュタロスがまた暴走しますが、それはまた番外編で。タマモはほとんど前世の記憶はありませんが、自分がどういう存在かは分かっています。が、それだけです。私はそれ以上は前世の記憶を取り戻させようとは思いません。前世は前世、タマモはタマモですから。
さて、日刊を頑張ってまいりましたが、そろそろ疲れてきました。なので明日か明後日ぐらいは少し更新を休むかもしれません。毎日楽しみになさっている方には申し訳ございませんが、ご了承ください。
番外編がすごい人気だったので、また近いうちに書こうかと思います。
ではこの辺で。