開いた扉には闇がひしめいていた。一寸先は闇という言葉があるが、その言葉通り扉の中は一寸先も見通すことができない。
「これがヨコシマの深層心理……」
「扉の色と同じ中身でござるな」
タマモとシロがそのあまりの光景に呻く。
そんな二人に冥子は笑みを浮かべ、安心させるような口調で二人に言った。
「まだ入り口に過ぎないわ〜。この奥に真の横島くんの闇があるの〜」
何の気休めにもならなかった。むしろ二人はなおさら暗くなった。
「冥子……余計なこと言わない」
軽く諫めると、令子は扉の奥に目を向けた。
何も見えない。全てを飲み込むような闇がそこにある。しかしこの奥に真に求めるものがある以上、行くしかないのだ。
「さ、気合いの見せ所よ」
令子の言葉に一同は頷くと、はぐれないように手をつないだ。そしてゆっくりと、しかし確実に闇の世界へと足を踏み出す。
その闇がただの闇ではないことを、美智恵は足を踏み入れた瞬間に理解した。この闇はへばりつくような重さに加え、精神的な重圧すらかすらしい。
(本当に何も見えないわね。はぐれたら終わりだわ)
一切の光が存在しない中、美智恵はつないだ手に集中した。
彼女が手をつないでいる相手は冥子だ。もう一方の手はハイラに添えられている。視界の全く効かない闇の世界では、夢を司るハイラに頼るしかない。この状態がどれだけ続くかもわからない。もしかしたらこの闇の中、横島を探さなければならない可能性もある。
(入り口だけっていうのが理想なんだけど……)
平衡感覚すらおかしくなりそうな中、冥子達の手を離すまいと手に力を込める。
その視界が、急に開けた。思わず手をかざして目を細める美智恵。
「ここは……」
美智恵の視界に入ってきたのは、真っ直ぐに延びる道と並んで経つ数多くの扉だった。それはつい先ほど見た光景。
美智恵の後ろから顔を出した冥子が、驚いたようにきょろきょろと周囲を見回した。
「あれ〜、戻って来ちゃった〜?」
「そうみたいね……」
美智恵が唇を噛みながら、傍らに立つハイラに目を向けた。
ハイラに先導されて進んでいたのに、入り口に戻ってきてしまった。もちろんハイラが望んだ結果……というわけではないだろう。戻らされたと考えるのが自然だ。
美智恵は扉を見上げた。これは横島の深層心理に繋がる門である。もしかしたら拒まれたのかもしれない。ここから先は、横島が本当に心を許している存在しか進めないのかもしれない。そしてもしそうなら、自分が戻ってきたことはわかる。冥子とハイラが戻ってきたこともわかる。
そして――。
「おばさま〜。令子ちゃん達がいないわ〜」
その言葉に、美智恵はかすかに頷いた。
(あなた達がここにいないこともわかる。結局最後は、令子達に任せるしかないのね……)
いつも横島の側にいて彼を思い、そして横島が心を許している少女達。
きっとこうなることを、夢を見せた存在は知っていたのかもしれない。彼女達が最も横島に近しい存在であり、彼女達しか横島を救えない……と、理解していたのかもしれない。
だからこそ令子達に悪夢を見せたのかもしれない。
(無事に戻ってきてね……)
美智恵はそっと目を閉じた。願わずにはいられなかった。
もうそれ以外、何もすることができないのだから。
一方、令子達も美智恵達をはぐれたことに気づいていた。
「さて、どうするべきか……」
へばりつくような闇を抜け、四人は湖面に立っていた。文字通り水の上である。少し動くだけで足下から波紋が生じ、湖面に映るそれぞれの姿を歪ませる。
そこは地底湖を思わせる場所だった。薄暗く、涼しく、とても静か。視界はそれほど利くわけではなく、天井すら見えない。いや、天井など最初から無いのかもしれないが。……ただ確かなのは、この空間がとても広いと言うことだった。
「多分、私たちがいる場所が正解だと思うんだけど……」
「じゃあ冥子さん達はどこへ行ったんでしょう?」
「まず間違いなく……入り口に戻されていると思うわ」
令子は自分の右手に視線を落とした。先ほどまで冥子とつながれていた手は、あの闇を抜けてこの場所に立ったときには、おキヌとつながれていた。
「選別……ってやつ?」
「多分ね。選ばれた人しか、ここには来られないようになっているんだと思う」
タマモの言葉に令子が頷く。
「ここにいるのは、みんなあの悪夢を見ているわ。あの夢を見せたくそったれはむかつくけど……この状況を予測していたのかもしれない」
おキヌが背後に拡がる闇を振り返った。
「横島さんが心を許して、ここに来れる人だけに見せた……ということですか?」
「それならつじつまが合うわ。ここはとてもデリケートな場所なんだと思う。誰もが心に築いている、自分を守る壁……。それすらない世界なんだと思う」
令子達は改めて周囲を見渡した。どこからか聞こえる水滴の音が、彼女達の心に染みる。
「寂しいところでござるな。夢の世界に来たときも思ったでござるが、ここはそれよりもずっと寂しく感じるでござる……」
「この場所のどこかに、ヨコシマがいるのね」
横島の心の深奥。ここに、闇に染まった横島がいるはず。その闇を払うことこそが、ここに立つ少女達の目的だ。
「冥子殿や美智恵殿はどうするんでござるか?」
「もし来られるんなら、今頃はここにいるはずよ。ハイラが一緒なんだもの……。今ここにいないということは、来られないという事よ」
「じゃ、先に行くの?」
「置いて行くんでござるか? さっき美神殿が言っていた入り口に戻っているというのも、推測なんでござろう? もしかしたらこの中で迷っている可能性もあるんではござらんか?」
「それは……ないと思うな」
おキヌはそう言ってかぶりを振った。
「この闇……どんなに異常でも、横島さんの一部なんだから。例え迷っているとしても、冥子さん達に危害はないと思うよ、シロちゃん」
その言葉に令子が頷く。
「私も同意見よ。ここは放っておいて、横島くんを優先しましょう」
ここへ来た者達の最大の目的は横島なのだ。彼を救うことを最優先に考えなければならない。
「行きましょう。横島くんを助けてこの闇をはらせば、ママ達ともすぐ合流できるはずよ」
令子の言葉に、三人は頷いた。
見た目は磨かれた鏡。しかし歩くたびに発生する波紋はまさに水面。四人が歩くことで織りなす幾重もの波紋は、彼女達の足下に不思議な文様を描いている。
「水たまりを歩く感じに似ているでござるな」
「確かにあれに似ているけど、やっぱり感触が違う。弾力があるような、柔らかいような……」
「でもしっかりしてますね。これなら沈みそうもないです」
「まあ、いっぺん沈んだら二度と浮いてこれなさそうだもんねえ」
連れだって歩く面々は、お互いをいつでもフォローできるような距離を保ち進んでいた。といっても、明確にどちらに行けばいいのかわかっているわけではない。とりあえず彼女達が出てきた闇を背にするように歩いているだけだ。この広い空間のどこかに横島がいることは確実だが、それがどこかまでは彼女達にもわからないのだ。
(もしかすると、私達が歩いている湖面の遙か下に沈んでいるとか……)
令子はふと浮かんだ考えをすぐに否定した。
ここが最下層の筈だ。冥子がそう言ったのだから間違いないだろう。これ以上の深さがあるとするならば、それは人間の意志が介在しないほどの本能といえるようなものが眠っているはず。それはもはや夢ではない。心ではない。
今自分たちが探しているのは、横島の心だ。彼が自分で押さえ込んで押さえ込んで、そして目を背けてしまった隠された心だ。おそらく横島自身ですら自覚できないような、そんな心の筈なのだ。
(この空間のどこか……絶対に手の届く場所にいるはず)
同じ心だけの存在となって横島の中に来ているのだ。彼女達が辿り着けないところにはいないはずだ。
その時、シロと連れだって先頭を歩いていたタマモが足を止めた。顔を上げると、まるで何かを探すかのように周囲に視線を向ける。
「どうしたんでござるか?」
シロの怪訝そうな表情に、タマモは自身の唇に人差し指をあてることで応えた。静かに、ということらしい。
「音……」
呟いたタマモの言葉に従い、令子達は耳を澄ます。ぴちゃーん……ぴちゃーんと、湖面に水滴が落ちるような音が聞こえた。それはこの空間に足を踏み入れたときからずっと聞こえていた音だ。しかしその音がどこから聞こえてくるのか、少なくとも令子にはわからない。
「タマモ?」
令子の一言で意図は通じた。
タマモが首を横に振る。
「あたしもどこからかはわからない。でも凄く気になる。あたしの霊感に引っかかったの」
「この音がでござるか?」
シロはそう言うと、ある方向に指を向けた。
「この音なら、向こうのほうから聞こえるでござるが……」
「でかした、二人とも」
これでこそ二人を先頭にしていた甲斐があったというものだ。妖狐の勘と人狼の超感覚。以前西条の仕事を手伝ったときにも発揮した役割分担だ。
「ちょっと、見てみます」
おキヌがその場に屈んだ。そして霊波を込めながら水面を軽く叩くと、そこから生じた波紋がシロの指さした方向へと広がっていく。
霊波を音という波に変える事のできるおキヌだからこその技である。ネクロマンサーの笛を扱う事により磨かれた技能だ。まるで潜水艦のソナーのように、拡がっていく波紋が彼女に情報を与える。
そして。
「他の波とぶつかりました」
もちろん、それは水滴が生み出す波紋だろう。
「それほど遠くはないみたいです、美神さん」
「ありがとう、おキヌちゃん。それじゃ……いくわよ、みんな」
そして彼女達は歩き出す。
目的地は近い。
あとがき
読み返して思います。
うーむ。……我ながら、色々と試行錯誤が見られる作品だ。
ちなみにおキヌがあまりに目立たないので、唐突に霊能力アップ。
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