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「小笠原エミの心情9(GS)」

テイル (2005-08-28 23:59)
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 肩を震わす横島を、エミは優しい眼差しで抱きしめていた。
 横島が腕の中にいる。自分をさらけ出し、無防備な姿で泣いている。それは自分という人間が、多少なりとも救いとなっていることを示している。その事実がエミには嬉しかった。
 しかし同時にエミは悟ってもいた。これが横島の真の救いになることは無いということを。
 横島は立ち止まっている。その目は前には向けられておらず、後ろを向いている。そのまま後ろ向きに歩き出してしまったのが、異世界から来た横島だった。無論横島は後ろ向きに歩くことなどあろう筈がない……そうエミは思っているが、彼の時間が止まっていることは変えようもない事実だ。
 なぜなら、横島の中にはルシオラがいるからだ。未だ転生を迎えぬ愛しい魂が、己の内にある。それでどうして前を向いて歩けるだろうか。彼の心はルシオラを失ったときから動いてはいない。彼女が再びこの世に生を受けるその日まで、彼の時間は止まったままなのだ。
 ……横島の心を縛っているのは、彼女を救えなかった後悔。彼女を失ったことによる悲哀。そして、再びこの世に生を受けることができるという希望に対する不安だ。ならば、真に横島を救う方法は簡単だ。そして彼に心を寄せる女性はエミのライバルたる令子を含め数あれど、エミ以上の適任者はいないだろう。横島を好きな女性達にとって、かつての恋人を産むというのはデリケートな問題といえるし、そもそも時間が止まっている横島が誰かを愛するようになるには、まだまだ時間がかかる。
 エミならば適任だ。今回のことで横島に多少の好意を寄せるようになったエミなら適任だ。横島に自分の好意を返してもらおうと考えない、彼女だからこそ適任だ。
 横島の涙で胸が熱かった。この涙を止めたい……そう思った。
 だからエミは、横島の嗚咽が止み肩の震えも収まった頃、彼の耳元で囁いた。
「ねえ……」
 横島が顔を上げた。涙に瞳が濡れている。相変わらず奇麗な目をした男だった。涙がその事を浮きださせていた。
「私が、ルシオラを産んであげようか」
 彼の目が、これでもかというほどに見開かれた。


「何を……言っているんですか?」
 横島がそう言葉を返したのは、しばらく経ってからだった。
「だから、私がルシオラを産んであげると言ってるワケ。もちろん後腐れは無し。私はただ、ルシオラを産んでおたくに渡すだけ」
 エミが言葉を繰り返す。
「なんだかんだで、おたくの心は過去に向けられているワケ。簡単に忘れられる出来事じゃないし、それが当然なワケ。……でもそれではいけないって事は、おたくもわかっているはずよね」
 横島が俯く。伏せた顔からかすかにのぞく表情が、エミの言葉が的を射ていることを示していた。
「わかっているけれど、どうしようもない。そうおたくは思っている。そして唯一、その目を前に向けさせることができるもの……それがルシオラの転生でしょ。彼女の時が動き出せば、同時に横島……おたくの時間も動き出す。……違う?」
 横島が勢いよく顔を上げた。
「違わない……かもしれません。でも、どうしてエミさんがそんなことをしなくちゃならないんですか!? エミさんの言い方だと、まるで自分がルシオラを産む道具になる……そんなふうに聞こえます!」
 無理もない。エミ自身その通りに考えているのだ。
「別に……それでいいと思っているワケ。本当はおたくが誰かを好きになって、その人との間に作るのが一番良いのかもしれないけれど……それまでおたくはずっと苦しむことになる。それならいっそ、さっさと転生させちゃった方がいいでしょ。ま、おたくが自分の娘を手込めにしようとするなら話は別だけど」
「そんなことしません!!」
「なら、何の問題もないワケ」
「ありすぎでしょう!!」
 横島がエミを真っ直ぐに見た。その目には強い光が浮かんでいる。
(男らしい目なワケ。こんな目もできるのか。これで底抜けに優しいんだから、周囲の女性を惹き付けるのも無理無いワケ)
 エミは優しげに笑った。その笑顔に、横島は戸惑う。
「横島、おたくが気にすることは何もないワケ。さっき道具がどうとかいっていたけど、私にもメリットがある話なのだから、それでいいワケ」
「……メリット?」
 エミが頷いた。
「私は……」
 そこでエミは口をつぐんだ。横島から視線を逸らす。彼を見たままでは、口に出せなかった。
 視線をテーブルに置かれたカップに固定し、再び口を開く。
「私は、かつて殺し屋だったワケ。金と引き替えに、対象となる人間に黒魔術を施して呪殺する。……霊能を使って、人殺しをしていたのよ、私は」
 このことを自分から話すのは初めてだ。横島の顔を見ることができない。
「十五の時だった。私は選択を迫られた。身体を売るか、それとも霊能者になるか……。どちらかを選ばなければ、生きていくことができなかった。そして私が選んだのは、霊能力者になることだった」
 その際師事した黒魔術師から悪魔を譲り受け……そこでエミの人生は決まったといってよかった。
「その時の選択が間違っていたとは思わない。身体を売るなんて冗談じゃなかった。女として、好きでもない男に身体を汚されるなんて死んでも嫌だった。でも……殺し屋として歩んだ人生は、私の心を汚した。魂を汚した」
 その手で実際に手を下したわけでもないのに、仕事の後は何度もしつこく手を洗うようになった。真っ赤に染まった自分の手の幻視を見た。
(ちょうどそれがピークになったとき、あの子供と出会ったんだっけ……)
 少しだけ切なくなった心をごまかすように、エミは首を幾度か横に振る。
「私は汚れた女なワケ。殺し屋として人生を歩む選択をしたときから、幸せというものからもっとも縁遠くなってしまった」
 エミは一度ごくりと喉をならすと、意を決して横島を見た。
 向き合った横島の顔には驚きの表情こそ浮かんでいたが、軽蔑の色はなかった。その事にエミはほっと息をつく。
「……その私が、子供を産むこれが最初で最後のチャンスかもしれないワケ。幸せな家庭なんて持つことはできないけど、こういう形でなら……少なくとも母親になる幸せを、多少は感じることができる……そう思うワケ。だから横島、おたくは全く気にすることはないワケ。何の負い目も感じる必要はないワケ」
 エミはそっと、バスローブに手を掛けた。ゆっくりとした動作で前をはだける。下着をつけていない胸が、はだけたバスローブからのぞいた。
 その姿のまま、エミは横島にしなだれかかる。
「遠慮する必要はないワケ」
 そう言って自分の胸を横島の胸板に押しつけた。
 この時エミには不安があった。過去に殺し屋をしていた汚れた自分を、横島が拒むのではないかという不安だ。だからこそ横島がその気になりやすいような行動をとった。
(もしこれでも拒まれたのなら、それは仕方のないことなワケ……)
 中途半端に誘いながら、エミは緊張しながら横島の反応を待った。
「………」
 横島はしばらく動かなかった。何を考えているのかはわからない。胸にしなだれかかるエミの柔らかさと温かさは伝わっているはずだが、その身体に触れようと手を伸ばすこともない。今まで横島の煩悩全開の姿しか知らなかったエミだが、今日一日つき合ってみて、これもやはり横島なのだと……そう思った。
 エミにとってとてつもなく長く感じる時間は、唐突に終わった。不意とも言えるタイミングで横島が動いたのだ。
 横島は最小限の動きでエミの耳元に唇を寄せた。熱い吐息が耳朶を打つ。
 エミは男を知らない。身体を売らず人を殺すことを選択したときから、自分は女としての喜びを知らずに死ぬのだと……そう決めていた。今回のことがなければその通りになっていたと、エミは思う。
 未知への緊張に動悸が高まる。思わず震えたエミに、横島は囁いた。
「幸せになることが……怖いですか?」
 今度は別の意味で震えた。別の意味での緊張で、身体を堅くした。
「何を言って……」
「エミさんは幸せになれないんじゃない。幸せにならないようにしてるんじゃないですか?」
 息が荒くなる。全身から汗が吹き出る。
「エミさんは、自分には幸せになる資格はない。だから幸せにはなれない……そう思い込もうとしているだけじゃないですか? それが過去犯した罪の贖罪なんじゃないですか?」
「ち、ちがう!!」
 エミは顔を上げると横島を睨んだ。
「私は汚れた女なワケ!! 私みたいな女が幸せを望むと、周りを不幸にしかしないワケ!!」
「そんなことない!!」
 エミの強い口調に、横島がさらに強く言った。エミの身体がびくりと震える。
 そんなエミを、横島は掻き抱いた。
「エミさんは綺麗です。心も体も綺麗な人です。自分が幸せになっちゃいけないなんて……そんなことを考えるのがいい証拠です。それに、エミさんは周りを不幸になんてしません。エミさんに救われている人はたくさんいます。今日俺だって……救ってもらいました」
 エミの全身から力が抜けた。横島はしっかりとエミを胸に抱き締める。
 横島の胸は温かかった。どくんどくんと心臓の鼓動が聞こえた。
「エミさんは幸せになっていいんです」
「……でも」
 エミの口から漏れた声に、先ほどの激しい口調の面影は欠片もなかった。
「でも……私は、過去に過ちを犯した……」
 その罪は消えない。消してはいけない。エミはそう思っていた。
 過去の罪がいつもエミを追いかけていた。いつもエミの心に重くのしかかり、苦しめていた。殺し屋から足を洗って以来自分を責め続けた。自分を許せなかった。
 横島のいう通りだった。
 自分は幸せになれない。そう決めつけて、エミは幸せを求めないようにしていた。それがエミの贖罪なのだ。
「自分を許せないですか?」
 小刻みに震えているエミを、優しく抱きながら、横島が囁く。
 かすかに頷いたエミの耳元で、横島はさらに言葉を続けた。
「じゃあ、自分で自分を許せないなら……俺が許しましょう」
 横島の手が、優しくエミの髪を撫でる。
「エミさんは幸せになっていいんです。エミさん自身が許せなくても、他の誰に許されなくても……俺がエミさんを許します」
 先ほど立場が逆だったとき、エミが横島に言ったセリフだった。
 ……凶悪なセリフだった。エミの身体の奥の奥から、熱くたぎるものがこみ上げてくる。それはそのまま止まることを知らず、やがてエミの両目からぼろぼろと流れ始めた。それにつられるように、エミの身体が小刻みに跳ねる。唇が震え、それを抑えるために歯を食いしばらなければならなかった。
 そんなエミの背中を、横島はぽんぽんと優しく叩く。
 そして優しく言った。
「我慢……しなくていいんですよ」
 とどめの一撃だった。
「ぅぅ……うう」
 エミの口から嗚咽が漏れた。一度堰を切ると、後は怒濤のように流れるのみ。
「うううぁあぁあああ!!」
 エミは横島の胸に顔を押しつけて泣いた。横島の背に手を回し、なんの遠慮もなく声を張り上げ、子供のように泣きじゃくった。優しく自分を撫でる横島の手が温かく、どうしようもないほどに心地がよかった。
 誰かにすがって泣くなど……これが初めての経験だった。


あとがき
 次回最終話でございます。

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