横島が重い重い口を開く。無理をしているのは一目でわかったが、あえてもう止めないことに決めた。
膿は全て出してしまった方がいいものだ。
「あいつは……未来の俺です。といっても、同一世界の未来じゃないっす。所謂、平行世界……あいつは、そこからやってきたんです」
ぽつりぽつりと横島が語る。
「あいつの目的は、あの娘を手に入れることでした。あの娘を手に入れ、人生を共に歩む。それがあいつの目的でした。その為だけに、ただその為だけに……あいつは全てを捨てて、この世界にやってきたんです」
「……あの娘ってのは、昼間の……よね?」
横島が頷く。
「あいつにとって、何にも替えがたいもの。何を犠牲にしても、魂を売ってでも手に入れたい存在。それがあの娘だったんですよ。……エミさんは、あの娘が誰かわかりますか?」
いきなりの質問にエミは眉根を寄せた。昼間の少女を思い出してみる。その顔を見たのは遠くからであったが、はっきり覚えていた。しかしその顔自体に覚えはない。
「といわれても……初対面だったと思うワケ」
有名人ならまだしも、何の知名度もない女子中学生の素性など、わかるはずがない。
しかし横島はその応えに首を横に振る。
「そうでも……ないんですよ。あまり親しくはなかったはずですが、会ったことがあるはずですよ」
エミは驚いた。腕を組むともう一度昼間の少女を思い出してみる。
黒髪のロング。基本的に顔は整っていて、笑い顔が優しい少女だった。体つきは華奢だが、何かスポーツでもやっているのだろう。一つ一つの動作がきびきびとしていて、見ていて気持ちがよかった。
なかなか好感が持てる少女だった。過去に会ったことがあるなら、覚えていてもおかしくないはずだ。……それなのに、やはりエミは思い出せなかった。
エミが思い出せない事を知ると、横島はさびしそうに笑った。
「……まあ髪型も、背格好も違いますし、わからなくても無理はないっすね」
俺は一目でわかっちゃったんですけどね……そう言って横島は頭を掻く。
「あの娘を初めて見たとき、俺は心臓が止まりそうになりました。何かの勘違い……一度はそうも思いましたけど、やっぱりどうしても、そうとしか思えなかった。だから調べたんです。……こいつで」
文珠って便利っすね。掌に出した珠を転がしながら、横島は言う。
「色々わかりましたよ。知りたかったことも、知りたくなかったことも。結構、しんどいことの方が多かったかな……」
横島はエミから目をそらした。その視線は遠く、目に浮かぶ光は悲しげだ。
「あの娘の名前は、渡辺美麗といいます。歳は十三歳、中学二年生。そして――」
横島が口ごもった。
数度唇を振るわせた後、意を決したように言葉を紡ぐ。
「あの娘は……ルシオラの転生体にして、あの男の娘なんですよ……」
横島のが口にした言葉の意味を、きっかり五秒、エミは理解することができなかった。
ある世界があった。
それは、ここと似通った世界。
されど異なる世界……。
それでも歴史は大きくずれることはなく、大きな事件はやはり同じように起こり、同じように収拾された。
アシュタロス事件……。
神魔人界を巻き込んだあの大事件も例外ではなく、GS達の活躍によって魔神は滅ぼされ……そして少年は最愛の女性を失った。
彼女を失った少年は嘆いた。悔やんだ。そして……呪った。
どうして彼女を失わなければならない? どうして二人で幸せになる道を、閉ざされなければならない?
好きだった。どうしようもなく愛していた。己の半身と言えるほど、彼女の存在は大きかった。何物にも替えられないほど、大切な存在だった。
自分は彼女に、何もできなかった。
世界の素晴らしさを伝えることも、一緒にいることも、守りきることも、そして思いを貫き通すことさえも。
……実質彼女の復活の可能性を潰したのは彼自身だ。例えそれが、アシュタロスを倒す唯一の方法だったとはいえ、その事実は変わらない。
そして事件が収拾した後、彼はさらに世界を呪う事実を知る。そう、結局アシュタロスを含め、自分と恋人以外の全てが上手くいったことを、少年は知ったのだ。
彼自身の想い、自責の念、あげくに運命でさえも彼を追いつめた。そしてついに、失った最愛の少女と取り返すことだけが彼の全てになっていく。
幸い、失った恋人を復活させる方法はあった。その唯一の方法として示唆されたのは、自分の子供として生まれ変わらせるという方法だった。
そして少年は決心する。恋人を生まれ変わらせ、そして今度こそ……二人で幸せになることを。
しかしここで障害が発生する。恋人を転生させようにも、母体となる相手がいなかったのだ。単に子供を作ればいいわけではない。きちんと術を使用しなければならなかったし、母親となる女性にも条件があった。
すなわち母親となる女性には、高い霊能を持っていなければならなかった。少なくとも美神令子や六道冥子といった、高いポテンシャルを持つ女性でなければならなかった。転生術に耐え、恋人を無事に産み落とすことができるだけのポテンシャルが必要だった。
彼も一度はかつてのGS仲間に目を向けた。しかし彼女達は既に、少年が自分の娘と添い遂げようとしている事を知っていた。
……誰も協力しようとはしなかった。高い霊能を発現させている彼女達に、無理矢理というのもリスクが高すぎた。しかしそれでも諦めるわけにはいかない。だから彼は、無理矢理でも安全に恋人を産ませる事ができるぐらいに、その力量の差を広げることを決意する。
彼は一人で修行を始めた。たった一人で、暗い情念に燃えながら、自分を追いつめ続けた。
この時にはもう、彼の心が歪んでいたのは……言うまでもない。
二年後、彼はその力を飛躍的に伸ばした。目的を達することができる……そう確信するほどに、自身の力を高めた。
しかし彼は行動には移らなかった。修行をしている間に、一つの不満を覚えたからだ。
それは時間だ。今から子供を産ませた場合、恋人が大人になるまで十年以上の時がいる。そんなには待てなかった。生まれてきた子供を十年以上も育て、一緒に暮らしていくのは嫌だった。彼が欲しいのは自分の子供ではなく、最愛の恋人なのだから……。
自然に彼の目は過去に向いた。新たな目的ができた少年は、さらなる力を得ようと修行を続ける。
そして……三年の月日が流れた。
修行を始めて五年という歳月は少年を青年と変え……歪んだ心は、狂おしいほどに恋人を求めるようになっていた。
そしてついに、青年が過去へと跳ぶ時が訪れる。彼の目的は高い霊能を持ち、そして心優しい女性を探すことだった。霊能に関しては目覚めていなくても良い。眠っていてもいい。恋人を産むだけの力があればそれで良い。
そして心優しいという条件については、この場合必須といえた。――恋人の母親となる女性は、無理矢理子供を妊娠させた後、愛情を持って育ててくれるような女性でなくてはならないからだ。
……過去に渡った後、男は文珠を使って条件に当てはまる女性を捜すつもりだった。
しかし……ここで不測の事態が起こる。文珠で時間移動しようとした彼に、ある術式が影響を与えたのだ。
それはアシュタロスの事件後に神魔の上層部によって掛けられた、対時間移動用の封印だった。美神の血に潜む、雷をエネルギー源とする時間移動を対象にして掛けられた封印は、彼の時間移動に中途半端に作用したのである。
結果……彼は時間ではなく次元を超え、平行世界であるこの世界にやってきた。この世界の時間軸でいうそれが……十五年前の出来事だった。
そして移動した先で、彼は僥倖ともいえる出会いを経験する。それは相手にとって……不運としか言えない出会いであった。
彼は移動した先の公園で、渡辺晶に出会ったのだ。彼女は高い霊能のポテンシャルを持ち、子供と花が大好きな……十七歳の少女であった。
「一年後……晶さんは女の子を産みます。以来十三年間、自分を襲った、誰とも知らない男の子供を育ててきました。あいつの目論見通り、深い愛情と包容力を持って娘を育ててきたんです」
その言葉に嘘がないことをエミは知っている。少女が真っ直ぐに育ち、日常という幸せな時間を歩んでいる姿をその目で見ている。
昼間の少女は、決して歪んではいなかった。
「過去の呪わしい出来事は忘れられない。それでも今、晶さんとルシ……美麗ちゃんは、幸せなんです。でもその幸せは壊されようとしていた。そしてその事を、俺は認めることができなかった。例えそれがもう一人の俺の願いでも……あいつを取り戻したいって気持ちからでも、許せなかった」
そして横島は少女をつけ回すようになる。全ては見守るために。少女を狙うあの男を撃退する為に……。
「あいつは……」
エミは次元の穴に落ちていく男の様子を思い出した。
「戻ってくることはないワケ?」
「……ええ。霊力は封印しましたし、ついでに『錠』の文珠で強化もしてあります。あの封印を解くには、同じように文珠を五つ使用しなくちゃ無理です。そして霊力を封印された状態では、どんなに使えても同時に二個が限界でしょうね」
つまりあの封印を解く事ができるのは、何の抑制も受けていない文珠使いだけ。文珠使い本人であるあの男には、封印を解く術は皆無と言うことになる。
「もう、あいつがこの世界に来ることはありません。それは間違いないっすよ。でも……それで全てに納得できるわけでもないんです」
横島は視線を拳に落とした。拳は力が入りすぎて白くなっている。。
「俺はあいつから、美麗ちゃんを守った。それは、あの親子の幸せを守ったと言って良いのかもしれません。でもそれだけです。過去にあいつが犯した、俺の罪は消えない……」
「それは違うワケ!」
はっとしてエミが横島を見た。
「あいつはあいつ。おたくはおたくでしょ。……あいつが犯した罪を、おたくが背負う必要は全くないワケ! 正直おたくの話には驚いたけれど……それだけははっきりと言えるワケ」
横島は顔を上げるとエミを見た。その顔に浮かぶ心配の色を見て、横島は笑った。
涙を零しながら、笑った。
「ありがとう、ございます。でも……違うんすよ。あいつは、俺なんだ。間違いなく、俺なんだ。だって……あいつの気持ちが、痛いほどにわかっちまったんすもん」
横島の頬を、止めどなく涙が流れる。その様子を見たエミは立ち上がると、横島の隣に腰を下ろした。
そっと、背中に手を置く。
「あいつのやったことに、共感できる自分がいるんすよ。あいつがやったことは間違っているけれど、その気持ちは痛いほどわかるんす。……俺だって同じことするかもしれない……そう思っちまうんすよ」
肩を震わせ、それでも横島はしゃべることをやめない。
「横島……」
「結局、俺もあいつとかわらない。あいつは、取り返しのつかない事をした。許されないことをした、最低の野郎だ。そして……俺はその最低の野郎と、同じだ。あいつは、俺なんだ」
「横島!」
エミはその胸に横島を抱きしめた。
「馬鹿なこと……言ってんじゃないワケ。あいつとおたくは違う!」
「エミ、さん」
「おたくは優しいじゃない。涙を流しながら、辛さに向き合っているじゃない。公園で、あいつに自分で言ったじゃない……」
あいつの好きだった俺でいたい。その言葉が、横島とあいつの決定的な違いだ。
「あの男は負けた。自分の中に渦巻く負の感情に負けた。でもおたくは負けなかった。何が大切なのか見失わなかった。……あいつと共感する部分があるのは当たり前よ。恋人を大切に思う気持ちは、きっと変わらないんだから。でもだからといって、それがおたくの罪になるわけ無いじゃない」
「でも、俺は……」
「自分を……許せない?」
エミの胸の中、横島が頷く。
「だったら……だったら、私がおたくを許してあげるワケ」
「………」
「誰がなんと言おうと、わたしが、おたくを許してあげる」
横島から嗚咽が漏れた。
そんな横島をあやすように、エミは彼の髪を優しく撫でた。
あとがき
大苦戦しました。
次も苦戦の予感です。
台風が凄いですね。
ベランダで何か倒れた音が聞こえました。
怖くて見に行けない……。