『タマモちゃんインパクト!』
外出から帰宅したタマモがまず気がついたのは事務所に立ち込める官能的な香りだった。
その香りに腰砕けになりかけながらもタマモが食堂のドアを開けるとそこには驚いたような顔で自分を見つめる令子、おキヌ、そしてシロがいる。
皆、食後の談笑中だったのかその前にはそれぞれの湯飲みがほのかに湯気と新茶の香気を立てていた。
一足先に我に返ったのは彼女の相棒で喧嘩友達でもあるシロである。
「タマモ随分早いでござるな。今日はデートだったのでござろう?もしかしてふられたのでござるか?」
「誰がデートよ!」
確かに今日タマモは以前に知り合った真友と会っていた。
だがデートと言うものではないはずだ。
タマモはデートとはどういうものか良く知らないが、おキヌが言うには「逢引」のことだと言う、確かに真友という少年のことは気に入っているが恋人だとは思えないタマモである。
外見的にも自分の方が大人っぽいし、それにこの年頃の娘は男の子より精神的にも進んでいる。
どちらかいえば弟と接するような気持ちでいたのだ。
もっともタマモには弟なんて存在はいなかったから想像でしかないのだが、あながち間違っていないという気がする。
それにおキヌは前に言っていたではないか。確か…
「ねえ。おキヌちゃんデートって何?」
「え…そうねえ…昔の言い方で言えば逢引かな。」
「ふーん。じゃあおキヌちゃんもしたことあるの?」
「………ないのよ…私はいつでもどうぞって感じで待っているのに…」
アリ地獄みたいなことを言うおキヌであるが、肝心なのはアリさんが一箇所にじっとしてないことであろう。
彼女の想い人は良くも悪くもアグレッシブである。
「具体的には?」
「えーと…映画の広告とか横島さんの前に置いてみたり…。あと…遊園地のパンフレットとか…」
「じゃあ遊園地行って映画見るのが今風のデートってわけ?」
「そうね…あとは海の見えるホテルでお食事なんかいいなぁ…とっても美味しいのよ!」
「それもデートなんだ…」
「そう!そうなのよ!そしてね横島さんが言ってくれるの…「おキヌちゃん…ここの夜景も素晴らしいけれど、今の僕の目は君の美しさから離れることは出来ない」って!」
(いったいそのヨコシマは誰?)とは思うが口を挟めないタマモの前でおキヌの展開予想はエスカレートしていった。
「それでね!美味しい御飯食べてワインなんかも飲んじゃったりして!!それで!それで!横島さんが言うのね!「おキヌちゃんもしかして酔った?でも酔った君も素敵だよ」って!!」
「あーはいはい…」
「でね!でね!私も言うの!!「横島さんと一緒だからですよ」って、そしたら横島さんが「今日、部屋とってあるんだけど…いいかな?」って聞くのね!!」
「部屋で何をするの?」
「そんなの決まっているじゃない!横島さんたらきっと朝まで一晩中!私、身体持つかな〜♪」
「な、なにを…?」
自分の目の前で身悶えるこの少女は誰?と思うタマモなど意識から飛んだかおキヌちゃん、勿論聞いちゃいません。
「でも、やっぱり最初は二回ぐらいでやめておいた方がいいかな?きゃーきゃー!私ったら〜♪」
「………」
その場はそのまま「イヤン♪」とか「アン♪優しくしてください…」とか言い出したおキヌをほったらかしにして逃げ出したのだが、まあデートとはどういうものかかなり歪んだ形なれど理解はした。
しかし今日自分は単に喫茶店で真友の相談事を聞いただけである。
とてもおキヌの言うデートをしてきたとは思えない。
何しろこうして帰宅しているのだ。朝までホテルにいたわけでもない。
つまりデートなんかしてきてない。
うん。実に単純明快だ。
そんな些細なことより今のタマモには気になることがある。
そりゃぁもう全存在を賭けてでもハッキリさせなきゃいけないことがあるのだ。
「ところで…凄くいい匂いがするんだけど…」
タマモの台詞に台所にいた女性達は顔を見合わせた。
その顔には一様に「しまった」との表情が浮かんでいる。
その視線の先を追ったタマモの目が凍りついた。
流し台の上に在るのは漆塗りの高級そうな寿司桶。
駆け寄るタマモの目にはすでにおキヌによって綺麗に洗われ、底に残った水滴を晒した寿司桶の亡骸を映し出す。
「こ、これは…蓬莱寿司の器…」
東京でも五本の指に入る行列の絶えない超有名店の器である。
一度テレビで見て以来、タマモは何度となく令子に連れてってくれと頼んだがすげなく拒否されたのだ。
令子にしてみれば寿司代をケチったわけではない。
単に並んでまで食いたいと思わなかったのだけである。
今日はたまたま出前でもとるかと言う話になり、令子がふとタマモにせがまれたことを思い出して試しに取ってみただけなのだ。
普段は出前などしない蓬莱寿司だったが「美神令子除霊事務所」の名前を聞くと態度が一変した。
出前を持ってきた職人の話によれば経営者が令子の隠れフアンだったらしい。
そしてその有名寿司店の超特上寿司をみんなで堪能したのである。
呆然と空っぽの寿司桶を見つめるタマモに令子がなんとなく申し訳なさそうに声をかける。
「外で食べてくると思ったから…」
「しかも…この器にかすかに残る甘美な香りは…超弩級特上…だったら…だったら…」
「あの…タマモ?」
「だったら稲荷寿司もあったはずぅぅぅぅぅ!!!」
「いや…だから…」
「どこ?!私の超弩級特上お稲荷さんはどこっ?!!」
「えーと…だからね…デートで外食って聞いたから…」
「誰がそんなこと言ったんじゃ!ああ〜ん?!」
「ひっ!シ、シロが…」
ギロリと先ほどまでシロが座っていたイスを睨みつけてみても彼女の姿はどこにもない。
かわりに食堂に置かれていた観葉植物の鉢の下に奇妙な鉢台が出来ている。
それは尻尾の生えた少女の形をしていた。
「貴ぃ様かぁ〜〜〜…」
「ひっ!せ、拙者はシロとか言うプリチィな人狼の美少女じゃないでござる!拙者は単なる植木でござるゆえ詮索無用にてござ候!!」
「黙ぁまぁれぇ〜〜〜」
「た、タマモちゃん落ち着いてっ!!」
「落ち着いて欲しければ〜私の超弩級特上お稲荷さんを出せぇぇぇ…」
「ひえぇぇぇぇ!脱出!!」
スポンと幽体を引っこ抜いて離脱するおキヌ。
おキヌちゃんの最終手段「とかげの尻尾切り」である。
本体の方を囮にしてどうすんだ?って気もするが、とにかくおキヌの意識はこの恐怖空間からの脱出に成功した。
「ふふふ…ミカミ…当然残してあるんでしょうねぇ…」
「そ、それが…」
「残ってないの?!!」
「残りは横島君が持って帰っちゃった…」
「アイツかぁぁぁぁ…」
ニヤリと笑うとタマモは怯える令子と震える鉢植えの台、そして魂の抜けた少女の体を残して台所から出て行った。
自失の時間が過ぎ恐る恐る食堂のドアから覗き見ている三人の前を屋根裏部屋から降りてきたタマモが通り過ぎる。
その目はいつものタマモじゃなかった。
その姿もいつものタマモじゃなかった。
今のタマモの目は猟師に連れ去られた子狐を救いに行く母狐のごとき決意の光をたたえている。
そして今のタマモの格好はなんというか…可愛かった。
「た、タマモ…その狐の着ぐるみは…?」
「これは金毛九尾に伝わる戦闘装束…ふふふ…」
んな話聞いたことも無い。タマモちゃん良い具合にハジケたらしい。
「そ、その…ケンダマはなんでござるか?」
「鎖鎌がなかったから…でも…これでも絞める・殴る・刺すはできるわよねぇ…くくく…充分だわ…」
そしてユラァリと事務所から出て行くタマモを誰も止めることが出来なかった。
一方、そのころ横島は悩んでいた。
生寿司は日持ちしないし冷蔵庫に入れたら味が落ちる。
だから事務所で限界まで腹に詰め込んできた。
結局、お土産に貰った寿司は巻物と稲荷寿司である。
上手くすれば明日の朝食と学校のお弁当ぐらいまで持つかもしれない。
しかし横島の予定はあっさりと覆された。
アパートの部屋には家主に無断で上がりこんでいる奴がいたのだった。
横島の悪友伊達雪之丞である。
「よう。邪魔しているぜ。」
「なんで勝手に俺の部屋でくつろぎながら自然に挨拶が出来るんだお前は…」
呆れながらも特に咎めようとはしない横島である。
この悪友がこういう出現の仕方をするのにもう慣れたし、何より言っても聞く相手じゃない。
雪之丞はぶっきらぼうな挨拶を済ませ、勝手に煎れたお茶を飲みながら横島の持つ包みに目を向けた。
その腹がググウと鳴る。
「まあそういうな。ところでいい匂いさせてるじゃねーか。」
「犬かお前は…」
とは言っても今の横島は気が大きい。
かって無いほど寿司をたらふく詰め込んだのだ。人間お腹が一杯になれば腹など立たないものである。
持っていた包みを「食うか?」と差し出すと「おう!」と遠慮なく手を伸ばしてくる友人に横島は苦笑した。
ものの二、三分で寿司は一つ残らず雪之丞の腹の中に消えた。
出がらしのお茶を煎れなおしてやりながら横島は雪之丞に話を振る。
この友人、悪気は無いがトラブルを持ち込むことが多い。
もっともそれは雪之丞が横島を信頼しているということでもある。
「ところで何しに来たんだよ。」
「飯たかろうと思って…ってのはついででな。実はちょっとしたヤマを抱えているんだが…」
そして雪之丞は話し出す。とは言っても仕事の話だ。
モグリでGSをしていたのは過去の話、今は例の戦いでの活躍を認められ更に小竜姫の後押しもあって免許持ちの彼である。
だが日本は良くも悪くも組織社会。
彼のような一匹狼に入ってくる仕事は危険なものが多い。
もっとも本人はそれを楽しんでいるのだから世話は無いが。
そんな雪之丞の話は海外でのちょっとヤバ目の除霊の話だった。
「つまり文珠を分けてくれってことか?」
「ああ、礼はするぜ。」
「金欠のお前に礼って出来るのかよ?」
「これやるよ。」
と渡されたのは一枚の券である。
見ればその券には東都ホテル支配人の名前と社印が押してあった。
一見したところ東都ホテルの宿泊優待券のようなものらしい。
「なんじゃこれ?」
「ああ、この間このホテルで除霊してな。そしたら支配人が礼とか言って謝礼のほかにこれくれたんだ。」
「お前が東都ホテルの客ってがらか?」
「まあそうなんだが、コレを見せたら一泊タダにしてくれるそうだ。勿論飯も出る。」
「お前は使わないのかよ。」
「俺は明日一番でマカオの除霊があるんでな。今夜の便ですぐに発たなきゃならねえ。それにその券を良く見てみろ。」
「あーなるほど期日があるなぁ。」
「ああ、どうせ紙くずになるくらいならお前にやるよ。それに文珠の代価がその券なら俺の懐は痛まないしな。」
「すまんな…って…こんなもん貰ってもなぁ…一人で行っても虚しいだけだろ。」
「はぁ?お前それ真面目に言っているのか?」
「大真面目じゃ」
自分も色恋にゃ疎いという自覚はあるが、横島を見て「コイツはもしかして馬鹿なんじゃないか?」と思う雪之丞だ。
自分が見ただけでも横島に誘われれば二つ返事でついてくる女の子は結構いると思う。
だのに本人だけが気づいていないのだから。
もっとも横島は六道女学院でおキヌの感謝の視線を非難のそれと間違えたこともあるのだから無理も無いのかも知れない。
「まあ使うも使わないもお前にくれてやったんだ勝手にするさ。」
肩をすくめる雪之丞に怪訝な視線を向けながらも横島はホイッと手を差し出した。
その手には文珠が二個乗っている。
「へいへい…ほれ文珠。二個でいいか?」
自分の切り札を簡単に人に渡す横島に雪之丞も苦笑いする。
自分で頼んでおいてなんだが、警戒心が無さ過ぎる気もするのだ。
逆に言えばそれだけ自分が信頼されているということだろう。
(確かに…見た目だけにこだわる女にゃコイツは勿体ねぇわな…)
だからこそ今の横島に惚れる娘たちが何故勝負に出ようとしないのかわからない雪之丞。
察するところ恋愛もバトル思考らしい。
苦笑いを隠しつつ雪之丞は片手を上げて立ち上がった。
「すまねえな。んじゃ俺行くわ。」
「おお。死ぬなよ」
「誰に言っているんだ?」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべて雪之丞は横島のアパートを辞した。
はずだったんだが…
ドアを開けたとたんにクルリと振り向く雪之丞である。
「よ、横島…」
「どうした?」
「表にケンダマを持った変な動物がいるぞ?」
「はぁ?」
ついにアドレナリン過多で脳が逝ったか?と酷いことを考えながらドアから外を見てみれば、確かに近くの電柱の前に立ち横島の部屋のドアを見上げている不可思議な生き物がいた。
よく目を凝らしてみれば、それは二本足で立つでっけーキツネだった。
ツンと立った耳といい太目の尻尾といい、手足の先が黒いのといい、紛れもなくキツネだった。でかいけど。
けど、よくよく目を凝らしてみれば、それはキツネの着ぐるみを着てケンダマを持って立つタマモだった。
なんだか目が虚ろの様な気もしないではないが、紛れもなくタマモ本人であった。
「た、タマモ!!何やっているんだ?!!」
横島にしてみれば驚くしかないだろう。
何しろシロの話に寄ればタマモは今日はデートだったはずだ、事務所の女性陣にしたってタマモがデートということに心に小波を立てていたのだ。
令子はホフゥと溜め息ついて時々、自分の方を見てくるし、おキヌはおキヌでパンフレットだの雑誌だのをやたらと進めてくるし、シロはシロでクソ暑いのにもかかわらず散歩をねだりまくった。
どうやら女性陣は心の底でタマモを羨ましがっていたらしい。
それがタマモの居ない間に彼女の好物を食べるという背徳的な状況を招いたのかも知れない。
横島も実は薄々とデートのお誘いとも思わないではなかったが、彼の場合、デートの目的はずばり肉体的なスキンシップである。
彼にとってその前の映画とか喫茶店とかは煩雑な手続きに過ぎない。
しかし女性達はその手続きの延長でスキンシップを求めるのだ。
過程をとるか?どうせ行き着くところは同じなら結果をダイレクトに求めるか?
横島と彼に思いを寄せる女性たちの間を流れる川は深くて暗い。
単にお互いが経験値不足だという気もするが。
それはともかく、異様な光景に驚く横島をタマモは虚ろな目のままで下からねめあげた。
その口からは普段のタマモから絶対聞けない類の声があふれ出す。
「私の超超級特上稲荷寿司〜〜〜」
「はぁ?」
「返せぇぇぇ」
ケンダマを持ったままユラリとゾンビのように歩き出すタマモ。
その背後に立つのは赤褐色のオーラ。
多分、怒りと食欲が混じったんだろう。
ますます慌てる横島。なんだか命がとってもピンチ。
助けを求めて横を見れば雪之丞はとっくに窓から逃げだしていた。
さすが戦いに生きる漢、引き際は心得ている。
「待て!もう無いっ!!」
「がぁぁぁぁぁぁぁん!!」
口と背景に同時に効果音を乗せてよろめくタマモ。
しばらく下を見てプルプルと震えていたタマモの背後のオーラの質が変わる。
それは不動明王の形をしていた。
憤怒の相を浮かべた不動明王を従えてユラリと近寄ってくるタマモ。
その目は復讐の光を爛々と湛え、振りかぶったケンダマに「滅殺」の文字を込めて近寄ってくる妖狐に横島の足がガクガクと震えだす。
(し、死ぬのか?!俺はケンダマで撲殺されるという愉快な最期を遂げるのか?!!)
横島の脳はかって無いほどの回転を見せ、浮かび上がる走馬灯を無理矢理排除しながら生への道を必死に導き出そうとしていた。
そしてついに横島は先ほど雪之丞から貰った一枚の券のことを思い出せた。
人間、死と向かい合えばなんとかなるものである。
「お稲荷さんの仇ぃぃ〜」
「ま、待て!別なお稲荷さんをご馳走するから許してくれ!!」
「コンビニじゃ嫌〜」
「違うって!一流ホテルのお稲荷さんだぞ!」
「へ?」
一流ホテルのお稲荷さん…その言葉にゾンビのように迫ってきていたタマモの動きが止まると、たちまちその目に理性の輝きが戻ってきた。
ついでに後ろの不動明王もキョトンとした顔をしているが、まあとりあえずそれは本題とは関係ない。
生き残るのは今しかない!と横島はポケットから出した優待券をタマモの眼前に突きつける。
「ほら!これ!」
「えーと…東都ホテル?」
「ああ、東京じゃ一流のホテルだ。きっと美味いぞ!」
途端に喜色漲るタマモの顔。
不動明王は自分の出番は終わったとばかりに「さらば!」と手を振ると天にむかって飛んでいく。
「そ、そうかな?!ご、ご馳走してくれるの?!!」
「するする!するから許してくれえぇぇぇ!!」
「許す!」、「早っ!」
即断即決のタマモである。
よほど嬉しいのか横島の手を強引に引っ張り始めた。
「さあ行くわよ!今すぐに!」
「待てってーの。その格好で行く気かお前は?」
言われて自分の姿を見回してみれば、確かに自分でもなんでこんな格好を?と思えるような不可思議な格好をしていた。
「え?あ、、そうね!これは不味いわよね?!一回事務所に戻るから逃げないでね!!」
そしてタマモは呆気にとられる横島と残像を残して一目散に消えていった。
事務所で横島の無事を祈っていた三人に人工幽霊の悲鳴が聞こえてくる。
『タ、タマモさん!落ち着いてぇぇぇ!!』
「「「なにごと?」」」と応接室のドアから顔を出してみれば凄まじい速さで階段を駆け上っていくタマモの姿が見え…たかと思ったら、今度は階段を駆け下りていくタマモの姿に変わっていた。
「ちょ!タマモ!何があったのよ!!」
令子の叫びにタマモは後ろも振り向かず答える。
「これからヨコシマがホテルでご馳走してくれるのぉぉぉぉぉ」
ドップラー効果とともに残された台詞に呆然としていた一同が、「「「ぬわんだとぉぉぉぉ!!」」」と再起動したときタマモの姿はすでに影も形もなかった。
「ふーっ…俺は生き残ることが出来たか…」
安堵の息を吐く横島の目の前に爆走してくる土埃。
通りすがりの犬を跳ね飛ばして突っ込んできた弾丸は煙を上げながら急制動をかける。
「お待たせっ!!」
「またまた早っ!!」
「い、急いで走ったんだもん…」
言っている割にはさほど息が切れた様子も無い。
げに恐ろしきはお揚げへの執着ということか?普段のものぐさ狐の姿はそこにはない。
そこに居るのは一流ホテルの稲荷寿司への期待に満ち満ちた一匹の狐である。
そう…見た目も。
「つかぬことを聞くが…何故着替えておらんのだ?」
「え?でもちゃんとケンダマは置いてきたじゃない…」
「ケンダマは問題ない…まあいいか…」
正直もうどうでも良くなってきている横島である。
それに命があっただけでめっけもんなのだ。
あっさりと頷くと着ぐるみを従えて駅へと歩き出した。
電車の中で「お寿司♪お寿司♪」と楽しげに歌う着ぐるみ少女。
その横では顔を真っ赤に染めて下を向いているGジャンの少年の姿がある。
食事時の少し込む時間でありながら彼らの周囲だけはエアポケットのように空白が出来ていた。
他の乗客の視線が凄まじく痛い。
「どうしたのヨコシマ?」
すっかり機嫌の直った少女がニッコリと笑顔を向けてきても横島は耳まで真っ赤に染めたまま無言である。彼は今、「着ぐるみのままでいい」と言ってしまった自分を心底後悔していた。
勿論、タマモにはそんな横島の心理が理解できるわけはない。
なぜ顔を赤らめているのか?といぶかしむだけである。
それよりも今の興味は稲荷寿司にあるのだ。
見ている乗客の視線に次第に羨望が混じり始める。
最初は何かの撮影か罰ゲームと思っていたが、どうにもこの奇妙なアベックの空気はそういうものではないと理解したのだろう。
よくよく見れば狐の着ぐるみの少女はかなりの美形だ。
ギリリと何人かの漢たちから歯軋りが漏れ出していた。
そしてそれは次のタマモの台詞で殺意にまで膨れ上がることとなる。
「早くホテルに着かないかな♪」
(ふぉぉぉぉぉ!)
(こんな少女と着ぐるみプレイかぁぁぁ!!)
(淫行条例は何をしとるかぁぁぁ!!)
(嫉妬の神よ!何故我にこのような試練を!!)
気の早い幾人かが白い覆面を取り出そうかという時、電車は目的地の駅についた。
「お、降りるぞ!!」
「うん♪早くホテルにいこっ♪」
少女の手を持って駆け出す少年の姿を額に嫉妬と書かれた白い覆面の軍団が血涙とともに見送った。
駅からホテルまではさほどの距離ではなかったものの、道行く人の視線の痛さは変わり無い。
だもんだから横島は顔を真っ赤に染めたまま、一刻も早くこの苦行から開放されたい一心でタマモの手を取って歩き続ける。
そしてついに東都ホテルが彼らの前に現れた。
それは確かに一流のホテルらしいたたずまいを見せて夜の都会に燦然と輝いて立っている。
ドアボーイは結婚式かホテル内のイベントの余興なのだろうと着ぐるみの少女に目を向けただけで特に問題もなくフロントまで行くことができた。
それでも警備員が後ろからチロチロと視線を送ってくるのは仕方ない。
横島だって自分達が違和感ありまくりであるということは知っている。
しかし先程のタマモの怒りからすればここで引き返すことは死を意味するのだ。
半ばヤケクソ気味にフロントに雪之丞から貰った券を見せると、フロントマンは相好を崩して頭を下げた。
「いらっしゃいませ。そうですか。あの伊達様のお友達ですか。はい。伊達様には大変お世話になりましたのでどうぞ当ホテルをお使いください。」
「あの…食事も出ると聞いたんですけど。」
「はい。もちろん当ホテル内のレストラン、バーはご自由にご利用くださってかまいません。勿論料金は頂きません。ですが…」
そこでフロントマンはかすかに眉をひそめた。もっともそれは本当にかすかで横島は気づくことは無かったが。
「お客様の格好ですとちょっと入店が難しいかと存じます。」
「はぁ…」
言われて見ればノーネクタイお断りというところもあるのだ。
Gジャンと着ぐるみでは向こうも迷惑だろう。
「え?食べられないの?」
しょんぼりとするタマモにフロントマンは優しく告げる。
「いえ。もし宜しければルームサービスということでお部屋まで運ばせていただきます。」
「食べられるならなんでもいい♪」
「では今ボーイにご案内させますね。」
営業スマイル以外の笑顔を浮かべてフロントマンは部屋のキーを横島に手渡した。
案内された部屋はかなり豪華なものであった。
雪之丞がここでどんな仕事をしたかは知らないが、この歓待振りからいえばかなり感謝されるような仕事だったのだろう。
とにかく彼のおかげで命が救われたと、ここにいない悪友に感謝する横島である。
タマモは珍しいのか部屋の調度品を眺めたり、クローゼットを開けたりしていた。
やがてフロントで事前に注文しておいた料理が運ばれてくる。
とは言っても稲荷寿司とかお揚げ中心の和食ばかりである。
すでに限界まで飯を食っていた横島にとって、いかに滅多に食べられない高級料理とはいえ食欲が湧くはずも無い。
タマモは目の前の料理に感激のあまり身を震わせながら、とりあえず稲荷寿司を食べようとしてそのまま固まった。
怪訝に思って見ていると涙を目に浮かべてタマモが振り返る。
「ヨコシマ…お稲荷さんとれない…」
「脱げよ…」
そりゃあ着ぐるみの手では箸は持てないだろうと横島の返答はにべもない。
だがタマモはそっけない横島の言葉に一気に赤面した。
「どした?」
「すけべ…」
「なんでやっ!!」
「だって…着ぐるみの下…下着だけだもん…」
ダアアとコケる横島である。
「浴衣着ればいいだろ。それにバスローブかなんかないか?」
「ふえ?」
言われてタマモは先ほど覗き込んだクローゼットに浴衣もバスローブもあったことを思い出した。
だけど…。
「ど、どこで着替えればいいのよ。」
「風呂場で着替えりゃいいだろ。」
「そ、そうね。折角の高級お稲荷さんだものね。身を清めてから頂くべきよね!」
「好きにしろ」と苦笑する横島にタマモは頷くと浴衣を持ってバスルームへと向かい、その途中で何か大事なことに思い至ったのか真剣な目で振り返った。
「ヨコシマ…食べないでね!」
「いいから行けっ!」
「あ、ついでに覗かないでね!」
「そっちがついでかっ?!」
突っ込む横島にタマモはベーッと舌を出してバスルームへと消えた。
一人部屋に残された横島は「なんでこんなことになっちまったんだ?」と考え込む。
それでも高級なホテルの一室で美少女と食事と言うシチュエーション自体は悪くは無い。むしろ長年の夢だったと言える。
問題は…。
「相手がタマモってことなんだよなぁ…」
美少女とは言え横島にとってタマモは幼すぎるのだ。
それに普段を見てても自分がタマモに好かれているとは思えない。
苦笑いを浮かべながら窓の外の景色を眺めていた横島の耳に突然タマモの苦鳴が聞こえてきた。
慌てて走り出すとバスルームのドアを開ける。
「どうした?!!むほぅ!」
「痛たたたたた!着ぐるみ着て走り回ったから腿のところが擦れて…って何覗いているのよ!!」
バスルームに飛び込んだ横島が見たのはシャワーを浴びている途中で沁みたのか、股間のあたりに出来た擦り傷を痛そうに撫でさすっているタマモの姿。
突然の乱入者に一瞬だけ硬直したものの、覗きは重罪とばかりに狐火を放とうとするタマモ。
「馬鹿っ!火は止めろっ!ここのものを燃やしたら俺らじゃ弁償は出来んぞ!!」
「だったらとっとと出て行けっ!!」
「すまんっ!!」
流石に理性が働いたか狐火を止めたタマモに謝ると横島は脱兎のごとくバスルームから逃げ出した。
チラと垣間見たシャワーの温みのせいでほんのりと赤く染まったタマモの裸身を横島が無理矢理に頭から追い出そうとブンスカ首を振っているうち、シャワーを終え浴衣に着替えたタマモが出てくる。
その顔はやはり赤い。
何となく気まずい空気が流れる。
「お、お待たせ…」
「お、おう…つ、次は俺な…」
「え、ええ。私はお稲荷さん頂くわね」
横島がシャワーを浴びている間にタマモは高級稲荷寿司や他のお揚げ料理を心行くまで堪能した。
食欲が満たされるに従って思考がいつもの冷静さを取り戻していく。
そしてタマモはベッドの上に座り込んで夜景を見ているうちにとんでもないことこに気がついた。
(えーと…私って今、ホテルの部屋で横島と食事をしているってわけで…確かこれってデートとかいう奴?)
おキヌの言葉を思い出すタマモ。
そういえば続きがあったような…。
(た、確か…この後は…)
思い出したタマモの顔がボンと音を立てて真っ赤に染まる。
「た、たたたた、確か一晩中組んづ解れつだったような…そ、それとも二回だったかしら?!!」
そういえば…とまた思い出すタマモ。
確かここに来るまでの電車の中でも横島は真っ赤だった。
「も、ももも、もしかしてヨコシマって私のことが好きだったの?!!」
言ってしまってまたまた赤面するタマモである。
ハッキリ言えば勘違いなんだが、彼女もまた転生してからは恋愛経験というものが無い。しかも身近な教師陣は当てにならないときていたもんだ。
「そ、そういえば…私ってばなんか今、凄く幸せ感じてない?!」
返事なんか当然返ってこないわけで、もっとも通りすがりの犬か雀でもいれば「それは食欲が満たされたからだよ」ぐらいは教えてくれたかも知れないが、生憎とそんなものは存在しなかった。
「ど、どどどと、どうしたら…」
考えれば考えるほど血が上ってくるタマモである。
すでに心臓の鼓動は凄まじいまでの高鳴りを見せ始めていた。
「と、止まりなさい!私の心臓!!」
実際に止まったら嫌だろう。
「と、とにかく平常心を保つのよ!そ、そうだ!テレビでも見れば…」
一人でなにやら決心して慌ててリモコンを操作してつけてみれば、時間もそろそろ遅いせいかニュース番組ぐらいしかやってない。
あーでもないこーでもないと操作しているうちに、タマモはふと目に止まった禁断の有料番組のボタンを押してしまった。
たちまち画面から流れ出るのは外人さんのウッフンアッハン映画。
「な、な、な、ななななな!!」
あまりの衝撃映像に慌てたタマモの手からポロンとリモコンが落ちたとき、横島がバスルームから出てきた。
「ふー。さっぱりした〜。タマモ、もう食い終わっ…た…の…か?!」
頭をワシャワシャとバスタオルで拭きながら話しかけてきた横島の言葉が途切れる。
彼の視線はまっすぐにテレビの画面に向かっていた。
「ち、違うの!これは!なんとなく興味があって!!」
興味があったのはリモコンの方だがよほど混乱したのかもの凄い勢いで墓穴を掘り進むタマモ。
「け、け、消すから!今、消すからっ!り、リモコンはどこっ?!!」
慌てて落ちたリモコンを探そうと立ち上がったものの慣れない浴衣の裾を踏んづけてバランスを崩し、ベッドから転落しそうになる。
「きゃっ!」、「危ねっ!」
間一髪でタマモを受け止める横島。
二人の目が合う。
しばしの沈黙…BGMに流れる外人さんのハッハン声。
そしてお互いは顔を真っ赤に染めたまま、なんとなく照れくさそうに視線を下に向かわせた。
「ぬはぁっ!」
よろけた拍子にはだけた浴衣からタマモの白い胸の膨らみとその上の桃色ポッチを至近距離で見てしまって血を吹く横島。
「きにゃぁ!」
駆け寄ったときにはだけたバスタオルの間からキシャーと顔を出して威嚇する毒蛇をこれまた至近距離で見てしまったタマモ。
二人の脳味噌は限界を超えかねない血圧の上昇を感知して、自己防衛プログラムを発動させた。
結局、二人は抱き合ったままベッドに倒れこむと仲良く気絶した。
「くしゅん!」
自分のくしゃみの音で目が覚めてみれば、いつの間にかベッドにちゃんと寝かしつけられている。
「ふに〜」と寝ぼけていたタマモの目に光が戻り始めると同時にその顔から見る見る血の気が引いていった。
慌てて自分の体を確かめてみる。
「へ、変なところは無いわよね!」
まさぐってみても特に違和感はない…いや、一箇所だけあった。
「こ、股間が痛い!!ま、まさかっ!!」
だうっとタマモの目から涙が溢れ出す。
恐る恐るシーツをめくって痛む場所に手を伸ばして、ホッと息を吐くタマモである。
「そ、そういえば昨日、着ぐるみ着て走ったせいで擦れたんだっけ…」
どうやらそれ以外に異常は無いようだ。
盛大に安堵の息を吐いてタマモはやっと横島が存在しないことに気がついた。
耳を澄ませばバスルームからシャワーの音となにやら呪文のような声が聞こえる。
こっそりと足音を忍ばせてタマモはバスルームの戸を開けると中を覗き込んだ。
中では横島が頭からシャワー浴びていた。湯気の気配が無いところを見ればどうやら冷水らしい。
首を傾げるタマモの耳に再び横島の唱える呪文のような声が聞こえてくる。
「落ち着けっ俺っ!ど、どんなにタマモが可愛くても襲っちゃ駄目だ!アイツはまだ子供なんだ!まだちゃんと恋愛もしてないんだ!」
子供と言われてムッとするタマモ。そんな少女に気がつかないまま横島の声が続く。
「今回ばかりは煩悩に負けてはいかん!俺は…俺はあいつらを大事にしたいっ!!!ああっ!でも映画の続きも見たいっ!」
冷水の力を借りて必死に理性と煩悩を戦わせる横島の後姿にタマモはそーっとバスルームのドアを閉めた。
ベッドに戻ったタマモはゆっくりとした動作で再びシーツに潜り込む。
その顔には昨夜とはまた違った意味で朱に染まっていたが心は不思議と落ち着いていた。
「あんまり無茶すると風邪ひくわよ…」
ポツリと呟いて目を閉じると、タマモは安らかに訪れた睡魔に身を委ねる。
ちょっとだけ自分の隣に開いたベッドの空白が寂しくて、だけどそれが嬉しくて、タマモは微笑みながら眠りに落ちた。
翌朝、目の下にクッキリと隈を作った事務所のメンバーの耳に人工幽霊が「タマモさんがお帰りになりました」と告げる。
ドアを吹き飛ばさん勢いで玄関に殺到した一同が見たものは、昨日と同じ着ぐるみスタイルのタマモ。しかし何だかその顔は眠たそうなのにどことなく幸せそうだった。
たちまち不安になる三人を代表して令子が口を開く。
「タ、タマモ…昨日はどこへ行ってたのかしら?」
「どこって…確か東都ホテルだったかな?」
「そんな一流ホテルでっ?!!」
「な、何をしていたでござるか?!!」
「何って…デートよ。」
「「「デートっ?!!」」」
「よ、横島さんと二人っきりでですか?!」
「うん…とっても大切にしてくれたわ♪」
「「「…??!!!……」」」
怒涛の展開に右往左往する令子たちにタマモは欠伸交じりに告げる。
「ふー。悪いけど私ちょっと寝るわね。昨日はあんまり寝られなかったのよね〜♪」
そしてタマモは口をパクパクさせたまま声も出せない令子たちを残して自室へと向かう階段を登り始める。
その途中で何かを思い出したかのようにクルリと振り返るとタマモは令子たちに悪戯っぽい笑顔を向けた。
「ヨコシマを虐めちゃ駄目だからね♪」
タマモが去った後、呆然と立ち尽くす令子たち。
どれほどの時間が経っただろう。
おキヌが震える声で令子に話しかける。
「美神さん…タマモちゃん…微妙にがに股でしたよね…」
「そ、そうね…」
意味が解らないシロを置き去りにして令子とおキヌはただ立ち尽くすのであった。
その夜、横島のアパートに向かう「竹馬を持った亜麻色の髪の猫の着ぐるみ」と「ヨーヨーを持った銀髪メッシュの犬の着ぐるみ」と「竹やりを持った黒髪のタヌキの着ぐるみ」が目撃されたが、その後のことを語るのは忍びないので筆者はここで筆を置くことにしよう。
死ななかった…とだけ伝えてこの話は終わるのである。
おしまい
後書き
ども。犬雀です。
えーと。今回は画像掲示板のたかす様の素敵なイラストを元にしたお話であります。
あの可愛いイラストがこんな壊れ話に…。でも、今の犬にはこれで精一杯。
「壊れ物」と知りながら執筆の許可を下さったたかす様に感謝を込めて。
では…
PS・前話のレス返しは次回のお話でさせていただきます。レス下さった方どうもすみません。orz