『走れおキヌちゃん!』
令子は激怒した。
必ずかの邪痴煩悩の少年を裁かねばならぬと決意した。
令子には漢心はわからぬ。少年が何故、自分の下着に興味を示すのかなどは理解の外だ。最もすべての男がそういう嗜好を持っているわけでもない。
だが令子はそういう面に関しては非常に奥手で潔癖であった。
覗かれるならまだしも、たかが布キレに欲情するとは何事か?!
ここに生身が居るではないか!
口には出せぬ故に彼女はなおさら激怒した。
令子お気に入りの赤いブラとショーツ…だが本来おそろいだったそれは今はブラしかない。そして犯人はこの煩悩小僧である。今までもそうだったのだ。
だから今回も彼が犯人なのは間違いない。
しかし令子の追及にも少年は頑として「自分はショーツなど見ていない!」と言い張った。
結局、売り言葉に買い言葉…いや一方的な弾劾により少年はいつもより五割増の折檻を受けるこことなった。
事務所の屋上に設置された十字架に縛り付けられそうになって泣き叫ぶ少年をシロもタマモも涙ながらになすすべも無く見守るしかなかった。
「さあ…言い残すことはあるかしら横島君?」
白熊でも一撃で粉砕しそうな凶悪な拳銃を片手にニヤリと笑う令子に少年は心の底から震え上がった。
「知らないんやぁぁぁ!俺じゃないんやぁぁぁ!!」
「まだ言うか!!」
カチリと撃鉄を上げた拳銃を正確に彼の眉間に向けた令子の視線は冷たい。
いくら令子でも実弾は使うまい…とは言い切れない目の光にガクガクと震えるシロタマの横で一人下を向いていたおキヌが必死に勇気を振り絞って叫んだ。
「待って下さい!美神さん!!」
「なあにおキヌちゃん…」
死刑執行人ですら裸足で逃げたしかねない令子の声に身を震わせながらもおキヌは訴える。
「もしかしたら、美神さんのショーツ…私が風に飛ばしたかも知れません!」
「おキヌちゃん…こいつを庇おうという気持ちはわかるけどここでちゃんと躾とかないと…ねえ?」
不敵に笑う令子。
拳銃を向けるのが躾と言えるかどうか、発砲しちまえば躾どころではないのではと色々議論の余地がありそうだが、今はそんな些事を気にしている場合ではない。
確かに昨日、自分が洗濯物を取り込んだときに目の端に赤いものが飛んでいくのが見えたような気がする。
横島を助けるためにはその朧気な記憶に頼るしかないおキヌである。
だから彼女は必死で令子に食い下がった。
「いいえ。確かに飛んでいきました。もし信じられないと言うなら私が探して見つけてきます!ですから…どうか!どうか!!それまで横島さんの処刑を待って下さい!!」
いつの間にか躾ではなく処刑になったと聞かされてヒイッ!と絶望のうめきを漏らす横島におキヌは静かに近づいた。
「横島さん…私を信じてください。きっと横島さんの無実を晴らして見せます。」
その言葉に横島の顔からも怯えの色が消え、彼は真摯な視線をおキヌに向けると縛られたままで力強く頷いた。
「ああ、俺はおキヌちゃんを信じる。おキヌちゃんは今まで俺に嘘をついたことがないじゃないか…待ってるよ。」
「ありがとうございます。」
瞳に薄っすらと涙を浮かべながらも自分を信じてくれた横島に笑顔を向けるおキヌ。
そんな少女に横島はかすかに頬に血を上らせると目で自分の胸ポケットを示した。
「おキヌちゃん…途中でどんな危険があるかも知れない。もしも時のためにこれを持って行ってくれ…これはカオスから貰ったものだがきっと君の役に立つだろう!」
少年の言葉に頷いておキヌが胸ポケットから取り出したのは奇妙な形の笛だった。
「横島さん…これは?」
その笛に宿ったかすかな少年の温もりを感じながら不思議そうな顔をするおキヌに横島はにっこりと微笑んだ。
「その笛を俺だと思ってくれ…離れていても俺の心は君とある。何か困ったことがあれば笛を吹くといい。きっと助けになるそうだよ。」
命が危ないというのに自分のことを心配する横島におキヌの感激はいかばかりであろうか?
顔に満面の笑み恥じらいを浮かべ、先ほどから続いているどこか芝居がかった仕草で少女は少年の首に手を回すとそっと唇が触れるだけの接吻をする。
衝撃の展開に驚愕の叫びを上げる令子。
「な、なにしてんの!おキヌちゃん!!」
「誓いのキスです。」
普段とは違い物怖じしないおキヌの様子に令子の中で何かがプッツンと切れた。
「そう…わかったわ…そこまで言うなら信じてあげる…」
そして令子もまた芝居がかった仕草でピシリと空を指差した。
「あの太陽が沈むまでに戻ってらっしゃい!もし戻れなければ…」
銃口をペロリと舐める令子…もはやその姿は悪の女王と言っても差し支えは無い。
けれど今のおキヌはそんなものに動じはしない。
彼女は横島への愛を抱いて走り出す。
「待ってて!待っててください!!私はきっと横島さんを救い出してみせます!」
そしておキヌは呆気にとられるシロタマの視線を背中に浴びながら外へと飛び出していった。
通りすがりの浮遊霊や地縛霊に「赤いショーツを見ませんでしたか?」と聞きながらおキヌは走る。
だが、どれほど走って幾人もの霊に聞いてもショーツの行方はようとして知れない。
おキヌの心に焦りが生まれる。
そして焦りは彼女の心を乱し、ついにおキヌは足を縺れさせてバッタリと倒れた。
口の中に飛び込んだ砂の味よりも、膝頭から流れる血の痛みよりも、ふがいない自分が悔しくて一筋の涙をこぼす彼女の前に年老いた浮遊霊が現れた。
「どうしたんだいおキヌちゃん?」
優しい言葉についにおキヌの瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
驚いた浮遊霊は泣きじゃくるおキヌを宥めつつ時間をかけて話を最後まで聞き終わるとポンと手を打った。
「ああ、それなら二丁目の野良猫が咥えて歩いていたよ…。」
まさに天佑。ああ、神様は見ていてくださった。横島さん待っていてください。キヌはきっとショーツとともに帰ります。
浮遊霊に礼もそこそこにおキヌは二丁目に向けて走り出す。
見上げた空の太陽はすでに輝きを失いながら沈もうとしていた。
まだよ。まだ間に合う。
必死に走るおキヌの前がパーッと開け、猫の溜まり場と思える空き地がその眼前に現れた。
ああ、猫さんどこなの?とあたりを見回せば土管の上で欠伸する大きな虎猫が一匹。
その頭には見覚えのある赤い布をかぶっている。
「猫さん…それ返してくれませんか?」
猫を怯えさせぬようにと微笑みながら近寄るおキヌ。
だが猫はそんな彼女の配慮など鼻で笑うがごとく立ち上がるとニャーと鳴く。
その声に誘われるかのように集まり出すのは猫、猫、猫。
どうやらこの虎猫はこの辺のボス猫らしい。
ジリジリと猫に包囲されるおキヌに向けてボス猫はニャーリと「取れるものなら獲ってみろ」と言うかのごとく笑った。
「ああ…お願い猫さん…そのショーツには私の大事な人の命がかかっているの。後生だから返してください。」
必死に懇願するおキヌにボス猫はまたニャリと鳴く。
おキヌにはそれが「愛とは勝ち取るものだ!」と聞こえた。
「そう…どうしても…」
何かを決意したおキヌの心を察したか戦闘態勢に入る猫たち。
例え人とはいえ多勢に無勢…疲れ果てた自分が勝てるのだろうか…と彼女の心にまた迷いが生まれる。
ふと不安になってかき抱いた自分の手が胸ポケットにある固いものに当たった。
それが横島がくれた笛であったことを思い出し少女の心から迷いが消えた。
「いいえ!横島さんのために私は負けるわけにはいかない!」
おキヌはその笛を取り出すと桜の花びらにも似た唇にあて一気に吹き鳴らした。
ピルルリィィィィ ピルルリィィィィ ピルルリィィィィ
甲高い音が三度、夕焼けに染まる空に響き渡るとその音に応えるかのごとく天に轟音が鳴り響く。
雷鳴のような轟音にヒビった猫たちが見上げた空の一角から真っ直ぐ飛んでくるのは金色のロケット。
翼もあるし風防もついているけどロケットったらロケット。
ロケットは一直線におキヌの前に降り立つとカシーン!カシーン!カシーン!!と変形し二本の角も勇ましい金色の巨人へと姿を変えた。
どう見ても元のロケットの三倍は太くなっているが細かいことは気にしない。
そして金色の巨人はジェット気流だ新兵器!とばかりに猫たちに戦いを挑んだ。
長い戦いは終わりを告げ、猫たちと巨人がピクピクと倒れ伏す中でついにおキヌが手に入れたそれは元はショーツだったと思われる赤い布キレ。
ああ、なんということでしょう。
これがショーツだったとはきっと美神さんは信じません…ごめんなさい横島さん…キヌはお約束を果たせませんでした。
でも…でも…わかってください…キヌは一生懸命やったのです…。
ハラハラと落涙するおキヌの目が赤いキレ端の一箇所に釘付けになる。
そこにあったのは白い木綿糸で不器用に刺繍された「れいこ」の文字。
もしや美神さん…あの年で小学生のようにパンツに名前を…?
背中を嫌な感じで流れる汗を無理やりに無視しつつおキヌの顔に希望の光が戻る。
だがしかし、無情にも太陽はすでに沈む寸前。
もはや一刻も猶予は無い。
待っていてください横島さん!キヌが今まいります!
疲れた体に鞭打って再び駆け出すおキヌちゃん!!
がんばれおキヌちゃん!とどこからとも無く励ます声が聞こえてくる。
頑張ります!頑張りますとも横島さん。きっと貴方を夜空に浮かぶお星様にはいたしません。
走れおキヌ!走れおキヌ!
自らを叱咤し夕暮れの商店街を爆走する少女を、沿道に立つ浮遊霊たちが手にした旗を振りながら熱い声援を送る。
途中の給水ポイントで野良犬と野良雀が差し出した紙コップの水を一息であおり、おキヌは一心不乱に走り続ける。
ガンバレおキヌちゃん!ガンバレおキヌちゃん!!
そしてついに彼女は事務所へとたどり着き一気に階段を駆け上がると屋上の扉をバンと開けた。
今まさに十字架に縛られようとしながらも諦観したのか穏やかな表情で夕焼け空を見つめる少年。
その口元がかすかに動き「ルシオラ…………もうすぐそっちに行くよ…」と悟りの境地にも似た言葉が風に消えた瞬間、おキヌの声が屋上の特設処刑場に響きわたった。
「待って下さい美神さん!!」
「おキヌちゃん!そんなにボロボロになって…」
自分を気遣う令子に笑みを向けようにも走り続けて疲労した体は上手く動かない。
それでもおキヌはヨロヨロと令子の前に立つとその手に持っている赤い布キレを差し出した。
「これが証拠です…」
「なんですって!この布キレが?!」
胡散臭げに自分を見る令子におキヌは布の一部を示した。
そこに目をやって凍りつく令子。
慌てておキヌの手から布キレを取り戻すと懐に突っ込んだ。
「これで横島さんの疑いは晴れましたね…」
苦しい息を整えつつも聞いてくるおキヌに令子はヤレヤレと肩をすくめる。
その顔からは先ほどまでの怒気がすっかり消えており、今は聖母のように穏やかな表情をしていた。
「負けたわ…おキヌちゃん…」
かくしてついに横島は開放された。
安堵のあまり気が抜けたか普段はめったにしない感謝の抱擁をおキヌにぶつけようとして走り出す横島。
しかしおキヌは横島から一歩下がるように身を引いた。
その目にはかすかに涙の光がある。
「どしたの?おキヌちゃん?」
自分を案ずる横島におキヌは声を震わせる。
「横島さんごめんなさい…私は途中で何度も諦めそうになりました…折角横島さんが私を信じてくれていたのに…せめて一言「許す」と言ってください。でなければ私は横島さんに感謝されるわけにはいきません…」
おキヌの言葉に横島は一瞬だけ驚いた表情を浮かべたが、すぐに納得したのか大きく頷くと声の限りに叫んだ。
「許すさ!許すとも!!」
ああ、なんという幸せ…私はこの人を好きになってよかった…。
感激のあまり自分から横島に抱きつこうとしたおキヌ。
だがその目の前に少年は彼女の抱擁を拒否するかのように手のひらを向けた。
なぜ?と戸惑うおキヌに少年は真っ直ぐな視線を向ける。
「おキヌちゃん…俺も謝らなきゃならない…」
わずかに視線を逸らす横島の言葉をおキヌは必死に遮った。
「わかっています…私が戻らないかもと疑ったんですね?…でもそれは私が遅かったからです!私は、私は横島さんを許します!!」
だが少年の苦渋の表情はますます深くなる。
そして彼はおずおずと股間に手を入れ、どこに隠してあったかは考えたくも無いがホカホカと温まったライトグリーンの布キレを取り出した。
「赤いショーツは知らないけど…緑のパンティは…」
おキヌも激怒した。
おしまい
後書き
ども犬雀です。
えーと。短編ですね。はい。前の二つのレスのお返事遅れてすみませんでした。
そのつもりで急遽書いた一作ですが……。
とりあえず苦情入れ置いていきますです。
つ凹
では…
トップブリーダーの方のレス返しです。
1>ヒロヒロ様
あはは。確かに横島君なら気がつきますね。
2>TK-PO様
ありがとうございます。アントニオはどっちも大好きなのです。
3>初風
うーむ。そういう話も書きたいですねぇ。飼い殺し横島君…メモメモ。
タイトルは「ドラゴンへの道」なんかでどうでしょう。
4>朧霞様
確かにこんな飼い主たちの集団は嫌ですねぇ。
5>黒川様
あはは。アクの強いのは犬の持ち味です。でもあっさりとしたのも書きたいの…orz
6>福庵様
大丈夫です。犬も最初はそっちのネタを思いついてました。
犬も反省中です。_| ̄|○
7>偽バルタン様
初めましてです。戦闘はねぇ…どうする気だったのか…シロで最後までいけると思ったのか…それとも策が。実は戦うシーンはカットしましたですw
8>柳野雫様
獣医さんはいたかも知れませんね。けど彼もまた不思議世界の住人ですから。
9>なまけもの様
あはは。実はうまく書けそうにないのでカットしました。
ヌルヌルとの戦いは確実に18禁になりそうでw
10>スレイブ様
うーむ。まあ確かにボリューム不足かも…ぐふっ!
11>ヴァイゼ様
小竜姫様がおいしいところをとったのか…それとも問題を抱え込んだのか?
待て次回…って嘘ですorz
12>とろもろ様
ケイか美衣さんも考えていたんですけど美衣さんネタは書いちゃったのでこうなりました。また書くかも知れません。
13>wata様
うーむ。ドラゴン対ガメ〇も面白かったかも…メモメモ。
またネタ帳に記入させてもらいます。
人形の方のレス返しです。
1>Yu-san様
横島君は悪くないんですけどね…合掌でありますw
2>しょっかー様
あはは。確かにでも謝っちゃうと次に続かないんですよね。
3>黒川様
机上の学問又は見取り稽古でどの程度再現できるものか…ゲフンゲフン。
案外文珠使いの横島君なら何とかなるかもw
4>HAL様
過分なお褒めの言葉ありがとうございます。壊れは好きなんです~w
5>偽バルタン様
辛いでしょうね…きっと犬がネタ帳を家族に見られた時並みに辛いと思いますorz
6>柳野雫様
下が完全だったら…そりゃあもうこの話の表記が変わってましたともw
7>リーマン様
初めましてですよね。
暴走ってのは犬の基本(ていうかそれしか無いんですが)ですのでw
8>朧霞様
さて美神さんなのか…もしかしておキヌちゃん…意外と全員?w
9>アイギス様
実はこの話は三部作のつもりで書いてますです。
次回は「人形の反乱」と嘘予告。でも続きは書き中であります。
10>とろもろ様
まあ一回で消すにはちょっと惜しいキャラかなって気持ちで「第一次」と…。
一応次回のプロットはありますです。ただいつになるかはちょっとw
11>なまけもの様
2というか続編は出すつもりです。でも色々と書かなきゃならない話が溜まってますので…どうなることやら。あまり期待しないでお待ち下さい。
12>ヴァイゼ様
横島君は自然体で相手に接するといい男だと思うのですよ。
ルシオラなんかもそういう感じでしたからね。
さて次回どうなることやらw