お祓いしませう!? その壱
「へぇ〜、結構いい所よね」
3LDKのマンションに案内されたタマモの開口一番がそれだった。住人に断りもなくズカズカと上がり込んでは、勝手に室内を物色して回る。
「今の時代の住居ってこんな風なんだ。住み心地は良さそうよね」
「お前、遠慮って言葉を知らんな」
「ねぇ、湯浴みしたいんだけど。横島の臭いが移っちゃって、さっきから鼻が曲がりそうなのよ」
文句をサラリとスルーしてのけるタマモに横島は内心で溜め息を吐き、要望通りに浴室へと連れて行く。
「お湯を張ったほうがいいのか? 面倒だったらシャワーだけってのも」
「しゃわぁ?」
部屋に来るまでの間に、二人は簡単な自己紹介をし合っていた。といっても、横島が知り得た情報といえば、タマモという少女の名前だけであり、年齢や姓は最後まで聞かせてもらえなかった。帰る場所を尋ねても「ない」の一点張りだ。そうなるとタマモという名前すらも本当か怪しいものだが、「しつこいわよ」とギロリと睨まれ、深く詮索することはあっさりと止めにした。妖女を灰にした火球の威力を思い出したからである。
そして、会話をしていて横島は気づいたのだが、タマモには常識の一部分がすっぱりと抜け落ちていた。頭の回転は速いくせに、妙なところで知識不足を露呈する。つい最近日本に来たばかりですと言われたら、即座に納得してしまったかもしれない。
横島は浴室の設備の使い方をひと通り教えてから、母親が残していった衣服を適当に見繕ってタマモに手渡す。
「おかんので悪いな、まぁ我慢してくれや」
「この際贅沢は言わないわよ」
洗面所を後にすると自室に入り、ゴミで汚れた服を脱いで洗濯済みのものを身に着ける。
次いで、ベタついた髪の毛を台所で洗い流した。頭から食器用洗剤の香りがしようと、脂分が抜けて髪質がゴワゴワになろうとも、元々身だしなみには無頓着な少年だ、腐臭が消えたのに満足して買い物に出掛けた。
近くのコンビニまでは歩いて数分の距離。
リクエストの内容から油揚げが好きなのだろうと解釈し、総菜コーナーで油揚げを使った品を片っ端からカゴに入れていく。
「やっぱ、キツネうどんは日清だよな」
自分用にも数食分のカップラーメンを物色した。
待たせると怒られそうなので、成人用グラビア雑誌の立ち読みは諦め、会計を済ませると急いで帰路につく。
往復と店内で費やした時間は合わせて二十分くらいだろう。
恐る恐るマンションに戻ってみれば、浴室にはまだ人の気配があり、横島はホッと安堵の息を吐いてダイニングに向かう。
今夜食べる分をテーブルに並べ、残りは冷蔵庫と戸棚に分けて仕舞っていく。
「俺ってば、意外と尽くすタイプかも」
風呂上がりに牛乳を出したら嫌味かな、などと余計な気を回しつつ、飲みかけのウーロン茶のボトルを持ってキッチンを出る。
「ねぇ、横島」
「んっ?」
風呂から出たらしいタマモの声が聞こえてくる。
「これって、どうやって使うの?」
振り返る……。
ブバッ
横島の口からウーロン茶が霧状に吹き出した。
「ちょ、ちょっと汚いわね!」
「タ、タマモ……お、お前……」
「なになに、あたしのイロっぽい姿に悩殺されちゃった?」
「どこがだ!」
「なんかムカつくわね、その言い方」
「い、いや、そうじゃなくってだな、その……」
「なによ、言いたいことがあるならサッサと言いなさいよ」
グビリ、と少年の喉が鳴る。
風呂上がりの火照った肌の上に、バスタオルを一枚巻いただけの姿。
これは問題ない。ボディの前と後ろの判別がつきにくいのは愛嬌だろう。
右手に握られた薄紫色のブラジャー。
これも問題なし。タンスの中から手探りで掴み取ったため、着替えに紛れ込んでしまったらしい。大は小を兼ねるとは言うが、彼女には無用の長物だ。
問題なのは……。
「タ、タマモ……お前……尻尾があるぞ?」
「当たり前のこと言わないでよ。尻尾はあるに決まって……」
ハッとなり、タマモは言葉を途中で飲み込んだ。そして、
「え、えぇと」
気まずそうに自分のお尻を覗き見る。
足の付け根近くまでを覆い隠すバスタオルの下から、しっとりと濡れ光る金色の尾がピョコンと飛び出していた。
「……あるわね」
「尻尾、だな」
「そうみたいね」
「…………」
「見なかったことにしない?」
「できるか!」
突然の大声に、可愛らしく尾がピクンと跳ね上がる。
「ちょっと、ビックリするじゃ……キャッ!」
弾みでハラリとバスタオルが舞い落ちる。
淡い桃色の突起が二つ、白い膨らみの頂点に乗っているのが横島の目に映る。
「うっ」
ドクンと心臓が大きく収縮し、大量の血液が首から上に逆流した。
が、衝撃のお宝映像はすぐにタマモの細腕によって隠される。
「もういやぁ」
クルリと身体の向きを変え、タマモは落ちたバスタオルを拾おうと前屈みになる。
当然、スベスベした可愛いお尻が横島の目の前に突き出されるわけで……。
ツー
ポタポタ
膨張に耐えきれなくなった鼻腔内の毛細血管が破裂した。
自分の姿勢に気づいたのか、慌ててタマモはペタンと床に尻餅をつき、ゆっくりと振り返る。
「み、見た?」
ブンブンブン
懸命に首を左右に振り回すが、そのたびに鼻血が周囲に飛び散っているのだから信憑性は欠片もない。
「うぅ〜」
「あ、いや、その……割れ目が一本いっとくってか神秘の向こうにこれはアイだろってか…………その、すまん」
「うぅ〜」
「じ、事故だぞ、不可抗力だ、俺は無実だぁ!」
「くぅ〜ん」
ポン
「はい?」
始め、目の錯覚かと疑った。横島は何度も瞬きを繰り返して確認するが、映るものに変化はない。
うずくまるタマモの姿が一瞬ブレたかと思った直後、そこに一匹の狐が現れたのだ。
尾の先まで入れると1メートルを越える、ふっくらとした金色の毛皮に覆われた美しい狐だ。
「クゥ〜ン」
つぶらな瞳で恨めしそうに鼻血男を見やると、狐はバスタオルを咥えて浴室へと駆けていった。
「な、なんだったんだ、今のは……」
横島はただ呆然と呟くのみだった。
とりあえず、垂らした鼻血の後始末をしてから、横島はダイニングの椅子に座って客人が服を着て現れるのを待つ。
キッチンに置いてあるタイマーを兼ねた時計のカチコチと鳴る音が、横島の耳にはやけに大きく響いていた。
鋭敏になった聴覚が、洗面所から聞こえてくる物音をもしっかりと捉えていた。
「あ、あかん、想像したらダメや……狐に欲情した男なんて言われとうない……」
テーブルに両肘をつき、頭を抱えながらブツブツと呟くその姿は、ちょっと危険な香りがした。
時計の秒針の周回が二桁を越えて、ようやく待ち人がやってきた。
足音も立てずにリビングを横切ると、無言で向かいの席に着く。
顔を上げた横島と、タマモの視線が絡み合う。
頬を朱色に染め、やや上目遣いで睨んでくる少女は、やはりとても可愛らしくて、横島にはさきほどの金色の狐と同一だとは到底思えなかった。
いや、あの狐もあれでなかなか可愛い……。
ゴツン
横島は思い切りテーブルに額を打ちつけた。
「ち、違う……俺は獣姦野郎じゃない……」
気を取り直して再び顔を上げれば、怪訝そうな表情を浮かべるタマモと目が合った。
気まずさに耐えきれず、ついつい余計なコトを口走ってしまった。
「あ、あのな、そりゃ見ちゃったけど、お前だって俺のを見たし、ついで触っちゃったわけで。ここはおあいこということでお互い……」
納得しよう、と言葉を続けることはできなかった。
横島は人の髪の毛が逆立つを初めて見た。
「ま、待て、早まるな! そ、そうだ、今冷たいモン持ってくるから落ち着こうな、なっ」
脱兎のごとくその場から逃げ出すと、全速力でキッチンに駆け込んだ。
深呼吸を数回繰り返して乱れた息を整える。
「あ〜、怖かった」
冷蔵庫から取り出した牛乳の紙パックを持つ手が震えていた。
なんとかコップに注いでから、自分用のペットボトルを持ってダイニングへ引き返す。
コトリ
目の前にコップが置かれても、タマモは反応を示さない。
無言の重圧がヒシヒシと横島のひ弱な精神を圧迫する。
「お、お稲荷さん買ってきたけど食うか? 味噌汁も揚げ入りのヤツだぞ」
「…………」
「俺が悪かったから、そう睨むのは止めてくれな。ほら、牛乳でも飲んで」
飲んで胸でも大きくしろ、と考えただけで口に出さなかったのは、横島にとっては上出来だ。
いつまでも拗ねていても仕方ないと思ったのか、タマモはゆっくりと両手を持ち上げ、白いミルクの入ったコップを掌で包み込む。
コクッ、と一口飲む。
風呂上がりで水分が不足していた身体に、その冷たい喉越しが心地よかった。
「あ、美味しい」
「甘いほうがいいなら蜂蜜を入れてやるぞ?」
昔、母親にしてもらったことを思い出して、横島が声に出して訊く。
「ううん、このままでいい」
タマモは軽く首を横に振って、再びガラスの縁に唇をつけた。
張り詰めていたダイニングの空気が、ただそれだけのやり取りで一気に和んでいく。
とりあえず命の危機から脱して安心した横島は、コンビニの袋から出した総菜の包装をピリピリと破き始めた。
「ねぇ、横島」
「ん?」
「どうして何も訊かないの?」
「ん〜、ぶっちゃけ、何から訊いていいのか、よう判らん」
「そうよね、横島って頭悪そうよね?」
「ほっとけや」
クスクス
路地で会ってから、少女が初めて見せた笑い顔。
なぜか正視するのが照れ臭くて、横島は俯いてお稲荷のパックをタマモの前に滑らせる。
「ほら」
「うん、いただきます」
律儀に両手を合わせてから、タマモは器用に箸を使って狐色の包みを口元に運ぶ。
「どうしたのよ?」
「いや、綺麗に箸を使うなと思って」
「こんなの常識でしょ」
「そ、そうか?」
横島も唐揚げ弁当の蓋を取り、久しぶりの、一人きりではない夕食を楽しむことにした。
しばらく、黙々と二人は咀嚼運動を繰り返して目の前の食料を胃に送り込む作業に専念する。
やや経ってから。
「ねえ」
「んっ?」
「妖狐って知ってる?」
「ようこ……、曜子、洋子、陽子、容子……」
「やっぱり、あんたバカでしょ」
「う、うるせぇ」
文句はそのまま聞き流し、タマモは何気ない口調で言った。
「妖の狐、狐の妖怪……それが、あたし」
「妖怪?」
筋っぽい鶏肉の唐揚げをゴクリと飲み込んで、横島は聞き返す。
薄々そうじゃないかなぁと察してはいても、実際に肯定する言葉を本人から聞かされると、何とも言い難い感慨が湧いてくる。
「うん。ついこの間転生したばかりだけどね。この時代のことは何も知らないから、ひとまず人のいる場所へ行ったら、いきなり妖怪退散って祓い屋に追いかけ回されて、なんとか逃げ切って今に至るというわけ」
「ほぉ〜」
「どうする? 正体を知って、祓い屋に引き渡す?」
どういう気持ちでタマモが尋ねたのかは、横島には判らない。ただ、頭に浮かんだことをそのまま口にした。
「ばぁか。ワケ判んない祓い屋と一緒にすんな。俺はいつだって可愛い女の子の味方だ」
横島は相手の目が丸くなるのを見て、さすがに恥ずかしい自分の台詞に気がついた。
「あ、ほれ、あれだ、タマモってそう悪いヤツじゃなさそうだし、な」
クスクスクス
「横島って、人間にしてはまあまあよね。術を使わなくて正解だったかも」
何か途轍もなく不穏な台詞が混じっているような気もしたが、深く追及するとヤバくなりそうだったので、右の鼓膜から左へと無検閲で素通りさせた。
「で、これからどうするんだ?」
「う〜ん、ここ居心地がいいし、しばらくの間よろしくね」
「ちょっと待てやコラぁ!」
それだけは聞き捨てならなかった。
「なによ、文句あるの?」
「大ありだ! 勝手に一人で決めるな!」
「へぇ〜、そぉいうコト言うんだ?」
ニタリ、とタマモは意地悪い笑みを浮かべると、ヒョイと箸で稲荷寿司を一つ摘み上げた。
「あたしは命の恩人、よね?」
「うっ、そ、それがどうした」
「横島の命の価値って、お稲荷さん一食分の値打ちしかないんだ?」
ガラガラと横島の心の防壁が轟音を立てて崩壊する。
しかし、ここで無条件で白旗を振るわけにはいかなかった。
「あ、あのな、タマモには関係ないと思って言わなかったが、近々、ここ引っ越すんだよ」
「どういう意味?」
横島はガックリと肩を落とし、哀愁を背中に貼り付けながら訥々と語り出す。
「一緒に住んでいた親が外国に行っちまってな、俺一人が残ったんだけど……。仕送りが少なくて今のままだと生活できないんだ」
一ヶ月真剣にバイトをしても、マンションの家賃代にも届かない。もっと安い部屋に移り、家財道具も処分して当座の生活費に充て、その間に割の良いバイトを探す……。
「つまりは……お金がないってこと?」
「おぅ、自慢じゃないが全然ないぞ」
「世知辛い世は、時代が移っても変わらないのね……」
「しみじみ言うなや……」
「…………」
「…………」
バン!
タマモがテーブルを叩いて立ち上がった。
「お金がないんなら働けばいいじゃない! 女一人囲うぐらいの甲斐性みせてみなさいよ!」
バンバン!
横島もまた興奮して椅子を蹴る。
「無茶言うな! ついこの間高校に入ったばっかだぞ!」
鼻息荒く睨み合う二人だったが、何の解決にもならないコトに思い至り、揃ってグッタリと椅子に腰を落とす。
「はぁ、何の取り柄もない俺に何をしろってんだよ。せめてお前みたいな力があれば、GSにでもなってガッポリ稼ぐんだけどなぁ」
「GSってお祓い屋のこと?」
「おう、半年GSやれば都内に一軒家が建つって、テレビで言ってたなぁ」
「それよそれ!」
タマモが瞳をキラキラさせて叫んだ。
「そんなに儲かるならお祓い屋をやればいいのよ、簡単じゃない!」
「お前、俺に死ねと言うんかい!」
「今日一度死んだと思えばたいしたコトないわよ」
「この性悪狐!」
「なによ、この根性なしの甲斐性なし!」
こうして、横島家の夜は更けていく……。
あとがき
原作とは違う設定の描写が今回の話のメインです。
タマモは自分の正体の全てを横島に明かしているわけではないのですが、まぁ、今の段階ではこんなものでしょう。
次回からいよいよお祓い屋稼業のスタートです。
美神さん、出せるかなぁ……。
>wata さま
期待に応えられるかどうか判りませんが、なんとか頑張ってみたいです。
>LINUS さま
なにしろ無知なコンビなので、周囲に迷惑かけまくり、じゃないかと思います。
>Dan さま
基本的な設定については、今回の話でクリアできたかなと思います。
読んでくださったすべての人に感謝の言葉を。
ありがとうございます。
でわでわ