第13話 「霧の湖に散りしもの」
摩周湖
北海道東部に位置するこの湖は平均水深130mでありながら20mもの透明度を誇る神秘の湖。
流入・排出河川は無く、その湖水は雨水・雪解け水が溜まったものである。
周囲を50度〜70度の傾斜した崖に囲まれ湖岸まで人が近づくことは難しい。
湖面は夏場の7割の日を霧に覆われ、「霧の摩周湖」と言う歌がヒットしたこともある。
なお、晴れた摩周湖を見たものは婚期が遅れると言う言い伝えがあるが、これは湖の神が嫉妬するからである。
「しません!!」
「ぬおっ!」
摩周湖の観光展望台とは湖を挟んで反対側、地元の人間には裏摩周と呼ばれるポイントから湖岸に向かった横島たち。
草木を掻き分けて進む一行の先頭を歩いていた霧香がいきなり天に向かって怒鳴った。
驚く横島とまたかと言いたげなカムイたち。
「だ、だ、誰がアベックに嫉妬しているって言うんですか!!」
「アベックとは言ってねーだろ…「黙っててよっ!キムイカンムイ!!」…すまん…」
「ふーふー」と鼻息も荒く睨みつける霧香に縮こまる大男。
これで黄色ならなんとなく蜂蜜好きのクマさんぽい。
しばらく天に向かってぶちぶちとぶーたれていた霧香だが不意にその顔がニヘラと緩んだ。
その変貌振りは一瞬にして霧に包まれる「神秘の湖」の神にふさわしい。
「むっふっふっ…いいもんね〜。この湖の妖怪を元の姿に戻したら横島さんと初エッチだもんね〜。ラブラブだもんね〜。もーアベックなんかドンと来いだもんねー♪」
やっぱりアベックが観光に来るのは面白くなかったらしい。
なにやら妄想の世界に入ったのかイヤンイヤンと身をくねらせる湖の女神に神秘という単語はやっばり似合わないような気がする。
ちなみに妖怪退治の後にエッチいことをするという約束はしていないんだが、そこに突っ込むのは無粋というものだろう。
というか別なところに突っ込みが入るわけで。
「ほほう…初エッチでござるか?」
「ということは…シてなかったわけだ…」
ニヤリと笑うシロタマにお姉さん「うっ」と言葉に詰まる。
もしゃもしゃと口の中で言い訳めいた言葉を口にするもそれは音としては誰の耳にも届かない。
だが…
「一晩、一緒に居て何もなかったでござるか?」
「もしかして魅力が乏しいとか?」
「な、なぬお!」
さすがにシロタマのこの会話には反論せざるえない。
だって反論しないと女として色々負けたっぽい気がするし。
「あ、あ、あ、あなたたちが邪魔さえしなければぁぁぁ!!ちゃんとをぉぉ…」
「ふむ…タマモ。」
「そうね。シロ」
「「やったわね(でござるな)!」」
何がちゃんとかは知らないが、とりあえず阻止したのは確からしいと爽やかな笑顔でGJと親指立てあうシロタマと「えぐう…」と涙目のお姉さんの横ではキムンカムイが頭を抱えていた。
「お前ら…これから戦いだって忘れているだろ…。」
「そういえば横島殿は?」
キムンカムイの言葉にシュマリが少年の姿を探せば、羞恥なのか煩悩が満ちたのか顔を真紅に染めて先を急ぐ少年の姿が見えた。
だがそれは、その横でちゃっかり腕を組んでその顔からは想像も出来ない巨乳を押し付けているモモと、反対の腕にすがりつき小ぶりながら形の良い乳を押し付けるユクのツープラトンのせいかも知れない。
自分の手を胸で挟み込むように抱きつく少女たちに顔を赤らめつつ、少年は先を歩くコロポックルに気になっていたことを聞いてみた。
「なあ、コロ「フッキーじゃ」…ん、ああ、フッキー?」
「なんじゃ?」と振り返るコロポックルに真顔に戻った横島が真剣な目で問いかけた。
その表情にまたまたポーッとなる牛と鹿の神。
「その妖怪を倒すのになんで人の力が必要なんだ?」
「そのことか。それはな。神々とは言っても所詮は自然神。それ故に自然の理には逆らえぬのじゃよ。」
「どういうことだ?」と先を促す横島にコロポックルに代わってユクが答えた。
「私たちの存在は人間の言葉で言えば生態系と言われる大きな神の一部…」
「生態系?」
「そう…だから私たちはお互いに食べたり食べられたりしても…」
「一つの種を滅ぼすことは出来ぬのじゃ。」
「滅ぼすって…」
「勿論、絶滅させると言う意味ではない。だが、存在を許さぬ場所に存在してしまった生き物を滅するのは彼ら自然神では無理じゃ。」
「それは…自分たちの生存を否定すること…自分たちの滅びを肯定すること…」
「だが、闇雲に人に頼ればよいと言うものでもない。」
「自然の理を知らぬ人に頼れば…完璧な滅び…絶滅がもたらされる…ホロケウ(狼)のように…」
「それを出来るのは、人と獣、神や魔、妖などの区別が無いもの。人や獣が生まれれば喜び、神とともに怒り、魔や妖が滅すれば哀しみ。そしてその全てと楽しめるもの。すなわちお主のような男じゃよ。」
「存在を許さない場所って何だ?」とユクに聞く。
「この湖は外界から完全に孤立している閉鎖された水の世界…」
「昔、戦の後にこの湖に放たれた生き物がいたのじゃ。人はそれを食料とするためにこの湖を利用しようとした。」
「けど…人はそのことを忘れた…いくら生き物が増えても…獲る方法が無かったから…」
確かに湖岸に下りるだけでも一苦労のこの場所で安定した漁業など望むべくも無いだろう。
「この湖は外から流れ込む水もない…外に出て行く水も無い…つまり…」
「逃げ場も無く。餌も無い。その中に放たれた生き物はどうしたと思う?」
「どうしたんすか?」
「風が運ぶ僅かばかりの餌を奪い合い、それさえ尽きるとお互いに食い合ったのじゃ。せめて人が忘れず彼らを獲り、食い、彼らと共にあってさえくれればモモのように神にもなれたんじゃが。」
「共食い…生き物として最大の禁忌…それが常態化してしまって彼らは…狂った…」
「それがこの湖に棲む妖怪の正体じゃよ。」
コロポックルが語り終えたとき、横島の前の最後の草叢が開け、彼の目にスーパーの駐車場ほどしかないわずかばかりの平坦な湖岸と青い湖水が飛び込んできた。
「ここで戦うんか…」と不安の色を滲ませる横島にモモが心配そうな目を向ける。
「どうしたの?タダッチ?」
「ん?足場が悪いなと思って。」
「気をつけろよ。この場所はいわば崖の中間。水の中に浅瀬なんてものはないぜ。」
戦いを目前に控え真剣な表情に戻ったキムンカムイが注意を促した。
「はあ。そりゃ難儀な場所っすねぇ「う…ごめんなさい…」…いや、霧香さんのせいじゃないっすから。」
戦いにはいささか心もとない足場に溜め息をつく横島に霧香が申し訳なそうに俯くのを慌ててフォローする。
そんな横島にニパっと笑顔を向けて霧香が術の集中に入った。
たちまち湖の上空に濃霧が現れ、観光客でざわめく展望台から湖水を完全に覆い隠す。
「ふう。これで大丈夫です。ここで何がおきようとも人の目に触れることはありません。」
湖が完全に霧に覆われるとホッと一息ついて霧香が笑う。
だがその顔にはわずかに緊張と恐怖の色があった。
しばらく逡巡していたが意を決したか横島のところに歩み寄ると少年の胸にその身を預ける。
胸に感じる温かな二つの膨らみの感触に霊力が活性化するのを自覚する煩悩少年にはにかんだ様な笑顔を向けるあんまり年上っぽくないお姉さん。
「霧香さん?」
「横島さん…危ないことはしないで下さいね。」と優しく笑う霧香に横から声がかけられた。
「拙者たちはどうでもいいでござるか?」
「え?いや、そんなこと無いですよ〜♪シロちゃんにも終わったらお肉一杯あげますからね。」
霧香の約束にどういうわけかユクとモモがギクリと身を震わせる。
「私には…」と暗い声のタマモにお姉さんはちょっとだけ汗を流しつつ、諦めたように呟いた。
「え、えーと…特選油揚げ食べ放題ってことで…」
「よろしい。」
財布の中身を思い出したかほんのりと涙目になりつつもやるべきことを思い出すお姉さん。
コホンと咳払いして彼らに向き直った。
「では…湖の力を解放します。そうすれば奴は出てきます。」
「で、出てきた奴を俺らでタコ殴りってわけだ。勇者の力見せてもらうぜ!」
「勇者じゃないっすけど。がんばります。」
大男の激励に頼りない答えを返した時、霧香が「いきます」と再び念じ始めた。
湖水の表面に小波が立ち始める。
固唾を飲んで見守る一同の中で自分のカバンを覗き込んでいたヒャクメが叫んだ。
「何か浮いてくるのねっ!これは、でかいっ!!」
ヒャクメの言葉が終わると同時に横島たちの立つ湖岸の前方に巨大な水柱が上がり、それが納まった場所に現れる巨大な魔獣。
赤銅色の硬質的な外殻を持ち、大きな二つのハサミを持つそれはどうみてもザリガニである。ただしその高さは三階建てのビルぐらいはある。
「ザリガニ?」と呆気にとられる横島に霧香が「はい。ウチダザリガニです!!」と元気に答えた。
「何よ!この大きさはっ!!」
驚愕のため声が震えるタマモ。無理も無い。
ビルよりでかいザリガニなんぞ見た日には腰が抜けないだけでもたいしたもんだ。
「油断されるな!横島殿!!奴はこちらを敵と認識したぞ!」
「来るなぁぁぁ!!」
ギチギチとハサミを鳴らして「あ〜。マンマだぁ〜」とばかりに迫り来るザリガニに横島は反射的に『爆』の文珠を叩き込んだ。
チュドーンと大音響を上げて炸裂する文珠。
「やったか?」と爆煙の晴れたところを見れば「ギチ?」と何事も無かったかのように立っているザリガニがいた。
「うわ!めっちゃ硬っ!!」
『爆』の文珠でも傷一つ付いてない外骨格に驚く横島めがけて巨大なハサミが振り下ろされる。
「のわっ!」
「先生!」と横から飛び掛るシロの霊波刀がザリガニのハサミに触れる。
「斬れろ!」
ギャリンと耳障りな音を立て、シロの霊波刀がザリガニのハサミの半ばまでめり込んだものの切り飛ばすまでは至らない。
「くっ!本当に硬いでござるな!」
岩をも斬った霊波刀ですら切断するに至らぬその外骨格の強度に驚くシロ。
刃をハサミに食い込ませたまま動きの止まったシロにザリガニの脇から伸びた捕食腕が風を切って伸びる。
小ぶりとは言え、人の体なら簡単に貫通するであろう鋭さのハサミを持つ捕食腕がシロの体を貫こうとする寸前、横合いから神速の動きで突っ込んできた横島の霊波刀がそれを受け止めた。
「アホ!油断するな!」
「すまんでござる!」
自分の作った隙に乗じて大バサミから霊波刀を引っこ抜き後方に下がるシロを確認すると、受け止めている捕食腕を斬り飛ばそうとするが、霊波刀は小バサミにがっちりと受け止められてびくともしない。
「硬いにも限度があるだろうがっ!」と叫び霊波を強めることで押し切ろうとする横島にキムンカムイの言葉が届いた。
「タダッチ!刃に意志を乗せろ!「斬る」と念じろ!!」
「こうっすか?!斬れろぉっ!!!」
シャリン!
金属がこすれあうような音とともに小バサミの先端が切り払われる。
そのあまりの抵抗の無さに自分で驚き体勢を崩した横島に他の捕食腕が二本、頭上から襲い掛かった。
「爆ぜろ!」
タマモの叫びとともに出現した二本の光の矢が横島の頭上から襲い掛かる小バサミに命中するとこれを消し飛ばす。
苦悶の叫びなのか「ギチギチ」と口をこすり合わせて大バサミを振り上げるザリガニをキムンカムイの技が襲った。
「山よ!力を貸せえ!」
その声に答えるかのように崖から大岩が飛来し、ザリガニの横へ激突する。
バランスを崩しドウとひっくり返るザリガニ。
その隙に後方に下がり体勢を整える横島たち。
援護をしてくれたキムンカムイに「すんません」と軽く手を振る。
「気にするな!しかしタダッチお前って本当にとんでもねー奴だな。」
「はあ?」
「普通、聞いただけで出来るようになるかよ…」
「ああ、さっきの霊波刀っすか?言われたとおりやってみただけっすけど…」
「なるほどな。狼が師匠と呼ぶだけのことはあるってことか。」
苦笑いを見せるキムンカムイの言葉を遮るようにシュマリが横島目掛けて叫んだ。
「横島殿!あいつには斬るより貫く技が有効のようだ!弓を使ってみせてくれ!!」
「へ?どうすんすか?」
「君はすでに弓の所有者だ。念じれば弓は出る。矢は君の霊波によって作られる。」
つまり霊波刀の弓矢バージョンということか。と左手を倒れてもがくザリガニに向けて念じる。
横島の手に光る弓が現れ、引き絞った弦の中に栄光の手と同色の矢が出現した。
「行け!」と気合の声とともに放たれた矢は大きく目標を逸れると対岸の岩に当たって爆散する。
「狙うぐらいはしろぉぉぉ!!」と絶叫するシュマリだが、今まで彼が見たどんな矢よりも破壊力を見せ付けた光の矢に対して内心は舌を巻く。
その隙をついてギチギチと起き上がるザリガニめがけてタマモの放つ光の矢が降り注ぐ。
甲殻を浅く貫いて爆発する矢により、さしもの魔獣の鎧もひび割れ始めたが…。
「見ろ。あれを…」
「再生しとるっ!」
ひび割れた甲殻はたちまちのうちにひびが消え、見れば先ほど横島が斬り飛ばした捕食腕も元の形を取り戻していた。
「おのれ…」と歯噛みするシュマリに横島が近寄る。
「シュマリさん!あの光の矢って俺の霊波っすよね!」
「ああ、そうだが?」
「だったら矢の先に文珠をくっつけて放てませんか?」
「それをやった勇者は居ないが、出来ぬという道理もない!だが何を?」
「そっすか!じゃあ!!」と再び横島が弓を構え、先に文珠が付いた矢を放った。
今度は狙いたがわず文珠の矢はザリガニの口に吸い込まれるように消えていき、光とともに発動すると周囲に圧倒的な冷気の嵐を吹き荒らした。
霜に包まれ動きを止める魔獣に弓を向けたままニヤリと笑う横島。
『凍』の文珠はザリガニの体内からその体組織を凍結させたらしい。
「わははは。マッカチンなんぞ凍ってしまえば単なる冷凍エビにすぎんわい!」と勝利の高笑いをする横島にヒャクメから「まだなのね!」と緊迫した叫びが届く。
その言葉に答えるかのようにザリガニは体表を覆っていた氷をはじき飛ばすと再びギチギチと鳴きながら動き出した。
「ええい!北海道のザリガニは化け物かぁぁ!」と泣き言を言いつつも二の矢、三の矢を放つ横島。
だが炎に包まれても、身を焦がす雷撃を受けようとも、魔獣は体を一振りするだけで元の姿に再生していく。
「タダッチ!このままじゃジリ貧だぜ!!」焦りの色を見せる大男に頷いて横島はヒャクメに声をかけた。
「ヒャクメ!奴に弱点とか無いんかっ!」
「ま、待つのね!もうすぐ分析が終わるのね!」
ヒャクメの言葉に一筋の光明を見出して士気を奮い立たせる神々たち。
シュマリが、タマモが、横島が遠距離から霊波の矢を叩きつけて牽制すれば、天から鳥の神々も霊波弾を放って魔獣の足を止める。
解析が終わったヒャクメが大声で叫んだ。
「わかったのねー。コイツは一種の群体なのね!!無数の妖怪化したザリガニが集まっているのねー!!」
「んじゃどうすりゃいいんだぁぁ!!」
「真ん中にでっかい妖気の塊があるのね!それが核だと思うからそれを壊せばいいのねー!!」
「どうやってだぁぁぁ!!「知らないのねー!!」…ちいぃぃぃぃ!」
復活したザリガニの大バサミを避けながら霊波の矢を放つ横島。
大バサミとともに襲い来る小バサミまでも器用にかわして見せる少年の動きにコタンコロカムイが驚愕の目を剥く。
「タダッチ退けい!」とキムンカムイが大音声をあげて地面にその豪腕を叩きつけた。
グラリと地面が揺れ山肌と湖水の境界から立ち上がった岩の槍が魔獣の腹を直撃する。
柔らかい腹部を岩石の槍に貫かれ動きを止める魔獣。
飛び下がって距離をとる横島のところにタマモが走り寄って来るなり彼の手を握って叫んだ。
「ヨコシマっ弓っ!」
意図が読めないものの弓を構える横島が矢を発動しようとするのをタマモが遮る。
「矢は私が出すから横島は奴を狙って!」
その一言ですべてを察したか弓をしっかりと構える横島の手の中で暗紅色の矢が実体化した。
「うおっ!熱ちぃぃぃぃ!!」、「馬鹿っ!早く撃ちなさい!」
押さえきれない熱量を発する矢に自身の霊力を乗せて放つ横島。
矢は一直線に赤い航跡を描いて魔獣の大バサミに吸い込まれた。
命中したところから激しい炎が吹き上がると大バサミが真っ赤に染まり香ばしい香りを振りまきながらグラリと落ちる。
初めてとも言える効果的なダメージに歓声を上げる神々だったが次の瞬間その歓声は驚愕の声へと変わった。
「あれを見るのねー!」
ヒャクメが指差した場所にあるのは千切れ飛んだ魔獣の破片。
だがそれは今や数百匹のザリガニになって蠢いている。
「なるほど…群体ですか。」
「群体ってつまりたくさんのザリガニが集まっているってことでござるか?」
感心したかのように呟く霧香にシロが聞く。
「そうね…」
「とにかく今がチャンスだ!」と叫んで突っ込もうとする横島の動きが目にした異様な光景に止まった。
横島たちには目もくれず吹き飛ばされた破片に突き進む魔獣は捕食腕を振り回すとあたりに散らばるザリガニたちを捕らえ次々と口に運ぶ。
ガリ…グチャ…とその口の中でザリガニがすり潰さされる音が静まり返った湖面に響き渡る。
「な…なんだと…」と絞り出すようなシュマリの声。
「食ってやがる…」
「自分の一部を食らうと言うのか…完全に狂っておる…」
獣としても見ることがほとんど無い凄惨な光景に固まる神々たちの前で、全てのザリガニを食い終わった魔獣が満足げに身じろぎすると、失ったはずのハサミが再びメリメリと音を立てて生え始めた。
「つまりコイツを倒すには一気に核をぶっ飛ばさなきゃならんってことか?」
「そうだな。出来るか?タダッチ」
キムンカムイに大きく頷くと弟子を呼ぶ。
「やってみます…シロ!」
「なんでござるか!」
「さっきの技をやるぞ!俺に合わせろ!!」
「了解でござる!」
頷きあい走りながら二言三言打ち合わせする師弟を援護すべくあちこちから霊波の矢と弾が魔獣に降り注いだ。
その弾幕が作り出した隙に横島はワシの翼を身にまとって天を駆ける。
下を走るシロが全霊力を込めた霊波刀を大上段に振りかぶるのに合わせ、自分も霊波刀を発動させると一気に間合いを詰めた。
上と下、両方で発動した霊波刀が重なり合い澄んだ音を立てて共鳴する。
「今だシロっ!!」、「承知!」
共鳴し、いつもの数倍の光輝をまとった師弟の霊波刀は魔獣を真っ向から唐竹割りにすべく激突した。
「「絶!!」」
二人の声が一つに重なった瞬間、横島とシロが振り切った霊波刀はハサミが紙を切断するかのように魔獣の体をあっさりとすり抜けた。
二つに分かれてズズンと両側に倒れる魔獣の中心にどす黒い血の色をした核が二つに断たれた今も不気味な脈動をしているのが見える。
「タマモっ!!」
「OK!!」
横島の叫びに応えてタマモが全霊力を破壊に変換した狐火の矢を放つ。
矢は狙い違わずむき出しになった魔獣の核に命中すると大音響を上げて爆ぜた。
核を失った魔獣は多くの神々が見守る中、しばらくピクピクと蠢いていたが、時折触角をピクピクと痙攣させるとその動きを止めドロドロと崩れ始めた。
「やったのか…」シュマリの呟きにコタンコロカムイが頷く。
そして摩周湖は獣と神々の勝利を告げる歓声で満たされた。
「ふう…終わったわね…」
止めの技に全霊力を使ったタマモがわずかに茂った草叢にへたり込む。
「タダッチ〜。スゴイ!スゴイよ〜!!」
「ふふふ…さすが勇者様…ポッ」
隠れていた木の後ろから飛び出してきたモモとユクが自分に駆け寄ってくるのを笑顔で迎える横島。
あたりを見ればキムンカムイに乱暴に頭を撫でられて照れ笑いしているシロとへたり込むタマモの姿が見えた。
霊力を使い果たし座り込むタマモに労わるように近づく霧香の姿に、昨夜のことを思い出し頬を染める少年の目の端で動く邪悪な気配。
考えるより先に体が動く。
前に立つモモとユクを押しのけ飛び出すはタマモの前。
少年の目に魔獣の最期のあがきか、へたり込むタマモに向けて真っ直ぐに突き出された鋭いハサミが見え、少年は少女を庇うべくそこへ目掛けて突進した。
(疲れた…)と座り込むタマモ。
だが、やり遂げたという満足感もある。
ヨコシマは最後に自分を頼ってくれた。そして自分はそれにきちんと応えることが出来た。
それがとても嬉しい。
見れば少年は二人の少女神に囲まれて優しく微笑んでいる。
(もう…誰にでもあんな顔するんだから…)
誰にも聞こえないようにと小さな溜め息をつくタマモの背後から労わるような声がかけられた。
「タマモちゃん大丈夫ですか?」
振り返ると心配そうにこちらを見る霧香の姿がある。
タマモの脳裏に先ほどの約束が蘇る。
「大丈夫よ。ちょっと疲れただけ…それよりお揚げ…」
「あ、あはは〜。わかってますよ〜。」と苦笑いする霧香の表情が凍りつく。
その表情に振り返ったタマモの目に自分に向かって真っ直ぐに飛んでくる魔獣の鋭い小バサミが見えた。
(殺られる!)
思わず目を瞑ったタマモの体を激しい衝撃が襲う。
だが恐れていた痛みは感じなかった。
代わりに感じたのは暖かい抱擁。
その温かさと鼻腔をくすぐるここ数日の旅行ですっかり慣れた少年の匂いに少女は安堵した。
(また助けられたの…?)
心に浮かぶ喜びとそれに幾分混じった悔しさに目を開けられぬタマモの手に滴る熱い液体の感触。
何度か嗅いだことのある鉄の匂い。
それが何を意味するのかに気がついて少女は瘧に罹ったかのように震えだす。
我知らず自分を抱く少年の体を強く抱き返したタマモの耳に少年が漏らす小さな苦痛の響きが聞こえた。
「ヨ、ヨコシマっ!大丈夫?!!」
目開けた少女はの前にあるのはいつもの優しい笑顔。
幾分苦痛の色があるようだが致命的なものではないようだ。
心底ホッとした少女が少年の傷を確認しようと首を伸ばして凍りついた…。
切り裂かれた横島の上着の肩口、そこに突き刺さっているのは先ほどまで戦った魔獣の持つハサミの一部。
タマモの目は自分を抱きしめて庇う少年の背後に向けられる。
喉がからからに渇く…息が苦しい…声が出ない…。
それでも呆然とこちらを見ている神々に代わって、自分を抱きしめそれに背をむけている少年に伝えねばならぬ…。
必死に声を振り絞ろうとするがその口から漏れるのは意味を成さない音だけ。
「あ、あ、あ…」
「ど、どうした?タマモ!!」
自分を案ずる少年には見えていない。
彼の背後で自分たちに背をむけその身を魔獣のハサミに貫かれながら両手を広げて立つ霧香の姿は…。
後書き
ども。犬雀です。
えーと。今回は一言だけ。
ごめんなさい!!orz
1>斧様
ピンクと言っても結局はシてませんのでご安心を。
はい。頑張ります。
2>かれな様
動物には駆除という概念が無いと言うことで、人の力を借りる理由とさせていただきました。
3>AC04アタッカー様
お褒めいただき光栄であります。
ですがこんな展開でお姉さんを…。
4>KEN健様
かなりヤバイですがおキヌちゃんは本編で壊れ始めているので大丈夫かも?
5>シシン様
獣の神様ですからね〜。強いオスには惹かれまくりであります。
バトルの相手…実はしょぼくてザリガニさんでした。
6>紫苑様
そうですね。タマモは仲間を超えた感情を持ったかも。
次回で最終話の予定ですのでどうなりますか。
7>なまけもの様
霧香さん…このままじゃ本編出演は無理であります。
敵は摩周湖のザリガニでした。
ちなみにここには30センチを超えるザリガニがゴロゴロしてますです。
8>通りすがり様
観光スポットであります。ですが湖面までは行けません。(行くには許可が必要であります。)
犬は学生のころ、一度だけ行ったことがあります。
ザリガニの抜け殻が一杯打ち上げられていて、中々面白いところでした。