第3話 「無拍子」
横島の蹴りで身も蓋も無く沈没するタイガーに唖然とするギャラリーたち。
実況の古達もいつもの饒舌さは影を潜めてマイクの前で口を開けたまま沈黙するのみ。
やがてギャラリーがザワザワとざわめきだす。
「タイガーっ!!」
我に返り放送席から慌てて飛び出すピートを軽く一瞥して横島は愛子と小鳩のところに戻る。
客席の寺津も驚きを隠さない。
「ゆ、唯君…今のは?」
「あれはタダオくんの力ですぅ…」
「何かの術かね?」
「そうです。詳しくは言えないですけれど…」
驚く寺津に返答する唯の表情は暗い。
最初は唖然とことの成り行きを見ていた志摩だったがやがて密かに皮肉な笑みを浮かべた。
観客席で見ていた安室と桑戸も驚きを隠せない。
「今のは…」
「うむ。何かの術だとは思うが、それよりもその後の蹴りだ…」
「そうだな…桑戸、お前には見えたのか?」
「見えたと言えば見えた…はずなんだが…。」
「ああ、僕もインパクトの瞬間は見えたんだが…。いつ蹴りにいったのか見えなかった…いや見えてたはずなんだが…」
「まったく信じられないものだな。いかにタイガー君が動けないとは言え…」
「普通に歩いていって普通に蹴る…か。だが、いつ蹴りに行ったかは知覚できないっていうことか…?」
「そんなことが可能なものなのか?」
先ほどの戦いに口々に文句を言いながら教室に戻る生徒達の傍らで安室と桑戸は真剣な表情で考え込んだ。
別な観客席にはビデオや様々な計測機器を構えた科学部の面々が居た。
どうやら赤城はマジで横島を実験台と考えている節があるようだ。
厄珍と言い、モルモット体質も横島には存在するのだろうか。
「摩耶ちゃん。ビデオの再生お願い…」
「はい…」
「どうしたの?」
「いえ…なんか横島さんずるいような気がして…」
「そうかしらね?」
「何となくですけど…あ、ビデオの再生始まります。」
「どれどれ…」とモニターに集まる科学部の生徒達。
横島が入場し、タイガーに話しかけるところで赤城はビデオを止めた。
「ここからスローで再生して…」
「はい…」
「横島君の手を拡大できる?」
「やってみます」
モニターに写ったのは振り向くときに横島の手から落ちる小さな珠。
「これが手品の種ね…」
「やっぱりずるい気がするなぁ…まだ始まる前なのに…」
ぼやく摩耶に返答せずに赤城は先を促す。
画面に現れるのは咆哮とともに突撃しようとするタイガーの姿。
「タイガー君突っ込みます…」
「ここで術が発動するわけね…」
「そうですね」
「で、その後、横島君がキックするのよね…」
「もう一度、巻き戻しますか?」
「いいえ…蹴りの瞬間まで普通で再生してちょうだい…」
「はい…」
モニターを見ていた赤城が何かに気づく。
「摩耶ちゃん。もう一度!今度はスローで!!」
「は…はいっ!!」
見る見るうちに驚愕に彩られる赤城の顔。
だが同じ画面を見る摩耶の目には特に不自然な点が見当たらなかった。
横島はただ気楽に散歩でもするような足取りでタイガーに近づき、そのまま右足でキックを決めただけに見えた。
頭に疑問符を浮かべながら、赤城と何度も再生を繰り返しているモニターを交互に見つめる摩耶だった。
加藤は戦慄する…横島がやって見せたとんでもない芸当にいち早く気づいたが故に。
背中を冷たい汗が伝っていることを自覚しながら、去り行く横島を見つめ続ける加藤であった。
横島は言葉も無く立ち尽くす愛子と小鳩に軽く手を振ると、そのそばに立つ相沢に近寄ってわずかに疲れた口調で彼に話しかけた。
「あの…先生…」
「あ…ああ…なんだ横島…」
「いや…疲れたから早退してもいいっすか?」
どう返答しようかと考える相沢の目に心配そうに彼を見つめる愛子と小鳩がうつる。
「ああ、かまわん。出席にしておく。俺も無理言ったしな…」
「ども」とペコリと頭を下げ校舎に入っていく横島だったが、不意に立ち止まると相沢に振り返りニヤッと笑う。
「愛子と小鳩ちゃんのあの格好は先生が手配したんすか?」
「う…まあ…そうだ…」
「ありがとうございます。あれで少しは頭が冷えたっすから…」
そして苦笑しつつまた頭を下げた。
「横島さんっ!」
気を失ったままのタイガーを抱き起こしてピートが彼を呼び止める。
彼の言いたいことを予想しているのか、横島はゆっくりとした動作で振り返るとやはり淡々とした態度で返答した。
「どうした?」
「いえ…何ていうか…あまりに…」
「勘違いするなよピート。」
「え?」
「俺は本気でやったぞ。最初にタイガーがアレを使わなかったのはあいつの勝手だ…」
「でも…これはあまりに…」
「あはははははははは!」
突然、校庭に響く笑い声。驚いてそちらを見るピートの目に唯の近くでこらえ切れないと言うように笑う女子生徒が見えた。
「え?あなたは?」
「甘ちゃんだねぇ…あんた」
「え?」
「そこの坊や…横島といったっけ?ちゃんとやったじゃないか「死合」をね。生きていただけめっけもんって奴じゃないかい?」
志摩の言葉にもやはり横島の表情は動かない。
だが、疲れたように嘆息すると志摩に頭を下げ校舎に戻っていった。
急いで彼の後を追う少女達。
その姿を目の端で見送りながら人を小馬鹿にした顔つきで見下ろしている志摩にピートは問う。
「どういうことですか?」
「あたしにはあんたらの戦いってのはよくわかんないけどね…あんたらの相手はルールとかをキチンと守ってくれるってのかい?」
「それは…」
「ふん…喧嘩の相手が剣道のルールを守らないから卑怯と思うなら、最初から喧嘩なんかするんじゃないよ!」
「しかし!」
「あ〜。ピート。すまんが俺もそう思う。」
志摩の物言いに抗議を返そうとするピートを遮ったのは相沢だった。
「え?先生まで?」
「お前ら…心のどこかで練習とか訓練とか思ってなかったか?でもな。タイガーはこともあろうに「本気で」と言っちまったんだ…」
「…」
「担任失格だと思うが、俺はあいつの私生活や今までどんな経験をしてきたかはわからん。きっとお前らの方が知っているだろう。でもな、これだけはわかる気がする。」
「え?」
「あいつの「本気」ってのは「生き死に」のことなんだろうさ…。」
「ピート殿…」
相沢の発言に愕然とした表情を浮かべたピートに背後から話しかける声。
それは加藤だったがいつもの武人然とした彼とは微妙に表情が違った。
「あ、加藤さん…」
「私もそう思う。横島殿が最後に見せたあの技はまさに生死の狭間で身に着けたものではなかろうか?」
「え?」
「あれは剣の道、一刀流で言う「無拍子」に近いものではないかと思うのだ…」
「無拍子?…ですか?」
単なる蹴りに見えていたピートは聞きなれない言葉に疑問の声を上げる。
「そうね…それはこれを見てくれるかしら…」
「赤城さん…」
いつの間にか寄ってきていたのは科学部の赤城と摩耶。その後ろにビデオを持った青場が続いていた。
安室と桑戸も赤城を見かけたのかその後ろにいた。
赤城が再生したビデオを見る一同。
「わかる?」
「そうか…攻撃に入る前の予備動作が…」
「ああ、ほとんど無い…な。だが人の身でこんなことが可能なのか?」
安室の後を受けた桑戸、驚愕の表情を浮かべている両者に加藤が補足する。
「おそらくは何十年と修練を積んだものだけが到達する境地でしょう。しかし我らと変わらぬ年でそれが可能とは…とても信じられません」
「つまり…あの術で身動きを封じられていなくともタイガー君にあの蹴りをかわす事は出来なかったということか…」
「ですな。剣豪が赤子の投げた飛礫に当たるがごとく、何の色も無く放たれる技…私程度の腕ならよけられないでしょう。」
「じゃあ、あの術は必要なかったってことですか?」
「それが彼の本気ということかも知れんな。おそらくタイガー君は霊能者としての戦いを挑んだつもりだったのだろう。だが単に体術だけで倒してしまえばタイガー君の立つ瀬がない。」
摩耶の発言に桑戸が答える。
その言葉にやっと横島の真意を図ることが出来たピートの体が震える。
「横島さん…」
「うーん…あいつはもしかしたら俺より教師に向いているかも知れんな…いや、厳しすぎるか…?」
相沢が誰にともなく呟いたとき、気絶していたタイガーが動いた。
「う…ワッシは…」
「おお、気がついたかタイガー」
「先生…」
「まあいい。とりあえず何のために横島に戦いを挑んだかはあいつにちゃんと説明しろ。俺には気が向いたら話してくれればいい。」
「ああ、タイガー。僕も行くよ。そこでちゃんと話をするべきだ。」
「は…はあ…わかりもうした…」
がっくりとうなだれながら呟くタイガーの様子を痛ましい目で見つめていたピートだったが、とにかく横島のところに行こうとタイガーに肩を貸した。
そんな彼らに相沢が声をかけた。
「あ、悪い。俺、横島に早退していいって言っちまった…」
「えーっ!!」
返事は相沢の背後から聞こえた。
「ぬおっ!天野っいつからそこにっ!ぬらりひょんかお前はっ!!」
「ぬらくらひょん♪…って違いますっ!そんなことよりタダオくん帰っちゃったんですかぁ?」
「ああ、多分だが愛子君たちもついていっている気が…」
「はっ!そう言えばアリエスさんも居ませんっ!!…うえっ!」
こうしちゃ居れないとばかりに駆け出そうとする唯の襟首が相沢に捕まえられる。
「待ていっ!どこに行こうと言うんだお前はっ?!」
「どこってタダオくんたちを追っかけようかと…」
「ほほう…遅刻してなお学校をサボろうとは…天野…チャレンジャーだな…」
「えうぅぅぅぅ。お情けをぉぉぉぉぉ!!」
相沢はじたばたと暴れる唯を見つめると「ふーっ」と溜め息をつく。
「仕方ない。行っていいぞ。天野…。」
「へうっ!いいんですか?」
「ああ、行け。今はお前らと一緒に居るほうがいいだろう…。ただし…」
「う?」
「明日も遅刻なら…窓から逆さに吊るすっ!!」
「り、了解でありますっ!明日はスカートの下にブルマを装着して来ますですっ!」
「吊るされる気満々かぁぁぁぁぁ!!お前はぁぁぁぁ!!!」
「へううぅぅぅぅぅぅ!」
ぬらくらと逃げる唯を追いかける相沢に溜め息をつく一同、ピートはタイガーとともにそれを見守るしかなかった。
「放課後にでも横島さんのところにいこうか…タイガー…」
「そうですノー…」
下校路を黙々と自分のアパートまで歩く横島、その隣を遠慮がちに歩いているのは愛子とアリエスだ。
小鳩の担任は相沢より融通が効かないらしかったのかここにその姿はない。
彼に話しかけるきっかけがつかめずに黙々と隣を歩く少女たちだったが、横島のほうから話を振ってきた。
「いきなり暇になっちまったなぁ…」
「疲れたの?」
「んー。色々となぁ…。なあ、愛子、俺って間違っていたかなぁ?」
「さっきの戦いのこと?」
「うん…」
「そうね…私には戦いのことはわからないわ。でも…」
「でも?」
「横島君がタイガー君たちのことを思っていたってのぐらいは解るつもりよ…」
「そうですわっ!」
「え?アリエスちゃん…」
「心構えの違いですわ…忠夫様は戦うと決めたときから勝つ方法を考えていらした…。でも、あの大きな方はいざ戦いが始まっても迷っていましたわ…。その差が出ただけです。」
突然、会話に乱入し拳を握って力説する彼女に苦笑を返すしかない横島。
「うーん…それは買いかぶりすぎだと思うぞ…」
「そんなことはありませんわ!わたくしとてカッパ族を導くものとして戦いの心構えは知っております。カワ太郎も言ってましたわ。忠夫様はとても強いと…」
「…あの四天王に誉められてもなぁ…」
「そ…そうね…」
アメンボやウミウシに誉められてもなぁ…とあのやるせない戦いを思い出す。
もっとも戦った覚えはなかったが。
横で同意する愛子の言葉も力ない。
その時、後ろから彼女達に声がかけられる。
「見つけましたっ!!」
「あら…唯様…なぜここに?」
「ひ、酷いですう〜置いていくなんてぇ…」
プンプンと口で言いながら近づいてくる唯に言い訳をするのは愛子。
「だって唯ちゃん今日も遅刻だったし…大丈夫なの?サボって…」
「大丈夫ですっ!明日さえ遅刻しなければっ!」
「無理だと思うな…俺…」
「えうぅ〜。タダオくんが起こしてくれれば…」
「きっぱりと断るっ!」
自分には絶対に無理だと思う。あの歌を歌うのもごめんこうむりたいものだ。
「えう〜」
肩を落とす唯をじっと見つめていた愛子の目に決意の輝きが宿る。
「…そうね…」
「あ、愛子…?」
「遅刻しつづける不届き者を更生させる…これって青春よねっ!」
「そうでしょうか…?」
「そうよっ!決まりね唯ちゃん!」
アリエスの疑問を一言で粉砕して唯に向き直る。
「は、はいっ?!」
「私もあなたと一緒に住むわっ!」
「「「えーーーっ!」」」
愛子ちゃん横島のとなりに引っ越し決定…。
「わ、私の意見は〜?」
「遅刻魔は黙ってなさいっ!!」
「へうぅぅぅぅ〜…で、でも、考えてみれば楽しそうですねっ!これからは毎朝お願いします。愛子ちゃん!!」
「えっと…それはちょっと…」
早くも後悔し始める愛子だった。
後書き
ども。犬雀です。
今回、横島の技を解説するのに手間取ってタイガーの理由までいけませんでした。
ごめんなさいです。
今回登場した横島君の技は五味先生の書く天心独明流の「無拍子」とは微妙に違いますです。というか横島君全力を出してませんから…。
全力を出すのは小竜姫戦かハヌマン戦になると思います。
(鬼門だったらほとんど瞬殺ですので…)
横島君がこの技をどうやって身に着けたかは、犬のもう一つの作である「試しの大地」の方で書く予定でございます。
では…次回で
>義王様
タイガー弱いですな。戦闘力というよりは心構えの差だと犬は思っております。
>紫苑様
ごめんさない。タイガー戦はもう終わりです。
一応、妙神山で小竜姫と戦う予定ではあります。
>MAGIふぁ様
現在のタイガーでは対策の立てようがないんですよね。見も蓋もないですがw
>法師陰陽師様
ごめんなさいです。タイガーの理由は次回に持ち越しになりました。
>wata様
唯嬢の少女らしい部分はこの学校では出にくいかも…幕間話で今回同居が決まった愛子嬢との生活なんかを書こうかなとは思ってます。
読みたい方がいらっしゃればの話ですが(苦笑)
>T城様
西君は横島の能力を安室と会話させるために出した一発キャラでして…。
最初は「桑 太郎」なんて考えたんですけどね…やはり無理がありますですね。はい。
>初風様
実は加藤さんが浦木君のライバルです。かなり犬が壊しちゃいましたけど…
>kk様
ご指導ありがとうございます。志摩さんはピートに「甘ちゃん」と言わせるためだけに出した一発キャラです。この後、本編に登場する機会は名前ぐらいだと思いますが…犬はコロコロと変わるので…心いたしますです。
>柳野雫様
相沢先生は横島が「死合」を想定していることに気がついて、なんとか横島のやる気を削ごうと画策していたようです。
彼もなかなかに謎の多い人物です。