最終話 「秘宝の意味」
校舎裏の片隅、そこで横島はいつぞやのように雑草をむしりながらシクシク泣いていた。
「えう〜タダオくん…元気出して下さい〜」
「そうですよ。横島さん。泣いていたら幸せが逃げちゃいますよ…」
「確かに辛気臭いわなぁ。ほれ、しゃきっとせんかい!」
「えーんや…どうせ俺は煩悩魔人なんや…ケダモノ並みなんや…」
エグエグと泣きながら指で地面に「の」の字を書く横島を、唯と小鳩それに貧が慰める。横島も彼女たちの気持ちはわかるが、カテーテルのダメージと女子高生の白い目のダブルパンチはさすがにきつかったようだ。
その様子を校舎の廊下から窓越しに見ている愛子。
その顔にいつもの笑顔はなく影がさしている。
そんな愛子にふいに背後から声がかかった。
「あら…あなたは横島君のそばに行かないの?」
「私にそんな資格ないですから…」
赤城の声に振り向きもせず、じっと窓の外の横島たちを見ながら答える愛子だが、その声音にはいつもの快活さは微塵も感じられなかった。
「あの記事のことね…。確かにあなたがリピドーを性的欲求、つまり性欲と決め付けたのがきっかけよね」
「…」
頷く愛子。
「でもね。麻耶ちゃんの話を聞くとね。あなたがリピドー、正確にはリビドーね。それをきちんと知らなかったとは考えにくいのよ。」
「…」
「もしカッパたちの望みが単なる激しい性衝動だったとしたら、そんなものは刑務所にでも行けばいくらでも得られるわ。だけど…」
無言のままの愛子に構わず赤城は話し続ける。
「フロイトが晩年、エロスの概念を打ち出したのは知っているわよね。まあ細かいことはいいわ。つまりリビドー=生きるための本能だとすればハイリピドーっていったい何のことかしらね?」
依然、愛子から返事はない。ただ黙って窓の外を見つめ続けるだけ…。
「もし本能の薄れたカッパたちが自己の生存に関わる本能を欲していたのなら、あの「ナイチチ」の時に横島君が見せた力とは矛盾すると思わない?」
「…」
「仮に性欲だとしたら、暴走したナイチチとの戦いのときになぜ唯ちゃんを襲わなかったのかしらね?」
「…横島君はそういうことが出来る人ではありませんから…」
かすかに震える愛子の声。
「そうね。では生きるための本能だとすれば、その究極の目的は自己保存よ。だったら横島君は唯ちゃんもろともにナイチチを攻撃したはずだわ。自分の身をまもるためにね…。でも結果は唯ちゃんは助かって滅んだのはコンプレックスだけだったわ。」
「…」
「横島君に意識はなかったはずなのに、その行動は唯ちゃんを助けるためになされた。もしあれが本能だとしたら、彼は本能レベルで他人を助ける衝動があるということよ。」
「ハイリピドーが「凄いリビドー」ではなく、「リビドー」を「超える」ものと定義すれば納得できないかしら?」
やはり無言のままの愛子。しかしその目に溜まるのは涙の雫。
「信じられる?私も信じられないわ。衝動的に他人を守ろうとするなんて存在があるなんてね。」
「そしてそれこそがカッパたちが「宝」と呼ぶものじゃないかしら。自分も他人も区別無しに向けられる「生」のためのエネルギー…それが全ての生き物に存在するようになるなら素晴らしいことよね。」
背を向けたままコクリと頷く愛子。
タナトスではなくエロスによって律せられる世界の歯車。
対立はすべて愛によって解決されていく、そんな世界があれば一つの理想郷と言えるかもしれない。
「けど、一人の人間として見たら、その衝動は危険なものだわ。言わば彼はいざとなったら考えるより先に他人を助けるために体が動いてしまう人…。命がいくつあっても足りないわね。」
ピクリと震える肩。薄っすらと窓に映る愛子の顔。こらえきれずその頬を伝う涙。
赤城の仮説は続く。
「そして、あなたはそれに気づいていた。彼は人を助けるためには自分を犠牲にすることも厭わない人だということに…。それは彼の身近な人になればなるほど強く発揮される心の力…。だから、あなたはただの好奇心やミーハーな気持ちで彼に近づこうとする人たちをふるいにかけようとした…。カッパの話を利用してね。違うかしら?」
「すべて先輩の推測ですよね…」
力の無いその言葉には否定も肯定の響きもなかった。
「ええ。ただの推測。でも…確証が持てたわ。」
「え?」
「あなたがあちらではなくここにいることがその証拠ってとこかしらね。」
「…」
ゆっくりと振り向く愛子の頬をとめどなく流れる涙。
「何を迷っているのかしら?」
「私…横島君に酷いことをしちゃったから…それに…」
「やれやれ…あなたも彼の肝心な部分は理解してないのかしらね。」
「?」
「もし私の仮説どおりの衝動を持つ人だとしたら、種族なんてものにこだわると思う?」
「!!」
愛子の顔に浮かぶ表情は、驚愕から理解、そして喜びへと変化した。
再びあふれ出す涙…しかしその意味は先ほどとは違っている。
「私の言えることはこれだけよ。後はあなたが自分で考えなさい。」
そして赤城は愛子に背を向け再び廊下を歩き出す。
廊下の角を曲がる時、赤城の耳に入るのは廊下を走る愛子の足音。
赤城はその音を聞きながら心の中で呟いた。
(気づく人はいずれ気がつくわ。赤井さんとか麻耶ちゃんみたいにね…頑張りなさい。愛子ちゃん…)
思わず「クスリ」と笑みが漏れる。
そして笑顔のまま廊下の影に潜む男に声をかけた。
「立ち聞きは良くないわよ。安室君…」
「ああ、失敬…。」
影から歩み出た安室と並んで歩き出す。
やがて安室が口を開いた。
「しかし信じられないな…」
「何のことかしら?」
「「自分を守りたい」と「他人を守りたい」という衝動が同じレベルにある人間がだよ。」
「ええ。私もね。信じられないわ。でも…」
「でも?」
「非科学的だけどね。彼はどんな目にあっても死なないような気がしない?」
「そうかな?わが身を省みず人を助けるなんて人間が長生きできるとは思えないが?」
「そうかもね。だけどもしかしたら…」
2000年ほど昔にそれをなした人間がいたのだ。
すべての人間の罪を背負って逝った人物が…。
飢えた虎の親子にその身を差し出した人物が…。
「もしかしたら?」
「私たちは神様が生まれる瞬間を見ることができるかな…なんてね。」
「神…か。」
少しの間考え込む安室。
「君もその神候補とやらと一緒に歩んでいくつもりかい?」
「まさか…。私は独占欲が強いのよ。」
「なるほど」
「彼のそばに居たければ彼を所有しようとか、独占しようとか考えたら駄目ね。きっとつらい思いをするわ。私は疲れる恋愛は嫌よ。」
そう言って笑うと「じゃあ。私は部活があるから…」と赤城は別な廊下へと歩き出した。
後に残された安室は一人呟く。
「神か…あるいは世界が彼を選ぼうとしてるのか…」
はたまたその逆か?と考え込む安室。
「だが…僕は…彼が「人」のままで「人」としての新しい未来を導き出す存在になって欲しいけどね…」
なんにせよこれからの高校生活が刺激に満ちたものになる予感がする。
彼には自分の予感に絶対の自信があった。
だから彼は楽しげに自分を慕ってくれる少女たちのところに向かう。
いつしかその表情を笑みに変えて…。
エグエグと泣き続ける横島の頭でパシンという軽い音がした。
振り返ってみるといつもの笑顔の愛子が、でも目だけは赤くして立っている。
「ほら。横島君。いつまでも落ち込んでないのっ!!」
「愛子ぉ〜」
振り返る横島…どうみても情けない男子高校生にしか見えない。
そんな彼を見て愛子の胸に生まれるしっかりとした想い。
「あ〜。もうしょうがないわねぇ。どうせ泣くんなら土とか草なんか相手にしないの!!」
そう言ってしゃがむと横島の頭を胸に抱き寄せる。
その大胆な行動に驚く唯と小鳩。
「えう〜えう〜。ズルイです愛子ちゃん!!わ、私もやりますぅ!!」
「あら、どうせ泣くなら横島君も柔らかいほうがいいわよねぇー」
「そ…そういうこと言いますかっ!確かに胸は柔らかくないけどお尻は柔らかいですっ!!」
「あなたねぇ…どこの世界に女の子のお尻に顔を埋めて泣く人が居るのよ…」
いたら変態と呼ばれるのは確実だ。
「あの…柔らかいというなら小鳩の方が…」
「あ、それだとクッション効きすぎだし。今は私ぐらいがちょうどいいのっ!」
おずおずと申し出る小鳩をやんわりと拒否。
他の日は譲れるかもしれないが今日だけは駄目!とその目が語っている。
「あ、愛子…わかったから離してくれ…」
このままでは涙以外の体液が出てしまうと横島がもがく。
その横島の頭の動きに何かがこすれたのか「あん♪」と愛子。
その声が横島の煩悩を刺激する。
「泣いたカラスがもう勃った」ということか。
「いや…愛子。マジで離して。ちょっとヤバイ…」
「いいの…今は私がこうして居たいんだから…」
そしてますます横島の頭を抱きしめる。
「へう〜へう〜。ひどいですぅ。鬼ですぅ。こうなったら私も行きますぅ!!」
「小鳩もご一緒しますっ!!」
「えいっ」と抱きついてくる少女二人。
貧は一人の少年を三人の美少女が囲んで抱きしめるという奇妙な光景を見て呟いた。
「やれやれ…ホンマにコイツはわかっとらんやっちゃ…」
そして福の神にはあるまじき溜め息をつきながら空を見上げる。
「これも業という奴やろか…」
夕焼けの空を飛ぶカラスはその言葉に答えることも無く「アホー」とだけ鳴いて飛び去っていった。
某所…
横島たちの学校新聞を見る覆面姿のいくつもの影…。
「おお…これは…」
「裏切り者とは言え、これほどとは…惜しいものよな…」
「では…仲間に引き込むか?…」
「黙れ!!」
上座と思われる場所、龍に巻きつく邪悪な縄をモチーフとした紋章の下に響くは凛とした声。
「「「お館様!!」」」
その場に立つ人物に平伏する影たち。
その人物はゆっくりと頭を巡らせ、かしこまる影たちを見渡す。
その動きに優雅に揺れる腰まである金の髪。
ふわり…と揺れるたびに白百合の香りがあたりに漂う。
純白のレオタードのような衣服に包まれたその肢体は素晴らしく、鍛え上げられ引き締められた肉体は見事な曲線を描いている。
特に胸の隆起が素晴らしい。
口を開くたびにレオタードの胸が揺れる。
目を覆う仮面の下、真紅のルージュを引いた口から放たれるは呪詛を込めたかのような声。
「かの男は裏切り者であるぞ。もはや我らの仲間になることなぞありえんわ!!」
「しかし…」
「もう良い!!誰かあの男に血の苦しみを与える奴はおらんのか?!」
その声に答え暗闇から一人の男が進み出ると恭しく跪いた。
「そのお役目…ぜひこの私にお申し付けください…」
「おお!お前が行ってくれるのか!!」
「はっ!必ずやあの男に裁きの鉄槌を下して見せます…。あの男が大事にするものを奪い取って見せましょう…。」
「うむ…まかせたぞ…」
「ははっ!」
そして横島と彼女たちの身に危機が迫る…。
後書き
ども。犬雀です。「除霊委員のプール授業」これにて完結となります。
えと…リビドーの解釈とかは激しく適当ですので、突っ込みは無しという方向で…(土下座)
ユング派以降だのアドラーだのってのは犬のキャパを超えてしまいますです。はい。
さて今回は愛子嬢に比重を置きました。次話は小鳩嬢と唯嬢に焦点を当ててみようかな。
いちおう前話で引きを作っていた謎の組織が動き出します。
犬の希望としては今度こそシリアスバトル!!(狼少年?)
そんな訳で次話予告
ついに動き出した謎の組織!横島たちの前に現れた謎の刺客の魔手が小鳩を襲う。
想像を超えた刺客の攻撃に倒れ付す横島…。
しかし少女たちを守るため彼は血に塗れながら再び立ち上がる。
だが…
次話 「除霊委員の日曜日」 第1話 「汝の名…それは…」乞うご期待!
>九尾様
羨ましいようなそうでないような…。
>法師陰陽師様
はい。贅沢です。実はモテてると彼が気づく日は来るんでしょうか?
>wata様
今回も唯嬢出番少なめ…次回はなんとか。
うーん。確かに反応薄いですねぇ…。失敗失敗(ショボーン)
>紫苑様
お姫様はまた出すことに犬の中で決定しました。さてどう話に絡めますか…。
>柿の種様
あああ…やってまいましたかぁ…今回はミス多いです(がっくり)
>Dan様
お姫様はアニメ好きです。その辺りの設定で今後彼らと絡めてみようかな?
演劇部編とか…。