* * * 両親は普通のリザードンだった。一緒に生まれた兄妹たちも、普通の大きさのヒトカゲだった。ただ、何かおかしなことが、あたしの卵には起こっていたみたいだ。 あたしが産まれた時、両親は驚いたらしい。当たり前だけど。それでも、他の兄妹と同じように育てられた。食事やら何やら、あまり手が掛からなかっただろうし。 でも、そんな長所より、短所の方が断然多かった。気をつけないと、すぐに踏み潰されそうになるし、体が小さい分、他のポケモンに食べられる虞も多かった。 兄妹喧嘩もあっと言う間に決着をつけられ、いつも悔しい思いをしていた。 そして、そんな頼りないあたしだから、両親に守られてばかりいた。守られてばかりいたから、成長も遅くなる。兄妹がリザードに進化しても、あたしはいつまで経ってもヒトカゲだった。 惨めだった。それでも「死にたい」なんて思ったことはなかった。体は小さくても、負けん気は人一倍強い。いつか立派な姿になって、皆を見返してやりたい。そう思っていたのに――。 ある朝目覚めると、全く知らない場所にあたしは居た。周りには両親も兄妹も、誰もいない。 一日中歩き回って、飛び回って、それでも見覚えのある場所は見つけられない。 三日間探し続けて、幼いあたしはやっと「捨てられたんだ」と解った。 あたしに愛想が尽きたからなのか、あたしの将来を哀れんでなのか。今も分からない。 とりあえず、あたしを殺そうとしたのは確かだ。で、何処かに放っておけば、その内死ぬだろうと考えたんだろう。 だったら、その場で踏み潰すなり、喰ってしまうなり出来たはずなのに。親心がそうさせなかったのかもしれないいけど、そんな中途半端な優しさなんて、正直要らなかった。 両親の予想を裏切って、今もあたしは生きている。勿論、楽なことではなかった。今までより危険が倍増えたから、移動するにも、物陰を選んでいつもコソコソとしていた。 それでも命の危険には何度も遭った。今生きていることは奇跡だと思う。 食べ物の在処だって、最初は皆目見当がつかなかった。 空を飛べないから、リザードンに進化するまでは、地上に落ちた木の実しか採れなかった。自分じゃ狩りはできないから、他のポケモンのお食事中に、こっそり勝手に頂いていた。これもまた、命懸けだった。見つかったらもう終わりだ。 こんな毎日を送っていたから、皮肉にも、前よりも逞しくはなった。お陰で、リザードンにまで進化することが出来たし。 ただ、思ったほど日々が変わることはなかった。食糧採集が大変なのも、常に命の危険に晒されているのも、前と同じだった。 そして、あのガキ共に存在を知られ、悪戯されるようになる。住む場所を変えればいいのかもしれないけど、こんな身だから、漸く慣れてきた場所をそう簡単に去る気にはなれない。 今はただひたすら、我慢の日々だ。 * * * ガサガサッ 突然、何処かで雑草が揺れる音がした。風とかの所為じゃなくて、誰かが草むらに足を踏み入れたようだ。その後も、繁った雑草の中を突き進む音が続いた。 あちこち往き来しながら、段々あたしの基へと近づいてくる。 体を強張らせながら、あたしはただただ音を聴いていた。肉食のポケモンだったら――という不安で心の中が穏やかじゃない。 そして、音の主の影が草むらから躍り出た。 「……」 生唾を呑んだ。月明かりに照らされた姿は、狼の形をしていた。グラエナだ。 夜の闇に溶ける黒と、月明かりに煌めく銀灰色の毛を、冷えた微風に靡かせながら歩き始めた。その方向が、運悪く、あたしの居る方向だった。 更に。炎の灯った自分の尻尾の存在を、今の今まで忘れていた。 「ヤバ……!」 思わず口をついて出た声に、胸が縮んだ。奴に聞こえてはいないだろうか。見つかったら、絶対に喰われるぞ。 横目にチラッと見てみると、グラエナは別の方向を向いていた。あたしのことには気づいていないみたいだ。 考えてみたら、足下の石に小さなリザードンが縛り付けられてるだなんて、誰が考えるだろう。夜の暗さだって、余計に都合がいい。 グラエナが歩き出した。その行き先を目で追おうとしたけど、石に邪魔をされる。首を伸ばしてみても、縛られているから見えやしない。 でも、足音は段々と小さくなって、やがて聞こえなくなった。 「……行った、のか?」 あたしの声が響いてしまう(気がする)ほどに、辺りはしんと静まり返っている。 大丈夫みたいだ。深く溜息をついて、上を向く。 「――っ!!」 息が止まった。目線の先いっぱいに、あたしを見下ろすグラエナの顔があった。赤い瞳が、薄い闇の中でギラギラ光っている。 鋭く尖った牙。それらが綺麗に整った歯並び。その隙間からタラーッと、見るからに粘っこい透明な汁が、細く伸びながら落ちる。 それを見て、血の気が引くのを感じずには居られなかった。 グラエナは次に、あたしの正面に回り込む――そして、あたしの頭よりも一回り大きな赤い鼻を、体に付くか付かないかの所まで近付けて、あたしの匂いを嗅ぎ始めた。ざらついた表面が、しばしば体を擦る。 けど、擽ったいなんて呑気なことは思っていられない。この後には、あたしの体がこいつの腹の中に入ってても、可笑しくはないんだから。 一頻り匂いを嗅ぐと、グラエナは顔を上げる。 「姿は見えねぇのに匂いがすると思ったら、お前か」 そう独りごちると、更に続ける。 「小せぇ体だな。初めて見たときゃ、ちっとばかし驚いたわ。何だって、こんなとこに縛られてんだ?」 「……何で見ず知らずのテメーに、そんなこと言わなきゃなんねぇんだよ」 ぶっきらぼうに言い放った。正直今、全身が震えている。怖い。だから、虚勢を張る。そうでもしないと、恐怖に打ち拉がれそうだ。 「ハハッ! 威勢がいいな」 上を向いて笑うと、グラエナはあたしの方に顔を戻す。 「――本当、喰っちまいたいぐれぇだ」 周りの寒さ以上に、その言葉があたしを冷たく突き刺した。 ひん剥かれた大きな目の中には、目の前の獲物に狙いを定めた小さな瞳が浮かんでいる。ちょっと目線を落とせば、開かれた口から、涎でてらてらと光る舌がだらしなく垂れ下がっている。 ヤバい。こいつ本気だ。 「馬鹿かお前? 少しは考えろよ。腹減ってんだろ? こんなちっちぇ痩せ奴を喰っても腹の足しにもなんねぇだろうが」 「ハハ、必死だな」 グラエナがにやける。 まさしく図星なことを言われて、そこで言葉に詰まってしまった。 「“腹が減ってる”っつってもな、小腹が空いた程度だ。それで、何か居ないか探し回ってたんだがよ、そしたら、丁度いい大きさの奴が居るじゃねぇか」 隠していた震えが大きくなって、自分ではどうしようもなくなってきた。 グラエナはその様子を楽しそうに上から見下ろすと、話を続ける。 「それにだ。お前みたいな奴を散々泣き喚かせた挙げ句、呑み込んでやるのも、なかなか乙だと思わねぇか?」 「んなわけ……」 そう言い掛けて、思わず声が止まった。いつの間にか、グラエナの顔が真正面にきていた。 「ククク、当てが外れて残念だったなぁ」 不敵な笑みに吊り上がった口元と、生温かい息。それと、幽かに血の臭い。 多分、今までにこいつの犠牲になった奴らの――そう思うと、寒気と吐き気がした。 「そうやって縛られてちゃ、不憫だな。俺が自由にしてやるよ」 そう言って、グラエナは徐に大きく口を開く。視界いっぱいに、鋭い牙とピンク色の口内が映る。そして、その奥の闇までもが露わになった。 「やめ……」 ガッ すぐ隣で音がした。石に牙が当たったらしい。一瞬のことだった。 |