少女は手で雪を掬い、小さな鍋に入れ、バクフーンの炎に当てた。 持参した水は、もうとっくに飲みきってしまった。今は雪を溶かした水を飲むしかない。 水で喉を潤し、アーアーと少し声を出す。少し喉が痛いが、無事に声が出た。 「お水だよ、飲める?」 バクフーンに声をかける。バクフーンはゆっくりと目を開け、鍋の水に口をつけた。 その間に、少女は鞄の中を覗き込む。何か食べ物は入ってはいないだろうか。 しかし、何度見ても結果は変わらない。もはや食べられそうなものは入っていない。 少女は落胆した。 そういえば……、吹雪に閉じ込められてから、どれくらい経ったのだろうか。 少女は考える。 まず、ここからでは太陽が見られない。だから、日没では数えられない。 それから、ここに入ってからほとんど寝ていないのも同然だから、眠った回数でも数えられない。 あとは、思いつかなかった。 なんだ、結局わからないではないか。 「ま、わかったところでどうしようもないよね……」 返事は無かったが、赤い目が少女をジッと見ていた。 水は、おいしかった。 少女から渡された水は、本当に五臓六腑に染み渡っているのではないかと錯覚するくらい、バクフーンを潤した。 それから、少し胃が痛くなった。 雪を溶かしただけの冷たい水は、空っぽの胃には少し荷が重かったようだ。 少女をぼんやりと眺める。 少女は、モコモコとした分厚い服に身を包み、手袋やマフラーで冷気に触れないよう身を守っている。 分厚い服の下の華奢な体で、あとどれだけ耐える事が出来るのだろう。 褐色の髪は長く、今はだいぶ汚れてはいるが、それでもきれいだとバクフーンは思った。 少女はこの髪を本当に気にいっていた。 旅の途中でも手入れは欠かさなかったし、みだりに髪に触れると、それが例え自分でも激怒した。 少女は何かを必至に考えているようで、雪の室の入り口を見ている。 少女は遭難してから、かなりの頻度で何かを考え込んでいる。 考える以外に体力を消耗せずにできる事は無いので、仕方の無い事だともいえる。 だが、バクフーンは少女が何かを考え込むたびに、とても怖くなった。 狭い雪の密室で、満足な食事もなく、衰弱しきった中で考える事が、到底まともなことだとは思えない。 だから、怖かった。彼女が最悪の発想に至ってしまうのが、本当に怖かった。 「そうだ」 少女は鞄をガサゴソとまさぐった。 「……あった」 少女は鞄の中からポケギアを取り出す。 「なんでずっと気付かなかったんだろう……」 ポケギアには時計やラジオ、地図などの様々なアプリがダウンロードしてある。 その中には、もちろんカレンダーも入っている。 遭難した当初は、電話で助けを呼ぼうともしたが、残念ながら圏外だった。 ラジオも、電波が届かず、天気予報も聞くことが出来なかった。 それ以来、鞄にしまいこんだままだったのだ。 「えっと……」 少女は震える指でポケギアのボタンを押す。 アドレス帳を開くと、自宅への電話番号を選択し、通話ボタンを押す。 電話はかからなかった。 「そりゃ、そうだよね。 天気予報、聞いてみよう。吹雪がいつ止むか、とかやってないかな……」 少女はラジオを天気予報のチャンネルにあわせた。かじかむ上に手袋をした手では操作しづらかった。 しかし、ラジオから流れてくるのは、雑音ばかり。 「ダメ、か」 少女はため息をつく。白い息がくっきりと見えた。 そういえば……、吹雪に閉じ込められてから、どれくらい経ったのだろうか。 少女は考える。 まず、ここからでは太陽が見られない。だから、日没では数えられない。 それから、ここに入ってからほとんど寝ていないのも同然だから、眠った回数でも数えられない。 あとは、思いつかなかった。 なんだ、結局わからないではないか。 少女はため息をついた。白い息がはっきりと空気中に舞った。 「…………」 心なしか、さっきも同じことを考えた気がした。 少女はポケギアのボタンを押す。 そうだ、カレンダーを見れば、どれくらい時間が経ったのかわかるかもしれない。 少女は少し浮き足立つのを感じた。 わかったところでどうしようもない事でも、何もわからずに呆然と立ち尽くすよりずっとましだ。 少女はカレンダーを開こうとする。 手がかじかみ、指先があまり動かない。手袋も邪魔だ。 少女は手袋を外した。 指先が変色していた。 「ゆ、び……」 衝撃だった。 自分の指先が真っ赤に腫れ、関節部分も赤く痛々しい。 指先は、ひどい所は毒々しい紫色に変色している。黒ずんでいるといっても差し支えはないほどだった。 他にも、全体的に血の気がなく、土気色をして、ガサガサに荒れていた。 慌てて靴を脱ぎ、何重にも履いた靴下も脱ぐ。 足も同じような状況だった。むしろ、足のほうが酷かった。 足の指は焼け焦げたように黒かった。 足の指を動かそうとする。指の感覚は無い。動く様子もない。 凍傷だ。 少女は思った。 ドラマや本でよく見た話だ。雪山で遭難して、凍傷になって、そして。 「ゆび、を、きる……」 そうだ、切断だ。 少女は都会暮らしだった。困難など何もなく、せいぜい友人関係で悩むくらいだった。 旅に出てからも、ほとんど困難など無かった。 そんな少女にとって、雪山での遭難は非日常だった。非常事態だった。 あってはいけないことで、ありえないことだった。 それでも、少女がここまで耐えてきたのは、日常へと帰るためだ。 愛すべき仲間たちと、また冒険をし、バトルをし、笑って、少しの怪我をして、眠り、明日を待つ。 そんな「普通」のためだった。それが希望だった。 少女の頭に浮かんだ指を切断すると言う事態は、希望を揺るがすには、破壊するには十分なのだ。 指を失ったら、もう、普通には戻れない。普通に戻れないなら、もう、意味は無い。 そんな意識が少女の頭を横切る。 そして、その意識は、少女に最悪の発想をもたらす。 |