その日もシロガネ山は、その名のとおり白銀に輝いていた。
針葉樹の森に降る雪は深く積もり、わずかな木漏れ日を照り返して目を焼く。
本来であれば、真白い雪があたりの音を吸い、シンと静まり返った森であっただろう。
そして、寒さに強く、厳しい環境で育った屈強な野生ポケモンがある種の平和を享受もしくは作り上げて、生きていたはずである。

その日もシロガネ山は、その名のとおり白銀に輝き、吹雪いていた。
ゴウゴウと逆巻く吹雪は、いとも容易く森の木々の間を駆け回り、荒らしていく。
吹雪は風に乗せ冷気と雪を運び、木々を震わせ、積もった雪を振り落としては森の奥へと消えていく。
吹雪の立てるガサガサ、ゴウゴウ、ドサドサといった騒ぎは森に沈黙を許さない。
また、野性ポケモンたちも今はその姿を潜め、吹雪が去るのを待っている。

その名のとおり白銀に輝くシロガネ山の、吹雪逆巻く森の奥に、少女はいた。
雪に被われた絶壁に小さな室を作り、その中でガタガタと全身を震わせ、座っていた。
少女の傍らにはバクフーンが座り、背にチロチロと炎を灯している。
少女の唇は青く、耳は紫色になっており、目には深く隈が作られていた。
少し色素の薄い、長く伸ばされた髪は乾燥しパサパサと乾いてはいるが、表面には皮脂が膜状に付着していた。


シロガネ山は、その名のとおりの白銀の輝きと吹雪によって、彼女たちを閉じ込めていた。







雪山にて慟哭







少女たちがシロガネ山に挑戦したのは、何日も、いや何週間も前のことだったのかもしれない。もはや少女は覚えてはいなかった。
ただ、きっかけは覚えている。とある噂話を聞いたのだ。
少女は強いポケモントレーナーだった。ジムバッヂも8つは持っていたし、負けた経験もほとんどなかった。
今思えば、彼女は自惚れていたのだ。
だから、こんな噂話に食いついてしまった。

「シロガネ山の山頂に、最強のトレーナーがいる」

そのトレーナーは亡霊だとかチャンピオンだとか、無言だったり饒舌だったり、
よくある噂話のように、細かな差異はあるものの、最も重要な一点は揺るがなかった。
そして、少女もそれに乗ってしまった。
相棒のバクフーンを含む、彼女が信頼する6匹のポケモンと共に、少女は数々の冒険を繰り広げてきた。
幾つもの山を越えた。幾つもの海を渡った。洞窟を抜けた湖に潜った川を下った。
だから、今回も楽勝だと思ったのだ。

その結果がこれか、と少女は自嘲する。
シロガネ山の洞窟を抜けるまでは最高だった。
野性ポケモンは、確かにそこいらで出遭うよりも強かったが、彼女のポケモンの敵ではなかった。
山頂付近の森を探索するまでは良かった。
針葉樹の森は神秘的で彼女の好奇心を満たした。
それからがいけなかった。
探索途中で、風が強くなった。
もとより降っていた雪も強さと勢いを増した。
彼女を魅了した景色は、音をたてて牙を剥き彼女に襲い掛かった。

バクフーンに雪の壁の一部を解かしてもらい、滑り込んだ。
その後は、ずっとここで立ち往生だ。
いや、座っているのでその表現はおかしい。
彼女は自分のジョークに少し喜び、空しくなった。

ここに入ってから、全く寝ていない。
多少まどろみはしたかもしれないが、なんとか起きている。
「雪山で遭難したら、寝てはいけない」
その鉄則を守り、少女はずっと起きている。
少女は一体何日寝ていないのか、考えようとして、考える材料が足りない事に気付く。
この雪の室の中では、太陽は見えない。だから日没の数は数えられない。
眠っていないから、何回目覚めたかで数える事もできない。
他の方法は思いつかない。
とにかく、彼女は長い長い間、眠っていなかった。

手持ちのポケモンはバクフーンのみボールから出し、あとはしまったままだ。
ラッキーやハピナスがいれば、そのタマゴを食べる事も出来ただろうが、いなかった。
ほかに食用となるポケモンも彼女はもってはいなかったし、
この寒さの中出して、消耗させるのもかわいそうだったから、ボールからはだしていない。
バクフーンも、雪を溶かした後ボールに戻そうとしたが、彼がそれを拒否した。
自分のためにずっと炎を焚き、自分にずっと寄り添ってくれている。

バクフーンを見やる。
そっと目を閉じ、一見寝ているように思えるが、実際は寝ていないのがわかった。
大きな体で彼女を包むように丸くなり、背では炎が弱く燃えている。
バクフーンがいなかったら、自分はとっくに死んでいただろうと少女は思う。
彼がとってくれている暖もそうだが、きっと1人だったらさみしくて、辛くて、耐えられなかっただろう。

「……………………」

少女は、バクフーンにありがとうと呟こうとしたが、声は出なかった。
無理に声を出そうとしたら、喉が張り裂けそうに痛くて、やめた。


バクフーンは飢えていた。
最後に物を口に入れたのはいつだったか、あまり正確には覚えていない。
遠い昔の事だった気もするが、実際今生きている以上、そこまで昔の事ではないのだろう。
確か、彼の主人である少女が、荷物の中の食料を細かく分けたはずだ。
ふやけた肉の入った缶、干された米、硬いパン、キャラメルやチョコレートなどのお菓子、ポケモンフード。
それらを少しずつ少しずつ、二人で分けて食べてきた。
それから……、そうだ。途中で全部を少女に譲ったのだ。

少女は都会で暮らしていた。
だからあまり苦労もしたことが無かった。
旅に出てからは多少は苦労もしたが、少年少女たちの旅は推奨されており、支援もあつかった。
それに少女は、使役される自分から見ても、バトルが本当に得意だったし、困難など無いように思えた。

そんな少女が、初めて困難に触れ、みるみると弱っていった。
バクフーンは、それを放っては置けなかった。
毎日のようにありがとうとごめんなさいを繰り返し、虚ろな瞳で無理に笑い、
今日の分のご飯、少なくてごめんね、とまた謝り、寒さに震え、やせ細り、衰弱していく少女。
ヒノアラシだった頃から見ていた、強く、優しく、しなやかな美しさを持った少女。
負けを知らない、例え負けても必ず後で勝ち返した少女。
バクフーンは少女の負ける姿を見たくないのだ。
たかが、雪山の吹雪と寒さに、負けてほしくなかった。

それで、バクフーンは自身の食事を全て、少女に譲った。
正面から譲っては、少女は確実に受け取らない。
渡された食事は食べた振りをして、こっそりと鞄に戻した。
少女はそのことに気がつかなかった。そのことがまた、悲しくなった。

バクフーンは目を閉じ、じっと座っている。
背からはチロチロと最低限の暖をとれる程度に炎を燃やし、体で少女を包む。
弱った自分を見せれば、少女はきっと負けてしまう。
少女は、自分にひどい事をした、と思うだろう。
今、少女を守ってやれるのは自分だけなのだ。強くあらねばならない。
無駄な体力の消耗は防ぐ。出来るだけ、動かずに、どっしりと構える。
腹の虫も鳴かせてはならない。弱音も決して吐いてはいけない。
少女が自分に頼れるように、強い自分を保とう。
バクフーンは強く念じた。
バクフーンはずっと、少女のためだけに生きているのだ。

 

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