――『風雪の森』――


その森のある地域では、
冬の訪れ……雪が降る季節にある物を見ることが出来た。
この時期のみ訪れる強い風が、森を大地を空を吹き抜け風雪を巻き起こす。
それ自体は特に珍しいことではない現象だが……

この森周辺では……不思議な現象が起こる。

横殴りに降る雪は、この森に宿る不思議な力により空に吹き上がり、
森の上空を流れ、緩やかに粒子の細かい細氷となりて、森周辺に降り注ぐ。
そう……この森では決して雪は積もらない。
そして、周囲に降る雪は、朝日を浴びて細氷(ダイヤモンドダスト)となり、
この森を見るモノを感動させた。


それらの始まりが風雪によることから、
この森は『風雪の森』そう呼ばれているのである。


一歩足を踏み入れば、中はさほど普通の森と変わりはない。
少し木々の生え並ぶ密度が多いが、森全体の規模は決して大きくもなく、
沢山の命を育み守るそんな森。

目をさらに森の奥へと向け、中に分け入ると……
森のとある場所で、なにやら怪しく草木が動いている。


ガサガサ バサバサ


背の高い草や藪を動かしながら時折……
……チラリ、チラリ……と誰かの姿が見え隠れする。


バサッ


茂みが途切れ、小さな生き物が顔を覗かせた。

小さく愛嬌のある可愛い顔。
どうやらこの生き物は『ピカチュウ』のようだった。
ほっぺにトレードマークの赤い模様が見受けられ、
首から提げられた革製の小さなポシェットが腰の辺りで揺れている。

「あれ……? また、変なとこに出ちゃった」

ピカチュウは、ゆっくりと茂みから這い出し全身を引き抜くと、
続けて現れたジグザグに折れ曲がった尻尾が、揺れるように動いていた。

「え〜と……こっちかな?」

戸惑うような声を出し、ピカチュウは森を歩いていく。
その足取りは軽快で森での歩き方に慣れているようだ。
もっとも、ピカチュウという生き物は、
森に住む生き物なので、慣れていなければ可笑しいのだが。

この風雪の森にいるピカチュウは彼一匹だけであった。

そもそも、彼もこの森の住人ではない。
とある目的のために、彼……ピカチュウはやって来たのである。

若干、薄暗い森を歩き続け、ピカチュウは立ち止まった。
目の前には、この辺りで一番大きな大木が、道を阻むかのように立ちふさがっている。
左右にはとても深い草木や藪が、木々の間を埋め尽くすように生えており、
その先がどうなっているのか分からない。

「あれ? ここも行き止まりかぁ〜」

大木を見上げ、ピカチュウは疲れたような声を出した。
続けて落胆したようにため息を『ハァ〜』と吐き出す。

一言で言うと彼は……『迷子』だった。

迷子になったモノにならよく分かる特有の疲れが、彼の体にどっとのし掛かる。
一時の休憩の為に、ピカチュウは大木を背を預けると腰を下ろした。
よほど疲れていたのだろう。
大木にもたれる身体は猫背のように折れ曲がり、頭が自然と俯いていく。
さらに目を瞑って休む姿は……彼には悪いがとても可愛らしい。

「ふう〜、疲れたよ……」

ため息と共にポシェットを開け、中から取りだしたのは木の実だった。
見るからに美味しそうな木の実にピカチュウがかぶりつく。
木の実をかみ砕く音が森に響きだし、あっと言う間に幾つかの木の実を平らげてしまった。

食べ終わった彼の身体に不思議と少しだけ元気が戻る。


――オレンのみ――

かなり歯ごたえのある果肉をした木の実で、彼はこの木の実が大好物だった。
それに微量だが、今のように即効性の体力回復の効果があり、
今や欠かせない旅の必需品として、常に何個か持ち歩いているのである。


「ふぅ……ご馳走様。後は……暫く休まないと……」

程ほどに満たされたお腹を軽くなで、再びピカチュウは眠るように体を休め始めた。
そのまま、動くことなく十数分……

ゆっくりとピカチュウは立ち上がった。

「ここって、森のどの辺かなぁ……?」

キョロキョロと自分の周囲を伺うピカチュウだが、
それで道が分かるようなら、彼も迷子にはならないだろう。



そもそも、何故ピカチュウがこの森に来たかというと……


『ある噂』を耳にしたからだった。


旅の途中で耳にした噂をピカチュウは改めて思い出す。

「噂の白い生き物って、何処にいるんだろう……?」



   *  *  *



ピカチュウが訪れた町は、さほど大きな町でもなく。

人口は凡そ数百人程度。
住んでいる住人も何処かのんびりとしており、とても平和な町であった。

この町にピカチュウが訪れたのは、たいした理由ではない。

長い旅に寄って失った消耗品を補充に来たのが主な目的だが、
それ以外は、単に近かったからという偶然だった。

買い出しも直ぐに終わり、買い込んだ荷物を宿に運び終われば、
もうやることが何も無くなってしまう。

だからといって次の目的地も定まっておらず。
ピカチュウは情報収集もかねて、気分転換代わりに道を当てもなく歩いていると、
町の住民の声が偶然耳に入ってきた。

「最近、彼処の森に大きな白い何かが住み着いたらしいよ」
「へぇ〜そうなんだ。 ……で、その白い何とかって何なの?」
「そんなの知らないよ。 実際見たわけじゃないし」
「なんだ。 それじゃ、本当はいないかも知れないじゃないか」
「言っただろ? 噂だって」

楽しそうに話し込む町の住人達の声に引かれ、ピカチュウの足が止まる。
噂の内容が自然と頭で繰り返され、脳内でその姿のイメージが、様々な形となって思い浮かんでは消えていく。

(正体不明の白い生き物? どんな生き物なんだろ?)

想像は付かないが、それの正体に心が引かれるのを感じると、
ピカチュウは噂声に注意深く聞き耳を立てた。

「ふ〜ん、何か見てみたいな……」
「止めといたほうがいいって、結構森の奥深くにいるみたいだし……」
「あの森って、かなり広いからな……諦めて方が良いのかな」
「そうした方が良いって、迷子になるのがオチだよ」

町の住人達は、よほど夢中になって話しているのだろう。
聞き耳を立てているピカチュウに気が付きもせず話し込んでいった。

暫くすると噂話が終わったのか、次第に話題は別の内容へと変わる

その頃には、ピカチュウは聞き耳を立てるのを止めていた。
すでに彼の足は、噂の森を目指して動き出している。

(僕は見てみたいな……) 

すでにピカチュウの頭の中は未だ見ぬ、白い生き物で一杯。
興味は直ぐに行動する意欲に変わり……

(良し! 行ってみるか!)

止められない興味に突き動かされ、彼は風雪の森に分け入った。

そして、今に至る。

このピカチュウは根っからの探検家だった。
世界のあちこちを見て回り、自分の好奇心を満たす。
それがとても楽しくて……
今回のこの広大な森へと出向き、迷子になったのである。

実際のところ……
ピカチュウは白い生き物が、どんな姿をしているのかさえ知らなかったのだから、
彼の行動は、無謀と言って差し支えないだろう。

そういえば、折角買い込んだ消耗品を持ち出すことも忘れている。

とはいえ、ピカチュウの無謀な行動はこれが最初ではなかった。
故に、彼自身この状況にそれほど焦ってはいなかったりする。

「良し! このまま、ここにいてもしょうがないし。
 もっと森の奥を探してみよっと!」

ひたすら前向きに正面を見続けるピカチュウは、
未だ見ぬ白い生き物を探して、さらに森の奥を目指したのだった。



   *  *  *



アレから二日ほどたった頃、ピカチュウはまだ森の中をさまよっていた。
持ってきた木の実等の食料はすでに食べ尽くしており、
身体もそれなりに汚れて煤けている。

ここまで来るまでに、
彼に立ちふさがった困難は多彩なモノだった。

冬の夜の寒さは身体にかなり堪え、手頃な木の洞で丸くなり何とか暖を取る。
沢山あるかと思われた木の実は奥に進むほど希少になり、木の実のなる木を見つけても、
実など見あたらず、殆どがこの森の生物たちに先を越されていた。

強いて良かったことを挙げるのならば、
彼を襲うような生き物に出会うことがなかったのが、今回の冒険の中で一番の強運だった。

だが、さしもの彼でも疲れが溜まり、ため息を漏らす。

「ふぅ……見つからないなぁ……」

周囲を見渡しても、同じような光景が広がり続けるばかり。
空を見上げると生い茂る木々の葉の隙間から、白い雪が降っているのが見えるが、
ここまで降り注ぐことは無い。

しかし、それでも白く染まった息を吐き出し、彼は身震いする。

「うぅ……さすがにちょっと寒くなってきたな……」

凍てつく寒さは日が暮れるほど強さを増す。
今はまだ日が高い御陰でこの程度で住んでいるが、夜は迂闊に歩き回れないほどであった。
せめて、何かまともに食べられる物があれば気も紛れるのだが、
それすら此処には……見あたら無い。

「ふぅ……お腹減ったなぁ……」

何処か諦めに似た、ため息を吐き出した。
力が入らないが歩かなければ、身体は冷えるばかりである。
仕方なしに寒さに凍えた手を摺り合わせながら、ピカチュウが歩いていると……

此処で悪運が、再び彼に味方をした。

ふと何かが足先に触れ、それを蹴飛ばす。
何を蹴ったのか気になり視線を下げた彼の目に、青い色をした木の実が飛び込んできた。

「あっ! オレンのみ!」

喜び勇んで彼は木の実を拾い上げ、ポシェットに押し込む。

今すぐ食べたかったが、ようやく手に入れた食べ物は大事にしなくてはならない。
それが彼が学んだ旅の教訓であった。

だが、今回ばかりはその必要が無かった。

「うわぁ……何でだろう…この木だけ木の実が一杯……」

ピカチュウが見上げた先、沢山のオレンのみがなっている木が其処にはあった。
嬉しさと驚き……その両方を感じ、彼はさっそく木をよじ登っていく。

そして、枝を伝わり木の実の成っているところへ……

「美味しそう……え〜と、これにするか」

手頃な実を一つもぎ取り、スンスンと鼻を動かし匂いを嗅いだ。

「うん。いい匂い……ちゃんと熟しているみたい……」

しっかりと、熟れ具合を確認しそれをポシェットに詰めていく。
美味しそうな実は最後に食べるのが彼の常だった。
さらに幾つも木の実を詰めていき、満足した彼はそのまま枝に座る。

少々枝がしなり、不安定だが彼は気にした風もなく、
両手で一つの木の実を持つと、美味しそうにそれに齧り付いた。


ポリポリ…モグモグ……ゴクリ


木の実をかみ砕く乾いた音が響く。
ピカチュウはあっと言う間にそれを平らげてしまった。

「あは♪ やっぱりオレンの実って大好き…♪」

ちょっとだけ食べかすのついた口を拭い、彼は嬉しそうに呟く。
さらにもう一つと、木の実に手を伸ばしたとき、思わぬモノに目がいった。

「あれ? これは……?」

手を伸ばした先のもう少し向こうにある物……

それは一枚の白い羽だった。

ピカチュウはそれに不思議と心が引かれてしまう。
手に取ってみたい……自然とそう思い立ち、つかみ取ろうと手を伸ばした。

だが、かなり奥の方にあるせいで手が中々と届かない。
次第に大胆に身を乗り出し始めるピカチュウ。
傍目から見ても危なっかしい動きで、いつ落ちても可笑しくない。

それでも着実に彼の手は羽に近づいていく。

あともう少し…指先が先端に触れ、羽が揺れ動き位置が変わる。
焦れた彼は、さらに身を乗り出した。

「……んっ……もう少し……取れた!」

白い羽ををつかみ取った瞬間、ピカチュウの顔が明るく笑みを浮かべ……


バサバサッ! ガササッ! ドサッ!


案の定身を乗り出しすぎた彼は地面に落ちた。
途中で他の枝や深い藪が、クッションとなり怪我はなかったが、
やはりそれなりには身体が痛い。

「うう……また、落ちた……」

ズルズルと藪から這い出していくピカチュウ。
ようやく這い出したところで、パサリと羽が上から頭の上に被さる。

「あぅ」

何となく笑いを誘う状況だが、生憎と観客は誰もいない。

「はぁ……よっと」

情けない鳴き声を上げながらも、
彼は何とか身を起こし頭から羽を剥がし取る。

間近で見たそれは……フワフワとした感触の羽毛。
羽の付け根は白く染まっており、それから羽先にかけて少しずつ色が変わり、
先まで来ると青葉のような綺麗な緑に染まっていた。

不思議な感じのする羽。
ピカチュウはこれまでこのような羽を見たことはなかった。

「綺麗だな……もしかして白い生き物の羽なのかな?」

盲点だった。
彼はずっと周囲を注意深く伺ってはいたが、
羽があると言うことは、白いケモノは空を飛んでいる可能性もある。

「これからは空も注意してないと……」

想像上の白い生き物の姿に大きな翼を付け加えながら、
ピカチュウは手に入れた羽をポシェットにしまう。

この森で初めて手に入れた白い生き物の手がかりなのだ、
うっかりと無くしたらたまらない。
そう考えることができる程度には、彼は自分の性格を自覚していた。

「よし……行くか」

着実に白い生き物に近づいている。
そんな確信の元、ピカチュウはさらに森の奥へと分け入り……
草木の中へ消えていった。



   *  *  *



森に入り3日目の夜……

「ハァハァ……ちょっと……休憩……」

激しく息を切らせたピカチュウが、崩れ落ちるように座り込み、
手頃な気を背もたれにして腰を落ち着けた。

白い生き物の羽を見つけてから丸一日とちょっと……
その間、休む暇も惜しんで森中を歩き回ったピカチュウであったが、
めぼしい手がかりは何一つ見つけることが出来なかった。

幸い食料だけ大量に調達出来た御陰で困らなかったが……

「……疲れた。……それに寒い」

ピカチュウは自分の手足を見つめる。
手足は先ほどからジンジンと痛み、感覚も少し鈍くなっていた。
さらに、冬の寒さが彼の身体に追い打ちをかける。
寒さの対抗策として、身体を丸めたり、痛む手を擦り合わせ暖を取ろうと工夫するも、
この寒さの中では焼け石に水であった。

「だめ……寒い……昨日はこんなに寒くなかったはずなのに」

震える手がポシェットの中身を探る。
何か暖まる物を見つけようと無意識の行動だった。
ポシェットの中でピカチュウの指が色々な物に触れていく。

一番多い木の実、小道具……それに……

「……あれ?」

ポシェットの奥……それに触った指先がほんのりとした暖かさを感じ取る。
思わずそれをつかみ取り、中から取りだした。

「これは……」

それは白い生き物の羽であった。

暖かな光を発している羽。
持っているだけで身体をやんわりと温めてくれるそれを、
ピカチュウはいつの間にか抱きしめていた。

途端に暖かな光がピカチュウの身体を包み込む。
寒さは和らぎ、不思議と身体の疲れも幾分か回復していった。

(……助かった。
 でも、これからどうしよう……?)

暖かな光に守られて得られた安息に、ピカチュウの心は少し緩んでしまった。
それが若干彼を弱気にさせてしまう。

「……本当に白い生き物見つかるのかな……?」

この森に入ってからピカチュウは初めて自分を疑った。
自分にこの羽の持ち主を見つけ出せるのかと……

普段からひたすらに前向きなはずのピカチュウがそう思ってしまうのだ。
今の彼が、どれだけ弱気になっているのかが容姿に察せられた。


パンッ!


突然、ピカチュウは自らの頬を叩いた。
そして、自らの弱気を吹き飛ばすように大声を張り上げる。

「ダメダメ! 弱気になったら! 折角此処まで来たんだ!」

声を出しながら、何度も強く自分の頬を張り弱気になった心を励ます。
叩いた頬はヒリヒリと痛かったが、ピカチュウは少し元気が戻ったような気がした。

「ふぅ〜……あれ?」

ようやく気分が一息つき、大きく深呼吸をしたときだった。
何となく顔を向けた先……ピカチュウはその場所に何か違和感を覚えた。

「何だろう…?」

ピカチュウは立ち上がり、まるで誘われるように歩いていく。
彼は気が付いてはいないが、手に持つ羽が何かに共鳴するかのように瞬き、
自身が放つ光を強めていった。

草木を払い茂みに分け入ろうと足を踏み出すと……
茂みの先は崖であった。

当然のように踏み出した足が空を切り、前のめりに身体が崖底に向かって傾いていく。

「えっ?」

ピカチュウの惚けた声が夜の森に響いた。
覚えのある無重力感が彼の全身を包み込み崖を転げ落ちた。

高さは凡そ七〜八メートル。

まともに落ちたらさすがの彼も大けがを免れない。

「くっ! そう何度も!」

此処でピカチュウは見事な回避行動を見せた。
ギリギリ空中で身体を捻りピカチュウは両手両足で着地する。


ドスッ!


「あぐっ!」

強い衝撃がピカチュウの全身を貫く。
さすがに無傷とはいかず、四肢が痙攣を起こしその場に崩れ落ちた。
身軽な身体が幸いし、足首などを捻る事は無かったが、
背骨まで突き抜けた衝撃から直ぐに立ち直るのは、さすがの彼でも……

「い、痛い……だけど、助かっ……」

目尻に涙を浮かべ、痛みを堪えながら顔を上げると……
ピカチュウは口を詰むんだ。
目の前に広がる光景のある一点に視線が集中し、呼吸すら忘れて息を呑む。


先ほどと同じ……

まるでピカチュウは、何かに引き寄せられるかのように前進する。
先ほどまで彼の身体を縛っていた苦痛は跡形もなくなっていた。

歩く足には全くと言っていいほど淀みはなく、自然な動きを見せ彼の身体を運び……


ピカチュウは、その場所へたどり着く。


其処は森に出来た小さな広場であった。
広さは大体十メートルほどであるが、もしかしたら、もう少し小さいかも知れない。

地面には一面柔らかそうな草が生えそろい、寝ころんだらとても気持ちよさそうにしている。
それと不自然なほど、綺麗であった。
森には付きものの枯れ葉などが一枚も落ちてはいない。

だが、ピカチュウはそんな物に気を取られる余裕はなかった。
彼の目の前にいるのだ。

広場の中心……この広場をほのかに照らす淡い光を放っている者。

ピカチュウが探し求めていた白い生き物が、此処にいたのだ。
彼が必死にこの森を駆けずり回り、会いたいと願って止まなかったあの生き物が。

思わずピカチュウは声を漏らしていた。

「すごい……綺麗だな…… でも、お、大きいな……」

洩らした自分の声で、ようやくピカチュウは正気に立ち戻った。

今更ながら、目に映る白い生き物の大きさに圧倒され、ピカチュウは少し後ずさる。
いきなりの出会いで動揺しているのか、明らかに足下が安定していない。

「……っ!」

案の定足が絡まり、後ろに倒れ込むように尻餅をつく。
ドサッとそれなりに大きな音が立つが、白い生き物は何の反応も見せなかった。

彼の口からホッとため息が漏れる。

「はぁ……はぁ……落ち着け……」

激しく高鳴る胸に手を当てると、自分に暗示をかけるかのように何度も呟き、
ゆっくりと深呼吸を繰り返す。

乱れた心を落ち着けるのがまず第一であった。

「ふぅ……落ち着いた」

ようやく落ち着いた胸から手をはなすと、白い生き物の様子をうかがい、
ピカチュウは身を起こした。

その際改めて白い生き物の姿を観察する。

「お、大きいな……僕よりずっと……」

彼を圧倒する白い生き物の大きさは彼を遙かに凌いでいた。
数倍どころではない十数倍…もしくはそれ以上。

自分より遙かに大きな生き物はこれまでにも何度か見たことはあるが、
ピカチュウ自身……これほど間近でその姿を見るのは、これが初めてであった。

だが……圧倒はされても、不思議と恐怖は感じない。

最初は恐る恐る遠目に白い生き物を見ていたピカチュウだが、
次第に湧き上がる好奇心に抗いきれ無くなっていった。

「ちょっとだけ……触ってみても……」

自分の手に握りしめている白い羽と白い生き物を交互に見比べ、
遠慮がちに歩み寄ると……

柔らかそうな体毛に手を伸ばした。

「うわぁっ」」

予想以上にフワフワとする白い生き物の体毛に手が埋まり、
つんのめって身体ごと白い生き物にぶつかってしまう。

「んぐっ! は、早く逃げないと……!」

身体半分が体毛に埋もれ、慌ててピカチュウが身体を引きはがす。
その勢いの侭、手近な木の影に飛び込み身を隠した。

起きた!? 見つかった!? どうしよう!?

様々な思考がピカチュウの脳裏を巡り、目をつぶってその時を待つが……
……白いケモノはまったく反応しなかった。

「あれ? き、気づいてないのかな?」

少々拍子抜けをして、不思議そうに声を漏らす。
どんなに鈍い生き物でも、あれだけの衝撃、騒ぎを起こしたら気が付くはずなのに……

さすがに不審に思い、ピカチュウは足音を殺して
もう一度、近づいていった。

すると、スゥ……スゥ……と呼吸する音がハッキリと彼の耳に聞こえた。
さらにそれに伴って身体が上下していることにも気が付く。

(眠っていたんだ……)

ピカチュウは今日……何度目かの安堵のため息をつくと、
徐に自分の両手を見つめる。

その手には先ほど白い生き物に抱きついたときの感触が残っていた。

もう一度触りたい。
抱きついてみたい。

暫く考え込むピカチュウであったが……その誘惑に勝てるわけはなかった。

意を決して、もう一度……白い生き物に近づいていき……
今度はそっと……しかし、大胆に白いケモノの身体に抱きついた。

「暖かい……」

埋まった手と身体を通して、柔らかな体毛の感触と暖かな体温が伝わり、
ピカチュウの身体を少しだけ温めてくれる。

その暖かさにピカチュウは覚えがあった……

「やっぱりこの羽は……」

呟きながら手に持つ白い羽に目をやる。
白い羽は白い生き物と全く同じ光を今も放ち続けていた。

嬉しげな笑みがピカチュウの顔に浮かぶ。

「……有難う」

白い生き物に向けられたお礼の言葉……

何となく、この白い生き物にずっと見守られていたような気がしたから。
この優しげな暖かさが大好きになっていたから……どうしてもそう言いたくなったのである。

そして、ピカチュウはこの白い生き物の事をもっと知りたくなった。

「君は……一体誰なんだろう……?」

肝心の相手は眠ったまま。
なら、彼の取るべき手は一つだけであった。

名残惜しそうに一度、白い生き物から身を離すと、ピカチュウは手近な木によじ登り始めた。
高いところから、改めてその姿を観察し……再び感嘆の声を漏らす。

「ふぁ〜 竜だ……」

眼下に横たわる白い竜にピカチュウは夢中で観察を続ける。

丸まって眠っている白い竜はおよそ6mはある体躯をしていて、
とても綺麗な純白の毛並みが全身を覆っており、背中には4枚の翼が生えている。

この4枚の翼には暖かそうな羽が生え揃い。
唯一……再下段の羽のみ、ピカチュウが持つ白い羽と同じように……
羽の先端が青葉のような綺麗な青と緑の色に染まっていた。

惜しむべきは肝心の頭部が隠れており、ピカチュウの位置からはその姿を見ることが……

「……んみゅう」
「あっ……可愛い寝声だな……」

都合良く白い竜が寝返りを打つ。
同時に聞こえた可愛らしい寝声にピカチュウは笑みを浮かべ……

隠れていた部分……姿を現した頭部に目をやる。

愛嬌のある顔は幸せそうな寝顔を見せており、茶色な髪が首の背に沿って背中まで生えている。
あと、髪の中からちょこんと柔らかそうな耳が突き出していて、
翼のように耳の先端が青と緑の色に染まっていた。

「……やっぱり竜は凄いなぁ」

ピカチュウは竜を見るのはこれが初めてであった。
白い竜を見つめる目には羨望が浮かび、枝だから身を乗り出していく。

……見ているだけで危なっかしい。

「本当に凄い……それに綺麗だなぁ……」

呟きに熱が籠もり、さらに枝だから身を乗り出すピカチュウ。

『二度あることは三度ある』誰が言った、諺がある……


ズルッ!


「ふえっ!?」

一瞬の無重力間にピカチュウは奇声をあげるが……もう遅い。
またしても、彼は真っ逆さまに落ちてしまった。

体勢が悪く今度は身体を捻る暇さえなくて、茂みに頭から落ち……


バサバサッ! ドサッ!


派手な着地を決める。


「痛たたぁ……」

全身を擦り傷だらけにしてピカチュウは茂みから這い出した。
どうやら茂みがクッションになったようで、擦り傷以外たいした怪我は無いようだった。

「ふみゅ……ねぇ……だいじょうぶ〜?」
「うん……痛いけど大丈夫……」

途中で気が付きピカチュウの声が止まった。

(い、いま……僕誰と話したの……?)

再び心臓が高鳴り出す。
そこに再び同じ声で話しかけられた。

「あはっ よかったね〜」

とても嬉しそうに弾む声を聞く度に、様々な感情が入り交じり、
ピカチュウの心臓は破裂しそうなぐらい高鳴っていく。

(お、落ち着け……落ち着くんだっ!)

自分に言い聞かせるピカチュウ。
心の準備が出来ると……思い切って顔を上げる。

まともに白い竜と目があった。

「あわわわ…… こ、こんばんは!」
「うん、こんばんは♪」

ニッコリと笑いかける白い竜。
まるで子供のようなあどけない笑顔を浮かべ、相手を見つめる優しい青い目。

その目を見ていると、不思議な力がその瞳に宿っているのか?
早鐘のように打ち鳴らされていたピカチュウの心臓が、不思議と落ち着きを取り戻していく。
ようやく興奮と逸る気持ちを抑える事が出来ると、ピカチュウは口を開いた。

「ね、ねぇ……ちょと聞いても良い?」
「えっ? 何が聞きたいの〜?」
「え、え〜と……ゴメンちょっと待って……」

一度、考えを纏めるためピカチュウは、スーッと深呼吸する。
それを白い竜は黙って見つめ、次の言葉を待った。

「ふぅ……それじゃ、質問するよ?」
「うん♪」
「え〜と、名前……教えてくれるかな?」

コチコチに緊張するピカチュウ。
質問の声は尻すぼみに小さくなっていく。

「ふらみ〜♪」
「……フラミー? それが君の名前なの?」
「そうだよぉ〜♪」 
(……フラミー)

頭の中に刻み込むように、ピカチュウは心の中で名前を呟いた。
黙り込んだピカチュウに今度はフラミーが声をかけた。

「ねぇ、ふらみ〜も名前知りたいなぁ〜」
「えっ! ぼ、僕の名前っ!?」

ただ名前を教えるだけなのに、ピカチュウは激しく動揺する。

「うん。 ねぇ、おしえてぇ〜」
「ぼ、僕の名前はっ! ぴ、ぴぴ……」

舌を噛みまくり、まともに喋ることが出来ないピカチュウ。
それが彼の不幸だった。
フラミーは不思議そうに頭を傾げると……

「ぴぴ〜? ピピって、名前なんだぁ〜♪」
「えっ! ちょっ、それはちがっ!」
「よろしく〜 ピピ♪」

慌てて訂正しようとしたピカチュウだが、遅かった。
すでにフラミーは、ピカチュウの事を『ピピ』と覚えてしまったようで、
何度も名前を連呼している。

「いやっ! 僕はピカチュウでピピじゃないってっ!」
「えぇ〜? でもピピはピピだよぉ〜♪」

諦めず尚も訂正しようとピカチュウは頑張った。
何度も自分はピカチュウだとフラミーに教えるのだが……無駄に終わる。

最後には根負けして……ガックリと頭を下げた。

「はぁ……もう、ピピで良いよ……」

対して、フラミーはとっても嬉しそうだった。

「あはっ そうだ、ピピはどうしてこんなところにいるのぉ〜?」

いつの間にか話の主導権すらフラミーに奪われ、ピカチュウは為す術もない。
もうどうにでもなれとばかりに、ピカチュウはハァとため息をつく。

「町で……この森に白い生き物が住み着いてるって噂を聞いて……」
「白い生き物ぉ〜? たのしそう〜♪ 
 ピピ、ふらみ〜もいっしょにさがすよ」
「えっ? え〜と……もう見つけた。」

その言葉にフラミーは思いっきりガックリと項垂れる。
小さな牙が覗く口から可愛い鳴き声が漏れだした。

「……みゅぅ〜」

感情の浮き沈みの激しい性格。
でも、それがフラミーの良いところでもあった。

「あはっ じゃあ、ふらみ〜に教えてよ♪
 その生き物って、どこにいたのぉ〜? 可愛かった〜?」

すぐに元気になったフラミーは、矢継ぎ早に質問を繰り出す。
一瞬、ピカチュウは答えに困ってしまう。

(え、え〜と……)

どう答えるべきか少し考え、ピカチュウは口を開いた。

「その生き物はね……とっても可愛くて、優しくて。
 でも、ちょっと人の話を聞かない変わった子なんだ」
「ふにゃ〜♪ ふらみ〜も、その子にあって見たいなぁ〜♪」
「う〜ん……それは無理だよ」
「えぇ〜! なんでぇ〜?」

頬を膨らませ、不満そうにフラミーはむくれる。
その顔があまりにも可笑しかったため、ピカチュウは笑ってしまった。

「あははっ! フラミー……その顔っ! 凄く可笑しい……♪」
「みゅ〜っ! ピピのいじわる〜!」

さらにふくれっ面になりフラミーは、プイッとピカチュウから顔を背けてしまった。

「あっ! ごめん、フラミー……怒った?」
「もうピピとは、口を聞かないの!」

言いつつも、フラミーの目はチラリチラリと横目で、何度もピカチュウを見つめている。
ピカチュウがその目をジッと見つめると、慌てたように目をそらす。
しかし、暫くすると目が戻ってきて、またピカチュウを見つめるのだった。

その目は明らかに『もっと色々と遊んでよ、構ってよ』と無言で訴えていた。

(う〜ん……どうやって仲直りしようか……?)

考えながらもピカチュウは、フラミーの傍に歩いていく。
フラミーは顔を背けたままだが、何をするのか気になるのだろう。
目が動きを追って釘付けになっている。

ピカチュウの小さな手が、そっとフラミーの身体に触れる。
身体に走った感覚に、ピクッと大きな体が震えた。

「ピピ……?」

ピカチュウが何をするつもりなのかフラミーには分からなかった。
不安げに、だが、身動きせずにされるが侭小さな手を身体に触れさせ……

「ねえ……フラミー、そんなに怒らないで……機嫌、直してよ」
「みゅっ!」

ゆっくりとピカチュウが縋り付いてきたせいで、思いっきりフラミーの身体が硬直する。
混乱した頭でどうするか迷っている内に……

ピカチュウの小さな手が、続けてフラミーの身体を撫で始めた。

「ふみゅ〜♪」

身体を擽るように動いていく手の動きに、フラミーは思わず鳴いてしまった。
硬直していた身体も、撫でられる度に解れていき……
一分も経たないうちに、フラミーの身体は完全に脱力してしまう。

それでもピカチュウは手を休めず、何度もフラミーの身体を撫でていった。
同時に不安げに問いかける。

「フラミー……まだ、怒ってる?」

問いかけてから一秒が経ち、二秒が過ぎ……三秒にさしかかったところで、

「ピピ! やっぱり大好き〜♪」
「うわっ!」

すっかりと機嫌が直ったフラミーは寝そべっていた身体を跳ね起こすと、
すかさず手を伸ばし、驚いて尻餅をついていたピカチュウを捕まえる。

見事な不意打ちであった。

伸びた手は正確にピカチュウの身体を捉え、胴体を鷲づかみにする。
続けてフラミーは両腕を折り畳み、柔らかな胸の体毛にピカチュウを埋めた。

「ふ、フラミ〜……苦しい……」
「みゅぅ……ピピの身体…あったかぁ〜い……」

胸元に抱きしめる小さな身体から伝わる暖かさにフラミーは酔いしれた。
時折……弱々しい声がフラミーの胸元から響いてくるが、
ピカチュウの体温に酔いしれたフラミーは中々それに気が付かない。

それどころか、さらに腕に力がこもりピカチュウを強く抱きしめ……

「んぅっ! ふ、フラミー……もう、ダメ……」

限界を通り越し、窒息しそうになったピカチュウが必死に大きな胸板を叩く。
其処でようやくフラミーに気が付いてもらえた。

「みゅっ? あっ! ごめなさい」

慌てて、フラミーは力を緩めた。
ようやく呼吸が出来るようになり、ピカチュウは少し咳き込む。

「ケホッ!ケホッ! フゥ…助かった……」
「ピピ……大丈夫……?」

申し訳なさそうにフラミーが、咳き込むピカチュウを見つめている。
声に答えようとピカチュウは頭を上げるが……再び咳き込む。

「だいじょ……ぐっ! ゲホッ! ゲホッ!」
「ピピッ!」

フラミーの悲痛な悲鳴が森に響いた。
苦しそうに咳き込むピカチュウの姿に目尻が垂れ、
今にも泣きだしそうに涙が浮かび始め……

ピカチュウは気合いで胸のつかえをねじ伏せ、フラミーの顔にすり寄り。


ペロッ


涙がこぼれ落ちる……その前に、小さな舌で舐め取っていった。

「ん……ピピ?」

困惑した表情を浮かべ、フラミーはピカチュウを見る。
悲しみの涙を舐め取ったピカチュウは、その目を見つめ返し、

「泣かないでフラミー、もう大丈夫だから……」
「ピピ……うん。 よかった〜♪」

残った涙を手で拭い取ると、泣きそうだったフラミーの顔に笑みが戻った。
ピカチュウも釣られて笑顔になり、フラミーの頬を撫でる。

「きゅ〜♪ ピピはフラミ〜の大切な友達だよ♪」
「アハハ。 僕もフラミーの事、友達だと思っているよ」

今度は優しくピカチュウを抱きしめるフラミー。
フカフカな体毛に身体を擽られ、ピカチュウの顔にくすぐったそうな笑みが浮かんだ。




   *  *  *




すっかりうち解け、二匹は友達になった。

仲直りも終わり、ピカチュウの体調も回復すると、
さっそくフラミーは、聞きそびれたことを改めて切り出した。

「ねぇ、ピピ……それで、白い生き物って何処にいたの〜?」
「アハハッ フラミー未だ分からないの?」
「みゅ〜?」

もったいぶるピカチュウの言い方に、フラミーの頭が大きく傾いでいく。
一生懸命考え込んでいるが、未だ分からないようだ。

「み゙ゅ〜 分かんない〜」

喉から唸る声が出て、フラミーの頭が右から左へと傾いた。
クスッとピカチュウは笑い、答えを言った。

「フラミー……君のことだよ。
 僕が見つけた白い生き物って、君のことなんだ」
「えっ……ふらみ〜?」

まったく予想もしていなかった答えにフラミーの目が大きく見開く。

「ピピ……フラミ〜を探してくれたんだぁ〜」
「うん。 大変だったけどね」

ピカチュウは思い出していた。

この数日間、白い生き物……フラミーを探して森の中を歩き回ったことを。
初日で迷子になり、崖から落ちたり、木から落ちたりもした。
それでも、フラミーに会えて……それまでの苦労が吹き飛ぶぐらい嬉しかった。

ピカチュウがニッコリ笑らうと、フラミーも同じように笑う。

(……来て良かった)

想いに浸り目を閉じると……心からそう思ったのだった。


「ピピ……?」

ピカチュウの耳元でフラミーが声をかける。
しかし、身体はピクリとも動かない、よほど思い出に浸っているのだろう。
その姿がフラミーにとっては不思議に見えていた。
笑ったと思ったら、急に黙り込んだのだから当然かも知れない。

だが、何も答えないピカチュウの様子に、フラミーの表情が不満げに歪む。

「……ピピ……どうしたの?」

再度、声をかけるフラミー。
鼻先が触れそうになるぐらい顔を近づけて覗き込んでいる。

それでも反応がない……フラミーの顔がさらに不満げに歪み、

「ピピ……ふらみ〜、無視しちゃイヤっ!」


ペロッ!


叫ぶと同時にフラミーの舌が、ピカチュウのお腹から顔までを舐める。
これにはピカチュウも正気に戻った。

「うわっ!」

バランスを崩し、慌てて手をばたつかせるが……
ストンッとその場に尻餅をついてしまう。

すぐ目の前には、今日一番のむくれ顔が睨んでいて、
何が何だか分からず、ピカチュウは戸惑いの声をあげる。

「ふ、フラミー?」
「ふらみ〜、無視しちゃイヤなの!」

叫ぶなり鼻先でピカチュウを突き倒す。
顕わになった無防備なお腹にフラミーは舌を這わせた。

「うわぁっ!」 

再び襲いかかった独特の感触にピカチュウは反射的に声をあげた。
しかし、それもすぐに笑い声と変化していく。

「うくっ……アハッ……アハハハッ!」

お腹への集中攻撃にピカチュウは笑い転げ、逃げだそうと身を捩るが、
ガッシリとフラミの前足に身体を押さえられ、逃げ出すことも出来ない。

「ああっ! ちょっとやめっ! くすぐったい!」
「ヤダ〜! もっと舐める〜♪」

懇願するピカチュウの頼みを一言で切り捨て、さらに舌を這わせるフラミー。
声は何処か楽しげだった。
よほど、相手をしてもらえなかったことが、不満だったのだろう。
ある意味、こうやってフラミーはピカチュウに甘えているのだった。

もっとも甘えられている方は、堪ったモノではない。
舐める対象より大きな舌は柔軟に動き、ピカチュウを身体を長々と這い回り、
すでに唾液に塗れた身体の上に、なおも舌が這わされていくのだった。

時には全身に押し付けられ、身体が埋まり呼吸が出来なくなることもある。
それは一瞬のことで、直ぐに舌は退き呼吸が出来るようになるが……

根こそぎ体力を奪い取るこの行為に、ピカチュウが吐き出す呼吸は激しく乱れていった。
それでも、力を振り絞りピカチュウはフラミーに許しを請う。

「ひぅっ! フラミ〜……もう、もう止めてぇー!」

ささやかな抵抗として、フラミーの顔を押し返す……
その手は今にも力尽きそうに震えていた。

フラミーの怒りが覚めるまで、このままピカチュウは弄ばれるのだろうか……?

いや……そんなことにはならなかった。
唐突にフラミーの舌の動きが止まり、舌から解放される。

(言うこと……聞いてくれた?)

荒い息を吐き出しながら、ピカチュウはフラミーを見つめた。
途端に抱き上げられ、顔が青ざめる。

(ま、まだ許してくれないの……)

愕然としているピカチュウに対して、フラミーは顔を近づけ……

「うわぁあ〜! フラミー止めてぇええ〜!」
「ヤ〜♪ もっとあそぼ〜♪」
「えっ? ええっ?」

ピカチュウは目を丸くして、惚けたように呟いた。
その間にも、フラミーは鼻先をスリスリとすり寄せて、
甘えた声で『遊んで』と催促を続ける。

「ねぇ〜ピピ、もっとあそぼ〜♪」
「ふぇっ! ふ、フラミー……怒ってたんじゃないの?」
「えぇ〜? なんで、ふらみ〜が怒るの〜?」

クスクスと笑い、甘えるフラミー。

「えっ……あ……お、怒ってないならいいんだ」
「みゅ〜? 変なピピ♪」

その顔からは、先ほどむくれていた表情は感じられない。
どうやら、ピカチュウを舐めている内に、目的がすり替わったようだ。

フラミー自身、何で怒っていたか……すでに覚えてないのだろう。

(た、助かった……)

安堵し、胸をなで下ろすピカチュウ。
その時、ヒュ〜と風が吹いた。
枝や草木を揺らしながら、二匹の周囲を吹き抜けていく。

季節は冬……勿論、風はとても冷たい。
フラミーの唾液で全身がずぶ濡れになっていたピカチュウは、
余りにもの寒さに身体を震え上がらせる。

「うぅ……さすがに寒い……」
「ピピ…寒いの?」

心配そうに見つめるフラミー。
自分の体毛にピカチュウを埋め、温めようとするのだが、
身体の震えが中々収まらない。

フラミーは少し思い悩み……
良いことを思いついたのか途端に笑顔になって、ピカチュウに告げた。

「ピピ、風がなければ寒くないよね〜♪」
「う、うん……少しは……マシになると思うけど……」

自信ありげに言うフラミーの声に頷くピカチュウ。
しかし、周囲を見渡しても風よけになりそうなモノは見あたらない。
一体どうするつもりなのだろうか?
答えを聞くためにピカチュウは視線を戻した。

「ねぇ……フラミー、一体どうするつもりなの?」
「ふらみ〜の中に入れるの〜♪」
「えっ? それって……」


パクッ!


まさに一瞬だった。

一瞬にしてフラミーは口の中に惚けていたピカチュウを放り込み、
すぐに口を閉じる。

それだけで……もう、ピカチュウの姿は何処にも見あたらなかった。

見た目より窮屈ではない口の中……
ピカチュウは、柔らかな舌の上に身体を横たえていた。
いや、実際は舌にしがみついていると言った方が正しい。

真っ暗な洞窟が直ぐ足下に開いているのを見つめ、また身体を震わせる。

これなら確かに風は防げるだろう。
防げるかも知れないが……

しっとりと湿った口内で、舌と上顎に挟まれたままピカチュウは思う。

(フラミー……さすがにこれは……)

なんと形容して良いのか、さすがに思い当たらない。

「ふ、フラミ〜……出してぇ〜」
「みゅ〜♪ ダメ〜♪」
「ひゃっ! フラミ〜喋らないでっ!」

その日、何度目かのピカチュウの悲鳴が森に木霊した。

フラミーが喋る度に舌が揺れ動き、ピカチュウの身体が少しだけ喉の方へとずり落ちる。
呑み込む気も、悪気もないのだろうが……この場合、それが驚異だった。




その後、ピカチュウは長い時間をかけ、フラミーをようやく説得に成功する。
まだ、出し渋っている口を押し開け、外に吐き出してもらえたのだが……

その結果……見事にオチが付くことになった。

外に出れば当然のように凍てつく冷気が、ピカチュウの身体を凍えさせる。
暫くフラミーの体毛に埋まり寒さに耐えていたが……

長くない葛藤と共に、耐えかねたピカチュウが頭を下げた。

「ふ、フラミ〜……やっぱり今日は君の中に止まる……」
「うん♪ ピピならいつでも入れてあげる〜♪」

何処か嬉しげに、再びピカチュウをパクッと頬張るフラミー。
間違っても呑み込まないように、今度は軽く舌を絡めると口内で小さな悲鳴が上がった。

舌に感じる友達の感触にフラミーは満面な笑みを浮かべ、
ゆっくりとその場に横たわると……

「……ピピ……お休み……♪」

睡魔は速やかに訪れ、フラミーは幸せそうに眠りについた。
口内の中でピカチュウはその声を聞き……

「……お休みなさい……フラミー……」

布団代わりに舌に包まれ、舌先を枕にする。
生暖かく、勝手に動いたりと決して寝心地が良いとは言えなかったが。

今の彼にとっては、友達が与えてくれた最高の寝床であった。
そして、ピカチュウも目を閉じる。
緩やかに揺れる肉のベットに揺らされていると、彼の元にも緩やかな睡魔が訪れ眠りに誘った。

それにピカチュウは身を委ね、眠りにつく。
こうして二人分の寝息が響き……彼らは一夜を共にしたのであった。




   *  *  *




次の朝はフラミーの叫び声で始まった。

「ヤダー!! ピピ……帰っちゃヤダー!!」
「……フラミー」

泣き叫ぶフラミーを見て、ピカチュウは困ったように呟く。
今度ばかりはどう説得して良いか分からない……そんな顔をしていた。

事の発端はこうだ……


フラミーの口の中で一夜を明かし、先に目が覚めたピカチュウは、
まず最初にフラミーを起こすことから始めた。
声をかけるとフラミーもすぐに目を覚まし、お互いに朝の挨拶を済ませると、
ピカチュウは外に出してと催促する。
今日は素直にフラミーはそれを快諾し、ピカチュウをそっと口の中からだした。

唾液でベトベトな身体を綺麗にすると……少し寂しそうな顔になったピカチュウ。
その変化を感じ取ったフラミーは、どうしたのかを問いかけた。

それでも、暫く黙り込んでいたピカチュウだが……
意を決して、フラミーにあることを伝えた。

『そろそろ、帰らなくてはならない』

ピカチュウが、そう答えたときのフラミーの反応は強烈だった。
駄々っ子のように叫び、涙を湛えた潤んだ目で必死にピカチュウを引き留めようとする。


これが、朝の騒ぎの発端だった。


「ピピ……ねぇ……何で行っちゃうの?」
「ごめん、フラミー……僕は旅人だから……」

しかし、どれだけフラミーが引き留めようとしても、
ピカチュウは頭を縦には振らない。

旅人は一つのところには長く定住はしない。

これまでにも、フラミーが想像も付かないほど、
いろんな出会いを経験し……出会いがあり、別れがあり……
けれど、決して後悔はせず、大切な思い出として持ち続ける。

それが長年旅を続けてきた彼……ピカチュウの信条だった。




それでも、フラミーはずっとピカチュウと一緒にいたかった。
ゆっくりと手を伸ばしピカチュウを抱き上げ……

「ふらみ〜のこと……嫌いになったの?」
「そんなこと無いよっ! そんなことは絶対にない!」

涙声を即座に否定して、断言するピカチュウ。
泣いた顔のまま、フラミーの顔が少しだけはにかんだ。

「ピピ……ありがとう。 ふらみ〜……嬉しい……」
「……んっ」

一度、苦しいぐらい抱きしめられ、ピカチュウの口から声が漏れたが、
すぐに解放すると、フラミーは自分の背中にピカチュウを乗せた。

「……フラミー?」
「ピピ……森の外まで送ってあげる……」

涙が浮かんだ笑顔を浮かべ、空に舞い上がったフラミー。
風を切り、森の上空を滑るように飛んでいく。

ピカチュウは飛ばされないよう、
しっかりとフラミーの身体にしがみつき、

「フラミー……ありがとう」
「…………」

ピカチュウの言葉にフラミーは、初めて何も答えなかった。

何かを話してしまうと……
折角整理できた気持ちが崩れて仕舞いそうだったから。
それ以前に、この想いを言葉には出来なかったから。

だからフラミーは、心の中で……

(ピピ……一緒に遊べて楽しかったよ)

ただ……流れる風で、涙が後ろに流れてしまうのは止めることは出来なかった。


この後……二匹は森の入り口で分かれた。
一つの約束をして……

『いつか、また一緒に遊ぼうね』





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