あれから何日か経ち……

ガイル達はとある町に来ていた。
大きくもなく、小さくもない、そんな町。
この町の郊外に、ガイルは自分の家を持っていた。
本来なら、一週間ぐらい家を空けるはずだった予定を早めての期間だった。

「ヘルカイトに、みんな驚くだろうねぇ〜
 あっ……でも、その前に帰るって連絡を入れないと」

呟きながら、ガイルは家族の皆の顔を思い浮かべ、舗装された道を歩いていく。
気分は高揚していて、自然と足は速くなっていた。

(早くヘルカイトをみんなに紹介したいな……)

まるで、プレゼントを貰った子供のような理由だけど、
家族のみんなも絶対に喜んでくれると思うと、無理もないのだろう。

(ふっふ〜楽しみだ。 
 ヘルカイトもみんなも、どんな反応をするんだろ〜?)

心の中で、その時の光景を想像して、ガイルは含み笑いをしている。
横を通り過ぎる周りの人々が振り返り、変な顔をしているが、とくに気にもしないようだ。

「ガイル〜……未だ着かないの……?」

やたら機嫌の良いガイルの背後から、くぐもった声が投げかけられた。
しかし、その姿は見えない……

「おろ? ヘルカイト…ちょっと元気なさそうだけど…大丈夫なの?」

声に反応して、後ろを振り向いてガイルが声を返す。

……すると、背中に背負っているリュックが、モゾモゾと動き出した。
チャックが勝手に開き……中からヘルカイトが頭をニュッ、と覗かせる。
その体はとても小さく縮んでいた。

「う……ん。 ちょっと狭くて…暑いけど…未だ我慢できる……」

ちょっと弱音を吐くヘルカイトだが、迷惑をかけまいと強がってみせた。
ガイルは小さな頭をなで、もう少し歩く足を速める。

「ごめんなヘルカイト……
 お前がこれに入れられれば良かったんだけどねぇ〜」

呟きながらガイルが取り出したのは、
『モンスターボール』と、呼ばれる小さなボールだった。

それを見て、明らかにヘルカイトの顔が嫌そうに歪む。

「それ……僕、嫌い……」


其れには理由があった。


少し時間は遡り……およそ2時間ほど前。

町の景色を視界に捉えられる小高い丘の上で、
ガイル達が休憩をしていた頃だった。

「う〜ん……どうするか?」
「……ガイル?」

岩の上に座っていたガイルがいきなり悩み出し、ヘルカイトは声をかけた。
悩んでいた渋い顔がハッとなり、ヘルカイトを見返す。

「ん? あのねぇ……お前を町にどう連れて入ったら良いのかとねぇ……」
「うぅ……僕のせいなんだ……」
「ははは……ヘルカイトは気にしなくて良いって」

落ち込んだヘルカイトに、ガイルは微笑みかけた。

「うん……ガイルがそう言うのなら」
「そうそう、ここは僕に任せておいて、ヘルカイトはゆっくりしていて」

完全に納得したわけではないだろうが、ヘルカイトは笑った。
笑ったまま、ガイルの足下に蹲り目を閉じた。
暫くする、小さな寝息がガイルの耳に届いてくる。

(さて……どうするかねぇ)

改めてガイルは思考を再開した。
視線を足下で落とし、眠っているヘルカイトをジッと見つめる。

出会ってから数日。
この短い間にヘルカイトは、すっかりとガイルに心を許しきっていた。
いや、出会ったその日から、とても懐いてくれていたのだが……

(最初は凄くビクついていたのにねぇ)

思考がそれ、思わずガイルの顔がにやける。
この数日で、ヘルカイトは明らかに変化していた。

最初は、見る物全てにいちいち反応して、
少しでも驚くと、すぐにガイルに飛びつき背中に隠れたり……
まるで、見知らぬ物すべてに警戒しているかのようだった。

それが今では、好奇心旺盛に自分から近づいたりと積極性に溢れ。
行動も活発になり、毎日が騒がしくなっていた。
その変化をガイルはずっと面白そうに見守ってきたのだ。

「……どうしたのガイル? 僕…何か変かな……?」

いつ間にか目を覚ましたヘルカイトが、ガイルを見返していた。
慌ててガイルは首を振る。

「んっ いや……ははは。 何でもないって」
「……? 変なガイル……」

そう呟くと再びヘルカイトは目を閉じた。
ガイルはホッと胸をなで下ろす。
ここ数日の思い出を思い返していたらボーッとしてしまったようだ。

(ダメダメ……ちゃんと考えないと)

今度は思考が横道に逸れないよう注意して、ガイルは悩み始めた。
どうすれば騒ぎを起こさず町に入れるかを……
色々な案はすぐに浮かんだ。
ガイルはそれに一つずつ判定を下し、出来そうにないのは思考のゴミ箱に捨てていく。

(まぁ、やるだけやってみるしかないねぇ)
「んっ……ガイル?」
「おっ、起きたか丁度良かった。
 色々と試したいことが出来たから、ヘルカイトちょっと協力してね」
「……? うん。 分かった。」

数十分ほど考え続け、ガイルは立ち上がった。
その動きに目を覚ましたヘルカイトも一緒に立ち上がる。

まず最初にガイルは、いつも持ち歩いているリュックの中に手を入れ、
中から一つのボール、『モンスターボール』を取り出した。
まじまじと興味深そうにボールを見つめるヘルカイトに、
ガイルは『動かないで』と、お願いした後……ボールを軽く投げる。


ベシッ! ポテッ コロコロ……


まともに顔面にぶつかったボールは、無情にも何の反応もしなかった。
弾き飛んだボールはそのまま、地面を転がり……ガイルの足下まで戻ってくる。

「あっ やっぱりダメだったか……」
「ガイル……痛いよ……」
「あぅ……ご、ご免なさい」

涙目になってヘルカイトの訴える声が、グサッ、とガイルの心に刺さる。
……この後、ガイルはヘルカイトが許してくるまで、何度も謝るはめになったのだった。

「もう良いよ…… でも、僕……絶対にその中入らないからね。」
「アゥ〜 ごめんなヘルカイト。」

ガイルが何をしようとしたのか説明を受けたヘルカイトだったが、
どうやら未だ拗ねているようだ。
ちょっとトゲトゲした言い方に、もう一度ガイルは謝る。

しかし、このままでは埒が開かなかった。

「う〜ん……なぁ、ヘルカイト。」
「何? 今度は何のようなの?」

やっぱりトゲトゲしたもの言いで、むくれているヘルカイト。
……むくれていても、絶対にガイルの側から、
離れようとしないのが、健気で可愛らしい。

(う〜ん、だけどこのままじゃな……)

少しでも機嫌を取ろうと、ガイルはヘルカイトの首筋を撫でる。
ビクリッ、と身体が震えたが、意地で無視するつもりなのか、返事はない。
ただ、気持ち良いのは隠せないようで、こっそり尻尾が振れていた。

さらに、ガイルは首をゆっくり撫でる。
ピクピクと身体が震えるが、あくまでヘルカイトはそっぽを向き続ける。
ここまで来たら、手が疲れるが先か、ヘルカイトの我慢が上か根比べだった。

勿論、ヘルカイトの敗北に終わった。

「うぅ……ガイルの卑怯者」
「ははは……まぁ、そう言わないで、仲良くな」

ヘルカイトからのささやかな抵抗を、ガイルは軽く受け流す。
そして、ヘルカイトの肩をガシッとしっかり掴みとった。

「えっ! な、なに……?」

いきなり肩に手を置かれ、戸惑うヘルカイト。
慌ててその手を振りほどこうとしたが、真剣な顔をするガイルを見て、
大人しくガイルの言葉を待つ。

「……ヘルカイト。 もう少し小さくなってくれない?」
「あぅ、え? えっ? ええ? 何……で?」

さらに意味が読めとれないガイルの言葉に、ヘルカイトは困惑を深めていく。

「言いづらいんだけどね……
 このまま、ヘルカイトを連れて町にはいると騒ぎになる……」
「うん……それは…分かるけど……」
(だけど、それと小さくなることの関係は…何なんだろう?)

頭を傾げて此方を見つめてくる顔にガイルは、意を決して話しかけた。

「いやねぇ……」
「……えっ?」

両肩を掴んだまま、ガイルは目線を動かしていく。
ヘルカイトは視線を追っていき……リュックを見けた。
とても嫌な予感をヘルカイトは本能で感じ取る。

恐る恐るガイルを見つめて、次を待った。

「ヘルカイトにあのリュックの中に入って隠れて欲しいのよ。」
「ええっ! で、でも、ガイル。
 あの中…凄く狭くて……暑苦しそう……」

その中に自分が入った姿を……リュックの中でへたばる自分自身を想像する。
……とんでもなかった。
想像した自分の姿に冷や汗を浮かべ、顔が引きつる。
気が付くと、ヘルカイトは無意識に首を横に振ていた。

「でも、それだとヘルカイトは町に入れないぞ?」
「うっ……僕……もう、独りは……」

ガイルの一言で、ヘルカイトの心は思いっきり揺さぶられる。
だが、それでもあの中に入るのは嫌だった。

(そ、そうだ……空を飛べば……)

追いつめられた状況が閃きを生み、さっそくガイルに提案しようとするが……
その前にガイルが発した言葉が、運命を決めた。

「僕も、お前を独りにはしたくないんだよねぇ……
 それに、他のみんなにもお前のことを紹介したいんだ。」
「……分かった……僕、我慢してみるよ。」

とどめを刺され、ついに折れたヘルカイト。
一緒にいたいと言われたら、ヘルカイトには断れない。
ましてや、それがガイルの言葉なら……ちょっと照れながらも小さくなっていく。

ガイルは、リュックの中身を整理すると、
小さくなったヘルカイトをそっと抱き上げ……

「ごめんな。 なるべく早く出られるように頑張るから我慢してくれ。」
「うん。 なるべく早くしてね……」

お互いに言葉を交わした後、ヘルカイトをリュックに詰めた。
リュックの口を締めるときに、キャウッと可愛い声が聞こえてきたが、
心を鬼にして最後までリュックの口を閉じて……しまう前に、
空気穴も必要だと少しだけ口を開けておいた。

「これで良しと…… それでは、行くか」

リュックを背負いながら立ち上がり、ガイルは町を目指して歩き出したのだった。
そして……リュックの中のヘルカイトは、

「痛っ! ガイル…キャウッ!」

崩れてきた荷物に潰されそうになったりして、何度も声をあげたりしながら、
やっぱり止めた方が良かった…と少し後悔していた。

と……こんな面白いやり取りがあったおかげで、
ヘルカイトはモンスターボールに苦手意識を抱くことになり、
瓶詰め……いやいや、リュック詰めの竜が出来上がったわけだった。

ちょっと大変だったけど、無事に町に入れて良かったと、
ガイルは心の中で思っていたりする。


話は戻り……


「ガイル…早くこれを仕舞ってよ……」

今もガイルが手に持っているボールを、ヘルカイトが頭で何度もポンポンと、
押し出すように体当たりを始めた。

「おおうっ こら、ヘルカイト止めろって……」
「なら、早く閉まってよ……これ……」

あわや手からこぼれ落ちそうになったボールを、落とすまいとお手玉する。
努力は実り、ガイルはボールを落とさずにすんだ。
ホッと胸をなで下ろすも束の間、またやられたら大変とばかりに、
いそいそとガイルはボールをポケットにしまい込む。

「もう、それ僕には見せないでね!」

満足したのかフンと鼻で大きく息をするヘルカイトに、
ガイルは苦笑いを浮かべた。

「まったく……しょうがないねぇ。 おっと、すまないけど、
 そろそろ、リュックに戻ってくれない?」
「うん、分かった。我慢してるよ……だから、早くしてね」

頷くとヘルカイトは、素直にリュックの中に帰って行った。
顔が見えなくなると自然とチャックも閉じられる。

「ふぅ…ありがとな、ヘルカイト。」

見届けた後、ヘルカイトの好意に小さくお礼を言った。
返事はなかったが、変わりにポンポンとリュックの中から叩く音がする。
照れているのだろう、ガイルは笑みを浮かべた。

そして、前を向くと、我が家を目指して歩き出したのだった。



    *   *   *



我が家を目指し歩きつづけるガイル。
彼の背負っているリュックが突如、モゾモゾと動き出した。
暫くするとチャックが少しだけ開き……

(ぷはぁ〜 もう駄目……)

こっそりとヘルカイトが小さな頭を覗かせた。
汗こそ掻いてはいないが、暑さでへたばった身体には、
外の涼しげな空気は心地よく感じる。
顔を横に向けると、すぐ目の前に気が付くこともなくガイルが前を向いていた。
少しバツが悪そうな表情を浮かべ、ヘルカイトは心の中で謝罪する。

(ごめんガイル……さすがに我慢できなかった……)

心の中で謝っただけでは、約束を破ったバツの悪さは消えなかったが、
今すぐにリュックの中に帰る気にはならない。
もう少し、外の空気を満喫していたかったのだ。

本当のところは、単純に中の地獄に戻りたくないだけだったりするのだが……
そうやって自分を誤魔化したヘルカイトは、
ガイルの歩にあわせて、ゆっくり流れる風景に目を向けていった。
そこには、ヘルカイトが住んでいた山では、
まず見ることの出来ない世界が広がっていて、彼を圧倒する。

(うわっ……アレって凄く大きい……)

町中に建てられた大きなビルなどの建物、行き交うに沢山の人々……
それらに引き込まれるように見つめてしまう。
目に映るそれらは……とても面白くて、ちょっと怖くて、すごく楽しかった。
不思議な世界に見とれる内に、時間も忘れたかのように過ぎていく。

そして、……気が付いた。
いつの間にか鼻を擽る、ある気配を。
ソレは、ヘルカイトにとって馴染みのある物……

(あれ? ……これは負の気配だ。)

ソレを確かに感じ取り、意識を集中させていく。

ヘルカイトは、いや……漆黒のヘルカイトと呼ばれる竜は、
生き物が無意識に吐き出す、負の気を食べて生きている竜だった。

負の気とは…何か辛いとき、悲しいとき、ストレス、疲れ。
生き物の感情などから生じるマイナスな心…それが負の気なのだ。
それを、漆黒のヘルカイト達は食べて生きている。

勿論、普通の食べ物も食べられないことは無いのだが……
定期的に負を吸収しないと弱ってしまう生態をしていた。
だからこそ、彼らは負の気に敏感で……ヘルカイトは、
今感じている負の気配が、とても近いところから漂って来ている事に気が付いた。

(凄く近い……でも、何処から……?)

視線を巡らせ、負の漂ってくる気配をさらに追っていく。
見つけた先……
負の気配が漂ってくる大本は……

(あっ……この負はガイル?)

思わず目を丸くして、ヘルカイトは驚いた。
だが、それと同時に無意識に負に惹きつけられ……
首を伸ばしてガイルの首筋辺りで鼻を動かすと、とても美味しそうな匂いがする。

……間違いはなかった。

(とても美味しそうな負……だけど、どうしてガイルから?)

首を小さく傾げ、疑問を自分に投げかける。
その答えを確かめるためにヘルカイトは、目の前にあるガイルの首筋を……
いや、負の気配がする辺りを……


ペロリッ


「ウギャッ! い、いったい今の何なの!?」
(あっ! 不味い隠れよう!)

いきなり首筋に襲いかかった感触に、ガイルは大声を上げて驚いた。
反射的に首を左右に振り、周囲を確かめるが、すでに何も見つけられなかった。

「あれ……き、気のせい……かねぇ〜?」

得体の知れない不気味さを感じ、ガイルは自分の首をさする。
その頃……上手い具合に逃げおおせたヘルカイトは、
リュックの中で『ふぅ〜』と深い安堵の息を吐いていた。

(あ、危なかった……)

あの一瞬、自分が約束を破っているのを忘れていた。
バクバクと激しく鼓動する心臓を、今度は深呼吸をすることで落ち着かせた。
気分が落ち着くとようやく舐め取った負の気を、
確かめるように舌で味わい、ゆっくりと呑み込んでいった。

すぐに鑑定は終わる。

(この負は……疲れから来る負の気だ。
 どうして、こんなにガイル……疲れているんだろ?)

自分のの鑑定にヘルカイトは、色々と疑問を抱いたが……
結局、疲労の原因は分らなかった。

(でも……とても美味しい負の味だったなぁ……♪)

舌を刺激した負の味に、ヘルカイトは軽く興奮していた。
本来がっつくような性格ではないが、
ガイルが発していた負の気は今まで食べたことのない程……甘美だった。

(もう少し食べたいな……)

舌なめずりをするヘルカイトの顔は、実に物欲しそうだった。
美味しいものを食べた生き物なら、誰しもとらわれる感情に襲われているのだ。
リュックの中……暫くその感情を押し殺すことにヘルカイトは始終することになった。



    *   *   *



町の中心部から、少し離れた郊外にその家は建てられていた。
風情のある木造で、二階建ての大きな家。

周囲を取り巻いている壁を乗り越え、敷地を覗くと、
大きさに釣り合う広さの庭が広がっている。
誰かが毎日掃除をしているようで、とても綺麗に整備されている庭。
その片隅には、今は何も干されていない物干し竿が、寂しく佇んでいた。

およそ、一週間ぶりの我が家にガイルは帰還したのだった。

「ふうー ようやく我が家に着いたな。
 今回は早く帰って来られたから、みんな喜ぶぞ。」

呟かれた声は弾み、とても嬉しそうだ。
見慣れた我が家といえども、それなりに思うことがあるのだろう。

「ここが、ガイルの…住んでいる家……?」

元の大きさに戻ったヘルカイトが、ガイルの隣で呟いた。
家を興味深そうに見つめては、何度もガイルと家を交互に見ている。

「そそ〜。 結構、いい家だろ〜♪」
「うん。……凄い家……師匠のすんでいる所みたい……」

家の迫力に圧倒され、ヘルカイトは、まるで独り言のように相づちを打つ。

「はははっ ビックリしたみたいだねぇ。
 それじゃ、入ろうか、みんなにヘルカイトを紹介したいし」
「……うん」

惚けたままのヘルカイトの手を掴むと、ガイルは家の敷地に入っていく。
戸口を開くと玄関が顕わになり……
数日ぶりの我が家へと足を踏み入れたのだった。

「みんな〜元気だったかー!! ただいまー!!」

玄関に入るなり、恒例になっている大きな挨拶の声は、
廊下を伝って家の奥まで響いていった。

するとガイルは、意味ありげな笑みを浮かべ、ヘルカイトに話しかける。

「はははっ ヘルカイト、驚くなよ…♪」
「えっ? ……何かあるの……?」

不可思議な事を言うガイルに、ヘルカイトが頭を傾げて聞き返した。
それにガイルが答える前に……廊下の先を指さす。
釣られてヘルカイトがそちらを向くのと、どちらが早かっただろうか。

「カモ〜♪ マスター今日は早かったね〜♪」
「カメ〜♪ マスターお帰りなさい♪」

玄関から見て正面方向にある……十数メートルほどの廊下。
その廊下の奥から嬉しそうな声が二つ響く。
同時に、二つの小さな影達が廊下に姿を現し、全力でガイル達に突進してくる。
以前より、多少マシになったとはいえ……
未だ、少々臆病なヘルカイトは向かってくる二つの影に過剰に反応した。

「うわっ! ガ、ガイル!」

恐怖で飛び上がり、思わずガイルの後ろに隠れる。

「おあっ ヘルカイト隠れなくても大丈夫だって。」

自分の後ろに回り込んだヘルカイトに押され、転けそうになる。
その間にも、二つの影達は我先にと争いを続けていた。
十秒に満たない短い戦いの中、片方の影が前に躍り出る。
このまま、勝利はそちらに微笑みかけそうになった瞬間!

遅れた影の主の手が素早く動く。
手が霞むようなその動きは、一筋の閃光のような一撃を繰り出し、
先行する影の足下に吸い込まれるように打ち込まれた。


ピシッ!


「カメッ!!」

何かが廊下を叩く、鋭い音が響いたかと思うと、
先行していた影の主の悲鳴が廊下に木霊し、思いっきり転倒してしまう。

その間にもう片方の影の主は、一足先に廊下を駆け抜け……
翼を手の如く扱い、長ネギを片手に持った、カルガモのような姿を顕わにした。
それから、一瞬遅れて……
転倒した勢いで玄関に腹ばいのまま滑り込んできたのは、
フサフサの尻尾と羽のような耳を持った、カメのような姿をした生き物だった。


ポケモンと呼ばれる生き物たちがこの世界にはいて、
この子達は、それぞれ『カモネギ』『カメール』と呼ばれるポケモン達……

ガイルの家族達だった。

この二匹の事をガイルは、カモネギのカモさん、カメールのカメさんと呼んでいて、
ガイル宅で家事を全般に任されている働き者の二匹組なのだ。
今では、カモさんが主に掃除と買い物、カメさんが台所と洗濯物を任かされていた。

今日は2匹一緒に台所でお互いの仕事をしていると、
ガイルの声が聞こえて、相手より先に主に真っ先に出迎えようと競争になってしまい……

先のような結果になったのである。

で……いち早く玄関に躍り出た勝者であるカモネギが、床に突っ伏しているカメールに、
勝ち誇るかのように、翼を腕のように腕組みをしながら見下ろしていた。

「カモッ! 今日は僕の勝ち〜♪」
「カメ…… カモネギ〜ネギで頭を叩くのは反則だよ……」

どうやら、カモネギが手に持っているネギで妨害をして、カメールとの競争に勝利したようだ。
それを非難するカメールの頭目掛けて、再びネギが振り下ろされ……


ポコッ! ポコッ!


中々、いい音を響かせている。
端から見ていると、あまり痛そうには見えないのだが……

「カモモッ! 立派な作戦なの!」
「カ、カメェ〜 止めて痛いっ……」

本気で痛そうにしているカメールが、ついに耐えかねて甲羅の中へと逃げ込んでしまった。
喧嘩をしているかのような、このやり取りをガイルは見ていて……

「おおぅっ♪ カモさん、カメさん♪
 いつも留守番ありがとな……でも、お前達っていつも元気だねぇ〜」

本来止める役割のはずのガイルが、とっても楽しそうに二匹のやり取りを笑っていた、
実はこの光景……いつもの事なのである。

いつ頃からこうなったのかはガイルも覚えてはいないのだが、
毎回、自分が帰ってくる度に繰り返されるので、止めるのを止めてしまったのだ。
しかも、最近ではこれを見ないと我が家に帰った気がしないほどである。

ちなみに何故、二匹が争ってまで競争していた理由は……

「カモ〜♪ 今日のご飯の時、僕がマスタ〜の横だよ♪」

自分たちに向かって笑いかけてくるガイルに、カモネギが嬉しそうに話しかけてきた。
そのカモネギにガイルは笑顔を浮かべることで答える。


小さな幸せかも知れないけど……カモネギとカメールにとって大切な一時を勝ち取るため。
ガイルは二匹から、元気を分けて貰うため。

これは、ガイルと家族のみんなとの儀式だったのだ……


だが、しかし……
今だにポコポコと玄関に鳴り響く音に、そろそろ、止めた方が良いかな…?
と、ガイルがようやく思い至ると、すぐにカモネギに声をかける。

「なぁ、カモさん……そろそろ叩くのを止めてあげたらどうなの?」
「カモ〜 マスタ〜がそう言うのなら〜♪」

ガイルが声をかけただけで、カモネギはすぐに叩くのを止めた。
その変わり身の早さは素晴らしく。
すでにカメールのことは頭に入っていないようで、ガイルに好意の目を向け続けている。

その後ろで……
やっと難を逃れたカメールが、隙を見て逃げ出していった。
安全圏まで来ると赤くなった後頭部をさすりながら、
改めて、非難がましい目をカモネギに向けると……

「カメ……ようやく助かった……あれ?」

カモネギのさらに向こう側、ガイルの側に見知らぬ竜の姿が目に入ったのだった。

「カメ? マスター……後ろにいる……のは誰なの?」
「カモ? あっ! ホントだ……誰?」

カモネギも気が付いたようで、覗き込もうと顔と一緒に身体を横に傾けていく。
それに気が付いたヘルカイトは『ヒャッ』、と悲鳴をあげガイルの後ろに隠れてしまった。
余りにも濃い二匹の登場の仕方に、戸惑ってしまったのである。

そんな三匹を見て、ガイルは嬉しそうに笑みを浮かべた。

「おっ お前達、やっと気が付いてくれたな〜♪
 ヘルカイト、そんなところにいないで、こっちに出てきてねぇ〜♪」

自分の後ろに隠れていたヘルカイトの背中を押して、前に引っ張り出していく。

「あっ ちょっとガイル!!」

それにヘルカイトは大慌て。
冷や汗を滝のように流しながら、翼をばたつかせ抵抗しようとするが、
抵抗も空しく、二匹の前に引っ張り出されてしまう。

「えっと……」

勿論、二匹分の視線がヘルカイトに集まり、緊張で身体が硬直する。
上手く回らない口を無理矢理開き、何とか声を絞り出した。

「うぅ……こんにちは……」

ガチガチに緊張した挨拶。
とても小さな声だったが……

「カモ♪ こんにちは〜♪」
「カメ♪ こんにちは♪」

カモネギとカメールもペコリと会釈をしながら嬉しそうに挨拶を返した。

それで……それだけで、
ヘルカイトを縛っていた緊張という束縛は、解けて消えてしまった。

「ん…… 僕はヘルカイトと言います!数日前に独り立ちして!
 でも、どうしようかと途方に暮れていたときに……ガイルに会って!」

まるで心が軽くなったような感覚にヘルカイトは、不思議な気持ちよさを覚え、
口からスラスラと自己紹介の言葉が出てくる。

その後、言葉が途切れないまま、ヘルカイトは一気に自己紹介を終えた。
次ぎにカモネギやカメールも自己紹介を簡単に話終えると……

「それじゃ、みんなでご飯にするか。
 あっ でも、ヘルカイトの分のご飯…ある?」
「カメ……マスターの分はあるけど……竜さんの分はさすがに……ないよ……
 ちょっと待ってて、マスター今何か作ってくるカメ!」
「おおっ じゃぁ僕も手伝うか♪」

台所に向かったカメールを追ってガイルも歩き出す。
そのまま、廊下の曲がり角を曲がる前に、カモネギ達に振り返ると……

「カモネギは、ヘルカイト食堂へ案内してねぇ〜
 後で、僕達もそっちへ行くから」
「カモ〜 分かったよマスター♪ 任せて〜」

気の良い返事にガイルはニッコリと笑うと、そのまま台所を目指して歩いて行った。
残されたのは、カモネギとヘルカイトの二匹組。

「カモ…… それじゃ、竜さん。 僕達も行こうね」
「うん。 鳥さんお願いします」

お互いに頷きあうと、カモネギの案内で家の奥へと歩いていくのだった。



    *   *   *



ガイル家の家の中は……見た目通り広かった。
長い廊下を歩いていくと何室もの部屋があり、ヘルカイトを驚かせていた。
中はどうなっているのか、と興味を引かれ、障子戸を開くと……
障子の向こうから、畳敷きの和室が姿を現した。
思わずヘルカイトは息を呑む。
広々とした空間に満ちる和の雰囲気に、和室の雰囲気に包まれた気がしたのだ。

呆気にとられるヘルカイトに、カモネギは楽しそうに他にも何室もあると言った。
他にも何室か洋室もあるという言葉に、ヘルカイトはさらに驚く。
ヘルカイトも好きな部屋を選ぶと良いと、カモネギから教えられた。
ちなみに……ガイルの自室は洋室とのこと。

そして、他にも、様々な部屋を紹介され、驚きっぱなしのヘルカイトは、
家の間取りをカモネギに教わりながら、その中の、ある一室に来ていた。

「カモ〜 ここがみんなで食事をするところなんだ。」
「うわぁ……広い部屋…… 何でこんなに……?」

ヘルカイトが目を丸くして部屋の中を見渡していると、
見上げていたカモネギが、その疑問に嬉しそうに笑みを浮かべた。

「カモモ♪ マスターの家族は僕達だけじゃないんだよ。
 他にも沢山いるんだけど……みんな好き勝手に出歩いて中々帰ってこないの」
「そうなんだ……他のみんなとも会いたいな……」

ヘルカイトは、その家族達の姿を脳裏に描いていく。

「カモ〜 それにしてもマスター達遅いな……」
「うん……遅い…あっ」

相づちを打とうとしたヘルカイトのお腹が、キュルル〜と可愛い音を鳴らした。
思わずお腹に手を当て、恥ずかしそうにするヘルカイトを
カモネギは、とても可笑しそうに笑っていた。

「カモモ〜♪ 竜さんのお腹って可愛い音を鳴らすんだね」
「うぅ…… お腹減った」

笑い続けるカモネギに、恨めしそうな視線を流しながら、
床にへたばったように座り込んでしまうヘルカイト。
空腹で何度も鳴るお腹をさすっていると……

カモネギもヘルカイトの傍で座り込んだ。

「カモ。 まぁ、もうすぐマスター達が来ると思うから座って待とうよ」
「うん……鳥さん」

力なくヘルカイトは頷いた。
どうやら本当にお腹が空いているようで、お腹の音が止まらない。
グゥ〜と音が鳴る度に、真っ黒な顔を赤面させて俯いてしまう。

(うぅ……何でこんなに……ガイルのを食べたせいかな……?)

思わずそんなことを考えていると、迂闊にもあの味を思い出してしまった。
『また負の気をたべてみたいな…』という、押さえ込んでいた想いが湧き上がってくる。
それがヘルカイトの身体を震わせた。

「カモ?」

隣で震えだしたヘルカイトにカモネギは気が付くと、怪訝な表情を浮かべた。
震える身体をさすり、心配そうに声をかける。

「カモ? 竜さん……身体が震えてるけど…大丈夫?」
「…………」

ヘルカイトは黙ったまま顔をカモネギに向けた。
飢えた黒竜の目は、カモネギの姿と一緒に僅かだが負の気を映し出す。
普段なら無視できるほど僅かな気なのだが……
今のヘルカイトには、カモネギがとても美味しそうに見えていた。

「鳥さん……美味しそう……」
「カモっ? 竜さん。 今、何か言った?」

小さく呟かれた声に、カモネギは聞き返えした。
しかし、ヘルカイトは返事を返さず……目はカモネギを真っ直ぐに見据え動かない。

「カ、カモ…? 竜さん…なんか怖い……」

その様子に何か危険を感じ取り、間合いを取ろうとカモネギが立ち上がる。
同時にヘルカイトも立ち上がった。

繋がっているかのように連動した動きに、カモネギはさらなる危険を感じた。
身体中の汗腺から冷たい汗が噴き出し、背筋に冷たいモノが走る。
気が付くと数歩後ずさりをしていた。

その動きに合わせ、ヘルカイトも同じだけ歩を進める。
さらに下がるカモネギ……
逃げる獲物を追いつめるが如く、ヘルカイトは歩を進め……
明らかに正気が疑われる目を向けて、言葉を発した。

「鳥さん、ごめんね……僕……ちょっと止まらない……」
「カモ!? 何を言って……」

トンッ、とカモネギの背中に何かが当たった。
思わず後ろを振り返ると、壁が逃げ道を塞いでいた。
言葉を失ったカモネギ。
ゆっくり顔を戻すと……先ほどまで一緒に笑い、
楽しげにお話をしていた竜が目つきを変え、ゆっくりと迫ってくる。

カモネギはその目が堪らなく怖かった。

「カ、カモッ! こ、こっちに来ないでっ!」

恐怖に負けて思いっきり両方の手…翼を振り回す。
だが、ヘルカイトは止まらない。
それどころか、次第に身体を巨大化させ……
今では遙かにカモネギの大きさを上回っていた。

「カモ! …カモ? あ、あれ?」

気が付くと手に持っていた長ネギがなかった。
夢中で振り回している内に投げ飛ばしてしまったのだ。
ソレは空しくヘルカイトの背後で転がっている。

もはや、為す術もなくなったカモネギは……哀れな獲物でしかなかった。
カタカタと震える身体を抱きしめ…ゆっくりと上を。
目の前までやって来たヘルカイトを見上げる。

「カモ……や、やめ……みんな助けて……」

必死に制止を、助けを求める声は恐怖で掠れ、まともに聞き取ることも出来ない。
カモネギを恐怖させるヘルカイトの目……
大きく立てに裂けた瞳孔が、哀れな姿を映し出していた。
その恐怖がさらなる負を産み出し……美味しさを増した哀れな獲物に、
ヘルカイトは、完全に種族の本能に突き動かされ、ゆっくりと手を伸ばしていく。

「怯えないで鳥さん。 大丈夫…全然、痛くないから……」
「カモ…カモ…  カモー!!」

両肩を掴まれ、悲鳴をあげるカモネギにヘルカイトは迫り……
大きく口を開いたのだった。



    *   *   *



一方、その頃……


ガイル達は、ようやく出来上がった料理を持って、廊下を歩いていた。

「やっと出来たなカメさん。 
 ちょっと時間がかかったけど、みんな喜んでくれると思うぞ♪」
「カメー♪ みんな、美味しいって言ってくれるはずだよ。」

和気藹々とみんなで食事を楽しむ。
そんな想像をしながら、一人と一匹で期待を胸一杯にしていた。

そして、目的の部屋まで来ると……

「お〜い、料理が出来たぞ♪ みんなで一緒に…食べ…よう……?」
「カメ!?」 

カメールの目の前でガイルが立ち尽くし、動かなくなった。
思わずぶつかりそうになり、カメールが慌てて足を止める。

「カメ…?マスター…どうかしたの?」

動かなくなったガイルを、カメールが不思議そうに見上げた。
青ざめたような顔を見つけ、何事かなと横から頭を出し、部屋の中を覗き込む……

「カメッ!!」

大声で驚き、ガイルと同じようにかたまった。


ピチャ…ムグ……モグ……


静かになった部屋の中から、何かを舐める音、何かを噛む音が生々しく響いている。
その音の出ている場所…まさにガイル達の視線の先で……
ヘルカイトが、カモネギを食べていたのだ。

その食事は実に美味しそうで。
モゴモゴと口を盛んに動かし、呑み込んでいく様は……
心の準備のなかったモノを虜にするほどの、不思議な魔力があった。

まるで時が凍り付いてしまったかのようだった。
ガイルとカメールは動きを止め、目を釘付けにしながら、
ゆっくりとカモネギが、ヘルカイトに呑まれていくのを、じっと待ち続ける。

凍った世界で、ただ唯一……
カメールが手に持っていた料理のお皿が動き……
ゆっくりと手から滑り落ちた。


ガッシャーン!


お皿が割れる激しい音を響かすと、一気に凍った時が氷解する。

「おぁっ! ヘルカイト! カモさんを食べないでぇ!!」

持っていた料理を放りだし、ガイルがヘルカイトの所へと駆けだした。
その後ろでは、同じく動き出したカメールが、落下する料理を見て青ざめている。

「カ、カメ! ああっ! お皿が!!」

慌てて右へ左へと動き回と奇跡的に、全てのお皿を受け止める事に成功し、
見事に料理を台無しにすることはなかった。
その間にも、ガイルは素早くヘルカイトの元へとたどり着いた。

「ヘルカイト早く吐き出してっ! お前、一体どうしたんだよっ!」

カモネギを助けるため、ガイルは必死にヘルカイトに呼びかける。
だが、すでにガイルの言葉も届くことなかった。
夢中で口を動かし続けるヘルカイト。
その口からはみ出していた足が、ついに口の中に収まったのを見て……
ついにガイルが直接的行動に移った。

「ヘルカイト! いい加減に目を覚ましてくれ!」

大声と共にヘルカイトに飛びついたガイル。
自分を叩きつけるつもりで、抱きつき、勢いのままヘルカイトを押し倒した。

「グギャッ ガフッ!」

衝撃でヘルカイトが噎せ返る。
僅かに吐き出され、カモネギの下半身が口の外に出た。
しかし、まだ完全に吐き出すまでには至らない。

「ググッ! グアァァッ!」

それどころか、ガイルをはじき飛ばそうとヘルカイトが身体を捩る。
対してガイルも、カモネギを助けるため、必死にしがみつき。
何度もヘルカイトの身体を揺さぶり、何度も名前を呼び正気に戻そうとする。

「ヘルカイト! ……いい加減に吐き出すんだ!」

明らかにガイルに分の悪いの攻防。
後のガイルに『いやぁ……もう懲り懲りだねぇ……』と、
言わせたヘルカイトの暴走ぶりは、まさにガイルの知っていた竜そのものだった。

長く……いや、実際には十分にも満たない戦いの末。
その甲斐あり……

ようやくヘルカイトの目に正気の光が戻ったのだった。

「……グルッ? あっ……ガイル?」

カモネギを咥えたままの口から、くぐもった声が響く。
激しい攻防のせいで、ガイルは息を切らしたまま、ヘルカイトにもたれ掛かかった。
視線の先にいつも通りに戻ったヘルカイトの目を見つけて……
ようやく全身から力を抜いていく。

「はぁはぁ……ヘルカイト……良かった。……戻った」
「えっ? えっ? ガイル…何で……?」

沢山の何故がヘルカイトの脳裏を巡った。

何故、自分が倒れているのか?
何故、ガイルがこんなに疲れているのか?
何故、ガイルに抱きつかれているのか?
何故、こんな事になっているのか?

何が何だか分からない……今のヘルカイトの心境はまさにそれだった。
ただ呆然と自分に抱きついてるガイルを見つめていると……

「……っ!」

自分が今咥えているモノに気が付いた。


ゴブッ……ビチャアアッ!


慌てて、ヘルカイトはカモネギを吐き出す。

余談ではあるが……すでに傍観者となっていたカメールには、
口の中から滑り落ちるカモネギが、やたらとゆっくり見えていた。

大量の粘液質の唾液の糸を引き……
カモネギが畳へと落下する。
……同時にグチャリと、その体は力無く崩れ落ちた。

すでにカモネギの意識はなく。
倒れた畳に唾液が染みこみながら、水たまりのように広がっていった。
無惨な姿をさらしているカモネギを、ガイルは助け起こす。

「カモネギ! 待ってろ今助けるぞ! カメさんも手伝って!!」
「カメ!? 分かったよマスター!」

直ぐさまカメールに声をかけ、ガイルは部屋から飛び出していった。
一瞬、料理をどうしようかと迷ったカメールも、すぐに料理を畳に置き後に続く。

そして、部屋の中にたった一匹ヘルカイトは取り残されてしまった。
だから……

「うぅ……ガイル……みんな……ごめんなさい……」

自分が何をやったのか理解し、後悔し……
嗚咽と共に漏れだしたヘルカイトの小さな呟きを……
聞いたモノは誰もいなかった。



    *   *   *



その後……ある部屋の一室に全員が集まっていた。
部屋の中央、畳敷きの床に布団が敷かれ、カモネギが寝かされている。
その傍で……ガイルとカメールが一緒に座り込んでいた。

カモネギの受けた症状自体は軽く、今では落ち着いた表情で寝息を立てていた。
少し前に意識も回復してガイル達とも会話をすることも出来たのだが、
ガイルに『今は無理をせずに休んで…』と言われ、先ほど改めて眠りについたばかりだった。

「カメ……」
「カメさん……大丈夫。 ……明日には元気になってるよ。」

俯き落ち込むカメールを頭を撫でながらガイルが励ましの言葉をかけた。
そんなガイル達の後ろで、小さな呟きが漏れた。

「……ガイル」

この呟きの主はヘルカイトだった。
本当なら、自分もあの隣に座って一緒に看病するべきなのだが……
ガイル達を見ていると、自分はあの隣に入ってはいけない気がしたのだ。

(どうして……僕……あんな事を……?)

この言葉は声にせず、ヘルカイトは心の中で呟いた。
あの時のことを、カモネギに襲いかかったことを思い出そうとすると……

最初に頭に浮かんだのは……
カモネギの心配そうな顔と、彼が纏っている負の気……。
そして、そんなカモネギが美味しそうだと思った自分自身だった。

そこから先はまるで記憶に霞がかかったかのように思い出せず、
ガイルに正気を取り戻させてもらえるまでの記憶が、プッツリと途絶えていた……

ただ……あの時、自分がカモネギを美味しそうだと思ったことは確かだった。

(これが……僕の本性なの……?)

今のヘルカイトの心の中は後悔で、埋め尽くされていた。
それは外見にも現れていた……
身体は本来の半分以下に小さくなり、凍えるように震え……
とても寂しそうで、悲しそう……

まるでガイルと最初に出会った頃……
孤独に怯えていたヘルカイトに戻ってしまっていたのだった。

ただ……そう、ここにはあの時とは違うモノがあった。

「カメ…… 竜さん、元気出して……」
「……えっ?」

突然声をかけられてヘルカイトは顔を上げると、いつの間にか傍にカメールがいた。

「……カメさんは、僕が……怖くないの……?」
「カメ…… 怖いよ……竜さんの事が……」

ヘルカイトの問いかけに、カメールは少し俯き小さくそう呟く。
途端に『やっぱり……』とヘルカイトは俯くが、すぐに再び顔を上げる。

(ならどうして…?)

思ったことを声にはせず、ヘルカイトはカメールに目で訴えかけた。
その訴えが通じたかどうか分からない。
しかし、カメールは……しっかりとヘルカイトの目を見つめ返して、口を開いた。

「カメ…… だって、あのままだと……
 竜さん、いつまでも何も出来なさそうだったから……」
「……っ! うっ……うぅ……」

その声を聞いた途端……ヘルカイトの目から涙が少しずつこぼれ落ちてくる。
いきなり泣き出した事で、カメールは少し慌てたそぶりを見せたが、すぐに落ち着くと……
今度は涙を流し続けているヘルカイトの耳元で、小さくささやいた。

「カメ。 だから、もう少し勇気を出して……
 ガイル……竜さんが自分で何かをするの……待っていると思うから…」
「……うん。 ……カメさん…ありがとう……」

ささやかれた言葉にようやく泣くのを止めたヘルカイトは、改めてカメールの顔を見つめて頷いた。

「カメ……じゃぁ、僕は新しいタオル取りに行くから……頑張ってね」
「あっ!」

ヘルカイトの返事に満足したカメール。
嬉しそうに頷くと、そそくさと部屋から出て行ってしまった。
その後ろ姿にヘルカイトは思わず手を伸ばしてしまう。

どう考えても、ヘルカイトに気を使ったとしか考えられなかった……

「……うん。 ……頑張るよ」

カメールに勇気を少しだけ貰ったヘルカイトは、小さく呟くと同時に立ち上がり、
今は一人でカモネギの看病をしている、ガイルの傍へと歩み寄っていった。

「……が、ガイル……」
「……んっ? ……ヘルカイト、どうしたんだ……?」

声をかけられ、ガイルが後ろを振り向いた。
もう後には引けない……その意を胸にヘルカイトが口を開く。

「ご、ご免なさい! 僕…僕……カモさんに酷いことを……うぅ……」

段々と声が震え、最後は嗚咽で途切れ途切れになっていくヘルカイトの声を、
ガイルは何も言わず聞き届けていく……外からはそう見えた。

だが内心は……とても嬉しかったのだ

(ようやく話してくれたねぇ……ヘルカイト……)

カメールの言っていたとおり、待っていたのだ……ヘルカイトが自分で話してくれることを。
すでにガイルの中では、ヘルカイトは家族の一員なのだから……
だからこそなのだ、家族だからこそガイル達は、ヘルカイトに手を貸さなかった。
自分で立ち直れるようギリギリまで……

「うぅ…ひっく……ガイ…ル…… 僕、どうしたら許してもらえるのかな……?」

すでに言葉に出来る事を言い尽くし、
ヘルカイトにはこれ以上何をすればいいのか分からなかった。

しかし、ガイルは尚も自分を見つめたまま、黙っていて何も言ってくれない。
それが辛くて、ヘルカイトは再び俯いてしまった……

「……ん……ガイ… あっ!」

不意に頭の上に暖かな何かが乗せられ、ヘルカイトは思わず頭を上げてしまう。
次の瞬間、目に飛び込んできた人の名前を言い切る前に、ガイルに抱きしめられていた。

「んんっ……ガイル……?」

驚き、そして、不思議そうに呟いたヘルカイトに、初めてガイルが口を開いて話しかける。

「もう良いんだよヘルカイト……
 だけど……カモさんにもちゃんと謝るんだぞ……」
「……うんっ! ……ガイル、ありがとう」

たったそれだけの言葉で、ヘルカイトはとても心が軽くなった気がした。

「ガイル……僕……とっても眠たい……」

……そのせいだろうか?

今まで緊張で引き締まっていたヘルカイトの気持ちが、ホッと緩んだ瞬間……
身体の力が抜けていき、強烈な睡魔が襲いかかっていく。
それに、ガイルが抱きかかえる小さな竜の身体を優しく撫でるせいで、
ヘルカイトの目蓋が重そうに震えていた。

「寝ても良いんだぞヘルカイト……でも……」
「んっ……何?」

落ちかけの意識を何とかつなぎ止め、ヘルカイトはガイルの声に耳をすます。
その耳にガイルはそっと呟いた。

「お前が寝る前に俺からも……謝るよ。
 さっきまで、無視してごめんな……ヘルカイト……」
「う…うん…謝らなくて…いい…ガ…イ…ル……スゥ…スゥ…」

ガイルの言葉を聞き届け、ヘルカイトは眠ってしまった。
完全に脱力した小さな身体を抱きながら、ガイルはもう一つだけ呟いた

「お休み、ヘルカイト……」




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