「ハァ、ハァ、ハァ…振り切ったか。」

 

彼は息を荒げながらも、

何とかヤミカラスたちから逃げ延びることに成功した。

しばらく何も考えられないで木に寄りかかり、

呼吸を沈めようと努めた。

 

体が落ち着いてくるにつれ、冷静に考えられるようになってきた。

そして、初めは信じられなかったが、いや、信じたくなかったが、

彼はある可能性にとらわれ始めていた。

 

(オレ……もしかして……迷った?)

 

逃げる時は死に物狂いで、

どっちに逃げようなどと考えている余裕は無かった。

今思い返してみると……

そう、彼は道のある方、つまり来たことのない方へ逃げたのだ。

そして、無我夢中で気付かなかったが、

どこからかまた森に入ったようだ。

森にはいくつもの分かれ道があった。

彼はヤミカラスたちが追って来れないように、

自分でも分からなくなるくらい、分岐点ごとにランダムに道を選んだ。

 

時間がたち、思考がはっきりするにつれ、疑いは確信に変わった。

彼は心細くなり、それと共に疲れがどっと出てきた。

森の中は夜も深まって漆黒の闇が支配し、

だんだんと寒さが身にこたえるようになってきた。

吐く息は白かった。

辺りは道が整備されているのに、

不思議なほど生き物の気配が無かった。

 

彼は再び歩き始めた。

今は何としてもこの森を抜けなければ。

彼は懐中電灯をザックから取り出し、人の家を探した。

誰かに会えば、この森の抜け方や食べ物の得られる場所を教えてくれるかも知れない。

しかし、いくら探せども、人の生活感の感じられるものは何一つ無かった。

 

彼は歩きながら、森に入る前のダーテングの言葉を思い出していた。

 

(ったく、何がムウマージだ。

ムウマージになんか会わなくたって、迷っちまったじゃねえか。)

 

考えているうちに、彼は森を出た。

ヤミカラスたちに襲われたさっきの場所とは違うようだ。

目の前には湖が広がっていた。

かなりの広さで、恐らく例年なら豊富な水をたたえていたのだろう。

しかし、ここも今年の旱魃の影響を受けてか、

水位はかなり下がっているようだ。

岸に近い所は水が干上がり、雑草が茂っている。

だが、湖面に映える満月はどこか趣があった。

 

彼はしばし湖の情景に見とれていたが、

思い出したかのように喉の渇きを覚えた。

 

(そういえばしばらく何も飲んでないな……)

 

村では、旱魃の影響で飲み水も貴重だったので、

彼は持ち出す水の量も最低限にとどめ、

少しずつセーブしながら飲んでいた。

彼はザックから水筒を取り出し、残り僅かな水を一気に飲み干した。

だが、走り疲れた彼の体の渇きを潤すには十分でなかった。

 

(ここの水を少しもらっていくか。)

 

彼はザックを岸辺に置き、水筒だけを持って湖に入った。

水は刺すように冷たかったが、こらえながら奥へ進んだ。

膝ぐらいまで浸かるところにくると、

彼は水筒のコップで水をすくい、飲んだ。

その身にしみわたる心地よい冷たさは、彼の身体のほてりを癒し、

長旅の疲れを、僅かな間ではあるが忘れさせてくれた。

生まれてこの方、彼は水をこれほどにうまいと思ったことがなかった。

まさに、命の水だった……

 

彼は完全に油断していた。

森に全く生き物の気配が無かったものだから、

ここもそうだろうと、勝手に割り切っていた。

彼が命の水をすっかり堪能し、それを水筒に入れようとしていた時、

水が僅かにかき回される音が聞こえた。

 

(むっ……何かいるのか。)

 

彼はたちまち怖くなった。

ここは湖の中、水面下から水ポケモンにでも襲われれば、

彼は太刀打ちできるはずも無かった。

 

再び聞こえた。

今度はかなり近い。

彼は声を上げて威嚇しようか、逃げようか一瞬迷った。

が、水をかき回した何者かは、それ以上彼に迷う暇を与えなかった。

 

ザバァーーッ。

 

彼は、前方から群青色の何かが飛び出してくるのが見えた。

身体が反応する前に、その何かは彼にしっかりとまきつき、

彼は身動きが取れなくなっていた。

 

「うわぁぁっ、何するんだ、離せぇっ。」

 

彼に巻きついた何かは、一体で彼の全身を覆い尽くすほど大きく

彼はバランスを崩して何度も倒れそうになった。

 

「おいっ、応援を頼む。」

 

程なくして、もう一体彼に飛び掛った。

彼は二対がかりで全身に巻きつかれ、

今や顔も覆われて何も見えなかった。

そして、ついに

 

ビッチャーン。

 

彼は巻きつかれたまま浅い湖に倒された。

巻きついたそれらは、彼を湖の奥へ引きずり込んだ。

 

「うっ、やめろ。くそ、離せぇっ……がっ…」

 

彼は水を飲んだ。

もはや、それは命の水ではなかった。

どうやらかなり深い所まで来てしまったようだ。

 

「うるせぇな、黙らせるぞ。」

「はいっ。」

 

今度は二体がかりで彼を湖に沈めにかかった。

絞められてただでさえ息苦しい上に、水に沈められては

もう彼はあがくことはできなかった。

 

(息が……苦しい……)

 

「ガポッ……」

 

息苦しさのあまり口を開いてしまった。

俄かに水が身体の中になだれ込み、彼は意識を失った。

 

 

どれほど時間がたったのか。

彼は意識を取り戻したが、なおも巻きつかれ、ぐったりしていた。

 

「例の輩を連れて参りました。」

「ご苦労様、ハクリューたち。」

「では、おいとまします。」

 

(そうか、さっきのはハクリューだったのか……

じゃぁ、こいつは……)

 

初めは意識が朦朧としていたが、

彼はようやく、自分に巻きついているのが

さっきのハクリューたちでないことに気付いた。

前よりも太く、長い。

彼は恐る恐る見上げた。

その姿は月明かりに照らされ、彼の目に飛び込んだ。

背筋が凍った。

 

「ミ……ミロカロス。」

「あら、よくご存知ね。」

「何のつもりだ。」

「ふふふ、とぼけないでくれる?

あなたの一味がやったって証拠はちゃんとつかんでるんだから。」

「オ、オレは何も知らない。」

 

グギュゥゥゥッッ

 

「がはっ……ぐ……」

「いつまで白を切るつもりかしら。

隠したって無駄よ。

あなたたちがやったんでしょう。

自分たちの私利私欲のために、密かにここから水を引いて……

今では湖はこの有様だわ。」

「違う、濡れ衣だ。オレはついさっき……」

 

グギュギュ、ギリギリギリ

 

「がぁっ…………ぁ……」

「あなたも往生際が悪いわね。

ふふふふふ……覚悟なさい。」

 

ミロカロスの口がクパァッと開いた。

数滴の唾液が彼にも降りかかる。

彼はこれから行われることを否応無く理解してしまった。

 

(くそ……食われる……)

 

彼は“タネマシンガン”で何とかとどめようとした。

しかし、ミロカロスの胴が彼の腹部と首に強烈に食い込み、

へし折らんばかりの強さで圧迫されたこの極限状態では

彼のささやかな抵抗は何の意味もなさなかった。

技には力が無く、とてもマシンガンと呼べるものではなかった。

最後には、タネはミロカロスの顔の高さにも届かなくなった。

 

「ふふ、抵抗のつもりかしら。

それならもっとかわいがってあげる。」

 

ザバァーーーーッ

 

ミロカロスは、空気を求めて苦しそうに喘いでいる彼の開かれた口に

思いっきり“ハイドロポンプ”を撃ち込んだ。

技のダメージなどと言っていられないほど、彼の身体は消耗していた。

その上に、今の一撃で口が水で覆われ、

呼吸もできず、水を飲まされてむせ返りそうになるが

ミロカロスの胴の圧迫はそれすらも許さなかった。

 

次第に身体の痙攣が始まった。

彼の全身の細胞が悲鳴を上げている。

薄れゆく意識の中、彼が最後に見たのは

その身体を求めて伸びる、紅い舌だった。


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