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バベルの塔 − 旧・小説投稿所A

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バベルの塔
− 最後のギャンブル −
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ラファエルの確保は8人掛かりで行われた。
見上げるような巨躯が全身全霊で暴れるため、1名が本棚まで吹き飛ばされて失神した。
生への渇望が空気を介して聴こえそうなほど、ラファエルの抵抗は凄まじかった。


「や…辞めろ!! 私に触るな!!」

だが多勢に無勢、数が違いすぎる。
ウォリアが新たな4人の部下を投入したため、ラファエルの身はいとも簡単に拘束された。
首には棘のついた鉄球が繋がれ、純白の翼は無残にもワイヤーで括られていた。


「….ひ…ぅぅ….ぁ…」


歯をカタカタと震わせ、恐怖に涙を垂れ流している。
これがかつて自分には手の届かない頂に立ち、「天使」の名を語っていた竜の姿なのか。
そう思うとバビロンの心に、微かな憐れみが芽生えた。


「さて….見事じゃったぞバビロン君」

称賛と怒りが一緒くたになったような表情で、ウォリアはバビロンの腰掛けているソファに歩み寄った。
無数の皺が刻まれた手には、古ぼけた端末機のような物が握られている。


「これが我が社の全データを保有する機器….我々はメモリーキューブと呼んでいる。
本来、社長と会長の座を持った者にしか与えられないのだがね……」

「御託は結構」


すぐにでも破壊したい、という貪欲な目でバビロンは手を差し出した。
しかしウォリアにそれを手渡す素振りは無かった。
見る者の悪寒を誘う笑みを浮かべながら、キューブをしっかり握り締めている。


「フフ…じゃがその前にひとつ頼みがある。何故、今の戦いでお前は勝利に届いた?
儂の見た限りでは….ラファエルに分があったと思うが」

「…….まさかそれを壱から拾まで説明しろと?」

「そうじゃ、解説を頂きたい。そのぐらいのサービスがあってもよかろう」


ウォリアは彼に断る余地を与えなかった。
溜め息をひとつ吐き、バビロンは先ほど自分が出した2のダブルを手にした。
しばらくそれを見つめ、言葉を思い付いたように話を切り出す。


「….私の勝ちは…三つの段階を踏んで辿り着いた。
まず第一に、感情の誘導だ」

「感情の….誘導….?」


最終戦という舞台の上では、誰もが成り行きや運に任せた勝負はしたくないもの。
もっと現実的で理性的な、勝利の宝島へ行くための箱舟のようなものを求める。
だからこそ相手の心を探ったり、持ち前の頭脳で戦略を組み立てたりする。
とどのつまり必死になり、神経が敏感になるのだ。

ラファエルのこの状態を利用することが、まずバビロンの最初の戦略だった。
「強いカードを右端に持っていく」という法則性を、ラファエルに見つけてもらう必要がある。
感覚がピリピリしているからこそ、その通常なら見過ごしてしまいそうなルールに気づく。


「フフ….頭脳明晰なあんたなら見つけてくれると思っていた。
そして…ここからが第二の関門だ。上手かっただろう? 私の演技」

「演技…!!?」


そう。
ラファエルは美味しそうな餌を見つけたら、何も考えずに食らいつく馬鹿な魚ではない。
優れた頭脳を持っているゆえに、当然こう考えるだろう。

ーーーこれも、罠かもしれない・・・


だからこそ、より一層深い「演技」が必要になる訳だ。
虚を実と言い張るため、バビロンは疑いようのない自然な動きを披露した。
真剣な眼差しとともに、強いカードを右端から捨て、さらに弱いカードを左から切っていく。
それは、ラファエルを完全に信用させるための渾身のブラフだったのだ。

そしてその「撒き餌」に、ラファエルはものの見事に食い付いた。
そうなれば、もうラファエルは疑わない。
自分の発見は紛れもない事実だったと誤解する。
そしてここからが、バビロンの戦略の最終段階だった。


「……心ってのは意固地なもんでね。
とある理論を見つけて確信してしまうと、容易にはそれを捨てられない。
それが勝利に繋がるかもしれない、という淡い期待から抜け出せないんだ」

それが心のメカニズム。
発見したときのインパクトが強ければ強いほど、その理論はピッタリと脳裏に張りついてしまう。
絶対に離れられない……いや、離れようとも思わなくなってしまうだろう。
何しろそれが、やっと見つけた希望なのだから。



「ふむ…....」

「これだけのことだ。それでは早速」

「あっ….」

一通り説明し終えると、バビロンは鷹のような速度でキューブを奪い取った。
偽物であることを恐れているためか、手の中で数回ひっくり返して確認する。

そして数分後、間違いはないと判断したバビロンは、
それをウォリアの前で床に叩きつけた。
さらに半分に砕け散ったキューブの残骸を、巨足でグリグリと押し潰す。

その跡には小さなネジやICチップが、ガラクタとなってカーペットの上に散乱していた。



「フフ…...身の毛もよだつ快感だな。癖になりそうだ」

「…賞品はそれだけではなかったと思うが」

「ああ、当然だ」


何はともあれ、人質となっていたロンギヌスの返還だ。
ウォリアはポケットから小さなカプセルを取り出すと、横たわるラファエルに近づいた。
バビロンを褒め称えたときとは、まるで人が変わったような口調だった。


「嘔吐誘導薬じゃ。何をボサッとしとる、口を開けんか」

「会長….それは…。吐きます、自分で吐けますから…!!」

「黙れ、この小童が!!!!」


高級な革靴が顔を蹴る、ボゴッという鈍い音が響いた。
ラファエルは頬に靴の汚れを張りつけたまま、強引にカプセルを口に押し込まれた。
水を与えてもらうことさえなく、ゴクンと喉を鳴らす。


効果が現れるのに一分も掛からなかった。
ラファエルは口を押さえ、打ち上げられた魚のようにのたうち回った。
しかし翼と首を固定されているため、悶えることさえ満足には出来ない。
口の端から、唾液や胃液がトロリと零れだす。

そして身を悶え続けた末に、粘液でふやけかけたロンギヌスを吐き戻した。


「マスター…!!」

バビロンが駆け寄って彼の頭を抱きかかえた。
意識は無かったが、動悸はしっかりしている。気を失っているだけだった。
バビロンはホッと胸を撫で下ろすと、抱き上げてソファにそっと横にさせた。




「さてさて….最後の仕事が残っているようじゃ…」

「ひぐぁ…ぅ….オェェ…」


どうやら嘔吐剤が爆発的に効いたらしい。
ラファエルは胃が空になった後も胃液を吐き出し続け、カーペットに水たまりを作っていた。


「この穢れ虫めが….床まで汚しおって。おい!!」

「「「はい」」」

「やめべ….まっ…待ってくださぎ…!」


助けを乞おうとしても、声にならない嗚咽が繰り返されるだけだった。
ウォリアは三人の部下にメモリを使わせ、怪力でラファエルの巨体を持ち上げさせる。
その間に他の部下から拳銃を受け取ると、会長イスの背後の大きな窓ガラスに撃ち込んだ。
悲鳴のような音とともにガラスは割れ、地上40階からの猛烈な風が吹き込んできた。


「…捨てろ。処分だ」

「「「はい」」」

「やめぐ….ぅ…グェッ…」


もはや口は胃液を流すための蛇口と化していた。
吐き気と格闘している間にも、ゆっくり彼の肉体は持ち上げられる。
ビュービューと強風の吹き込む窓は、まさに死へと続く崖だった。
執行されようとしている異様な刑罰に、バビロンは思わず目を疑った。


「おい….まさかここから投身させる気か?」

「….当然じゃろう。並みの毒物や武力ではこいつは死なん。
しかしこの高さから落ちてはいくら最新鋭機とはいえ、即死は免れまい」


ウォリアが肉片は拾い集めさせると呟いた直後、ラファエルは理性の糸が切れたように猛烈に暴れだした。
意味不明な言葉を叫び、バイオリック社を罵倒する。
その光景に、バビロンはどこか胸を打たれるような気がした。
そんな心の揺れを敏感にキャッチしたのだろうか、ウォリアは言った。



「…慈悲でも溢れてきたのかね?
まさか此奴を救いたい、などと考えておらんじゃろうな」

「そうだと言ったらどうする」

「ハハ….残念じゃがそれは契約違反じゃよ。
君に鎖を繋げる、もしくは彼をここから突き落とすまでが勝負のすべて。
我が社を崩落へと導いた罪を、ラファエルには死をもって償ってもらう」


処刑が終わるまでがギャンブル。そういった考えらしい。
バビロンは何か言い返そうとしたが、出てくるのは疲れた溜め息だけだった。
その間にもラファエルと窓との距離は縮んでいき、とうとう絶景を見下ろせる位置まで到達していた。


「やめご….ガハッ、ゲホッ!! ぅ…」

鎖に繋がれた首を強引に捻じ曲げ、慈悲を乞うような目でウォリアを見る。
しかし怒り心頭の彼が、それを受けつける事はなかった。

そして数秒後、気弱な社員の一人が耳を塞いだ。
ラファエルの巨体は鉄球をぶら下げたまま空中に投げ捨てられ、都会の海に落下していった。
彼の最後の断末魔が響き渡り、そして尻すぼみに消えていく。






「…会長、確かにお前の口で言ったよな?
私の身柄を確保するか、あのホワイト野郎をここから突き落とすまでがこの勝負…..ギャンブルだと」

「…そうだが」

「フフ…つまり奴を突き落とした、まさに今この瞬間から、その呪縛は解かれたって訳だ」


バビロンは疾風のような勢いで窓へと向かう。
ウォリアが驚きの声を上げた頃にはもう、彼は翼を広げ飛び降りていた。
ビュゥッと風を切る音だけが、竜達の消えた部屋に木霊する。



==============



「(……まったくいい笑い草だな。こんな愚行…)」


身も凍り付くような高度から、真っ逆さまに身を投げたバビロン。
多大な負荷を受けてきた翼では、辛うじてバランスを維持するので精一杯だった。
それでも彼の視力が、数十メートル先にラファエルの姿を捉える。

だが次の瞬間、雨のような水滴が、ひとつふたつと顔の横を抜け、天へと昇っていった。
そのうちの一滴が丁度、バビロンの唇辺りに直撃する。しょっぱかった。




「馬鹿が…..泣いてる暇があるなら、手伸ばせ!!!!」

「……!」


声を張り上げるのは苦手だった。喉に痛みが走る。
しかしその甲斐あってか、ラファエルは頭上から轟く罵声に気がついた。
泣き腫らした目を擦り、弱々しく白い腕を空に突き出す。

「チッ……駄目か…」

バビロンが涙と唾液に濡れた手を掴むのと、長ったらしい鎖の先に付いた鉄球が一足早く地に激突するのと、同時だった。
しかしそれではもう遅い。
バビロンが急上昇したとしても、この勢いは止まらないだろう。



「黙れ…....何が無理だって!!!?」


誰に向けた言葉なのだろうか。半ばヤケクソの急上昇。
もう一つの命を繋ぐ右腕に体力の全てを注ぎ込み、天空の雲を目指してはばたいた。
この時、地上との距離はおよそ50メートル。
一足先に落ちた巨大な鉄球は、アスファルトに下半分がめり込んでいた。

死が目前に迫っているにも関わらず、恐怖などという感覚は既に麻痺していた。
ただ助けたい、こいつを引き上げたいという思いだけが心に充満していた。
そんな彼の願いを聞き入れたのは、勝負の女神。
バビロンを最後の博打に勝たせようと、現れた女神が偶然を呼びーーー

偶然は、奇跡を呼んだ。




「ぁ~ぁ….バビロンどこ行っちゃったんだろ…」
「お、俺に聞かれても困るっつの! 大体…うわっ、何だこれ!!」

「…………!!!」

地上の入り口から出てきたのは、戦闘を終えたカイオーガとジュカインだった。
地に埋まっている鉄球に驚きを隠せない様子だ。
迷っている暇はない。バビロンはジンジンと痛む喉に鞭打って叫んだ。


「カイオーガ!!! こいつにハイドロポンプを撃ち込め!!!」

「えっ…..バ、バビロ」

「急げ!!」

「え、あっ….うん!」


ミサイル級の激流が、見事にラファエルの背中を直撃した。
落下の勢いがグッと弱まり、バビロンは思わず笑みをこぼした。
そのまま打ち上げる噴水の力を借りて、もう一度空に向かって飛翔する。
ラファエルの体重が、さっきより遥かに軽く感じた。

「グッ…ガァァァァァァァ!!!!!!!」

水流と翼の力が功を奏し、バビロンとラファエルは重力の呪縛から解放された。
本来の落下点から30メートルは離れたところに、ドサッと不時着する。
どちらも息を絶え絶えに、仰向けになって寝転んだ。


「ハァ…ハァッ….フフ、生きてるか…?」

「ゲホッ…ゥ…ハァ…お陰さまで…」

「バ、バビローン!!」
「おいおい大丈夫か!?」


カイオーガ達の声が次第に大きくなっていく。もはや首を動かす気力も無かった。
大富豪対決の五倍に届こうかという達成感に、全身の筋肉がプルプルと震えている。
ビルの屋上よりずっと高い位置を流れる一筋の雲に、バビロンは高らかに笑い声をぶつけた。


「クグッ…ハハハハハハハ!! フフフフ…あ〜あ…まるで阿呆だな…」

「バビロン…..貴方、どうして…」

「私を助けたのですか? ククッ…….それが全然分からなくてねぇ…
ハハハッ….グフッ、傑作だなこりゃ…ハハハハハハっ…!」


喉の痛みが気になり始めるまで、バビロンは狂ったように笑い続けた。
今まで抑えていたものを爆発させたかのように、心の底から込み上げてくる笑いだった。

数分を経て、落ち着きを取り戻した彼にラファエルは再び問いかける。
大笑いの名残なのか、バビロンは微笑みながら答えた。


「…..大富豪が終わった直後、ようやく気付いた。
私は誰と戦っているのか…..これが望んでいた勝負なのか…とね」

バビロンの願望は言うまでもなく、『バイオリック社』の崩壊。
メモリーキューブを破壊した刹那、その夢は現実となった。
しかし単なる「対戦相手」に過ぎないラファエルを死なせたところで、彼に何の利益があろう。


「それに、3勝2敗という戦績が表す通り….お前はこれまでにない好敵手だった。
そんな相手に易々と死なれちゃ、私としても胸糞悪いんでね」

「・・・・・」

「フフ…だが幸運だったな、手が空いてて」

拘束具は首から下げた鉄球と、翼を縛っているワイヤーだけ。
手錠が掛けられていないのが不幸中の幸いだった。
もし腕まで縛られていては、落下中に手を伸ばすことなど出来なかっただろう。



「運命がお前に、生きろと教えているのかもしれない。
だから…...もうここから出て行け。
山の奥でも谷間でも、行きたい場所に行けばいい。
少なくともこんな監禁施設よりは、自由奔放な生き方を選べるだろうよ」

「えっ…….」

まさに、それはラファエルの人生の転換を意味するものだった。
ただ生まれ育ってきたビルを抜け出す決意は、そう簡単にできるものでは無い。
何よりも開発されてから三年間、彼は一歩も外に出たことが無いのだ。
直接太陽の光に触れるのも、この瞬間が始めてだった。



「…そんな…..」

「どのみちもうここには戻れないだろう?
あの性根の腐った会長が、のこのこ帰ってきたお前を受け入れるとは到底思えないんでね」

「う…...」


それ以前に、もうバイオリック社という企業自体が崩れたのだ。
バビロンの手で会社の全てを統括する機器が、木っ端みじんとなった。
「会長」は、「元会長」となる。




「ここはお前の本当の住処じゃない。
まあ強要はしないが、道は自分で決めるんだな」

「・・・・・・」


選択を迫られ、ラファエルは仏像のように沈黙したままだった。
しばらく経ってようやく、首を縦に振る。
その様子を見計らい、バビロンは彼の首と翼の拘束具を引きちぎった。




「…最後に、ひとつだけ聞かせてください。
去年、ここから脱走した貴方の判断は……本当に正しかったと、今でも自信を持てますか?」

「当たり前だ」

ぶっきらぼうな返答だった。
勿論、これでラファエルの問いが消化された訳がない。


「で、でも….量産型じゃない貴方ならそれなりのポストは貰えたはずです。
それに、社内の友達もたくさん作れたのでは…?」

「….私に友達はいない。だが仲間はいる」


簡素な答えだったが、これにラファエルは頬を緩めた。
胸の内に感じる、「仲間」を欲する心。期待。
ポジティブに分類される全ての感情が、どっと噴き上げるようだった。
これから見えてくるであろう自分の未来に、初めて希望が持てた。

深く頭を下げて礼を言うと、ラファエルは踵を返した。
瞳を宝石のように輝かせ、地を蹴って颯爽と空に舞い上がる。
陽を眩しいほどに跳ね返す真っ白な翼は、まさに彼の異名に相応しかった。


「……いってこい。二度と帰ってくるなよ」

青空に呑み込まれていく彼の白い背中に、バビロンは心中で軽く手を振る。
先日からずっと噛み締めっぱなしだった奥歯が、ようやく浮いたような気がした。





<2012/01/28 20:50 ロンギヌス>消しゴム
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