extra. そこにいるとは思わなかった。 圭一は驚いて足を止めた。生け垣の向こうに、一臣がいた。 「どうしてこんなところにいるんだ?」 側の木の幹に寄りかかって腕組みをしていた一臣は、圭一を斜に見遣り、ふっと微笑した。 「それはこっちの科白だ。お前こそ、もう休むんじゃなかったのか?」 艶やかな、低い声。相変わらず彼の声は、心地よく耳をくすぐる。 「ちょっと……眠れなくて」 「まあ、無理もないだろうな。息子が誘拐された後なんだから」 「お前は?」 暗がりに、一臣の眸が煌めく。 「さあ。何をしていたと思う?」 訳もなく鼓動が乱れた。悟られないよう視線を逸らし、平静を装う。 「散歩か? こんな冬の夜に出歩いていたら、風邪を引くぞ」 「ロンドンほどじゃない」 彼は幹から身を起こした。ゆっくりと圭一に歩み寄る。 「お前を待っていた、と言えば、どうする?」 言葉を失った。確かに昔、この木の下でよく逢っていた。逢いたいと思う時、待ち合わせもせずここで待っていた。 生け垣を挟んで前に立つ彼から、無意識に逃れようとした手を捕まえられた。 「一臣……」 「冷たいな」 手を握り、彼が呟く。手が冷たいのか、それとも圭一のことを冷たいと言ったのか、分からなかった。 「一臣、僕には……」 「知っているさ。私にも息子がいる」 「だったら」 「10年、お前に触れなかった。次の10年、触れずにいる為に、今お前がほしい」 一臣が生け垣をまたぎ越える。圭一は首を振った。流されてしまってはいけない。必死に理性に訴える。それでも、彼の腕に引き寄せられてしまえば、逃げ出すことが出来なかった。 「かず……っ」 首をすくめて息を飲むその首筋に、くすぐるような口吻けが降りてくる。 髪を梳き上げる指の動き。腰を抱く手。口吻けの音と唇と、熱い吐息。必死にこらえているのに、それを一臣はたやすく突き崩そうとする。 「やめ…ろ……一臣!」 「大きな声を出すと、聡子さんが気づくぞ」 笑みを含んだ声が耳元に囁く。その声にさえぞくぞくと身体が震えて、圭一はきつく眼を閉じた。 「一臣……やめてくれ……一臣……」 「もう、止まらんよ。お前への気持ちは、そんな軽いものじゃない」 そんなことは、分かり切っている。一臣は今でも結婚していない。生涯の伴侶となるべき人を捜していない。それは、圭一が結婚したからだ。 「一臣……っ」 顎を持ち上げられ、間近で彼の眸を見つめる。誰が見ても見惚れる、魅惑的な美しい眸だ。この眸で落ちただろう、数え切れないほどの女性と同じように、圭一もまた、そこから抗うことが出来なくなる。 眼が伏せられ、唇が唇に重なる。もう、どんな抵抗もずに、圭一は彼を受け入れた。 気が遠くなりそうな口吻けが、幾度も繰り返される。 口吻けを通して伝わる彼の想いが、圭一の理性をもろく溶かしていく。嫌って別れを告げた訳ではなく、全てを忘れてしまった訳でもない。毎年、クリスマス・イヴにかかってくる彼からの電話を、どこかいつも心待ちにしていた。 長い口吻けから彼が顔を上げた頃には、圭一は思考もままならないほど、その手管に酔わされていた。 「来いよ」 甘い声が囁く。 肩を抱かれ促されるままに、圭一はふらふらと彼の家へ歩き出していた。 「……どうして」 その胸にもたれたまま、思わず呟いていた。 散々酔わされ、何度も昇りつめて沈められた身体には、充満する気怠さで指先一つ動かす気力も残っていなかった。 「何を考えている?」 もう散々聞いているというのに、その低い声を聞くだけでまだ身体がぞくりとする。艶やかな甘い声。10年ぶりに抱かれて、その声に名を呼ばれたそのたびに、狂いそうになった。 いや、本当に狂ってしまったのかもしれない。そうでなければ、こんな後ろ暗いことを平気で出来るはずがない。 「相変わらず、堅いことを考えているのだろう」 声が苦笑気味に笑った。 「お前の妻子に対する愛情が偽りでないのなら、悩むことは何もないはずだ」 「……これは裏切りじゃないのか」 「お前の気持ち次第さ。愛しているのだろう? 聡子さんや聡一郎君を」 思わず顔を上げた。一臣の眸は、穏やかな笑みをたたえて圭一を見つめていた。 「どうしてお前は……そんなことが言えるんだ。僕はお前を……」 「そんなことを考えていたのか」 苦笑して、その指先が圭一の頬をなぞる。 「少なくとも、俺のことでお前が後ろめたい思いをする必要はないさ。10年に一度の逢瀬を待ち続ける恋もいい」 こらえ切れず、視線を逸らした。 「バカだよ、お前……」 嫌っても憎んでもいい、忘れてほしかった。このままでは一臣が駄目になる。そう思ったからこそ、圭一は聡子との結婚を選択した。それなのに。 顎を捕らえられ、つい、と逸らした顔を戻された。圭一を魅了してやまない双眸が間近に煌めく。 「恋は、愚か者がするものだ。俺は一生、愚か者でいたい」 静かに口吻けが降りてくる。受け止めるしかなかった。この身勝手で、卑怯で、広闊で、真摯な、愛しい男の想いを。 甘い水音を残して唇が離れる。圭一は彼を見つめ、己を戒めるように呟いた。 「僕はお前を愛さない。何があっても、決して」 「それでいいさ」 微笑んだ唇が、額に触れる。 「届かない想いにほど、人は純粋になれる」 苦しさに、圭一は眼を閉じた。 「圭一……愛している」 囁きが、棘のように甘く胸を刺した。 ≪ back top 父親が友人の父親を家に連れ込む(または、父親が友人の父親に、家に連れ込まれる)ところを目撃していた息子達が、階上でさぞ大騒ぎだったろうと思うと、自分で書いた話ながら笑えました(^▽^;) しかし、こんな結末でいいんだろうか……? |