winter squall



 1.


 鉛色の雲が、今にも落ちてきそうに低くたれ込めていた。
 空も、路上の枯れ葉を転がしていく風も、寒々と暗い。ここのところ冬晴れのいい天気が続いていたせいで、よけいに街並みが沈んでみえる。
 今夜は荒れるのかな、と降り出しそうな空を眺め、学校帰りの聡一郎は身をすくめて図書館へと入る道を曲がった。
 傘を持ってきていないのだから、本当は寄り道しないで早く帰った方がいいのだが、予約していた本の順番が回ってきたと、昨日図書館から連絡をもらったから、早く読みたい以上は行かない訳にはいかない。
 光や陽海は、本くらい買えばいいだろ、半ば呆れてと言うのだが、一度読んで満足する本なら借りて済ませた方がいい、というのが聡一郎の持論だった。
 こんなことを言うとまた笑われるのだが、一度読んだだけで本棚にしまわれてしまう本を見ると、なんだか申し訳ない気持ちになってしまうのだ。本は誰かに読んでもらう為に、小説家が心を込めて書き、木の命をもらって生まれてきたのだから。
 だから、ちょっとくたびれた表紙や紙が折れてしまった図書館の本は、みんなに読んで楽しんでもらえて幸せそうだ。そんな本を手にすると、聡一郎も幸せな気持ちになる。
 今日借りられる本はまだ発売されて間もない新刊だから、ページも手が切れるほどピンとして、真新しい紙の匂いがしているだろうけれど。
 前評判通りおもしろいといいな。わくわくしながら古い様式の扉を押し開けようとして、聡一郎はちょっと手を止めた。
 強くなってきた風の中、入り口近くのベンチに少年が一人、座っていた。
 木の葉やゴミが舞い上がって、髪も薄手のジャケットのすそもぱたぱたひるがえっているというのに、少年は何をするでもなく、ただうつむいてレンガの地面見つめている。
 せめて中で座ればあったかいのに。でも、あそこで誰かと待ち合わせをしているのかもしれない。
 そう思ってそのまま図書館へ入ったのだが、予約の本を受け取るついでについ他の本も物色して、30分ほど後になって外へ出てみても、少年はまだそこに座っていた。
 さっきよりもいっそう風は冷たく、湿った雨の気配を吹きつけている。いつ降り出してもおかしくない。早く帰らないと、と思いながら、聡一郎の足はベンチの方へ向かっていた。
 こんな寒空の下、マフラーも手袋もなく30分以上もじっと座ったままで、彼は何も感じていないんだろうか?
 ベンチの前で足を止めると、少年はのろのろと重そうに顔を上げた。寒さのせいか血の気のない顔に、表情はなかった。高校生  自分と同じくらいの歳だろう。
 少し長めの黒髪と白い顔と長いまつげが印象的な少年だった。
「誰かを待っているんだったら、図書館の中にしたら? 人がくれば中からでも見えるよ」
 無表情の仮面にひびが入ったように、わずかに顔が動いた。彼は視線をさまよわせ、困ったように逸らした。
「別に……待ってるんじゃない」
 幼い印象の声だった。
 じゃあ、彼は何をしているんだろう。自分でも迷っているような仕草に、聡一郎はふと気づいた。誰かと約束をして待っているんじゃなくて、ただ待っていたいだけなのかもしれない。
 それだったら、他人が口を挟むことじゃない。聡一郎はどんどん流されて立ち込めてくる雲の暗さをちょっと見上げてから、首に巻いていたマフラーを外した。
 はい、と彼に差し出す。彼は変化にとぼしい顔をそれでもぽかんとさせて、マフラーから聡一郎へ、視線を移した。
「これだけじゃ全然足りないと思うけど。でもとにかく寒いから」
「……なんで?」
 茫然と彼が言う。痛々しくさえ見えるその表情に、聡一郎はふわりと笑いかけた。
「だって寒いだろ? それだけだよ」
 それじゃ、と踵を返す。降られるのは嫌だから小走りに走り出した。出来たら彼も濡れなければいいな、と思いながら。
 聡一郎は一人っ子で両親が共働きという家庭だったから、幼い頃から毎晩その帰りを待って育った。さらに中学になると、2人は息子をおいて海外赴任に行ってしまい、帰ってくるのは年に数度になってしまった。もちろんお手伝いさんや家庭教師はいたし、隣には仲のいい幼なじみがいたけれど、それでも一人の夜を寂しく感じる時は幾度もあった。
 でもその分、帰ってきた時のうれしさはずっと強くなる。だから誰かや何かを待っている人は、期待をふくらませることが出来る幸せな人だ。
 必ず待ち望んだものがきてくれると、信じられる強さがあれば、だけれど。
 聡一郎は一度だけ、不安でどうしようもなくて、胸が潰れそうになりながら待った経験がある。
 彼もあんな気持ちでなければいいけれど。
 ぽたり、とつむじに冷たい水滴が落ちてきた。顔を上げると、眼鏡に水滴が弾けて片方のレンズが見えなくなった。
「うわぁ」
 我ながら間の抜けた声を上げて、聡一郎はレンズをぬぐい駆け出した。
 強い風に流されていく雲の層から、大粒の雨が路上を叩きはじめた。




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