Andante 6


 薄暗い腐臭のする路地で、少年がにこりと笑いかけた。
「お兄さん、ヒマ?」
 レンガの壁にもたれてヒイロを見る。15、6歳ほどだろう。長めのくすんだ金髪。細身の身体。
 そしてその眸は、淡い空の色をしていた。
「なあ、俺と遊んでかない? あんた俺好みだから安くしとくよ」
 甘ったるい声音。
 ヒイロは夢遊病者のように、彼に向かって足を踏み出していた。湿った空気が肌にまとわりついてくる。周囲が暗いのは夕暮れのせいだけではなく、低くたれ込めた雨雲のせいかもしれない。そんなどうでもいいことは頭に浮かぶのに、他のことは何一つ考えられない。
 空色の眸が嬉しげにヒイロを見る。何一つ似ていない、髪も肌も声も気配も。ただ同じ眸の色それだけに、ヒイロは愚かしく吸い寄せられる。
 いきなり肩を掴まれた。驚いて振り返る。いつも通りの無表情で、トロワがそこにいた。
「何をしている」
 一瞬茫然とした。肩を掴まれるまで背後を取られたことに気づかなかったことにも、今自分が放心していたことにも、何故彼がここにいるのか、そしてここがどこかも分からないことにも。
「行くぞ」
 腕を掴まれ、引きずられるようにして路地から出る。後ろで「なぁんだ、相手いるのかよ」と不満そうな声が上がったが、幸いなことに追ってくる気配はなかった。恐らく別れ際にでも発信器を付けられたのだろう。トロワの背中を見ながら、自分の居場所を特定されたことについてぼんやりと思った。トロワなら、悪意もなくやりそうだ。
 路地を出たところでトロワが振り向いた。
「ここで見張っていろ。始末してくる」
 咄嗟に腕を掴んだ。
「いいんだ」
 彼が訝しげに眉を寄せる。
「顔を見られている。それとも知り合いか?」
 ヒイロはうつむき、眉を寄せた。
「あいつと……同じ色をしていたんだ……」
 それしか言えなかった。それでもトロワは何かを感じ取ってくれたようだった。
 掴んでいた手を下ろすと、ぽつぽつと雨が落ち始めた。人の往来が急に慌ただしくなり、雨に濡れた石畳の染みがまたたく間に広がっていく。
 街も空も薄墨にけぶっていた。
「アメリカが手を引いた」
 強く変わっていく雨音に紛れて、トロワが言った。



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