Andante 13


 《アルファロ》の屋敷を後に、光溢れる夜景へとなめらかに滑り出したリムジンの中で、トレーズは座席に横たえた彼の、汗に濡れた顔をポケットチーフでそっとぬぐった。火照った肌は今も熱く、唇は時折耐えきれないように小さな声を洩らしている。彼の受けた屈辱を自分のことのように思いながら、首筋をぬぐおうとして触れた感触に、彼の身体がぴくりと震えた。
 ずっと苦痛に閉じられていたまぶたが開き、震える唇が言葉にならない苦しみを、見えない相手に訴える。
「もう…赦……して……おねがいだ……助け……て……」
 悲痛な蒼氷の瞳を息を飲んで見つめたトレーズは、きつくその身体を抱きしめた。
「ミリアルド……」
 熱い頬に頬を寄せ、耳許に押し殺した声で囁く。
「君は誰に許しを請うこともない。何者にも支配されはなしない。君は誰より高潔な、私の魂なのだから……」
 抱き締める腕の中に、熱い鼓動が聞こえる。彼をなだめながら覆っていたコートを取り去り、その下肢の中心を封じていた革紐をほどく。触れられただけで身悶える下肢を抱えて折り曲げ、トレーズは自らの楔をその奥深くへ挿し入れた。
「あ…あ……!」
 弓なりに背を反らし、待ち焦がれた圧迫感に悲鳴が上がる。裏返って途切れたかすれ声は、トレーズがゆっくりと動き始めるとその艶を引く唇から次々溢れた。
 ようやく与えられた快楽に甘くその顔を歪め、あられもない声を上げるゼクスは、トレーズが強く突き上げただけで張り詰めた身体を震わせ、精を放った。
 苦しげに息を乱し身体を弛緩させていきながら、それでもトレーズの首に抱きついた腕を解こうとはしない。
「ミリアルド」
 トレーズはその耳許へ、乱れた髪越しに口吻けるようにして囁く。
「心配しなくていい。君が満たされるまで、愛してあげよう」
 囁く吐息に背筋が震える。その背を抱き締め、トレーズは埋めたままの楔で彼を新たな悦びへ導き始める。徐々に激しく擦れ合い、絡み合い、そこから奔る電流は、四肢のつま先までも痺れさせ、鼓動を早め、閃光となって視界を眩ませる。
「私の……ミリアルド……」
 荒い呼吸を越えて甘く囁く。腕の中で何度も達し、新たな快楽を昇華させていく彼は、感じるままの声を上げて淫らに肌を染め、揺れ動いていた。トレーズは唇を求め、水音を立てて絡ませ合った。彼の喉が切なげな響きを奏でる。突き上げを強めてやるとそれは苦しげに変わり、やがて口吻けを逃れた唇は高くかすれた魅惑的な嬌声を放つ。
「あっ…はあっ……」
 びくびくと締め付けてくる彼に目眩を感じながら、トレーズは最奥まで貫いた。
「あああっ……!!」
 彼の欲望が弾ける。トレーズもまたその身に熱い滾りを注ぎ込み、呼吸を乱しながら彼の首筋に顔をうずめた。彼も同じように大きく胸を上下させながら、小鳥のように早い鼓動を奏でている。
「ミリアルド……」
 耳朶に口吻けると、眼を閉じた彼は小さく声を洩らし眉を寄せた。
「まだ欲しいかい?」
 問いかけに顔が寄せられ、舌先を覗かせた淫らな唇が唇に触れた。受け入れて彼の口腔を深く貪る。淫らな音を立てて舌を絡ませながら濡れそぼった彼の中心を掌に包み込むと内壁に震えの波が起き、つながったままのトレーズを再度奥へ引き込もうと蠢き始める。
「あっ……」
 彼の中で再び熱を取り戻し動き始めたトレーズに、ゼクスはとろけるような声を上げて妖艶な表情を現す。
 手探りの手が縋り付いてくるのに眼を細め、深い口吻けから顔を上げたトレーズは、押さえきれない想いを込めて囁いた。
「愛しているよ……」




 緩やかに減速する気配の後に、リムジンが停車する。トレーズがパリ郊外に所有するマルメゾン城にシャトル用の滑走路があり、そこからルクセンブルグの居城に移動する予定だった。
 マイク越しの運転手の声が届いた。
『旦那様。滑走路前に到着致しました』
 手元のボタンを押し、答える。
「ああ、済まない。急だがシャトルの行き先をクレイン・カースルに変更するよう伝えてくれ。屋敷には、しばらくそちらを留守にするとだけ伝えておくように」
『畏まりました』
 襟元の釦を留めながら、トレーズは向かいの座席に眼を遣った。
 暗色のコートに包まれて、血の気のない頬を俯せたゼクスが昏々と眠っていた。
 コートの端から覗く足首の包帯に、血が滲んでいた。
 トレーズは涼やかな双眸を、すい、と細めた。




  ということは、あの日以来トレーズはルクセンブルグに戻っていないのだな?』
 ディスプレイに映し出される《アルファロ》の映像を前に、レディ・アンは虚ろな表情でうなずいた。
「はい。お帰りになってはおりません……」
『居所は知らんのか』
「時折ご連絡は下さいますが、どちらにいらっしゃるかまでは存じません」
『何故訊かない』
「コンサートには出席されるとおっしゃっておられましたし……場所をお尋ねしても、お答え下さらないでしょう」
 《アルファロ》の眉が不快げに上がる。
 『お前は一体何の為にそこにいるのだ』
 彼女が答えないでいると、《アルファロ》は舌打ちした。
『まあいい。元々そのつもりでゼクスを薬漬けにして渡してやったのだからな。4、5日はあれにかかりきりでどこかの城にでも大人しく引きこもっているだろう』
 その言葉の、たった一つの語に反応して彼女は顔を上げた。
「ゼクス……」
 呟きには気付かなかったのか、《アルファロ》は苛つき薄く顔に上らせて彼女に指示した。
『所はこちらで今日明日中にも補足する。トレーズや周辺に動きがあればすぐに知らせろ。コンサート当日までは、万全を期すに越したことはない』
 そこで《アルファロ》はようやくいつものように片頬を歪めて笑みを浮かべた。
『当日の行動は、先日の指示通りだ。開場までにどんな手を使ってでも、トレーズを私の許に連れ出して来い。いいな』
「……はい」
 レディ・アンは何を言われているのかも理解していないような顔をして、緩慢にうなずいた。



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