Andante 12 サイドテーブルのほのかな灯りの下で、二つの影が絡み合っていた。 くすくすと笑う女の声が、時折吐息混じりの喘ぎに変わる。寝椅子に互いの身体を沈めて、男と女は唇を貪り合った。 「……情熱的なキスですわね」 「君は嫌いかね? エレクトラ」 女は濡れた唇で妖艶な笑みをかたどった。 「いいえ。エレガントなお姿からは想像もつかないんですもの。素敵よ」 「素晴らしいのは君のその美しさだ。白百合のような君を抱くのは、神への冒涜なのではないかとさえ思ってしまうよ」 言いながらも開かれた豊満な胸に口吻けを落とす男に、女は高慢な嬌声を上げる。 「では、罰を恐れて私を諦める?」 「いや。たとえ神が怒りの裁きを下そうとも、私は既に君に魂を奪われた者。君をどこまでも追い求め、神からも奪ってみせよう」 ドレスから抜け出た肌を男の手がなぞり、女は誘うように身をよじった。 「あっ……トレーズさま……」 とろけそうに甘い女の声に重なって、ドアをノックする音が室内に響いた。 「失礼します……」 扉が開き、廊下からの光が細長く絨毯の床に伸びる。その光の中に自らの影も長く落として、彼女は茫洋とその場にただ立った。 トレーズはようやく顔を上げる。女の方はよほど自らに自信があるのか、それとも欲望に貪欲なだけなのか、トレーズの身体の下から動こうとしなかった。 「どうした? レディ」 レディ・アンはそのガラス玉のような瞳にぼんやりと目の前の情景を映していたが、一呼吸の間をおいて、やはりぼんやりとした頼りない声を紡いだ。 「マイヤー准将が、今からお越しくださるようにと」 「ああ」 熱の冷めたような返事をして、トレーズは額に落ちかかる髪を掻き上げた。 「彼の話は今は聞きたくないな。興がそがれる」 「あっ……トレーズ様、奥様の前でそんな……」 言葉だけの拒絶で緩く身体を蠢かせている女の胸を柔らかく愛撫しながら、トレーズは彼女にも優しく言葉をかけた。 「彼のことは後で聞こう。もう夜も遅い。先に休んでいたまえ、レディ」 「至急、と申しておりました……」 レディ・アンはぽつりと言った。 「トレーズ様に、引き取っていただきたいものがあると……」 トレーズの動きが止まる。刹那、その顔から微笑が消えた。 「 一転した冷徹な声で応え、トレーズは立ち上がった。 「君に不作法を咎めることがあるとは思わなかったが」 案内も請わず、ノックもせずに屋敷の寝室を訪ねたトレーズを、《アルファロ》は不機嫌な口調で迎えた。たがそれは口先だけのことで、歪められた両眼には押さえようともしない愉悦が滲んでいる。 「こんな深夜に呼びつける方の不作法はどうなのか」 言いながら眼前の男を鋭く見据える。ガウン姿でソファにくつろぐ男は、ワイングラスを片手に片頬を笑みに歪めた。 「とりあえずコートを脱いだらどうだ、トレーズ」 「貴方の屋敷でくつろぐつもりはない。用件を伺おうか」 男はあきれたように苦笑を漏らした。 「全く、あれの強情は君に似たのか?」 立ち上がって奥の部屋へトレーズをいざなう。トレーズは無言で眉を寄せた。次の部屋で行われていることに、ある程度の想像はついていた。だが、実際にそれを眼にした時、トレーズは凍り付いた。 寝台の上で、彼は取り囲まれた5人の男に両手足を拘束されていた。《アルファロ》の趣味だと思われる少年達は彼の手足にからみついて舌を這わせ、彼の肌は唾液ともオイルともつかないものでぬめぬめと光っていた。開かれた足の間には男の1人がうずくまり、顔を埋めている。 彼はとぎれなく甘い喘ぎを上げ続けていた。濡れた首筋に髪を絡ませながら緩く首を振り、身をよじることも出来ずに切なげに眉を寄せる。その眼の虚ろさからみて、彼が薬物を投与されているのは明らかだった。 そして、その無理矢理掻き立てられた欲望を、果てることの出来ないよう封じられていることも。 「どうだ、トレーズ。裏切り者への処遇としては、少々寛大すぎるか?」 黙したままで立ち尽くすトレーズに、男は声をかける。 「こいつのおかげで、CIAのエージェント1人とヒイロ・ユイにまんまと逃げられた。トロワ・バートンと言ったか。その小僧につつき回られたことが今回のごたごたを引き起こしたというのに、そんなことがまだ分からなかったらしい。いつものことながら、こいつには全く手を焼かされる」 言いながら寝台に歩み寄り端に腰を下ろすと、彼の堅く尖った胸の飾りに手を触れる。途端にあられもない嬌声を上げて顎がのけぞった。 「洗いざらい吐き出して楽になればいいものを……尤も、そう簡単に楽にしてやるつもりもないが」 指先でゆっくりと焦らすように愛撫しながら、大きく喘ぎ、泣くような声を上げる彼を眺め、笑う。 「お前の大事なトレーズが来ているのだぞ。そんなはしたない声を上げていいのか? ゼクス。余りに良すぎて、もう周りのことなど判別つかんか?」 薬と強引な快楽に犯され、彼は既に正気を失っている。それを分かった上での、彼ではなく暗にトレーズに対して向けられた揶揄に、トレーズは無言で寝台に歩み寄った。 《アルファロ》が立ち上がり、おもしろがるような顔でその場を譲った。 「トレーズに場所を空けてやれ」 彼に取り付いた少年達に命令を下す。のろのろと寝台を離れる彼らには目もくれず、トレーズは彼の許に屈み込んだ。 「あっ……いや……」 唐突に止んでしまった愛撫を求めて、彼は切なげに身をよじる。その虚ろな瞳には何も映っていないのだろうが、それでも身近に人の気配を感じたのか、自由になった腕を伸ばし、手探りでトレーズの頬に触れた。 「抱いてやったらどうだ? ゼクスもそろそろ限界のようだぞ」 口の端を歪めて《アルファロ》が見遣っている。それにも目もくれず、汗に濡れた彼の頬をそっと撫でた。 涙で潤んだ瞳が、懇願するようにトレーズを見上げる。頬に触れる指先が小刻みに震えている。静かに眉を寄せたトレーズはさらに身を寄せると、誘うように開かれた唇に自らの唇を重ねた。濡れた唇は熱く、舌が縋るように絡んでくる。身体が浮き上がるような感覚を惜しみなく与え求めながらひとしきり口吻け、彼の飢えがいくらかでも和らいだ後でトレーズは静かに身を退いた。コートを脱ぎ、彼の身体を包んでそっと抱き起こす。 「心配はいらない。私に任せて、少しの間だけ待っていてくれ」 耳許に囁き抱き上げる。そして初めて正面から《アルファロ》を見据えた。 「 「大きく出たな。お前が獅子だと?」 「ご自分を過大評価されるのは止められよ。そう言っている」 「なに?」 《アルファロ》は初めて不快げに眉をひそめた。 「ご希望通り、ゼクスは連れて帰る。以後二度と貴方に預けるつもりはない。このことを、お忘れなきよう」 「待て」 一方的に言い、踵を返すトレーズに、男は険しい声を発した。 「その男は自らの意志で私の許で働くことを望んだ、SISのエージェントだ。ゼクスの処遇を決定する権限は私にある。契約を忘れたか。お前は口を挟む立場にはないぞ」 トレーズが振り返る。その深い青の瞳には、壮絶な闇が渦巻いていた。男の前でかつて一度だけ見せたことのあるその双眸で、トレーズはどんな研ぎ澄まされた刃よりも、鋭く苛烈に男を斬りつけた。 「二度は言わない。これは警告だ、マイヤー准将。ご自身の分を弁えられよ。私を本気で怒らせるな」 そう言い置いて、振り返りもせずトレーズは狂宴の部屋を後にした。 残された男は、こめかみに怒りを残しながらも、くっと口の端を笑みに歪めた。 「……たかが貴族のプライドも、守るのは必死だな」 片頬を歪め、手にしたワイングラスを口許に傾ける。 「私を相手にするということは、連合を相手にするのと同じことだ。あの時教えてやったはずのことを、怒りにかまけて忘れるとは……愚かな男だ」 揺らすグラスの中で、紅い液体がとろりと波打つ。見つめる男の笑みが深くなり、紅く歪んでグラスに映った。 |