Allegro appassionato 1


   来たまえ」
 座した男の唇がそう告げる。
 執務室の広いデスクの前で、書類にもならないほどの短い活動報告を終えたゼクスは、僅かに掌を握り締めた。
 午後の光は間接的に室内にも入り込み、彫りの深い男の片頬を浮かび上がらせている。そこには幾筋かのしわの影もあったが、男に老いの気配は微塵もなかった。代わりに男の発する威圧感が、痛いように肌を刺してくる。
 ゼクスは表情を変えず、無言のままデスクを回り込み男の横に立った。男は椅子の向きを変え、ゼクスと向かい合った。だが、それ以上は動かず、おもしろがっているような顔でゼクスを見遣っている。
 握り締めた掌に爪が食い込む。男の唇が笑みをかたどった。
「どうした   ? たまには私に甘えたくなったか?」
「貴方に撫で回されるのはごめんだ」
 まとわりつく躊躇を振り払って、ゼクスは男の前に膝をついた。筋肉よりも脂肪が目立つ幕僚幹部が多い中、いかにも軍人らしい男の身体は、最前線で銃弾の雨にさらされた遙か昔と変わらず、がっしりと引き締まっている。その腰に手を伸ばしてベルトを外し、ゼクスは取り出した男の欲望の証を今度はもうためらいなく口に含んだ。
 心など切って捨てればいい。この男の前で感情を表すことさえ、屈辱にしかならない。
 たとえ、後でどうしようもない恥態をさらすことになるとしても。
 嫌悪を胸底に押しつぶし、ゆっくりと舌を絡めていくと、それはゼクスの口腔ですぐに大きさと熱を増した。
「……舌の使い方が上手くなったな。初めの頃はただなめ回していただけだったが」
 荒くなってきた呼吸の合間に、男は満足げに呟く。ゼクスはぞくりと背筋を震わせた。男の手が、梳き上げるように髪の中に差し入れられてきたからだった。
「相変わらず、お前はこうされるのが好きだな。そんなに感じるのか?」
 うなじから耳の後ろへ、長い髪をくしゃくしゃにしながら指先が滑る。痺れのような快感が身体を走り、思わず声が洩れる。
「そら、舌を止めるな」
 男はゼクスの頭を掴み、さらに深くくわえ込ませた。喉元からせり上がってくる抵抗しようとする意思と吐き気をこらえながら、ゼクスはきつく眼を閉じ奉仕を続けた。
 しばらく会話は途絶え、室内には自分の唇から洩れる卑猥な音と男の息遣いだけになる。時折髪を掻き乱され、こらえきれないゼクスの喘ぎがそれに加わった。
 何度目かの喘ぎの後、その声に刺激されてか、男はゼクスの頭を己に押しつけるようにして口内に放った。
 逃れることも出来ず、溢れそうな白濁を懸命に飲み込む。男は立つように促した。乱れた呼吸を押さえて力なくそれに従い、ゼクスは口を開いた。
「……ここは、SIS(情報局)の局長室ですが」
「愚問だな。私もお前も同じSISのスタッフだ。そしてここは私の執務室だ。お前と私がここで何をしようと、誰が咎める訳もない。違うか? 《セレス》」
 からかいの笑みを含んだ声に、反射的ににらみ返す。
「この部屋で、貴方の自由にならないものはないということですか」
「そういうことだ。悍馬かんばのお前を乗りこなすのには、相変わらず手を焼くがな」
 きつい視線のまま自分のベルトを外していくゼクスを、男は欲望の滲んだ眼で眺め遣る。そしてその上に嗜虐と優越の色を上乗せして、「馴らすのはデスクの上でしろ」と机上を顎で指した。
 一瞬動作を止めたゼクスは、顔を上げざま眸に怒気を閃かせた。
「結構です」
 そのまま男の肩に手をかけようとするのを、男の手が止める。力がこもっていたのではなかったが、有無を言わせない動作だった。
「お前に傷を付けるとトレーズの機嫌が悪くなる。お前も楽しめんだろう?」
 無表情で固めていた心の針が、一瞬だけ揺れた。男の口から紡がれた名前。トレーズ。トレーズ・クシュリナーダ。
 眉を寄せたままのゼクスは、ひとつ、男に判らないほどの溜息をついてデスクに身を乗り上げた。男の指示に従いその目の前でスラックスを脱いだ足を広げ、自分で濡らした指を秘所へ差し入れる。
 瞬間、びくっと身体が震える。意思とは関わりなく、何度も覚え込まされた感覚に身体が反応するのだ。そしてじわりと快感が這い上がってくる。自分でしていることなのに、何故こんな風に感じるのだろうか。見られていることへの緊張と恥辱に身を硬めながらも、意識の隅で自分自身を嘲笑してしまいたくなる。
 涙が滲みそうな惨めな内心とは裏腹に、身体は欲望に忠実だった。体内を馴らしていくにつれ、呼吸が乱れ身体が熱くなる。時折息が詰まったが、声だけは洩らすまいと唇を噛み締めた。
「いい顔だ、ゼクス」
 勃ち上がりかけているゼクスの中心を見遣って笑みを深くした男は、目の前にあるそれへ手を伸ばした。
「あ……っ」
 瞬時に跳ね上がった身体から、こらえる間もない声が上がる。男はくく…と噛み締めるような笑いを洩らした。
「お前は本当に精度のいい身体をしている。その顔といい……まさに男に抱かれる為に生まれてきたような奴だ」
 愛撫の手がじわじわと深まっていく。閉じてしまいそうな眼で懸命に睨み付けながら、ゼクスはともすれば嬌声が零れそうな唇をこじ開けた。
「私を……辱めて……なにが楽し……っぁ……」
「私は事実を口にしているだけだぞ。お前のそういう顔は、実にそそるものがある」
 ゼクスの手はいつの間にか動きを止めて、秘部から蠢く男の手に重ねられていた。もう一方の手は、今にも崩れてしまいそうな危うさで上肢を支えている。
 その耐える姿が、征服する者の嗜虐をさらに煽っていることを、ゼクスは知らない。
「もう達きそうな顔をしているな。だが、お前が欲しいのはここだけではないだろう?」
 卑猥なまなざしが、熱に潤んだ青の眸を掬い上げるように見上げる。言葉通りもうどうしようもなく高まる熱を抱え込んでいたゼクスは、不意に手を離されて思わず声を上げた。
「そうかわいい声を出すな。お前が欲しいのは、ここだろう?」
「あっ……」
 男の指先が、ゆっくりとその奥の秘所へと滑る。
「あ……は…ぁ…」
 喉が反り、上がった声がかすれて裏返る。さらに深く挿し込まれて身体を支える力が限界になり、ゼクスはついに哀願した。
「……もうっ……やめ……アルファ……ロ……」
   まあ、いいだろう」
 男はようやくゼクスの腕を取った。
「久しぶりに楽しめそうだ」
 谷底へ突き落とされたような心境のゼクスを嗜虐的な視線で眺めながら、男は身体を動かすこともやっとのゼクスの腕を引き寄せ、膝の上に迎え入れた。
 為されるがままに、再び熱を取り戻している男の凶器へ双丘を落としていく。その硬い感触が狭い体内への入り口を押し開いた瞬間、ゼクスは息を止めた。刹那に思いもない声が口を吐く。
「あ…ああっ………!」
 逃れる間もなく男の欲望が突き入れられる。身体を支える力を失った一瞬にその全てを埋められてしまい、ゼクスは背をのけ反らせた。
「ああぁっっ!!」
「……少しきついな。ここしばらくは、どこの男の相手もしていなかったか?」
 男はゼクスの腰を両手で掴むと、いきなりえぐるように突き上げた。
「や…ああぁ……っ!」
 身体が折れそうにしなる。その衝撃の波が行き過ぎるのを待って、男はゼクスの耳に歯を立てた。
「っ……」
「腰を動かせ、ゼクス」
 感じやすい耳に息を吹きかけられ身をよじらせたゼクスは、自ら動いた為に襲いくる衝撃に再び背をしならせた。
「はぁ…あ……っ」
「早く楽になりたいだろう? お前のここはこんなに熱くなってるぞ」
 既に濡れ始めているそれを軽く弾かれ、ゼクスはびくりと身を震わせた。下肢から爪先まで鋭く疾る痛みの刃は、今は快感とも区別のつかない苦しい痺れに変化している。
 再度自身をなぶられて促され、喘ぐゼクスはためらいがちに腰を揺らし始めた。
「……あ……あっ……」
 自慰に近い行為だ。上げまい上げまいと奥歯を噛み締めているのに、少し内壁が擦れただけで、声はいともたやすく口をつく。そのたび、まっくらな絶望感に理性が打ちのめされる。
「もっと大きく動け」
 冷淡な命令が下る。動作が鈍ると、男が容赦なく下から突き上げる。息が止まるような不意打ちはゼクスの身体をさらに狂わせた。だが、いっそ動きを早め駆け昇ってしまおうとすると、男の手が腰を掴んでそれを阻む。じわじわと首を絞められるような愛交は、意識の芯が焼き切れてしまうほどに続いた。
「や……も…う……お願い…だ……アルファロっ」
 昇り詰めようとする欲望の行く手を何度も阻まれて、ゼクスが泣き声を上げた時だった。
 机上のインターコムが鳴った。
 瞬間、ゼクスは凍りついた。ゼクスを膝に抱えたままの男は、平然と呼び出し信号を点滅させているインターコムへ手を伸ばした。一瞬息を飲んだが、開かれた通信は映像の送受信が切られており、ノートパソコン型のモニターには何も映し出されなかった。
 だが、副官の声が告げた事実は、今度こそゼクスを慄然とさせた。
 『局長。クシュリナーダ上級特佐がお見えになられました』
「そうか。控えの部屋へ通しておけ」
 無造作に言って、男は通信を切った。同時にゼクスはもがいた。つながったままの内壁から血が逆流するほどの痺れが走ったが、そんなことは構っていられなかった。だが、男の手はゼクスの腰を掴み、動きを封じる。
「離してくださ……っああっ」
 掴んだ腰にぶつけるようにして、男は深く突き入れた。
「おとなしくしていろ。トレーズは隣の部屋だぞ」
「なにをっ…考えているのです、貴方は!」
 なおも逃れようとするゼクスの耳に、隣室のドアの開く音が飛び込んだ。短い会話の遣り取りが聞こえる。先程の副官と、もう一人はよく聞き馴染んだ彼の声だった。
 ゼクスは我を忘れて隣室との扉を振り返った。控え室と執務室は扉一つで通じている。その扉が半分ほど開いたままなのを見、ゼクスは愕然とした。
 そういえば、この部屋へ通された時、男は隣室から姿を見せなかったか。そして、扉を閉めてはいなかったのではないか。
 ゼクスは唇を噛み締めながら自分を抱く男をかえりみた。渾身の怒りに睨み据えた視線の前で、男はにやりと唇を歪めた。
「《フィガロ》」
 笑ったままで男は不意に呼びかけ、ゼクスは全身を驚愕に震わせた。
「何の気まぐれだ、《アルファロ》」
 扉が開いていることに、彼はすぐに気づいたのだろう。怪訝と嫌悪を隠しもしない彼の声が近づいて、ゼクスは必至に男の腕を振り払おうとあがいた。
「そこからでいい、君の報告を聞こうか。私の声は聞こえるだろう。こちらは今、手が離せんのでな」
「それほど忙しいのであれば、わざわざ呼び立ててまで私の報告を聞く必要もないはずだが。貴方が抱える優秀な部下達は、私などより余程世の情勢をご存じだ。毎日のように貴方の部下の干渉が入って、私は大変な迷惑をこうむっている」
「一日中、酒と女に溺れていても仕様がないだろう。他人の趣味に口出しする気はないが、君が廃人になってしまうようでは困る」
 言いながらゼクスの両手首を掴み、腰を入れる。ゼクスは声を上げることも出来ず、のけ反った。
「昨日のロームフェラ財団の幹部会議は、何が議題に上がった?」
 さも涼しげな声で問う男の胸で、ゼクスは必死に声を殺して身悶える。喘ぐ呼吸さえ洩らさないゼクスに、扉の向こう彼は全く気づかない様子で、素っ気ない返答を返した。
「いつものように、貴方のような軍人にはつまらない社交辞令の応酬だ。それとも貴方は、レイモンド伯爵が夫人に贈ったネックレスの総カラット数に興味がおありか?」
「トレーズ」
 幾分声音を変えて、男は青年を牽制した。
「あいにく私は君達貴族のようなユーモアのセンスは持ち合わせていない。最新機種のMSモビル・スーツの生産を制限して価格を吊り上げようという動きがあるらしいが、その話は事実か?」
 男の声が徐々に遠くくぐもっていく。狂いそうな快感と、破裂しそうなほど鳴り響く鼓動に意識を乗っ取られていきながら、ゼクスはそれでも唇を噛み締め続けた。
「……私は聞いていないが、事実だろう」
 僅かの間沈黙した青年は、いつもの気まぐれかそれまでの態度を改め、幾分低い声であっさり肯定した。
「デルマイユ叔父を中心とした連合に対する強行派が、このところ頻繁に動きを見せている。私などは叔父の手で何とでも丸め込まれるものと相手にもされていないが、次の幹部会議には正式な議題として提出されるだろう」
「ではそれを廃案にしてもらいたい」
「その損失に対するロームフェラ財団への見返りは?」
 返す青年の声は微妙に鋭さを帯びていた。男はゼクスの身体を下からあやすように揺らしながら、抵抗する気力もなくしてがくがくと揺さぶられるままの、その熟れた欲望を手に弄んでいた。そうまでされながら、なお声を洩らそうとしないゼクスの顔を愉悦のまなざしで辱めつつ、口を開く。
「君も……知っているだろう。近く、連合の主力MSは新型の汎用タイプに装備替えされることが内定している。そうなれば連合のMSは、君の統括するSMSスペシャルズ(スペシャル・モビル・スーツ・フォース 通称スペシャルズ)を除いても、その7割方がロームフェラ生産のものになる。財団にはそれだけでも充分な増益だ」
 ゼクスにはもう、男が何を話しているのか、理解することは出来なかった。ただ、青年の声の響きだけが、虚ろに、甘い痛みのように身体を満たしていく。
 上品な、艶のある彼の声。まるで、今腰を抱く手も身体を貫く激しい熱も、彼のものであるかのように。
 男の首筋に顔を伏せたまま、ゼクスの背筋が強ばっていく。男の手の中のものが、震えながら濡れていく。締め付けを増す内壁の最奥へ、男は自身を捻り込むようにして押し入った。




「判りました。その旨、財団に報告しましょう。では、私はこれで失礼する」
「……今日は、やけに物分かりがいいな」
 長い吐息を洩らした男に、青年はあからさまに不機嫌な声を返した。
「貴方にいつまでも付き合っているほど、私は暇ではない。今後は私ではなくレディ・アンをお呼び頂くよう」
「そして酒浸りの日々か。……優雅なものだな。まあ、好きにしろ」
「ごきげんよう、マイヤー准将殿」
「ああ、それともう一つ話がある。ゼクスのことだが」
 青年の動作が止まるのが、男には手に取るように判る。
「何か」
「近く、ルクセンブルグで彼の演奏会を行いたい。ゲストは各国の連合関係者と連合幹部、それにロームフェラ財団だ。詳しくは後日だが、選曲とゼクスのスケジュール調整をとりあえず念頭に置いてもらいたい」
 返す青年の声は氷の冷たさだった。
国外・・で演奏会とは、都合のいいことだ。……判りました。手配しましょう」
 彼の気配が遠退き、ぱたりと扉の閉まる音がして、それきり室内は静まり返った。
 男の口許に、く…と笑みが浮かぶ。
「あの男……気づいていたな」
 全身をゆだねてぐったりしているゼクスの髪を掴み上げる。指の間から長い髪をさらさらとこぼし、蒼白の頬のゼクスは既に気を失っていた。頑なに噛み締めていた唇には、血が滲んでいる。
「あれほど攻め上げても声を上げんとは、気丈な奴だ。トレーズが絡むと、本当にお前は眼の色が変わる」
 切れたゼクスの唇を舌でなぞり、血を舐め取る。
「そんなにあの男が恋しいか?」
 男はそのまま唇を重ね、意識のないゼクスの口腔を蹂躙していった。



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