神の影     9





 危険な容態の山場を生き延びて、男が目を覚ましたのは翌朝だった。
 回復の知らせを聞いてゼクスが顔を見せると、寝台に沈み込むようにして横たわった男は、気配を察して眼を開き、覗き込むゼクスの姿を視界に捕らえるとその眼光を鋭くした。
「気分はどうだ?」
 血の気のない、浅黒い顔を僅かに傾けてゼクスを凝視し続ける男に微笑みかけながら、ゼクスは寝台の脇に椅子を引いて腰掛けた。男はかすれた声で、それでも気色ばんだ。
「……一体、何のつもりだ」
 ゼクスはその眼を見つめ返した。碧がかった青の眸がむき出しの敵意を突きつけてくる。その感情は、謀略の影もない純粋なものに見えた。
「私が君を助けたことか?」
「恩情のつもりか?負け犬の遠吠えを嘲笑うつもりか」
 その言葉に不意に過去の自分の姿が重なり、ゼクスは微笑した。戦いに敗れ初めて彼と対面した時、ゼクスもやはり彼に同じような言葉を投げつけたのだ。
「なにがおかしい!」
 男は低く叫び、その負荷で顔を歪めて唸りを上げた。
「大丈夫か? 1ヶ月は安静にしなければならない傷だ。無理をせずに身体を休めろ」
 男は痛みをこらえながら、ゼクスを睨み付けた。
「貴様にかけられる情けなど、願い下げだ」
 ゼクスは小さく溜息をついた。
「……それでも、生き延びた命だ。大切にしなければならないだろう。戦場では、生きたくとも生きられなかった者達が無数にいる」
 これ以上この場にいても、男を刺激するだけだろう。そう思い席を立つ。踵を返したその背に、男はなおも低く問いかけた。
「何故、助けた」
 何故だろう。一瞬考えて、呟いた。
「罪滅ぼし……という思いがなかった訳でもないのだろうな。守るべき者達を守れなかったことへの」
「守るべきもの……?」
 ゼクスは振り返り、のしかかる思いを振り払うように笑みを浮かべた。
「私はもうじきここを離れるが、君のことはトレーズに頼んである。私が去れば君も命を狙われることはなくなるだろう。傷が癒えたら、故郷に帰るといい。彼の統治は決して君の故郷を不幸にしてはいないはずだ」
「なん…だと……?」
 男は目を瞠った。
「今、なんと言った? トレーズに頼んだ、だと……?」
「ああ、そうか。君は誤解したままだったな」
 ゼクスはくすりと笑った。
「私の名は、ゼクス・マーキス。君が私だと思い違いをしているトレーズ・クシュリナーダは、今頃他国の使者に謁見中だ」
 男は混乱しているようだった。
「ゼクス・マーキス……あの、エレミアの……?」
「君に偽りの標的を教えたのは、ザインの者だったのではないか? ザインの臣下の間では、私は嫌われているんだ」
「どういうことだ。エレミア王は、このセジェスタ宮に囚われていると聞いた。それが何故、俺を助けるような真似が出来る」
 その言葉をまるで糾弾されているように感じるのは負い目からか、それとも未だ割り切ることが出来ずにいるからか。ゼクスは胸に鈍い痛みを覚えながら目を伏せた。
「私は、エレミアの民の想いを裏切った。王としての責務を放棄した。そうすれば得られるものを……そうしなければ得られないものを、王としてではない私が欲したからだ」
 男は信じられないものを見るように、ゼクスを見返した。
「祖国を売ったのか……あのエレミア王が」
 ゼクスは首を振った。
「売ってなどいない。私は正当な戦いに敗れて捕虜となった。
 エレミアの地は、今は平穏を取り戻していると聞いている。ザインの統治は公平だ。かつての私の治世と同等、あるいはそれ以上だろう。民は平和を歓迎しているはずだ。……それでも、国の自主と独立の誇りを裏切ったことに違いはないが」
 そのまま部屋を出ようとしたゼクスの背に、声が突き刺さった。
「誇りを失った者に何が残る。貴様はそれでも一国の王か」
 ゼクスは振り返った。一筋の信念を通そうとする男の眸を見つめ返す。
「私は全てを捨てることを選んだ。だが、誇りだけは捨てられずに残った。多分人が人である限り、自らの誇りは捨てられない。その為にたとえ何より大切なものを手放すとしても。そしてそれが罰なのかもしれない」
 ゼクスは、静かに、刻むように言った。
「私は愚かだ。だが、後悔はしない」



 ゼクスの行き先は、エレミアと同じように東西交通の中継地として繁栄している商業都市ミュトスに決まった。ミュトスには王政はなく、商業都市らしく有力商人らによる合議制で政治を行っている。エレミアとは何代にも渡って交友があり、ゼクスが手紙を送るとすぐに歓迎するという返答が返ってきた。恐らく、東西の情報に通じた彼らの耳には、ゼクスがザイン皇帝に気に入られているというようなことも入ってきているのだろう。大国が攻め込めばひとたまりもない一都市には、元国王でもあるゼクスは自主独立を守る為のカードの一枚になり
る。
 彼の求めに応じて身体を重ねた後、寝台に横たわったままで行き先が決まったことを告げると、彼はゼクスを背中から抱き込みながら、耳許に囁いた。
「いつ、発つ?」
「早いうちに。一度決めたことを覆したくはありませんから」
「ミュトスで、君は何をするつもりだね?」
 吹きかかる吐息に肩を竦めながら、ゼクスは振り向いた。天窓から零れる月明かりに、彼の眸は硬質の煌めきを湛えていた。見惚れるほど綺麗な瑠璃の双眸だった。
 その眸が、ふ、と和む。
「なんだい?」
「あ、いえ……」
 惚けていたところへ額に口吻けが落ちて、ゼクスは我に返った。
「市井の人々と同じ暮らしをするつもりです。その中で私に出来る、人々に役立つことを探していきたいと思っています」
「私の為にではなく?」
「トレーズ……」
 冗談か本気か微笑みを浮かべながら、口吻けが降りてくる。軽く唇を重ねて、彼は不意に真顔で囁いた。
「いつか君の心の整理がついたら、共に帝国の統治に携わってくれないか? 君が手腕を振るえる職はいくらでもある。私の為でなくとも構わない。ザインの民衆の穏やかな暮らしの為に、君の力を使ってくれないか?」
 いつかは、戻ってきてくれないか   ? そう問いかけてくる心の声を聞いて、ゼクスは軋む胸の痛みを押さえつけるように、彼の肩に頬を擦り寄せた。
「貴方がミュトスにまで辿り着く頃には、私も自分を支える何かを見つけているでしょう」 
 彼が小さく笑って肩が揺れた。
「ミュトスは遠いな」
 帝国ザインの広大な領土の腕からも、ミュトスは二つの国を隔てている。いずれも国力はそれほどではないが、その背後にはザインをも凌駕する力を持った東の大国が控えており、二国はその庇護を受けたいわば衛星国だった。まともに戦いをしかければ、ザインの存亡をも危うくする。
 それでも、彼は何気ないことのように言った。
「だが、それほど時間はかからないだろう。あまりのんびりしていると、君は何も見つけられないかもしれない」
「随分強気ですね。相手にするのは東の大国だというのに」
「君をいつまでも待たせる訳にはいかないからな」
 ゼクスの髪に口吻けが落ちる。腕が腰を抱き、髪に触れ、ゼクスは眼を閉じた。
「必ず君を迎えに行こう。希望は闇を退ける力がある。それを君は教えてくれた」
 温もりが伝わる。この温かさを伝えたのは、凍えた彼の闇を吹き払ったのはゼクスなのだと、彼が伝えている。
「トレーズ」
 ゼクスは顔を上げた。月の光に包まれた彼がまっすぐに見つめていた。
「貴方を信じている」
 彼の眸が揺れた。
「ミリアルド……」
 悲嘆のような囁きが落ちる。
 ゼクスは甘く苦しい目眩を感じ、眼を閉じた。



 ゼクスに対する思い違いが解けて気持ちも和らいだのか、2度目に見舞った時には、男はゼクスにあからさまな敵意を向けることはしなくなっていた。ゼクスがエレミア王だと知って好奇心も生まれているらしかったが、同時にその王が祖国を裏切ったということに対する反感は、男の態度に根深く表れていた。
 昼間は暇を持て余していることもあって、ゼクスがずっと男の側についていると、男は沈黙の合間にぽつりと問いかける。
「何故、祖国を裏切ることが出来る?」
「……自分自身の想いを裏切ることが出来なかったからだ」
 しばらく考えてゼクスがそう答えると、男はゼクスを見抜こうとするようにまっすぐな眼で見つめ返してきた。
「国よりも重要なものがあったというのか?」
「トレーズがエレミアを滅ぼし領土を占領したことで、私は民を守るという重責から解放された。そう思うことは責務の放棄と同じだといういうのは解っている。だが、民は私がいなくとも平穏な暮らしを送っている。私は再び血を流してまで国を取り戻すのは間違いだと思った」
「臆病風に吹かれたのか」
「違う。国が失われた以上、王の存在意義も失われるんだ。今はエレミア王など、過去の遺物でしかない」
「遺物ではない。そこには国と国王の誇りがあるはずだ」
 男は強く言った。
「国も、王の存在意義も、その誇りが全てだ。貴公はその誇りを捨てられなかったと言ったではないか」
 ゼクスはしばらく沈黙した後、呟くように言った。
「私は……重責が解かれた時、王の責務さえ秤にかけるようなものに出逢ってしまった。そしてそれを選んでしまった。だがそれを、王であった者の誇りと秤にかけて選び取ることは出来なかった。
 結局、全てを捨てて選んだはずの大切なものから離れることになっても、誇りは捨てられない。私は生まれながらに王としての生き方を定められたのかもしれない。どんな道を選んだとしても、自分の至らなさを生涯悔やみ、悔やむことで償っていかなければならないのだろう」
 ゼクスを見つめていた男は、疲れたように視線を外した。
「俺には、貴公の考えは解らない」
 ゼクスは小さく笑った。
「私も時々解らなくなる」
「何故、自分を傷つける? 俺は負け犬とそしられるより、名誉の死を選びたいと思った」
「死んでは何も得ることは出来ない。そこで終わりだ。生きてさえいれば、新たなものを見つけることはきっと出来る」
 ゼクスは眼を閉じた男の顔を改めて見つめた。褐色の肌と明るい色の髪。秀でた鼻梁。男はチャクナーの民の特徴を色濃く持っていた。
「もし違っていたら済まないが……貴方もチャクナーの王族ではないのか?」
 男は微かに顔を歪め、やがて喉に詰まった息を吐き出すように口を開いた。
「俺は王の弟だった。俺以外の一族男子は全て戦死した。王も……守れなかった」
 悲痛な声が途切れて沈黙が流れる。男はゼクスから顔を背け枕に埋めた。
 食いしばるような呻きが洩れ、男の肩が震え始める。
 痛ましい思いで、ゼクスは男を見守った。



 9年前のあの朝、東方の大国へ遠征に向かうトレーズを見送る彼は、やはりむくれていた。
 『どうして僕も連れて行ってくれないんだ』
 随分言い聞かせたのに、その時になってもまだ彼は訴えていた。強情なその表情にすっかり苦笑して、トレーズは彼の目線に屈んだ。
 『言っただろう。君は戦場に出るにはまだ幼すぎるよ』
 『でも剣だって乗馬だって上達したってトレーズが言ったじゃないか。僕はもう子供じゃないよ』
 『10歳はまだ子供だよ、ミリアルド』
 『トレーズだって15じゃないか。僕と5つしか違わないのに』
 『15歳からが大人だよ。君はあと5年待たないといけない』
 それでも彼は頑固に言い張った。
 『僕は早く大人になりたいんだ。一人前になって、トレーズと一緒に戦いたいんだ!』
 その時の声も眸も、鮮明に憶えている。
 大切な存在だった。何があっても失うことなど考えられなかった。彼はトレーズにとって光と同じだった。だから護っていたかった。戦場に出すなど絶対にさせられなかった。だが、結果的にあの時、彼の願いを聞き入れて連れて行くだけでもしていれば、彼を失うことはなかった。
 何度も繰り返し、脳裏に焼き付いてしまった記憶を再び思い返しながら、トレーズは腕の中に眠る彼を見つめた。
 彼は変わっていなかった。まだ幼かったあの頃から、彼は護られるだけの生き方を否定していたのだ。己の手で行く手を切り開く道を、たとえそれが困難であっても進んでいこうとする。
 それはトレーズという存在が傍らにあることでより一層鮮明になるのかもしれない。トレーズが出会った者の多くは、トレーズに陶酔し、自己の全てをトレーズに委ねて従うことを選んだ。強い光の前で弱い光が自己を主張するのは困難であり、あがくにも大きな労力を必要とするからだろう。自分自身が輝くより、他の光を自分に幻想する方が楽でもある。だが彼は自己の存在を掻き消されまいとする。その本能に近いような思いが、トレーズから離れることを選んだ一因なのかもしれない。
 彼がその未熟さを脱し、真に対等にトレーズと向き合えると思うことが出来るまで   .
 その日はいつ、訪れるのだろう。
 トレーズは彼の髪に頬を寄せる。
 愛しさは一瞬も揺らぐことがないというのに。今この瞬間も、離したくないとう彼への想いは、トレーズの決心を容易く覆そうとする。
 この愛しさの行き場がなくなるなら、トレーズはもう人として生きていくことが出来なくなるだろう。あの凍てついた日々よりもなお深い闇が、全てを覆い尽くしトレーズを全てから切り離してしまうだろう。
「愛している」
 トレーズは囁いた。
「そして君を信じている、ミリアルド……」



 その日は、ゼクスがミュトスへ発つ2日前だった。
 彼は新たな東方侵攻の為に徴兵した兵の視察で早朝から出掛けており、ゼクスは朝からこのところの日課になっている男の許を見舞った。
 男はディードと名乗った。年齢はゼクスより上で、トレーズと同じくらいらしい。遊牧民族の国であるこの男の故郷には、この辺りのような荒れ地ではなく広大な草原が広がっているのだという。
「見渡す限りの緑か。見てみたいものだな」
 ディードの眼は、前日よりずっと和らいだ親しいものになっていた。
「来ればいい。貴公はもう自由の身なのだろう? 草原を馬でどこまでも駆けるのは爽快だぞ。大地や風と一体になれるような気がするんだ。来たければいつでも迎えをやる」
「そうだな……」
 どこまでも自由に駆け、大地と一体になる。そんな自由がもし許されるなら。地平線まで広がる緑の草原を思い描いたその時だった。
 部屋の外で警護の兵士が揉み合う物音がして、ゼクスが立ち上がるのと同時に剣を抜いた兵士らがなだれこんできた。
「何事だ!」
 奇声を上げて斬りかかってきた一人を、剣を抜きざまに弾き飛ばし、ゼクスは叫んだ。
「ゼヴィアス、一体私に何の恨みがある!」
「恨みなどはない」
 兵士の後ろから嗄れた声がした。老人がゆっくりと歩み出る。その硬質の眼に宿る気迫に、ゼクスは背筋を硬くした。
「貴様は陛下の凶星だ。ザインと陛下に仇なす者は、この世から抹殺せねばらなぬ」
「私は2日後にはこの地を去る。去る者が陛下に何を出来るというのだ」
「定められた凶星は、存在そのものに罪がある。現に貴様は予言の通り、エレミアを滅ぼした」
 ゼクスは打たれたように絶句した。
「陛下に不幸をもたらす災いの星など存在させぬ。凶星は消さねばならぬのだ」
 その言葉を聞いた刹那、闇がゼクスの眼前を覆った。あの湿った匂い。何も見えない闇の冷たさ。あの悪夢が蘇る。あの声。嗄れた男の声。ゼクスは口許を覆い、呻いた。
「……私に毒を飲ませたのは、お前か」
 ゼヴィアスのくすんだ唇が、僅かに皮肉げに上がった。
「あのまま死んでおれば、2度殺される羽目にはならなかったものを」
 老人は、ゼクスに剣の切っ先を突きつけた。
「ゼクス・マーキス。そしてディード・カヌ・ラサード。貴様達は死んでもらう」
 その声を合図に、兵士が一斉に斬りかかってきた。ディードが寝台から跳ね起き、腹部を押さえて呻く。容赦する余裕もなく振りかぶった兵士を袈裟懸けに両断して、ゼクスは怒鳴った。
「ディードは凶星とは関わりないだろう!」
 ゼヴィアスは薄く笑ったまま答えない。ゼクスは低く身を沈め、踏み込んでくる兵士の足をなぎ払いながら、倒した兵士の剣を拾い上げた。
「ディード、使えるか?」
 顔面を蒼白にしながら頷くのを横目に、ゼクスはまた一人を斬り払い、素早くディードに剣を渡した。ようやく寝台から降りたディードは発ってるのがやっとの様子で、もう額に脂汗が浮いている。ゼクスは焦燥を感じて唇を噛んだ。この人数が相手では、素早く片を付けるどころか自分一人を護るのが精一杯だ。
 ゼクスはディードを壁際に立たせ、彼に襲い掛かる兵士を阻止する為に剣を振るった。次々と兵士が倒れ、床が見る間に血の海に変わる。兵士らは多勢に任せてディードを攻め、その身を庇って剣を出すゼクスの隙を衝いてきた。なんとか寸前でかわすゼクスの身体には、そのたび浅い傷が増えていく。
 ゼヴィアスはディードを囮にしてゼクスを消耗させているのだ。そのことに気づき、ゼクスは老人に怒りを爆発させた。
「ザインの重臣ともあろう者が、深手の病人にまで剣を向けるような卑劣を恥と思わないのか!」
 ゼヴィアスは全くの無表情でゼクスの声を切り捨てた。
「災いへの礼節など、不要だ」
「私が……トレーズに災いをもたらすなど……!」
 剣を振り下ろそうとする兵士の胴を力任せになぎ払いながら、ゼクスは叫んだ。
「そんなことはあり得ない……私は信じない!」
「貴様の意思など関わりないのだ。貴様の存在そのものが陛下の災いなのだ」
「占いに捕らわれて生きて、何になる! ……たとえ、初めにそう定められていたとしても、運命が未来永劫変わらないはずがない!」
 苛立ちが判断を鈍らせる。腹背から突いてきた剣をかわそうとして迂闊に踏み出し、ゼクスは血溜まりに足を滑らせた。瞬間的に背筋が粟立つ。体勢を崩しながら顔を上げたその前に、剣を繰り出す兵士の、ぎらりと光る切っ先と血走った双眸が見えた。ゼクスは床に付いた剣を振り上げ、相手の剣を跳ね上げようとした。間に合わない。脳裏にぞっとする警鐘
が鳴り響く。
 その刹那、視界が不意に何かに塞がれた。奇妙に温かく柔らかなものがのしかかり、同時に低く呻く声が間近に聞こえた。ゼクスは膝を付いた。のしかかってくる重みを支えようと伸ばした手に、生温かなものが降りかかった。
「ディード……!」
 ゼクスへと崩れ落ちる男の背に深々と突き刺さる剣を眼にして、ゼクスは息を飲んだ。鮮血がゼクスの膝を濡らしていく。剣は確実に心臓まで届く深さで貫いていた。
 動きの止まったゼクスへと、複数の剣が振りかざされる。
「貴様ら……!」
 ゼクスはきつく唇を、奥歯を噛み締め、顔を上げた。
 その時だった。
「そこまでだ」
 煮えたぎった血なまぐさい空間を払うように声が響き、兵士の動きがぴたりと止まった。そこにいた者全てが声の主を振り返る。
 全ての醜悪を射抜くようなまなざしで、彼がそこに立っていた。




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