HONEY HONEY DAYS 2. 鍵をかけたはずのドアノブが、がちゃりと回ったのは、朝の光に室内が明るくなった頃だった。 びくりとして壁から身を起こす僕の前で、開かれたドアの前に立っていたのは、黒のコートを着た、いつも通りの裕也の姿だった。 「あれ? 歩さん、もう起きてたのか?」 外の冷たい風の匂いをまとわりつかせて、靴を脱いだ裕也が上がってくる。茫然として言葉が出ない僕の前にかがみ込んで、顔を覗き込んだ。 「なんか顔色悪いよ? 昨日遅くまで遊んでたんだろ」 「おま……」 ムッとしてようやく言葉が出てくる。 「お前……どこ行ってたんだよ。連絡もしないでっ」 裕也は呆れたようにため息をつく。 「何回かけても出なかったから留守電入れといたんだけど、聞いてなかったのか?」 「……は?」 ローボードの上の電話を振り返る。確かに留守録のランプがチカチカ点滅していた。 どうして気がつかなかったのだろう。 「家の留守電なんか……」 どっと脱力しそうになる意識をなんとか持ち直して、僕は裕也を睨み付けた。 「いちいち見ないだろ。なんで携帯にしてこなかったんだよ!」 「したよ、何度も。電源が切られています、ってアナウンス入って、全然つながらなかった」 「そんな訳ないだろ、電源切ってなんかなかったし、充電だって……」 その時気づいた。カラオケボックスの中は、どういう訳かたいがい圏外になってしまうのだ。 「電波が届かない場所にいたんじゃねーの?」 図星だ。言葉に窮する僕を見て、裕也が苦笑気味に笑った。 「昨日の晩さ、実家から電話かかってきて、親父が倒れたっていうから、慌てて帰ったんだよ。そしたら母親の早とちりで、単なるぎっくり腰だってさ。まったく人騒がせな親だよ」 裕也は微笑んで僕の髪に触れた。 「歩さんに連絡つかなかったから急いで戻ってきたんだけど、正解だったな。ごめんな、心配してくれてたんだろ?」 「誰が……」 心配なんかするかよ。そう言おうとして言葉が続かなかった。感情の方が勝手に高ぶって、身体が熱くなって、勝手に視界が歪んだ。 冗談じゃない。僕は眉を引き絞った。なんでこんなことで泣かなくちゃならないんだ。裕也のことなんかで、どうして 裕也の腕に引き寄せられてすっぽり抱き締められると、涙はもう止まらなくなった。 「ごめん、歩さん」 優しい、いつも通りの声。いつもと同じ、無条件に受け入れてくれる胸のぬくもり。 謝るのは僕の方だ。いつも邪険にして、側にいるのが当たり前のように思って、一晩いなかっただけでも、こんなに辛いのに。 「……んで、黙っていなくなるんだよ。バカやろ……」 僕はしゃくり上げながら、悪態をつくことしか出来ない。僕が悪いのに。わざと心配をかけようとして、連絡もせずに遊び回って、こっちから連絡を入れていれば事情もすぐに分かったのに、出ていったことを確かめるのが怖くて、ただうずくまって待つことしか出来なかったのは僕なのに。 裕也の掌がゆっくりと髪を撫でる。 「ごめん。もうこんなことしないから」 「当たり前だろ。お前がいなくなるなんて……もう…いやだ……」 抱き締める手が強くなる。 「俺は、何があっても歩さんの側を離れたりしないよ。何にでも、何度でも誓うから……だから、俺を信じて」 呪文が降りてくる。泣きじゃくる僕を包み込んで、不安にささくれ立った心の乾きを潤してくれる、甘い言葉。 「歩さん、顔上げて」 眼鏡の奥の漆黒の眸が、甘く僕を見つめていた。 「キス、しよう……」 「……あいついちいち僕の邪魔するんだよ。電話中でも「誰?」とか「コーヒーいる?」とか話しかけてくるし、ちょっかい出してくるし、そんなの相手に失礼だろ? 怒ってんのに、全然他人事みたいな顔して、受け流すんだぜ。マジでムカツクんだよ」 「じゃあ、別居すれば?」 ほおづえをついてニヤニヤ笑いながら、森里が言う。今日も食堂は大混雑だ。 「別居って……なんだよ」 「好きで一緒に暮らしてんだからさ。愛されてるのを、いい加減素直に受け入れれば?」 「愛され……って」 瞬間的に頭に血が上る。真っ赤になってくらくらする僕を見て、森里が笑う。 「歩って、マジからかうとおもしれー」 また、笑われてしまった。裕也のせいだ。 ムカムカとテーブルの下で握りこぶしを作る僕に、森里が少し優しい眼をして言った。 「お前も突っ張ってばっかいないで、もう少し素直になれよ。幸せの形なんて、人それぞれなんだからさ」 顔を跳ね上げて、思わずまじまじと見つめ返した。森里は勘がいい。もしかして気づいているのだろうか? 「どうした?」 「ううん」 僕は首を振って、それから少し考えて頷いた。 「うん。そうする」 森里が吹き出す。 「お前……なんだその反応」 「わ、笑うなよぉ」 森里の言う通りだから、もう少し素直になってみようと、そう思ったのだ。 僕は、彼がくれるぬくもりを、降り注ぐ太陽の光みたいにただぬくぬくと受け取っている。それはずるいと、今度のことでつくづく思ったから。 いつでもありがとうと言えるように、素直になりたい。 「あ、歩さーん!」 ぎくりと振り返ると、食堂の入り口で裕也が無邪気に手を振っていた。この人混みで僕を見つける視力もすごいが、このざわめきを押しのけるほどの声の音量も半端じゃない。 周りが注目する中、人をかき分けやってきた彼を、僕は思いきり睨み付けた。 「うるさいよ、お前。人の名前をでかい声でわめくな!」 僕達の様子を、森里がおかしそうに笑う。 素直になるのは、まだまだ難しいかもしれない。 FIN. ご感想などありましたら、ぽちっとしてくださると嬉しいです→ |